studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2022.01.01

勇者ちゃんの、勇者の資質(後編)

Written by
しゃちょ
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読み物
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 その何かは私たちに気づくと、ゆっくりと振り向き、眼球のない眼窩を私たちに向けた。
 冥府、135階。
 その階層に唯一存在する神殿の最奥に──それはいた。
 冥府の女王。
 アーオイルが錬金術から生み出した、古き神のなれの果て。
 かろうじて人の身体を保っているそれが動くと、ぼろぼろと蛆の湧いた肉が辺りに落ち、腐臭がぞわぞわと足下を流れてきた。
「ひでぇモンだな……」
 剣を構えた私の隣、アルさんが呟く。
「出来損ないの賢者の石に死すらも奪われ、神にもなれず、ただただ冥府に蠢くもの……」
「引導を渡してやるのが、せめてもの情け」
 答え、レイさんは構える。
 そして──
 眼前、私たちに振り向いたそれが、冥府を震わす悲鳴のような咆哮をあげた。声に、頭がぼこぼこと内側から沸騰するように弾け、雷を纏った黒いヒトガタの何かがもぞりと姿を現す。続いて弾けた胸から、腹から、足の間から両手、両足と──計八体のおぞましいヒトガタが次々と姿を現し──顔に当たる部分の半分以上を占める口のような穴の奥から、怨嗟の声を轟かせた。
「いくぞ!」
 剣を振るい、アルさんは叫んだ。

「いくぞ!」
 というアルさんの号令に、
「おう!」
 と、皆が返し──号令とは裏腹に、私たちは後ろへとそそくさと下がったのであった。
 で、
「よろしく!」
 と、アルさんは勢いよく言う。
「言うだけ言って、下がるぼくたち」
「チキンな勇者パーティー」
 続くレイさんに、ええっと……となりつつも、私も下がって言った
「いや、この作戦立てたの、貴方たちだから」
「勿論だとも! これぞ戦術! ゆけ! 我らが真の勇者たち!」
 などと言いつつ下がる私たちのパーティーと入れ替わりに、ベルくんたち第三パーティーが前へと飛び出していた。「やってやるぞー!」「いざとなったら聖闘士宣言ー!」と、ベルくんともう一人のタンクくんの二人が一気に女王の前に飛び出して立ち塞がり、その雷と炎の攻撃を受け止めた。
「遠距離DPS部隊、総攻撃!」
 ネリさんが杖を振るって指示を出す。それと同時に炎と冷気と雷の猛攻が渦を巻いて冥府の女王を飲み込んだ。
 怨嗟の咆哮を打ち消す猛攻に、冥府の大地と空気が唸り、
「うお!? マジか!?」
 爆風に、流石に腕をかざして足を引いたアルさんが声をあげていた。
「開幕ぶっぱで極大魔法七連発って、これでケリがついちゃうんじゃねーの!?」
「七人ですけど、二人ほど300階フィートで二重詠唱しているので、実質九ですね」
「出番なしでもいいんじゃないかな?」
 などと若干期待をしたものの、やはり冥府の女王はその猛攻に耐え、黒い雷を身に纏いながら「オオオォ……」と低く唸っていた。
「はい、きますよ~」
 エルさんが支援魔法をばらまきながら言う。
 眼前、女王が大きくのけぞったかと思うと、肉が挽け、挽けた肉から無数の黒い巨大なヒトガタが生み出された。
「多い多い!」
 とっさに何体とは数え切れないほどのヒトガタが、後ろに下がっていた私たちの方へぐわっと一気に押し寄せてくる。
「シコメはDPSチェックじゃないから落ち着いて対処!」
 師匠さんの声に、第一、第二パーティーの皆が黒いヒトガタに対峙する。タンクは一人二体以上、ローグ系のダガーさん、ヴィエットさんたちは一人一体ずつで、「魔法職はヒーラーの後ろまで下がって、リキャスト明けまで待機~」「がんばれ、近接DPSとかわいいアチャコー」と、第一、第二のヒーラー二人から声援が飛ぶ。
「マジかー!」
 言いつつ、走るアルさんに私も続いた。
「第一第二の近接って、私とアルさんしかいないのでは!?」
「そしてアチャ娘は、ニケオンリー!」
「ニケー! オレの前のシコメからやってくれー!」
「ずるいぞダガーさん! 頼むニケちゃん! オレの方を先に! べと液あげるから!」
「いらない」
「ですよねー」
「あの、タンクとしては、これを二体も三体も抱えるのはきついのですが……」
「チャージ・ライトニング・アロー!」
 ニケちゃんのイチイの弓に光芒の矢がつがえられ、
「リリース! トリプルストレイフィング!!」
 ぼっ! という空間を揺るがす振動波と共に、光の帯が数体の黒いヒトガタを巻き込んで走り抜けた。
「波動砲の対象になった奴を叩く!」
 片手下段に剣を構え、アルさんは光に打ち抜かれながらも動きを止めただけで戦意を失っていないヒトガタへと走り込んでいく。
「オラージュ・エクレール!」
 雷を纏った十二連撃を打ち込むと、その十撃目のところで、黒いヒトガタが霧散した。
「おっとと!」
 と、思わず私はたたらを踏んで、ぎゅむと足をひねって近くの別のヒトガタへと「セプト・エトワール!」を放つ。
 どどどっと、細剣に撃たれたヒトガタが黒を宙に散らす。目のような窪みの奥の赤い光が失われないのを捉え、一つ後ろへ飛び退く。と、振り上げられたヒトガタの腕の隙間をぬってダガーさんが飛び込み、
「ファスト・バイト!」
 左右の短剣で四連撃。その連撃で、ぼっ! と、黒のヒトガタが霧散した。
「あれ!? こいつ、よえぇ!?」
 連撃を撃った体勢を整えながら、アルさん。
「クロス・アンド・ピアースとセプトぐらいで十分か!?」
「むしろ二人ともセプトで、抱えてる奴がとどめをさすくらいでもいいんじゃねぇか?」
 下がり、ダガーさんが続いていた。そしてそれに遠くからレイさんが返す。
「というか、勇者ちゃんのDPSは、単体に対してだけで言えばこのレイドで一番な訳でして……まあ、装備もありますが、アルさんも単体に対しては割と規格外のダメージが出せますんで」
「マジか! 俺は強かったのか!?」
「まあ、ニケの一撃があるからだけどー」
 言いつつ、ニケちゃんは次の標的に向け、光の矢をつがえている。
「まだまだ沢山いるよー、バッファー、デバッファーの前からつぶしてくから、攻撃人数増えてくんで、調整してねー」
 と、次の光芒の矢を撃ち放つ。
 どぉん! と、光が突き抜けた先には、黒いヒトガタが三体。
「え? お前、二体、三体、と増やしてく気?」
「え? いけない?」
「いやいや、純DPSは俺と勇者ちゃんだけだから!」
「ダガーさん! アルくん達が攻撃する前に叩いてしまおう!」
「取りこぼしはアルの責任!」
「ちょっとぉ!」
「ってか、二人が二体に行ったんなら、一体は取りこぼすんじゃ?」
「あれ?」
「ソニック・ブロー!」
「ブラック・ブロウ!」
「じゃ、私は三体目へ」
「オオィ!?」
「セプト・エトワール!」
 を、アルさんを無視して三体目のヒトガタへと放つ。そのヒトガタを抱えていたセルフィさんが「ばっくあたっく! ファスト・バイト!」で、とどめを刺し、「アルさん、頑張って!」と、声援を投げかけた。その顔は笑っているわけだが。
「ちょっと、もー!」
 言いつつ、
「セプト・エトワール!」
 を放ち、一体目を五連撃目で霧散させると、「んにゃらー!」という雄叫びとともに、回し蹴りをもう一体に食らわせ、残りの二連撃をそこに打ち込んだ。
「おお!」
「あそこから連撃を繋ぐとは!」
「さすが! 腐っても我らがギルマス!」
 その妙技に皆の歓声が上げるけれど、
「まあ、取りこぼすんですが~」
 ヒトガタはかくかくとしながらも、それに耐え、アルさんに窪んだ眼窩を向けた。
「よし!」
「いけ!」
「やれ!」
 後方、魔導士組。
「月の銀光、癒やしの光! キュア・シリアス・ウーンズ!」
 詠唱。そしてアルさんの左手から放たれた癒やしの光が、ぱっとヒトガタを包んでそれを消滅させた。
「チ」
「チ」
「チ」
「チ」
「チ」
「チ」
「チ」
「七チいただきました~」
「お前ら……」
「は~い、追加オーダー入りま~す」
 言うエルさんの声に、冥府の女王の唸り声が重なる。あたりに飛び散っていた黒の肉片が再びもぞもぞと動き出し、新たなヒトガタが再びそこからわき上がっていた。
「ウェーブ2! とりつけ!」
「リキャスト開けた魔導士隊もペアでタゲ取り!」
 わっと皆が一斉に走り出し、ヒトガタを釣って散開する。
「ウェーブ、何回!?」
「四回です! 気張って、DPS!」
「では、四体巻き込みでうつよー」
「そこはリセットされないんだ!?」
 どおん! と放たれた光の矢に、私たちは再び走り出した。

