studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2021.09.25

勇者ちゃんの、勇者の資質(前編)

Written by
しゃちょ
Category
読み物
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 下の世界、カラニアウラの昼は薄暗く、空は常に厚い雲に覆われていた。
 荒涼とした大地に転々と存在するオルムの遺跡には、寄り添うようにオルムの子孫たちがほそぼそと暮らしていたが、その数はごくわずかで、古きオルムの作り出した鉱石魔神の方が多いくらいであった。
 静かに滅び行く世界、アウラ。
 私たちはオルムの古き言葉に従い、その世界の遺跡を辿りながら、アーオイルの聖地、ルルスを目指していた。
 空を飛べば──というのは最もな話なのだが、アウラの空は聖地ルルスを中心に、巨人との戦いの際に構築された魔力の壁によって覆われていて、その空を自由に飛ぶ事はかなわなかった。
 アーオイルが賢者の石の欠片を再び賢者の石に結合し、輝かせるためには、この澱んだマナの停滞する大地ではそれなりの時間が必要だろうというのが、ナルフローレの見解だった。どれほどの期間が必要となるかはわからないとの事であったが、私たちとナルフローレの聖騎士達は、いくつかのグループに分かれ、いくつかのルートで聖地ルルスを目指していた。
「代わり映えのしない世界だな」
 台地の上から、アルさんは広大な荒れ果てた世界を見下ろし、呟く。
「静かに滅び行く世界……だって」
 私は隣に立ち、それに返した。
「なんでこんな風になっちゃったんだろうね……」
「オルム曰く」
 アルさんが返していた。
「世界の公理、摂理、その創世に手を伸ばしたが故に、世界によって滅ぼされようとしているとかなんとか」
「人が神になろうとしたが故に?」
「さてね? 俺は別に神の力には興味がないんで、さっぱりわからん」
「私も、別にないけども」
 ひとつ息をついて、私もまた荒涼とした大地を見下ろしながら呟いた。
「アーオイルはなんでまた、そんなものに手を伸ばそうとしたんだろうね」
「ん?」
 アルさんは私の横顔を見、喉を鳴らすようにしてから聞いた。
「それは勇者ちゃん、俺に意見を求めているのか?」
「別に求めてはいないけども。考えがあるなら、聞くよ」
「別にない」
「でしょうね」
 静かに滅び行く世界、アウラを向こうに見つめながら──アルさんは言っていた。
「何かの理由があったんだろうと思いたいのか? まぁ、この旅路でそれを知ることも出来るとは思うが……」
「で、知った上でさ。それがもしも……もしもだよ? 共感できるような内容だったとしたら、アルさんはどうする?」
「世界を滅ぼすこともやむなしとするかって?」
「いや……まぁ……そうなるのかも知れないけれど……」
「それは……その時にならなきゃわからんな」
「ずるいな」
「おう」
 そして、アルさんはいつものように笑っていた。
「そもそも俺は勇者じゃねぇし、救世の英雄でもないしな」
「押しつけようとしてる?」
「昔、世界を救ったとある魔導士が言っていたんだがね……」
「なにをさ?」
「世界を救うってのは、滅亡の矢面に立つって事だ」
「どういうこと?」
「つまり滅亡の矢面に立つって事は、見たくもねぇモンも見なきゃならねーし、知りたくもねーようなことも聞かされちまうし、いいことなんか、なーんもねぇって事だよ」
 アルさんは滅び行く世界のはるか向こうを見つめながら、
「それでも世界を救うなら、それなりの理由を、自分自身で見つけるしかねぇんだ」
 そう言って笑い、歩き出した。
 理由──ねぇ……
 その背中へ、
「ああ……女の子を助けるためとか?」
 と、言うと、
「それ以上の理由はいらねぇな」
 歩きながら振り向きもせず、アルさんは左手をひらひらと振っていた。
「……そんなことだろうと思ったよ」
 仕方なくて、私も一つ息をついて、その背中に続いた。

 アウラの世界の遺跡を一つずつ進み、私たちは遺跡の門石を解放しながら旅を続けていった。
 たまにルーフローラに戻り、錬成石や消耗品を買い足しては戻り、進み、オルムの遺跡を皆で調査したりなんだりして──そんな旅路の途中。
 珍しく私の生まれ故郷、王都の城下町、あの出会いの酒場で宿を取った日、「なんで王都? ここなら、私の家まで行った方がよくない?」「いや、今日はちょっといろいろあってな。こっちの方が、面倒がなくていいんだ」なんて話をした、その夜の事だった。
 ざあざあと、雨の降る、夜の事だった。
 アルさんと別れ、いつもと同じように借りた個室でベッドに潜り込み、後は朝までぐっすり──のつもりが、いつもはそんな事はないのに、やけに雨音がうるさく感じて、私は目を覚ましてしまったのであった。
「む……」
 唸る。が、ざーと絶え間なく降り続く雨に、やけに目が冴えてきてしまう。
 こまったな……寝酒でもかっくらって、えいやっと寝てしまうか? などと考えつつ、そろそろと部屋のドアを開け、私は階下の酒場へと降りていった。
 酒場はもう店じまいなのか、客の姿は一人もなく、カウンターの向こうでは店主が店じまいの準備を始めていた。おおっと、迷惑かな? などと考えつつフロアに降りると、そこに、「おやすみ」と言って最後に別れたその場所に、棒立ちと言った感じで何故かアルさんが立っていた。
「あれ? なんで?」
 と、声をかけると、アルさんはふっと意識を取り戻したかのように顔を上げ、すぐさま外へと駆け出していった。
「ちょ……!」
 慌てて追いかけ──
 ざあざあと、雨の降る夜だった。
 酒場を出た私とアルさんの前に、チロルさんが立っていた。
 高貴な、私達をいつも守ってくれる白い鎧が、ざあざあと降りしきる雨の中、ひどく濁って見えた。
 言葉はなく──チロルさんは俯いて、唇を噛んでいて──雨の中を、レイさんとエルさんが駆け寄ってきて──エルさんはすぐさまチロルさんの肩を抱き、「とりあえず、中へ」と、彼女を酒場の中へと連れて行った。
 レイさんが、アルさんに聞く。
「……どこまで、知っていますか?」
「あまり……」
「先に言っておきます」
 レイさんは言った。
「これは、ルールのある、ゲームです。今回のPCの行動は、明らかにバグを利用した不正行為です。運営に報告すれば相手はバンされますし、彼女の勇者も、元に戻ります」
「わかってる」
「チロルさんの勇者って……むぎちゃんに何か!?」
 私はレイさんに詰め寄った。あんなチロルさんは見たことがない。何か、大変なことが──
「落ち着いてください」
 レイさんは言った。
「あなたにわかるように言うなら、そうですね──私達と同じエクスプローラーが、何処かで手に入れた眠りの石を使って、チロルさんの勇者を襲いました」
「!?」
「彼女の勇者は、今、覚めない眠りの中にいます」

 何が起きているのか。
 解らないまま、酒場のテーブルについてうなだれているチロルさんを見ているだけしかできない。
 隣のエルさんがチロルさんの肩を抱いている。
 アルさんとレイさんは、少し離れたところでそれを見ているだけで、いったい何が起こっているのか、何も話してはくれない。
 ほどなくして酒場にネリさん、ニケちゃん、そして何故か酒場の厨房の方から、ダガーさんが現れた。
「ニケ、チロルさんもホームにつれてく」
 と、ニケちゃんはチロルさんの肩を抱き、鍵石を取り出していた。
「すみません、お願いします。チロルさん、やっぱり一度、ホームに行きましょう。アルさんには、私たちから話しておきます」
「他の皆さんは?」
 と、ネリさん。他の皆というのは、多分、アカーシャさんたちの事だろう。
「むぎちゃんを連れて、先にホームに飛びました」
 返すエルさんに、
「じゃ、私もそっちですね」
 一つ息をついてネリさんは返し、チロルさんの手を取ったニケちゃんと一緒に鍵石を発動させ、ふっと三人、その場から消えた。
 そして──雨音だけが、そこに残った。
 何が起こっているのか、さっぱり私には解らない。
「さて……」
 言って、ダガーさんがテーブルについていた。
「アルよ、何が知りたい?」
 問いかけに、アルさんもテーブルに歩み寄って腰を下ろし、
「具体的に何があったのか、まったく解ってない」
 ため息混じりに、頭を掻いた。
「なるほど」
 言い、ダガーさんは片目を閉じてテーブルの上を人差し指で掻くように小刻みに動かしつつ、聞く。
「チロルさんの配信は見てねーな?」
「無論、見ていない」
「だよな……まあ、タイムシフトで見るのが一番手っ取り早い気もするが……それだとネタバレになるしな……判断はお前に任せるが……」
「お前の言葉を信じる。おまえの主観でいい」
「おっと、責任重大だな」
 そしてダガーさんは軽く居住まいを正し、
「さて。どう話したものか……取りあえず、みんなも座れ」
 言って、ダガーさんは手招きをした。ええっと……となりつつも、とにかく私もテーブルにゆっくりと腰を下ろした。
 皆がテーブルにつく間に、ダガーさんは人数分のカップにころころと錬成石を入れ、インスタントにコーヒーを錬成していた。
 そしてそれを配りながら、
「さて、これは勇者ちゃんには理解できる話なのかね?」
 言いつつ、私を見て口許を曲げて見せる。いやいや、言われた私的には、
「いや、なにがあったのか全く解らないから、とりあえずはあったことを話してもらわないことには」
 と、返す。
「まあ、そりゃそうなんだがな」
 言って、コーヒーを口に付けながら、ダガーさんはレイさんを見た。
「ネリは向こうに行っちまったから聞けねーが……レイさん、これ、勇者ちゃんはどこまで理解できると思う?」
 問われたレイさんはコーヒーのカップを手元に寄せつつ返す。
「どうでしょうね……いかんせん、彼女が認識している世界とは別の世界線の話ですし、リアルも絡みますしね……」
「いや、取りあえずは話してくれないと」
 私はレイさんの言葉を遮りつつ、カップを脇に寄せて聞いた。
「私には、何がなんだかさっぱり解らないよ。チロルさんとむぎちゃんに何があったの? 覚めない眠りってなに?」
 私はレイさん、ダガーさんを代わる代わるに見、問う。けれど、ふたりは困ったように首を傾けるだけで、
「アルさん……」
 両手でカップを包むように持っていたエルさんが、ゆっくりとした調子で言っていた。
「ここは、アルさんにお任せしますよ。正直、これは勇者ちゃんは知らなくてもよい事だと、私的には思います。今ならパーティを解散してしまえば、チェックポイントまでのロールバックも選択可能ですから、勇者ちゃんを巻き込まないようにするのであれば、今の内にパーティを解散して──」
「待って、エルさん」
 私は手を突きだし、エルさんを止めた。
「ちょっと何を言っているのか解らないんだけど、もしかして、私の事をのけ者にしようとしている?」
「これは……」
 困ったように、エルさんは苦笑していた。
「第六世代らしい反応をされてしまいました」
「で、いいのか? アルよ」
 コーヒーを啜りながら、ダガーさんは片目で聞いていた。
「どういう反応をするか解らんし、理解できるかも解らんけど、このまま続けるのか?」
 私はダガーさんの台詞を受け、アルさんをじっと見た。じっと、見つめ合う時間がしばらくあって──
「ま、ありのまま、そのまま話していいんじゃねーの?」
 アルさんは一つ息をついて、ダガーさんに向かってそう言った。
「理解できるかは、わからんが」
「馬鹿にしてんの?」
「そういう訳じゃない。が、多分、ダメなんだ」
「聞いてみなけりゃ、解らないよ」
「まあ、そう言うだろうとは思ってたけどよ」
 ため息混じりに言って、
「配信も入れた。そのままいこう」
 アルさんも一口、コーヒーをすすった。
「ここで話すのか?」
 ダガーさん。
「インスタンスに場所を変えてもいいんだぜ?」
「いや、チロルさんは、話せればここで話すつもりだったんだろ? さすがに荷が重すぎたみてーだけど……配信していたからって責任感もあったのかも知れないが……知りたいのは皆同じだ」
「荒れるぜ?」
「その時はその時だ」
「その時はもう来ちゃってる気もしますがね……」
 ため息混じりにレイさんは言って、酒場の入り口に視線を送った。つられ、見ると、いつの間にかドアの両脇に師匠さんとヴィエットさんが立っていた。「問題になりそうなら、押さえとくよ」「ありがたい」「後で奢れよ」
「さて」
 コーヒーのカップを脇に寄せ、ダガーさんは続けた。

