studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2023.01.01

勇者ちゃんと、伝説の勇者たち

Written by
しゃちょ
Category
読み物
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「総員、待避ー!」
 最前線で鉱石魔神の猛攻を押さえていたレイさんが、振り向きざまに叫ぶ。
「もー! 無理ー!」
 きびすを返し、走り出すニケちゃん。
「おやおや、まあまあ」
 と、エルさんはステップを踏みつつ後退。それに続くダガーさん、ネリさんは「こりゃやべぇ」「戦略的転進ですね」と、すたこらさっさ。
「殿、務めます! レイさん先に!」
 戦旗槍を大きく振り抜き、聖騎士チロルさんが殿に立って叫ぶ。と、
「くっ! チロルさんが殿だと、あとは任せた! と言って逃げ出しにくい!」
「私ならいいというのですかー!」
 はいはい、いつものいつもの。
「だがしかし!」
 我が相棒、アルさんこと、アルベルト・ミラルスは言った。
「総員、待避ー!」
 無数の、数百という単位に違いないという鉱石魔神の大群に背を向け、私たちはあの要塞遺跡、バリトゥーヤの円形広場から、脱兎のごとく逃げだしたのであった。

 要塞遺跡、バリトゥーヤが遠くに見える丘の上。
「ふぅ……」
 と息をつく私たち。
「困ったな」
 などとつぶやき、アルさんは頭をかいた。
「いやぁ、ヤバいですね」
 笑いながら帽子をちょいと直し、ネリさんは辺りを見回しつつ言う。
「二、三十人はいそうなんですが、なかなかどうして、取り返せませんねぇ」
「バランス悪過ぎねぇか?」
 ふんと鼻を鳴らし、アルさんはバリトゥーヤを遠くに見ながら続けた。
「アーオイルの最終侵攻って話だから、まあ、向こうも総力戦なのはわかる。が、倒しても倒しても無限湧きしてくるのは解せぬ」
「そこはゲームですんで」
 言うネリさんに、結局二人で殿を務めたタンク、暗黒騎士レイシュと、聖騎士チロルさんが、てくてくとこちらに向かって歩いて来ながら言っていた。
「やー、何組かのパーティーと話して来ましたが、皆さん、今日はもうあがるそうですよ」
「この時間になると、さすがに押し返すのは難しいそうです」
 聞き、アルさんは腕組みをしながら、
「夜はこれからだろう」
 などとのたまう。
「もう、てっぺん廻りますけど?」
「廃人ですよ~」
 まあ、てっぺんと言いつつもこちら時間ではまだ昼な訳だが……リアル時間ではどうやら、そろそろ日付が変わる頃らしい。
「芋焼いたけど、食うか?」
 ほいと、ダガーさんが鉄鍋の上から芋を投げた。受け取る。熱い熱いと、そのままアルさんにパス。「あっつ!」とそれはネリさんへパスされ「熱っ!」と続いてニケちゃんへ。「あっつぅ!?」と戻ってきたので、準備しておいたフォークでぷすりと受ける。
「で」
 私は言った。
「そうは言っても、バリトゥーヤを取り返さないと、ルルスにはたどり着けないんでしょう?」
 芋フォークをふりふり、聞いた。
 聖地ルルスが光を発し、アーオイルの生み出した鉱石魔神の大群がそこから溢れ出してきて早幾日。ルーフローラのエクスプローラー達は迫る鉱石魔神を押し返そうと、昼夜を問わず善戦を繰り広げていたが、その圧倒的な数を前にじわじわと戦線を押し下げられ、今や聖地ルルスへの唯一の入り口であるバリトゥーヤの遺跡にまで、戦線を後退させられていたのであった。
「なんともですねぇ」
 杖の先で芋を突き刺しつつ、ネリさんが言った。
「バリトゥーヤまでは、向こうもこちらも一本道ですので、正面切ってのガチンコ──なので、運営の予想としては、数日で陥落できる想定だったんですがねぇ」
「おいまて運営。主語がおかしい」
「運営は敵ですよ~」
「ということは──」
 芋を配りつつ、レイさんは続けていた。
「我々フローラの子どもたちは、思った以上に善戦していると、そういうことですか?」
「全然、実感ないですけどね」
 苦笑のチロルさんに、
「さあ? どうでしょう?」
 ネリさんは肩をすくめ、「私にもわかりませんが」と、前置きして続けた。
「最終的には、この結末はAIがどう考えているかなので、我々にもわかりません。AIが本気でこの世界を滅ぼして終わりにしようと考えているならそうなるでしょうし、そうでないなら、そうならないだろう。という感じです」
「テキトーすぎる」
 どの口が、という男は芋を割りつつ、私に向かって聞いた。
「勇者ちゃんは、どう思う?」
「何が?」
「この世界の結末について」
「それは私に、賢者の石を使えと言っている?」
「使ったらわかんのか?」
「さあ?」
 言って、私は芋をかじった。思った以上にほくほくだったそれは、私の口の中でほろりと砕け、あつ、あつっとなって──私が首をぐにぐにしつつ口の中でそれを転がしていると──アルさんは聞いても無駄だと悟ったのか、ネリさんに向かって聞いていた。
「わかんの?」
「まあ、無理でしょうね」
 ネリさんは帽子をちょいと直しつつ返す。
「本物の賢者の石をもってすれば可能かもしれませんが、そうはさせないよう、勇者ちゃんからは一切のシステムアクセス権を剥奪していますからね」
「そういや、そんな事も言われたな」
 アルさん、芋をもぐもぐ。
「それでもまあ」
 ネリさんは言った。
「この世界で唯一、この世界の理の外にいる、アルス・マグナに挑む権利を持った最後の勇者です。期待はしていますよ?」
「最後?」
 アルさんは芋をもぐもぐ、小首を傾げている。
 私も見つつ、もぐもぐ。
「ええ」
 ネリさんは両手を広げ、笑うようにして言っていた。
「この世界で通常プレイルートで未クリアなのは、もはやあなたたちだけなのです。おそらく、あなた達以外に残りの時間でアルス・マグナに挑めるものはいません。あなた達が、真に、最後の勇者となるのです!」
 もぐもぐ。
 もぐもぐ。
「……自覚、ありませんね?」
「そもそもアルさんたちのルートを通常プレイというのもどうなのか」
「それもある」
「難儀ですねぇ~」
「とにもかくにも、どうやってバリトゥーヤを再攻略するかなんだよなー」
「そうなんだよねー」
 もぐもぐ。
 もぐもぐ。
「……自覚、ありませんよね?」
 取り合えず芋を食う我々に、杖の先に芋を刺したままのネリさんが言っていた。

 さて、どうしたものか。
 聖地ルルスに入り込むには、鉱石魔神の猛攻を押し返し、バリトゥーヤから最後の町、ルルストリアへと再侵攻しなければならないわけだ。が、なんとも、状況は芳しくない。
 アルさん曰く、「いや、何回かは抜けているんだが、ルルストリアにたどり着くまえにやられちゃうんだよな」との事だったが、私にはその記憶がないので、そこは深くは突っ込まない。
 さて、どうしたものか。
 困り果て、とりあえずは各々持ち帰って作戦を練る事にしようかと別れた、その翌朝。
 生家のベッドで寝ながら作戦を練っていた私は、なにやら騒がしい外の様子に、もにゃもにゃと目を覚ましてベッドから起き上がった。
 何事だろうと眠い目をこすりつつ、窓から外を見る。アルさん、レイさん、ヴィエットさん他、よく知るみんなが朝からすでに集まっているようだ。なにやらテーブルや椅子なんかを作っているようだが……
「……なにしてんの?」
 窓辺で頬杖をつきつつ、聞いた。
「おう、起きたか」
 気づいたアルさんが作業の手を止め、振り向いていた。
 テーブルは私が寝転んでごろごろしても余裕がありそうな円卓で、中央にはなにやら丸い鉱石が置かれていた。取り囲む椅子は十脚ほどあって、円卓会議でも開きそうな勢いだ
「なにかするの?」
「円卓会議」
 まんまだった。
 ともあれ、着替えて外に出ると、いつの間にか人数が増えていた。ダガーさんやニケちゃんもやってきていて、円卓とその後ろに置かれていたテーブルに、カラトリーやお皿などをせっせと並べている。
「作戦会議?」
 近づきつつアルさんに聞く。と、アルさんは「うむ」と腕組みで頷きを返してきた。
「しかも、かけられるだけ沢山のみんなに声をかけてきた」
「たくさん?」
 小首を傾げつつ、
「どういうこと?」
 聞く。
「うん」
 アルさんは笑いながら、言った。
「最終決戦に挑むために、ルーフローラのエクスプローラー、みんなの力を借りようとな」
「どういうこと?」
「俺たちの力だけでは、ルルスにたどり着けない」
「うん」
「だから、助けてお願いってする」
「ああ、他力本願」
「そういうこと」
 ちょうど我が家へ向かう道の向こうから、暗黒騎士のジェダさん、そしてその勇者ソアラが姿を現していた。「おー、よく来てくれた! この世界のトッププレイヤー!」「いや、今や知名度は貴方達の方が上でしょう?」「いや、世界中のみんなが知っている、名も無き古き神にはかないません」「私は神ではありません」「ご謙遜を」「貴方の勇者の所為です」「え!? 飛び火!?」
 円卓にジェダさん、ソアラ、師匠さんを始め、仲間たちが着席を始めている。取り囲むように、その後ろにはよく知るみんなの姿がある。
「どうぞ~」
 とエルさんに促され、私とアルさんも席に着いた。最後の一脚にエルさんが腰を下ろしたところで、円卓の椅子、全てが埋まっていた。
「さて~」
 と、どこからともなく木槌を取り出し、こんっと、エルさんがそれで円卓を打って、言った。
「では、始めましょうか」

