studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2022.09.08

勇者ちゃんと、MMO RPG

Written by
しゃちょ
Category
読み物
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 分厚い鉄の扉が、鈍い音と共に開かれる。
 その音に、私は深い眠りの底から世界に引き戻され、覚醒した。
 扉の向こう、暗い通路の向こうから差し込んでくる光が私の頬に熱を与え、意識をはっきりとさせていく。
 ここは──
 目を細め、私はその向こうを見た。
 影が言う。帽子のつばに手をかけて。
「どうも」
 そこにいたのは大魔道士──補佐見習い候補──のネリさんだった。ネリさんは帽子に手をかけたまま私に向かって、
「お久しぶりです」
 なんて言って、声をかけた。
「……どういうこと?」
 聞きつつ、私はゆっくりと立ち上がった。そのついでに状況を確認しようと周りを見回すと、ここはどうやら牢獄のようだった。簡素なベッドと机と椅子が一組。部屋の隅に壺。マジか。
「状況がわからない」
 言いつつ、扉の方へと進んでいく。
「でしょうね」
 などと言いつつ、ネリさんは道を空けた。扉の向こうは石造りの薄暗い一本道で、ここはどこかの地下だろうか。その狭く暗い通路を照らすのは、ネリさんについて来ていた二人の兵士らしき人が手にしていた大きなランタンと、通路に等間隔に置かれた蝋燭の灯りだけだった。
「どうぞ」
 と、ネリさんに剣を差し出されて気づく。腰に剣がない。どころか、服が、質素な貫頭衣を腰紐で結んだだけの、大分みすぼらしい格好じゃないか。一体何があったのだ?
 ハテナハテナで、とりあえず剣を受け取り右手に持つ。
 そして、私は聞いた。
「さっぱり訳がわからないのだけど?」
「おっと、左手は使わないでください、まあ、多分使えませんけど」
「どういうこと?」
 首を傾げつつ、手のひらを上に向けた左手に意識を集中すると、ぱちぱちと赤い光が少し弾けて──けれど、そこに私の石は姿を現さなかった。
「あれ?」
「それも含め、ご説明いたしますので、どうぞ」
 そう言って、ネリさんは私を促した。
 ああ……なんとなく、想像がついた。
「なんかしたね? この世界の神様たちが。私に」
「そういう言い方をしないでください。マジで」

 私がいたのは、王城の地下監獄であった。
 何故、私はそんなところにいたのか。さて、ではその辺りの話をネリさんに語っていただこう。というのも、私には全く記憶がないのでな。
「つまり?」
 王城の一室。着替えのために通された割と大きな部屋の間仕切りの向こうとこちらで、私は着替えつつ、肩越し、ネリさんに向かって聞いた。
「つまりですね」
 向こう側で、ネリさんはくるくると歩き回りながら話していた。
「貴方は賢者の石を手に入れた後、当初の依頼を思い出し、王宮に戻って、王様に賢者の石を手に入れた事を報告したわけです」
「ああ、そういえば私達は、王様の依頼で賢者の石を探していたんだっけね」
「ええ、そこは忘れないでください」
「忘れてはいないよ」
 間仕切りのこちら、メイドが私の着替えを手伝おうと手を伸ばしてくるが、やんわりと辞退する。いやいや、いつもの装備に着替えるだけですから。お手伝いなど不要。
「まぁ、覚えてないけど、そういう行動はするかもね」
「したんです。そう言うことにしておいてください」
 そう言うことにしておいて欲しいらしい。まあいいけれど。
「それでですね」
 と、ネリさんは続けた。
「王様は賢者の石が既にアーオイルの手に渡ってしまっていて、アルス・マグナの復活に使用されてしまいそうだ、と言うことは知っていました。ですよね?」
「ああ、それは……まあ……」
 腰回りのバッグや剣やらの位置を整えつつ、返す。それはまあ、以前に賢者の石を取られてしまって、下の世界へ向かう必要が出たときに報告している。その報告を受け、王様は私達に下の世界の住人達と協力し、アルス・マグナの復活を阻止できないか、と、相談を持ちかけていたのだが……まぁ、成り行き流れでその依頼を受け、私たちは下の世界を旅していて──いろいろあって先日の巨人討滅戦──の流れ、というわけだった。
「ま、その状態で賢者の石を手に入れたと報告を受ければ、普通、それはアルス・マグナの復活を阻止した、と捉えますよね」
「まぁ、確かに」
 そうだな。
「ところがどっこい」
 などと、ネリさんは笑った。
「賢者の石を手に入れたというのは、なんと驚き、奪われた賢者の石ではなく、終末の巨人の中にあった別の賢者の石だというではないですか。話を聞けば、問題は何一つ解決しておらず、それどころかむしろ増えた。これは困った。実に困った!」
「まぁ、わかる。何か、誰かの代弁のようにも聞こえるけれど」
「こちらへのご配慮、ありがとうございます。それでです」
 着替え終わり、間仕切り向こうへメイドと共に戻ると、ネリさんが両手を広げながら、「王様は聞きました」と、私に向かって聞いた。
「それで、賢者の石はどこに?」
「私の中に」
 さらりと事実を返すと、
「それです!」
 どれです?
「貴方、あろうことか、手に入れたその賢者の石と同化してしまっていたわけです。つまり、貴方は第二のアルス・マグナとなってしまっていた!」
「私が世界を滅ぼすとでも?」
「そう考えても、仕方がないでしょう」
「ゲームバランスは崩壊させられそうだな、とは思うけれど」
「それ、私たちにとっては世界の崩壊と同義なんですけど?」
 さもありなん。
「それで」
 と、ネリさんは続けた。
「貴方はあまりにも危険すぎると言うことで、その身を拘束され、地下牢にぶち込まれました」
「という、ストーリー」
 私は腕を組む。
「すみません、一応これ、配信してるんで、合わせてください」
「なるほど。全く記憶がないのは、そのショックで私の頭が混乱してしまっているからなのね……」
「そう言うことです」
「思ってないけど」
「思って! 思って、勇者ちゃん! 貴方のデータをもう一度使えるようにするのに、私がどれだけ苦労したことか!」
 うん……どうもこの辺はマジっぽいな。ごめん、ネリさん……迷惑をかけたね……私の所為だとは思わないけれど。
「で、私はどれくらい地下牢にいたことになってるの?」
 ともあれ、なんとなく現状はわかったので、ネリさんも伝えやすかろう辺りで、私が気になることを聞いてみることにした。まずは、あれからどれくらいの時間が経ったのか、だ。
「一ヶ月くらいですかね」
 さらり、ネリさん。
「え? 一ヶ月って、何日?」
「三十日くらいです」
「念のために聞くけど……それって、どっち時間で?」
「はっはっは」
 と、朗らかにネリさんは笑った。
「我々時間に決まっているじゃないですか。こちら時間で言ったら、およそ九十日です」
「そんなに!?」
 ちょっと待て。ちょっと待てよ。私はこの世界がゲームだと知っている。知っているからこそ、何日経とうとアルス・マグナが勝手に復活してしまうことはないだろうとわかってはいるが……だが、それでも九十日だと?
「あ、あえて……いや、聞かない方がいいとは思っているんだけど、こうして私とネリさんが話しているのだから、あ・え・て、聞くのだけれど」
 私は目を伏せ、おでこの辺りに手を当てつつ、いやいやまさかね、などと思いながら、いやいやでもな、と、ネリさんに聞いた。
「その九十日間、あの人は何を?」
「ああ、クエストもできませんし、ストーリーも進められないんで、ジェダさんやエル達と一緒に、試練の塔に挑んでましたよ。ちなみに一昨日かな? 最上階をクリアしました。ワールドファーストです」
「たいそうよろしゅうございますね!」
 脇を向いて、そっち側に向かって言い放ってやった。
 わかっていたよ! わかっていたさ! 私がこうして目覚めているって事は、貴方もこの世界のどこかにいるって事は!
 そのくせ、自分ではなく、ネリさんが説明に来たってことは、貴方、私に会いにくいとかなんとか、何かやましいことがあるんでしょうとね!
 わかってましたよ! わかってましたとも!
 私の心配などせずに、大いに楽しんでいたんでしょうとね!