「今日、チロルさんたちのパーティーが、アルス・マグナに挑んだのは知っているな?」
 じっとアルさんを見て言うダガーさんに、アルさんは目を伏せて頷きながら返す。
「もちろん。その打ち上げの約束をしてたから、わざわざ昨日、ここでログアウトしといたんだ」
「おっと、殊勝じゃねぇか」
「お前だって、そのためにそこで落ちてたんだろ?」
 と、厨房の方を指さすアルさん。ダガーさんは振り向きもせず、鼻を鳴らして続けていた。
「まぁな。いや、それで、ラストシナリオだ」
 「うん」と頷くダガーさんに、
「チーム元女子大生と、レイシュとエルでやったと聞いているが?」
 アルさん。「そうだ」と返して、ダガーさんは続けた。
「だがまあ、二人は直接現場は見てない。だよな?」
 視線を向けられたエルさん、レイさんは小さく頷き、
「はい」
「残念ながら……」
 言葉を濁すようにして返す。
「んで、ラストバトルのアルス・マグナ戦だが──」
 と、続けようとしたダガーさんに、私はちょいと手を挙げ、聞いた。
「ええっと……あの……アルス・マグナって……」
 それはアーオイルの王で、賢者の石を錬成したアルケミストで──私たちが今まさに向かっている聖地にいるという、アーオイルの事ではないのか?
「なんでチロルさんが……? それに挑んだ?」
「おや、早速混乱してきましたね」
「勇者ちゃん、取り合えず最後まで話を聞きましょう。質問はあとでまとめて聞きます」
 と、レイさん、エルさんに言われ、お、おう、と私は前のめりになっていた身体を椅子の背もたれに戻してコーヒーを口に付けた。苦い。
 ダガーさんは続ける。
「で、だ。アルス・マグナ戦だが……まあ、99レベル四人に、平均90越えのパーティーだからな。苦戦はしたものの、一人も欠けることなく、無事、アルス・マグナを撃破したんだ」
「じゃ、その後に?」
 聞くアルさんに、
「ああ」
 ダガーさんも椅子の背もたれに寄りかかり、背筋を反らしながら続けた。
「あれを倒すと、いったんエンディングに入るんだ。割となげぇ個別インスタンスでの自動イベントなんだが……で、エンドロールまで全てが終わると、この出会いの酒場前の広場にワープするんだな」
「ちょっとネタバレになってしまいますが……」
 レイさんがコーヒーを手にしたまま続く。
「アーオイルの脅威を知らぬままのルーフローラでは、勇者が世界を救ったという事実は公表されないんですね。で、プレイヤーと勇者は、王宮で内々に武勲をたたえられ、真の勇者の称号を得たりするんですが……最後、二人は再びこの世界に旅立つために、この場所で再び出会う──という終わりになるんです」
「大分ネタバレしちゃいましたが、まあ、そういう固定イベントなんですね」
 エルさん。小さい吐息。
「つまり、リポップする場所は全プレイヤー共通となっていて、配信を見ていた人なら、チロルさんとむぎちゃんがリポップする時間も場所も、解っていたという事なんです」
「ラストシーンですので、二人だけにしてあげようと、二辻ほど離れたところで待っていたんですが……それが逆にあだとなりました」
 じっとアルさんを見、レイさんは少し顔を歪めていた。
「突然……本当に突然、辺りのテクスチャが歪んで真っ暗になりまして……今思えば、あれは多分、システムが例外を処理して自己修復したことによるリロード処理の影響だったんでしょう……」
「そんなに大規模な事が起こったのか?」
「ええ」
 アルさんの問いに、エルさんはゆっくりと頷いて告げる。
「辺りは騒然となって、いやな予感に騒ぎの中心に駆けつけると──そこにむぎちゃんが倒れていて、チロルさんが必死に彼女の名前を呼んでいました」
 すぅ……と、アルさんが意を吸い込んだ音が聞こえたような、そんな気がした。
 私は、話に半分もついて行けていない。何がどうしてどうなったのか、根本はまったく理解できていなかった。ただ──チロルさんとむぎちゃんが二人だけでいた所を何者かに襲われて、そしてむぎちゃんが倒れてしまった──レイさん曰く、覚めない眠りに落ちてしまった──と言うことは、理解できた。
 そしてそれを、
「私たちと同じ、エクスプローラーが……?」
 やったと、レイさんは言った。
「なんで? なんでエクスプローラーがチロルさんを? 意味わかんないんだけど?」
「それはまあ……」
 頭を掻きながら言葉を濁したアルさんの台詞を、レイさんが繋いでいた。
「妬み嫉み──勇者ちゃんには難しいかも知れませんが、MMOってのは、そういった感情なしには語れないものなんですよ」
「いや……」
「でだ」
 話を戻すダガーさんに、私は口をつぐむ。
「その犯行グループのメンバーだが……計三名。アカウントはすでに特定されている」
「本家フォーラムにこの件のスレッドが立ちましてね……そこで晒しがあったようで……まあ、自業自得ですが」
「それなりに目撃者もいたし、犯人は例の晒しスレで犯行予告をしていたみてーでな。運営からのアナウンスはまだ出てねーが、正直、ちょっとした事件になっている」
 言いつつ、ダガーさんはちょいと頭を動かして酒場の入り口の方を見ていた。視線を送ると、師匠さんとヴィエットさんの他、何人かの顔見知りの冒険者達の姿がそこにあって、「ダガーさん。セルフィさんがシステムログを取り出したそうだ」「ハイドして観察していたらしい」「ほめられた行動じゃねぇが、ログが貰えるのはありがてえ。オレとネリのアドレスを教えていいんで、送っておいてもらってくれ。チロルさんにはつれーだろうが、運営への報告は彼女にやってもらわなきゃならんだろうしな」
「さて」
 テーブルに腕を付き、身体を前に倒しながらダガーさんは言った。
「使われたと思われるバグについてだが、既にある程度の情報は耳に入ってるな?」
「ネリから教えてもらった程度だが」
「我々もネリさんに教えてもらった程度の情報しかないのですが……」
 レイさんは言う。
「このバグは、アップデート1の頃に錬成石バグの一部として発見された物と同種のものではないかと言うことです」
「オレの情報によると、どうもその時代につくられた錬成石の残りが使われたようだな。錬成バグの修正と、アイテムの無効化処理をしたはずだが、それをすり抜ける別のバグを使ったようだ。実際、まさか使えるとはと思ってもみなかったようだが……」
 ふうと息をついて腕を組み、ダガーさんは目を伏せて続けていた。
「なんにせよ、結果として、むぎちゃんはリザレクション不可の、仮死状態になっちまったというわけだ」
「仮死って……」
 私はエルさんに向かって聞く。
「エルさんなら、それくらい何とかなるんじゃないんですか?」
 神の力を使いこなす導師、エルさんなら死者を蘇らせる事すら出来る。仮死って、その程度のこと──
「残念ながら」
 エルさんはアルさんを見たままで続けていた。
「完全なる状態回復魔法をもってしても、この状態異常は回復できませんでした。そもそもネリさんが言うには、本来は使用されていないはずのフラグが立ってしまっているようで、そのフラグを戻す術は、現状、実装されていないようなのです」
 そしてため息と共に、ダガーさんが最後に告げていた。
「現状、彼女を目覚めさせるには、事が起こる前の状態に戻すしか術がない──つまり、チェックポイントへのロールバック以外には、方法がないんだ」