 四度のヒトガタの猛攻を押し返し、残り二体となったところで、
「ラストー!」
 ニケちゃんが矢をつがえるのと同時に、
「最後二体は私と師匠で取ります! 他の方々は下がって待機!」
 言って、レイさんと師匠さんが走り出した。
「第三パーティ、タンク以外は下がれ!」
 師匠さん。言って、「サークル・オブ・ドゥーム!」でヒトガタを光の陣に消滅させ、続いたレイさんが「ソウル・ストライク!」で最後の一体を屠ると同時に、四人のタンクが冥府の女王の前に立ち並んだ。
「フェーズ2!」
 声に、女王の咆哮が重なる。
「雷耐性お願いします!」
 エルさんの声に第三パーティのエレメンタリスト、コハクさんが「スピリット・オブ・ヴォルト!」を唱え、辺りに電撃の網を張る。
「サンクまいとけばいい?」
「よろしくお願いします!」
 金髪のアークプリースト、レオナさん問いに、後ろに下がった魔導士はじめDPS陣が返す。
「神の聖域、癒やしの結界……ええと、なんだっけ?」
「ちょっとー!」
「あ、レベル的に短詠唱で発動してた。ヒーリング・サンクチュアリ!」
 声に生まれ出た光の円環が、フロアに魔法陣を描いて私たちを包む。癒やしの光のその向こう、
「受けます!」
 響く女王の咆哮を打ち消すようにして、レイさんが叫んでいた。
「死ぬか?」
「たぶん!」
「頭はインビンで僕が受けます!」
「よろしく!」
 タンク達のやりとり。そして──その眼前で冥府の女王は、唸るような咆哮と共にその身体を巨大化させていた。
 冥府の空気が女王に吸い上げられ、吹きすさぶ風が私たちの魂を引き抜こうとする。
 響く咆哮が、踏ん張る足を、握りしめた拳の力を、奪い取ろうとする。
「来るぞ! 構えろ!」
 師匠さんの声が、一瞬の静寂の中に響いた。
 そして──冥府の女王の身体から生えた八体のヒトガタが、突き抜けんばかりの咆哮と共に、縦横無尽に雷を迸らせた。
「リミットブレイク! ダークソウル!」
 雷の前に立ち、レイさんが左手をかざす。
「孤独の魂!」
 かざした左手に雷が収束する。猛烈な閃光が辺り一面を白にして、世界を一瞬、掻き消した。
「レイシュ!」
「暗黒騎士の真骨頂!」
「魅せてくれるぜ!」
 光の向こう、左手を突き出し全ての雷を受けきったレイさんの背中に、皆が声を上げていた。
「インビンシブル!」
 ベルくんがその脇を駆け抜けて冥府の女王に飛び込んでいき、
「キュア・オール!」
 エルさんを除く三人のヒーラーの声が三人のタンクの背中を押す。タンクの三人はベルくんを中心に冥府の女王を囲み、低く唸るそれに連撃で斬りつけていた。
「リザレクション!」
 エルさんがレイさんに復活の祈りを飛ばしつつ、
「アルさん、レイさんを回収してください~」
「おう」
 エルさんの声が速いか、アルさんは「アン・アヴァン!」でレイさんの背後に飛び込むと、ぐらりと倒れ込んだその身体を受け止めていた。
「ぐふー……リザを貰っても、MPがゼロになってしまいましたので、私はただの黒い木偶の坊」
「いいや、壁となって死ね」
「ひどい!」
 レイさんを抱えたアルさんが後方に下がってくる。それと入れ替わり、
「魔導士隊、回復の終わった者から前へ! タンク三人のスイッチタイミングを見ながら、範囲攻撃!」
 ネリさんを先頭に、魔導士達が前へと飛び出す。
 そして、火、氷、雷の範囲魔法が女王を中心に乱舞し始めた。
「ローグ組は、HPを見て各個攻撃!」
 弾ける魔法の光をぬって、ヴィエットさんを先頭にダガーさん達が走り出す。
「主さま! 第三パーティの単体近接は私と近接弓デバッファーですので、私たちは遊撃に回ります!」
 と、アルさんを主さまと呼ぶモンクの女性、刹那さんが、両手のナックルをがちんと打ち鳴らし、短い弓を手にした第三パーティの弓使いの子と一緒に続く。
「おう!」
 勢い、返して、
「で」
 アルさんは言った。
「こいつは、どういった展開だ?」
 ヒーラー達の後ろにレイさんを下げながら、首をひねりひねり。
「え? ネタバレいいんですか?」
 レイさん。
「いや、お前ら知ってるから普通に連携してんじゃん。わかんねーの、俺と勇者ちゃんだけじゃねーの?」
「それもそうですね」
 「ふむ」と唸り、あぐらの姿勢のままでレイさんは続けていた。
「フェーズ2は、あの八体のヒトガタを同時に撃破してください。制限時間がありますですんで、全力でやってかまいません」
「全力って言ったって、同時撃破なんだろ? 誤差はいくつまでだ?」
「10秒です」
「え? 八体もいるのに10秒しかねぇの? 取りこぼしたら、一体、1.25秒?」
「24人もいるんですから、頑張ってください」
「まあ、範囲で攻撃してるから、バランス見ながら叩けばいいのか……」
「それだと、時間制限にかかるかもしれませんね~。だいたい、タンク三人のスイッチ二ループですから~」
「本体も痛いのか……」
「割とシャレにならない感じで痛いです」
「そうそう、だからこのフェーズ、ヒーラーはタンク見てるから、被弾しないでね、アルさん」
 と、レオナさん。
「調子に乗ってタゲ取ったら、死」
「とは言え、削りきらないと雷バーストで強制終了」
「オラージュだと、ヘイトやべぇか?」
「師匠とベルくんさんなら、ナイトなんで平気かと。聖騎士はちょっとヤバいかもですね」
「使い分けだな……行くぞ、勇者ちゃん!」
「いや、わかってないんだけど?」
「指示する! まずは大雷にフルーレ!」
「大雷ってどれ!?」
 駆け出すアルさんに続きながら、私は言った。
「頭の奴です~」
 エルさんの速度増加の魔法を受けながら、私たちは女王の前に飛び出していく。

 即席のパーティとは言え、そこはアルさんとその仲間達である歴戦の冒険者たち。タンク三人が囲む女王に取り付き、代わる代わるに八体のヒトガタに攻撃を打ち付けていき、
「スイッチ!」
 ベルくんの声に、「先、オレ取ります!」と、第三パーティの二人目のタンク、聖騎士のリックくんが女王の前に躍り出た。
「あとスイッチ一回!」
 師匠さんが肩越しに叫ぶ。
「あれ、これやべぇぞ?」
 攻撃の隙間、私の隣に来たヴィエットさんが言っていた。
「削りきれないかもしれん……」
「おい、やべぇのか?」
 右足のヒトガタを攻撃して下がってきたアルさんが聞く。
「このペースだと、足りないか?」
「まずいな、たぶん足りない。ネリくん!」
 声を上げたヴィエットさんに、ネリさんが魔導士達に向かって振り向きながら叫んでいた。
「間に合いません! 一気につめます! 氷は私側! 雷はエミリーさん側!」
 と、魔導士たちは左右に散る。
「ローグ! クールタイム調整! 魔法に合わせる! 左右展開!」
 ヴィエットさんが走り、残された私とアルさんの元へ、ニケちゃん、モンクさん、近接弓使いのDPS陣が寄ってきた。
「主さま、大魔法がきます! ヒット数が読めませんので、取りこぼしを我々で叩く必要があります!」
 と、モンクの刹那さん。
「ニケさんは波動砲で、取りこぼしをなぎはらってください」
 弓使いくんは続ける。
「自分、デバフの方が得意なんで、範囲デバフを打ちます。ローグのみんなはHPの少ない奴から叩くはずなので、我々は多い順に」
「一番多いやつは、私が爆裂波動から、阿修羅で決めます」
「それはどんなスキルなのか知らんが、物凄いヤツな気がするな」
「300階フィートも取ってますので、HPもMPも1になりますが、確実に屠れます!」
「第三フェーズどうすんだ……?」
「抜けてから考えましょう!」
 がちんと彼女はナックルを打ち鳴らし、前を向いた。
「行きますよ!」
 ネリさんの声が届く。
「ヒット中にスイッチ!」
 師匠さんが応える。
 そして──
「永久の時にも姿を変える事なき氷の力よ!」
「天と地に満ちる数多の風の精霊達よ!」
「あれか!?」
「七人で!?」」
 魔導士達は、氷と雷の大魔法を撃ちはなった。
「ストーム・ガスト!」
 生まれた魔方陣が弾けると同時に、氷の嵐が渦を巻く。空気が一瞬にして凍結し、烈風に砕かれて氷の刃と化す。
「ロード・オブ・ヴァーミリオン!!」
 氷の嵐と逆向きに吹き荒れた風が、唸りを上げて雷を呼び起こし、氷を砕いて激しい電撃を撒き散らす。
「行きます!」
 近接DPS達が、その魔法の中心へと一斉に駆け出した。
「雷耐性があろうとも、120ヒット越えならば!」
 閃光の向こう、師匠さんがスイッチする。
 取りこぼされたヒトガタに、ローグ達が一斉に攻撃を放ち、
「頭、両手、腹が残る!」
 攻撃を終えたローグ達が跳びすさり、叫ぶ。
「腹! 行きます! 爆裂波動!」
 刹那さんの声に、どおん! と凄まじい爆音が轟き、彼女の身体から黄色い闘気が湧き上がった。
「ニケさん! デバフ撃ちます!」
「あいよう!」
 二人の弓が、彼女に先駆け、残りのヒトガタを打ち抜いて──そして、
「突・撃!」
 一気に刹那さんは冥府の女王へと詰め寄った。「阿修羅──」
「覇王拳ッ!!」
 右手の突きの一撃。光が舞って、雷鳴をも掻き消す爆音が鳴り響き、冥府の女王の姿が霞んだ。
 残りは──頭と両手!
「両手は私が撃つ!」
 併走するアルさんを見ず、私は言う。錬成石を割り、光を連れ、女王に迫る。
「ラ・ロンド・フルーレ!」
 十六連撃の十二回目で、右手のヒトガタが声もなく霧のように散った。そしてそのまま左手のヒトガタへと切っ先を向け、残り四。雷を私に向かって撃ち放とうとしてくるそれに、「ダカーポ!」
「アル・フィーネ!」
 繰り返しの十六連撃を打ち込み、剣閃の勢いと共に、それを消滅させた。
 そして私の背中を超え、アルさんが頭部のそれに向け、最後の連撃を撃ちはなった。
「オラージュ・エクレール!」