「ではまず、開催の挨拶を不肖、私、ネリ・からしが務めさせていただきます」
 円卓のエルさんの後ろに立ち、ネリさんが言う。
「えー、円卓の中央にある鉱石のようなそれは、ぶっちゃけ全方位カメラです。事前に伝えてありますが、この会はすべて配信されていますので、皆さん、ご留意ください」
「不用意な発言はしないように。ヴィエット」
 などと、給仕のような装いのレイさんが、円卓に小さな足のあるグラスを配りつつ言った。いや、ようなというか、ニケちゃんと二人、本日は給仕役のようだ。
「オレより、セルフィさんのが危ないだろ」
「私っスか!?」
 背後、外野、こちらは手酌。
「また、各自、配信等はご自由になさって構いません。アドレスはニケに言ってもらえれば、こちらで纏めます」
「あとで聞きに回ります」
 などと言いながら、飲み物をテーブルに置いていくニケちゃん。「ちなみにお料理はダガーさんのフルコースです。外野のみなさんは、各自テーブルからご自由にどうぞ」「この格差は?」「特にありません」
「まあ、格差はともかく、円卓についている皆さんは、こちらで選抜させていただきました」
 ネリさんは続ける。
「まずは、アル、勇者ちゃんは当事者なので確定で……」
「基本的におまえ等の所為の集まりだからな」
 外野テーブル側に料理を運びつつのダガーさん。辛辣。ってか、給仕もやるのか、大変だな。まあ、我が家のキッチンは自由に改造していただいているので、楽しくやっているんだろうけれど。
「あとは、我々いつものメンバーからは、左手で巨人をも屠る、進行を務めさせていただく、導師、エル様です」
「神をおろしますよ~」
「そんなことを言ったら、この人、神ですから。な、試練の塔のワールドファースト、暗黒騎士ジェダとその勇者、ソアラ」
「私は神ではありません」
「ご謙遜を。そして巨人討滅戦では最高の指揮を発揮してくだきました、ナイト、師匠さん」
「いや、あれは成り行きで……」
「そしてその巨人討滅戦で、一撃必殺の拳を放ってくれました、刹那さん」
「何故私がここに身を連ねているのか、全くわからないのですが……」
「いえ、貴方の勇者、巨人倒してますよね? 因みに世界で二番目でしたから」
「そうなの!?」
「巨人は、真に勇者が巨人に戦いを挑もうと思わないかぎりはクエストが発生しないので、そこが一番のハードルだったりするわけですが~」
 ほわほわ笑いながら、エルさんが言った。
「刹那さんの勇者さんは、刹那さんが巨人と戦ったという話を聞いて、自分も奴を倒すんだと決起したそうですよ」
「え? 脳筋なの?」
「失礼」
「いや、私の勇者もモンクなんですが……私より自分の方が弱いと思ってまして……私を越えるんだ、と」
「美しい師弟関係」
「美しい?」
「まあ、ジェダさんたちに手伝ってもらったりなんだりしましたけど」
「マジか」
「アルは勇者ちゃんがいなくて、試練の塔にしか行けなかった頃ですね」
「なんだよ、言えよ。祝ったのに」
「ちなみに当然ですが、ソアラさんも巨人倒してますよ。五人目だったかな?」
「え? マジで? ってか、むしろ今、巨人倒した勇者って、何人いんの?」
 アルさん、皆を見回しつつ聞く。と、後ろに来ていたレイさんが、
「アップデートで即湧きに修正されて試行回数も増えてますし、ILも999がちらほらいるご時世ですからねぇ……二桁は確実にいますよ。十人目までは公式が発表していたはずなので」
「マジか。賢者の勇者を集めるんだ!」
「そういう意味では、そこにもう一人」
「え? 誰?」
「むぎちゃんが」
「なんだってー!?」
 テーブルにチロルさんではなく、何故むぎちゃんが……と思ってはいたが、むぎちゃん、巨人を倒していたの……?
「なんだよ、言えよ!」
「いや、倒したの、ついさっきですんで」
 さらりとネリさん。それにむぎちゃんの後ろに立っていたチロルさんが続く。
「いや、実は今日、みんなで試練の塔の最上階に挑んでいて、めでたくクリアできたんですけど、クリアしたら、むぎか……」
「これで私も巨人と戦えるね。となりまして」
 などと、レイさん。「その場にいたの?」「はい」「私もいましたよ~」
「じゃあ、時間あるし、行っちゃう? なんて話になったんですが、いや、軽い腕試しのつもりだったんですよ? ところが、これがもう、なんというか……」
「この集まりがあったんで、みんな、いたわけで~」
「時間もあるし、じゃあ、と……」
「気がつけば巨人、倒してました」
 円卓の皆が、口々に言う。
 ってか、円卓のみんな、つまり世界で最初に巨人を倒したみんなが再び集まったという……それはまあ……
「さもありなん」
「ってか、巨人、弱体化してねぇ?」
「ILの暴力ですね~」
 高けりゃ強いっていう数値のILも、あの時と比べれば、皆、さらに100以上上がっている。一度倒した相手であるとは言え、あれだけ苦戦した相手を、「いっとく?」「やっちゃう?」みたいなノリで倒してきてしまったというのが何というか、この人たちは……
「そんな訳で、ほんの一時間程前までは、この世界のトレーサーの中でも筆頭情報通で知られるヴィエットの席を、むぎちゃんさんが奪い取りました」
「キー! 悔しいッ!」
「ヴィエットよりは視聴者的には喜ばしい」
「おのれー!」
 言いつつも、あまり悔しそうではないな、ヴィエットさん。まあ、そういう人たちではあるのだけれど。
 しかし、
「そんなこんなな、ノリと勢いだけで生きている迷惑な人たちの中、円卓最後のメンバーは、界隈一の常識人、ベルくんです」
「僕が一番、場違いな気がします」
「いいえ、貴方が唯一の良心です」
 と言うことで、円卓には今、十人のエクスプローラー達が着席していたのであった。

 かつん! と、エルさんがテーブルを打った。
「では、始めます~」
 言う円卓では、一品目の料理に「この小エビの奴は、もしかしてエル・トゥラのラストで食べていた小エビのフリッター?」「そうです。魚のカルパッチョのソースも、同じ物です」「マジですか!」「おおっ、食べてみたかったんですよ、あれ!」などと。
「なお、冷菜温菜が一緒なのはすまん、皿が足りない。と申しておりました」
 テーブルに料理を給仕しつつ、ニケちゃんは言う。目の前の白いお皿の上には、エル・トゥラで食した大皿料理に乗っていた、例のきらきらしたソースがかかったあれとフリッターが、見目麗しく盛り付けられていた。
「あいつ、どこまでやる気なんだ……」
「突き出しがない分、本当にフルコースをやる気はないんでしょうが……」
 後ろを行きながらレイさんは言っていた。「私たちも、何品出す気か聞いていません……」
「話を戻しまして~、まずは現在の我々エクスプローラーと、アーオイルとの戦況です」
 と言ったエルさんに、後ろのネリさんが続く。
「現在の戦線は、バリトゥーヤ前門付近。いやあ、押し込まれましたね。アーオイルは小康状態で、戦線は動いていません。新しい鉱石魔神でも錬成しているんですかね?」
「敵は、前門を拠点にする気なのか?」
 舌鼓をうつ私の隣、アルさんが聞く。
「あそこからだと四方に展開できるから、確かに陣をしくには都合がいいとは思うが」
「ですね。あそこからなら、アウラの南方方面に展開できるかと思います。ですが、兵力を増強しているのか、人が少ない時間帯にはあまり活動しないようになっているのか、いずれにせよ、鉱石魔神の軍団はそこから動いていません」
「めずらしく、運営が空気を読んでる」
「AIがでは?」
 小首を傾げつつ、ジェダさんが突っ込んで続けた。
「しかし、逆に言えば、戦力が分散される分、押し込むなら今の状況の方が我々にとっては有利なんですかね」
「どうなんだろう」
 フリッターをぺろりと食した師匠さんが、口許を拭いつつ返す。
「戦力増強をしているのだとしたら、逆に時間が経てば不利になるとも言える」
「纏まっている分、一気に叩くという案はありませんか?」
 とは、刹那さん。刹那さんなら、確かに一気にぶち抜きそうではある。
「纏まっているなら、私もお役に立てるかも知れませんねー」
 などと、むぎちゃんも笑っていた。まあ、こう見えて巨大隕石落としには定評がある彼女だが……賢者の石を使ってやったら、はたしてどうなるのだろうか。
「ふむ……」
 師匠さんは顎に手を当て、少し考えるようにして続けていた。
「確かにバリトゥーヤまではガチンコ一本道の所為て、双方が押し合いになっていた感はあるから、おびき出して戦力を間引くというのは、ありかも知れないな」
「敵がそれにつられてくるかですかね」
 言うジェダさんの隣では、お皿が空いて次はまだかとそわそわしているソアラがいたりする。ニケちゃんが次のお皿を持ってやってきたぞ。気づいた。何やらうれしそうだ。
「それは、何か作戦を考えれば……あるいは」
 二品目はスープ。懐かしい気がする、ミネストローネのスープだった。
「エルフの森の、ミネストローネです」
 と、レイさんがそれをテーブルに置きつつ言った。見たアルさんが、少し笑うようにして聞いていた。
「料理名までつけてんのか、あいつは」
「いえ、私とニケさんで、今適当に名付けました」
「え? じゃあ、さっきのオードブルは?」
「ええっと……竜の国のオードブル、で」
「適当だなぁ」
「あなた程では」

「敵をおびき出す案はいいですね~」
 シャンパンをやりながら、エルさんは言う。
「もともと、この会議はこうして配信を行い、みなさんに助力を仰ごうという意図ですから、みなさんがわーっと集まって参加できる案は、積極的に採用したいところです」
「となると」
 速くもスープも飲み干した師匠さんが続ける。
「バリトゥーヤの前門手前にある丘に集合して、大軍で威嚇するとか、面白そうですね」
 面白そう、と言うところが採用ポイントか。
「まあ、それで敵がどう動くのかわかりませんが、たしかに面白そうですね」
 ジェダさん?
「あそこでしたら、四方からも集まれますし、アーオイルの軍勢に襲われるリスクも少なそうですね」
 とは、スプーンを丁寧にお皿の上に置きながらのベルくんさんだ。
「集まりさえすれば、多少の無茶も効くでしょうから、みなさんも参加しやすいかと」
 さすが、唯一の良心。皆のことを考えている。
「とはいえ」
 既に空のスープ皿を前に、スプーンをふりふりしながら、アルさんが行儀が悪く言った。
「とはいえ、レイドは三パーティまでだから、たくさん集まってもらっても、連携とれないんじゃねぇの?」
「そこは逆に、今回はあまりレイドとかは組んでいない方が、メリットがあるかも知れないんですよね」
 と、返すジェダさんの台詞に、腕組みで師匠さんがうんうんと頷いていた。
「どうして?」
 聞き返すアルさん。それに横から食器を下げるべく手を伸ばしたレイさんが返す。
「今回は、勇者たちに活躍してもらった方が、メリットが多いからですね。スプーン、お皿に載せてください」
「おう。どういうことだ?」
 スプーンを置きつつ、ジェダさんの方に向かって問うと、ジェダさんは既に次の料理に気が向いているソアラを指差しつつ、言った。
「レイドを組んでしまうと、レイドパーティ内で勇者の力がフルに発揮できないからです」
「どういうこと?」
「アルさんの勇者ちゃんにはまったく関係ないでしょうが、普通の勇者たちは、一パーティに一人までしかはいれません~」
 なにやら、軽くディス入りでエルさんがにこにこ言ってくる。
「で、レイドを組むと、レイドリーダーのいるパーティの勇者が、メインクエスト等の進行プレイヤーとなります~」
「わからん」
 私にもわからん。
「それが?」
 聞くと、ジェダさんはソアラを指差したままで言っていた。
「そうなると、勇者の能力がクエスト進行勇者を超えないように調整されるんです。レベルシンクなんかと同じ概念なんでしょうが、それがかかると、今回は酷く不利になると思われます」
「なるほど」
 いや、私にはよくわからなかったのだが、
「どういうこと?」
 と聞くと、アルさんは腕組みでソアラの方を見つつ言った。
「つまり、ソアラの能力が勇者ちゃん以下に制限される、と言うことだな」
「なんと! 名も無き古き神の力が、私程度に!」
「私は神ではありません」
 一言だけ返し、再びニケちゃんの動きを追うモードに戻る神。神、ちょっと可愛い。
「その他にも賢者の勇者はいますから、石を使う前提であれば、レイドで纏まるよりは、パーティ、またはペアで動いた方が、今回はメリットがあります」
 頷くジェダさんと師匠さん。それにエルさんが白ワインをやりつつ、笑って続いていた。
「まあ、そこの二人は、名も無き古き神と本物の賢者の石を手にした勇者ですから、どっちも神クラスなので、あんまり関係なさそうですけどね~」
 などと、神降ろしをする導師様。
 続いてやってきた三品目。魚料理は「深碧の渓流に生きる、川魚のムニエルです」「そのまんまだな」「いえ、アドリブで考えてるんで、こっちも」