「失礼します」
 突如かけられた声に、私はびくりとして振り向いた。
 振り向くと、いつの間にそこに現れたのか。がちがちのフルプレートに身を包んだひとりの王宮騎士が背後に立っていた。
 酒場の入り口に目をやると、師匠さんやヴィエットさんたちが入り口を塞ぐように立っている。どうやって──しかも私たちに気づかれる事なく──テーブルに近づいたのか。私は反射的に剣に手をかけたが、
「おや、GMがきちまった」
 背を反らしながら気の抜けた風に言ったダガーさんに、その手を下げた。
「すみませんが、まずは配信を停止していただきたい」
 騎士さんが言う。
「おっと、大分大事になり始めてますね」
 レイさんは苦笑。入り口の方にいた師匠さん達も近づいてきて、
「こっちは、何も違反行為はしてないが?」
「むしろ、犯人に対して対応はしたのか?」
「公式のアナウンスも出てないけど?」
 と、口々に言う、
 しかし騎士さんはそれには応えず、
「配信を停止してください。このままですと、あなた方は安定運営に対する妨害行為をしたとして、アカウント停止処置の対象となります」
「おおっと」
 軽い感じにダガーさん。
「だってよ」
「そいつは本意じゃねぇな」
 アルさんは口許を曲げ、
「配信は停止する。とりあえず俺たちは一旦、状況の整理と、そちらからのアナウンスを待つ態勢に入る。コメント欄の皆さんも、一旦ここはひいてくれ」
 言いながら、テーブルをこつんと打った。
「ご協力感謝します」
 と、騎士さんが頭を少し下げ、静かに言った。そしてくるりと振り向き、酒場の入り口の方へと歩いていって、
「配信、切っていただけました」
 その向こうに、声をかけていた。
「それはよかった」
 と、声が返ってきて、
「じゃあ、君はすまないけど、ちょっと酒場の前に集まりつつある人たちに、解散するようにアナウンスしといてくれるかな? アルさんたちはログアウトしたとか、適当に言っといて」
「了解しました」
 そして外へと出て行く騎士さんと入れ違いに、一人の魔導士さんが酒場へと入ってきた。
「どうも」
 と。
「どちらさま?」
 レイさんが皆を見回し、聞いていた。
「ネリさん経由のお知り合い?」
「いや、オレは会ったことねぇな」
「私も記憶にありません。どこかでお会いしたことありますか?」
「ああ、ないですないです。私、ただのあなた達のファンなんで」
 言いつつ、私たちのテーブルへと歩み寄ってくるその魔導士さんを、実は私は知っているのだが……それを言うのはちょっとめんどくさい。
「ああ、この人はえーと……アレだ。アレ? ぶっちゃけて平気? 配信止めたから、いい?」
「説明が一番手っ取り早いだろうから、いいよ」
「紹介しよう、諸君」
 こほむと一つ咳払いをして、アルさんは言った。
「この方は、我々の一介のファンだ」
 違うだろう。
「ついでにいうと、このゲームのP」
「今のこの状況だと、そっちの方が重要じゃないかな?」
 苦笑して漏らした魔導士さんに、レイさんが、
「え? それは、言ってはいけないピー的なものですか? 名前を言ってはいけないあの人的な?」
 それが何かは解らなかったが、的外れなことを言ったのは解る。
「おや~? もしかして、本当に本物のPさんですか~?」
 と、エルさん。通じているらしい。
「そう。いや、俺も証拠は見せられたことないから、本当のとこは知らんけども」
「まあ、GMさんが畏まるようですから、そうなんでしょうね~」
「まあ、責任者様のお出ましって事は理解したが」
 ダガーさんはコーヒーに口を付けつつ、
「それ、プレイヤーアカウントだな?」
 言う。
「特権アカウントならまだしも、プレイヤーアカウントとなると、逆になんかの意図があるのかねと邪推してしまうんだが?」
「いろいろあるんですよ、こちらも」
「まあ、対等な立場で、という話ならいいけどもよ」
「あ、そうだ、ダガーさん。私もダガーさんの低温調理ステーキを食してみたいんですけど、お願いしたら作ってくれます?」
「おう、もちろんだとも。ならばさっそくフレンド申請を飛ばしておこう」
「やっぱりただのファンじゃねーか」
 宙をつんつんしているダガーさんと魔導士さんに、ふんと鼻を鳴らすアルさん。「否定はしない」と返す魔導士さんに、「つまり、私に再びマルトレア平原に赴き、接待用の最高級の肉を調達してこいと、そう言うことですね」「では、私は上等な錬金術師のワインを~」レイさん、エルさん。
「おい」
 話が脱線転覆しているぞと言うことは、さすがの私にも分かる。
「話、戻して」
 言いつつ、私はわざとらしくばんばんとテーブルを叩いた。
 魔導士さんは苦笑しながら、テーブルの脇に来て続けた。
「パーティー、解散させないんですか? アルさん」
「こいつのことだから、ロールバックしても覚えてる可能性があるぞ? うらみつらみその他で」
 なんだと?
「いや、さすがの第六でも、そこまでのことはないと思うけど……」
 首をひねりながら、「まあ、そこはプレイヤーに任せますけどね」と呟き、魔導士さんは言った。
「とりあえず、配信は止めてもらった訳だけど、このまま共通インスタンスで話をされていると、それはそれで困ってしまうな。どこか、プライベートインスタンスに行けないかな?」
「監獄」
「あそこ、パーティー、機能しないんだけど」
「ここから一番近いのなら、勇者ちゃんの家ですかね~。パーティー組んでいれば、誰でも入れますし~」
「外には出ずに移動してもらいたいなぁ……割と人が集まり始めてるんだよね」
「おや、だと無理ですね~」
「チロルさんにはアレですが、我々もチロルさんのホームに行きますか? 彼女が落ち着いたのなら、彼女の意見も聞きたいですし……」
 レイさんに、
「まあ、どう対応してくれんのかって、追及する相手もいるしな」
 ダガーさん。
「いや、僕、プレイヤーアカウントだからね」
 魔導士さんは苦笑気味に返して続けていた。
「何ができるってわけでもないが……まあでもこちらの話もしたいし、君たちの意見も聞きたいってのもある」
「それはアレか。割とぶっちゃけた話で、他言無用な感じの奴になるのか?」
「どうだろう? 他言しても平気だとは思うけど……まあ、僕の立場的にね。僕が語るべき事ではない、というくらいかな? とは言え、僕は君らのファンだから、できれば僕の口で伝えたい。という思いもある」
「めんどくせぇもんだな」
「そう言わないでくれよ。これでも、誠意を持って対応しようとしているんだ」
「ならばなおのこと、チロルさんには同席してもらいたいですね」
 「ふむ……」と頷き、レイさんはダガーさんを見た。
「ネリさんに状況を確認してもらって、チロルさんのホームに飛びましょうか? 私、メッセ飛ばします?」
「ああ、ネリには今飛ばした」
「あ、でも、魔導士さんはチロルさん家には入れないですね~。ホームのインスタンスは招待制ですし」
「このゲーム、パーティーの招待だとかレイド申請だとか、見える範囲内にいねーとできねーの、不便だよな」
「ゲーム単体では、遠隔チャット機能もありませんしね」
「遠声石も、発動時にリンクさせる物同士が揃ってないといけませんし、効果も一日ですしね~」
「慣れてる人ならどうせ外で連絡取れるんですし、システムでサポートすればいいのにーと思いますよねぇ」
「おや? 軽くディスられているかな?」
 首を捻り、魔導士さん。
「いや、しかしそれを実装してしまうと、勇者ちゃんにどう説明するか、難しくなるからさ」
 返す言葉にアルさん、さらり。
「勇者ちゃん、俺らの使うメッセについての認識は?」
 ん?
「いや、よく分かんないけど、異世界通信的ななにか」
「だって」
「君の勇者は特殊だから」
「ディスられてんぞ?」
「なんでだよ」
「お、メッセ返ってきた。大丈夫そうだ」
 置いてけぼりに進んだ会話を、ダガーさんが締めていた。
「各自、鍵石で飛べ。魔導士さんはアル、連れていってくれ」
「んじゃ、いくか」
 言って、アルさんは鍵石を取り出した手を私の方へと向けた。「師匠たちはどうする?」「気にはなるが、ここは遠慮するよ。これは君たちのパーティーの問題だ」「痛み入るよ」「全部終わったら、酒でも奢ってくれればいいさ」
「いくぞ、勇者ちゃん」
 そして差し出された手に、私は手を重ねた。
 先ほどのチロルさんの姿を思い出してしまって──会ったとき、どう声をかけたものかな──などと考えながら。

 高地高原の夜空は晴れ渡り、満天の星に覆われていた。
 なだらかな斜面に、一軒の丸太組の家。室内からは、弱い灯りが漏れている。
「おや」
 家の前に出てきていたネリさんが、魔導士さんを認めて言っていた。
「なんでいるんですか?」
「まあ、今回の事はそれなりに大事になってしまっているしね」
 と、魔導士さん。
「公式としてもアナウンスもしないといけなくなりそうだし、僕自身が現状を説明した方が、手っ取り早いだろうと思って」
「まあ、そう言って頂けると、私もどこまで話していいかの判断を委ねられるので、いいっちゃいいんですが……」
 言い、振り向く先、チロルさんが建てたというバンガロー風の家の軒下には、ニケちゃんとチロルさんの姿があった。
「あ、ネリくん。リモート申請、許可してあるから。入っておいて」
「マジですか。大分、大変なことになってますか?」
「まあ……それなりに」
 会話する二人。その元へ、軒下で待っていたニケちゃんが数段の階段を駆け下りて走り寄ってくる。チロルさんは鎧を脱いだラフな格好で、それに続くように、ゆっくりと歩み寄ってきていた。
「じゃ、あたし、一旦ログアウトして、チロルさん家いくね」
 と、ニケちゃん。ネリさんに。
「念のため、ノートと無線持ってくね。繋ぎ直すならメッセして」
「まあ、そうなるだろうなとは思ってますが……」
 帽子の位置を直すネリさんの前、返答も待たずにニケちゃんはふっと消えていた。
 そしてそこへ──ゆっくりとチロルさんが歩み寄ってくる。
「すまない。皆に心配をかけさせてしまったな」
 片手をあげて言うチロルさんに、なんと返したものかな……と思っていると、
「いや、謝るのはこっちだ」
 と、アルさんが言った。
「ごめん」
 チロルさんは困ったように眉を寄せ、なんというか──言葉を選ばないのなら、泣きそうな表情で、言った。
「いや、これはアルさんが悪いわけじゃないから。ともかく、家にあがるんだったかな? えーと、そちらの魔導士さんを招待すればいいのかな?」
「どうも、はじめまして」
 と、魔導士さん。
「こんな形でのご挨拶で、誠に恐縮ですが……」
「いえ、ネリさんから軽く聞いています」
 言って、チロルさんは玄関に向かう道を空けた。
「どうぞ」
 そして、私たちは先をいく魔導士の二人に続き、チロルさんのホームへと向かった。
 チロルさんの家は木造の、アルさん曰く、総無垢材の平屋建てで、玄関を上がってすぐの左手が、全ての部屋に繋がるリビングとなっていた。
 その部屋の真ん中、以前にお呼ばれされたときにアルさんとダガーさんが、「この家にあう、無垢一枚板の大きなテーブルを作ろうぜ!」と勢いで言って、そのまま近くの森に入ってその日のうちに完成させたウォールナットの巨大なテーブルに、いつものみんなが座っていた。
「あ、アルさん」
 と、気づいたエミリーさんが腰を浮かせたところで、アルさんがそれを手で制していた。
「ダガー、頼むわ」
「へいよ」
 と、ダガーさんはリビングの奥側にあるキッチンスペースへと向かいながら、「なにか、暖かいものがいいかね」と、それに気づいたチロルさんが、「あ、私がやりますよ」と言っていて、「いや、チロルさんは座って」と、アルさんが彼女をテーブルに促していた。
 少しばつが悪そうに腰を下ろしたチロルさんの斜め前にアルさんが座り、そのとなりに魔導士さんが腰を下ろす。椅子がたりないかな? とか考えていると、レイさんが私をアルさんの正面に促してくれた。レイさんはそのまま、キッチンとリビングを区切るキッチンカウンターに寄りかかって、ダガーさんの手元をのぞき込んでいた。
「さて」
 と、アルさんの声に、私はテーブルに向き直った。
「取りあえずは現状を今一度確認しようと思うんだが……むぎちゃんは?」
「奥にあるむぎの部屋で……寝てますよ」
「ふむ……」
 チロルさんの返答に喉を鳴らして返し、アルさんは、
「で、ネリ。ぶっちゃけ、現状について」
 振り向きもせずに、問う。
「さて……いやこれ、ぶっちゃけて平気ですか? リモートで繋いだんで、インメモリのステータスまで丸見えなわけですが」
「かまわないよ」
 魔導士さんはチロルさんを見たまま続ける。
「いずれにしても、現状を正しく当事者に伝える必要はあるんだ。その上でどうするか、選択をしてもらう必要がある」
 その、「選択」と言う言葉に、皆が魔導士さんを見たのがわかった。その「選択」というものがなんなのか、私には解らなかったけれど、みんなはそれとなく察しているような、そんな雰囲気があった。
「そして──」
 魔導士さんはアルさんと私を見て、言った。
「アルさんがパーティーを解散しないと言うのなら、君の勇者も当事者となる」
「だって」
「うん」
 私は返す。
「今、魔導士さんがアルさんに、今が私をのけ者にする最後のチャンスだと言ったのは理解できた。したら私は、フルーレをダカーポする」
「おう、死ぬな、俺」
「そうなると、むしろどうなるんですかね~」
「逆に知りたい」
「いや、やめてください。さらなる混沌になりますから」
「まぁ、覚悟があるのはよく分かったよ」
 そして魔導士さんは、言った。
「アルさん。場合によっては君の勇者もロールバックの対象になるけれど──」
「かまわん。な?」
「よく分かんないけど、ここで退くような生き方をしていたら、あなたと一緒に冒険出来てない」
「だって」
「君の勇者はすごいな」
 苦笑するようにして、
「わかった。ではネリくん。全ての現状を、当事者の皆さんに伝えて欲しい」
 魔導士さんは言った。