「フェーズ3!」
 師匠さんが叫ぶ。
 唸りをあげて身体を仰け反らせた冥府の女王が、その大きく開いた口の中に、丸い雷の塊を生み出していた。
「頭割り! DPS! 全員寄れ!」
 ヴィエットさんが走る。ローグのみんなが女王の前に飛び出して行って、タンク三人の後ろに並ぶ。
「主さま! 前へ! 私は下がります!」
 下がる刹那さんと入れ替わり、
「前だ! 勇者ちゃん!」
 私とアルさんもまた、前へと飛び出した。
「ノックバックあるぞ!」
「レジスト! スピリット・オブ・ヴォルト!」
「インビンシブル!」
 構える私たちに向かって、女王は頭を振り下ろす勢いと共に、その口から雷の砲弾を撃ちはなった。
 ごうと光が圧となって私たちに打ちつけられる。強烈な雷撃が身体を包み、私たちを圧の力で吹き飛ばした。
「ぐお!?」
 吹き飛ばされ、ヒーラー達のいる後陣にまで押し込まれた私たちに、
「セラフィム・ヒーリング!」
 高々と手を挙げたレオナさんが光のドームを生み出し、癒やしの光を降り注がせた。
「死者なしで耐えた!?」
 ヴィエットさんが言う。
「押し切れば行けるか!?」
「いや──!」
 両手剣を支えに立ち上がりながら、レイさんは続けていた。
「耐えはしたが、こちらも有限リソースをほぼ使い切ってしまいましたよ! 正直、キツいか!?」
「インビン切れまで、あと五秒!」
 最前線に一人残っていた師匠さんが、冥府の女王と切り結びながら叫んでいた。
「MPまだです! 師匠!」
「レオナさん、ベネ、まだありますよね!?」
「あるけど、誰に!?」
「立て直す時間がない!」
「突っ込むか!?」
「全員でコンボをつなげれば、あるいは!」
「廃人思考すぎる!?」
「ハル!」
 喧々囂々の皆の中から、第三パーティーのタンク、リックくんが、回復もそこそこに飛び出していた。
「了承!」
 第三パーティーのヒーラー、ハルさんが短く返し、
「皆さん! 耐えて! リックくんが持ちます!」
 飛び出しそうになっていた私たちの足を止めた。
 癒やしの光のドームの向こう、冥府の女王の攻撃に膝をついた師匠さんの元へ、リックくんがその祈りの言葉を発しながら駆けつけていく。
「我──皆がそれを望むなら、我はそれを護る盾となろう!」
「えー!? リックくん、300階フィートで、ハルちゃん対象にいつの間にー!?」
「やる気か、リックー!」
「漢を見せろ、男の子ー!」
 皆の声援を受け、リックくんは冥府の女王の前へと飛び出し、言った
「我──皆が望むなら、それを成すための剣となろう!」
 そして彼は宣言した。
 光り輝く聖なる光を宿した剣を振るいながら、一人、冥府の女王の前に立って。
「聖闘士宣言!」
 振り下ろされた剣の、聖なる光が弾けて散る。
 舞い踊る光は、神の祝福となって聖騎士の身体を包み込み、女王の雷を──全ての攻撃を──その光の中で打ち消した。
「あれが──!?」
 それを初めて目の当たりにしたアルさんが、息を呑んでいた。
「あれが──聖闘士宣言!?」
「リック! 君のことは忘れない!」
「そして、頼む!」
「君の運に全てがかかっている!」
 前線、一人で耐えるリックくんに、
「立て直す! 今は耐えろ!」
 下がってきた師匠さんが肩越しに言った。
「リックくんが耐えている間に、回復と錬成石強化を!」
「ってか、あれ、どれくらい保つんだ?」
 アルさんの声に、魔導士達やローグ達に回復の錬成石を使いながらのレイさんが返していた。
「10秒毎に生死判定です。全ては運。ただしその間はほぼ無敵」
「必ず死ぬから、継戦向きじゃないんだが……アルさん、ここは勝負所だ」
 構えながらの師匠さんに、
「つまり、押し切れと?」
 にやり、アルさんは不敵に笑う。
「回復、はやく……」
「リキャストー……」
「10秒きます!」
「リックー!!」
「死ぬなよー!」
「ふんぬー!」
「抜けたー!?」
「行くぞ、皆の者! リックの死は無駄にはしない!」
「まだ死んでませんが……10秒後はともかく」
 じりりと、私たちは光のドームの中で回復を受けながら、その足に力を込めていた。
「死して屍拾うものなし……ベルくん、抱えるぞ。私とベルくんが死んだら、レイシュ、後は任せた」
「一撃くらいなら耐えて見せましょう」
「魔導士、ボルトコンボで行きますよ? 多少の被りは仕方ありません。皆さんの力を信じます」
「ローグはオレに続け。直列コンボで一気に叩く!」
「ニケ達はその後ね」
「つまりラストは──」
 私の隣、アルさんが私を見た。
 だから私もアルさんを見返して──お互いに指差ししあって──その指先を、ぴしと叩きあった。
「20秒ー!」
「ああああー!」
 ぐらり、リックくんの身体が傾いだ。
「行くぞ!」
「おう!」
 そして私たちは、一斉に走り出した。