 魚料理の次に来た口直しは、「北限の村の氷です」「雑」と評されたソルベで、柑橘系の香りにほんのりとお酒の甘味がする、初めて食べた一品であった。「北限、味噌汁の思い出しかない」「たしかに」あれはうまかった。
 で、
「さて、大枠としては、参加自由のパーティ編成も自由気ままな、大乱闘スマッシュなんとかな方向性になりましたが~」
 白から赤に切り替えたワインを手に、エルさんが続ける。
「問題は、決行日です」
「たくさんの人に集まってもらうとすれば、やはり土日になるんでしょうが……」
 言い、ベルくんさんは言葉を濁す。はて? とハテナハテナしていると、円卓の皆も「うーん」と唸るように首を傾げていた。
「何か問題が?」
 隣のアルさんに聞くと、アルさんもひとつ息をついて言った。
「ルルスの内部なんかも確認しときたいんだが、ルルスにたどり着いたとして、戻ってこられるのか?」
「おそらくは無理でしょうね」
 と、ジェダさんは返した。
「ルルスの入り口には門石がありますが、今現在の仕様ですと、アーオイルの支配地域へは飛べないようになっています」
 そしてそれに師匠さんが続く。
「ルルス内部はプライベートインスタンスになるから、入ってしまえばクエスト進行中扱いになるだろうけれど……おそらく、ルルスを出たらやり直しになる」
 やり直し……
「ルルスから戻ってしまったら、ルルス再々侵攻が必要になるってこと?」
 私が聞くと、アルさんは小さく頷き、顎に手を当てたままで呟いた。
「やはり、突入したら補給なしで最後までやるしかないか……流石に、再々侵攻まで考えるのはリスクがありすぎる」
「アルさんがリスク」
 軽く笑う。けれどアルさんは「ふむ……」と真面目な顔で唸るばかりだった。さすがにちょっと、訝しむ。
「問題が?」
「ある」
「それは何?」
「週末は、あと二回しかない」
 それが何を意味するのか、今の私にはわかった。まあ、あまり解りたくはないが、わかった。
「ルルスの攻略には、どれくらいの時間がかかる想定なの?」
 円卓の皆に向かって聞くと、顔を見合わせる皆の中、エルさんがワインをぐびっとやってから、言った。
「まあ、そこは勇者ちゃん次第ではありますが……」
「駆け抜けたとして?」
「それなら、丸一日あればいけるとは思いますが~、正直、我々の感覚からすると、二日は欲しいところですね~。おそらく、集中力が保ちません~」
「まあ、そうだよな……」
 アルさんは視線を外しながら、眉毛の辺りを掻いている。なにやらいろいろ、考えているようだ。
 私は、意見を求められれば応えよう、と思っていた。
 アルさんは多分、自分の中である程度の答えを出してから私に聞くだろうから、聞かれたら、答えようと私は思っていた。
 これは、アルさんの物語なのだから。
「勇者ちゃんよ」
「なんだい?」
「どうするかね?」
「それは、私に賢者の石を使えと言っているのかい?」
「使ったらわかるのか?」
「わかんないだろうね」
「だろうな」
 これはアルさんの物語。
 私たちの、物語なのだから。
「悩んでいるな、アル」
 と、やってきたのはダガーさんだった。「悩んじまうのは、脳に血が足りていないからだ」その両手には、蓋の被さった大きなお皿があった。
「さあ! 食え!」
 勢いそれを置き、蓋をばっと取る。果たしてそこにあったものは──!
「キター!?」
「これを待っていた!」
「まさか、これを食せる日がこようとは!」
 円卓の皆が口々に声を上げる。いそいそ、レイさんとニケちゃんが皆の前にそれを置き、ぱかっと蓋を取って行く。
 立ち上る甘い肉の香り。
 じゅうじゅうと跳ねる、肉の油。
 そこにあるのは──そう、あの森で食べた、低温調理ステーキ。それであった。
「くえ!」
 ニヤリとダガーさん。
「もちろんだ!」
 と、アルさん。
 豪快に肉の端を分厚く切って口の中に放り込み、ぐわと噛み締める。あの量はヤバい。口の中が凄い事になっているのに違いない。思わず苦笑する。目を伏せてもぐもぐと噛みしめ、ごくんと喉を鳴らして飲み込んで、アルさんは言った。
「うめぇ!」
「そりゃよござんした」
 笑い、ダガーさんは片手をあげて行く。「最後までしっかりやらねーと──デザートまでやらねーと、しまんねーからな」
「うん」
 そして頷き、アルさんはフォークを手にしたまま、言った。「やるぞ。バリトゥーヤ再攻略は、次の土曜に決行する」
 ニヤリといつものように笑い、言った。
「本当のラストを、みせてやるぜ」

 デザートはレイさん曰く、「女子会のスイーツ」なるケーキを中心としたプレートで、いや、うちらパーティの女子会はがっつりメニューの方がほとんどだったような……まあ、こう言うのにも憧れるけどね。似合う似合わないはともかく。そして最後にテーブルに運ばれてきたのは、「ニケのコーヒーと紅茶」であった。
「さて」
 カップをソーサーに置き、エルさんは言った。
 声に、皆の視線が集まる。
 いつものようにほわんほわんと微笑んで、エルさんは言った。
「それでは皆さん、よろしくお願いいたします」
 円卓と、それを囲む仲間たちが、頷いていた。

 そして、その日は訪れた。
「や、みんな、エンディングを見たいんですよ」
 城塞遺跡を向こうに見る丘の上。眼下には黒山の人だかり。
「もちろん、自分の勇者の物語も大事ですけどね。でもみんな、一度はエンディングまで行って、自分たちの勇者の物語の終わりは、見てるんで」
 人だかりを見下ろすように並ぶ私たちの中、ネリさんが笑う。
 陽は、南天に届こうかとしていた。
「まさかこんなに集まるとは、思ってもみなかったわ」
 アルさんは腕組みで苦笑していた。
「たかだか一介のプレイヤーが、ちょっと名が知れてるからって声を上げたところで、だから何だって、そういうもんじゃねぇの? 今時は」
「心にもねぇことを」
 と、ダガーさんも笑う。
「そう思ってたら、あんな見得はきらねーよ」
「この世界も、まだまだ捨てたもんじゃねぇって事だな」
 などと、皆に笑いかけるアルさんに、レイさんが軽く肩をすくめながら返していた。
「そもそも、ロートルばかりの、消えゆく世界ですよ。大半の人間は、お祭り騒ぎがあれば便乗したい」
「クローズイベントでの大侵攻なんて、黎明期を生きたロートル達の、夢ですからね~」
 ほわんほわんと笑うエルさんの言葉の意味はよく分からなかったが、歴戦の勇者たちはそれで通じたようで、「たしかに」と笑うように頷きあっていた。
「では、私はいったん、チーム元女子大生に参加しますね」
 言い、チロルさんは丘の下で待つアカーシャさん達の方へと歩き出していた。
「おう、頼む」
 腕組みで言うアルさんに、チロルさんは少し振り向いて、
「しかし、私でいいんですか? 代わりにジェダさんとか師匠さんとか、もっとうまい人もいると思いますけど……」
「ここまで来て何を」
「そうだよー」
 苦笑するようにして返したアルさんに、ニケちゃんが続いていた。
「ずっと一緒にやってきた仲間じゃんさー。チロルさん以外、あり得ないよー」
「そうだぞ、ここでチロルさんを外してジェダを入れたりなんかしたら、コメント欄が大荒れする」
「そこか?」
「まあ、確かにそうでしょうね」
 まあ、そうだな。
 などと頷きあう私たちに、チロルさんも仕方なしと笑って、片手をあげて丘を降りていった。
 逆向き、師匠さんとヴィエットさんが、ゆっくりと丘を登ってきていた。
「そろそろいいかい?」
 聞く師匠さんに、アルさんは間髪入れずに返す。
「棺桶の準備はバッチリだ」
「毎度のことですが、死んじゃだめですよ~」
「まあ、それがアルくん」
 笑うヴィエットさんは腰に手を当て、師匠さんに向かって言う。
「そろそろ時間もいい。師匠、よろしく」
「何故に私が?」
 何故って、何故だろうね。でも何故か私たちのパーティメンバーは皆、そこになんの疑問も抱いていないんだ。
「よろしく、エクスプローラーの騎士団長殿」
 と、アルさん。腕組みのままで笑う。
「いや、私は騎士ですが、団長では……」
「では、総司令で~」
「まあ、なんでもいいですが……七人でいいんです?」
「チロルさんは後から合流。この七人ってのも、まあ、アリだろ」
「わかりました。では──」
 言いながら、南天に輝く太陽を背に、師匠さんはすらりと剣を引き抜いて掲げ、叫んだ。
「ここに集いし、冒険者たちよ!」
 響く声に、皆がこちらに振り向いていた。
「世界は、滅亡の危機に瀕している!」
 総司令、騎士団長殿の声に、小さな笑いが起こる。なぜだ。
「我らエクスプローラーは、この世界を救うため、勇者を聖地ルルスへと送り届けねばならない! というのは建て前で!」
 台詞。最後。皆の口から本当に笑いが漏れる。
 冒険者たちの皆から、本当に笑いが漏れてくる。
「集まってくれた皆には、感謝する! 理由も、目的も、何も問わない! 世界も、勇者も、関係ない! ただこの時に、共にこの世界を生きる仲間として、集まってくれた皆に、礼を言う!」
 師匠さんは強く、続けた。
「そして挑もう! 我らがこの世界に生きた証しを、力を、見せてやろう!」
 剣を突き上げる。
「さあ、武器をとれ!」
 集まった冒険者たちも皆、武器を抜いていた。
「みんな! GMたちは、本気で恨みを持って潰しに来るぞ!」
 再び笑いが起こる。なぜだ。思わず苦笑する仲間たち。顔を見合わせ、そして前を向く。
 冒険者たちの皆が、その視線の先に、いた。
「我らは、道を切り開く! 勇者を、聖地へと送り届けることこそが、我らの使命!」
 おー! と、閧の声が上がる。
 そして──
「そしてその後は、割と自由に楽しんで良い!」
 よりいっそう大きな、おー! という閧の声が上がっていた。

「総員!」
 師匠さんが剣を振り上げ──振り下ろす。
「突撃!」
 丘の上から、わーっとエクスプローラー達が声を上げながら走り出した。怒濤の勢いに大地が揺れる。巨人討滅戦の時を遙かに超える数の冒険者達が、バリトゥーヤ前門へとなだれ込んでいく。
「続くぜ!」
 全体の三分の二程の位置から、私たちは走り出した。少し前にチロルさん達のパーティ。すぐ後ろにジェダさん達のパーティが続く。
「合戦の様相だな!」
 前門にアーオイルの鉱石魔神たちが展開している。
 それに向かって冒険者たちは一斉に雪崩れ込んでいき、前門への道をこじ開けていく。もみ合いの戦いは、エクスプローラー達の方が優勢か。
「なんかでた!」
 前門方向の奥。沸いた声に反応して振り向いたニケちゃんの声に、私たちもそれを見た。
 巨大な、ミスリルのゴーレムがそこに姿を現していた。
「ミスリルセイント!?」
「しかもでけえ!」
「あんなモンスター、初めて見た……」
 最前線の方で、巨大なゴーレムが暴れている。終末の巨人ほどではないにせよ、その巨大な腕の一振りは、集まっていた皆を吹き飛ばすのに十分だった。
「全体! 下がれ!」
 走りながらの私達の耳に、師匠さんの声が聞こえてくる。
「刹那さん! あれを頼む!」
「了解しました!」
 どおん! と、強烈な爆音が前方から響いてきた。
 眼前、ミスリルゴーレムへと向かう私達の直線上、刹那さんとその隣の、少年のような顔立ちの男の子の身体から、闘気の光が立ち上っていた。
「あれが、刹那さんの勇者!?」
「ってことは!?」
 少年は天に手をかざす。
 赤い光が迸って、闘気の光が一層強く輝き、天を突いた。
「続ける人は続いてください!」
 刹那さんの声に、「もちろんだー!」と、いつの間にかそこにいたメイファさんもどおん! と闘気を立ち上らせていた。隣、ハーフエルフの女の子が赤い光をまといながら、祝福の祈りを捧げていた。「え? メイファさんの勇者も賢者の勇者なの?」それ以外にもナイトのようなフルプレートに身を包んだ二人が、ランスと槍に赤い光を纏わせ、駆けていく。「ここで早くも四人使う!?」「ぶち抜けー!」
「阿修羅──覇王拳!」
 刹那さん、その勇者さん、そしてメイファさんが前門に向かって拳を突き出す。迸る闘気の波動に鉱石魔神の上半身が打ち砕かれ、そこに、ランスと槍を構えたナイト二人が突っ込んで行く。
 閃光が迸って、巨大なミスリルゴーレムの下半身も、粉々に砕け散った。
「行け!」
 誰かが叫ぶ。
「おうよ!」
 返し、アルさんを先頭に私たちはそこを駆け抜けた。
 波のように迫る鉱石魔神を、エクスプローラー達が押しのけ、道を開く。
「ここは俺たちに任せて、先に行け!」
「なあに、すぐに追いつくさ!」
 両脇からかかる声に、「お前ら、それが言いたいだけだろう!」などと返しつつ、私達は突き進む。
 前門を抜け、眼前、そこはあの広場へと続くまっすぐな道。
「きたぞ!」
「押し戻す!」
 声の向こう、通路の向こうから鉱石魔神の軍勢が怒濤の勢いで攻め込んでくる。その奥には黒竜が二体、サイクロプスが三体、いた。
「左右の中ボス様もご登場か!」
「この人数に合わせてきやがったか!」
「ここは私たちが!」
「勇者ちゃん達の力は、温存してください!」
 駆ける私たちを追い越し、騎士が、戦士が、剣士達が剣技の勢いで鉱石魔神に突っ込んでいく。
 無数のボルト魔法が空中を行き、大魔法が竜の身体、巨人の頭部に炸裂する。
 剣撃の閃光が入り乱れ、飛び交い、「足元! 通します!」ベルくんさんの声に、冒険者たちが一斉に攻撃を放っていた。
「行ってください!」
 巨人の足が弾き飛ばされ、生まれた隙間に、ベルくんさんが叫んでいた。
「おうよ!」
 真っ直ぐ、前を向いたまま、私たちはそこを走り抜ける。
 私たちの少し前には、チロルさんを先頭にしたチーム元女子大生。私たちと併走するのは、師匠さんたちのいつものメンバー。そして後ろに続くのはジェダさんたち。
 私たちは要塞遺跡の中央通路を駆け抜けて──円形広場へと躍り出た。