「では──むぎちゃんの現状を、包み隠さず伝えます」
 そしてネリさんは片目を伏せたまま、言った。
「既にご存じのように、彼女は本来未使用のバッドステータス、『覚めない眠り』のフラグが立っている状態です。これは本来、イベントNPC用のフラグでして、プレイヤーや勇者には適用されないものなんですが、これがインメモリ上で立っている状態になってしまっています」
「これはアップデート1のクエストにあった、眠れる森のクエストNPCや、アルさんはまだやってないけど、遺跡に眠る鉱石の巫女に設定されている、NPC用のステータスフラグなんだ」
 と、魔導士さん。
「よって、このフラグを解除するには、スクリプトで設定されている条件なりアイテムなりを使用して、システム的にクリアするしか方法がないんだ」
「スクリプトを流し込んだり、直接データを書き換えたりは?」
 ちょいと手を挙げ、ハイネさん。
「このシステム、無停止でのスクリプトロード、出来ますよね?」
「ああ、ハイネさんはシステム屋さんでしたっけ」
 ネリさんの台詞に、ハイネさんが「いえ、業務系ですが……」と返していたが、まあ、それはともかく、ネリさんは続けた。
「もちろん可能です。が、仮に私がそれを組んだとして、システムにロードさせるのは、ちょっと無理ですね」
 「それは──」と聞き返そうとしたハイネさんに、アルさんが割って入っていた。
「それはあれか? めんどくさい話になる奴か?」
「まあ、アルなんでぶっちゃけて言ってしまいますが……数多の一般プレイヤーの一人であるあなた方の為だけに、運営がそこまでやることはできませんね」
「でも、これは運営の過失でしょう?」
 言ったのはレイさんだ。
「元々バグであったものを潰しきれていなかった訳でして、それが今回悪用されたわけです。特別に対応していただくのも、ありなんじゃないですか?」
「ご意見、ごもっともです」
 と、魔導士さんは頭をたれる。それにアルさんが、「あ、別にそこまで畏まらないでもいい」「あ、私、言いにくいこともバッサリ言うのが私の仕事だと思ってるんで、責めている訳ではありませんので念のため」「言い方は選びませんけどね~」
「何か、そういうアイテムを設定して、今後の為にも生かせるようにはできないんですか~?」
 エルさんの問いに、魔導士さんは小さく頷いて返した。
「そうですね。回復不能な状態異常があるままというのも問題ですし、そういう回復アイテムを設定しておくべきだと思います。しかし、既にクエスト等で使用されているフラグですから、テスト等も考えると、即時対応は難しいところです」
「まあ、ある程度、それは理解できるけどよ」
 いつの間にかキッチンスペースから出てきたダガーさんが、レイさんと一緒に皆の前に暖かな湯気をあげるカップを起きながら聞く。
「で、結局のところ、何ができるんだ? ネリ」
「そうですねぇ……」
 ネリさんは片目を伏せたまま首を傾げて「ちなみにこれ、なんです?」「グリューワイン。ホットワインに、柑橘類とグローブとかのスパイスをいれて温めたものだ」「一応私、危ないモノにさわってるんで、ノンアルコールの方が……」「シャレにならない事態になりかねませんね……」「じゃあ、茶」「緑」「他にノンアルがいい人ー?」
「さて」
 言い、ネリさんは魔導士さんを見た。
「一応、インメモリのフラグを直接いじれるか、試してみてもよければ試しますが?」
「うん。おそらく我々ができる最大限の皆さんへの対応は、それになると思っている」
 言い、魔導士さんは沈黙を続けていたチロルさんを真っ直ぐに見、告げた。
「貴女の勇者のデータに、直接修正を試みます。うまく行けば彼女は目覚めますが、何故眠りに落ちたのか等は、おそらく理解できません。そこはすみませんが、貴女の方でフォローをお願いします」
「わかりました」
 テーブルの上においた手を組んだ格好のまま、チロルさんは小さく頷く。魔導士さんも目を伏せて小さく頷き、
「ただ、更新を受け付けてくれるかどうかはわかりません。以前の対象者は、結局オンラインでは更新ができずに、オフラインでのロールバックを行いました」
「チェックポイントにまで戻ったのか?」
 ワインのカップに口を寄せつつ、アルさん。
 魔導士さんは頷く。
 そしてネリさんを見て──しばらくの沈黙があって──ネリさんは両目を伏せたまま、ひとつ、息をついた。
 嘆息のそれ。
 誰かが、同じように息をついていた。
「残念ながら」
 そして、ネリさんは言った。
「AIコアの永続性データベースへの更新は、一貫性エラーで弾かれました」
「……つまり?」
「フラグの更新は不可能でした。申し訳ありません」

 ひとつ、大きく魔導士さんは息をつく。
 そしてチロルさんをまっすぐに見、告げる。
「申し訳ありません。彼女を戻すには、やはりオフラインでのロールバック以外には、即時対応可能な方法はありません」
「ロールバックって」
 アカーシャさんが、身を乗り出して言った。
「仮にそれをしたとしたら、むきのデータは、どこまで戻ってしまうんですか?」
「それって、どこまでってわかりますか?」
 同じように続けたティラミスさんに、ネリさんはゆっくりと言う。彼女たちを、落ち着けるように。
「基本的にチェックポイントは『勇者が最後に寝た状態』で作成されます。もちろんイベントクリア等のタイミングで各種フラグの更新と共に、非同期でフラッシュされるんですが……一貫性エラーがでているということは、直近のイベントフラグは更新できていないと思ってください」
 その言い方が含むところは、私にはよく解らなかった。それはアカーシャさん達も同じで──解っている側のエルさんが、
「なるほど」
 ひとつ息をついて、頷いていた。
「つまり、アルス・マグナを倒したという状態は、記録されていない可能性が高いと言うことですね?」
 アカーシャさん達が息を飲むのがわかった。
「それは具体的に、どこ、なら確実なんです?」
 レイさんが続く。
「私が覚えている限り、最後にむぎちゃんさんが眠ったのは、最後の回廊の後ですが」
「十六時四九分のタイムスタンプで、永続性データベースには記録があります」
「なるほど。やはりそこですか」
 レイさんは、宙を見て唸っていた。
「確かにあそこは、勇者が一時的に眠るイベントがありますからね。ラストバトル直前──なるほど、あそこでAIの更新がかかるようになっていたんですね」
「でもそれって」
 エミリーさんが続ける。
「アルス・マグナを倒す前にまで、戻るって事ですよね?」
「そう言うことになりますね」
 レイさんは顎に手を当てながら、
「しかしその場合、チロルさんのフラグとむぎちゃんさんのフラグに、齟齬が生じませんか? チロルさんはクリアフラグ的なものが立っているのに、むぎちゃんさんには立っていないというような」
 思案するように首をひねるレイさんに、ネリさんが頷いて返していた。「そうなります」
「ですので、これは選択していただく必要があるのですが……チロルさんのクリアフラグも落とすか、またはそのままで、むぎちゃんだけをロールバックするか──」
「でも!」
 少し強い口調で、エミリーさんが割って入った。
「でもそれだと、むぎは覚えていないけど、むぎはアルス・マグナを倒したという風に認識するんですか?」
「そうです」
「そんな……それはいくらなんでも……」
 悔しそうに言葉を濁すその後に続く言葉は、私には想像できなかった。ただ、皆が一様に沈黙してしまった事だけが、いやに胸をちくちくとしていた。
「あの……」
 ティラミスさんがちょこんと手を挙げて言う。
「これはすごく消極的な提案なんですけど、さっき言っていたスクリプトが出来上がるまで、ずっと待ってるって言うことは、できませんか?」
「でも、それだとずっとこのままだよ?」
 エミリーさん。
「せっかくみんなで、やっと一緒にクリアしたのに……」
「でも、ロールバックをしないようにするとしたら、それしかないのかも……」
 アカーシャさんの呟きに、
「残念ながら、それは時間的に不可能です」
 ネリさんが遮るようにして言っていた。
「皆さんには残念なお知らせになってしまいますが、以前から話にあったこのゲームのサービス終了日が、週明けに告知されます」
 私にはそれがなんなのか、まったく理解できなかった。けれど、皆が息をのんで魔導士さんを見たのは解った。
「マジか」
 最初に言葉を発したのは、アルさんだった。
「いつだ?」
「約三ヶ月後になります」
 魔導士さんが返す
「皆さんもご存知でしょうが、以前に告知していた通りに、ラスト三ヶ月を切ったところで最終パッチが当たります。冥府クエと試練の塔に、最下層と最上階が実装されるのですが……このパッチはサーバーの再起動が必要になります」
「先ほどもお話ししましたように、現在のチロルさんの勇者は、インメモリのデータがセーブ出来ない状態です」
 じっとチロルさんを見、ネリさんは言う。
 チロルさんはただ無言で、テーブルにおいた手を組んで、その言葉を受けている。
「サーバーの再起動がかかれば、勇者のデータは強制的にロールバックされます。時間的にも打つ手がない以上、申し訳ありませんが、チロルさんにはいずれかを選択して頂く事になります。クリアフラグを落とし、再度アルス・マグナに挑んでいただくか……またはフラグはそのままに、このままこのゲームを続けていただくか」
「ネリ」
 一つ息をついて、アルさんは口許を曲げながら言っていた。
「そんな言い方しないでもいいよ」
「まあ、でも、誰か言わなきゃならないことですからね」
 肩をすくめてみせるネリさんに、
「ネリくん、それは僕の仕事だから」
 と、苦笑するようにして魔導士さんが続けていた。
「さて──ここから先は、今後の話だ」
 そして皆を見回し、魔導士さんは告げる。
「タイムリミットもあり、正直、現状の打開策はない。けれど、僕は君たちに、ひとつ提案をしたい」
 皆を見回し──最後に私に視線を落ち着け──魔導士さんは告げた。「アルさん、これは貴方が覚悟を決めて彼女をこの場所に居させることを選択したからこその提案だけれど──」
「勇者ちゃん。貴女はチロルさんの勇者を目覚めさせるために出来ることがあるとすれば、その可能性がどれほど低くても、それに挑む覚悟がありますか?」
 それは、私が勇者だからだろうか。
 いや、そうでなくても──私の答えに変わりはないのだけれど。
「聞きます」
 真っ直ぐに見る私からアルさんに視線を動かし、魔導士さんは言う。
「アルさん。これはこの世界の、絶対的なルールに対する挑戦だ」
「でかい話になってきたぞ……」
「そうだね。でも、君たちならあるいは……と僕は思う」
 説明されたその話の内容は、私にはよく理解できなかった。けれど──
「いいかい? このゲームのシナリオAIと勇者のAIは、基本的に同じシステムAIを使用している。知っているとは思うけれど、この二つは常に協調動作を行っていて、言うなれば、勇者の意思での行動は、シナリオを、システムを、変更しうる」
 ただ、何をすればいいか。それだけは理解できた。
「可能性として話だけれど──もしも君たちが『エリクサー』のような物を手に入れる事ができれば、それをシステムが認めれば、あるいは……」
 エリクサー。それは賢者の石と同一視されるという、錬金術によって生み出された究極の霊薬だと聞いた事がある。飲んだ者に不老不死を与えるとも、いかなる病をも治すとも──まるで賢者の石と同じように伝えられている神秘の霊薬──確かにそれがあれば、あるいは──
「しかし」
 レイさんが言っていた。
「しかし、この世界にエリクサーはないのでは? 最初期の頃に、賢者の石と同一視されてしまうが故に、このゲームには存在しないと、そちらが明言していたと思いますが?」
「そうなのか?」
 キッチンスペースから緑茶を持ってきたダガーさんが、それをノンアル勢に配りながら、ネリさんに聞く。
「ない物を探せってことか? ネリ」
「はい。エリクサーというアイテムはこちらでは設定していませんので、公式アイテムとしては存在していませんね」
 ネリさんはダガーさんから受け取った取っ手のないカップをそのまま一口、口に付け、
「ですが、錬金術の秘薬として皆さんがご存知のように、それはこの世界にも、知識として存在しています。勇者ちゃん、エリクサー、解りますよね?」
 言った。
「錬金術の秘薬。いかなる病も癒やし、永遠の命すらも与えるいう、究極の錬成物」
 私が答えると、
「そういや、ユリアもそんな事を言っていたな……」
 アルさんは天井を見ながら呟いていた。
「賢者の石と同じく、錬金術の究極の成果として、エリクサーはこの世界に定義されている」
 魔導士さんが続く。
「僕は、賢者の雫がエリクサーに近いものとして、まあ、ぼんやりと考えていたんだけど、それは置いといて──」
「それを手に入れれば、あるいは?」
「全ての病を直し、永遠の命すらも与えるというその霊薬の存在を真に信じ、手に入れようと勇者が望むのであれば──それを世界が認めるのであれば」
 皆の視線が、私に集まっているのが解った。
「シナリオAIがそれを生成すれば──ってことか」
「しかも、全ての病を治すという効果が、定義されているフラグ以外のすべても含んで──ということですね」
 テーブルに着きながらのダガーさんに、視線を送りつつのレイさんが呟く。
 アルさんは目を伏せ、眉毛のあたりをポリポリと掻いていた、
「その、エリクサーっていうのを探せばいいのね?」
 私は言った
「まあ、そうだが」
 アルさんが言葉を濁して返す。
「しかし、それを探すっていうのは、なかなか難易度がたけぇって話だぞ? 今の話、理解できたか?」
「エリクサーを見つけ出せば、あるいは」
「いやまあ……どんだけ要約してんだよ」
 背筋を反らして天井をみたアルさんを前に、私は皆に向かって言う。
「可能性があるなら、探そう」
 私には、難しい話はよく分からない。
 ただ、覚めない眠りに落ちてしまったむぎちゃんを目覚めさせる術はなく、何か、皆の望まない方法で彼女を目覚めさせようとすれば、彼女はブアウ・ゾンビのそれのような、むぎちゃんがむぎちゃんでななくなってしまうというような、そんな事しか理解出来なかった。けれど、皆が望まない未来を私が変えられるかもしれないというのなら、乙女なら──勇者なら──やってやれってやつだ。
「探そう」
 私は言った。
「賢者の石だってあったんだ。エリクサーだって、きっとある」
 その言葉に皆は──何故か少し視線をはずして俯いてしまったような、そんな気がした。
 なぜ?
 いつものみんななら、アルさんなら、「そうだな!」とか、力強く根拠もなく言うはずだろうに、どうしてアルさんは背筋を反らしたまま、天井を見つめているんだ?
 どうしてアルさんは──
「それを手にすれば、あるいは」
 魔導士さんが、沈黙を破って言った。
「しかし、可能性は低い。それでもチャレンジするというのなら、最終パッチのその日まで、現状を維持する協力をしましょう」
 じっと見つめる先のチロルさんが、長い長い沈黙を破って、そっと、言った。
「少し、考える時間をください」