 さて、そういうわけでまずは直接、文句の一つでも言ってやらねばなるまい。集合場所は見当が付いている。
 ということで、私はその場所へと向かうべく、王宮を後にし、跳ね橋の向こうの城下へと出た。
 ところで──
「でてきた!」
「あれが、噂の賢者の勇者!?」
「うわ! マジかわいい!」
「あの装備セット、いいな!」
「SS! SS撮って!」
「すみませーん! 目線くださーい!」
 などと、そこにいたエクスプローラーたちの人だかりに立ち止まり、思わず「うっ」と身を引いた。な、なにが……
 後ろに続いていたネリさんが、朗らかに笑っていた。
「あ、すみません。データ云々とかは我々の方でなんとでもなりますけど、リアルでの貴方の知名度に関しては、もはや我々ではどうすることもできませんので、これはマジで貴方たちでなんとかしてください」
「ちょっ……」
 エクスプローラーたちが、遠巻きにわいわいしている。近づいてきてどうこう、という人はいないようだが──あ、配信してるからか──いやしかし、これはちょっとどう──
「賢者の石、みせてくださーい!」
 と、人だかりの中の誰かが言った。
 ええっ!? と、私はうろたえる。後ろのネリさんに視線を送ると、
「いいですよ? さっき解除しました。出すことは出来るはずです」
 などと言うので、左手をちょっと持ち上げ、その手のひらを見た。意識をそこに集中すると、ぱちぱちと赤い光が左手の周りで弾け、集まり、そこに赤い石を顕現させた。
 出た!? と、自分でびっくりしていると、「おおー!」と人だかりが唸っていた。
「はいはい!」
 手を叩きつつ、ネリさんは前に出て言った。
「アイテム、『賢者の石』は、勇者が真に巨人に挑む決意をし、打ち倒したときにのみ手に入る、この世界最終最後の、究極のレアアイテムです! 効果は全ステータス、及びスキルの一時的な向上で、対象は勇者のみですが、詳細を知りたい方は、タップ・アンド・プロパティー!」
 眼前の冒険者たちが、みんなそろって宙を指先でつついている。視線と指先の位置から、どうやら私の左手のこれをつついているようだ。そして「おおー」「すげー!」「ゲームバランス、崩壊するレベル!」等と声をあげている。
 私の左手の、赤い石。
 どうやらこれは、私が手に入れた賢者の石ではないようだ。ま、あれはもう役目を終えたし、私にとっては何でもいいんだけどね。
「妥協点?」
 ネリさんに聞くと、ネリさんは帽子のつばに手をやって、にやりと笑って言った。
「ま、実際は貴方だけは本物を手にしてしまったので、もうちょっと複雑な制限がかかっているんですが……それはそれで、クエストリワードとして受け取っておいてください」
「複雑な制限って、何?」
「簡単に言ってしまいますと、貴方がシステムにアクセス出来ないようにするために、貴方もシステムからアクセスされなくなっています。つまり、完全にスタンドアロンな状態と言うことですね」
「……わかんないな?」
「簡単にいうと、世界は貴方に干渉しませんので、何があっても、世界が貴方を助けてくれることはありません。逆に言えば、貴方は世界の理を離れて、なんでもできる可能性があります」
「それ、別に今までと何も変わらなくない?」
「ええ、アルもそう言っていました」
 そう言って、ネリさんは笑った。
「故に、貴方は再び、この世界に目を覚ましたのです」
 そうか。
 ならばやはり、まずはあいつに会って、お礼の一言でも言わなければなるまいな。お礼のひとことでもな!
「はーい、通りまーす!」
 言って、私は小走りに人垣をかきわけ、城下へと向かったのだった。

 出会いの酒場。
 そのドアを「ばーん!」と開け、私は中に飛び込んだ。
「おまえー!」
 と、上げたその声が、
「おかえりー! 勇者ちゃーん!」
 という大勢の声と、ぱんぱん! と鳴った何かの火薬の音にかき消された。え? なに? と店内を見回すと、それなりの広さがある出会いの酒場の店内を、見知った冒険者仲間達が埋め尽くしていた。
「主役、とうちゃーく!」
 と、ニケちゃんが私の隣にやってきて、私の腕を掴んで店内中央へと引っ張って行く。
「え? なに?」
「復帰祝い。みんな、勇者ちゃんが今日復帰って、知ってたから」
 ニケちゃんに連れられ進む道すがら、レオナさんが手を掲げてハイタッチを求めていたので、いや、よくわからんがぱちんと手を打ち合わせ、ヴィエットさんがその手にジョッキを押しつけてくるのでそれを受け取って、拍手をしている師匠さんやベルくんさん達の間を抜け──店内中央へ。
「では、ひとことー」
 ニケちゃん。
「え? 何? 私?」
「いや、そうでしょう」
「ええー……?」
 目を細めつつ、首を傾げる。
 流されてるぞー、わたしー。
「ええっと……」
「恥ずかしながら帰ってまいりました~って言えばいいんですよ~」
 エルさんが珍しく野次を飛ばす。何故かそれで笑う一部。何の符丁だか、私にはわからん。
「ええっと……」
 と、私は頭を掻いて、言った。
「いや、なんか、いろいろご心配をおかけしたようで……」
 そしてそこに奴を見つけ、言い放った!
「主にお前のせいでなー!」
「ん?」
 カウンターで、エールのジョッキを口につけているんじゃないよ!
「はっはっはー」
 と、私に指さされた男。私の旅の相棒、私の相方、剣士アルベルト・ミラルスは、わざとらしく笑っていた。
「自業自得っていうんだ」
「なんだとー!」
 剣に手をかけてやると、
「いや、ごめん。私の所為だな」
 なんて言ってチロルさんが前に出てきたので、
「いや、違う」
「いや、そんなことはない」
 私、アルさんが同時に言って──チロルさんはにやりと笑っていた。「ぐぬぬぬ……」
「何はともあれー」
 言って、ニケちゃんがジョッキを手に、言った。
「かんぱーい!」
 そしてやや無理矢理に、私の手のジョッキにそれを打ち付けた。しかたがないなぁ……と笑い、
「かんぱーい!」
 と、私もそれを勢いよく高く掲げ、声を上げた。
 出会いの酒場の冒険者たちが、一斉にそれに答えて返した。鳴り響く拍手喝采。沸く冒険者たち。カウンターの奴もちょっと、それを掲げて笑っていた。
「はいよーし、アネゴ、シャバに出てきたアネゴに、オレからの放免祝いだぜ!」
 と、ダガーさんが木のトレイを手に私の元へとやってくる。
「放免祝いなんて、難しい言葉、よく知ってますね~」
「エル様……?」
 などと、中央テーブルにエルさん、レイさんがやってきて着く。椅子を引いてくれたチロルさんに促され、座る私。隣、ニケちゃんも座る。
 私の前に、ダガーさんが料理の載ったトレイを置いた。ごはんとみそ汁と、何かの焼き魚。ダガーさん曰く、和食。私の好きな!
「これ、みそ汁、何?」
「玉ねぎとわかめ。魚はリアルで近い味だと、鮭。あとはだし巻き卵な」
「日本の朝食ですね」
 テーブルに着きつつ、ネリさんも笑っていた。
 そして、
「アネゴ、おつとめご苦労様でした」
 なんて、何故かガニ股でアルさんが頭を下げる。ので、
「なにそれ?」
 私は半眼で、つややかに彼を見下してあげた。ふざけているのはわかる。
「アネゴ~」
 と、エルさんがほわんほわん、言っていた。
「アネゴ~、その鮭は舎弟のアル坊とレイ助が、わざわざ北の大地までいって捕まえてきたものですぜ~。アネゴ想いじゃないですか~」
 え? あ、いや……私はそんな、和食ごときで釣られるような、安い女ではないぞ。
「ちなみにその魚、鮭と同じように遡上するらしいので、沿岸でレイシュと二人、竿を立てて釣ってきた」
「二時間くらいですかね」
「え? マジで?」
「ネリが勇者ちゃん、なかなか起こしてくれないから、時間つぶしに。さっき」
「それは言わなくてもいいんじゃないですかね~」
 これだからアルさんは……と、仕方なく、私はむすっとしたふりをした。

「さて」
 と、テーブルに皆がついて一息入れたところで、レイさんが言った。
「こうして勇者ちゃんも戻ってきた訳ですので、ついにエンディングに向けて、我々も一直線ですね」
「というか、試練の塔をクリアしたプレイヤーに、賢者の石を保持している勇者様が、実は未だにメインシナリオをクリアしていないという状況もどうなのか」
 ジョッキのエールをやりつつ、ダガーさんは苦笑するようにして笑う。
「それこそ、片手で終わっちまうんじゃねーの?」
「それに関しては、問題はありませんね」
 と、ネリさんは骨付き肉をもぐもぐしつつ返した。
「アルス・マグナは、そもそも最低ILは設定されていますが、最高ILは設定されていませんのでね。AIがその強さを自動で変動させます」
「レベルが上がると難易度が上がるというのが、アルス・マグナ戦だからね。まぁ、一応、上限ロックはできるけど」
 苦笑しつつ言うチロルさんに、レイさん、ネリさんが続いていた。
「使わせませんが」
「いや、むしろ責任とって、マックスで挑んでいただきたい」
「まぁ、それはそれで~」
 いつものようにほわんほわんと笑いがら、エルさんがワインの入ったカップを両手で持って聞いていた。
「メインシナリオを進めるのは最もですが、せっかく勇者ちゃんも復帰したのですから、ひとまず肩慣らしで、どこかにちゃちゃっと行ってみますか~?」
 もぐもぐしつつ、成り行きを見守る私。
「肩慣らしっていうと、どこですかね?」
「ニケ、試練の塔登ってるから、試練の塔がいい」
「まあ、肩慣らしにはいいかもしれませんが……肩慣らし?」
「エンドコンテンツですが~」
「今、最低階誰だ? オレは580階」
「ダガーさんいつの間に……なら、最低階は私とニケちゃんかな? 丁度500階越えたところだよ」
「お兄ちゃんとレイさんは、650階?」
「師匠たちとワールドファーストを目指していたのですが……どこぞの暗黒騎士と、そいつに魂を売った剣士と導師に先を越されました」
「誰でしょうね~」
「誰だろうなぁ」
「冥府の底は渡しませんよ!」
 わいわいしている皆を、ずずっとみそ汁を啜りつつ見て思う。
 私、百一階までしか登ってないんだけどな……

