studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2020.02.29

勇者ちゃんと、偽りの女王(後編)

Written by
しゃちょ
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読み物
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 燃えさかる炎を沈めるために、ネリさんとむぎちゃんが魔法を詠唱し、局地的な雨を降らせていた。
 音もなく降り続ける、霧雨のような雨。
 足元に立ち込める薄靄を割って、私たちは倒れたアーオイルの元へと近づいていった。
「戻ってる……」
 光となって消えたベヒーモスから離れたその体は、雨に濡れて身動き一つしていない。しかし、生きてはいるように見えた。
 剣を収めつつ、アルさんはアーオイルの顔を覗き込み、
「息があるな……捕まえられんのか?」
 呟く。
「ほほう」
 やってきたレイさんと師匠さんが、その言葉を耳にして、「これはこれは」と唸っていた。
「いやはや、これはまた、全く聞いたこともない展開ですね」
「とはいえ、このままだとアーオイルは死んでしまうな。ええっと……マスクはどこにあるんだろう」
 きょろきょろとする師匠さんに、「あったぜー」と、アーオイルの口から剥がれたマスクを手に、ヴィエットさんが駆け寄ってきていた。
「ナイスだ、ヴィエット」
「聞いたことない展開だしな! どうせなら、結末が見てみてぇ」
 言いつつ、ヴィエットさんはアーオイルの口にマスクをあてがい、ローグ固有スキルなのではないかともっぱらの噂である、ファスト簀巻きでぐるぐるとアーオイルの体を縛り上げていた。
「あれがないと死ぬのか?」
 マスクを指さしつつ、アルさんは聞く。
 師匠さんは、「そうだな……」と呟いてから続けていた。
「これは、アルくんはまだ知らない話だろうが……私の所属する組織では、アーオイルたちはルーフローラの空気の中では、十分と生きられないだろうという見解が常識になっている」
「こいつらは──」
 ヴィエットさんが言葉を繋いでいた。
「自らの肉体すらも、錬金術で組み替えて生きながらえているんだ。それ故、こいつらの住む世界に比べて圧倒的にマナの薄いルーフローラじゃ、長くは生きられないらしい」
「それを補うための、マスクだったんですね……」
 「なるほど」と、頷くレイさん。「ああ、そうだ」とは師匠さんで、「しかし何故、アーオイルはそこまでして──」「ああ、それはな、レイシュ……」「いや、師匠。その話はアルくん達にはまだ早い。いずれ、その時がくれば……」「ああ……そうだったな」「何か知っているのですか、師匠! ヴィエット!」「いや、レイシュ。それはアルくんたちが、自らの力でたどり着いて見つけてこその──」「つーか、お前らクリア済みだろ?」「それを言っちゃぁー」「おしまいですぜー」「だんなー」

 ともあれ、
「で、どうするんだ、アルさん?」
 苦笑交じりにやってきて言ったのは、チロルさんであった。
「なんとも……ノリと勢いでやってしまったが、アーオイルを捕らえて、これからどうする予定なんだ?」
「さあなあ……」
 霧雨に濡れる頭をかきつつ、アルさんは続けていた。
「まぁ、なんにせよ、こいつを連れてトゥーディオに戻るとして……リタレードの奴らに突き出したら、なんか展開があんだろうよ」
「行き当たりばったりですね~」
 アルさんの台詞に続き、エルさんはほわんほわん。
「まぁでも、悪事の証拠らしきものは掴みましたし、女王がアーオイルであろうことは、これでもう、確定ですね~」
「いやまあ、アーオイルなんだろ、女王」
「まぁ、ぶっちゃけて言ってしまえば、そうですね」
 とは、レイさん。
 それに、アルさんは少し考えるような素振りを見せて、続けていた。
「ということは、だ。女王が侵略戦争を仕掛けている裏には、賢者の石が絡んでいるって事で、間違いないな?」
「まぁ、ぶっちゃけて言ってしまうと、そうですね~」
 やりとりに、ん? と、私は疑問を口にする。
「じゃ、トゥーディオがエル・トゥラを狙っているのは、竜の心臓を賢者の石と勘違いしているから?」
 聞く私に、
「いや、それはないな」
 と、ヴィエットさんがアーオイルを見下ろしながら返していた。
「アーオイル達は単独で行動するが、情報のやりとりがない訳じゃない。竜の心臓が賢者の石じゃないって情報は、共有されているはずだ」
「ああ、あいつ、そんなこと言ってたな」
「それに、私たちを勇者って呼んでたね」
「勇者じゃないのにな」
「まったくだ」
「ま」
 鼻を鳴らし、ヴィエットさんは続けた。
「あれが、錬成石としてはかなり賢者の石に近いものである事には間違いないし、こいつは研究家タイプのようだから、手に入れて研究するつもりだったのかも知れんな。場合によっては、さらなる錬成によって、本当の賢者の石になるかも知れんし」
「そうなの?」
 やってきたニケちゃんが隣のネリさんに聞いて、「さあ、どうでしょう?」と返されていて、続く師匠さんが、「あることないこと」と呟いていた。
「いずれにせよ、兵は神速を尊びます」
 と、レイさんが剣を収めつつ言った。
「この兵士達を壊滅させた事に中央が気づくのも、時間の問題かと思われます。早々に王都に戻り、次の作戦を実行に移さねば、ここでの苦労も水の泡になってしまうかもしれませんよ」
「大分、派手にやったしね……」
 辺りを見回しつつ、アカーシャさんは苦笑している。
「定時連絡がないとか、そういうのでバレそうだよね」
 とは、ハイネさん。
「いや……こんな草原のど真ん中で隕石二つが大爆発とか……普通に気づかれそうだよ?」
「とかいうエミリーも、大分派手にやってたと思うけどね……」
 ティラミスさんのため息に、「いやぁ」とエミリーさんは頭をかく。何故照れている……
「よし」
 強く息を吐き出す勢いと共に、アルさんは言った。
「とりあえず、さっさとトゥーディオに戻ろう。その後のことは、それから考えよう!」
「逃げるが勝ちって奴だな」
 言ったダガーさんに、
「そうとも言う」
 アルさんが返す。
「あ、じゃあ、私たちはこれでログアウトしますね。おつかれさまでした」
「あ、じゃあ俺たちも抜けよう、師匠」
「そうだな。逃げるが勝ちだな」
「え~。じゃあ、私もそうしますかね~」
「え!? ずるくね!? 最後まで責任もって付き合うべきじゃね!?」
「いや、俺ら、あくまでゲストだから」
「謎の組織の一員という設定の」
「……いいなぁ、師匠とヴィエット。私もそういう設定つけようかなー」
「ないことないことですね~」
 ──ともあれ。
 私たちはヴィエットさんとネリさんがいろいろと施したアーオイルを、レイさんの絨毯の上に放り投げ、一路、トゥーディオの王都へと取って返したのであった。