「アルさん、ちょっといいかな?」
 そう言って、チロルさんは立ち上がった。
 皆の視線がチロルさんを追う。
「おう」
 と続いて、アルさんが立ち上がった。
 二人は静かに部屋に隣接するウッドデッキへと出て行く。ここでは話せないような相談事なのか、外へと出て行く二人の背中を皆が視線で追って──ダガーさんとエルさんが皆のコップを片づけるために「よいしょ」と声をあげて立ち上がっていた。
 ふとレイさんを見ると、視線があった。
 考えている事は同じだろう。そっと立ち上がると、レイさんも続いて立ち上がった。そしてそれ以外の皆は解ったもので、一様に皆、視線を外していた。
 灯火石の灯りに影が出来ないよう、そろそろと窓際に近づく。カーテンの向こう、ウッドデッキに置かれていたデッキチェアにアルさんが寝そべっていて、チロルさんがその隣のデッキチェアに浅く腰をかけていた。
「迷惑をかけて、すまない」
 小さく、チロルさんが言っていた。
「いや、チロルさんが謝ることじゃねぇし」
 星の空を見上げたまま、アルさんが呟くように返す。
「これは、俺が謝らなきゃいけない話だ。チロルさんを巻き込んだのは、俺なんだし」
「そうか──」
 ゆっくりと返したチロルさんに、アルさんは身体を起こし、「チロルさん──」
「でも、楽しかったんだ」
 何かを言おうとしたアルさんの言葉を遮るように、チロルさんは夜の向こうを見つめながら続けていた。
「アルさんたちとあの砦で出会って、テネロパで一緒にダンジョンを攻略して──あの頃の私は、ただシナリオクリア前に、残ってたクエストを漫然と消化していくだけの、単なるプレイヤーだったんだよ」
 高地高原を流れていく夜風が、チロルさんの金色の髪を、静かに揺らしていた。
「でも、アルさんたちと出会って、一緒に冒険をし始めて──自分が楽しいと思えることを、ただ、そのままに発信しているアルさんたちに惹かれて──アカーシャもエミリーも、ティラミスもハイネも戻ってきて──またみんなと冒険できて──私はアルさん達に巻き込まれて、それで──とても楽しかったんだ」
 そう言って、彼女は小さく笑っていた。
「巻き込まれて、よかったんだよ」
 何かを言おうとしたアルさんは、そのまま目を伏せて、デッキチェアに再び背中を預けた。
 それをわき目に確認して、チロルさんは再び夜空の向こうを見つめながら呟いた。
「わかっているよ、これは、私のわがままだ」
 アルさんの隣、チロルさんが悔しそうにつぶやく。
「簡単なことだよ、これは明らかに不正行為なんだから、運営も対応してくれる。ただ──彼女は、最後に目覚めた瞬間からの記憶を失うだろう。私はそれを、覚えていても。忘れられなくても──彼女は何も──」
 私のいる場所には、声しか届いてこない。
 チロルさんの言葉が途切れた理由は、私にはわからない。
「すまない、くだらない事を言っている。気にしないでくれ。これはゲームなんだ。君たちの冒険譚に、水をさしてしまったな」
 アルさんは何も、応えなかった。
「アルさん……」
 そして──長い長い沈黙があって──チロルさんが俯いたまま、小さく呟いていた。
「それでも私は、アルさん達ならと──思ってしまうんだ」

「チロルさんの家に、ニケさんがついたようです」
 部屋に戻ったチロルさんと入れ替わり、私とレイさんはウッドデッキに出た。
「彼女がログアウトしてしまうとむぎちゃんさんもロールバックしてしまうので、スマホログインに切り替えて、回線も二重化するのだそうです」
 言いつつ、レイさんはチロルさんが座っていたデッキチェアに浅く腰をかける。
「それで、どうします?」
 視線の先、アルさんは頭の後ろで手を組んで、星空を見上げていた。
「エリクサーを探すんでしょ?」
 私は言う。
「ともかく、それがあればむぎちゃんが目覚める可能性がある。だったら、探すしかないでしょ?」
「あるともしれないんだぜ?」
 空に向かって、投げかけるようにしてアルさんは言った。
「タイムリミットもある中で、それが見つけられると?」
 そして、アルさんは私を見て言った。
「おまえ、本当にそう思ってるのか?」
「チロルさんは──」
 私は真っ直ぐ、アルさんを見て返す。
「アルさんに、なんて言ったの?」
 沈黙が、答えだった。
 随分長いことそれがあって──目を伏せたアルさんが再びデッキチェアに背中を預け──そして、
「俺はただの、一介のプレイヤーなんだがなぁ……」
 そう、呟くようにして、言った。
「おやおや、心にもない事を」
 言いつつ、レイさんは立ち上がる。
「さて、作戦を練る必要がありますね。時間制限もある上に、こればっかりは私たちだけではどうにもなりません。あなたと、あなたの勇者ちゃんが、世界に挑むのですから」
 ひらひらと手を振ってレイさんは室内に戻っていく。「とりあえず、師匠やヴィエットにも声をかけて、情報収集から始めますよ。皆も心配しているでしょうしね」
 アルさんは目を伏せたまま、片手をあげてひらひらと返していた。
 そして私はレイさんが座っていたデッキチェアに深く腰を下ろし、アルさんと同じように頭の後ろで手を組んで、高地高原の星降る空を見上げていた。

 カラニアウラの東の果て。
 上の世界、ルーフローラの東の果てよりも遙か東。
 世界の終わりのはしっこに、その塔はあった。
 試練の塔。
 神代の時代からそこに存在しているというその塔は、空の向こうのその先にまで、ずっとずっとまっすぐにそびえ立っていた。
 そしてその塔の──百階。
 荒れ狂う黒竜が最後の力を振り絞り、空気を震わす咆哮をあげた。
「押し切るぞ! レイシュ! ダガー!」
 剣を振るい、アルさんは咆哮を打ち消すようにして叫ぶ。そして素早く祈りの言葉を口にして──「月の銀光! 癒やしの光! 女神の抱擁に、戦士の内に秘めたる生命の輝きよ──!」「あれー!? アルさん、いつの間に月の女神のアークプリーストに!?」「……よく覚えたな、詠唱」
「キュア・オール!」
 輝きが私たちを包む。
 満身創痍の身体の傷がたちどころに癒え、四肢に活力がみなぎる。最高位の回復の祈りに、私たちは太古の竜に向かって駆け出した。
「わん!」
「つー!」
「さん!」
 と、レイさん、ダガーさん、私の声が跳ねる。
「リミットブレイク! ソウルストライク!」
 大剣を叩きつけるレイさん。黒竜の身体を無数の暗黒の炎が叩き打つ。
 響く咆哮に、ダガーさんがレイさんの背中を蹴って宙を舞い、
「ラストストーム・エッジ!」
 順手と逆手で構えた両手の短剣を入れ替えながら、暴風のように荒々しく十六の連撃を叩き込む。
「スタン!」
 言い、ダガーさんは黒竜の首筋におまけの蹴りを食らわせ、跳びすさった。ところへ、私は錬成石の輝きと共に、強く、一歩を踏み込む。
「ラ・ロンド──フルーレ!」
 黒竜の身体に、高速の連撃を打ち込む。空気を裂くその切っ先に、黒竜の咆哮すらも斬り伏せられ、無音の中で黒竜がゆらり、鎌首をもたげた。「ダカーポ!」一拍。静寂。そして剣を振るい──
「アル・フィーネ!」
 最後の連撃に、黒竜は断末魔の咆哮と共に、光の粒子となって散った。