「ちょっとー!? どう考えてもおかしくない!?」
 地の魔獣、ベヒーモスが私に向かって雷撃を撃ち放ってくる。
 当たれば即死だろうという、そのぶっとい雷撃をなんとかかわしながら、前線に向かって、
「ベヒーモスを召還してくるって、ちょっとバランス悪すぎない!?」
 叫ぶけれど、その先の最前線には白と黒の輝きを放つミスリルゴーレム二体を抱えるレイさんがいて、さらにその奥には宝石のような身体をした太古のアルケミストに張り付いたチロルさんが、次々と撃ち放たれてくる雷だの火炎だのを、フォース・シールドで受け止めていた。
「ウェーブ3でラストだっけね?」
 などと言いつつ、アルさんはダガーさんとベヒーモスに向かって駆け込んでいく。
「アル、お前先な」
「後ろとれるか?」
「余裕」
 走りつつ、軽いやりとり。そして「オラージュ・エクレール!」をアルさんがベヒーモスに叩き込む。迸った雷撃に動きを止めたベヒーモスに、「バックアタック……ラスト・ストーム・エッジ!」とダガーさんの連撃が続く。
「そしてー」
 アルさんは硬直したベヒーモスの前で身を屈め、それが再び前足を上げようとしたその瞬間に、
「セプト・エトワール!」
 の七連撃を叩き込み、振り抜く勢いと共にベヒーモスを霧散させていた。
「え? マジで?」
 びっくりするくらいあっさりと鉱石に戻されたベヒーモスに、私はぽかんとした。
「ベヒーモスとか、メテオ撃ってくるやべー奴って認識なんだけど、あなた達、どんだけ強くなってんの?」
「ベヒーモスなんか、Lv70時代のレイドボスだからなぁ」
 なんて、アルさんは錬成石をぱきぱきしつつ返した。
「キングベヒーモスならまだしも、ノーマルじゃあ、相手にもならん」
「キングベヒんもス」
 と、訳の分からない事をわざわざミスリルゴーレムを抱えたままでレイさんが言い、続ける。
「まー、正直、我々のILはもはや900台というところですので、レベル70時代の400クラスの敵とか、勝負になりませんね」
「じゃあ、ミスリルゴーレムはレイシュがなんとかする方向で」
「これ、ミスリルセイントとダークなんで、IL700台の敵なんですが?」
 ILというのはアレだ。デカけりゃ強い、その手の数値なのだけれど、
「私、IL800ちょいなんだけど?」
 前回の巨人討滅戦でエルさんレイさんに貰った神器級の武具より、すでにみんな、100近く高いだと?
「強くなりましたね~」
 とは、エルさん。
「西の森の頃は、私の860で驚いていましたのに~」
「勇者ちゃん、だまされてはいけませんよ。その人、950越えてますから」
「998です」
「え?」
「アクセ変えれば、999にもできるんですけどね~」
「アルさん、いくつ?」
「980ちょい」
「バカなの?」
 私がいない間に、何をしていたのだ? この人達は。
「賢者の石を使え。IL15パーセントアップだ」
 アルさんは言う。
「全スキルのレベルもあがるから、多分、石を使えば勇者ちゃんが一番強い」
「えー?」
 ほんとかよーなんて眼を細めつつ思っていると、最前線のチロルさんが肩越しに振り向きながら言っていた。
「あの……割とMPきつくなってきたから、さっさと片付けられるなら、やってしまってもらいたいのだが」
「私のミスリルゴーレムもお願いします」
「割と余裕そうなのに?」
「HP、常に黄色いんですが?」
「仕方ないですねぇ」
 言いつつネリさんは前に出ると、「全体巻き込みで撃ちますよー。ニケ、続いて波動砲よろしく」「りょー」二人は敵に向かって身構える。
「じゃ、勇者ちゃん、ミスリルゴーレムにフルーレして、ダカーポで奥のアーオイルな」
「いけるのかね?」
 うーむ……と、全く自信はなかったがアルさんがそう言うので、とりあえず私は左手を胸の前にかざしてそこに意識を集中した。ぱちぱちと赤い光が迸り、そこに私の石が顕現する。
 ふわり、風もないのに私の髪が宙に躍った気がした。
 世界の全てが私の目の中で速度を落とし、ネリさんが撃ちはなった氷の嵐のきらめき、その一粒一粒が認識できる。これはあれだ。竜の心臓の時のような、あれのもっとすごい奴だと感覚的にわかった。
 ニケちゃんが光の矢を二体のミスリルゴーレム、そしてその向こうにいる半透明の鉱石のようなアーオイルを巻き込むようにして放つ。
 それに、私は軽く床を蹴って続いた。
 閃光に続くこと刹那。レイさんの前に回り込み、踵をつく。
 その音が響くよりも早く、
「ラ・ロンド・フルーレ!」
 十六連撃──の八回目で、白いミスリルゴーレムが砕けた。そしてそのまま、隣の黒いミスリルゴーレムに八連撃。
 砕け散るミスリルの輝きの中、「ダカーポ……」と、床を蹴ってチロルさんの前に飛び出し、
「アル・フィーネ!」
 繰り返しの十六連撃は、その全てを打ち出す前に、鉱石のようなアーオイルの身体を砕いていた。

「あれ?」
 と、私がぽかんとしている後ろでは──
「え? なに? 今、なにが起こったの?」
 ニケちゃんがぽつり、つぶやいていた。
 エルさん、レイさんが、笑うようにしてそれに続いていた。
「いや~、ヤバいてすね~。今のは私でもちょっと見えませんでした~」
「アルさん、今の見えました?」
「ああ……俺は見えたが……反応できる気はしない」
「フルーレのプレモーションまでは見えたが……その先は全くわからんかった」
「私、全く見えませんでした」
 ダガーさんとチロルさんが苦笑しているところに、ネリさんが「はっはっは」と乾いた笑いで続いていた。
「ヤバい性能だとは思っていましたが、TR1479って、数値上の限界値ですね。マジでヤバい、賢者の石」
 いや──私が一番びっくりしているのだが?

 いろいろと試したところ、賢者の石は私時間でだいたい一日に一回、しかも私が一度眠らないと再使用できないと言うことがわかった。ネリさん曰く、「再使用はクールタイム四時間の設定なんですが、睡眠が必要と言うことは、チェックポイントが関係するんですかね」「おい、運営が把握してないぞ……」「ますますヤベーな」実にヤベーな。
 ともかく、突然こんな強大な力を手にしてしまったわけで、しかも一ヶ月──私的には三ヶ月らしいが──も剣を振るっていなかった私は、とにもかくにも、感覚を取り戻すというか慣れるというか……そんな感じで試練の塔にみんなで挑んだり、アルさんと二人の時はアウラの旅を続けて新たな門石を開いたり、ネリさんに誘われて冥府深くに潜ったり「496階のラスボスが倒せないんです!」「冥府はクエストが絡むから、そんな階層にまでたどり着けない」「あああー! ワールドファーストがー!」とかなんとかやって──七日ほど経った。
「遂に、試練の塔をクリアしましたよ!」
 と、アウラの次の門石をどのようにして攻略するかと作戦会議を行っていた我が家へ、レイさんがばーんとドアを開けて現れた。
「おお、おめでとう」
 アルさん。アウラの地図から顔を上げて、さらり。さして驚いた風でもなく。
「やっとですね~。冥府のワールドファーストも奪われてしまいましたから、さくっとクリアですか~?」
 エルさん、軽くえぐっていく。
「それは置いといて」
 などと、何かを脇によける仕草をしてから、レイさんは室内へと入って来た。後ろにはネリさん、ダガーさんが続いていた。
「三人とも?」
「ええ。冥府を攻略しようとしている隙に、ダガーさんに追いつかれてしまいまして」
「しかしアル、あれはなんだ」
 テーブルにつきつつ、ダガーさんは言った。
「650階のラスボス撃破後、651階の創世神話を描いたフロアはよしとしよう」
「あれはなかなか壮大でしたよね~」
「いえ、しかし652階です」
 テーブルについたレイさんがぐっと身を乗り出し、私に向かって聞いた。
「勇者ちゃん、ネタバレしていいですか?」
「どうぞ。むしろ興味ある」
 どうせ相方は知っているのだし、私としては特に問題はない。私は現状、チロルさん、ニケちゃん達と一緒に登っているので、未だ600階を超えたところ……だけれど、アルさんがクリア報酬の神器武器を手に入れるぞと言っていたので、どっかでみんなそろって最上階まで踏破するのだろう。
「なにがあるの?」
 興味だけで聞くと、レイさんが頷きながら言った。
「最上階には、神がいます」
「へぇ」
 神か。なるほど。神様が祝福してくれるのか。それはそれでいいな。それで、神器武器を貰うのか。悪くない。
「最も古き神、この世界の最初の神が、最上階におわします」
 もっとも古き神?
「ナンム?」
「そうです。ナンムです。最も古き神、ナンム。その姿が遂に我々の前に──なのに、どうして!?」
 おおぉと、レイさんは顔を覆っていた。
 ナンム。忘れられた名も無き最も古き神。私は会ったことがあるわけだが──
「驚いたろう」
 「はっはっはー」と、アルさんは笑って言った。
「ナンムの見た目が、ソアラのまんまで」
「なんで、世界を、神の存在すらも、変えてしまうんですか!?」
「あれはねーよ、アル」
 ため息を吐きつつ、ダガーさん。
「最高潮クライマックスで、ソアラだぞ? もう、神の台詞が耳を滑る滑る」
「俺にいうな。運営に言え」
「運営!」
「いや、ナンムのグラフィックは用意してあったんですが、どっかの勇者が公開前に勝手に創造してしまったので、変えるのもなぁとなりまして」
 ネリさん、他人の所為にするのはいくない。
「まだいいじゃないですか~」
 なんて、エルさんは笑っていた。
「私たちなんて、本人いましたからねぇ~。笑うなという方が無理ですよ~」
「そうだぞ、ソアラがソアラに神器を賜るとか、もうギャグだぞ」
「そうは言いますが……」
 と、ネリさんは帽子を直しつつ息をついた。
「ソアラさんはあれでα時代のキャラクリでないと創れないフェイスなんで、この世界最後のNPCとしては、割と好評なんですよ」
「我々だけが、世界に取り残されているというわけですね……」
 いや、そんな大層なことかね?
「しかし、ソアラが最上階にいるのかー」
 少し笑ってしまいながら、私は言った。
「見てみたいねぇ」
「よし、じゃあいくか」
 即答だったな、アルさん。「ニケとチロルさんもそろそろ来るだろう」「メインシナリオクリアが遠のいていきますよ~」
「ちなみに、ラスボスってなんなの?」
 私の問いに、レイさん、ネリさんが答えていた。
「基本六柱の神々がペアで出てきます。ククルとエン。テュルとフレイ、ラストがアヌとナンナですね」
「ナンナがキュア・オールを使ってくるので、正直最悪です。あんなのを信仰している人の気が知れませんね」
「ディスられてる」
「まあ、うちのカミさんだから、しゃーないな」
 そうか──いや、いいのかそれで。