 師匠さんとベルくんが、並んで先陣を切る。
 冥府の女王が、迫る冒険者達に向かって大きく吠えあげる。
 駆け込む私たちの頭上を飛び越え、無数の炎の槍が、氷の槍が、雷撃が、雨霰のごとく女王に向かって降り注いだ。
 空気が震え、怨嗟の唸りが冥府を揺らす。
「サークル・オブ・ドゥーム!」
 師匠さんが剣を振り下ろし、冥府の女王を光の陣に捉え、「スピリッツ・ウィズ・イン!」でベルくんがその胸先を突く。怨念のこもった赤い眼がタンクの二人を捉え、大きな腕を振り下ろしてくる。
「死ぬまで受けるッ!」
 がぁん! と盾でそれを受けた師匠さんに、
「それでこそ騎士だぜ!」
 その脇をすり抜け、ヴィエットさんが女王に向かって飛びかかった。
「ラスト・ストーム・エッジ!」
 両手の短剣での十六連撃。
「スタン入らず!」
 身体を捻って女王から離れるところに、「続く!」ダガーさんが飛び込んでくる。
「ラスト・ストーム・エッジ!」
 同じく十六連撃に、「スタン!」「寿命が延びた!」「チャンスだ! 続け!」「背面取ります!」セルフィさん、グリムさんが続いて「バックアタック! ダンシング・エッジ!」を背面から打ちつけた。女王は十四連撃、合わせて二十八連撃を食らうと、ぐわっと背を仰け反らせ、吠えた。
「くるぞ! ランダム範囲!」
「対象は散れ! それ以外はコンボを繋げ!」
 わっと散開するローグと魔導士。離れた四人の頭上に雷の球が生まれ、ばちん! と弾けた。
 迸る雷の合間を縫って、ニケちゃんたち二人の弓使いが放った矢が、冥府の女王の身体を射抜く。
「回復は私がやるから、エルさん他、ヒーラーも!」
 レオナさんの声に、
「では皆さん、どいてくださ~い」
 エルさんの声。射線が開けたその先に、拳を引いたエルさんと、そしてハルさん。
「ゴッド・フィスト!」
 右手と左手から放たれた神の一撃が、冥府の女王をぐらりと傾がせた。
「次きます! 扇範囲! 頭割り!」
「受けきれない! ローグ、前へ! ヒーラーと魔導士を残せ!」
 両手を振り上げた女王に、ベルくんと師匠さんが叫んで躍り掛かった。
「あとは任せたー!」
 振り下ろされる女王の腕。
 迸る雷に、タンクの二人、ローグの四人が巻き込まれ、ぐらり、六人が倒れた。
「タンク死んだー!?」
「仕方ありませんねぇ~」
 と、言ったのは、モンクの刹那さんに手を引かれ、縮地で一気に女王の前へと飛び込んだエルさんだった。
「導師のCONは、タンク並み!」
 勢い、手にしていた杖で冥府の女王の頭をぶん殴る。どごっと鈍い音がして、女王の身体がぐらりと揺らいだ。
「コンボ繋ぎます! 一撃貰ったら死ぬんで!」
 言いつつ、刹那さんは「連撃乱舞!」と、両手の拳、左右の蹴りを次々と繰り出し、女王をその場で棒立ちにさせる。
「エルさん! ヘイトお願いします!」
「ヘイトゲージなんて、本気を出したらぶっちぎりですよ~」
 歌うように言いながら、次々と強化の祈りを発動させ、女王の攻撃を一手に引き受けながらエルさんは言っていた。
「ほらほら~、MPなくなったら終わりですよ~、刹那さんの息切れ前に、魔法ばんばんコンボしてください~。レオナさん、HPはよろしく」
「早い! 減るの早い! ハルちゃんも頼む!」
「リザは!?」
「どうせ衰弱ついて範囲で死ぬから、アレらは放置」
 と、ヒーラーがヒーラーを支えている内に、
「魔導士! リャスト開け組からコンボローテ再開! コンボ優先で、タゲられても動かず撃つ!」
「死ぬ気のボルト!」
「タゲガチャボルトー!」
 などと言う魔導士達の頭上には、女王の雄叫びと共に雷の球が次々と生み出されていた。「落ちる前に撃て!」と、雷鳴が轟くよりも先に炎の矢や氷の矢を魔導士達は撃ち放って──どさどさと倒れていった。
「200は超えたい!」
 最後に残ったネリさんとエミリーさんが、「アイスストーム!」「ライトニング・バインド!」を放ち、
「直線範囲、きますよ~」
 構えるエルさんの元へ、「ただでは死なぬ!」と走り込んでいく。
「あとは任せましたよ! アル!」
 言い、ネリさん、エミリーさん、エルさん、刹那さんが女王の放った雷撃の矢に飲み込まれた。
 消えゆく光の中で、四人が膝をついた。
「リャスト開けてないが……ラスト、行くか!」
 ポメルをこめかみにつけ、構えるアルさんに、
「こらえてください! あと五秒!」
 レイさんの声。それを追い越し、ニケちゃんたち二人の弓使いが飛び出していた。
「射手の体術!」
「ニケ、体術使ったことないんだけど!」
 二人は女王の前で至近距離から弓を撃ちつつ、射手の体術を使って女王を翻弄する。しかし女王は腕を左右に大きく広げ、
「レイさん!」
 アロー・シャワーをその腕の隙間から真上へと放ち、ニケちゃんは跳びながら叫んだ。
「あとはまかせたー!」
 振り下ろされた両腕から雷撃が迸り、女王の周囲を飲み込んで──二人がそのまま落ちて倒れた。
 そして──女王は前を向いた。
「まかされました」
 ニヤリ、レイさんは返す。
「レオナさん、ベネー!」
「ベネディクション!」
 その短い神聖語に、ごうとレイさんの身体から暗黒の炎が立ち上った。
「コハクさん、シルフィード・ランス!」
 大剣を大上段に構えたレイさんに、
「シルフィード・ランス!」
 コハクさんの声に応えた風の精霊が、暗黒騎士の身体を一気に女王へ肉薄させる。その勢いに乗せ、レイさんは暗黒の炎を立ち上らせながら、大剣を大上段から振り下ろした。
「ソウル・ストライク!」
 生まれ出た暗黒の火球が、剣と共に女王に降り注ぐ。大地を砕くような轟音と共に、辺りに暗黒の炎が散った。
「行ったぜ!」
 炎の中、レイさんはニヤリと笑って、言った。
「怒涛の246コンボ!」
「かませー!」
 レオナさんが最後の二人──私たちに向かって神の祝福を飛ばす。「ホーリー・ブレッシング!」
「行くぜ!」
 相棒の声が早いか──私たちは駆け出した。
 残りの錬成石を次々と砕き、光を纏いながら、冥府を揺るがす呻りをあげるその女王に向かって、一直線に突き進む。
「フルーレは!?」
「今は撃てる気がしない! オラージュは!?」
「クールタイムが開けてない!」
 言葉を交わし、私たちは併走から、女王に向かって飛びかかった。
 剣を引く。
 女王の窪んだ眼窩が、私たちを見た。
 私たちの剣の輝きが、それを照らす。今撃てる、私たちの最高の連撃──その剣の輝きが、私たちの瞳に映り込んだ。
「セプト・エトワール!」
 突きからの七連撃。
 そのすべてを女王の身体にたたき込み、最後、私たちは全く同時に、強烈な閃光を纏った突きの一撃を撃ち放って、その巨体を弾き飛ばした。

 静寂の中、小さく呼吸を整える。
 冥府の女王であったものは、倒れ、その身を包んでいた冥府の呪いから引き剥がされ、一人の女性の姿となっていた。
 近づき、アルさんが深く息を吐いていた。
「ほっとけば、また冥府の力で蘇るのか……」
「そういうことです」
 隣に立ったレイさんも、深く息をついて言う。
「いやしかし、満身創痍でしたね……」
 振り向くと、レオナさんとハルさんがリザレクションで倒れた皆を起きあがらせていたが、起き上がった皆も立ち上がる気力はないのか、ほとんどがその場に座ったままでこちらを見ていた。
「さて、アルさん」
 レイさんが吐く息と共に言う。
「生命の水を手にしましょうか」
 視線の先、神殿の最奥には小さな泉のようなものがあった。
 近づくと、泉の底は鉄格子のようなものが嵌め込まれていて、その奥から水がこんこんと沸きだしているようであった。薄い光の中、揺れる水面がきらきらと光を踊らせている。
 アルさんはその縁に座り込むと、古き錬金術師から譲り受けた小さな小瓶をその中に沈めた。
 ぽうっと、小さく光が弾けた。
 息をのんで、見る。
 アルさんはゆっくりと小瓶を持ち上げると、透明な水の入ったそれを目の高さまで持ち上げて──ひとつ、息をついた。
「……それ」
 私は呟くようにして聞く。
「エリクサー……なの?」
 私たちの求めるもの。生命の水。アクア・ウィタイ。いかなる病をも直すという、神秘の水。
 はたしてそれは──
「勇者ちゃんには、なんと説明したものかな……」
 言いながら、アルさんはゆっくりと立ち上がった。
「アイテムストレージに入らない」
 その言葉の意味は、私にはよくわからなかった。
 わからなかったけれど……皆が大きく一つ、息をついたのは解った。
「ど、どういうこと?」
 答えは察していた。けれど、聞いていた。
 アルさんの代わりに、レイさんが息をつきながら返していた。
「あれは、私たちの求めるものではないということです。より正確にいうと、あの小瓶はここから持ち出す事ができません」
「アイテム扱いになってねーのか?」
 近づいてきたダガーさんの問いに、
「イベントリストに入ってる。アイテム名は、『生命の水』」
 小瓶を小さく振りながら、アルさん。
「それはクエストアイテム名、そのまんまですね」
 レイさん。
「ダメか」
 言って、ダガーさんはくるりと振り向き、皆の方へと歩いていった。
「すまん、皆。死力を尽くしてもらったが、ハズレだったようだ」
 ため息のようなものが聞こえてくる。「ま、仕方ない」「めっちゃ頑張ったけどねー」「まあ、フルレイドで一発クリアとか、貴重な経験ができただけでもよしとしよう」「久しぶりに本気だしちゃったしねぇ」
 立ち上がり、皆が思い思いに口にする。
 けれど私は──
「いや、ちょっと!」
 アルさんの前に立ち、言った。
「いや、それ、せっかく手に入れたんだから、とりあえず持って帰って、むぎちゃんに使ってみようよ。まだわからないでしょ?」
「どう説明したもんかな……」
 首をひねりながら、アルさんは片目を閉じて眉を寄せていた。いやいや──
「やってもいないのに、まだわからないじゃん」
「いや、ものすげー説明しづらいんだが……これはダメなんだ。ストレージに入らない時点で、誰かに使うことはできない」
「いや、意味が分からない」
 その手に持っている小瓶を持ち帰ってむぎちゃんに飲ませるという簡単なことが、何故出来ないというのだ。
「貸して」
 私は手を差し出す。
「これ、渡せんのか?」
 言って、アルさんはレイさんを見た。
「さあ? 基本的にイベントアイテムって、プレイヤーのイベントリにしか入らないはずなんで、勇者が持てるのかどうか……」
 何を言っているのか。私は手を突きだし、もう一度言った。
「貸して」
「まあ……こいつがそう言うんなら、なんかあるのかもしれないか」
 呟くようにして言って、アルさんは小瓶を私に向かって差し出した。
 手を伸ばす。
 それを受け取ろうとして──ばちん! と、それは私が触れたとたんに雷のような電撃を迸らせて砕け散った。
 小瓶が弾け、全てが小さな光となって、辺りに散った。
 淡く輝くそれは、広がり、神殿を包み、冥府の霧を晴らして──あっけにとられて呆然としている間に──光は静かに降り、やがて消え、そこに倒れていた冥府の女王であった者が、ゆっくりとその身体を起こしていた。
 アルさんが大きく息をついていた。
 そして静かに、その女性へと歩み寄っていく。
「エル、すまんが」
 その向こうのエルさんへ、
「みんなを連れて、先に戻っててくれないか?」
 言いながら、アルさんは女性の横にしゃがみ込んでいた。
「それは、勇者ちゃんも連れてですか?」
 エルさんが歩み寄ってくる。
「取りあえず、このクエストを終わらせなきゃならねぇからな」
 呆然としたようにアルさんを見つめていた、その、かつては冥府の女王であったものに向け、アルさんは微かに笑っていた。
「ちょっと!」
 近づいて、その肩に手を伸ばそうとした所で、エルさんが間に割って入ってきた。
「さて、行きましょうか」
「いや、でも──!」
「パーティー、解散させてしまいます?」
「いや、それはなぁ……」
 レイさんの問いに、アルさんは困ったように口許を曲げて返した。
「勇者ちゃん、一旦、先に戻っててくれよ。まだ終わりじゃないんだ」
 そう言って──背中だけを向けていたアルさんに、私は何かを言い返せなくて──言葉を飲み込んだ。
 言葉もなく、私たちは集まる。
 そして、エルさんの鍵石に手を触れる。
 光が私たちを包む。
 神殿に残ったアルさん、レイさん、ネリさん達の背中が光の向こうに消えて──私は目を閉じた。