 試練の塔。
 その百一階へと向かう大階段の途中。左右に分かれた二股階段の手前には、華美な大理石で装飾された踊り場があった。
「ふー……」
 と、大きく息をついて、私たちはその踊り場へと足を踏み入れる。
「さすがに疲れたぜ」
 へたり込むようにその辺に座り込み、ダガーさんがぼやく。
「とりあえず、さっさと門石を登録しちまえよ」
「無論だ」
 言いつつ、アルさんは踊り場の中央、台座の上に置かれていた門石へと鍵石を近づけていた。
「いやはやしかし……」
 息をつきながら、レイさんが言っていた。
「まさか、わずか二日で試練の塔の百階を超えてしまうとは……やはり、昔とった何とかってやつですかね」
「まあ、アルもオレも、レベル90弱だったしな」
 いそいそ、コーヒーの支度をしながらのダガーさんは、誰にとでもなく呟くようにして漏らす。
「存在するかもわからねぇモンを手にしようってんだ。エンドコンテンツのさらに上、それに挑むくれーの覚悟じゃねーとな」
「まぁ……トレイサーのフロントランナーのエルさんなんかは500階に届こうかというところですから、本当は300階まで行って、300階フィートもといったところですけどね……」
「流石に、そんな時間はねぇな」
 鍵石に門石を登録し、アルさんは振り向いて返していた。
「とりあえず、いって113階までだな」
「いえ、別にエレベーターの中を調べても何もありません。ってか、エレベーターありませんけどね、試練の塔」
「いや、オレわかんねーから」
 無論、私にもなんの話だかさっぱり解らないわけだが、ともあれ、アルさんはダガーさんのところに近づいて、コーヒーを受け取りつつ続けていた。
「ともかく、これでレベルも99だ」
 そして私に向かって振り向き、コーヒーを突き出しながら軽く口許を曲げて笑う。
「やきもきしていただろうが、これでやっとこ、スタート地点だな」
「やきもきはしていないけどね」
 受け取り、私は皆を見つつ返す。
「エリクサーを探すには、最上位のエクスプローラー達と肩を並べる必要があるというのは、理解しているよ。伝説の試練の塔の百階くらいは、軽々と超えていなきゃってのもね」
「二日で百階ならまぁ……俺的には上出来だな」
「二日で百階は廃人です」
 言い、レイさんもダガーさんからのコーヒーを手にしつつ、ちょいと掲げながら、アルさんに向かって言っていた。
「ともかく、今晩辺り皆で集まって、ここ二日の進捗確認ですかね? 世界中から集めた情報の中から、エリクサーのクエストが見つかれば、それに越したことはありません」
「ま、そう簡単にはいかねーんだろうけどよ」
 「よっ」と、立ち上がり、欄干に背中を預けてコーヒーをちょいと掲げつつ、ダガーさんも口許を曲げて返す。
「とはいえ、やるしかねー。だろ?」
「こいつがやる気だからな」
「なんだって?」
「いや、アルさんだって、割とやる気じゃないですか。二日で百階は廃人ですよ?」
「そんなアルに付き合うレイシュもな」
「そう言うお前もだろ?」
「おいマジか。もう空が白んできてんぞ?」
「うわー、今から寝たら、起きられない自信がありますねぇ」
「寝なきゃいいんじゃね?」
「アレか、だからコーヒーなのか?」
「おう、夜明けのコーヒーで乾杯、ってヤツだな」
「そんな青春チックな事をするほど、お互い若くはないでしょう?」
「徹夜でゲームはするけどな」
「それは……! そうですね」
「しかたねーな」
「おう、そうだな」
 そして──アルさんはカップを少し掲げ、笑った。
 そして私たちはそれぞれが手にしたカップを、軽く宙でこつんとぶつけ合って──何してんだか──と、口許を曲げて笑いあった。

「え~、それでは只今より~……」
 「え~と」とちょっと考えて、
「第一回~、エリクサーちょうだい会議を始めたいと思います~」
 エルさんは言った。「5だな」「私は14と言っておきます」「あえての7」と、アルさんレイさんネリさんが言っていたが、放っておく。
 北限の村のさらに北。北の最果て。オルムがすべての叡智を残した遺跡の最下層。その巨大な空間に、私たちは集まっていた。
「え~、進行は私、エルが担当いたしますので、みなさんご協力をよろしくお願いいたします~」
 と、左手に持っていた木槌で自分用の演台をばんばんと叩く。「よろしいですか~、この左手が、木槌を持ったままであるようにしてくださいね~」との声に、わいわいしていた二、三十人の冒険者達がしんと水を打ったように静まりかえった。
 北限の遺跡の最下層には、いつもの皆の他に、今まで冒険を共にしたことのあるたくさんの冒険者達の姿もあった。チロルさんを除く、アルさん命名、チーム元女子大生の他、師匠さんやヴィエットさんはもちろんの事、そのトレイサー仲間たちや、サウルヤ地方の遺跡探索でよくご一緒した方々、そしてあの魔導士さんの姿もあった。
「しかし、オルムの遺跡にこんな使い方があったとはな……」
 と、腕組みで唸るアルさんに、ネリさんが返す。
「ええ、ここのインスタンスは特殊なんですよ。通常のパーティーインスタンスは生成時にリストにいないと参加できないんですが、ここは収蔵アイテムの関係から、後からでも参加可能。インスタンス内でパーティーを抜けても、インスタンスに留まり続けられるんです」
「ほう」
 と唸るアルさんに、レイさん、ヴィエットさんが続いていた。
「これは大規模なプライベートイベントなんかでよく使われる手法なんです。受付を一人外に置いておく必要はありますが、入った後にパーティーを抜けてもらえれば、特に収容制限もないですしね」
「収蔵アイテムを盗られる可能性もあるから、それなりにリスクはあるけどな」
「ヴィエット、後でかばんを見せるんだ」
「お土産のローストビーフ以外は入っていない」
 ちなみにそれはダガーさんが会議開始の一時間ほど前に「そういうのは早く言え」と言いつつ、フライパンでちゃっちゃと作った奴だったりする。「オーブンねぇのか、ここ!」「ねぇよ」「しかたねぇ……簡単ローストビーフとあとはキッシュと……ユリア、お前アヒージョ作れ。レシピ書くから、書くものもってこい」「何故に私がやるんです?」ともあれローストビーフは盛況で、もうほとんどなかったりする。
 ばんばん! と、エルさんが再び演台を木槌で打っていた。
「え~、ではまず、アルさん勇者ちゃんから、現在の進捗をみなさんに教えてください~。もちろん、レベルは99になりましたよね~?」
「無論だ」
 腕組みをしたまま、アルさんは言った。「お~」と、冒険者の皆が唸っていた。
「試練の塔の百階を超えてきた。あと、一応、冥府も50階程度までは踏破してきたが、冥府はクエストが絡むから進捗が悪い。多分コレは後回し」
「まあ、冥府を進めても武器更新くらいしかメリットありませんし、いいんじゃないですかね~」
 エルさんがほわんほわんと言うと、ハイネさんがちょいと手を上げ、
「でも、冥府の武器はあった方がいいんじゃないですか? 結構IL高いですよ?」
「それはそうなんですが~」
 エルさんは少し首を傾げながら続けていた。
「今回、このように皆さんに集まっていただいて、いろいろご協力いただいているのに、無報酬というのもいかがなものかなぁと思っておりましてですね~」
「ああ、あの件ですか」
 と、ネリさん。
「レイさんも、構いません?」
「いいですよ、サービス終了日も告知されたんです。このまま持っていても、宝の持ち腐れですからね」
「では」
 と、ネリさんは手を挙げ、エルさんの頷きを受けて演台の前へと歩みでた。
「さて、皆さん」
 振り向き、続ける。
「お集まり頂いた皆さんには、既にある程度我々からお話が行っているかとは思いますが、本日、運営からの発表で、事態を包み隠さずお話しできるようになりましたので、再度情報の整理をさせてもらいます」
 ネリさんは帽子を取って胸の前に寄せると、
「ご存じのように、とあるエクスプローラー達の奸計により、我らがチロルさんの勇者、むぎちゃんが、覚める事のない眠りの状態異常になっています」
 言った。
「この状態異常を治すには、あるとも知れないアイテム、エリクサーが必要であると、皆さんも聞き及んでいるかと思いますが、これを見つけるのには、実はタイムリミットがあります」
 少しのざわつき。
 ネリさんは続けた。
「ヘビーユーザーの皆さんはご存じの通り、サービス終了日の告知とともに、最終パッチのリリース日も告知されました。来週の今日。つまり七日後ですが、この時、サーバーの再起動がなされます。この時までにエリクサーを手に入れなければ、残念ながらチロルさんの勇者のステータスはロールバックされ、アルス・マグナ戦の前にまで巻き戻されてしまいます」
 見回す視線。腕を組んでいるアルさん。耳打ちをするように話しているレイさん、ヴィエットさん。手を止めているダガーさん。そしてネリさんをじっと見ている、みんな。
「チロルさんの勇者を目覚めさせるためにエリクサーの情報が欲しいとしか今までは伝えられませんでしたが、これが我々の現状です。そして──」
 そして私を見て、ネリさんは言った。
「それを手にいれるためには、シナリオを変えることの出来る勇者、つまり、アルの勇者ちゃんの力を信じるしかありません」
 みんなの視線が、私に集まった。
 無数の視線に気後れなんぞはしていられない。私はあの時、確かに言ったんだ。探そう、と。何の策もアテもないけれど、それでも言ったんだ。
「お願いします」
 だから私は、言った。
「私に何が出来るかはわかりませんが、エリクサーを探すのに、力を貸してください」
 頭を下げて──隣にいたアルさんの頭をがっしと掴んで、「ぐお!?」といううめき声を無視して──言った。
「みなさんの力を、貸してください」
 と。
 少し沈黙があって──反応がなくて──目をぎゅっと伏せて頭を下げたままでいると、かんっ! と、エルさんが演台を木槌で打つ音が響いた。
 視線が戻る。
「そういうわけで~」
 エルさんはほわんほわん、笑っていた。
「乙女に頼まれてしまったら、冒険者としてはやるしかないですね~」
「乙女?」
 呟く野郎の頭を力一杯握りつぶす。「いてててて!」
「とは言え、みなさんも冒険者ですから、ただ働きもなぁ~とか、なんやかんやの理由付けが欲しいな~って所も理解しておりますので~」
 再び、かんっ! と響く音。そしてそれと同時に、突然エルさんの背後に、山ほどの武器、防具がどばっと現れた。
 皆が呆気にとられ、目を丸くしていた。
 神々しく光る武器、防具。圧倒されるような光を放つ神器のそれらを背に、
「今回のクエスト報酬はこちら。試練の塔上層の非バインド装備ですよ~。これらの中から、好きな物を持って行ってどうぞ~」
 と、
「物によりけりですが、400階上層クラスの物は、IL800を超えるものもありますよ」
「見た目ユニークの装備も、各種取りそろえております」
「あと、最強のビキニアーマー」
「それはどうか」
 やいのやいののネリさんレイさんヴィエットさんにアルさん──は置いといて、突如現れた神器級装備を前に、冒険者の皆さんにはしばしの沈黙があって──「マジか!?」
 誰かの声に、周りが続いていた。「マジだ!?」「すげぇ! 本当にもらっていいの!?」「IL800どころか、900近いのもある!?」「あのビキニアーマー、ILが850越えてる!? 欲しい!」ええっと、女戦士さんはビキニアーマー推しなのかな?
 ともあれ、
「そうと決まれば、やるっきゃないな!」「俄然やる気がわいてきた!」「アルさん、粉骨砕身、尽くしますよ!」「斧は!? 斧はありますか!?」
 大盛り上がりの冒険者達を見て、エルさんはほわんほわん、笑っていた。
「みなさん、恥ずかしがり屋さんですね~」
「現金なだけじゃねぇの?」
「心にもないことを」
 そう言ってアルさん、レイさんも笑っていた。