 結局なんだかんだあって、それからさらに四、五日経って──
「おお」
 と、私はその細剣を手に、感嘆の声を上げたのだった。
 見た目はソアラ。しかしてその実態は最も古き神、ナンム。その神に、私は世界最高位の神器武器を賜って、
「これが、IL999の神器武器……」
「勇者の口から出てきて欲しくない台詞ですよ~」
 エルさんが苦笑しつつボヤく。
 そうは言っても、私はこの世界がゲームだと知っているしなぁ……などと、首を捻りつつ唸っていると、同じくそれを賜ったチロルさん、ニケちゃんも、
「うひょー、IL999だー!」
「まさか私が、IL999を手にする時がくるとはなぁ」
 などと、光弓とポールウェポンを手に声を上げていた。
 試練の塔。最上階。652階。
 星が瞬く空の下。神を前に、私は手にした剣を掲げつつ、肩越しに振り向いて聞いた。
「ねえ、これ、なんか光ったままの形状だけど、このままで使うの?」
 背後、アルさんは胸の前の空間をつんつんしつつ返す。
「いや。それは見た目が用意されてなくて、見た目は任意で選択するんだ。見た目を選択しないと、装備できない」
「なるほど」
 つんつんしているのは、おそらく私がこれを手にした事によって表示された、見た目の選択画面か何かなのだろう。同じようにニケちゃんやチロルさんも胸の前の中空を見つつ、人差し指でつんつんしている。「ニケ、イチイの弓が気に入ってるから、イチイの弓の見た目にしよーっと」「ただのロングボウの見た目から繰り出される、驚異の波動砲か……」「私はみんなの希望に応えて、聖騎士の戦旗槍にしようかな?」「いやいや、何もそこまで我々に忖度しなくてもよいのですよ?」
「勇者ちゃんは、何かリクエストはあるかね?」
 胸元の辺りを見ながら顎に手を当て、アルさんは言った。
「過去の装備ならとってあるし、なんでもできるが」
「あー、そうか。だからアルさん、王家の聖剣をぶら下げてるのか」
「うん。実態は神器武器」
「そうか。私は、そうだなー」
 アルさんが王家の剣を使っているなら、私はそうだなーと少しばかり考えて、
「エル・トゥラの、竜神の剣かな」
 言った。
「ああ、人気投票一位のやつか」
「ファンサービスってやつ」
「わかってんじゃん」
 アルさんが宙をつつくと、光の棒が、あのエル・トゥラで手にした竜の意匠を施した剣に姿を変えた。美しい白銀の輝きを放つブレードに、すらりとした長めのグリップ。そして、今の私にはあの頃とはまた違った意味を持つ、赤い宝石の輝き。
 私はしゅっと剣を軽く振るい、星の輝きにも似た閃光を振り払い、それを鞘に収めた。

「これはゆゆしき事態だと思うわけですよ」
 試練の塔攻略打ち上げと称したその日の宴は、試練の塔を見上げる平原、星降る空の下で行われていた。
 ダガーさんの煮込みハンバーグ──ビーフシチュー単品でもうまいやつにハンバーグとパスタまで煮込まれていて、うまくないはずがないし、当然バゲットの準備も万端だ──をもぐもぐしつつ、エール片手に語り合う中、レイさんが言った。
「いいですか。試練の塔を我ら、いつものメンバー全員がクリアし、もはやこの世界のエンドコンテンツのエンドにまでたどり着いてしまった今だからこそ、あえて私は言いますよ」
 と、レイさんは皆を見回し、言った。「なんだかんだで──」
「サーバークローズまで、あと一ヶ月半です」
 沈黙。
 誰も、何も、言えない。
「そういえば誰かさんの所為で、この世界は終わりを迎えてしまうんでしたね~」
 などと、ワイン片手に言うエルさんに、
「いや、元々決まっていた話!?」
 アルさん、一応反論する。
「そもそも今、明らかに俺に向けて言ったけど、もしも本当にそうなら、原因はこっちだろ!」
 私を指差さないでいただきたい。と、思いつつも煮込みハンバーグをもぐもぐする。
「いや、まあ、元々決まっていた話ではあるけどよ……」
 お代わりの煮込みハンバーグをニケちゃんに渡しながら、ダガーさんは言った。
「確かに一ヶ月は不可抗力だったが、その後の半月は、正直、遊びすぎだったんじゃねぇか? 試練の塔の攻略とか、冥府の攻略とか」
「視聴数は良かったようですけどね」
 ネリさん。
「まあ、なんだかんだで注目を集めていたところもありますが、実際、最前線を進んでいたパーティの配信でしたからね」
「ニケの登録者数も、結構増えた。アル兄、今登録者数、いくつ?」
「しらん」
「そもそもこの人、ライブ配信しているだけで、基本的な運営しているの、私ですし」
「というか、今こうしてただのダベりを配信をしているだけだというのに、見ている人が三桁に迫ろうかというのが脅威なんですが……何を期待しているんだ、君たちは」
「ダガーさんのレシピ解説ですかね~」
「Wikiを見ろ」
「まあ、ともかくです」
 と、レイさんはこほむと咳払いをして、
「今後の配信を楽しみにしているみなさんのためにも、そろそろエンドコンテンツのエンドにまで到達してしまった我々は、話の本筋に戻り、本来の目的を思い出すべきでないかと思う訳ですよ」
「本来の目的って、なんだっけね?」
 私に向かって聞く男。
「私の父を探すことかな?」
 フォークをなめつつ返す。
「ああ、そういえばそうだった」
「背けないで! 現実から目を!」
「当初の目的はそうだったかもしれないけれど、ストーリーはもっと進んでいるような……」
 チロルさんは苦笑をしつつ呟く。
「まあ、進んでいるというか、本来のストーリーラインとは全く違ってきてしまっているから、こんがらがっているというか……」
「もうむしろ、このこんがらがりのまま、フェードアウトでもよくね?」
「そんなことをしたら、大ブーイングですねぇ……一万を超える登録視聴者の皆様から~」
「いや、マジでどうすんの?」
「私に言われましても……主人公は貴方ですし」
「いや、主人公は俺じゃないだろう」
「押し付け合い宇宙」
 言葉の意味は全くわからん。が、
「それはともかく」
 と、レイさんは言った。
「このまま無為に時間を過ごしていくと、ラスト一ヶ月を切ったところで、アーオイルの最終侵攻が行われます。クローズドイベントと言ってしまえば、まあ、そうですが……」
「一応、公式発表としては、アーオイルの聖地ルルスからアーオイルの大侵攻が開始され、各町村を襲っていく──ってイベントの予定なんですがね」
 ネリさんはほがらかにエールのジョッキを掲げつつ言った。
「襲われた拠点は、そこの住人や建物の損耗が指定値以下になったら、アーオイルの拠点となるので、エクスプローラーが頑張らないと、最悪、ルーフローラにまで侵攻される予定です。いやあ、後味の悪いサービス終了ですねぇ」
「運営、趣味悪いー」
「しかもそれ、夜時間も侵攻されたらずるくねぇか? 明らかにAI側のが有利だろ」
「知りませんね。誰かさんが、この世界のバランスを崩してしまうような力を手にした所為じゃないですかね」
「他人の所為にするのいくない」
「侵攻を許してしまうと、ルルスへの道が閉ざされてしまうので、難易度が爆上がりしますよ~」
「マジでどうすんの、これ」
 聞く男。
「さあ?」
 返す女。
「いえ、だからそろそろ、本来の目的を思い出していただきたい。そう、この世界を救う、勇者として」
「勇者」
「指を指さない」
 なんとも失礼な奴だな。