 草木も眠る、深い深い夜の頃。
 私たちは反乱軍の息のかかった衛兵に手引きされ、地下を抜けてアジトへと戻っていた。
 アジトには、すでに連絡がいっていたのだろう。私たちがたどり着くのを、正義の神のレイニオ司祭と、勇気の神のドワーフ神官ディボスさんが、大分複雑な表情と共に、首を長くして待っていたのであった。
「さて……」
 灯火石の照らす地下の一室。二人が連れてきた複数の部下たちにアーオイルを引き渡した後、人払いを済ませてから、
「どこから聞いたものかな」
 と、テーブルの上で両手を組んだディボスさんが言った。
「錬金術師の部隊が王都を出たという情報は、我々も掴んでいたが……明らかに追いつける段階ではなかった。君たちは、我々より大分早い段階でその情報を掴んでいたようだが……一体どこでその情報を手に入れたのだ?」
「なるほど」
 唸り、アルさんは呟く。
「ダガーめ、これを見越して逃げやがったな……」
「まぁ、ギルド的には大分、やってはいけない感じの事でしょうしねぇ……」
 呟きを返すのはレイさんだ。
 ちなみに今、この地下室にいるのは先の二人の神官の他には、私、アルさん、レイさん、ネリさんの四人だけだ。
「ギルドか……」
 ディボスさんは小さく頷く。
「聞かなかったことにしよう」
「賢明ですね。あれは、敵でも味方でもない、あくまで第三の勢力と割り切った方がよろしいものですからね」
「どんだけやべーの、盗賊ギルド」
「まぁ、この世界唯一の世界的組織ですからね、アレ」
 そんなのに目をつけられてもアレなんだが? 私も、知らなかったことにしたいんだが? まあ、無理だろうな。
「君たちが拘束した、アーオイルという者のことだが」
 レイニオ司祭が続けていた。
「我々もその呼び名を耳にした事があるが、一体何者なのだ? エル・トゥラの件も、先のラーゼンの件も、その者たちが絡んでいたと伝え聞いているが……」
「あれ? アーオイルって、割と国の中枢とかでも、知られていない?」
 アルさんはレイさんに向かって聞く。
「あいつらって、実は、陰薄い?」
「まあ、そうですね。アーオイルは、この段階では特に表舞台には出てきていませんし……」
「今回のこの件で、公になる感じですよ」
 とは、ネリさんだ。
「簡単に言ってしまえば──」
 と、ネリさんはディボスさん達に向かって続けていた。
「アーオイルとは、皆さんが認識しているこの世界の住人ではなく、別の世界の住人で、その世界の理で生きている者たちのことです。彼らの目的は、この世界のどこかにあるとされる賢者の石を手に入れること。ですが、賢者の石をご存じでないと、話がさらにややこしくなるのですが……」
「賢者の石は、聞いたことがある」
 ディボスさんは長い髭を撫で付けながら、考えをまとめるように、ゆっくりと返してきた。
「錬金術師──いや、アルケミストといった方がよいのか。そう呼ばれる者たちが生み出そうとしている、究極の錬金術の成果だったな」
「いかなる傷も病も治す万物の霊薬。または不老不死の力。すべての叡智の結晶とも、伝え聞いております」
 レイニオ司祭はじっとネリさんを見、問う。
「しかし、そんなものが実在するというのですか?」
「おっとー。それに対する回答権は、私にはないですね」
「おそらくする」
 言いつつ、アルさんはレイニオ司祭と自分の間の空間をつつくように、人差し指を軽く振っていた。「あ、わりと躊躇せずにタップしましたね、今」「あんまりあまのじゃくな事ばっかりしてると、ストーリーが破綻しそうだしな」「いや、十分してますが……」
「ケルカ・カストーリは、そのアーオイルだというのか……」
 髭を絞るように握りながら続けるディボスさん。
「故に、周辺各国を攻め落とし、そこを領地とし、それを探していたと……」
「そう考えるのが、妥当かなと」
「しかし」
 レイニオ司祭。
「アーオイルが賢者の石を求める理由は何なのでしょう? 確かにそんな力を持つものは、それだけで手に入れたいというのも、わからなくはないですが……」
「だって」
 と、アルさんはレイさん、ネリさんを見たが、
「いやー、何故でしょうねー?」
「いやー、さすがにそこまではねー」
「目、泳いでね?」
「アーオイルは──」
 私は首をひねりつつ、言ってみた。
「今までの感じからすると、賢者の石を手に入れて、何か、とても大きな事をしようとしているっぽいと言う事はわかってる。どうもそれは、アーオイルという種族? の、究極目標のような……」
「お、ここは勇者ちゃんのご高説を賜りましょう」
「よし、座して聞こう」
「正座します?」
「やめて?」
 ってか、ご高説言われると、なんかもにょっとするな……と思いつつ、私は考えをまとめて、続けた。
「アーオイルは、賢者の石を錬成する力を、遥か昔に失ったんじゃないかなと……でも、どうもあの人たちはそれが必要らしい。多分、それがないと生きられないとか、そういう感じじゃ……?」
「あー、いい線いってますね」
「あいつら、ルーフローラじゃ十分と生きられないとか、ヴィエットが言ってたな」
「発達しすぎた錬金術の力のせいで、巨人によって分断された世界に住むとか、トマスさんも言っていたし……アーオイルの悲願というのは、もしかして、その下の世界から出てくるということ? 自分たちが生きるために?」
「賢者の石を使えば、それが可能だということですか?」
 聞くレイニオ司祭に、私は、
「いや、全くただの想像なので、わからないですけど」
 苦笑しながら返した。
「と、すればだぞ」
 何やら、ふと思い至ったように、アルさんが呟いていた。本当に、今、思い至ったっぽいことを。
「と、言うことはだぞ。勇者ちゃんの親父さんが王の命令で賢者の石を探す旅に出たと言う事は、だ」
「あ、この人、今回の件も解決してないというのに、早くも次の話に心が移ってますよ?」
「親父さんや王様は、その辺、なんか知ってんだろうな……何かしらの情報か、確信があって、それを先に手に入れようとした──んじゃねえのか?」
「……どうなんだろう」
 父は、賢者の石を探す旅に出た。それは王の命だったからで、私も、それ以上の詳細は知らされていない。故に、私もまた父を捜す手がかりとして、あるともしれない賢者の石をこうして追いかけてきた訳だが……父は、あるいは王は、賢者の石が錬金術の究極目標であり、凄まじい力と可能性を持つと言う事以上に何かを知っていて、それを探せと、父に命じたのだろうか。
 私を置いて、父が王の命に従った理由が、何かそこにあったのだとすれば……それは──
 「ふーむ……」と、私とアルさんが唸っていると、
「いえ、ただ単に王様が不老不死を求めていて、たまたま力のある勇者が暇そうにしてたので、これはよいと、無理やり行かせたという線もありますよ?」
 ネリさん。ひどい。
「まあ……それが普通かもなぁ」
「やめろ」
 私が傷つく。
「ともかく」
 ディボスさんが言った。
「女王が、そのアーオイルであろうと言うことはわかった。であるならば、女王はこの国の王となる資格はない」
「あ、ここ、世襲なんだっけ? 王権神授的な統治宗教観なの?」
「ですね」
 とは、ネリさんだ。王権神授なるものが、私にはわからんのだが?
「トゥーディオの王族は、基本六柱の神々から神として認められた者の末裔、って事になっているんです。故に、王は神。神であるから、王。と言うのが、この国の統治、宗教観の根底なんですね」
 なるほど。王権神授。
「神なのか」
 問うアルさん。
「ま、そう言うことです」
「つまり、神殺しか」
 何故そうなる。
「燃えるな」
「やめて?」
「まあ、リタレード達はそこまで王族を神聖視してはおらんがな。王族が神だとは、今では本気で信じている者の方が、少数派だろう」
 ディボスさんは「ふん」と鼻を鳴らす。隣のレイニオ司祭は微妙な顔だが? 神様的な価値観の違いとかなのかな?
「とはいえ」
 と、そのレイニオ司祭。
「女王に王の資格がないと言ったところで、具体的な証拠もないようでは、声をあげたところでなんの意味もありません。まずは証拠を集め、地固めをし──」
「そんな時間は、ないと思うんだよなぁ」
 小首を傾げつつ、アルさんは呟くようにして言っていた。
「錬金術師の部隊を潰しちゃったから、さすがに中央も気づくと思うんだよな。リタレードごとき驚異ではないと、あえて無視していたっぽいけど、今回は奴らを直接叩いた感じになっちゃってるし、さすがに何かしらの行動を起こしてくるんじゃないかな。と」
「すごい! 他人事のように言っているけど、真犯人!」
 茶々入れ。忘れない。
「なるほど──となれば──」
 ディボスさんが考えるように目をそらした時、部屋のドアを勢いよく叩きながら叫ぶ声が、不意打ちのように飛び込んできた。
「報告します! 先の男が──!!」

 走る。
 剣を抜く。
 飛び込み、身構える。
 アジトの奥。王都の地下に眠る遺跡に繋がる道──リタレードたちの隠し通路として使われている──その先に飛び出し、私たちは武器を構えた。
 先頭にレイさん。そのすぐ後ろに私とアルさん。少し離れてネリさん。
「逃がさん!」
 アルさんが叫んだ。
「ネリ!」
「凍てつけ! フロストダイバー!」
 杖の先でタイルのような地面を突くと、そこから氷が迸り、奥の男──アーオイルの足元に向かって、それは迫った。
「お前たちと、まともにやり合おうとは思わんわ」
 言い、アーオイルは手にしていた小さな錬成石を、勢いよく地面に向かって叩きつけた。ばっと光がはじけると、そこにコボルトが現れ、一瞬でネリさんの氷の魔法に打たれ、氷結した。
「錬成石をもってんのか!?」
 驚き、声をあげるアルさんに、アーオイルは氷の塊となったコボルトを蹴りつけてくる。
「小癪な!」
 と、レイさんが振り抜いた大剣に、氷が粉々になって砕け散った。
「備えあればというやつさ」
 言い、アーオイルはマスクの中に手を突っ込んだ。ぼきっと、何かが折れるような音がしたかと思うと、アーオイルは引き抜いた手を振るい、どこから取り出したのか、幾つもの錬成石をばら撒いて、狭い通路を覆い尽くしてしまう程の大きさのトロールを顕現させていた。
「歯か!?」
「歯とは!?」
 驚愕に声を上げるアルさん、レイさん。
「ではな、勇者」
 短く告げ、アーオイルは闇の向こうへと走って行く。
「待て!」
「と言われて、待つ馬鹿がいるかね」
 嗤うような声が届いて、トロールが塞ぐ通路の奥に、アーオイルの姿は消えていた。

「これは、大分、まずいことになったのでは?」
 わずかに欠けた月が傾きを始め、するすると落っこちていく。
 教会前の広場。
「どうやら、アーオイルは完全に逃げおおせたようです。城壁の見回り兵が、何名か行方不明のようですね。血痕などから、おそらく奴の仕業かと」
 レイさんが耳打ちするように、アルさんに向かって伝えていた。
「ブアウにして連れてったか」
 苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、アルさんはぼやく。「あいつは、いつもの奴と違って、手段を選ばねぇな」
「まあ」
 一つ息をついて、レイさんは続けた。
「奴は、シナリオ的にここで退場する訳がないとは解っていましたが……まさか、こうも簡単に脱走されるとは……もうちょっと空気読め、シナリオAIって感じですね」
「しかし、たしかに歯は確認しませんでしたね……」
 ネリさんもため息で返す。
「奴は、逃げただけと見るべきか」
 フードを深くかぶったディボスさんが、教会の方からゆっくりと近づきながら、
「現場の方向は、渓谷側だ。あの鉱石魔神の所へ行ったと、そうは考えられないか?」
 周囲に目配せをしながら言う。
「可能性はありますね」
 ふーむとうなるレイさん。
「っても、合流したとして、選択肢は三つくらいだろ」
 と、アルさんが続けた。
「一、公国側に攻め込む。二、俺たちに復讐にくる。三、鉱石魔神をつれて逃げる」
「一は、今やるメリットなくないですか? アーオイルが女王の命令を絶対遂行するんだと言うなら、話は別ですが……」
「女王と、鉱石魔神の両方を相手にしないといけない分、こっちが困る」
「なるほど、嫌がらせ目的」
 思わず私は唸ってしまう。その考えはなかったわ。
「でも、だったら初めから、私たちに復讐にくる方がはやくない?」
 と、私が問いかけたアルさんではなく、レイさんが返していた。
「とは言え、私たちが王都にいる以上、それはなぜか王都に攻め込む事になるので、可能性は低いんじゃないかなあと」
「それもそうか」
「すると、三。かといって、あの量の鉱石魔神を連れて移動とか、できんのか?」
 首をひねり、アルさんはこちこち、思案しているようだ。まあ、多分あんまり深くは考えていないだろうが、レイさんがネリさんに向かって、
「まあ、コボルトやトロールなんかは目減りしますが、錬成石にしちゃって、オーガやリザードマンなんかの、高レベル鉱石魔神だけにして移動するという方法もありますよね?」
「可能は可能ですね」
「そういや、錬成石から鉱石魔神を召還するアレ、逆もできんのか」
 問われ、ネリさん。
「いろいろと制限はあるようですが……可能ですね。錬成石に封じるには、対応する宝石や鉱石の組み合わせが必要だったり、グレードによって変わったりするんですが……まあ、数だけは居ますから、やり方を気にしなければ、現地でばんばん鉱石をつくればいいんですよ」
「それって、同士討ちするってこと?」
「アーオイルにとって、鉱石魔神なんて、同士でもなんでもないですよ?」
 そんな価値観なのか……まあ、自分たちで錬成したようなものだしな……
「それに、もともと石になってるやつもいるだろうから、何も全軍引き連れて移動する必要もないか」
「それはこちらで兵を出し、確認させよう」
 フードを深くかぶり直して、ディボスさんは教会の方へと足を向けた。
「今日はもう遅い。今後の方策のためにも、一旦休まれよ」
「お、AIが空気読んじゃいましたよ」
「やり過ぎだそうで」
「鉱石魔神の軍勢とのバトルはねぇかぁ。やってみたくはあったんだがなぁ」
 なにやら不思議なことを言う三人。
 しかし、
「いやでもアレですよ、アルさん」
 レイさんが言ったそれは、あまり考えたくはなかった事だったので、前後まとめて、聞かなかった事にした。
「アレ、伏線的には、あの軍勢を奴が引き連れている可能性があるわけで──」
「そうか……やはり、いつか決着をつけねばならん時が──」
 こない。ことを祈りたい。