 そしてその円形広場の中心には、漆黒のプレートメイルに全身を包んだ何者の姿があった。
 はっとした皆が、足を滑らせながら立ち止まる。
 ぴんと、瞬時に緊張の糸が張り詰めたような気がした。
「まさか、ここで……!?」
 息を呑むレイさんの声が、地鳴りのような音にかき消される。はっとし、音に振り向くと、円形広場を覆うように不気味な赤黒い光の壁が立ち上っていた。
「トラップ!?」
 ニケちゃんの声に、ヴィエットさんが素早く応えた。
「大丈夫だ! ただのウォールだ! 致死性のものじゃない!」
「インスタンス化したぞ!?」
 師匠さんが続く。
「入れたパーティは!?」
 さっと目を走らせると、円形広場に踊り込んでいたのは先を行っていたチロルさんたち、併走していた師匠さんたち、そして後ろに続いていたジェダさんたちの三パーティだけであった。
「なんだあいつは?」
 剣を構え、アルさんが言う。
「まさか、こんな所で出てくるとは……」
 と、私達の前にレイさん達タンクが並び、身構えている。
「どうします? これ、明らかにめちゃくちゃですが?」
 ジェダさんに、隣のドゥアンさんがハルバートを構えつつ続いていた。
「向こうさん次第といったところかの」
「それ、AIって意味です?」
 師匠さんパーティのサブタンクに入っていたラピスさんが言い、
「なににせよ、これはかなりまずい状況なのでは?」
 斧を構えつつ、アカーシャさんが苦笑していた。
「ネリさん、これ大丈夫なんですか?」
 チロルさんが肩越しに聞く。
「私に聞かれましても」
 と、予想通りの答え。
「ってか、勇者ちゃん以外にも勇者いるけど、へーきなの、アレ」
 などと、レオナさんは小首を傾げながら呟いていた。
 私以外の勇者──ソアラとむぎちゃんの二人だ。
 ソアラは「なにか?」といった目で私を見返し、むぎちゃんは「ハテナ?」とこちらも小首を傾げている。
「おっとー! この勇者たち、みんなまともな勇者じゃなかったッス!」
 セルフィさん、ひどいことを言う。
「あれは何者?」
 不穏な空気に、私は聞いた。
「さあな?」
 アルさんは剣を握り直し、返していた。
「なににせよ、立ちはだかるなら、敵だ」
「まあ、現時点で敵なのは間違いないんでしょうが……」
 呟くようにして、レイさんは剣を構え直しながら続けた。
「問題は、奴は確実に勇者ちゃんより強いと言うことなのです」
「なんでまた?」
 意味が解らなかったのはアルさんと私だけだったようで、他の皆は武器を構え直し、そいつを見据えるだけであった。
「勇者ちゃんはLv99、IL999だが、それを越えるのか?」
「ええ」
 レイさんは頷いて返す。
「そういう設定なので」
 設定って──と返そうとしたところで、眼前、フルプレートのその何者かは、手を肩の高さにまで上げていた。ばちばちっと激しい闇色の光が迸り、辺りに無数の鉱石が呼び出され──
「二人は下がって!」
 私とアルさんの前へ、ソアラが飛び出してきて構えた。「ジェダ、やる?」「いや、まだだ」と、ジェダさんとの短い会話。「むぎもここはこらえて」チロルさんの声に、隣、むぎちゃんも頷きながら杖を握り直す。
 召還された鉱石が、暗黒の光を放ちながら砕けて渦を巻く。ごうごうと唸る風に辺りのマナが収束し、何かがそこに形作られていっていた。
 闇が作り出したそれは、巨大な四足の、長い鬣に巨大な角を生やした、筋骨隆々な牛といった風体のそれは──
「またベヒーモスか!」
 魔獣、ベヒーモスの姿の、それであった。
「いいえ! あんな奴は初めて見ましたね!」
 レイさん。
「うっひー! Lv99、IL999だとよ!」
 ヴィエットさんが短剣を構え直して声を上げていた。
「ぜってー、パラメーター、振り切れてんな!」
 巨大な、今まで私たちが見てきたベヒーモスのどれよりも巨大なそれが、私たちの前でぎらりとその目を光らせ唸る。
「魔精霊? これが名前? ユニークネームド?」
 ニケちゃんが片目を薄めつつ言う台詞に、「アトンー!」「暴走ベヒーモス!」などとレイさん、師匠さん辺りが声を上げていたが、
「聞いたこともないんですが……?」
 と、ネリさんは目を細めていた。
「なににせよ……」
 剣を握り直し、アルさんは言った。
「大分、ヤバそうなやつだな!」
 そしてそれは私たちの前で実体化すると、天を突く咆哮を上げ、振り上げた前足で強烈に大地を打った。

「先陣は俺が切る!」
 アルさん。声を上げて駆け出す。
「とりあえず奴に!」
 そして一直線、フルプレートの何者かへと迫る。
「いや! 無理をなさっては!?」
 レイさんが「プランジ!」と、それに続いて切りかかった。
 二人、同時に振り下ろす剣を、そいつは巨大な両刃の剣をかざして易々と受け止めた。
「イモータル!?」
「やはりか!」
 跳びすさる二人。そこへ奴が追撃を仕掛けてくる。「なんの!」と前に出たレイさんが暗黒の炎を立ち上らせ、その剣をはじいた。「打ち込むか!?」「無駄では!?」声を振り切り、脇を抜け、アルさんが「オラージュ・エクレール!」を突き出す。
 それは腕をかざし、瞬時にそこに無数の鉱石が顕現させた。上位の錬成石の光に生まれ出た盾が、アルさんの剣の切っ先を受け止めて激しい光とともに弾け飛んだ。
「おのれ!」
 光の生み出した衝撃に弾き飛ばされた二人が、足を滑らせながら体勢を立て直す。すぐさまその前へと出る他のタンクたち。間髪入れずに、並ぶ私たちに向かってベヒーモスが鬣から電撃を迸らせてきた。
「孤独の魂!」
 ジェダさんが左手をかざし、その雷撃を一手に引き受けた。猛烈な雷撃が、空間をばちばちと軋ませながら左手の一点に収束していく。
 閃光に腕をかざし、私が何とか前方を見据えると、
「まて!」
 と、アルさんがその向こうに向かって声を上げていた。
 鉱石の光。
 光はぱあっと広がり、奴を包み、そしてその姿をその場から消し去っていた。
「逃げられたか!?」
「いや……まあ、ここで戦わなくてよかったというか……」
「いや、むしろ人数がいる今叩いた方がよかったんじゃねぇか? とか」
「なににせよ」
 一歩を踏み出し、全ての雷撃を受けきったジェダさんの隣に立ったソアラが、剣を構えて告げていた。
「今はまず、あれをどうにかしないことには、勇者をルルスに連れていけません」
 眼前、そこには魔精霊と呼ばれた、巨大なベヒーモスの姿があった。

「アルさん、アカーシャさんたちの方とレイドを」
「おう」
 師匠さんの声に、アルさんは空中をつつく。
「で、初見でなんとかなりそうな感じなのか、アレは?」
「どうでしようね」
 ジェダさんは返す。
「早速私は切り札を使ってしまった訳ですが……しかし、やらねば次のチャンスはありません」
「くっ、剣もなしに魔精霊と戦う事になるとは……」
 などと、私には解らないことを言いつつ、レイさんは続けた。
「まあともかく。最悪アレは無視してルルスに向かう手段があれば、それもありなんですが」
「作戦とは呼べんが、ここはオレたちのレイド側がメインを張るというのでどうだ?」
 ヴィエットさんが前にでると、その後ろに師匠さんパーティのいつものハイウィザード三人、ファヴさん、ポメさん、ローさんが並んで続いていた。「なんなら、三大魔法の二重詠唱でもぶち込みます?」「属性は地でいいのか、あれ」「ボルト連打でコンボ稼ぎの方が、ダメージでるんじゃ?」
「まあ、なんてことでしょう」
 後衛、レオナさんが、アサシンのグリムさんに護られながら言う。
「今日は師匠にラピスさんと、珍しくタンク二枚構成なのに、ヒーラーがあたしだけ」
「問題はない」
 などと、ジェダさんパーティの槍使い、アルステッドさんも続いていた。
「こちらも、ヒーラーはラゼットだけだ」
「常にヒーラー不足だな! この面子は!」
 ウィルさんが声を上げていたが、「まあ、いつものこと」なんて、ジニーさんに軽くあしらわれている。
「そちら、指示をいただければサポートします」
 と、チーム元女子大生のメイドヒーラー、レナさんに、「すみません」「すみません」と続くのはティラミスさんとラゼットさんのふたり。「エレメンタル・リンカーとドルイドですみません」「ヒーラー性能では、アークプリーストにはかないませんからね~」などと申しますは、我らが神。
「まあ」
 レオナさんは吐き出す勢いとともに、言った。
「ここはあたし達ががんばっちゃうしかないから、勇者ちゃんたちはルルスにたどり着くまで、力温存で」
「いくぞ!」
 師匠さんのかけ声に、
「おう!」
 と応え、師匠さんパーティとジェダさんパーティの十六人が、一斉に駆け出していた。