 まぁ、それはともかく。
「ふむ……」
 荒涼とした大地の、赤茶けた丘の上から眼下を見下ろし、アルさんは唸った。
「あれが、大地切断が起こった巨人との戦いの地か……」
 見下ろす先には、巨人との戦いの際に構築された魔力の壁を生み出しているという、聖地ルルスへと続く唯一の道を守る要塞遺跡、バリトゥーヤ──上位古代語で、最後の壁という意味らしい──その遺跡が見えた。
 荒涼とした大地をオルムの子孫たちに導かれ、古き言葉に従いナルフローレの者達と続けた旅路の果て。遙かな、数百年の歴史を逆に辿ったその道の向こう、淀んだマナの停滞する大地を、静かに吹き抜けていく風の向こうに、それはあった。
「静かに滅び行く世界……ね」
 見下ろすアルさんの隣に立ち、私は小さく呟く。
「なんで、こんな風になっちゃったんだろうね……」
「そうだな……」
 ちらり、私を見てアルさんも呟くようにして返した。
「オルム曰く、世界の公理、摂理、その創世に手を伸ばしたが故に、世界によって滅ぼされようとしているとかなんとか」
「人が、神になろうとしたが故に?」
「そうかも、知れないな……」
 呟く言葉と向けた視線にならって、私も小さく続けた。
「人が神になろうなんて、おこがましい……って事なのかね……」
「ああ……」
 などと──
「いえ、何やらシリアスな雰囲気を醸し出していますが、貴方たちが言えたものではないのでは?」
 背後、レイさん。背中から刺してくる。
 ともあれ。
「よし、とりあえずメインシナリオに戻ってきたぞ、という演出はした」
「何も問題はない」
 アルさん、私、うんうんと頷きあう。
「これはヒドいですよ~」
 ほわほわ笑うようにして、エルさんが言っていた。
 さて──とにもかくにも、だ。
 くるり、アルさんは背後に振り向き、続けた。
「というわけで、なんだかんだでやっとここまで進めたので、皆の衆、準備はよろしいか?」
 私たちの背後には、二十四人の仲間たちの姿があった。うん、ゲーム的にさくっと言ってしまうと、本日のメインクエスト、バリトゥーヤ攻略のためのレイドメンバー達だ。
「では、師匠さん。クエストの説明をよろしく」
 と、アルさんが言うと、「なぜ私が」などといいつつも、師匠さんは前に出てきて言った。
「あー、まあ、皆クリア済みだろうからあえて細かいことは言わないが、バリトゥーヤ攻略戦は、ご存じのように三ルートのいずれかで中央に向かい、バリア発生装置を破壊するというクエストだ」
「そうなんだ」
「へぇ」
 知らない若干二名。誰とは言わぬ。
「で、このクエストはもともと大量に敵が出てくる設定になっていて、総力戦の様相を演出するため、レイドで参加できるクエストになっているわけだけど、今回はなんと、アルくんの提案で、フルレイド三パーティによって、この三ルートを同時に攻略するという、前人未到の面白企画をやることになった」
 「おおー」と、唸るみんなとまばらな拍手。
「正直、まったく意味はない無駄展開ですけどね~」
 エルさんが「あはは~」と笑いつつ続けた。
「まあ、ぶっちゃけ、ここにいる皆さんはIL800オーバーどころか、999の神器武器持ちの方も多々いらっしゃいますので、普通にやっても片手で最奥まで行けてしまうでしょうから、こんな風に趣向をこらしてみました~」
「つまり、視聴者サービスみたいなモノですな?」
 ぴっと手を挙げ、ヴィエットさん。
「ですね~」
「では、お色気要員は──!」
 ぴっと手を挙げたセルフィさんが、はたと止まる。
「なんですか~? セルフィさん、どうぞ~」
 笑顔の導士様に、
「いえ、なんでもないです……」
 目を背けるセルフィさん。本日のツッコミ要員は、エルさんなんだなぁ……
「さて」
 息をつき、アルさんは言った。
「三ルートあるそうだが、どうやってわける?」
 視線の先、本日のレイドメンバーはいつもの私たち八人に、師匠さんパーティとチーム元女子大生だ。
 師匠さんのパーティはタンクが師匠さんとベルくんさん、近接DPSに刹那さん、魔導師にルーナちゃんが入って、若干いつもの構成とは違うものの、歴戦の冒険者の貫禄は変わらない。
 一方、チーム元女子大生はあの巨人討滅戦の時の構成そのままで、女子オンリーな華やかさを出しつつも、その実、神器武器持ちが半数以上という、割とこちらも侮れない構成となっていた。なお、言うまでもないけれど、トータルレベルは2376。
「本日は各パーティ間の映像も、視聴者の皆さんでスイッチしてご覧いただけるようになっております」
 と、ネリさん。
「なので、わいのわいの、楽しくやっていただければと思いますので、アルは当然、中央突破ルートでお願いします」
「それが良いのか悪いのか、俺には判断が付かないわけだが、ネリがそういうならそれにしよう」
「何も考えてないね?」
「ない」
「じゃ、我々は右ルートに行くか。ヴィエットもいるし、トラップルートの方がいいだろう」
「踏み潰していくんだな」
「タンク二人いるし、踏み潰していけそうでもある」
「じゃあ、私達は左ルートですね。左ってなんだっけ?」
「大物ルートかぁ……まぁ、メイファさんいるし、そんなに苦でもないかな」
「というか、IL的にはそもそも勝負にならない」
 わいのわいの、みんなが話している。
「さて」
 言って、笑い、アルさんは続けた。
「んじゃま、行こうか、勇者ちゃん」
「なんか、久しぶりに聞いた気がするね、それ」
「そうか?」
 とにもかくにも、私たちはその要塞遺跡へと向かって歩き出したのであった。

 要塞遺跡、バリトゥーヤの正面。
 私たちの前に立ちはだかった巨大なミスリルの扉を背に、
「はい、じゃあよろしく」
 と、アルさんは三つの鉱石が三角形にはめ込まれた、紋章のようなそれをニケちゃんに手渡した。
「ニケがやんの?」
 受け取り、ニケちゃんは小首かくん。
「みんなが所定の位置に着いたら、やれ」
「いいけど、こういうのはアル兄か勇者ちゃんがやるべきなんじゃないかなぁ」
「俺は知っているんだ」
 剣を引き抜き、アルさんはにやり。
「この扉を開けると、多分、大量のモンスターがスタンピード」
「チ」
 おい、今、舌打ちしたの誰だ?
「まあ、あれです。中央ルートはただひたすら直進するだけですから、なんて事はないですよ」
 「はっはっは」と笑うレイさんを捕まえ、前に押し出すアルさん。「いや、ちょっと待ってください。せめてエルさんに支援もらってから」「ネリがフロストハンマーぶち込んだ方が早くね?」「まかり間違って接近されたら、フルレイドで調整されてる大群にひかれるので嫌です」「私は殿をつとめるので」「チロルさん、暗に私に死ねと」「陣形はインペリアルアロー」それがなんだかわからんが、いつもの調子だな。
「よーし、みんな、位置に着いたー!」
 ニケちゃんが言った。
「中央、バリア発生装置に最初にたどり着くのは誰か! よーい……」
 そして──手にした紋章のような錬成物を両手で高々と掲げる勢いとともに──言った。
「どーん!」
 ごごごご……と、重たい音とともにミスリルの扉が開かれ、一瞬の間があって──その向こうから無数の赤い雷撃のような閃光が、一気に撃ち放たれてきた。
「マジか!?」
「遠距離!? 多ッ!?」
 言いつつ、私たちはそれをかわして門の中へと踊り込み、道の先を確認する。
 眼前、真っ直ぐに伸びた一本道。その道の向こうは──見えない。
「マジかー!」
 剣を手に駆け抜けながら、アルさん叫んでいた。
「多すぎるー!」
 道の向こうが見えないほどにひしめき合った鉱石魔神の大群に、「二発目、来ますよ!」ステップで飛び出すレイさんとアルさんが入れ替わる。ごうと舞う暗黒の炎の壁に、鉱石魔神の前線にいたミスリルゴーレムから放たれた赤い光が飲み込まれて消滅していた。
「ニケ、やっちゃうよー!」
 声とともに放たれた光芒の矢が、一直線に空間を割いて突き抜けていく。どおん! と凄まじい音が響いて、道の中央に穴があいた。
「恐るべき破壊力」
「一瞬でヘイト最上位」
「爽快ー! といいつつ、ニケは下がる」
「ほらほら~、敵さんたちが突っ込んできますよ~」
「下がっていいですか?」
「タンク、近接DPSは、ちゃっちゃと前へどうぞ~」
 言いつつ、エルさんは道の向こうに範囲回復の陣を展開する。怒濤の勢いで迫ってくる鉱石魔神の大群に向かい、私たちがこのまま走り続けたとしたら──丁度接敵するのはその辺りだね、絶妙。って位置。てか、あそこに飛び込まないと多分死ぬ。
「南無三ー!」
 駆け抜ける暗黒騎士、剣士二人、ローグ。タンク一名は来ず。「私は後衛を守るので、戦旗槍で支援だけしときますね」「おのれ、チロルさんー!」「まあ、フォースシールドあるし、後衛護る能力はチロルさんのがあるしな……」「前方範囲なら、ブランディッシュのが強いじゃないですかー!」「アンリーシュがあるだろ!」「むしろDPS陣に範囲がないんじゃない?」「いけ! 勇者ちゃん! ミーティアストライクだ!」「敵陣の中に取り残されて死ぬ未来が見えます」「アルさんどうぞ」「そうだ、いけ、アル!」「ミーティア……」
「すとらーいく!」
「いったぞー!?」
「アホかー!?」
「いいつつ、範囲回復で立ち止まる私たち」
 どおん! と、眼前で無数の鉱石の輝きが飛び散り、その向こうで、
「わーを! いてぇいてぇ! やばい! 逃げ……アンアヴ……ヴボァー!?」
 何かが何か、叫んでいた。
「勇者ちゃんにあのHPゲージを見せてあげたいところですね」
「ああ……回復しつつ殴られてるのね……アレ」
 ノリでやるから……