 教会の地下を抜けて旧市街のアジトに戻り、取りあえず疲れを癒やそうと硬いベッドに横になったのは数秒前。いや、鎧戸の向こうから眩しい陽の光が射し込んでいるが、体感的には数秒前。
 のそのそと起き上がり、何か飲もうかと食堂の方へ向かうと、そこには、
「女王、ケルカ・カストーリがアーオイルであることは、間違いない」
「ですね」
 テーブルでパンとスープの朝食を取っている奴らが、既にいた。
「ということで、暗殺はどうか」
「勇者パーティーの台詞とは思えない!」
「ったって、正体を暴くとかさー。やり方もあるだろうけど、衆人環視の中で白日の下にさらすとかさー。なんか、無理ゲーじゃねぇ?」
 もぐもぐしつつ、言うのはアルさんだ。食堂の長テーブルには──
「なぜ、目をそらす」
「いえ、なんでも」
 眼前のレイさんから時計回りにネリさん、ダガーさん、ニケちゃん、アルさんを挟んで、エルさん、チロルさんと、いつものメンバーが既にいた。
「しかも、土曜ではあるが、こんな早い時間からみんな集合してるとか、これ、今日中に終わんの? まったく道が見えてねぇんだが?」
 もぐもぐとしながらのアルさんが、皆を見回しながら問いかけると、
「うっかりすると、デウスエクスマキナる感じですね」
 ネリさんが返して、
「それ、バッドエンドルートか?」
 再度の問いに、
「なぜ、目をそらす」
 何をしているんだか。
「おはよう」
 言って、私はエルさんとチロルさんの間、長机の短辺に椅子を持ってきて座った。「チョリパンでいいか?」とダガーさんは聞きつつも立ち上がり、少し離れた所に広げてあった別のテーブルに行って、てきぱきと私の朝食を揃え始めていた。
「やはり暗殺か」
「正体を暴く方向で考えましょうよ」
 眼前では、不穏な発言をしている男がいる。
「気にするな、正義は、我にあり! だ」
「思ってないでしょ」
 サーブされた朝食のチョリパン片手に言っておくと、
「思ってない」
 でしょうね。
 テーブルに両膝を付いて、指先のパンくずをぱさぱさ叩きながら、「ふーむ……」とアルさんは続けた。
「正体を暴くなら、ラーの鏡とか?」
 笑うように言ったその台詞に、
「なぜ黙る」
 ばんばん、アルさんは「注目!」とテーブルを叩く。
「はいはい! なぜ目をそらす!」
「えー? それは、アレですよ」
 ごにょごにょ、言葉を濁しつつのレイさんに、ばんばん、アルさんはテーブルを叩きつつ、
「つまり、これは完全にラーの洞窟へ行く流れだな! ミミックに気をつけろ!」
「沼地かもしれませんよ?」
「いや、ここの開発なら、実は風の塔くらいはやるかもしれん」
 ネリダガー。
「ラストダンジョンで手に入る使い道のないやつなんて、そんなまさか~」
「そもそも、ラーはこの世界の神にはいないんじゃないかな?」
「ラーって、神様だったの?」
 エルさん、チロルさん、ニケちゃん。
「八咫鏡ですよ」
「ゲームブック」
「11では?」
「アバキクサかもしれん」
 私には、男子達が何を言っているのかさっぱり訳がわからない訳だが、無視してチョリパンを食う。まあ、女子の言ってる事も、よくわかんないんだけどね。

「それは、ナンナの鏡のことを言っているのか?」
 私が朝食を終えた頃、隠し通路を抜けてやってきたディボスさんに、先の「ラーの鏡」なるものの事を、身振り手振りを交えつつ、大袈裟に講釈を垂れた男に向かい、ディボスさんは「ふむ……」と小さく唸ってから、軽く返していた。
「ナンナの鏡?」
 オウム返しに返したその男曰く。「ラーの鏡はだな、王様に変化した魔物の姿を暴いたり、犬にされた王女の呪いを解いたりする、由緒正しき、変化を暴くアイテムなんだ」との事であったが、
「ナンナの鏡? え? マジでラーの鏡ライクなもんがあんの?」
 講釈を垂れておきながら、言われて奴は目を丸くしていた。テキトー男。
「アレ? ディボスさん、まさかのまさか。言っちゃいましたよ?」
「こいつは怒涛の急展開ですね~」
 とは、ざわつく皆。
 思いもよらない反応だったのだろう、「お、おう」と言った感じのアルさんを置いて、私はディボスさんに聞いてみた。
「あの、ナンナの鏡というのは、なんなのですか?」
「ダジャレかな?」
 違うと思うよ?
「ナンナは、古い言葉で、月と旅人の女神の固有名ですな」
 と、ディボスさんは続けた。
「ナンナの鏡は、月と旅人の女神の神器とされており、何も映さない鏡と言われているのです。言い伝えでは、アル殿の言うように、その者の本性を映す鏡という話ですが……」
「つまりそれを手に入れろと、そういう事だな?」
 ずいとテーブルに上半身を乗り出し、アルさん。
「どこにある?」
「どこ……か」
 難しい顔をして、ディボスさんは続けた。
「あれは、十年ほど前までは月の女神の神殿にあったのだが……神殿が取り壊されて以来、行方はしれんな。まあ、神殿を取り壊したのは王の軍であったのだから、回収され、宮殿の宝物庫辺りにしまわれていると考えるのが妥当だろうが……」
「メジャーゴッドなのに、扱い悪いな! うちのカミサン!」
「月と旅人の女神の神殿は、破壊されるものなのですよ~」
「酷い……」
「しかし、考えようによっては、ケルカ・カストーリが己の正体を暴かれないよう、神殿を取り壊したのかもしれませんね~」
 と、エルさんの言葉にアルさんははっと顔を上げ、のたまった。
「なんてこった! これは月と旅人の女神の信者として、正義の鉄槌を食らわせにいかねばならんな!」
「思ってないでしょ?」
「思ってない」
 さもありなん。
 そしてテーブルについたディボスさんに、私たちはナンナの鏡について、いつくかの事を教えてもらったのだった。
 ひとつ、それは月の女神の神器であること。
 ひとつ、その鏡は月の光を受けて輝き、照らす者の本性を暴くということ。
 ひとつ、その鏡が安置されていた月と旅人の女神の神殿は、リタレードのアジトであったとして、見せしめのように火を放たれて破壊されたということ。
 そして、リタレード達はその出来事に多くの者達が身を隠し、やがて、十年近くの時が流れ──
「なるほど」
 腕を組み、頷きながらアルさんは続けていた。
「そして今、我々が、月と旅人の女神の信徒として、この国を解放すべく──」
「思ってないね?」
「ない」
 さもありなん。
「と言うわけで」
 レイさんはぱんと手を打ち、言った。
「シナリオAIが空気読んじゃって、お前ら、正規ルートに戻れよと言うので、宮殿の宝物庫へのスニーキングミッションな訳ですが……」
 ぐるり、皆を見回し、
「我々が最も不得意とする奴ですね。人格的に」
「失敬な」
 否定したぞ、この男。
「ローグ、ダガーさんだしねー」
「失敬な」
 いや、私はそこには触れない。美味しいご飯の為にも。
「まあ、派手にやるのが、我がギルドのもっとーですしね~」
 ほわんほわんと言うエルさんに、
「あ、でも、ちょっと待って」
 私は手を前に出し、言った。
 「ん?」と、皆が私を見た。
「もしかして、そのナンナの鏡を手に入れるために、敵の中枢であろう所の、宮殿にでも、突貫でもする気でいる?」
「はっはっは」
 わざとらしく、アルさんは笑っていた。
「今の会話の流れで、それ以外に何か?」
 ねぇけどもよ……
「いや、しかし」
 ディボスさんは眉を寄せて言っていた。
「突貫は冗談だとして」
 冗談じゃないんだけどな、この人達の場合。
「しかし、宮殿に忍び込むなど、そうそう簡単にできることではないぞ? 私たちが手引きしたとして、宮殿に入る事は出来たとしても、宝物庫の神器を盗み出すなど……」
 と、そこで言葉を止めるディボスさん。
「いや、まてよ……」
 その呟き。考え込むような間。とても不安。
「ところで皆」
 朝食の食器やらなんやらを片付け終わったダガーさんが、テーブルに着いて片肘をそこに乗せつつ、皆を見回し聞いていた。
「これ、大分イベント順序が狂ってると思ってるだろうが……正直、ここで一緒くたにクライマックスフェーズに入ってくれれば、勢いでなんとかいけねーかな? とか思ってんだろ?」
 問いに、
「なぜ、目をそらす」
 アルさんは皆を見、むふーと鼻を鳴らしていた。
「宮殿へ入るだけならば……うむ。宮殿内で我々が手を貸すことは出来ないが、よい方法がある」
 ディボスさんが言って、
「やっぱ、そうきたかー!」
 私とアルさん以外の、皆の声が重なっていた。