「キングベヒーモスのローテで!」
 魔精霊の眼前に最初に立ったのは師匠さん。
「尻尾は取る!」
 回り込んで背後に向かうのはドゥアンさん。
「まずはボルトと弱体化!」
 左右の前足にヴィエットさん、グリムさんが「ファスト・バイト!」を打ち込むと、頭を下げた魔精霊に、ファヴさんたちが火、氷、雷のボルト魔法を打ち込んでいた。
「コンボ稼ぎで!」
「了解した」
 突っ込むのは槍を手にしたアルステッドさん。続くのはジニーさん、クリスさんのローグふたり。「ストーム・ピアース!」「ラスト・ストーム・エッジ!」「ダンシング・エッジ!」で、一気にトータル七十連撃を叩き込む。
「頭、下げさせるぜ」
 と、金色の目を輝かせたウィルさんが「アロー・シャワー!」を放ち、無数の光の矢で魔精霊の頭部を上から撃ち抜いていた。
 ぐらり、魔精霊の前足が折れ、頭部が下がる。そこへ、「ラ・ロンド──」
「フルーレ!」
 飛び込んだソアラの十六連撃が一気にたたき込まれ、その最後の振り抜きで──魔精霊は光の弾ける爆音とともに、大きく後方へと弾き飛ばされていた。
「一瞬で百コンボ越えたぞ?」
「前のめりな人たちだとは思っていましたが、恐ろしい攻撃力ですね~」
「しかもフルパワーではないという……」
 呆気にとられる私たちの眼前で、魔精霊がぐぐっと身じろぎして、その紅い目で私たちを見た。
「くるぞ!」
 師匠さんが盾をかざしつつ、下がる。変わって前へ出るのはラピスさん。「私の背後へ!」
 皆が走り、魔精霊の前に出たラピスさんの背後に回りこんだ刹那、魔精霊は大きく吠えながら前足をあげ、全身から光の刃を撃ち放ってきた。「なんの──」
「ディバイン・シールド!」
 翳すラピスさんの左手から巨大な光の盾が生み出される。光と光が弾け、暴風が巻き起こった。空気が弾け、生まれた炎が辺りに散って大地を焦がす。
「これ、完封できますね!」
 言いつつ、そのまま駆け抜け、ラピスさんは光の剣を魔精霊の眉間に叩き込んだ。
「まかせる! 散開!」
 師匠さんの声に、私たちは散るように走った。魔精霊の前には、一人、ラピスさん。
 そのラピスさんに向かって、魔精霊は大きく口を開け、巨大な雷をごうと吐き出してきた。
「ブレイク! ディバイン・ソード!」
 振り抜く光の剣が雷を真正面から捉え、轟音を響かせながら弾け飛んだ。魔精霊の巨体が大きく仰け反る。「やったぜ!」弾き飛ばされて後方へとぶっ飛びながら、ラピスさんは笑っていた。「消滅させてやったぜ!」「まあ、あれしたら、ディバイン・ナイト、しばらく武器も盾も無くなるので、白い木偶の坊になるんですが……」「あとはよろしく!」
 魔精霊がぐぐぐと耐えるように上半身を硬直させ──止まった。
「あたし範囲へ集合!」
 レオナさんが手を挙げる。足元に、巨大な魔法陣のような文様が浮かび上がる。
「あたしの力、みせてあけよう!」
 魔精霊が前足を地面に叩きつけると同時に、猛烈な竜巻が巻き起こった。雷と炎を巻き込んだ突風が辺りに吹き荒れ、かまいたちの刃が襲い来る。
「ヒーリング・サンクチュアリ!」
 声に、癒やしの光が風を飲み込んだ。
 刃は、私たちの身体を切り裂かんと襲いかかる。けれど、それは私たちを傷つける前に癒やしの光にその力を失っていた。「ダメージ受けてる気がするのに、まったく痛くない!」「回復が上回ってるんですね~」
「あたし、完封!」
「げに恐ろしきは、これでまだ全力ではないという……」
「このままフェーズ2まで突っ込むぞ!」
 駆け出し、師匠さんは魔精霊の前に立った。「ライトニング・エクスプロージョンがあれは、インビンで私が受けます!」
「たぶん、必要ないです」
 言い、前に飛び出したのはソアラだった。
「セプト・エトワール!」
 の七連撃で魔精霊を押し込み、肩越し、私たちに振り向いて言う。
「この程度なら、次で一気に押し込めます。その隙に勇者ちゃんたちは行ってください!」
「え? マジで?」
 アルさん。
「ソアラがそう言うって事は、俺たちは離脱できるってことか?」
「まあ、ソアラさんがそう言うんならそうなんでしょうが……キングベヒーモスより強いんじゃないのか、魔精霊……」
「こちらが規格外すぎるので~」
「ジェダさん! フルコンボで!」
 ソラアが声を上げた。
「分かった! 師匠さん、そちらもフルコンボで!」
「ヴィエット、先に! 弱体コンボ、斬突!」
「りょ!」
「ジニーさん、クリスさんと続いて、その後に斬突コンボで魔魔魔!」
「何語?」
「頼むぜ、神ー!」
「私は神ではありません!」
 下がるソアラの脇を、ヴィエットさんとグリムさんが走り抜けていく。
「ホールドいれます! 命中率は気にせずに!」
 声を上げ、ラゼットさんが前に出て大地に片手をつけた。
「大地の精霊! その強き腕でかの者を取り押さえて!」
 どどどっと大地が隆起し、魔精霊を足元から押さえつけた。「いよっしゃあー!」それに向かって飛びかかるのは、ヴィエットさんとグリムさん。「グリム! 裏へ!」「オーケー!」
「ソニック・ブロー!」
 連撃をヴィエットさんが打ち込むと、その頭上を越え、グリムさんが魔精霊の後頭部へと回り込む。「バックアタック! ラスト・ストーム・エッジ!」
 ばっと、魔精霊の身体から、血のそれのように暗黒の光が散っていた。
「続く!」
 左右からジニーさん、クリスさんが駆け込んでいき、「ダンシング・エッジ!」で魔精霊を撃つ。身じろぐ魔精霊が吠える。しかし大地の腕はそれを放さない。
「斬突コンボだったな」
 槍を手に、アルステッドさんが駆け上がっていた。
「ワシからいこう」
 続くドゥアンさんが、駆け抜けていく。
「チャージ!」
 ハルバードを突き出し、突進の一撃。魔精霊が大きく吠えあげ、その口に雷撃を生み出す。「なんの! ついでじゃ!」と、その口に「ベルセルク! ブレイブソウル!」と、ドゥアンさんは飛び込んだ。雷鳴を轟かせ、魔精霊の口の中で雷撃が弾けていた。
「戦い方が雑!」
 ウィルさんが巨大な光芒の矢を放ち、魔精霊の頭部を撃ち抜いた。空中、「少々、効いたの」などと、魔精霊の口からはじき出されたドゥアンさんがニヤリと笑っていた。
「ストーム・ピアース!」
 アルステッドさんの槍の連撃。その無数の連撃に、魔精霊の動きが完全に止まっていた。
「あ、これ、いいとこ貰っちゃうかもな」
「的もでかいしな」
「一気にいくぜ!」
 ファヴさん、ローさん、ポメさんが呪文の詠唱を終え、杖を振り下ろす。
「メテオ・ストライク!」
 同時に発した呪文の最後に、巨大な隕石が召還され、轟音と共に魔精霊に降り注いだ。
 爆音を引き裂くように、魔獣の咆哮が響き渡った。
「行きます!」
 剣を振るうソアラ。
「露払いくらいはします! 私についてきてください!」
 ジェダさん。
「極限まで支援すればいいね!?」
 ソアラの背に手をかざし、レオナさんは「ホーリーブレッシング!」の祝福を。レナさん、ティラミスさんは「グロリアー!」「エンハンス・パワーメント!」と支援を飛ばす。
 そして──
「石よ!」
 かざすソアラの左手に、真っ赤な石が顕現した。
 紅い光が彼女を包む。金色の髪が、風に踊る。
 細剣に、光が宿る。
「勇者」
 そしてソアラは魔精霊を見据えたまま、私に向かって言った。
「あとは任せますよ」
 彼女は知っている。
「この世界の行く末は、貴方の剣に」
 そして──最初の勇者は、一直線に駆け出した。
「いくぞ!」
 私たちは続く。
 魔精霊が大きく口を開け、雷撃を迸らせながら世界を揺るがす咆哮をあげていた。
「いけ! 勇者!」
 響く声。ソアラの踵が大地を突いて、音を響かせる。
「すべての終わりが待つ聖地、ルルスへ!」
 金色の髪が、紅い光と共に踊っていた。「ラ・ロンド・フルーレ!」
 私たちはその光の中を、一気に、駆け抜けていった。「ダカーポ──」
「アル・フィーネ!」

 バリトゥーヤの先、聖地ルルスへの道が眼下に見える。
 光の柱が立ち上るその聖地の手前。
 最後の街、ルルストリアへと向かう巡礼路には、鉱石魔神の軍勢がひしめいていた。
「ラストワンマイルといったところですが」
 アルさんの隣、レイさんが言う。
「どうにもこうにも、分が悪いですね」
「確認だ」
 アルさんは真っ直ぐに前を見据えたままで聞いた。
「ルルスに入るには、ルルストリアの湖畔にまでたどり着けばいいんだな?」
「正確には、湖畔であればどこでもかまいません」
 帽子を直しつつ、ネリさんが返す。
「すでにフラグは立っていますから、湖畔までたどり着けば、ルルスへの光の階段が現れます。そこからはインスタンスです」
「となると、一番薄いところを突っ切るのが最前手だな」
 言うダガーさんに、ニケちゃんが続いていた。
「側面とか、回り込んだ方がいい感じ?」
「そうなりますね~」
 エルさんが返し、「さて、では」と言葉を続けようとしたところで、アカーシャさんが小さく手をあげて言った。
「チロル、チロルはパーティーを組んだまま、アルさん達の方へ」
「やる気か?」
 間髪入れずに返したのはアルさんだった。
「そりゃまあ、その策が一番成功率が高そうではあるが……」
「ここまできて失敗とか、目も当てられないじゃないですか」
 笑うように、ハイネさんが続いていた。
「やりますよ、私たちが囮になります」
「派手にやるのは、十分学んできたんで!」
 親指を立て、エミリーさんが強く返していた。
「ロード・オブ・ヴァーミリオンを、MPの続く限り撃ち続ければいいんでしょう?」
「マジっスかー。あんまり派手なスキル、ローグ系にはないんスよねー」
 セルフィさんが言うと、隣のレナさんが、
「フル支援して、後光とか差すようにしてあげようか? 敵視あがるよ?」
「それ、死ぬのでは?」
「かわし続けれはいけるいける」
「やりますよ」
 そう言って、ティラミスさんも笑っていた。
「それで、今まで受けてきた恩を返せるとは思いませんけれど」
「いや、でも……」
 と、チロルさんが言い淀んだ所を、
「頼めるか?」
 アルさんが先に声を発し、飲み込ませていた。
「もちろん」
 アカーシャさんは笑う。
 視線の先、チロルさんはその皆の視線を受けて──小さく、
「頼んだ」
 返した。
「まかせて」
 むぎちゃんも笑う。笑って、言う。「チロルなら、きっと行けるわ」
「だって、勇者の仲間たちなんだから」

 空に渦巻くマナの力が、雷雲を呼ぶ。
 轟く雷鳴と閃光に、鉱石魔神の軍勢があげる雄叫びはかき消され、戦渦は、ルルストリアから徐々に離れた場所に移動しているようだった。
 遠雷のように、遠くで皆が戦っている音がする。
 私たちは身を低くし、言葉もなく荒野を駆け抜けていた。
 聖地ルルスを囲む真円の湖が、後わずかのところにまで迫っている。あの湖畔にたどり着けば──
 湖畔には、一本の折れた大きなオベリスクと、それを祭るかのような、小さな祠が見えた。
「あそこでいいな」
 前を走るアルさんの声に、「り」とレイさんが返し、
「いや、まずい!」
 短く言って、その手を剣にかけていた。
 オベリスクの向こう、湖の湖面がぐぐぐと盛り上がり始めている。そして──ざざんと湖面を割って、巨大なサーペントがそこに姿を現していた。
「また、見たことのないやつが!」
「回避するか!?」
 緩む足に、
「まにあわん!」
 剣を引き抜き、アルさんは加速する。
 サーペントの周りには、無数のマナの光が生まれ、ばちばちと音を立てて弾けていた。
「集めますか!?」
「やるしかあるまい!」
「石を使う!」
「待って!」
 飛び交う言葉の間を、戦旗槍を振り抜いたチロルさんが飛び出していた。
「ここは、私たちに任せてもらう話でしょう!」
 一気呵成に、チロルさんはサーペントへと迫った。そして大きく飛び上がり、その槍をサーペントの頭頂部に突き立てた。
 サーペントが頭を振るい、チロルさんを弾き飛ばす。「あっ!」という私たちの声。視線の先、宙を舞ったチロルさんの左手の人差し指が、しゅっと宙をなぞっていた。
 私には見えないけれど、その指の動きは、パーティーリーダーであるチロルさんが何かをそこに呼び出し、指先で何かを押した動きだと分かった。
 戦場を、紅い光が駆け抜けた。
 空を、聖地ルルスから立ち上る光をかき消すように、紅い光が駆け抜ける。
「賢者の石!?」
 見上げ、肩越し、レイさんは振り向いた。
 彼方、光の生まれるその場所には、杖を天に掲げる勇者の姿があった。
 紅い空が割れ、現れた天に描かれた巨大な魔法陣から、巨人をも飲み込むほどに巨大な、太陽よりも白く灼熱に輝く星が、召喚されていた。
 サーペントがそれを見上げる。
 チロルさんの指が、その頭部に突き刺さった戦旗槍を指した。
 瞬間、声が、聞こえた気がした。
「砕け! メテオ・ストライク!」
 星が大地を撃ち、世界が、真っ白に吹き飛ばされた。