 一本道。遺跡の中央を真っ直ぐに伸びる道をレイさんを先頭に走りながら、アルさんが言った。
「このペースで出てくるのか!?」
「さあ? さすがの私もLv99のフルレイドでここに挑んだことはないですし、知りません」
 と、レイさん。肩越しに言う。
「それに、仮にいたとしても、分散して攻略はしないんじゃないですかねえ」
 ぐにりと首を傾げるレイさんに、ダガーさんが続いていた。
「シナリオAI的には、お前らが勝手にやったことなんだから、オレは知らねぇって感じなんだろうよ」
「ネリ、これ、何ウェーブあんの?」
 振り向きつつのアルさんに、
「さあ? その辺、変動するので私にもわかりませんね」
 ネリさん、帽子を押さえて走りつつ返す。
「まあ、それでももう半分くらいまで来ましたし、あと半分なので、それなりなんじゃないですか?」
「後半に行くほど猛攻になるってパターンもあるよ?」
 やめて、ニケちゃん。
「お」
 と、先頭を走っていたレイさんが右手で鳴った大きな爆発音に顔を向け、声を発していた。
「おー、トラップルート側、大爆発をやりましたねー」
「なんだありゃ?」
 右手側の壁の向こう、遠くの方でもうもうと煙があがっている。響いた爆発音からして、何か巨大なものが爆発したようだが……
「トラップルートの中ボス戦ですね~」
 エルさんがほわんほわんと言っていた。
「サイクロプスが出てくるのですが、これを倒すのに、爆発トラップを使うんですよ~」
「師匠たちのレベルなら、爆弾を使わなくても倒せそうな気もしますが……まぁ、ヴィエットだろうな」
「師匠さんのHPが赤くなっていそうですね~」
 同士討ち?
 などと首を傾げていると、今度は左手側の向こうから、空を引き裂く激しい咆哮が轟いた。
「なにごと!?」
 と、走り続けながら見ると、空へ、一体の巨大な黒竜が舞い上がっていた。あれはなんだ? でかい、やばい、危ない奴か?
「大物ルートも、中ボスにさしかかりましたか~」
 相変わらすに、ほわんほわんとエルさん。
 見上げる先、巨大な黒竜へと豆粒ほどの何かがひとつ近づいていって──直後、どぉん! と、強烈な爆音が鳴り響いて黒竜が壁の向こうに落ちていった。「いきなり阿修羅撃ったな、あれ」「もしや一撃では?」
「我々も負けていられませんよ~」
 言って、エルさんははたと立ち止まる。
「は~い、きますよ~」
 と、支援魔法を詠唱するのに合わせ、私たちも立ち止まって身構えた。
 道の向こうから、何度目か、鉱石魔神の大群が武器を打ち鳴らしながら迫ってくる。そしてその大群の向こうには──黒々とした巨躯。筋骨隆々な牛といった風体の、二本の曲がった角が頭から生えた魔獣、ベヒーモスの姿が──そしてその背には、あの男の姿が──あった。
「あいつ……!」
 剣を構え直したアルさんの隣に立ち、私もそれを見据えて言う。
「ここで出てきたね……!」
 ベヒーモスの背には、あの、トゥーディオのアーオイル──私達の前で賢者の石を奪った、あのアーオイルの姿があった。
「さあ、因縁の対決の結末は如何に!」
 前に出、レイさんがにやりと笑うと、アーオイルも私たちに向かい、声を張るようにして叫んでいた。
「ついにここまで来たか! 勇者!」
 ベヒーモスの背の上で、アーオイルは歯の空いた口を曲げながら続ける。
「三度、相まみえるとは思いもよらなかったぞ! あの島で死んだものと思っていたが、わざわざ拾った命を、世界の再生を待たずに捨てに来たか!?」
「よく言うぜ!」
 アルさんが返した。
「おまえごときが、俺たちを止められるとでも!?」
 「それをいっちゃあ……」「ねぇ……」などと後ろで誰かが言っていたが、ともかく、奴はかまわず、
「いいだろう! 私とお前たちとの間だ! 我らアーオイルの王、アルス・マグナの復活の為、そのマナの一部となれ!!」
 魔獣が吠えあげる。
 雷が、辺りに迸る。
「やってやるぜ!」
 などと一歩前へと踏み出したアルさんを制し、私はさらに一歩、前へと出た。ハテナ? と、アルさんがぽかんと私を見ていた。
「私がやる」
 言って、右手の剣を握り直し、私は左手を握って胸へと当てる。
 あいつとは、決着をつけなきゃならない。
 アリルのみんなのため。
 聖地、ナンムアリルのため。
 そして──しょうがないと呟いた言葉に続けた、その言葉に応えるために。
「あと、よろしく」
 左手の中から、赤い光が溢れて迸る。私の賢者の石が、そこに顕現する。
 巻き起こる風に、誰かが声を上げていた。「いや、ここで!?」「マジか!?」「やっちゃえー!」「ぜってー、オーバーキル」
 剣を引き、ポメルをこめかみへ。
 足下を確かめ、真っ直ぐ──私は一歩を踏み出した。
「ミーティア・ストライク!」
 流星が空間を引き裂いて、すべてを巻き込んで一直線に突き抜けた。

 要塞遺跡バリトゥーヤの中央。私たちが駆け抜けていたその道は、ただただまっすぐな一本道で、その道の先には、巨大な円形広場があった。
 その中央。
 私は一人、剣をまっすぐに突き出した格好のまま、その場所で静止している。
 眼前、切っ先の向こうの壁は派手に崩れ、もうもうと舞う煙の向こうで、きらきらと鉱石の輝きが宙に散っていた。
 構えを解き、剣を振るう。
 ベヒーモス如きが、今の私の一撃に耐えられるはずもないだろう。私のミーティア・ストライクの一撃で、奴は鉱石となって散ったに違いない。
 少なくとも──中ボスであるところの、奴は。
「けりを付けよう」
 私の声に、煙の中からアーオイルがよろよろと姿を現した。
「おのれ勇者……貴様……貴様のその力は……」
「アルス・マグナの復活阻止。賢者の石を取り返す。
世界の分断、消滅の危機を回避する」
 私は剣を構え、告げた。
「正直、どうでもいい」
 アーオイルが、何を、と目を見開いたのがわかった。わかったから、私はにやりと口許を曲げて言った。コレはアレ。私の見せ場。独壇場。独り舞台。
「全知全能。不老不死。世界の全てを内包する力。そんなものは正直、どうでもいい。けれど──」
 全てのみんなに届くよう、私は剣を手に、言った。
「私は、私と、私の仲間たちがそれを良しとしないのならば、この世界を救う! 賢者の石の、勇者として!」
 さあ、見栄は切った!
 ケリを、つけようじゃないか!