「つまりこうだ」
 空の一番高い所にお日様が届こうかという頃。
 アジトを離れた私たちは、人目に付かないようにして、正義の神の神殿を訪れていた。
 窓のない、広い部屋。というか、ウォークインクローゼットと言うには少々大きいなと言う感じの、衣装部屋。
「つまりこうだ」
 アルさんが言った。
「宮殿で開かれる女王主催の舞踏会に、正義と秩序の神のゲスト枠が空いているという事なので、その枠に勇者としてお招きされ、参加する」
 と言うことだ。
 なので、
「勇者なら、武器防具そのままでよくない? この服なら、正装でも十分通じると思うけど?」
 と、私は案山子のように両手を水平に広げた格好のままぼやく。目は半眼。しかしちゃんと前を向いて、来るべき衝撃に耐える準備。
「ガッチガッチに武装してたら、宝物庫に忍び込めないだろ!」
 アルさん。
「そうですよ~。それに、ラーゼンではおめかしできませんでしたし~」
 エルさん。そしてエルさんは、私のコルセットをぎゅうっと引っ張る! 引っ張る!?
「うぐ……!?」
「はいはい、しっかり立ってくださいね~。しゅっとしてないと、格好悪いですからね~」
「これ、私たちもやる必要、あるのかな?」
 少し離れた所でドレス選びをしているニケちゃんに付き合うチロルさんも、そう言いながら苦笑していた。
「えー、いいじゃん。ニケ、自分の時、普通の装備でやっちゃったし。おめかしできるなら、その方が雰囲気でるじゃんー」
 ドレス選び中のニケちゃんは、
「よし、チロルさん! チロルさんは、この肩ががばっと出てる奴にしよう! スリットの!」
 と、選んだドレスをチロルさんに突きつけ。
「いや、大分恥ずかしくないか? それ」
「いいですね~」
 締めつつ、同意を飛ばすエルさん。満面の笑みすぎる。
「男子は? 男子もブラックタイか、ホワイトタイか、指定があんの?」
 一方の男子。聞くアルさんに、
「さぁ? そもそも招待状も見てませんし」
 ネリさん。
「女王の舞踏会なら、ホワイトタイじゃねーの?」
 ダガーさん。
「うーん、そう言う文化は、ないんじゃないですかねぇ」
 首を傾げるレイさん。で、「何を言っていますか~」と、エルさんが続いていた。
「男子もちゃんと、正装しますよ~。舞踏会に赴く女子の隣に男子がいないなど、あり得ませんよ~」
 満面の笑みからは、男子とて逃れられない。
「男女比、一対一なんだよなぁ」
「私は壁の花で十分……」
「ダメですよ~」
「この世界ってか、国? も、舞踏会は男女ペアじゃないといけないもんなの?」
「いえ、異性勇者がマストな仕様なわけではないですから、そんな事はないですが……」
「マストですよ~」
「マストだそうです」
「燕尾服だな。こんな事でもないと、着ることないしな」
 割と乗り気だな、男子。男子はコルセットで締め上げられないしな……
「いやさ」
 エルさんがアクセサリー類を探しに離れた所で、ふうと一息ついて、私はアルさんに肩越しに聞いていた。あんまり動くと、怒られるからな。
「いやさ、ドレスなんて着てたら、宝物庫を探すのとか、できなくない?」
 何言ってんだ? みたいな顔でアルさんは、
「探すのは男子がする。女子はケルカを監視するのだ」
 何言ってんだってことを、さらりと言ってのけた。
「え? 別れてやるの?」
「うん。その方が、話が早いからな」
「むしろ、勇者ちゃんがいると、いろいろめんどくさいですからね。宝物庫の位置とか、我々なら既に知っている訳ですが、その説明が、こう、めんどくさい」
「あれ? あっこの番人、どうすんだ?」
「アルさんとネリさんがいれば、瞬殺でしょう。私もダメージくらう気がしませんし、途中の巡回兵なんかは、ダガーさんのレベルなら余裕でかわせますでしょう?」
「まぁな」
 何か、男子は男子で既に作戦を練ってあるようで、燕尾服にもこだわりはないらしく、「これでいいか」「エナメル靴があるのか。おい、設定作った奴、出てこい」「錬金術です」
「と言うわけで」
 アルさんは言った。
「細かい事は聞くな。勇者ちゃんたちは、ホールでケルカを監視するんだ。故に、ドレスは必須」
「必須なんですよ~、これはもう、しょうがないですね~」
 と、背後に立つ笑み。

 夕暮れを過ぎ、夜が王都をすっぽりと包み込んだ頃。
 丘の上の宮殿へと続く灯火石の街路灯が並んだ道を、何台もの馬車が連なって行く。
 ランプの灯りのような色合いの灯火石の光は、宮殿に向かうにつれて間隔を狭め、やがて規則正しく整列し、夜の陰を宮殿付近から消し去っていた。
 宮殿の前庭。
 ごとごとと軽い音を立てていた馬車は、そこにゆっくりと入り、止まった。
 御者があけてくれたドアから、燕尾服のアルさんが降りて──私に手を差し伸べる。
「いやいや……」
 苦笑して、
「恥ずかしいから、やめて」
 言うけれど、アルさんは軽く笑って返すのであった。
「レディをエスコートしないで、何のためのカヴァリエか」
「思ってないでしょ?」
「そんなことはねーさ」
 仕方がないので、差し出された手に手を伸ばす。なんかこう、気恥ずかしい気がするのは、いつものメンバー全員で舞踏会に赴くのに、馬車四台で、しかもペア毎に乗せられたからとか、そういう、色んな事情が重なっての事だと思う。
 ヒールのある靴も動きづらいし、ドレスのスカートも、どうやって取り回したらいいもんかと思い悩むし……っていうか、転んだら赤面してしまう事確実なので、ここはやはり、手を取ってもらって、エスコートされた方がだな……
 などと考えていると、石畳に下ろした踵が、ぐにっと滑った。あぶねぇ! 所をアルさんに支えられ、やめろ。いや、ごめん、ありがとう。
「あぶねぇな」
「いや……ご、ごめん」
「ふっふっふ……」
 と、含んだ笑いが聞こえたような気がして、連なる馬車の方をちらりと見た。
「完璧ですよ~」
「鼻息荒いですね」
 と言う、お二方の視線の先を、さらに見る。
「あの恥ずかしそうなチロルさんを見てください! やはり、我らがイチの優男、ネリさんを相手に選んで正解でしたね!」
「ジェントルマンの意味でとらえておきます」
 視線の先のチロルさんもまた、ネリさんに手を差し伸べられて、「いやいや、そんな」と苦笑を返しはしたものの、しかしそれがネリさんに通じるはずもなく、観念して、慎ましやかに手を取り──などとしている。
 で、そのお二方から視線を外し、元のお二方に視線を戻すと、そのお二方は興奮気味に続けておられたのでした。
「ふふふ……ニケダガーも、フレッシュさがあっていいですね~。ニケちゃんのドレスも、彼女の元気さがよくでていて、とてもとても! いいですよ~」
「実際はあの二人、つきあい長いので、フレッシュさはないんですけどね」
「いやいやしかしなによりも! ニケちゃんとダガーさんの種族身長差こそ!」
 と、言葉の先の、つきあいの長いニケダガーはなんと! なんとダガーさんが、そのニケちゃんを左腕で片腕抱っこしているではないか! だ、大胆だな、ニケちゃんは! しかも、ダガーさんも片腕抱っこが堂に入っているし……「いや、娘を抱っこする程度のことに動じるか?」とか言いそうではあるが……
「ふふふふ~。そしてそして~」
 視線がこちらに。
 差し出されたパートナーの右手に、右手を乗せた私に……いやいやいや。
「アルさん勇者ちゃんは、鉄板ですね~」
「特にコメントはありません。にやにや」
 やめて? そのにやにやしながらの視線。やめて?
「それではそれでは、嬉し恥ずかし舞踏会。実況は私、エルと~」
「解説は、暗黒騎士のレイシュでお送りします」
 いやいや、親指立てて笑いあってるそのペアも、割と大概だけどな。

 ええっとだな。
 ドレスコードとかだな。まあ、いろいろあるわけで、二人並んで歩かないといけなかったりでな。っていうか、ヒールのある靴の所為で、歩きにくいったらなくてだな。
 受付を済ませ、会場であるメインホールへと向かう私たち。こう、絨毯にヒールが沈んでしまって、ちょっと怖くて、思わず腕に力が入ってしまったりして、「おっと」と言うところをアルさんに手を添えられたりなんだり、いろいろあったりしたりして──いや、置いとこう。
 いやしかし、先導する正義の神のレイニオ司祭は、神官服の正装で、お一人様なわけだが……まあ、何も言うまい。
 たどり着いた先のメインホールは、既に沢山の人であふれかえっていた。
 大聖堂のような広さのメインホールは、奥に長い作りになっていて、高いホールの天井から、灯火石の輝きを反射するシャンデリアが等間隔に吊り下げられていた。
 聖堂でいうなら、側廊に当たる部分。そこが中二階の下に潜っていて、背の低いテーブルと、それにあわせた長椅子、いくつかのスツールが、ブロック毎に配置されていた。
「こちらです」
 と、レイニオ司祭がそのうちの一つのブロックへと、私たちを促す。どうやら神殿の招待客と言うだけのことはあって、テーブルが用意されているらしい。よかった。座れる。座ったら立ちたくなくなりそうだけど。
 優男共なので、レディを先に座らせて──エスコートしつつ!──女子がふうと一息ついたところで、男子達は立ったまま辺りを見回し、会話をしていた。
「挨拶とか、した方がいいんかね?」
「これから一悶着起こそうというのですから、目立たないほうがいいのでは?」
「ってか、アルレイシュは、武器はどうしたんだ? マジックバックも持ってなさそうだが?」
「ネリの魔法で」
「アポートなんて使う機会、めったにないですからねぇ」
「杖なくね?」
「私レベルになると、補助魔法での杖など、飾りですよ」
 武器……そう、腰に剣がない。いつもの愛剣の重みが腰にないと、とてもとても不安になる。けれどもまあ、ドレスだし……剣がないのは当然だけれども……ってか、今、一悶着とか言ったか? 一悶着起こす気なのか? 宝物庫に忍び込んで、ナンナの鏡を盗み出すだけではないのか?
 うろんにアルさんを見ていると、アルさんはそんな視線に気づかずか無視か、ホールの奥の方を見ながら続けていた。
「舞踏会って、最初はデビュタントがでたりすんの?」
「デビュタント?」
 聞いたこともない言葉に、首を捻って質問を投げ返す。アルさんは「ううむ……」と唸って、腕を組んでいた。
「デビュタントってのは、初めて社交界にでる男女のことで、舞踏会のオープニングで踊る人たちのことを言うのだが……いかん、プロトコルがまったくわからんな」
「あー、気にしないで平気です」
 と、レイさん。
「その辺、ファンタジーですので、テキトーに楽しめばいいのですよ」
 それに、にこにこのエルさんも続く。
「オープニングは、デビュタントなのかの明示はありませんが、若い男女のワルツからですね~。皆さん、同じ白いドレスで、美しいんですよ~」
「ふぅん」
 と、アルさん、唸って、
「基本、普通の舞踏会のプログラムだと思っときゃいいの?」
「それで問題ないかと」
「いや、普通がわかんないんだけど……」
 さらりと言い合う男子に、不安になる私。舞踏会とか、私、参加したことねーんですけど?
「みんなは舞踏会とか、参加したことがあるわけ?」
 聞く。
 まあ、なんだかんだ言っても、この人たちは歴戦の勇者様達なので、こういう舞踏会にも、普通に参加したことがあるんだろうけれど、
「安心しろ。俺もウィンナーワルツすら踊れない」
「安心しろ、たぶん誰も踊れねーから」
「極東の島国人です。すみません」
 いや、やはりダメらしい。