 光の階段を、私たちはゆっくりと上っていく。
 戦場の喧騒はすでになく、眼下に見える真円の湖の向こうには、誰の姿も見えなかった。
 煌々と立ち上っていた光の柱の姿もここからは見えず、ただ、魔力の根源、マナの光がふわふわと幻想的に辺りに漂っているのみであった。
 聖地ルルス。
 その内部。
 荘厳で、静謐な空気の中、漂う光の間をぬって、私たちは光の階段を上っていく。
 やがて階段の行き着く先に、二本の巨大なオベリスクと、その間に巨大な扉が見えた。
「……ここか?」
 呟くアルさんが、歩みを緩めたレイさんの前に出る。続いて私も前に出て、その扉の前に立った。
「どうやって開けるんだろう?」
 疑問を口にすると、後ろの仲間達は特にそれには答えず、軽く笑っているだけであった。
「たどり着きましたねぇ」
 レイさん。
「もう、ここから先はもどれませんよ~」
 エルさん。
「まあ、料理は下拵えしてある奴をストックしてあるから、安心しろ」
「それは大事ですね」
 腕組みで笑うダガーさんに、帽子を直しつつのネリさん。
「バリトゥーヤの奪還戦も終わったみたいよ」
 片目を伏せながら、ニケちゃんが続いていた。
「奪還成功で、アーオイルの侵攻をルルストリアまで押し返した判定もされてるみたい」
「アカーシャからもメッセがきて、あの後、後続組も合流してルルストリアまで攻め込んだそうです」
 チロルさんは笑う。
「返り討ちにあったそうですけど」
「賢者の石、使い切ったからなぁ」
 腕組み、アルさんは笑っていた。
 そして私に向き直り、「さて」と、息をついた。
「一言、勇者ちゃんの言葉が欲しいところだな」
「私? なんで?」
 腕組み、私も返す。
「それ、アルさんの役目じゃない?」
「俺はちげーだろ。主人公は俺じゃない」
「よく言うよ」
 仲間達は笑って見ている。
「なんだかんだ周りを巻き込んで、なんだかんだでこんなところまで来ちゃうような人が、よく言うよ」
 なんて私が言ってやると、アルさんは口許を曲げるようにして軽口で返してきた。
「ついてくる奴も大概だがな」
「あれ、我々、軽くディスられましたか?」
「巻き込まれ事故ですよ~」
 笑う仲間達。
「それでも」
 アルさんは言った。
「ここまで来た」
 真っ直ぐに私を見る目。その眼差しに、私は目を伏せて口許を緩ませて返す。
「ゲームだってのに」
「もちろん」
 間髪入れずに返して、アルさんは歩き出した。
 扉へ。
 そしてそれに、私も続く。
「だからこそ、だろ?」
 隣、アルさんが言っていた。
「最後までつきあうぜ?」
「それ、私の台詞じゃないの?」
 扉へ、手を伸ばす。
 私たちの指先がそれに触れるかというところで──それは光を放ちながら、音もなく静かに開いていった。
「行こうか、勇者ちゃん」
「仕方ないね。最後まで付き合ってあげるか」

 扉の向こう、少し広い広間のようなところで、私はふと顔を上げた。
 見回す。
 と、アルさんが一人、「おう」と私に向かって声をかけてきた。
「なんか、いつものように宿とか家とかじゃねぇところから始めると、違和感があるな」
「それ、私の台詞では?」
 などとやっていると、広間の向こう、おそらく進むべき道の先から、レイさん、ダガーさん、ネリさんが歩いて近づいて来ていた。
「おせーよ」
 開口一番、ダガーさん。
「二時間は待ったな」
「いや、時間前なのだが?」
「つまりこのアルは偽物ですね?」
 いつものやりとり。
 そして近づいてきたレイさんが言った。
「いやあ、大変なことに気づいたんですが、言っていいですか?」
「聞くだけ聞いてやる」
「ここ、インスタンスなもんで、ログインしても貴方方がいないと、我々、やることが何もないんですよ」
「今更」
「暇すぎて、たんけんぼくのまちをしてました」
「で、発見はあったのか?」
「いえ、特に」
 言いつつ、レイさんは腰のバッグに手を突っ込み、中から錬成石やら宝飾品やらを取り出し、「まあ、これは戦利品です」と、アルさんに次々と手渡していった。
「とりあえず暇なので、いける範囲内はすべて探索して、雑魚は殲滅しときました」
「暇なのでつきあってました」
「隠し通路とかねぇかなって、全部探索しといた」
「暇なのか、お前ら」
「ええ、割と」
 益体もない話を続ける男連中に、「おやおや~」と、エルさんがどこからともなく現れ、声をかけてきた。
「敵の気配がまったくありませんね~」
「まあ、ここのフィールドモンスターとか、もはや時間の無駄でしかありませんしね」
「あれ? ニケ、最後? マジか」
 後ろからニケちゃんの声。隣にはチロルさんの姿。
「全員集合ですね」
 レイさんが言った。
「では、まずは聖地ルルスの中心、魔力の塔を最上階まで上り、セントラル・キャビティを目指しましょうか」

 奥へと進むと、神殿様式の建物の先には、巨大な円形の広場があった。
 ナンム・アリルと似た構造の聖地は、けれどその何倍、何十倍の広さがあった。
 ふわふわと舞うマナの光が、空を泳いでいる。
 生気の感じられない、かつては庭園であったのだろうその場所の奥には、世界樹もかくやという大きさの塔が、真っ直ぐに屹立していた。
 そこへと向かい、私達は進む。
 今はそれは光を放ってはいないけれど、外から見た時に光を放っていたのは、おそらくこの塔なのだろう。外周にはぐるぐると螺旋を描いて上る階段があって、遙か彼方、空の向こうへと続いている。
 私達は特に迷いもなくその階段へと向かい、上を目指して上り始めた。
 塔の最上階はどれほどの高さだろうか。
 ここからでは計り知れないその向こうへと向かって、「これ、延々と上るのか?」「はい。まぁ、本当は敵がちらほらと出てくるんですが、すべて倒してしまいましたので……」「暇つぶしに」「つまり我々は、自分の時も含めると、なんとこの延々と続く螺旋階段を上るのは三回目です」「私は実際、何回目か数えていません~」などと話しながら、私達はその螺旋階段を上っていった。
 途中、ところどころ大きく張り出した踊り場のようなところで、何回かゴーレム系の鉱石魔神と戦った。レイさん曰く、「中ボス系は、さすがにクエスト進行中でないと出ませんので」との事だったが、現れる敵はどれも私達の脅威にはならなかった。前から出ようが後ろからでようが、近くにいた二人くらいが連撃を決めるだけで、それはぱっと鉱石に戻ってしまう程度の脅威であった。「ILの暴力」「ここまで弱いと、拍子抜けしてしまいますねぇ」
 そして──どれほど上っただろうか。
 塔の終わりが、螺旋の向こうに見えた。
「いい頃合いじゃねぇか」
 レイさんの隣、前を行くダガーさんが肩越しに振り向いて言う。
「視聴者の皆さんも、相当集まってきてんぜ?」
「何を期待しているんだかな」
 アルさんは口許を緩ませて笑う。

 塔のてっぺんは、中央に巨大なオベリスクが一本、真っ直ぐに伸びた広い空間だった。
 外周に何もないそのてっぺんに私達が進むと、そのオベリスクの前につくられた祭壇に腰をかけていた男が、ゆっくりと顔を上げ、言った。
「あの時、お前たちは殺しておくべくだった」
 青黒い、彫りの深い顔。やけに大きく、焦点が合っていないようにせわしなく動くまあるい目。
 アーオイル。
 その口を覆っていた特徴的なマスクはなく、そこから、ニヤリと笑う歯が見えていた。
「いつの話だい?」
 剣に手をかけ、アルさんは返す。
「サウルヤの遺跡か、エル・トゥラか。それともこんな感じだった、あの塔か?」
 男はそれに、くつくつと笑う。
「確かに。思い返せば、幾度とあったな」
 そしてゆっくりと、男は祭壇の前へと歩み出てきた。
「若きフローラのエクスプローラー。アルベルト・ミラルス。お前との付き合いも、これまでだ」
 アーオイルは左手を胸の高さまで上げ、その手にしていた大きな鉱石を私たちに見せるようにして真っ直ぐに言った。
「我らが神、アルス・マグナは間もなく目覚める。そしてこの世界を再び一つにし、我らを救う」
「残念ながら、俺はルーフローラの方が気に入ってるんでね」
 すらり、アルさんは剣を引き抜いて返した。
「アーオイル。お前達はもう、静かに眠れ。実際、気づいているんだろ? ルルスに眠るアーオイル達は、もう目覚めない」
 その言葉に、私はアルさんの横顔を見た。そんな話は聞いたこともないけれど、その向こうのレイさんもエルさんも、そしてネリさんもまた、それに対して何も言う事はなかった。つまりそれは多分、そういうことなのだろう。
 何故アルさんがそれを知っているのか、私には解らない。もしかしてそれは、歴戦の勇士だから想像できた事なのか。それとも、私の知らない所でそれを知って口にしたのか。いずれにせよ、アルさんはゆっくりと剣を青眼につけ、言った。
「全ての終わりの前に、すべてを終わらせよう」
 横顔は、私に向かって言っているようにも見えた。
「世界を救う、理由?」
 私は前を向き、訪ねる。
「必要か?」
「あった方がいいね」
「ここまで旅を続けてきた世界だ。それなりに愛着もある。なにより、この世界は勇者ちゃんの──いや、違うな」
 そして、アルさんは笑った。
「勇者が世界を救わなきゃ、お話にならねぇだろ?」
「まあね」
 私も剣を握り直して返した。
「私の生きる、世界だしね」

 アーオイルが左手の鉱石を高く掲げた。
 石から迸った黒と赤の光が渦を巻き、鉱石が弾け飛ぶ。そしてそれは人の形を作り、そこにあの、漆黒のプレートメイルの剣士を顕現させる。
 剣を握り、アルさんはそれを見据えて返した。
「二体か」
 隣、レイさんが歩み出て続く。
「アルさん、これはすべての視聴者の期待を背負って、少々卑怯だと思いつつ言うのですが」
 眼前、アーオイルが右手に長剣、左手に盾を召喚し、プレートメイルの剣士は大剣を構える。レイさんはそれを見据えたまま、続ける。
「本来、あのプレートの奴は、勇者ちゃんとタイマンをはる事になり、その間に我々がパーティーでアーオイルと戦うという展開になる訳ですが……ここは戦力を分散して、並行で戦いたいと思っています」
「理由は?」
「ありますが、言いたくはありませんね」
「プレートは、勇者ちゃんより強いんだったな?」
「そうです。故に、タイマンをはらせたくはないわけです。逆に、アーオイルは今の我々ならば、四人でもなんとかなるはずです」
 ちらり、言葉を受けてアルさんが私を見た。私はそれに、「つかう?」と左手を見せて返す。
「それは任せる」
「なら、なんとでもなるね」
「男子女子でわけよう」
「ありがとうございます」
「マジですか。本気ですか?」
 ネリさん。そう言いつつも、その声は少し弾んでいるように思えた。「よっしゃ」と、レイさんを前に集まった男子チームの中、ダガーさんも弾んだ声で言っていた。
「今度こそ、違う展開を期待してんぜ?」
 それはいつか聞いた台詞。あの、聖地の結末に聞いた台詞だった。つまりこれは──私は一つ頷き、言った。
「行こう」
「よっしゃ」
 剣を振るい、アルさんが飛び出した。
「行くぜ!」