「生意気な!」
 アーオイルが両手を高々と上げて叫ぶ。
「貴様らフローラの子ども如きが、我ら神の種族、アーオイルに楯突くなど!」
「まあ、私は神殺しなんですけどね!」
「死ね! 死して己の愚かさを嘆くがよい!」
 何事か、アーオイルが物凄い速さで上位古代語を口にした。身体の至る所から現れた無数の鉱石が宙に弾け、光を生む。ぐるぐるとそれは渦を巻き、竜巻のようにうねって、何か、辺りから光を集め始め、それらを束ねて漆黒を練り上げていた。
「おボス様チェンジってやつ……!?」
 暴風に腕をかざし、私はぐっとアーオイルを見据える。その先で、奴は漆黒をまといながらむくむくと大きくなり始めていた。あれは──なんだ?
 思うとともに、理解する。
 あの光は無数の鉱石の光だ。ここに来るまでに倒してきた、何百という数の、鉱石魔神の光だ。
 砕かれ、光に戻されてもなお世界に帰ることを許されず、アーオイルの力に呼び戻され、渦の中で練り上げられて淀み、捻れ、負の力を得て漆黒に形を変えて奴を取り巻いているのだ。
「何を……?」
 負の力が、どんどんと膨れ上がっていく。
 それに合わせ、アーオイルの身体がむくむくと大きくなっていき──そしてそこに、黒い、巨大な死体のような巨人が屹立した。
「いかに貴様が強大な力を手にしていようとも」
 腐った肉のような匂いを撒き散らしながら、強烈な負の力を放ちながら、巨躯の頭部にあたるところに生えているアーオイルが、嘲るようにして叫んでいた。
「賢者の石によってさらなる力を得た私の! 巨人にも匹敵する力の前には! 無力!」
 奴が大きく腕を振り上げる。
「なにを……」
 私はつぶやき、笑った。
「私は、その巨人を倒したんだがね!」
「戯れ言を!」
 腐肉の塊のようなゴーレムが、振り上げた巨大な腕を振り下ろしてくる。勢いに、ぐんと伸びたその腕が、私の頭上に振り下ろされてくる。
「潰れろ! 勇者!」
「いやだね!」
 返し、私は剣を振り上げた。「ヴァルキーリア・スクード!」の光が弾け、漆黒の腕を吹き飛ばした。
「なんだと!?」
 驚愕に目を見開くアーオイルに、
「勝負にならないね!」
 私は剣を下段に構え、駆け出した。
「クソが!?」
 腕を再生させながら、アーオイルがそれを横薙ぎに振るってくる。ごうと巻き起こる風に、
「吹き飛べ!」
「それで私が止められるとでも!?」
 私は剣で斜め十字を切った。
「!?」
 アーオイルが目を見開く。
 剣圧に空間が切り開かれ、視界の向こうが開けた。無音と無風のその中心へ──巨躯のゴーレムの腹へ、「クロス・アンド・ピアース!」の突きを、私は真っ直ぐに突き出した。
 迸った閃光に、腐肉の塊であったそれの腹が内部から弾けるようにして散っていた。
「バカ……な……!?」
 アーオイルが、見開いた目で私を見ていた。
「フローラの子ども如きが、何故、これほどまでの力を……ありえん! 我らアーオイルこそ、新たなる神の一族! 創世の、神々の力を──!」
「興味がない」
 揺れる髪をそのままに、私は踵で拍を打つ。
 終わりに向かい、剣を握る。
「世界の創世にも、真実にも。ましてやこの世界を生み出した神々のみんなにも、私はまったく、興味がない」
 ただひとつ、耳に届く音。その終音に、「私は私の思う私のために。みんなの思う、勇者として!」
 剣を、突き出す。
「この世界を、生き抜いてみせる!」
 閃光の十六連撃。
 剣の舞に、闇が散る。
 何かの叫びのような不協和音が響いて、腐臭と腐肉が弾けるように飛び散って──「ダカーポ!」
 私はそれら全てを振り払うように、
「アル・フィーネ!」
 閃光の最後を撃ち放った。

「勇者ちゃん!」
 と、円形広場に最初に飛び出してきたのはアルさんたちだった。
「ゆ……!」
 そして私に言葉を投げかけようとして言いよどみ、息を飲んだ。
「ククク……」
 私は低く喉を鳴らし、返す。
「遅かったなぁ、アルベルト・ミラルス」
 円形広場の最奥。崩れた壁の上。白く輝く巨大な鉱石を背に、私は続けた。
「これが、貴様らが破壊しようとしていた、聖地ルルスを守る魔力の壁の発生源か?」
「勇者ちゃん、何を……」
「ふむ……実に見事な錬成石だ」
 見上げる程に巨大なその石は、白く、弱く、ゆらゆらと光を放っていた。
 石の組成は、今では失われた錬金技術と、膨大なマナの力がなければ生成できないものだと直感的にわかった。これを破壊すれば、二度と同じ物は創りだせないだろう。神にも届こうかという、アーオイルの力の結晶。古のアルケミストたちの遺産。
「実に惜しい……」
 手を伸ばす私に、
「勇者ちゃん!?」
 と、円形広場に駆け込んできた師匠さん、アカーシャさん達のパーティーメンバーからも声があがった。
「何を!?」
「どうする気だ!?」
「何を? どうする?」
 それを見、返す。
「決まっている」
 そう、決まっている。
 私は石へと振り向き──目を伏せてひとつ頷いた。
 わかっているさ。わかっているからこそ、剣を握り直して──ニヤリと笑って、
「私が、イチバンだー!」
 セプト・エトワールの七連撃。
 鉱石が砕け、光が散った。
「あっあー!」
「畜生! 負けたー!」
「あれ~? そんな話でしたっけ~?」
「よーいドンって、突入前にニケが言ってただろ」
「言ったっけ?」
「言ってたよ」
「そういえば、そんな事も言っていたかもしれませんねぇ」
 砕けた石が、光となって空へと散っていく。
 溢れる光の中で、みんなが思い思いの言葉を口にしている。
 世界へ散っていく光に目をやって、私は思う。
 聖地ルルスを覆っていた魔力の壁が破られたことによって、アウラのマナは再び循環を始めるだろう。
 淀んだマナは循環の中で少しずつ力を取り戻し、荒涼とした大地に、やがて命を呼び戻す。
 世界はやがて、元の姿を取り戻す。
 何十年先か、何百年先か。このカラニアウラの空を覆う雲が晴れる頃に、世界は、再びひとつとなるだろう。
 私は静かに剣を納めた。
 再び時を刻み始めた世界。それは──澱んだマナの停滞する世界でしか生きられない、アーオイルという種族の滅亡を意味している。
 静かに滅び行く世界を、救う。
 いつか、どこかの誰かが言っていたという。「世界を救うってのは、滅亡の矢面に立つって事だ」
 振り向く視線の先で、我が相棒は腰に手をあてた格好のまま、軽く笑っていた。「それでも世界を救うなら、それなりの理由を、自分自身で見つけるしかねぇんだ」
 円形広場へ飛び降り、仲間の元へと向かう。
 笑うように、おどけるような足取りで。
 私は世界を救う。
 この世界に生きる、勇者として。

 聖地ルルス。
 それはカラニアウラの中心。巨大な真円を描く湖の真ん中にあった。
 ルーフローラのオルムの聖地、ナンムアリルによく似たそれは、あの聖地と同じように弱くマナの光を纏い、ただ静かに、そこにあった。
 すり鉢状にへこんだ大地を湖に向かって下っていく朽ちた巡礼路を、私達はそれを右手に眺めながら進んでいた。巡礼路の向かう先は、湖の畔にある小さな町、魔力の壁の内側にただひとつ残されたという、オルムたちがルルストリアと呼ぶ、最後の町だった。

 巡礼路の先のその町には、誰の姿もなかった。
 ただ、錬金技術で作られたのであろう神殿様式の建物たちが、数百年の時を経てもなお朽ちることなく、静かにそこにあるのみだった。

 湖の畔に沿って、低層の神殿が弧を描いて聖地をぐるりと取り囲んでいる。
 そしてその神殿に収められた無数の列柱のすべてには──錬金術で作れた鉱石の列柱のすべてには──老若男女、無数の人が収められ、眠っていた。