 ざわついていたホールが、わっと突然盛り上がったかと思うと、どこかからか湧いた拍手が、あっという間にホール全体を包み込んでいた。
 立ち上がる周りの皆に、慌てて私たちも立ち上がり、皆の視線の先、ホールの奥へと視線を走らせた。
 豪奢なドレスに身を包んだ、流れるように長い銀髪の女性が、そこにいた。
 白い肌に映える銀髪の奥。強い輝きを放つ紅い瞳に、整った目鼻立ち。薄く、微笑むような唇に、シャンデリアの灯りに輝く豪華な首飾りや髪留め。
 内側から溢れるような輝きを含んだその美貌に、私たちは思わず息をのんだ。
 トゥーディオの女王、ケルカ・カストーリ。
 彼女は皆の拍手を受け、右手を軽くあげ、微笑みを返した。
 ふっと拍手の音が途切れ、しんと水を打ったように、ホールに静寂が満ちていく。
「紳士淑女の皆様」
 通る声が、その空間に響いた。
「今宵も私の舞踏会にお越しいただき、感謝いたします」
 想像していたよりもずっと若く、澄んだ声だと思った。戦争で領土を拡大し、民に重税を課し、こんな派手な舞踏会を開きながら賢者の石を探すような者の声とは、ちょっと、思えなかった。
「出来過ぎだな」
 私に顔を寄せ、アルさんが呟いていた。
「あれは、アーオイルじゃないな? 鉱石魔神の類じゃねぇかな?」
「作り物?」
「得てして、そういうもんだろ?」
 美貌に魅了されない辺りは、歴戦の勇者なのかもしれない。が、それはともかく──
「今宵は、大切なお知らせもありますが、まずはいつものように、レディ達の美しいワルツから始めましょう」
 両手を広げ、女王がそう宣言すると、オーケストラの音楽が流れ出し、男女二列に並んだ数十の若者たちがホールへと歩いてきて、響き始めたワルツの音色に、くるくると踊り出していた。

「確認する」
 アルさん。
「デビュタントのワルツの後は?」
「もう動きますか?」
「正直、興味がない」
「ワルツの後に、女王の演説があるんですが~。しかも、それがキーなんですけど~」
「勇者ちゃん、聞いといて」
「私か」
「ワルツの後は、バレエがありますね。プロなんですかね? まあ、プロの概念があるのかは知りませんが」
「その後、オペラか知らんが、歌もあんぞ」
「なっが!」
「で、デビュタントのカドリールがあって、Alles Walzerです」
「行こう」
 アルさんはすっと下がると、灯火石の光の奥に滑り込んだ。
 闇に紛れ、気配がすっと消える。
「あとは、よろしく頼むぜ」
「何をよろしくすればいいんだが……」
 呟きを返すけれど、男子達の気配はすでに皆、闇の中に消えていた。
 さて……どうしたもんかな。
 くるくる廻る若い男女を見ながら、私も一つ息をついて、とりあえず気配を消しておいた。
 私たちは、壁の花で結構。

 デビュタントのワルツが終わり、会場が拍手に包まれると、女王が再び壇上に姿を現した。
 女王は手にしていた杯を軽く掲げ、通る声で告げる。
「新たな紳士淑女の誕生を、ここに祝いましょう」
 ホールの皆もまた、手にした杯を少し掲げ、女王へと向き直っていた。
 ここで変なことをして不審がられるのもアレなので、私は皆に目配せをし、ここは同じように、私たちも杯を軽く掲げていた。
 女王は満足げに微笑んだまま、続けていた。
「そして今宵は、新たなトゥーディオの一歩を皆に伝え、ここに、我が国のさらなる発展を約束いたしましょう」
 ざわりと、会場が沸き立つこともなかった。
 杯を手にした皆は、ただ、女王の言葉を一身に受けているのみであった。
「トゥーディオは、かねてより秘密裏に進めていた、古の錬金術師の作り出した転移装置を使い、西の果ての国、デヴァリ公国へと出兵を開始いたします」
 反応しないようにとしたのは、私たちだけだったかも知れない。
 女王の告げたその言葉は、ここにいる者たちにとっては周知の事だったのだろう。そしてそれは、ここにいるような身分の者たちにとっては、肯定、賛同、または同調、そういった類いの感情以外のものを生むことはなかったのだろう。女王の言葉に反応することもなければ、声を上げる者もいなかったのだから。
「ナール帝国、デヴァリ公国領には、竜の住まう高度に発達した錬金術を持つ自治区、エル・トゥラがあります。我らは、彼の地が我らの脅威となる事を憂慮し、先んじて手を打つのです」
 言い方に、思わず頬が震えたが、無理矢理それを押さえつけた。
 驚異だって? エル・トゥラが、この国の驚異になんてなるもんか。あそこは戦争とか、他国への侵攻とか、そんなことを絶対に考えはしない。私の知る彼の地の司教は、そんなことは絶対に望まないだろうし、護る竜の神も、そんなことをしようとは、絶対に考えないはずだ。
 誰一人として声を上げない中、声を上げて否定してやろうかと思ったが──ここはぐっとこらえた。
 女王の言葉には、嘘と偽りしかない。
 しかしここでは、それが全て正しいのだろう。
 ここにいる者たちは、彼女の言葉を通しての世界しか、見えてはいないのだ。
「また、この出兵は我らの国を護るためだけではなく、さらなるこの国の発展にもつながるのだという事を、今一度、強く皆様に告げましょう」
 皆を見回し、女王は続けた。
「彼の地を我らが手にすれば、数多の錬金術の力と共に、そこに住まう竜の力を手に入れる事となり、我が国の国力はより一層盤石に、そしてその盤石なる基盤は、更なる発展の、新たな礎となるに違いありません」
 それをさせてはならない。
 トゥーディオがエル・トゥラの持つ錬金術の力を手にすれば、間違いなく、この国はその力を戦争の道具に使い、さらなる侵略戦争によって領土を拡大していくだろう。それによって生まれる新たな悲劇は、容易に想像がつく。
「しかし、我が国の平和と安寧、世界の平定のためとは言え、私は、戦争で失われる命に心を痛めます」
 どの口がと、続く演説。
 私はケルカの言葉を、一言一句、漏らさず記憶しようと冷静であることに努めた。アルベルト・ミラルス──彼にこの言葉たちを、一言一句過たずに伝えたら、彼は一体どんな言葉を返すのだろうか。
 ケルカは言う。
「戦争では、多くの者が傷つき、涙を流すものです。私の父もまた──しかし、私はこの悲しみを、この戦いより先、一切生むことはさせません」
 そして、女王は言った。
「この戦いより先、全ての戦いは、我らが国家錬金術師達が発掘した、我らを苦しめるだけの存在であった魔物たちを従える術を用いて行います。我々が魔物と呼んでいたもの──鉱石魔神の力によって──トゥーディオは──いいえ、この世界は──新たな歴史を紡ぎ出し、生まれ変わるのです!」
 それは、アーオイルの力だ。
 私たちルーフローラの民よりも、遥かに進んだ、錬金術の力だ。
 それは──確信などはないけれど──アーオイルにとってもきっとそうであったように──ルーフローラの子には、手に余る力に違いないだろうに、
「何を……」
 ケルカは今、アーオイルの力の存在を、公言したのだ。
 さすがにその話は誰も耳にしていなかったのか、会場がおおと沸いていた。
 そしてそれとは対照的に、仲間達は皆、苦笑するように、その顔をゆがめていた。
「私たちはまだ、私たちがルーフローラの民と呼ばれている事すら、知らないというのに……」
 私が呟くように漏らすと、エルさんが私に顔を寄せ、耳元で告げていた。
「ええ……これを機に、世界は変わるのです。世界はアーオイルを認識し、古の、古代魔法帝国期と呼ばれていた時代とその国は、この世界に実在する、アーオイルの民が生み出したものだと、知ることになるのです」
 そして──
「そして世界は、賢者の石の存在を知ることになるのです」
 歴史の動くその中心で、ケルカ・カストーリは言った。
「トゥーディオはこの戦いを機に、さらなる発展を手にすることになりましょう! そして──」
 ルーフローラの民の前で、アーオイルの民は告げた。
「世界は、我らのものとなるのです! 今、ここに! 女王、ケルカ・カストーリの名において、それを約束しましょう!」
 もしも私の腰に剣があれば、巻き起こる拍手の波は、無かったかも知れない。

 バレエと、それに続く歌の節は、席を用意されているような貴賓達は、皆、同じように自席で何事かをささやき合う時間としていたようであった。
 おそらくケルカの言葉に、各々、どのような身の振り方をするかを囁き合っていたのだろう。時折ブロック間を行き来する者の姿もあり、私たちの席にもレイニオ司祭様目当てに何人かが顔を出し、「正義の神は、今の女王のお言葉には、どのような?」等と質問していっていた。「神のお言葉はまだ、私の耳には届いておりません」
「……男子ズ、どうしたかな」
 時折やってきてレイニオ司祭に挨拶をする者たちに愛想笑いを返すのに疲れ、私は、ぽそりと呟いた。
「オペラは何を言っているのか、全くわからないし……」
 どうやら、歌詞は上位古代語のようで、私には全く意味がわからない。アルなんとかと言っているので、石に関する話なのだろうが、全くもって、内容不明。まあぶっちゃけ、興味もないんだけどね……
「なんか、楽しそうにやってるよ」
 と、ニケちゃんが私の呟きに、空中をぼうっと眺めるようにしながら返していた。
「ダガーさんが、巡回兵の対応ミスって、結局、突貫状態になってるみたい」
「行き当たりばったりですね~」
 ほわんほわんとエルさん。
「アルさんは、こっちのイベントは見てるんだっけ?」
 愛想笑いに疲れたチロルさんも、ふうと息を吐きつつ、聞いていた。
「割と重要なイベントだから、スルーのまま続けるのも、どうかと思うんだけど」
「見られるはずですけど、見てますかね~」
「見てるっぽいよ。さっき、それで巡回兵にバックアタックを食らってみたいだし」
「よく死なないな……あ、レベルがキャップなんだっけ?」
「まぁ、自己回復もできますしね~」
「うん。まあ、突貫モードみたいだし、すぐに合流するんじゃないかなぁ」
「早く帰ってこないかね……」
 言って、私はため息を吐いた。
「さっさと帰って、次の作戦を練らないと、渓谷の軍勢の件がバレるのも時間の問題だろうし、戦争を止める術が、無くなっちゃう」
 見るとはなしにオペラを眺めていた私の台詞に、皆が不思議な、生暖かい笑みを浮かべていたことなど、その時の私は知る由もなかった。「は? 何を?」みたいな、それ。
 やがてオペラも終わり、再びホールに白いドレスの女性と、それをエスコートする男性陣が現れ、くるくると、先とは違う新しいダンスを踊り始めていた。