「では、まずは私から報告しよう」
 と、前に出てきたのは師匠さん。
 師匠さんは数枚の紙をぺらぺらとしながら、皆に向かって言った。
「えー、うちはアルさんとことレイドを組んだ状態で、うちのパーティーとネリさんで、冥府を再度探索してきた」
「何階まで潜れましたか?」
 聞くエルさんに、
「とりあえず、二日でいけたのは350階」
「おい、廃人がいるぞ」
 アルさんの突っ込みに、「廃人だ……」「トッププレイヤー過ぎる」と、他の皆さんも漏らしている。
「ちなみに一階あたり三十分で踏破したけど、一応、探索スキルマックスで進んだから、見落としはしていないはずだぜ」
 と、ヴィエットさん。それに紙をぺらりとした師匠さんが続いていた。
「で、成果だが……まずは大したことない所をざっくり言うと、49、71、153、267、319階で新しい隠し通路を見つけた。通路の先はネームドがいて、報酬はユニーク武器」
 「冥府にも、未探索エリアがあったのか……」「まあ、自動生成だから、新しく生まれたのかもだが」「うへ、攻略Wikiが更新されてる」とかなんとか冒険者さんたちの声が聞こえてきて、
「で、350階だが」
 師匠さんは手にした紙の最後のページから顔を上げ、言った。
「隠し部屋で、新たなNPCを見つけた」
 どよっと、場の空気が揺れた。
「出現条件は不明。会話は成立しない。冥府のNPCらしく死者なんだが、アルケミストであるのは間違いなく、ぶつぶつと何かを言いながら、割れた壺を直している」
「なんですか、それは」
 小首を傾げ、エルさんが聞くと、「うん」と師匠さんは喉を鳴らして返した。
「実は、よくよく話を聞いていると、その壷の中には錬成石が閉じ込められていたらしく、そこから命の水が湧いていたんだとかなんとか」
 ざわっと、皆がどよめいた。
「それは、アクア・ヴィーテなんですか?」
「明確な回答は得られていない」
 二人の会話に、
「アクア何とかってなに? どっかで聞いたような?」
 私が隣のアルさんに聞くと、
「アクア・ヴィーテ。アクア・ヴィッテとも。生命の水、命の水」
 視線も向けもせずに返すアルさんに、レイさんが続いていた。
「ウィスキーですね」
「間違いではない」
 軽口のやりとりだったが、アルさんのその口許は少し笑っているように見えた。
「生命の水、命の水。この世界的には、アクア・ウィタイだったかな? トマスが言っていただろう。賢者の石はエーテルであり、アクア・ウィタイでもある。とか」
 賢者の石。その言葉がここで出てくるとは思わなかった。しかし、その命の水なるものが本物なのであれば、それは賢者の石でもあり、すなわち私たちが求めるそれであるとも──
「それは、エリクサーに通じるものなんですかね?」
 エルさんの質問に、師匠さんは「うーん」と唸って返していた。
「どうだろう? どうもこれは、135階の生命の泉に関するクエストらしく、あれがこの壷からこんこんと湧き出ている水によって作られたとか、そんな感じっぽかったかな」
「冥府の135階に、そんなのがあるのか?」
 と、アルさんが手を上げて聞く。冒険者の皆さんたちが、うんうんと頷いていた。
「135階には、いかなる死者をも蘇らせる、生命の泉があるですよ~」
 代表してエルさんが答えて返す。
「これは120階くらいから続く連続クエストのクライマックスでして、このフロアは巨大な地底湖とその中心にある冥府の女王の神殿からなっているんですが……えー、これ、割とネタバレしますね」
「かまわん、続けろ」
「えー……要約すると、なんやかんやあってその神殿で冥府の女王と戦って、生命の泉の源泉から生命の水を手に入れて、女王を蘇らせるんです。生命の泉は冥府の女王を蘇らせることが出来る唯一のアイテムなんですね~」
「いや、なんで戦った相手を蘇らせるの?」
「いろいろあるんです。いろいろ」
「初期冥府のクライマックスですからねぇ」
 「ふむ」と、首をかしげながらも、アルさんは言った。
「それを女王に使わずに、むぎちゃんに使うとか?」
「可能性はあります」
 ネリさんが頷く。それに、あの魔導士さんが手を上げ続いていた。
「ただ、定義済みアイテムではあるから、シナリオAIが新たな効果を付与してくれているかどうかがポイントになる」
 そして、
「あと、ここにいる人たちは皆クリア済みだろうから言ってしまうけれど、冥府のものを口にした場合、冥府に属するものとなってしまうから、その効果が消されていないと、プレイヤー、及び勇者には使用できない」
「その冥府の女王は、ペルセポネ-なのか」
「どちらかというと古事記」
「女王の見た目は黄泉比良坂のイザナミ」
「とても戦いたくない敵だな」
 私には何のことかさっぱりわからないが、
「それを手に入れれば、可能性がある?」
 手を上げ、聞いた。
 師匠さんが「うーん……」と唸り、返す。
「このNPCの出現条件がわからないから、これが勇者ちゃんの影響で出現したとすれば、何かあるのかもしれないけど……まぁ、ぶっちゃけ、ここは直接聞いてしまうんだけど、どうなのネリさん、魔導士さん」
 ぐりん、皆がネリさんと魔導士さんを見た。
「あれ? これ、ここの人たちにはバラしてしまって良い流れですか?」
「僕からはなんとも言えないなぁ……そこはそれ、ごにょごにょで」
「師匠さん達には言いましたけど、そのNPCはランダム生成で生み出されたもので、我々は定義していません」
 ざわっと、冒険者さんたちがざわめく。
「135階か」
 顎に手を当て、アルさんが言った。
「三日もあれば踏破できるか?」
「廃人なら十分いけるんじゃないですかね~」
 かんっと、木槌でエルさんが演台を打っていた。

「次はここ、北の果てのアーカイブを探索していた私、エミリーとティラミスの報告です」
 と、演台の前に立ったエミリーさんがスクロールを広げつつ言う。「漏電姫ー」「MPガス欠娘ー」「放電かみなり魔導士」「そんな初期称号」「二つ名は漏電を継ぐもの」そんなヤジ。
「褒めても何もでませんよー」
 褒めてるのか……?
「えー、私たちは、勇者ちゃんのパーティーに参加した状態で、ここのアーカイブを再探索しました」
 と、続けた。
「アーカイブ探索で発見されたもので、Wikiにはないものが今回生成されたものと考えて絞り込んだ結果、賢者の石とエリクサーに関する新たな記述を発見しました」
「え? エリクサーという単語が出てきたんですか?」
 演台で、エルさんが驚きに目を丸くした。
「当たりじゃないですか?」
「どうでしょう?」
 エミリーさんは小首をかしげつつ続ける。
「ワードそのものが出てきたのは当たりなんでしょうけど、これは錬成方法とか錬金術に関する書物の中にあったのではなくて、オルムの伝承、神話関係の中から見つけたんです。ですんで、そういう概念がオルムか、または神話時代にあったのではないかというくらいにしか……」
「どんな内容なんだ?」
 腕組みのアルさんに、
「と、マスターが申しております」
 レイさんが意味不明に続いていて、エミリーさんは「はっ!」とかしこまって返していた。
「みなさんご存じの通り、この世界の賢者の石は、混沌の果てで生まれた雫からなるんですね。この辺、プリマ・マテリアとかエーテルとかマナとか、私的にはいろいろこ難しい話が関わってくるんで、ぶっ飛ばすんですが……」
 「マスター、漏電姫はちしきれべるがむすめ並みです」「どうしてみんなそういうキャラ作りになっちゃうんだ……」「資質じゃないですかね」何の話だかさっぱりわからん。
「とりあえず結論からいうと」
 エミリーさんは言った。
「神話時代において、エリクサーは賢者の石と同義であったようです」
「え? そうなの?」
「ちょっと、世界設定を根底から覆していませんか?」
 アルさん、レイさんがネリさんに振り向いて聞いた。
「えー?」
 帽子の位置をなおしながら、ネリさんは苦笑しつつ返す。
「そんな設定、聞いたこともないのですが……」
「こいつ、本気で世界を変える気だぞ……」
「恐ろしい子……」
 そんな目で私を見るな。
 エミリーさんは続けていた。
「ええっと……オルムが錬金術を発展させていく過程で世界を構成する要素を再定義していって、マナやプリマ・マテリア、エーテルを定義していったという話なんですけど……ここで、そのどれにも属さない、世界の根源、その概念として生み出されたもの、それが賢者の石であると、そこには書かれていました」
「その記述に従うと、賢者の石は後付けで作られたものなんですかね~?」
 エルさん。
「そうですね」
 と、エミリーさん。
「始原の巨人が世界を生み出したというのがこの世界の創世神話ですが、その巨人がどこから生まれたのかというと、それは混沌から生まれたわけなんですけど、混沌からどうやって巨人が生まれたのか……とか、そういう内容についての神との対話が書かれた記述がありまして……」
「対話篇なのか」
「それが本当に神との対話かも知れないのがまたファンタジー」
「対話で得た知識から、オルムは賢者の石を定義し、そしてそれを錬成しようと、アーオイルが錬金術をさらに深化させていった……といったような内容になっています」
 ちょいと手を上げ、ダガーさんが離れた所から声を上げていた。
「でも、エリクサーは液体だろ? 賢者の石は固体なんじゃねぇのか? オレはファンタジーには疎いから、その辺はよくわかんねーけど」
「創世神話に従うなら、賢者の石の元になった賢者の雫がエリクサーともとれるな」
 唸り、顎に手を当ててアルさんは言う。
「ユリア、賢者の雫が残っていたりしねーか?」
「さすがにありません」
 きっぱりとユリアさんは返していた。
「誰かさんが持ち出して、消失させましたので」
「……胸に、グサッとくるね」
 実に、その通りだね……
「賢者の石があれば、エリクサーが創れるんですかねぇ」
 レイさんは小首をかしげつつ呟く。
「アルコールに溶かすとか」
「エリクサーの方が賢者の石より先にあるっていうのはまあ、史実的にも正しい解釈のような気はするよな」
「それ、リアルの史実的な意味ですか?」
「そう。ネリ、どう思う?」
「どうでしょうねぇ……その辺、開発としては定義していないんですよねぇ……」
「元々この世界の設定は──」
 魔導士さんが一歩前に出て続けていた。
「昔ながらのTRPGのワールド設定のように、どのようにでも解釈が出来て、各GMがシナリオを作れるような世界観にしてあるからね。シナリオAIもその辺りをプレイヤーに併せて解釈し、ストーリーのフレーバーを生成するようになっているんだ」
「賢者の石から、エリクサーの生成か……」
 呟き、アルさんは言った。
「少なくとも、アーオイルは持ってんだよな、石。強奪するか?」
「メインシナリオ崩壊の予感」
「アルス・マグナをぶっ倒して強奪という手も……」
「七日で」
「七日で」
「廃人でも少々難しそうですね~」
 かんっと、木槌でエルさんは演台を打っていた。