「これは……」
 私は呟く。
 アルさんも同じものを見て、呟くようにして言った。
「アーオイル……なのか?」
「その通りです」
 レイさんが軽く息をついて返す。「まぁ、今更この程度の解説は私がしてしまっても問題ないでしょうから言ってしまいますが……」
「この無数の列柱のすべてに、アーオイルが眠っています」
「アーオイルは、普通にはこのアウラでも、長くは生きられませんのでね」
 帽子に手をかけつつ、ネリさんが続いていた。
「ほとんどのアーオイルはこうして、封印されたまま、新しい世界の創世を待っているのです」
「実際に目を覚ましているアーオイルってのは、じゃあ、そんなにいなかったって事か?」
 列柱の周りをぐるぐると歩き回りながら、アルさんは聞く。「ですね」「具体的に何人とは我々は設定してはいませんでしたが、そういう事です」
「そうか」
 何か思うことがあるのか、まあ、私も口にはしないが、アルさんは列柱のひとつに手をかけて呟いていた。
「そうか……」
「おっと、きましたよ~」
 エルさんの声に、私達はエルさんの視線の先を見た。
 延々と続く列柱が並ぶ通路の向こうから、一人の巫女がゆっくりとこちらに向かって歩いて来る。
 わずかに透けて向こうが見えるその肌に、理解する。鉱石魔神だ。それもおそらく、かなり高位の。
「ちなみにあの巫女は、ヒヒイロカネの鉱石魔神らしいぜ」
 ダガーさんのいうそれが何かは私にはわからない訳だが、彼女はゆっくりと私達の前にやってくると、立ち止まり、言った。
「お目覚めになってしまいましたか?」
 抑揚のない、事務的な問い。
「残念ながら、アルス・マグナ様の新世界は、まだ創世されておりません。こちらへどうぞ」
 と、巫女は私達の脇を抜けていく。
「……どういうことだ?」
 その背中を視線で追いなから、アルさんが呟いて首を傾げた。
「封印されている人たちが、何かの拍子で目を覚ますことがあるってことか?」
「さあ?」
 と私も首を傾げ、どこかへと向かう巫女に続き、歩き出した。
「どうなん?」
 巫女に続いて歩きながら、アルさんは肩越しに振り向いて聞いた。私に対する問いではないのはわかっていたのて、そのままスルーするように私も背後に視線をやる。と、
「まあ、そういうことなんでしょうね」
 レイさんが少し肩をすくめるようにして続いていた。
「ニケ的にはこのイベント、よくわかんなかったんだよね」
 と、ニケちゃん。
「まあ……その方が良いんじゃないかな」
 などと、チロルさんも少し眉を寄せ、苦笑するようにして言っていた。
「なんだ、なんかあんのか?」
 アルさんが言って、巫女の進む先に視線を戻す。
 わずかに弧を描いてずっとずっと続く列柱の先に、部屋の入り口のようなものが見えていた。
 巫女はその先へと、静かに進んでいく。
 私達もまた、それに無言で続いていた。

 その部屋の中心には、ひとつの、大きな炉のようなものがあった。
 巫女はその脇に立ち、私達の方を見て、ゆっくりと告げた。
「再び眠りにつくために、新たな列柱を錬成いたします。どうぞ、炉の中へ」
「いや、中へって……」
 アルさんが眉を寄せて返す。
 私にもわかる。
 あの錬成炉は、もはや動くこともかなわないだろう。部屋には、今の私では理解できないような複雑な文様が張り巡らされていたが、それは光を失っていて、どう考えても生きているようには見えない。それに、炉の周りには、砕けて光を失った鉱石が無数に散らばっている。
「どうみる?」
 顔を寄せ、アルさんが聞いた。
「賢者の石を使うかい?」
「使うほどではないとは思うが……」
「私の意見を聞いている?」
「まあな」
「あの炉は、動かないだろうね」
 炉と、その隣の、薄くなって向こうが透けて見える巫女を見つつ、私は言った。
「仮に、アーオイルが目覚めてここに連れてこられたとしよう」
「うん」
「で、炉に入ったとして、あの炉が動かないか、仮に動いたとしても不完全だとしたら──」
「うん」
「あの鉱石は、そう言うことなんじゃないかなぁと思う」
「いやな話だ」
「まぁ、世界を救おうっていうんだから、それくらいの覚悟はいるってことでしょう?」
 私とアルさんの会話を後ろで聞いていたニケちゃんが、「何の話?」などとチロルさんに聞いていたが、チロルさんは答えにつまっていて、レイさんは「サブイベントありますけど、やります?」などと言っていた。
「ここまで来てなんだが」
 腕を組み、アルさんは巫女に向かって言った。
「俺たちは、アーオイルじゃないんだ。むしろそちらにわかるように言うなら、フローラの子どもたちって奴だ」
 その声に、巫女は何の反応もせず、じっと私たちを見つめていた。
 ハテナと小首を傾げて言葉を待っていると、巫女はやがて二、三、瞬きをして、ふと歩き出したのであった。
 そしてそのまま、しずしずと彼女は部屋を出ていった。
「……理解できなかったのかな?」
 消えた背中に向かい、アルさんが呟く。
「どうだろうね」
 返し、私も息をついた。おそらくはあの巫女も、もうそれほど長くはないのだろう。ヒヒイロカネなる鉱石がどれほど上位の鉱石かは知らないが、賢者の石ではない以上、永遠に動き続ける事はかなわず、オルムの鉱石巫女たちと同じように、やがては光を失い、消えてしまうのだろう。
「探索します? いくつかサブクエストがありますので、この辺の話も語られますが……」
 レイさんの言葉に、ネリさんが続いていた。
「いやぁ……どうもそんな時間はなさそうですね。もう時期、17時になります」
「リアルの?」
「おう、もうそんな時間か」
「ではこちらへ」
 と、レイさんは炉の奥の方へと向かって歩き出していた。炉に隠れて見えなかったが、そこには湖方面へと向かう、通路のようなものがあるようだった。

 通路は神殿から外へ、湖に向かって桟橋のように延びている。
 レイさんを先頭に、私たちが言葉もなくそこを進んでいくと、不意にアルさんが声を上げた。「あ」
「イベント終わった」
「イベント?」
 眉を寄せ、返す。
 それは丁度神殿の軒下を抜けたところで──眼前の視界が開け、湖の向こう、真正面に聖地ルルスが見えた時だった。
「あれが……」
 呟いた私の声は、突如湧いた喧噪に飲み込まれてかき消えた。何事かと左右を見回すと、左右の湖岸に、たくさんのエクスプローラー達の姿が見えた。
「え? どういうこと?」
 先を行くレイさんとアルさんに続きながら、左右を見つつ聞く。何人かのエクスプローラー達は私たちに気づいて、「おお」と声を上げていた。「あそこから出てきたってことは、あの人達、マジでこのタイミングでラストシナリオに入ったのか?」「マジでか」「ルルスにどうやって渡ることになるんだろう?」「無茶するなぁ」などと。
 エクスプローラー達の中に、師匠さんやヴィエットさん、アカーシャさん達の姿もあった。これはなんだ? どういう事だ? 先ほどまではみんなの気配は全くなかったのだが……インスタンスイベントってやつか?
 そして今、こうして多くの皆の声が聞こえていると言うことは──
「始まりますよ」
 桟橋の先端にたどり着いた私たちの背中へ、ちょいと帽子を直しながらのネリさんが言った。
「真の、ラストイベントが」
 かっと、眼前の聖地ルルスから巨大な光が立ち上り、その光が天を撃った。
「なん……!?」
 強烈な閃光に、私は思わず腕をかざして目を細めた。
「終わりの始まり」
 ネリさんが言う。
 エクスプローラー達の間からは、歓声のような声があがっていた。
「ついに、この時が訪れたか」
 光に向かって、アルさんが呟いていた。
「ネリ、あれは何だ?」
 ダガーさんは微かに口許を緩ませ、聞く。
「ええ……間違いありません」
 帽子の鍔を下げ、ネリさんが返す。
「ついに、賢者の石が復活し、その力を取り戻したのです」
「ということは──ッ!?」
 息を呑むように、レイさんが声を発していた。
「あれは、アルス・マグナ復活の光……!?」
「そんなイベントあったっけ?」
「いや、ないけど」
 ニケちゃん、チロルさんに、
「ないことないこと~」
 などと、エルさんがほわんほわん、続いていた。
 うん……ええっと……
「つまり、そういうことだ」
 言い、アルさんは光を背に、私に向かって振り向いた。いやいや、何もつまっていないが、
「つまり?」
 と、私は聞く。
「っていうか、他のエクスプローラーたちもあれを見てるってことは、これはメインシナリオのそれじゃないんでしょ? あれはなに?」
「おやおや~、勇者の口から出てきてほしくない言葉ですよ~」
「まあ、それはそうなんですけどね」
 言って、レイさんも笑っていた。
「あれは、パブリックイベントって奴です」
「つまり?」
 聖地ルルスから立ち上った光は、真昼の太陽のそれように私たちを照らしている。
 湖畔に集まっていたエクスプローラー達が、その光を前に、わいのわいのと盛り上がっている。
 これはつまり──?
 アルさん達が、光を背に笑っていた。
「つまり」
 あれが賢者の石の力によるものなのか、それとも膨大なマナの力によるものなのか、私にはわからない。けれど、いずれにせよ、ひとつだけ確かなことがある。
 あの現象は、この世界に生きる全ての冒険者達の前で起こっている。
 世界に、確かに、何かが起こったのだ。
 そしてアルさん達はそれが何かわかっていて、わかっていて、あえてそれに挑むつもりなのだ。
 光を放つルルス。
 それを背に、アルさんは言った。
「今日が、残り一ヶ月の日なんだ」
 いつか、ネリさんが言っていた。
「じゃあ、あの光って……」
「終わりの始まり」
 アルさんは言う。
「世界を賭けた、最後の戦いの狼煙とでも言うべきか?」
 終わりの始まり。
 最後の戦い。
 アーオイルの最終侵攻が、今、始まろうとしている。
 つまり──
 光を背に、アルさんはニヤリと口許を曲げて見せながら、言った。
「どうせ世界を救うんだ。それなら、一番カッコ良くやんなきゃ、損だろう?」
「同意しかねるね」
 私は首を振って、仕方がなくて、ひとつ息をついた。
 けれど、「ま」
「やるよ」
 光へ向かって歩き出しながら、言った。
「私はこの世界を救う、最後の勇者だからね」


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