 踊りが終わると、一層大きな拍手が巻き起こった。
 ぼうっと眺めていた私は、思わずはっとした。ええっと、なんだっけ? ワルツがあって、ダンスがあって歌があって、カドリールとか言うのがあって──オープニングが終わったのだ。
 三度現れたケルカは、最奥の一段高くなった席から、ホールへと向かう階段をゆっくりと下りながら、
「さあ、皆様」
 その声を響かせた。
「皆でワルツを!」
 拍手が響いて、ホールへと男女のペアが手を取り合って出て行く。舞踏会の始まり。ホールへと降りる階段を、ケルカが、満足そうな笑みをたたえて下っていく。
 オーケストラの奏でるワルツの音色と喧騒を──ぎらり、銀色の光と声が割いた。
「女王、ケルカ・カストーリ!」
 男の声。
 細剣を手にした男が、人波を裂き、ホールへと降りる階段を進むケルカに向かって、駆け出していた。
「その命、我らリタレードがもらい受ける!」
 突き出される剣。閃光の切っ先がケルカの胸に向かって突き出される。
 しかしケルカは右手を振るうと、その手の中に隠し持っていた錬成石からエストックを生成し、振るい上げの動作で男の剣を上部へと弾いていた。
 ぎいんと強烈な音が響いて、灯火石の灯りの中を剣が舞った。あっと思うよりも早く、ケルカが突き出した剣の切っ先が、過たず、男の喉を突き、血の華を舞わせていた。
 宙に躍る銀色の髪。
 灯火石の灯りに、紅く輝く瞳。
 薄く笑うようなその唇が、
「愚かな」
 言った声が、聞こえたような気がした。
「ケルカ!!」
 次いで、ドレス姿の女性が剣を手に飛び込んでいく。
 突き出された剣を、ケルカは軽く受けた。二、三、切り結ぶような軽い音がして、ひょうと空気を裂いたケルカのエストックに、女の細剣が宙を舞っていた。
「私の命を取ろうというのなら、百の兵を連れて参れ!」
 突き出された剣先が、女の肩を突く。
 しゅっと血が飛び散ったかと思うと、ケルカはそれを左に動いて躱し、足を上げ、女性の身体を壇上から一撃で蹴り落とした。引き抜かれたエストックの先から、ぱっと、深い赤が散っていた。
 騒然はなかった。
 衆人の目の前で、ワルツの響くホールの中で──赤い血が舞う。
 誰もが、動けずにいた。その中を──私は駆けだしていた。
 宙を舞った剣を右手で受け止める。
 壇上から落ちてくる女性をその左腕で受け止めて──赤い瞳と、目が合った。
 振るわれるエストック。
 右手の握りを確かめる。
 舞うように反転しながら、私は左腕に抱いた女性を床に足下から寝かせると、勢いのままに回転を続け、下段から、思い切り剣を振り上げた。
 振るわれるエストックと安物のスチールが、きんっと甲高い音を立て、ホールの空気を震わせた。

「……リタレードか」
 赤い瞳が、薄く細められる。
「違う」
「ほう……」
 唇が嗤う。
「ならば、私に刃を向ける、お前はなんだ?」
「そうだな……」
 私は嗤っていた。
「エル・トゥラの、竜の巫女だとでも名乗れば、貴方のその笑みも、凍り付くかな?」
「戯れ言を」
 階上からケルカは踏み込み、エストックを突き出してくる。その突きは速く、鋭かったが、この安物の剣でも、十分にいなせる程度のものだった。
 切っ先を払い、こちらからの突きを繰り出すべく踏み出して──ヒールが突っかかって、剣先が鈍った。エストックがすぐさま振り直され、ぎぃんと、鈍い音が響いた。
 安物のスチールの剣は、その一撃で、いともたやすく折れてしまっていた。私は距離を取るべく、二、三、払いを入れ、横たわるドレスの女性の手前にまで、バックステップで下がっていた。
「名のある者とみた」
 一息では踏み込めない程度の距離の向こう、ケルカがホールに全体に通るような声で言う。
 切っ先を、私に向けて。
「名乗りなさい。女王にたてついた者として、その名を全ての者に知らしめましょう。いかなる者であっても、私に刃を向けようという者はこうなるのだと、解らせるために」
 振るわれる、血にぬれた赤いエストック。
「名乗る名はない」
 折れた剣を投げ捨て、私もまた、ケルカに負けぬ強い声で言った。
 ホールの人波は、晴れていた。
 ワルツの音も、聞こえない。
 私の後ろには、仲間達がやっとこ、たどり着いた所だった。
 ひとつ、私は息を付いた。
 やれやれ……一悶着起こそうなんて、思ってはいなかったんだけどな。
 私はせっかくのイブニングドレスの裾を払い、目を伏せた。
 でもまあ、なんとなくこうなるんだろうなーとは、予想はついていた。ので、
「エル・トゥラの、竜の巫女」
 私はドレスに恥じぬよう、真っ直ぐに立って、全ての者に届く声で告げた。
「または、ラーゼンの救国の英雄」
 ざわめきが、さざ波のようにわき上がってくる。
 まさか、自ら名乗ることになるとはね。
 とは言え、今ここで名乗るのであれば、それ以外に名乗るような名はないので、仕方あるまい。
「あなたたちにわかるように言うのなら……フローラのエクスプローラー──勇者とは、私のことよ!」

 ばりーん! と、けたたましい音とともに、ホールのガラス窓がはじけ飛んだ。
 私は知っている。
 私、エルさん、チロルさん、そしてニケちゃんに、あーだこーだと理由をつけて、イブニングドレスを着させて、この舞踏会に参加するんだと言った時から、付き合い長いから、なんとなくこうなるんだろうなーとは、頭の隅で思ってはいた。ので──
 投げ渡された私の愛剣を、私はしっかりと片手でうけとめた。
 ホールに、四人の男たちが窓ガラスを蹴り割って、踊り込んでくる。
「待たせたな!」
 アルさん。まあ、今となってはアレだが、待ってはいなかったよ? 出来ればこの展開は、やりたくはなかったんだよ?
「っしゃー! ネリ!」
 着地と同時に回転し、両手の短剣を構えたダガーさん。
「がってん!」
 その後ろ、ネリさんが、古びた鏡を高々と掲げていた。
 鏡は月光を反射して──その光が、女王を射抜く。
「さあ! 化けの皮を剥いでやりますよ!」
 左手に両手剣、右手にハルバードのレイさんが、矛先を女王に突きつける。
 月光に照らされた女王は、悲鳴のような声を上げ、その顔を両手で覆っていた。
「さあ! 正体をあらわせ! 偽りの女王!」
 構える男四人。
 ちなみに皆、武器を手にしてはいるものの、律儀にちゃんと、燕尾服のままだ。
「いや、まさかなぁとは思っていたけど、本気か? 私、鎧を着てないんだが……」
 レイさんに投げ渡されたハルバードを受け取り、チロルさんがつぶやく。
「イブニングドレスに長槍って、カッコいいじゃないですか~?」
 いつもの調子のエルさんは、特に武器がなくても困らないので……ニケちゃんを見ると──彼女はイブニングドレスのスカートをびりっと割いて、内腿から短剣を引き抜いていた。
 見ていた私に、
「備えあれば」
 ニケちゃんを憂う……
 女王の悲鳴は、今や、怨嗟の唸りに変わっていた。
「おのれ……! フローラの子どもが……!!」
 私は剣を引き抜き、その鞘を投げ捨てた。
 切っ先を女王──今は、真実の姿を映す鏡の力に、その姿を暴かれた鉱石魔人に──偽りの言葉を紡ぐ、悪しき女王に──向け、言った。
「アーオイルの造りし、フローラの民を惑わす者よ! お前の石は、私たちが砕く!」
「貴様ら……! あの、『勇者』どもか!」
 喚く女王のその姿は、人の数倍にまで膨れ上がり、銀色の美しかった髪は、無数の蛇の姿に変わっていた。赤の印象的な薄かった唇は、爬虫類のそれのように耳まで大きく裂け、そこから猪のような牙を覗かせていた。
 大蛇のような下半身。背には黄金の翼。青銅色の手に、ぎらぎらと輝く、紅一色の瞳。
 怪物の姿が、そこにあった。
「ゴルゴーン!?」
 剣を手に、私の隣を駆け抜けていくアルさんが叫ぶ。
「石化とかしてくんのか!?」
「はっはっはー!」
 続き、大剣を構えたレイさんも駆け抜けながら、
「暗黒騎士に、石化の状態異常は効かないのですよー!」
 と、手にした大剣を大上段からケルカに向かって振り下ろした。
 青銅の腕を翳すケルカ。がぁん! とけたたましい音が鳴り響き、閃光がホールを駆け抜けた。
「しかも、大いに手応えあり!」
「おのれ、勇者どもめ!」
 言い、ケルカは背中の翼をはためかせて飛び上がった。
「飛ぶのずるくね!?」
 ケルカに一撃を入れようと駆けていたアルさんが、ぎゅっと立ち止まり、飛び上がったケルカの姿を目で追いながら、声を上げる。
「ネリ!」
「部位狙いは、ニケの仕事なんですがねぇ」
「ニケ、弓ない」
「つかえねーな!」
「ぷー」
「アポートで出すのと、私が打つのと、どっちが早いですかね?」
「ニケ、活躍の場が欲しいなぁ」
「仕方ないですねぇ……お兄ちゃん、お願いって言いなさい。ハートマークが付いた感じで」
「いやだ」
「ちょっと! 何兄妹漫才してんの!?」
 マイペースだな……と思いながら、ホールに飛び上がったケルカを私も視線で追った。ケルカは上空で静止すると、喧噪に包まれ、逃げ惑う全て者たちに向け、言った。
「この姿を見た者は、誰一人として生かしてはおけぬ!」
 紅い目が光る。と同時に、毛髪の代わりに生えていた無数の蛇がうねうねと動き出し、その目から赤い閃光を縦横無尽に迸らせた。
 おおっとと、明らかにやばそうなそれを素早く躱す。
 躱して、アルさんと背中を合わせ、ケルカを見据えたまま、聞いた。
「なにあれ? ゴルゴーンとか言ってた? 知ってる系?」
「俺的知識のゴルゴーンなら、顔を見るだけで石化する。まぁ、めっちゃ見てるのに石化しないって事は、顔を見ただけでは平気なんだろうが……」
「なるほど」
 頷き、剣を握り直す。
 喧噪は、収まっていた。
 縦横無尽に走り抜けた閃光を浴びた者たちは皆、逃げるように慌てふためいたその格好のままで、石化していたのであった。
「あれに当たると、ああなると」
「エル! あれの解除は!?」
 アルさんが叫ぶと、エルさんは「え~?」と、ほわんほわん、返してきた。
「あんなの、かかる方がアレですよ~。当たったって、抵抗してくださいよ~。ちなみに呪い属性なんで、驚異ではないですけど~」
「呪いか」
「あ、そう」
 と、腰に手を伸ばし──「あ、ポーチなかった……」錬成石がない。
「気合いで抵抗だな!」
 構え、笑う。
 なんでこう、行き当たりばったりなんだろうね……
「しかし……」
 ともあれ、私たちは「ううむ……」と唸りあったのであった。
「飛んでる間は、何もできないな……」