 りんりんと、夜の虫が鳴いていた。
 街道はずれの森の入り口。小さな湖の畔。
 小さな私の生家の前には、車座になって焚き火を囲む、皆の姿があった。
 冥府から戻った私たちは、「まぁ、ともかく今は、ちょっとばかり休みましょう」と言ったエルさんの提案に、取りあえずアルさん達が戻るまではと、私の生家に集まって待っていた。
 夜の帳も落ちて、柔らかな風が木々を揺らしている。
「おーい、お代わりいるやつ、いるかー?」
 と、ダガーさんが大鍋で作ったブラウンシチューを前に声を上げていた。並んでいたニケちゃんは貰ったお代わりを両手に持って、スプーンを咥えている。
 りんりんと、夜虫が鳴いていた。
 そんな緩い時間がしばらくあって──
「ただいま」
 と、アルさん達が戻ってきた。
「あれ? ご飯、もうあんまりないじゃないですか」
 鍋をのぞき込んでレイさんが言っていた。「アルさんも食べます?」「むろん」などと言いつつ、アルさんは私の隣に腰を下ろした。
 焚き火を囲む皆の視線が、私たちに集まっていた。
「クエストはクリアしてきた」
 レイさんからお皿を受け取りつつ、アルさんは言う。
「ネリ曰く、その後の展開は、通常ルートと同じだったそうだ」
「報酬は、ちょっと豪華でしたけどね」
 皿を手に座りながらレイさん。
「とは言え、あの階層の冥府武器は、アルさんも勇者ちゃんも必要ないですから、すべて錬成石に変えてしまいました」
「後で、今日の使用分に合わせて現物支給しますよ」
 そう言って、ネリさんは続けた。
「さて、皆さんに協力してもらって135階まで一気に踏破したわけですが、結果、エリクサーは手に入りませんでした」
「なんだよ?」
「別に」
 隣でシチューをもぐもぐと食べているアルさんを見ていると、「ん?」と、そんな言葉を投げかけられたので、「なんでも」と返しておいた。
「まあ、本命であったが故に、なんやなんやで四日かけて挑んだ訳ですが」
 ネリさんは続ける。
「残念ながら、目的は達成できませんでした」
「クエストクリアはできたから、それはまあ、よしとしよう」
 師匠さんが言う。
「問題は、残り二日と少しで、何に挑むかだ」
「そうだな」
 と、ヴィエットさんが続けていた。
「流石に今日はもう無理として、あと二日。クエストがらみとなると、流石に時間的にも厳しい所がある。場合によっては、あとワントライ」
「それですがね」
 さっさとシチューを平らげたレイさんが、口元を拭いながら続けていた。
「戻ってくるまでに、アルさんと話して、今後の方針を決めました」
「早いな」
「まあ、みなさんの意見を聞いて決めるという手もありますが、結局最後に決められるのは、お二人だけですからね」
 言い、レイさんは私を見る。その視線を受け流し、隣、アルさんを見ると、アルさんは足元に食べ終わったお皿を置きながら、私を見ずに言った。「勇者ちゃん」
「俺は、次は世界樹の泉に挑むべきだと考えている」
 と、アルさんはたき火を囲む皆を見回しながら続けた。
「情報では、それを探して世界樹に向かったプレイヤー達もいると聞いている。可能性は、高いと思う」
 私が答えずにいると、
「本スレで話題になっていますね」
 ベルくんの言葉に、レオナさんや刹那さんが思い思いに言葉を交わしていた。
「わたしも、まとめでみた」
「SNSでも、一部で盛り上がってます」
「まあ、アルさんの配信を見ている人たちから広まっていったんでしょうけど」
 やりとりの中から、ベルくんが繋いでいた。
「世界は今、エリクサーを探すエクスプローラー達が話題になっています。本当にあるのかは知らない。勇者と共にでなければ手に入れられないかもしれない──などと言われながらも、新しいエンドコンテンツとして、それを探すエクスプローラー達が増えていっているようです」
「へぇ……」
 と、唸るアルさんに、
「定かではない情報ですが、本スレで世界樹方面のクエストから、ウルズの泉を発見したという噂もでていますね」
 レイさんが言う。
「まあ、エビデンスは出されていないので、信憑性は全くわかりませんが」
「ともかく」
 少し強く言って皆を見回し、アルさんは告げた。
「明日、世界樹クエを解放して、世界樹を目指す。目的地は世界樹のある樹海にあると噂されている、ウルズの泉だ」
 言葉を受け、皆は小さく頷いていた。
「いいな、勇者ちゃん」
 振り向いて問いかけられた言葉に、私はひとつ、頷いて返した。
「アルさんが決めたなら、それでいこう」

 三々五々、皆が帰路に就くのを見送って、私たちもそろそろ解散かな……という頃合いに、私は、
「アルさん、ちょっと」
 と、立ち上がりながら言った。
「ちょっと、話がしたい」
「なんだ、かしこまって」
 返すアルさんには応えず、私は家の方へと足を向けた。
 アルさんは「ふむ」と小さく唸って、「んじゃ、みんな、また明日」「いえ、もうすでに今日ですが」「仮眠取ったらログインするわ」「え? マジですか? 朝からやる気です?」「解放クエだけでもやっちまおう」「まあ……付き合いますがね」「よろしく」と、残っていた仲間達に声をかけてから、私の後についてきた。
 少し離れてついてくるアルさん。それを追い越し、とととっと、私の横にニケちゃんが駆け寄って来た。
「ニケもいーい?」
 特に断る理由も見当たらないし、ニケちゃんなら「いいよ」と、小さく笑って返すと
「おう、アル兄と二人きりなんて、とても危険が危ないからね」
 などと、彼女は笑って言った。いや、今更でしょう。私もつられて笑う。
 ドアを開け、二人を家に招き入れると、ニケちゃんは早速テーブルについて錬成石でコーヒーを入れ始めていた。
「で、なんだ?」
 アルさんも促されるまま、室内に入ってテーブルにつく。
 なんとなく座りづらくて、ドアの方で腕を組んだまま、私は聞いた。
「冥府の、あの水だけど」
「生命の水か?」
「うん。あれ、アルさんはあそこから持ち出せないって言ったけど、あれは本当にエリクサーではなくて、あそこから持ち出せないものだったの?」
 疑問を、口にした。
 アルさんの言ったことは、まだ納得できてない。結果として、あの小瓶は私が触れようとした瞬間に壊れてしまった。太古の錬金術師曰く、生命の水を唯一運ぶことができるというその錬成物は、砕け、消失してしまった訳だけれど、あれを持ち出す事は本当に叶わなかったのだろうか。あれをむぎちゃんに飲ませることは、本当に出来なかったのだろうか。
「なんと説明したものかな……」
 アルさんは首を傾げていた。
 ニケちゃんはそれを横目に、錬成石でお湯を沸かしていた。
「あれは結局、冥府のものであって、あそこからは持ち出せないという、そういうアレで──」
「いや、そういう、私向きの回答でなくていい」
 私は言った。
「あれは違うっていう、明確な根拠があってアルさんは言ったんでしょ?」
「おっと」
 と、アルさんはおどけてみせる。
「私は真面目」
「別に、はぐらかそうとか、そういうんじゃない」
 言いつつも、ニケちゃんに向かって、「これ、ゲーム的なこと言っても、通じると思うか?」「ニケに聞かれてもわかんない」などとやっている。
「まぁでも」
 と、ニケちゃんはコーヒーを入れながら言った。
「あたしが勇者ちゃんだったら、わかんなくてもいいから、本当のことを言って欲しい」
「ふむ……」
 納得と言うより、軽い感じでアルさんは唸った。唸って、そして、
「ここに地図がある」
 言って、右上の空中を指さした。
「いや、なにもねーわ、そこには」
 何度目かの、同じようなやりとりをして、私は息をつく。そこは空中。そこには何もない。
「いや、あるんだ」
 真面目な顔をして、アルさんは言った。
 言って、ニケちゃんのコーヒーを手にし、
「このアイテムは固有名、『ニケのコーヒー』で、フレーバーテキストには、『ニケが錬成石から作ったコーヒー。砂糖入り』となっている」
「勇者ちゃんもいる?」
 ニケちゃんの問いに答えるよりも早く、
「いや、何を?」
 私は眉を寄せて返した。
 けれど──私にはよくわからない事を、アルさんは真っ直ぐに私を見つめたままで──真剣な表情のままで──続けていた。「事実だ」
「勇者ちゃんには見えていないものが、俺たちには見えているんだ。例えばマップ、アイテム名、フレーバーテキストやモンスターの名前に、残りHP」
「いやいや、何を──」
 苦笑しそうになって、やめた。
 アルさんは真面目な表情のまま、私をじっと見つめていた。見つめていたから──私は言葉を飲んだ。
「いや……」
 それだけしか言えず……言葉を繋げないでいる私からアルさんとニケちゃんの二人は視線を外し、「なあ、これ、ぶっちゃけていいと思う?」「あたしに聞かれましても……コメント欄的にはやっちまえが大多数だけど」「ってか、ニケは配信してんのか?」「冥府から戻ってきてからね。いや、みんな気にしてるから……」「なら……いっか」などと話していたかと思うと、ニケちゃんは私のカップをテーブルのこちらに寄せつつ、言った。
「勇者ちゃん。アルさんは、本当の事しか言ってない」
 そしてアルさんに視線をやって、それを受けたアルさんは、私に向かって言った。
「勇者ちゃん。これは勇者ちゃんには理解できないかも知れないけれど」