 一気に距離を詰め、アルさんはアーオイルの左から剣を振るう。ぎんっと甲高い音を立て、その剣が盾に受け止められる。力を込めて重心を下げたアーオイルにレイさんが飛び込み、「ダーク・アンリーシュ!」と横薙に大剣を振り抜いて、剣で受けたアーオイルごと後方へと吹き飛ばした。
 駆け込む私は、「セプト・エトワール!」でプレートメイルの剣士の動きを抑える。回り込んできたチロルさんが、「ブランディッシュ!」でアルさん達が駆けていく方と逆方向へとプレートメイルの剣士を弾き飛ばした。
「マジかー!」
 距離を取るように走りながら回り込み、ニケちゃんは弓をつがえ、
「近接前衛二枚と弓はどうなんだー!」
 言いつつ、その目を金色に輝かせ、「チャージ!」その声に、私とチロルさんが左右に飛ぶ。
「ライトニング・アロー!」
 どぉん! と迸った光が、プレートの剣士を飲み込んだ。
 下がる私。前へ出るチロルさん。
 光の向こうから大剣が振り下ろされてくる。「プロテクション!」チロルさんはかざした盾でそれを受け止めた。剣圧に生まれた衝撃が、フロアに亀裂を走らせた。
「ヒーリング・サンクチュアリ!」
 後方、杖を掲げるエルさんの詠唱にチロルさんの足元に光の円環が生み出される。振るわれる大剣を受けた盾と槍から、光が散っていた。
「なかなか重いっ……」
「DPS支援後に回復します! いったん支えて下さい!」
「了解した!」
 再び槍を振るい、プレートメイルの剣士を押し返してチロルさんは距離をとる。「ホーリーブレッシング!」の祝福の祈りを背中に受け、私は「ラ・ロンド・フルーレ!」で、剣士を追い込み、「スイッチ!」飛び退く隙をついて、「トリプル・ストレイフィング!」迸った閃光に、チロルさんが入れ替わりに前に出た。
「押さえられそうですが、HPはほとんど減らせません!」
 声に、
「とはいえ、俺は展開をしらんからな!」
 アーオイルに一撃を食らわせたアルさんが私の隣に下がってきて、私を見ずに横顔で言った。
「こっちはまあ、なんとかなりそうだ」
「削れなさそうなら、石を使う」
「まかせた」
 二人、別方向へと飛び出す。
「アン・アヴァン!」
「ミーティア・ストライク!」
 円形の塔の最上階。オベリスクを挟んで向こうとこちら、剣戟の音と光がはじけている。
「フェーズ切り替えくる予感!」
 後方、二つの乱戦が見える場所から、ニケちゃんが声を上げていた。
「フェーズLA、誰!?」
「私がもらいましょう!」
 視線の端に、中央のオベリスクに向かって走りながら言うネリさんを捉え、「大気に眠りし、淑女たる氷の精霊よ! 戦乙女の槍をもしのぐその氷槍で、我が前の敵を打ち砕きたまえ!」聞こえた詠唱に、私たちは中央のオベリスクに向かって走り出す。
「ブリザード・ランス!」
 無数の氷の槍が、アーオイルに降り注いだ。
 衝撃にフロアの端にまで押し込まれたアーオイルが、「おのれ……!」と、左手の盾を消して両手に長剣を握りしめ、
「落ちて消えろ!」
 錬成石の光を纏って飛び上がった。
 視界の端にそれを捉えながら中央のオベリスクに向かって走る私たち。なんの打ち合わせもなしにアーオイルとオベリスクの直線上にそろって飛び込むと、逆側、プレートメイルの剣士も高く空に飛び上がって、大剣に光を纏わせていた。
「もうちょい向こう!」
「お前、よくわかったな!」
「つきあい長いからね!」
 オベリスクの陰に押し合いへし合い、みんなが隠れると、チロルさんが戦旗槍を掲げて「サークル・プロテクション!」で生み出した結界で私たちを包んだ。それとほぼ同時に、アーオイル達が空間を唸らせながら剣を振り下ろしてきた。
 世界が揺らぐ。
 思わず片目を伏せる。
 わずかにかすめた風圧が、ものすごい力で身体を引っ張る。両の足に力を込めるも、私たちは力に引きずり出され、中央のオベリスクから四方へと弾き飛ばされた。
 何とか耐え、皆の位置を確認する。
 外周ギリギリにまで弾き飛ばされてはいたものの、落ちたものは誰一人いなかった。それだけをお互いが確認すると、直後、皆は一斉に走り出した。
 前方、アーオイル達が再び剣を振り上げている。
「跳べ! アル!」
「いって! 勇者ちゃん!」
 ダガーさんとニケちゃんの声。レイさんが中央に飛び出し、左手を構えている。
「ゲージ見て、ダメなら受けます!」
「突っ込め! 勇者ちゃん!」
 走るアルさんがポメルをこめかみにつけた。
「ミーティア・ストライク!」
「レイ・スティンガー!」
 二人、二人のアーオイルに一気に迫り、振り上げていた剣の切っ先を防御に下げさせる。
「おのれ……!」
「やらせはせんよー!」
 空中、蹴りを一発入れ、アルさんはアーオイルから離れた。一方、私は私の細剣を受け、返す力で大剣を振り抜いたプレートメイルの剣士の力をいなし、大きく飛び退く。
 下がってフロアに両足をつくと、タンクの二人がすぐさま前に出て、私たちを護るように身構えていた。
「初見でここまで完璧にいなすとか、どんだけですか、貴方達は」
「TR差がありすぎなのは解ってましたが、こうまで完封してしまうと、若干恐ろしいですね」
「期待してんぜ、アルー!」
「オメーに期待されても嬉しくねぇわ!」
「フェーズ2!」
「いっきましょー!」
 ネリさん、ニケちゃんの氷の槌と光芒の矢が、再びの開戦を告げる。
「多分、本気でやったら、一気にフェーズ2も突破できる」
 アルさん。
「そこでなにが起こるかは、俺もしらん」
「覚悟しとくよ」
 確認しあって、私たちは再び逆方向へと走り出した。

 魔法の閃光と爆発音を耳にしながら、私は剣士の大剣をいなしつつ攻撃を繰り出していく。
 何度か、確かにとらえたかに思えた攻撃があったが、それは神器の一撃ながら、生み出された錬成石の盾に弾かれ、致命傷を与えるにはいたらなかった。
 アルさん達が、このプレートメイルの剣士は私より確実に強いと言っていたのは、事実だと思えた。
 チロルさんと入れ替わりを繰り返し、なんとか攻撃を続けていく。
 幾度となく続く打ち合いの果てに、思う。
 強い。
 こいつは何者なのか。
 アーオイルなのか、鉱石魔神の類なのか。それともホムンクルスのような何かなのか。それとも──
 皆は私に言った。「違う展開を期待している」と。
 対峙しながら思う。一対一で戦っていたとしたら、確実に勝てない。おそらくどこかで私はあの剣の一撃を受け、倒れているだろう。チロルさん、エルさん、ニケちゃんのサポートがあるからこそ、対等に渡り合えているが──独りで戦っていたとしたら、おそらくそろそろ限界か──連撃をいれて大きく飛び退いたところで、ニケちゃんの声が耳に届いた。
「フェーズLA!」
 視線の端を、アルさんが走り抜けていく。
 アーオイルへ、迫る。
 この男は何者か。
 みんなは知っている。
 そして私も──気づいている。
「おのれ! アルベルト・ミラルス!」
 アーオイルが叫び、両手で握りしめた剣を、高く高く振り上げていた。
「もはや貴様らを倒すのに、手段は選んでおれぬ!」
「んなら、さっさと倒れろよ!」
 雷を纏う細剣を手に、アルさんが飛んだ。
「オラージュ・エクレール!」
 閃光の十二連撃がアーオイルを撃った。剣を振り上げたままのアーオイルの身体を、それは撃った。「なん!?」
 防御を捨て、連撃を受けたアーオイルは嗤う。
「もはやこの身で、貴様らを倒すことはかなわぬ!」
 その身体が、赤黒い光の粒子へと変わっていく。
「終わらせてくれるぞ、勇者ども! この世界の新生に、貴様らの命を捧げよ!」
 光が渦を巻く。
 突風が辺りを包む。
 祭壇が砕け、オベリスクが軋んで割れる。
 舞う光の渦の中で、プレートメイルの剣士が身体中から同じような赤黒い光を放ちながら吠えあげていた。
「何が!?」
 距離をとり、構える私の隣にアルさんが下がってきて言った。
「わからん!」
 仲間達がその後ろに並び、構える。肩越しにそれを見て、私は前を向く。これはつまり──私とアルさんの物語なのだ。
 剣士の身体が膨れ上がる。
 強大なマナの力が溢れ出す。
 闇の光となったアーオイルの身体が剣士の身体を包み込み、空気を唸らせた。渦を巻く世界に祭壇が砕け、オベリスクが砕け、剣士の鎧が砕けてヘルムが飛び散って──ついに、男の素顔がそこに晒された。
 私は剣を握り直し、それを見つめたまま、誰にとでもなく呟く。
「これって……本当は私、このフェーズには参加しない流れ?」
 後ろに立っていたレイさんが、短く返した。
「はい」
 ネリさんが帽子に手をかけつつ続く。
「本来の流れでは、勇者ちゃんは先のフェーズの終わりに奴の凶刃に倒れ、アーオイルが我々にとどめを刺すべく、奴に憑依する流れになります」
「この展開、アリなの?」
 ニケちゃんが不安そうに口にした。
 みんなは知っている。知っているからこそ、その剣士から目を離せない私の後ろで、武器を握り直すのみなのだろう。
 そして私の背中の向こうでこの戦いを見ているのだろう、たくさんの勇者の仲間たちも、また。
「何者だ?」
 隣、アルさんが真っ直ぐに前を向いたままで私に聞いた。
 私は剣を握り直し、返す。本当は、彼はそれを知らずに戦い、勝利し、そして──
「聞くのかい?」
「覚悟がなきゃ、世界なんて救えねえよ」
 私は前を向いたまま、返した。「私の旅の目的」
「私の、父だよ」
「だと思ったぜ」

 禍々しい黒の光を振り上げた両手剣に纏わせ──剣士はそれを振るう。
 迸った闇の一刀に、レイさんが前に飛び出し、暗黒の炎でそれを打ち消す。
「ここから先は前人未踏!」
 暗黒の炎を纏う両手剣を、レイさんは水平に薙ぐ。
「フェーズ3!」
 隣、チロルさんが盾を構えて走り抜けていく。
 盾の突進を、剣士は大剣を振り下ろして受けた。白と黒の光が弾け、閃光が飛び散った。
「アル、指示しろ!」
「あなたの判断に従いますよ!」
 ダガーさん、ネリさんが距離を取るべく左右に走った。弧を描き、逆手に持った短剣を構えたまま、ダガーさんは剣士に接近していく。ネリさんは杖を振るい、詠唱を始めている。
「撃っていいの!?」
 ニケちゃんが矢をつがい、金色の目で問う。
「アル!」
「アルさん!」
 私達は、剣を握りしめ──じりっと、足に力を込めた。
 動かない足に、力を込めた。
「戦うか、それとも尻尾を巻いて逃げだすか。選択の時です」
 背中にかざされた手の向こう、エルさんの声が問う。
 踏み出すための右足に、力を込める。大地を蹴り出せない右足に、力を込める。そうしなければならないんだと、力を込める。
「アン・アヴァン!」
 一声。アルさんが、飛び出していた。
 そしてその手にした剣を、剣士に向かって振り抜いた。
 受けた剣士の大剣と、アルさんの細剣が、激しい音を立ててぶつかりあって、火花を散らしていた。
「ダブル・リッパー!」
 逆手に持った両手の短剣を、ダガーさんが剣士に向かって叩きつける。かすめただけの二連撃に、剣士の足運びが鈍る。
「ニケ!」
「あたし、信じてるからね!」
 そう発して、ニケちゃんは光芒の矢を撃ち放った。巨大な光が轟音と共に一直線に戦場を突き抜ける。剣士の姿が、一瞬、光の向こうに消えた。
「スイッチ!」
 チロルさんの声。
「ソウル・ストライク!」
 駆け込み、両手剣を暗黒の炎と共に振り下ろすレイさん。重たい音が響いて、大剣を構えた剣士の姿が光の向こうから現れる。
「フロスト・ハンマー!」
 ネリさんの氷の槌が剣士を押し飛ばす。レイさんがそれを追って、戦線を奥方向へと押し込んでいく。
「呆けている暇はありませんよ?」
 エルさんの声。下がってきたチロルさんの背中に手を当て、回復の祈りを続けている。
 チロルさんの横顔は、戦線を見つめたまま──私を見ない。
 私は前を向く。
 アルさんとダガーさんが、交差しながら剣士に迫っていた。
「……それほどの時間はかかりませんよ」
 チロルさんの横顔が言った。
「正直、イモータルが解除された今、私たちとの力の差は歴然です」
 言って、チロルさんは走って行く。
 決断が──必要だ。
 右手の剣を、握りしめる。
 これは──ゲームなんだ。
 アルさんが大きく踏み込み、薙ぎ払うように横からの一撃を剣士に向かって繰り出した。
 剣士はその一撃を立てた剣で受け流し、流れるようにアルさんに向かって振り下ろす。
「アイス・ウォール!」
 ネリさんの声に立ち上った氷の壁が、アルさんと剣士の間に屹立する。大剣が氷の壁を粉々に吹き飛ばし、
「からの──!」
 氷の壁を生み出したネリさんは、爆風の中で帽子のつばを押さえたままその指をパチンと鳴らした。砕けた氷壁の破片は、その音に反応し、パチパチと弾け、次の瞬間、連鎖して巨大な爆発となった。
「懐かしい連携ですね!」」
 爆発の中からレイさんが飛び出す。
 そしてその巨大な両手剣に暗黒の炎を纏わせ、大上段から振り下ろす。
 両手で握りしめた大剣をかざし、剣士はそれを受けた。地面に亀裂が走り抜け、炎が舞った。
「捉えましたぜ……一秒でもスタンが入ればめっけものでしたが」
 ぐらりと、剣士の足下が揺らいでいた。
 私は──飛び出す。
 右手の剣を真っ直ぐに構え、左手を開き、そこに赤い石を呼び出して──飛び出した。