「えー、アルさんに頼まれては断れないということで、僕ら、連結レイドパーティーの皆で世界中を飛び回り、エリクサーに関するクエストがないか調べてきました」
 と、演台の前に立った騎士くんが言う。サウルヤ地方で数々の遺跡探索をしていた頃、よくご一緒していたパーティみんなの代表だ。彼は、「もうちょっと事前に今の状況を知れていたら、もっと気合い入れて探せたんですけどね……」「そこはすまん。さすがに先週の段階ではそこまでは言えなかった」「まぁ、それはわかっていますけど、その上でですが──」と続けた。
「あまりそれっぽいクエストは見つけられなかったんですけど、アルブレストの森の町で、トマスさんに話を聞きに行ったパーティが、ちょっとした情報を手に入れました」
「トマス!」
 アルさんははっと声を上げた。
「そういやあいつ、キャラクター的に忘れがちだが、ガチの高位錬金術師だった!」
「ええ、僕たちも割と忘れていました」
「で、トマスさんにエリクサーについて聞きに行った結果なんですけど」
 と、ハーフエルフの魔導士の女の子が続ける。
「先ほど師匠さん様が言っていた命の水のようなものを生み出す錬成石は、確かに存在していたようです」
「それはエリクサーを生み出す錬成石なのか?」
「いいえ。トマスさんはエリクサーは万物の霊薬、全知全能、不老不死をもたらすほどのものと定義していたので、命の水は究極の万能薬と考えているようでした。ただ、本人曰く、それは違うものだが、アルケミスト以外には近しいものとして捉えても良いだろうと」
「でも、トマスさんの奥さんはエリクサーとして考えていたようでしたね」
「奥さん……?」
「え? トマスさんって結婚していたの?」
「あれ? アルブレストの森の町って、その後行ってないんですか? トマスさんって、自警団団長のお婆さんと結婚するんですよ?」
「ぶー!?」
「あれ、お婆さんがまるで別人かよ、なんか錬金術使っただろってくらいに若々しくなるので、必見ですよ」
「あと、ゴーレムさんの肩にのってる幼女ちゃんも」
「もともとアルブレストにいたって話だったし、まぁ、歳も近いんだろうから、お互い知っていたんだろうが……マジか……」
「はーい、話もどします~」
 演台がつん。
「で」
 ハーフエルフの魔導士さんは続けた。
「それが仮にルーフローラに存在しているとすれば、それは膨大な生命力を放出し続けているはずであるから、その場所は豊かな自然に囲まれているか、または天を支えるともされる世界樹のようなものが存在しているはずだろう──と」
「世界樹……」
 「ふ~む」と、エルさんが唸って聞いた。
「世界樹を北欧神話的解釈でユグドラシルとすると、トマスさんの言う命の水は、ウルズの泉と同一視できるかもしれませんね~」
「ですね」
 と、レイさんも続く。
「ウルズの泉なら、いかなる病をも治す効果があっても違和感はないですし、世界樹をユグドラシルと同一視するのであれば、ミーミルの泉が与えるという永遠の叡智は、賢者の石を彷彿とさせますね」
「世界樹なんか、この世界にあるのか?」
 アルさん、聞く。私は首をかしげる。
「聞いた事はあるけど、本当にあるのかどうかは……」
「あります」
「あるんですよ」
 ネリさん、レイさん。
「あるのか」
 アルさん、あっさり。
 私はというと──ちょっと驚いたが、よくよく考えてみれば何を驚くことがあろう。この人達と一緒に冒険を続けてきて、錬金術だとか賢者の石だとか、おとぎ話の中だけの話だと思っていた試練の塔だとか冥府だとか、そんなものを目の当たりにしてきたじゃないか。何を今更、驚く事があろう。
「どこに?」
 私はレイさんに向かって聞いた。
「えーと……解放条件はなんだったかなぁ……死の大地の向こうにあるんですけど……ただの称号系のクエしかないんで、エンドコンテンツの中では不人気なんですよね」
「しかし、女神さまに会いに行くのはアリかもしれんな」
「ノルニル?」
「ああっ女神さまっ」
「おいおい」
 二人が何を通じ合っているのか私には解らないわけだが、ともかく、
「世界樹の泉ってのは、何かありそうではあるね」
 アルさんに向かって言うと、レイさんが「うーん」と唸りつつ続けていた。
「しかし、世界樹に泉なんかあったかな? そもそもこの世界でも三姉妹が泉の水を与えているのかどうかも知りませんが」
「下に進んだら、あるかもしれんだろう」
「まあ……確かに上にしかマップはありませんでしたね。下に行ったらあるのかな?」
「探してみる価値はあるかもしれん」
 頷くアルさんに、かつんと演台を叩いたエルさんが続いていた。
「もしかしたら、下で冥府に繋がっているのかもしれませんね~」
「ごちゃ混ぜ感がすげぇな」

 冥府に空はなく、ただ漆黒の闇がそこを覆っていた。
 そして足元にはくるぶしの辺りにまで薄く紫の色が付いた空気が澱んでいて、それ自体が僅かに光を放って、仄暗い世界を照らしていた。
 冥府、135階。
 私たちはそこにあるという命の水を手に入れるべく、その階に足を踏み入れた。
 それが私たちの求めるエリクサーであるという保証はない。それどころか、それはこの冥府の女王にかけられた呪いをとく、唯一の錬成物であるという。
 121階でそれと出会い、一戦を交え──そしてその後、それを生み出してしまった古き錬金術師の魂と戦って──その魂が消滅する前に、彼女の解放を願って託された想いなどを胸に──私たちはそこにあるという命の水を手に入れるべく、その階に足を踏み入れたのだった。
「準備はよいか、各々方」
 薄靄をさいて、レイさんが前へと歩み出る。
 緊張の面もちからのその台詞に、
「フルレイドだと、難易度爆上がりとかねぇだろうな?」
 隣に歩み出て、眼前の地底湖の中央に浮かぶ神殿を見つめながら、軽い感じでアルさんは呟いた。
「それとも、アライアンスレイドみたいにわちゃわちゃやる系なんだったら、気も楽なんだが?」
「緊張感」
「ありますよ」
 橋の手前、アルさんは憮然として私に言う。
「ここまでくるのに、割と時間くっちまったからな。出来るなら一発クリアで、エリクサーを手に入れたい」
「エリクサーだといいんだけどね」
「お前が信じてないと、そうはならねぇんだぞ?」
「よくわかんないけど……まあ、冥府の女王の解放よりは、私としてはチロルさんとむぎちゃんの方が優先度は高い」
「ひどい勇者」
「あなたほどでは」
「で、ネリ」
 と、アルさんは肩越し、背後のネリさんに向かって聞いた。
「フルレイドの我々ならば、勝算はいかほどか」
「残念ながら」
 帽子を直しながら、ネリさんは「ククク……」と笑って返した。やめて欲しい。
「このゲーム、レイドで挑めるバトルクエストは、単なるガチなのです」
「じゃ、レイド組まねー方が事故らねーんじゃねーの?」
 ダガーさんはぐんにょり、身体を傾けつつ腕を組んでいた。その隣ではニケちゃんが同じように腕を組んでいて、
「ニケもそう思うんだけど、どうもそうじゃないっぽいんだよねー?」
 と言う。
「どういうこと?」
 聞く私に、
「これは勇者ちゃんには理解出来ないかも知れませんが~」
 と、前置きし、エルさんは言った。
「まあなんと言いますか、135階に挑むには、我々、少々レベルもILも高すぎる状態な訳でして……フルパーティでも馬鹿難易度になってしまうんで、人数多い方が、戦略的には有利なんですよね~」
 よくわからん。よくわからんが、
「しかし、この、合計2376を目にする日がくるとはな……」
「たのみますよー、レイドリーダー」
 と、笑うエミリーさんに、レイさんが、
「しかし、チロルさんの代わりの加入が、何故タンクではなくDPSなのでしょう……」
 諦めにも似た声色でぼやくと、
「え? ネリさんいますから、私の方が火力高くなるじゃないですか。あと、チーム元女子大生ではレベル99、まだ私だけですし」
「戦闘は魔法火力です」
「おかしい……」
 などと呟いて、
「大丈夫ですよ~、アルさんパーティは、ヒーラーも私だけですし~」
「それはつまり、回復は自分でなんとかしろと、そう言うことだな」
「大丈夫だ、アル君。うちのパーティも、ヒーラー一人」
 何が大丈夫なのか、第二パーティのリーダー、師匠さん。「はっはっは」と軽く笑うその後ろには、師匠さんのトレイサー仲間たちのパーティが控えていて、
「まぁ、うちも自分らでなんとかしろという点では、特に変わらないがな」
 と言うヴィエットさんに、
「いやー、久々すぎて詠唱覚えてるか、不安すぎるんだけどー」
 エルさん以上に神々しい法衣に身を包んだ金髪長髪の女性アークプリーストが笑っている。ものすごく軽い感じで。
「あれ? これってヒールだっけ? ウーンズだっけ?」
「ウーンズはどこの世界でもダメージ系だろう。ダメージを与えてどうする」
 と、漆黒のローブを身に纏ったアサシンさんがため息を吐くと、
「オレも詠唱覚えてるか不安だな……二重詠唱とか、今更できる気がしない」
 大きな杖を手にした魔導士さんが「あーあー」と不思議な発生をしながら続いていた。
 様々な想いを胸に、135階へとたどり着いた──などという話はどこへやら。私たちフルレイド──つまり二十四人の仲間達は──いつものように、いつもの調子。
「実に心強いILだが」
 アルさんが腕組みでその師匠さん達のパーティメンバーに向き直って言う。
「相変わらずだな」
「えー?」
「心外ですよ」
「だよねー、わざわざこうして呼びかけに集まったというのにねー」
「ねえ?」
 わいのわいの。師匠さん達のパーティは、エルさん曰く旧知の仲のみんなとのことで、タンク一人に、ヒーラー一人、デバッファー三人に魔法使い三人という構成で、こちらも若干、前のめりな構成であって……さらには、
「ボス戦前にお前達の不安を聞いてやる。各々、自由に発言しろ」
 腕を組んで言うアルさんの言葉に、「咄嗟に魔法を出そうとして、リングコマンド動作をしてしまうのが……」「スキルのプレモーションが思い出せない……」「とりあえず、キュア・オールとベネディクションは思い出した」などと、若干不安をあおってくるが……エミリーさん曰く、「みなさん、私からすれば、サインください級プレイヤーですよ!」と、大興奮な感じなので、まあ、あの言い分は照れ隠しなんだと言うことにしておこう。そうしよう。エミリーさんが単なるミーハーではないかという説は置いておいても、ここまでのみなさんの活躍を見るに、片手で冥府の死霊を屠ったり、指先を振るうだけでタンクの皆を全快させたりと、相当な冒険者であることだけは間違いないのだから。アルさんと旧知の仲って事が、アレはソレでコレは置いといて。
「で、第三パーティはどういうスタンスでいけばいいんですかね?」
 と、あの騎士くんが前に出て声を上げていた。ちなみに騎士くんはみんなからベルくんと呼ばれていたので、お名前はベルなんとかというのだろうが、未だにフルネームは教えてもらっていない。もうずいぶん長いこといろいろなところに一緒に行っている気もするんだがな……この人たちは、そういうのは気にしないからな……
「みんながんばれ、で?」
「ザラキザラキ」
 と、ハーフエルフの女の子は笑う。ちなみに彼女は皆にルーナと呼ばれていた。
 ベルくんをリーダーとする第三パーティは、タンク二人にヒーラー二人、デバッファー一人とDPS三人と、最もバランスのとれたパーティとなっていた。固定パーティの面子ではなく、協力してくれているエクスプローラーのみんなからの精鋭部隊だったが、逆にそれが他の二パーティにはない安定感を生んでいた。
 ので、
「作戦は、ベルくんパーティが前線で普通に頑張って、普通に戦っているところを、後ろから我々が応援するスタイルで」
 この男にそう言わしめる。
「いや、これ、アルさんのクエストなんで」
「えー? でも、一番安心感のある作戦じゃね?」
「ええ、真面目にベルくんさんたちに支えてもらって、我々はヒットアンドウェイしたりフェーズ切り替えやウェーブ毎に飛び出して、一気呵成にぶち抜く方がいいかもしれないという……」
「前のめりですからね~、私たち~」
 と、喧喧囂囂。
「それもどうか……」
 私はぽつり、小さなため息と共に呟いた。
「ま、ともあれ」
 言って、レイさんは両手剣をすらりと引き抜き、踏み出して言った。
「覚悟は良いか、各々方」
「棺桶の準備はバッチリだ」
「死んじゃダメです~」
「この橋の先が……地獄です」
「いえ、既にここ、冥府ですけど」
「いや、これはお約束という奴で……」
「通じない通じない」
「えー」
「私、何のことかわかんないー」
「おい、レオナがなんか言ってるぞ?」
「あれー? ヒールの詠唱、ド忘れしそうー?」
「ソウデスネ、そんなネタ、ワカリマセンね」
「え? 私、本当にわからないんですけど」
「えー……」
「それはそれで、/ショックですね」
「それも通じない」
「ってか生まれてない」
「マジかよ……」
「はいはい、ジェネレーションギャップを感じてない、そこ~」
 まぁ、私には何をわいわいやっているのか、全くわからないんですけどね。
 ここまで来て、みんながみんな、相も変わらずで逆に頼もしいわって事くらいしかね。
 そして私たちは──それぞれの想いを胸に、前へと踏み出したのだった。


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