「この世界は、俺たちにとっては、ゲームなんだ」

 ゲーム?
 ゲームってなんだ?
 ゲームって、あれか? カードとか、ダイスとか、ああいうアレのあれか?
 この世界が、ゲーム?
「いや、全く意味が分からない」
 私は真っ直ぐに言った。
「ゲーム? この世界が?」
「そういや、RPGって言葉、わかんのかな?」
 アルさん、ニケちゃんに聞いている。
「さあ?」
 と、ニケちゃんは返し、コーヒーを口に持って行きながら明後日の方向を見つつ返していた。
「ってか、そもそもRPGが解っても、MMOとかVRなんて概念はないだろうから、通じないんじゃない?」
「普通に考えて、説明難しいな」
「それ以前にリアルで、『実はこの世界はゲームなんだー』とか言われたら、ニケなら頭大丈夫? って聞く」
「裏切りか」
「ニケはたきつけるだけ」
「いや」
 二人の会話を止め、私は一歩踏み出し、聞いた。
「ちょっとよくわからないんだけど、ゲームってどういうこと? RPGって何?」
「そっからかー」
 アルさんは目を細めて頭を斜めにした。「これは説明が難しいというか、多分理解できない系の話だー」
「まぁ、そこは深く考えなくてもいいんじゃない?」
 ニケちゃんは言った。
「簡単に言っちゃうと、あたしたちは勇者ちゃんたちの世界の住人じゃない。違う世界のルールの中で生きてる。だから神様の声的なものが聞こえたり、勇者ちゃんには見えないものが見えたりする」
「ニケ、お前、すげぇな」
「なにが?」
「いや、よくそんな説明がすらすらと出てきたな」
「うん、ニケ、いつかはこういう日がくるんじゃないかなーって思っていたからね。アル兄、思ってなかったの?」
「まったく」
「それもどうか」
「いや……」
 私はまた一歩近づきつつ、言った。
「確かにみんなは歴戦の冒険者で、この世界の人じゃないのかなとは思っていたけど……」
「思ってたんだ……」
「思っていたよ。私には訳わかんないことを言うし、救ってきた世界は十や二十じゃきかないとか言っていたし……」
「言ったっけ?」
「ニケは言ってない」
「見た目の年齢と一致しないくらい昔から一緒に冒険してるみたいなことも言っていたし……なんだっけ? みんなはオンライン三千大千世界で出会った仲間だとかなんとか……」
「言ったっけ?」
「それはニケが言った」
「お前、三千大千世界とか、難しい言葉、よく知ってたな……」
「仏教用語。レイさんが言ってた」
「ゲーム内の事はすぐに覚えられるのに……」
「地図も読めるようになったしね」
「いや、真面目」
 歩み寄ってテーブルに手をつき、私は言った。
「それは……どこまで本当なの?」
 真っ直ぐに見返し、アルさんは言った。
「全部」
 じっと見つめ返してくるその視線から視線を外さずに──しばらくそのままでいると、
「ニケ、二人の見つめ合う時間に耐えられない」
 などとニケちゃんが茶化すので、私の方から目を外してテーブルについた。ニケちゃんがちょっと寄せてきたコーヒーを手にとって、一口、口につける。甘い。
「ちょっと、頭を整理する」
「どうぞ」
 言って、アルさんもコーヒーに口をつけた。
 ぐるぐるぐるぐる。よくわからない考えが頭を巡る。えーと、何を考えていたんだっけな? 何かを聞こうとしていたような気がするんだが、それはなんだったけな?
 考えがまとまらない。何故だ。いや、これはアレなのか。もしかするとこれはアルさん達がよく言う、「私には理解できないタイプの話」とか言うそれなのか……
 なんだそれは。
 なんなんだ、それは。
 そんなことが本当にあって──
 私はコーヒーを置き、「ふー……」と長く息をついた。
「正直、ちょっとよくわからない。んだけど……ええっと……アルさん達には、私には見えていないものが見えている?」
「おう」
 頷き、アルさんは言う。
「だから、エリクサーが本当にあれば、俺たちにはそれがわかる」
「わかるなら、それ、もうちょっとなんとかなんない?」
「どういうこと?」
 コーヒーを口に寄せながら、アルさんは首を傾げていた。
 私は息をついて俯きながら頭を抱えた。ええっと、口をついて出た言葉だが、繋ぐべき言葉が見つからない。別に非難したい訳じゃないんだ。何かを言おうとして、何を言おうとしていたんだろう。
 仕方がなくて、思うさまを口にした。
「冥府で、満身創痍で戦って、それであの結果」
「うん」
「アルさんはアレがエリクサーではないと、手にした瞬間にわかっていたわけだけど……あれはじゃあ、みんなもすぐにわかっていたってこと?」
「……ぶっちゃけていいと思う?」
 ニケちゃんの方に身体を傾けながらアルさんは言う。ニケちゃんはコーヒーのカップを両手で抱えたまま、「ここまで来て何を?」「それもそうだな」と、アルさんは身体の位置元に戻し、組んだ両手をテーブルにつけたまま、言った。
「元々みんなは、あれはエリクサーではないという前提で、あのクエストに挑んでいた」
 言われ、思わず身を固くする。
「……元々、違うって?」
「ぶっちゃけてしまえば、俺と勇者ちゃん以外はみんな、あの戦いを既に経験している」
「ニケちゃんも?」
「うん。ニケの弓は、あそこよりもっと深い階層まで行かないと完成しない」
「イチイの弓って、そんなに高ILなのか?」
「そもそもアル兄、まだイチイの弓持ってないじゃん。この先の冥府で出るんだよ」
「マジか……」
「うん。本来あそこは、レベル85くらいでクリアできるはず」
「え? そうなの?」
「そもそも全シナリオ実装時のレベルキャップは70だし」
「逆に、難易度上げちゃってるのか」
「そうだよー」
「いや……ええっと……じゃあなに」
 二人の会話に割って入って、私は聞いた。
「みんなはわかっていて、わかっていて、あんなに……必死になって戦ったの? それで、それでもエリクサーを手に入れられなかったって?」
「うん」
 軽い感じでアルさんは頷き、続けた。
「まぁ、その辺の価値観は多分、勇者ちゃんと俺たちとでは、大きく違うんだろうな。さっきも言ったけど、これは俺たちにとっては、ゲームなんだ」
 その言葉に私はひとつ、長い息を吐いた。ゲーム……この世界は、アルさんたちにとっては、ゲーム。
 私は長く息をついて、
「ちょっとなんか、混乱してる」
 言った。
 言葉が出てこない。
 その私の頭のつむじあたりを多分じっと見つめながら、アルさんは言った。「勇者ちゃんにこんな事をいうのは、ルール違反かもしれないが」
「俺たちにとって、この世界はゲームなんだ」
「それは……遊びってこと?」
「それに関しては、有名な台詞がある」
「これはゲームであっても、遊びではない」
「俺が言おうと思ったのに……」
「いや……真面目に……」
 頭を抱えたまま目を伏せていた私のつむじに向かって、アルさんは言った。
 真摯で、真っ直ぐな──その声に、私ははっとして目を開いた。
「俺たちは、この世界がゲームだと知っている。わかっている。けど、それでもこの世界で生きている自分達は、もう一人の自分だと思ってる。だからこそ、チロルさんの想いをみんなわかっているし、遂げてやりたいと思っている。だから──みんな、勇者ちゃんを信じて集まってくれた」
「私を……信じて?」
 言葉の意味が、わからない。
 私を、信じて? 私の何を?
「勇者ちゃんにこんな事をいうのは、ルール違反かもしれないが」
 同じ言葉に顔を上げた私を真っ直ぐに見つめ、テーブルの上で組んだ手をそのままに、アルさんは言った。「勇者ちゃん……」
「俺たちは、この世界のルールに縛られている。勇者ちゃんと違って、この世界にアクセスしている異世界人であるが故に、俺たちはこの世界を変えられない」
 それは、あの魔道士さんが言っていたことだ。
 私なら、エリクサーを手に入れられる。私なら、世界を変えられる。
「私なら、できるって?」
「勇者ちゃんは、この世界の住人だからな」
「エリクサーを手に入れられるのは、私だけだって?」
「俺たちにはできない」
 手を組んで私を見つめたまま、アルさんは強く言った。
 私はその言葉を受けて──アルさんたちがゲームというこの世界に生きる者として──仲間たちの中、ただ一人の者として、私は聞いた。
「アルさんは、エリクサーを手に入れられると、本当に思っている?」
「思ってるよ」
「根拠ないでしょ?」
「あるよ」
 そしてアルさんは真面目な表情を崩し、笑うように──でも、嘘や茶化しではない感じで、長い付き合いの中でも、そうそう見せてこなかったような物言いで──笑って、言った。
「君が、勇者だからだ」