「ほら、ほら!」
「ええー?」
「カメラに向かって、全国のお兄ちゃんに!」
「趣旨が変わってますねぇ~」
 空中のケルカは、赤の閃光を次々と撃ちはなってくる。縦横無尽に降り注ぐそれをかわし続けるのは、割と至難のように思えたが──現状、仲間たちは皆、のらりくらりとそれかわし続けている。というか、先のようなやり取りをする余裕すらある。
 まあ、閃光は直線にしか飛んで来ないので、ケルカの位置をしっかりと確認していれば、かわすのはそれほど難しい事ではないのだが……ホールにいた者達のほとんどは、まともに戦った事もない者たちだったのだろう。皆、背を向け逃げ惑い、そのほとんどが石化の閃光を受けて、そこかしこで、不格好な石像となっていた。
 テーブルの陰、柱の裏に逃げ込んだ者達が、まだわずかに残ってはいたが──回り込むケルカに恐慌をきたして飛び出し、放たれた閃光を受けて石化させられ──ホールで動く者は、残りわずかとなっていた。
「別に、驚異ではないが……」
 閃光をかわしつつ、アルさん。
「レイニオ司祭は、救済措置だったのか」
「まあ、我々、リムーブ・カースを使える神官クラスが三人もいますし、あまつさえ私、石化しないんで、全く驚異ではないんですがね」
 言うレイさん。肩に大剣を乗せたまま、腰に手を当ててつっ立っている。どうやらレイさんには、あの閃光はそもそも効果がないらしい。
「……そろそろ、踊りつかれたな」
 と、私はぼやく。
「まあ、待っていろ、勇者ども」
 嗤いを含んだ声で、ケルカが言っていた。
「邪魔者を排除した後、じっくりと相手をしてくれる! その美しいドレスを纏った四肢をこの蛇どもに引きちぎらせ、腸を、この口で食らってくれようぞ!」
「なかなかいい趣味ですね」
「つまり、男子は眼中にないのか」
「そういう話?」
「ええっと、打ち落としてもいいのかな?」
 何故か不安そうに聞くチロルさん。
「ハルバードなら、投げもあるんだが……」
「そういえば、そんなものもありましたね」
「ほらほら~、早くしないと、私の左手が火を噴いちゃいますよ~。片手で屠っちゃうネタを、本当にしちゃいますよ~」
「ほれ、ニケ! さっさとしねーと、出番無くなっちゃうぞ!」
「え? この回避タイムって、ニケちゃん待ちだったの?」
「うおー」
 何やら不思議な声を上げるニケちゃん。
「変身前の戦闘があると思って、短剣用意してたのに、いきなり飛ぶとはー」
「まあ、我々のレベル、シナリオレベルと全く合っていませんからね」
「くっそー、今回はニケじゃなくて、チロルさんかと思ってたのにー」
「え? なんの役回り?」
「気にしてはいけませんよ~」
「ぐぬぬ……」
 頭を抱えたかと思うと、「仕方ない!」と、ニケちゃんは意を決したかのように私の方を向いて──「サービスだからね!」「は?」と、何故か私に向かい、ちょっともじもじした風に、上目遣いに頬を染めつつ、言ったのだった。
「お兄ちゃん……お願い……」
 なんだその、恥ずかしそうなアレは。
 イブニングドレス姿に、普段と違う髪型って事もあって、なんか、ちょっとどきっとするじゃないか。いやしかし、なぜに私に向かって言う。
「はいはい、アーカイブ。アーカイブ」
「ムービーなら、明らかに音楽が途切れたタイミングで挿入される系素材」
「そういうのやめろー! やる人でるだろー!」
 何の話だかさっぱりわからなかったが、ともかくネリさんは「よきよき」と頷きながら、「ならば、ニケにはこれを授けましょう」と、杖を振るって、ニケちゃんの前に一本の弓を顕現させていた。
 シンプルな木製のロングボウ。ニケちゃんはそれを手にして、
「わ! なにこのIL!」
 と、声を弾ませていた。
 その木製のロングボウは、私からすれば、普段ニケちゃんが使っている物と比べると、明らかに貧弱そうに見えたのだが、
「イチイの弓!? なんでこんなに強いの!?」
「お、冥府クエの弓ですか? ネリさん、クリアしてないので?」
「いえ、これ、試練の塔で出るんですよ。これもって冥府クエやるとどうなるのかなーと」
「最終段階が手元に残るとなると、夢が広がりますねぇ……」
「いいから、はよ撃て」
 光線をかわしつつ、アルさん。「あ、私、別に気にしないんで」とか、レイさん。ともかく、
「よーし!」
 と、ニケちゃんは弓を引き絞った。
「鷹の目! かーらーのー、チャージ・ライトニングアロー!」
 その弓に光の矢がつがえられ、金色に輝くニケちゃんの瞳の見据える先、ケルカに、その矢尻が向けられた。
「リリース! ライトニングアロー!!」
 ひゅんと撃ち放たれた光芒の矢は、次の瞬間、ぼっ! という大きな音を立て、ゴルゴーンの黄金の翼を根元から吹き飛ばしていた。

「おのれ……!」
 ホールに落ちたケルカが、蛇の下半身をずりずりと這わせて上半身を起こしつつ、憎々しげに口にする。
「フローラの子ごときが、この私の羽を奪うとは……」
「うん。まさか、ニケも一撃で吹っ飛ぶとは思わなかった」
「ILの暴力」
「え? フェーズ3?」
「きますよ~」
「貴様等皆、石にして、粉々に砕いてくれるわ!」
 ケルカが両腕を振り上げる。
 するとそこに、錬成石から生み出された巨大な幅広の湾刀が姿を現していた。
 両手にした湾刀を、交差させるようにケルカは振り抜く。ごうと巻き起こった突風が私たちを撃ち、その力で、私たちは吹き飛ばされた。
「なん!?」
 崩れるバランスを、何とか立て直そうとするが、ヒールが滑る。邪魔なスカートが煽られて、暴風の力に思わず転倒してしまう。
 これはまずい! と、ケルカを見ると、その頭部の蛇の紅い目が、こちらを向いてかっと光っていた。
 閃光が、一直線に放たれてくる!?
 が、
「レベル50の暗黒騎士には、孤独の魂というスキルがありまして」
 肩に剣を乗せたままのレイさんが、ふっふっふと笑って、左手を突きだしていた。
「孤独の魂!」
 声に、ぎゅんと、閃光は有り得ないような角度で曲がり、全て、レイさんの左手に吸い込まれていった。
「そして、暗黒騎士は石化しない」
「すげーぜ! レイシュ!」
「暗黒騎士、かっけー!」
「さすが、リキャスト30分ですよ~」
 突風にバランスを崩していた皆が、レイさんに喝采。「ふっふっふ……」
「しかも今回はほぼ何もしていないので、MPもまだまだありますぜー!」
 と、両手剣を青眼につけ、
「反・撃!」
 レイさんは駆け出した。
 一気にケルカへ間合いを積めると、大上段から大剣を振り下ろす。暗黒の炎に包まれた一撃が、ケルカがかざした湾刀を叩き折ってその肩口に打ち込まれる。
「オオォオォ!?」
 魔獣のような咆哮を上げるケルカ。ばっと離れたレイさんと入れ替わりに、
「ブランディッシュ!」
 タイトなドレスに不釣り合いなほど長いハルバードを突き出し、チロルさん。
 ばんっと弾けた閃光に、ケルカが一気にホールの奥へと押し込まれ、激突した壁を砕いた。
 もうもうと舞う煙の中、
「おのれ……」
 紅い瞳が、前衛に並ぶ二人を睨みつけていた。
「さて」
 ぐるり、レイさんは大剣を構え直す。
「一気にいっちゃいますか?」
「手応え的には、ベヒーモスより圧倒的にないですね」
 くるり、ハルバードを回してのチロルさん。
「まぁ、我々、鎧も盾もないんで、その分、弱体化しているのかもしれませんが」
「アタッカースタンスしかできないんで、お願いします」
「まあ、完封できそうですが」
「猪口才な!」
 ケルカは湾刀を振り上げ、飛び出した。
「ダークフレーム・ウォール!」
 漆黒の炎を燃え上がらせ、レイさんはそれを大剣で受ける。
 ばあんと弾け飛ぶ閃光に、
「軽いですね!」
「フローラのジャリ共が!」
「おおっと、そんなことを言わずに」
 ニヤリ、レイさんは笑っていた。
「楽しくワルツを踊ろうじゃありませんか!」

「ニケ! 撃て!」
 ダガーさんが両手の短剣を逆手に構えて走り出す。
「ニケ、いち!」
 イチイの弓を引き絞り、光の矢をつがえて叫ぶニケちゃんに、
「今回は、ペアだからな! オレが続くぜ!」
 と、駆けるダガーさん。
「おっと、そう言う流れですか。ではエルさん」
「私、さんで~」
「よんでー」
「あ、それだとネリさん、私、五?」
「六りましょう」
「はい、七」
「え? 私八?」
「それしかねぇだろうよ」
 言って、アルさんは口許を曲げていた。
「フローラのエクスプローラーこと、勇者ちゃんよ。大トリ、頼むぜ?」
「……いつから聞いてたわけ?」
 苦笑気味に返し、私も剣を握り直した。