 左手に握りしめた赤い石が、ばちばちと光を放ちながら私の右手の剣を包んでいた。
 世界のすべてが、止まる。
 剣士から飛び退いていたアルさんの隣を、駆け抜けて──
 賢者の石が、教えてくれる。
 シナリオは、こうだ。
 私の父は、オルムの血を引いていた。
 アーオイルの使う錬金術の力を、自在に使う事が出来た。
 故に、私の家系の皆は、私の生まれた国では勇者と呼ばれ、敬われてきた。私たちの家系は、失われた過去の力の継承者。そして、私もまた──
 けれど、父は私にその知識を継承させはしなかった。
 私には母の記憶がない。
 物心つく頃には、すでに母はいなかった。父は、母の事を語る事はなかった。私も聞きはしなかった。ただ、そこに何かがあったのだろうということだけは、わかっていた。
 と──賢者の石が教えてくれる。
 その物語を。
 この、シナリオを。

 左手に握りしめた赤い石が、ばちばちと光を放ちながら、私の右手の剣を包んでいた。
「いいのか?」
 全てが止まった世界の中で、その声が、確かに聞こえた気がした。
 私は──返す。
「この世界は、所詮、ゲームだよ。これはそういう設定で、そういうシナリオなんだ」
 ああ、そうだ。
「あいつは、このクエストのボスなんでしょ? わかってるよ。わかってる。だから私が──」
 言いかけた言葉を、私はその横顔に、真っ直ぐに前を見つめるその眼差しに、飲み込んだ。
「そんなん、誰も望んでねぇよ」
 それは──わかっている。
 わかってはいるけれど、これはそう言うシナリオで、そういうクエストで──そうするしかないんだ。
 それ以外のストーリーは、ないのに──全てが止まった世界の中で、アルさんが笑ったような、そんな気がした。「お前、ここまで俺たちと旅してきて、何もわかってねぇな」
「俺たちは、冒険活劇の終わりは、ハッピーエンド以外は認めない派なんだ」
 声が、問う。
 光を宿した眼差しが、問う。

「この世界がゲームだとか、これがシナリオだとか、関係ない。みんなそう思ってる。俺の勇者ちゃんだからこそ、みんな、そう思ってる。あれか? 今度は俺が、問いかける番か?」
 ああ──そうだ。
 これは、私達の物語であるべきなんだ。
 飛び出した足を、無理矢理に止めてみせる。赤い光を纏いながら、立ち止まってみせる。私の隣、いつものように笑って言う、その声に。
「俺の勇者は、そんな事を言わない」
 世界が、再び時を刻み始める。

 ごうと巻き起こった烈風に、赤い光が舞い踊る。
「おおっと、そう来ましたか!」
 最前線、肩越しにレイさんがニヤリと笑っていた。
「マジか!?」
 ダガーさんが転びそうになりながら声を上げていた。
「そんなシーン、用意してないんですが!?」
「賢者の石、規格外すぎる……」
 ネリさんにチロルさんが続き、
「これが、時をも止める、TR1479の世界……」
「さすがは勇者ちゃんですね~」
 ニケちゃん、エルさんも笑っていた。
 私は、息をついて返す。
 時を刻み始めた、世界の中で。
「全てを救おうなんて、おこがましいとは思わないのかね?」
「全くだな」
 前を向いたまま、アルさんは笑った。
「それでも俺は、ハッピーエンド以外は認めねぇんだ」
「惚れた女の子を助けるついでに、世界を救うような?」
「そう」
 私の隣、いつものように笑って言うその声に、私はこの人を納得させることのできる、ただ一つの答えを口にした。「なら──」
「貴方が望むなら、私は世界を変えてみせる」
「どうする?」
「決まってる」
 赤い光を纏い、瞳に宿し、私は言った。
「貴方がやって見せた事と、同じことよ?」
 仕方がなくて、アルさんは苦笑していた。「それでどうにかなるのかね」
「ま──乙女ならやってやれって、それしかねーのかね!」

「いち!」
 ダガーさんが走る。
「二!」
 即座にネリさんが応え、
「さん!」
「では四で~」
 ニケちゃん、エルさん。
「チロルさん、弾きます! 五!」
「エッジに飛ばします! 六!」
 レイさん、チロルさんが続いて、
「俺は責任とらねーぜ! 最後は任せた!」
「雑!?」
 アルさんに私が続く。
「いくぜ!」
 と、レイさんの前に飛び出したダガーさんが、逆手の短剣を神速の勢いで繰り出し、口火を切った。「ラストストーム・エッジ!」
 錬成石の光が弾け、閃光が迸る。
「コールド・ボルト!」
 降り注ぐ氷の槍。剣士は大剣を振るい、それを砕く。
「鷹の目! からのー……トリプル・ストレイフィング!」
 迸る光の矢。それが剣士の肩を、両足を打ち抜く。
 ぐらり、傾いだその身体へ、
「ゴッド・フィスト!」
 エルさんの左手が繰り出され、
「チロルさん、行きますよ! 渾身、撃!」
 レイさんが横薙ぎに剣を振るう。
 その一撃に剣士の身体が宙を浮き、どうと弾き飛ばされた。と、そこへ両手で戦旗槍を握りしめたチロルさんが駆け込んで行き、
「ブランディッシュ!」
 突き出すその一撃で、剣士を私とアルさんの直線上に押し出していた。
「任せるぜ!」
「おうよ!」
 眼前、剣士が向き直り、その剣を構える。
 アルさんはそこに向かって切っ先を真っ直ぐに構え、
「……策、あんの?」
 言った。
 ──ので、
「まさか!」
 私は強く返した。貴方がいつか、言ったのと同じように。
「私はハナっから、ダメ親父を、一発ぶん殴ってやるって、それしか考えてない!」
「同感だ!」
 そして私達ふたりは、駆け出した。
「いいの、それで!?」
「マジかよ!?」
 仲間たちが叫ぶ。
 でもな、それでどうにかなろうがなるまいが、今、私たちのやるべき事は変わらないんだ。おうよ──やってやるぜ!
「世界だって、変えてみせる!」
 先を行くアルさんが左手に握り込んでいたいくつもの錬成石が、光となって弾けながら尾を引き、流星のような輝きを生み出す。
 それに続く、私の赤い閃光。
 剣士が、身構える。
 そしてアルさんは剣を引き絞り、躍り出た。
 風が、光が、舞う。「オラージュ……」
「エクレール!」
 十二の連撃。
 それに向かって振り下ろされる、闇の光を纏った大剣。
 二つがぶつかり合って、閃光が迸って、大剣が光となって砕け散って、剣士の身体を包んでいた闇の光が吹き飛ばされて渦を巻いて──
「勇者ちゃん!」
 アルさんのその声に、私は赤い光の力の全てを、その剣に込めた。
 踏み出す。
 最後の一歩を、強く、強く。
 地面がひび割れ、亀裂が走り抜けた。
 渦巻く闇の光を、荒ぶる紅の光を──すべてを巻き込んで──「お前ら、いっぺん──」
 私は、剣を振り下ろした。
「頭、冷やしてこい!」
 渦巻く混沌を、空を、全てを真っ二つに、叩き割って。

 賢者の石が、教えてくれる。
 私の物語の、新しい結末を。
 振り抜いた剣から、私は顔を上げた。
 私の振り下ろした一太刀は、父を包んでいた闇の光を振り払い、静寂の中で──その瞳に私を映す父の姿を、取り戻させていた。
 口が動いて、何かを言葉にしようして──しかし結末を、私たちは知っている。
 ばりばりばりと、激しい音が足元を駆け抜けていった。
 走り抜けた亀裂が、魔力の塔の最上階の半分ほどを覆い尽くして、それが、落ちた。
 全てが崩れる。
 崩れていく。
 奈落に、全てが落ちていく。
 戦いの果て。父は正気を取り戻し、奈落へと落ちていってしまう。その生死は、プレイヤーには告げられない。そしてプレイヤーは勇者にその事実を告げるのか、それとも告げないのか。それはプレイヤー自身に委ねられていた。
 最後の、AIである私たちと、プレイヤーとの間の試練。
 みんながどんな選択をしたのか、私は知らない。
 知る由もないけれど──私は、知っているんだ。
 私は今、ここにいる。
 その結末を、変えるために。
 手を伸ばす。
「お父さん!」
「勇者ちゃん!?」
 誰かの声。
 私は、父の手を──掴んだ。「掴めるの! それ!?」「マジで!?」「全世界、震撼!?」
 しかし、その身体は宙に浮き──私は目を見開いた。
「やってやりますよォー!!」
 アルさんが飛び込んでくる。崩れる床に剣をつき立て、左手でそれを掴み、右手を私に向けて伸ばす。私はその手を──掴む。
 ニヤリと笑うアルさんに、私も返す。
「来てくれると、信じてたよ」
「冒険活劇の主人公は、そうでなきゃな」
「そうね」
 ホント、そう。それでこそ、だよ──と、私は笑い、
「でも、そこ砕けたら、落ちるね」
 言う。
「ネリー! なんとかしろー!」
「フロストダイバ! フロストダイバ! フロストダイバー!」
「早く! 早く! ロープ!」
「引き上げてー!」
 仲間たちが、上の方で何かわちゃわちゃしてる。
 何だかなと、口許を緩ませて、そして右手を強く握りしめ、その先を見る。
 父は、呆然としたような目で私を見ていた。ま、そうだよね。彼は、そんな展開、知らないんだから。
 私は仕方なくて、口許を緩ませたまま、いつもの調子で言った。
「はじめまして、お父さん」
「ひでぇ台詞」
 私の左手を右手でしっかりと掴んでいるアルさんも、笑っていた。
「アルさんの台詞、とっちゃった?」
「なんでだよ」
 笑う。
 笑い合う。
 何千、何万の物語の中で、望まれながらも結ばれることのなかったその結末を、私は強く握りしめ、笑った。
 見ていてくれているかい? すべての勇者と、その仲間たち。
 この世界の最後の勇者は、みんなの望んだ結末を、この手でしっかりと、掴んでみせたよ。
 勇者の、仲間たちと共に。


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