 りんりんと、夜虫のなく声がこの部屋にまで届いてきている。
 柔らかな風が木々を揺らす音が、この部屋にまで届いてきている。
 長い長い、静寂の後で、私は最後に問いかけた。
「もしも──もしもそれが、見つからなかったら?」
「あたしは、もしもそうなった時の事、チロルさんと話してる」
 ニケちゃんが返した。
「多分その時は、勇者ちゃんもロールバックの対象になると思う。だから、勇者ちゃんは多分、その時は今日のことも忘れてしまうだろうし、その気持ちも綺麗になくなってしまうと思う」
 私を見、ニケちゃんは少し複雑な感じで、微笑むように首を傾げて続けていた。
「それは多分、悪くないと思う」
 アルさんはニケちゃんの横顔を見つめながら、彼女の言葉を聞いている。
 ニケちゃんは私に向かって、ゆっくりと、言った。
「多分、そうなったとしたら、チロルさんとアルさんは、この話は二度としないと思う。だから、多分、あたしたちもその話はしない。すべて消えて、なくなると思う」
「それは……私が覚えていないだけで、みんなは覚えているんじゃないの?」
「そうだね。そう」
 ニケちゃんは私を見つめたまま、続けていた。
「それは本当は、誰も望んでいない。望んでいないからこそ、あたし達は信じてる」
 そして私とアルさんを見て、ニケちゃんは言った。
「勇者って、それをなしてくれる人だって、私たちはみんな、信じている」

 サウルヤ地方の遙か南。
 死の大地と呼ばれる砂嵐が吹きすさぶ砂漠を抜けたその先に、それはあった。
 砂嵐の夜を抜け、石の導く光を頼りに、私たちはついにその場所へとたどり着いた。
 広がる眼下、青い樹海。
 東の空から上り始めた朝日が、世界に色を付け始めていた。
 広大な樹海、その向こう。天を支えるほどに巨大な世界樹が、彼方にそびえ立っている。
「ついたか」
 十五人のレイドメンバーの先頭に立ち、アルさんは真っ青に晴れ渡った空を見上げながら呟いた。
「……でけぇな」
 大きくくぼんだ大地の向こう、広がる樹海の果てには巨大な一本の樹。世界樹。
 それは遙か彼方にあって、少し霞んでいるように見えるのに、青と緑のコントラストが、強い生命力、存在感を私たちに与えていた。
 生命の樹、世界樹。
 上の世界、ルーフローラで天球を支え、下の世界と冥府を繋ぐという、世界の根幹を繋ぐ大樹。
 その存在感に圧倒され、見惚れていると、
「見事なものでしょう」
 やってきたレイさんが、腰に手を当てた格好で言っていた。
「まあ、ここもエンドコンテンツなんですが、パブリックフィールドな事もあって、称号系クエばかりなんで、不人気なんですよね」
 苦笑混じりの言い分に、隣やってきていたヴィエットさんが、
「だがその分、この広大な樹海はまだ探索されきっていない。とも言える」
 同じように腰に手を当て、ニヤリと笑っていた。
「しかし予定より早くこのマップに入れたな」
 言いつつ、ヴィエットさんは後方の仲間たちにむかって肩越しに振り向き、聞いた。
「どうする? さっさと探索を開始するか?」
「いや、一旦、予定通りにここで休憩としよう」
 アルさん、レイさん、ヴィエットさん、私。と、四人、円陣みたいな形になって、
「ルート確認も必要ですしね。まあ、ここはフライングマウントが使えるんで、樹海をハイキングする人はほぼいませんから、軽くでも準備しておきませんと」
「未開地だし、割とモンスターも強いんだよな」
「でも、泉を探すにからには、空からじゃダメかもなんでしょ?」
「まあ、今まで見つかってねぇわけだしな。普通のやり方じゃダメだろう」
「いずれにせよ、午後組が合流するまで休憩ですかね。私も仮眠取りたいですし」
「メンバー入れ替えなら、パーティーは組み直した方がいいかね?」
「そうだな」
 言って、アルさんはダガーさんの方へと声を投げかけていた。
「ダガー! 予定通り、一旦ここで飯休憩だ!」
 言われたダガーさんは、
「それはリアル昼飯か、それともオレに何か作れと言っているのか?」
「両方だ」
「よーし、まかせろ!」
 と、いそいそと準備を開始。
「朝ご飯?」
 聞く私。アルさんは返す。
「うん、勇者ちゃん的には朝だが、俺たち的には昼ご飯だな」
「リアル時間ってやつ?」
「そう」
「勇者ちゃん、リアル時間とか……大丈夫なんですか、アルさん」
 何か奥歯に物が挟まったような感じで、レイさんはアルさんに耳打ちするようにして聞いていた。「まあ、我々もニケさんの配信は見ていたので、知ってはいるんですが……」
「それはそれ」
 言い、アルさんはダガーさん達の方へと歩き出す。
「もうその辺は、包み隠さず話すことにした。その方が、勇者ちゃんも納得がいくだろ?」
「納得がいくかはともかく」
 と、私は続けた。
「理解はまあ、そういうモンなんだな、と思うことにした」
「それは理解を放棄しているのでは?」
 小首かくんなレイさんに、肩をすくめるヴィエットさん。
「ま、さすがにみんなで口裏あわせて私を騙そうとか、そういうんじゃないことは理解しているから大丈夫だよ」
 何が大丈夫なのか自分でも全く解らないが、とりあえずそれは深く考えてもしょうがないと思うことにした。いずれにせよ、私たちがやるべきことは変わらない。
 冥府の一件を終えた私たちは、その翌日からこの世界樹を目指す事にした。
 目指す事にして、まずはサウルヤ地方の南、砂嵐の渦巻く死の大地を抜けるため、幾つかの錬成石を探してアウラ、ルーフローラを行き来した。それが私時間で昨日の話。
 そして深夜、全てを闇が包んでいた時間に私たちは砂嵐の中へと入り、光に導かれ、抜け──今。
 この世界的は、朝日の時間。
 そしてそれは、アルさん達的には日曜の昼の時間という事になっていた。
 曜日なるものの概念はともかく、私的には朝。アルさんたち的には昼。というこの時間のズレは、アルさんレイさん曰く「リアル時間とこの世界との時差」「簡単に言ってしまえば、勇者ちゃんの一日は五時間で、我々の一日は二十四時間なのです」との事だった。私時間の昨日からの経過で言うと、石を捜し始めたのはアルさん達的には日曜朝五時頃で、私的には一晩経って今なんだけども、アルさん達的にはまだ昼にしかなっていなくて、「勇者ちゃんが寝ていた夜の時間は、俺たち的にはログアウトして朝飯くってた時間」だとか。ははあ、なるほど──わからん。
 ともあれ、アルさん達的には早朝から動けるみんなで進めるだけ進めて、世界樹のあるフィールドに辿り着いておこうという話を異世界通信でしていたらしく、曰く「大抵のハードゲーマーは、午後にならないとログインしない」事から、この場所で徹夜組と午後組を入れ替えようという算段で進めていたのだそうだ。「早朝から深夜までやっているような人は?」「廃人」「つまり貴方ですね」「君もだ、レイシュ」
 そんなこんなで、私は先を行く皆の背中に向かって、
「えっと……樹海の探索は、こっち時間で二日くらいで見つけないといけない感じ?」
 と、聞いた。
 アルさんの言うリアル時間で言えば、今日と明日。私の時間感覚で言えば長くてあと三、四日。レイさんの言う計算式で杓子定規に計れるわけではないらしい私時間を感覚的にとらえると、それくらいが私たちに残された最後の時間だと、私は認識していた。
「そうだな」
 アルさんは顎の辺りをぽりぽりと掻きながら、肩越しに言った。
「こっちの二日だと、夕飯入れるとしてそれで夜の十時過ぎ……そこで決断しねーと、その後でみんなが集まれるのは月曜夜で、火曜のメンテが十一時からだから……悪あがきするにしても、そこまでが限界か」
「睡眠時間は?」
 苦笑のレイさんに、
「全てが終わった後に、灰となって眠れ」
「廃人だけに」
「朝日で崩れ落ちるんですね」
 などと軽く笑って先をいくアルさん達に、私はひとつ、息をついて続いた。
 いずれにせよ──残された時間はあまりない。朝日に照らされた樹海の向こう、世界樹を見つめて──私は大きく息を吸い込んだ。