「ぶっ飛べ! トリプル・ストレイフィング!」
 放たれる、三本の光の矢。
 それは魔獣、ゴルゴーンの青銅の肌を突き、大きくその身体を仰け反らせた。
「ぐ……!?」
 と、紅い瞳が憎悪に光り、睨みつけてくる。それと同時に、迫るダガーさんに向け、ゴルゴーンは頭の蛇の目から石化の閃光を撃ちはなった。
 が、
「ないな」
 ふっと、消えるように動き、ダガーさんはそれを易々とかわしていた。かわして、両手の短剣を逆手に構えたまま、ゴルゴーンのはす向かいに飛び込み、
「ファスト・バイト!」
 その背後に回り込みながら、蛇のような下半身に四連撃を打ち込む。そして、
「バックアタックで、ダブルリッパー!」
 背後から、両手の短剣で大きく斬りつけて、ぐらりとゴルゴーンの身体を反らせていた。
 そこへ、
「神に選ばれたという偽りを語る者へ、正義の神による、正義の鉄槌」
 ドレスのスカートを舞わせ、エルさんが左手を引く。
「セイクリッド・フィスト!」
 突き出す左手から迸る、閃光の一撃。その一撃はゴルゴーンを包み、溢れた光にその身を焼いて、黒い何かを撒き散らせていた。
「光に続くは、暗黒の剣技」
 その黒を剣先に纏わせ、
「暗黒波動!」
 レイさんが大剣を振り抜くと、その剣先から黒竜のような炎が迸り、ゴルゴーンを飲み込んで渦を巻いた。
 魔獣の怨嗟の咆哮が響き渡り、陽炎が揺らめく。
 それを吹き飛ばすように、ハルバードを両手で握りしめたチロルさんが、遠心力で回転しながら突っ込んでいった。
「ヘヴィサイクロン!」
 どぉん! と凄まじい音が響き渡り、ゴルゴーンが吹き飛ばされ、
「コールド・ボルト!」
 吹っ飛ぶゴルゴーンに追い討ちをかけるように、ネリさんが氷の槍を降り注がせた。
 熱と、氷の欠片と、破壊されて舞い上がった瓦礫の煙がもうもうと辺りに立ちこめ、魔獣、ゴルゴーンの姿が霞む。
 ゆらり、生気なく揺れるその影へ、
「決めるぜ!」
 と、飛び出そうとしたアルさんの足が、ぎゅびっと止まった。
「?」
「あれ?」
 心底不思議そうな顔をするアルさん。何故行かぬ?
「おのれ……」
 晴れていく煙の向こう、ゆらりと立ち上がった満身創痍のゴルゴーンが、呟いていた。
「フローラのジャリどもが……」
「アルさん、行かないの!?」
「……うむ。動けねぇんだな。これが」
「すみません、やりすぎました。削りきってしまったようで……強制イベントです」
「出番ないの!?」
 いやなんだそりゃと、意味がわからなかったが、ともかく、ゴルゴーンは私たちを見据えながら、続けていた。
「貴様らごときに、我らが創造主、アーオイルの悲願を止めさせはせぬぞ!」
 憎悪に燃えた紅い目。
「たとえ我が身がここで石になろうとも、この世界を再び一つにするのは、賢者の石を手にする我らが創造主、アーオイルのみ!」
 手にした湾刀を、ゴルゴーンは勢いよく振るった。
 巻き起こった風の刃に、私たちは腕をかざして、耐えるためにその足に力を込めた。が、その風の刃の一撃は、私たちに傷を付けるには、全く威力が足りていなかった。
 風の向こう、ゴルゴーンは、二度、三度とがむしゃらに湾刀を振るう。しかし、それは私たちには傷ひとつ負わせられない。
 なまくらな風の刃に、アルさんは剣を握りなおし、
「アーオイルの悲願なんかには、興味はねぇよ」
 軽く、笑っていた。
「まったくもって興味がねぇ話をされても、まったくもって響かねぇな」
「ならば貴様等は、何のために賢者の石を求めるのだ!?」
 ゴルゴーンが叫ぶ。
「フローラの子如きが、全知全能を望むか! それとも、永遠の命を望むのか! この世界の、新たな神にでもなろうというのか!?」
「どれも別に、興味はねぇなぁ」
 じりっと動いたアルさんの足に、踏み込む為の力を感じ、私もまた、剣を握りなおした。
「メインストーリーだからとか、シナリオだからとか言っちまえば、それまでだけどよ。どこの世界だって、いつの時代だって、俺たちは、いつも変わらねぇのよ」
 そしてアルさんは、私に同意を求めるようにして、言ったのだった。
「なぁ、勇者ちゃん?」
 だから、
「いや、私は勇者じゃないですが」
 返していた。
 私は別に、勇者じゃなくていい。
 ただ──私の護りたいものとか、格好良くいえば信念とか──そう言ったものに従って進んでいるだけで──この人と同じように──それでそう呼ばれるようになってしまっただけで、別に私は、勇者でなくていい。
 本当の勇者ってのは、多分、
「私は、妹分の愛する国を護るために、他国の女王を暗殺するような奴なんで、勇者じゃなくていいです」
 多分、本当の勇者ってのは、そんな事しないんじゃないかね?
 笑う私に、
「なるほど、たしかに」
 ニヤリと笑う相棒が、なにを考えているかはともかく、私たちは向き直って、剣を構え直したのだった。
「んじゃま、勇者だなんだなんてしがらみは捨てて、思うままに行こうじゃねぇか! 勇者ちゃん!」
「いやだから、勇者じゃないですが!」
 私たちは駆け出す。
 握りしめた剣に込めた、想いというか、信念というか、まあ、そんなに大層なモンは持ち合わせてはいないけれど、自分たちの思うままに──駆けた。
 少し先をいくアルさんの燕尾服が揺れる。
 私のドレスが踊る。
「フローラの勇者が! 死ね!」
 ゴルゴーンが湾刀を振り上げる。
「わん!」
「つー!」
 アルさんの声に、撃って響く。
「さん!」
 踏み込んだアルさんの左足が、どんっ! と空気を唸らせた。
 振り下ろされる湾刀に、下から打ちつけるように振り上げられるミスリルの細剣。ばぁん! と光が弾け、湾刀が跡形もなく砕け散った。
「オラージュ・エクレール!」
 斬りと突きの、斬撃の嵐。閃光のような猛攻が、ゴルゴーンを押し込む。そして十二連撃の最後、アルさんはその振り下ろしで、ゴルゴーンの身体を大きく仰け反らせた。
 視界が開ける。
 剣を握る。
 揺れるドレス。踊る前髪。
 ヒールで床をかつと鳴らし、「ラ・ロンド──」
 私は拍を置いて、
「フルーレ!!」
 真正面から、その剣を突き出した。
 十六の閃光に、魔獣は断末魔の悲鳴をあげることもなく、光となって、散っていった。

 トゥーディオという名の王国は、すでにない。
 旧市街から新市街へと続く細い道を行きながら、私はアルさんに向かって問いかけた。
「ここにはもう、用はない?」
「んだな」
 いつもの装備に身を包んだアルさんは、手にしたシュトレンをもぐもぐしつつ返す。
「まあ、もともと何か用があって来た訳じゃないしな。なんだか知らん内に、なんだか変な事に巻き込まれたって感じだし」
 ひっでぇな……とか思っていると、後ろから付いてきていたダガーさんが、頭の後ろで手を組んだ格好のまま続いていた。
「それはオメーが、公国側のシナリオをなんもしねーで、トゥーディオに来たからだろうが」
「えー?」
「それでもまぁ、落ち着くところには落ち着いたようですがね」
 とは、レイさんだ。
「トゥーディオはこれで女王を失い、リタレード達の手によって、王国から共和国になります」
 私に向かって説明するように言ってくれたその言葉を、私と同じように耳にしながら、
「興味ないね」
 と、アルさんは唸る。
 新市街のメインストリートに出ると、そこはお祭りのような騒ぎであった。
 道の両脇に立ち並ぶ出店には、老若男女の人だかりができていて、中央のストリートを、今まさに数十台の屋根のない馬車が通り過ぎて行こうとしているところだった。
 馬車には、リタレードと繋がりのあった貴族の他、正義と秩序の神のレイニオ司祭、勇気と戦いの神のドワーフ神官、ディボスさんの姿もあった。
 沿道から、歓声があがっている。新しい国の中枢に名を連ねる者達へ、期待と希望を託した声に相違ないと、私には思えた。
 トゥーディオという名の王国は、すでにない。
 新しく生まれ変わったトゥーディオと言う名の国は、きっと、変わるだろう。
「それがいいのか悪いのかは、正直、俺にはわからねーし、興味もないけどな」
 言ったアルさんの横顔を、私はちらりと見た。アルさんはシュトレンをもげもぐしながら、馬車の上で私たちに気づいたレイニオ司祭に、軽く手を挙げ、会釈を返していた。
「いくけ」
 軽く言い、ぱんぱんっと手をはたき、アルさんは行く。
「峡谷の軍勢を、帰りがけに見ていきます?」
 と、レイさん。
「まあ、もぬけの殻でしょうけどね」
「それって、正規ルートでもそうなの?」
「そうですね。まぁ……因縁はもうちょっと薄いんですが……」
「トゥーディオでのこの一件によって、勇者ちゃんはアーオイルから、完全に敵として認定される事になるんだぜ?」
 ダガーさん。不安なことを。
「そして、第一部はこれにて完となり、第二部からは、望むと望まざるとに関わらず、アーオイルに関わるストーリーになります」
 苦笑していた私に、レイさんは言いながら、軽く笑いかけていた。
「まぁ、アルさん的には、だから何だって話でしょうがね」
「そうだな」
 軽く口許を曲げながら、アルさんは振り向き、私に向かって言ったのだった。
「俺たちは、勇者ちゃんの親父さんを探しているだけで、別に奴らと敵対してる訳じゃねーしな」
「まあ、そうだね」
 私も口許を曲げつつ、軽く返していた。
「え? いや、なんかこう、因縁とか、謎とかですね……そう言ったもので、こう、ストーリーに絡んでいこうとか……そういう積極性は?」
「無い」
「アルに期待するのが間違い」
「エー?」
 さもありなん。

「いやしかし、目的は勇者ちゃんの親父さん探しだとしてよ。次はどうすんだ、アル」
 トゥーディオを出、平原を行く私たち。
 聞いたダガーさんに、
「そうだな……」
 新たな旅路を行きながら、アルさんは呟くように口にしていた。
「今回の件で、賢者の石について勇者ちゃんとこの王様や親父さんが、どこまで知っていたのかとか、そう言う話があったから、一旦、報告がてらに戻って、それから──」
 アルさんは沈む夕陽を見つつ言う。
「それから、どうすっかなー」
「今回の件で、ルーフローラの人々は、アーオイルの存在と、賢者の石の存在を知ることになります」
 歩きながら、レイさんは続けていた。
「トーディオから、賢者の石を探して世界中に派遣されていた者達なんかもいたりするんですが、そういう輩は、他国の貴族に雇われたり……まあ、国によっては自国の兵を動員して探索を始めたりと、大探索時代に突入したりするんですが……」
「なんだ、聖杯みたいな感じになるのか?」
「遠からずですね」
「陰謀渦巻く!」
「聖杯城を探せ!」
 何の話だか、私にはさっぱりわからん。
「ま」
 アルさんは軽く、同じ事を繰り返していた。
「なんにせよ、勇者ちゃんの親父さんを探す手がかりが賢者の石なら、今までと同じように、それを探して旅するだけだな」
 夕陽の中で笑う相棒に、私も、仕方ないなぁと、苦笑を返したのだった。
「もしもあれなら、そのついで。成り行き流れで世界を救う──くらいでいいだろう? 勇者ちゃん」
「ま、私は勇者じゃないからね」
 そして、私たちはいつものように笑いあった。
「いやいや、世界、救いましょうよ、勇者でしょう?」
「ま、アルにそれを期待してもなー」
「いやいや、そもそも向こうが勝手に絡んでくるんであって、俺はだな……」
「そこを! なんかかんか! 理由を付けてですね!」
「よし、俺はお前が気に入らない! 故に、ぶっ潰す!」
「ねぇ! ヒロイックさの欠片もねぇ!」
 笑いあい、私たちは歩く。
 旅路の果てはまだ知れないけれど、多分、たどり着きたいと思う場所へと、私たちは私たちを信じ、進んでいく。
 の、だろう。たぶん。


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