 食事を終え、いつの間にかフルレイド、二十四人になった私たちは、いつものように八人ずつの三パーティに別れ、樹海に降りた。
 合流した師匠さんたちトレイサーを中心としたいつものパーティと、本日も精鋭の集まりであるベルくんさんたちの二パーティは、フライングマウントで空から樹海を探索し、私たち八人は歩いて樹海を探索ということになって、さて──
「この樹海を歩いて探索とか、割と難易度高くないか?」
 などと、見上げても空の見えない深い森の中、アルさんが言った。
「ある程度的は絞るにしても、このフィールド、えげつない広さだぞ?」
「広さもさることながら、どの木も樹齢何百年だよってクラスの巨木ばかりで、マップなしじゃ歩きにくいったらないしな」
 言いつつ、ダガーさんは苔むした倒木や岩の隙間を流れる小川をひょいひょいと跳び越えて先をいく。そしてその背中に続きながら、レイさんも呟いていた。
「まあ、もともとこのフィールドは歩く前提じゃないですしね。しっかりモンスターも配置されていますから、クエストマーカーに向かって空を飛ぶというのが、このマップの定石です」
「故に、あるとすればこの森のどこかですね」
 言ったのは、エルさんの代わりにヒーラーとして参加しているティラミスさんであった。彼女は手にした地図をネリさんと一緒に覗き込みながら、「うーん」と唸りつつ、続けていた。
「クエストマーカーが出る位置近辺を迂回していくと……結構、道なき道になりますね」
「まあ、仕方がありません」
 と、ネリさん。ため息をひとつ。
「探索メインな分、速度は出ませんし、その分、取りこぼしのないようにしましょう」
「そうですね」
 頷き、「あ、そろそろかけ直します」と、ティラミスさんは肩からかけていた鞄の中から一振りの小枝を取り出し、私には理解できない言葉で詠唱を始めていた。
「ダガー! ニケ! エンハンスをかけ直しますよ! 効果範囲まで下がってください!」
「あいよ」
 ネリさんの声に、先行していたダガーさんとニケちゃんが戻ってくる。そしてティラミスさんの近くには、ネリさん、ダガーさん、ニケちゃん、そしてエミリーさんの四人が集まっていた。
「エミリーさん、魔結石、何個使いました?」
「ウィザード・アイとディテクト・マジックの常時発動くらいなんで、エンハンスの効果時間内なら三つといったところですね」
「じゃ、まだまだ余裕ですね」
「しかし、ティラミスさんのエンハンスはすげーな」
「ニケでも、森の中でも30メートルくらい探知できるよ!」
 と、わいのわいのしている五人を遠巻きにして、
「……まあ、我々はまったく探知技能がないので」
「だな」
 腕を組んで見守る私たち。
 深い森は、私にはどれだけ進んでも同じようにしか見えなかった。ま、まあ、なんだ。初めてくる場所だし、しかも深い深い森なのだから、右も左も同じに見えても仕方がないだろう。私が決して、アレソレだとか、そういう事がなくても、だ。
「まあ、我々はニケさんやダガーさんが引っかけてきた敵を速やかに殲滅するお仕事にだけ、注力していればいいのです」
「主にニケ」
「さもありなん」
 目の前では、ティラミスさんが精霊語で何事かを呟いて、精霊魔法を発動させようとしている。
「しかしティラミスさん、まさかエレメンタル・リンカーをメインクラスにするとは」
 レイさんに、
「エレメンタル・リンカーって、精霊系の最上位職なの?」
 アルさんが続く。
「ですね。隠し三次職で、精霊を召還して戦うタイプのヒーラー、サポーター職なんですが、いろんな事ができる代わりに滅茶苦茶燃費が悪くて、ソロ性能もお察しくださいなんで、正直、不人気職なんですよ」
「まじか」
 などというやり取りを横で聞いていた私の前で、ティラミスさんがエンハンスと皆が呼ぶ精霊魔法を発動させていた。
 ふわっと、木の枝が薄緑の光になって陽光の中に散る。漂う光がダガーさんたち四人の身体に吸い込まれていって、エンハンスと呼ばれるその精霊魔法は発動したようだった。
「よーし、ニケ。東側はお前に任せた。俺は西側をみる」
「あいさー」
 ふたり、とととっと器用に巨木の根をかわして森の奥へと消えていく。ネリさんとエミリーさんはごにょごにょと魔法を詠唱して、曰く、第三の目を発動させてぐるりと辺りを見回していた。
「ウィザード・アイって、どういう見た目になんの?」
 聞くアルさんに、
「視界をカチカチ切り替える感じです」
 やや焦点の合っていない目を向けて答えるエミリーさん。
「なれれば、カチカチしながら歩けますよ」
 と、言いながら歩き出して、「おっとー!」と転びそうになる。
「アレはアレで、おもしろそうだな」
「タンク、DPSは探知技能、ほぼないですからねぇ……」
「ニケちゃん曰く、『森の中でもずっと向こうにある何かが、透視したみたいに光って見える』らしいけど、それってどんな感じなんだろ」
 小首を傾げる私に、アルさんはさらりと返した。
「ゲーム的にいうと、本来見えない遠くのマーカーカーソルが見える」
「オブジェクトの半透明化が、エンハンスされると凄く上がる感じです」
 なるほど。
「わからん」
「これは、配信画面みたらよくわかるんですがねー」
「あれ見ると、チートじゃねぇかとすら思うよな」
 と、腕を組んで唸るアルさんに、
「エレメンタル・リンカーは、支援能力だけで言えば、全クラス最高レベルですからね」
 「ふふ」っと笑いながら、ティラミスさんが振り向いていた。
「特にエンハンスみたいな、不特定のスキルレベルを上昇させられるのは、エレメンタル・リンカーだけですし」
「エルの導師より、支援能力は高いのか?」
「というより、導師はHP高くてMP低いんで、ソロ性能は良くても、支援能力は微妙なはずなんですが……あれはエルさんのILが規格外なだけです」
「あれ? 導師って、アークプリーストより上なんじゃねぇの?」
「下です。普通にヒーラーとしては、レオナさんの方が上」
「あの辺、規格外すぎて強さがよくわからん」
「まあ、エレメンタル・リンカーはIL依存少ない割にはその辺に食い込む支援能力なので、めっちゃ強いですね。ただまぁ──」
 レイさんは腕を組んで少し言葉を濁して言っていた。
「確かに今の我々には非常に有り難い支援能力なんですが……ティラミスさんがもしも今回の探索のためにと、昨日今日で99レベルにして転職したんだというのなら……何というか……」
 ごにょごにょレイさんがしていると、
「ああ、それはないですよ」
 と、隣のエミリーさんが言っていた。
「ティラミス、もともとエレメンタリストを極めるって言っていたもんね」
「まあ、私たち、ソロで何かすることほぼないしね」
 そう言って笑い、二人も先に進んだダガーさんとニケちゃんの後に続いて、歩き出していた。
 その背中をしばらく私たち三人、無言で見送って──
「だって」
 言った私に、
「ますます我々は、がんばらなくちゃいけませんねぇ」
「やるだけやるさ」
 二人、軽い感じで言って、それに続いた。

 どれくらい森を歩いただろうか。
 時折ダガーさんが私たちを止め、辺りを窺うような時があって──それは大抵、他のエクスプローラー達とすれ違うパターンで──「おや、こんなところで人に会うとは」「というか、目的は一緒ですかね?」などと軽く会話をして情報交換などをしつつ──気がつけば陽も傾こうかという頃合い。
「割と人がいたな」
 森の奥。開けた台地を見つけた私たちは、一旦ここで休憩にするかと適当にテーブル、椅子を作り、ダガーさんのご飯を待ちながら地図を囲んでいた。
「うちらも、割と人と会いましたね」
 と、一緒に地図を囲んでいたベルくんが言う。
「空から気になる場所を探して、なんかあるなと降りると、大抵、先客がいましたよ」
「ああ、うちらもそんな感じだったな」
 少し離れたテーブルの端。背負い袋の中から取り出した一抱え程もある木製の樽を二つ並べつつ、ヴィエットさんが続けていた。
「思った以上に、エリクサー探しは流行っているのかもしれん」
「ちなみにヴィエット、その樽はなんだ?」
「ビールだ。仕上げに樽に穴をあけてコールド・ストーンを入れるので、開けたら飲みきれ」
「ふた樽くらいは余裕」
 うわばみの会話はおいといて、
「こう見ると、結構探索はしたんだね」
 地図に印を打っていくティラミスさんの手元を覗き込みつつ、私は言った。
「その割には、成果はないけど」
「まあ、あるとも知れないものではあるからな」
 レイさんから回されてきたビールの入ったカップを受け取りつつアルさんは言う。それにレイさんも隣に立って、ぐびりとしつつ、続く。
「フルレイドで探索しているのは我々だけでもないでしょうし、これだけ探して見つからないとなると、何かトリガーイベント的なものがあるんですかね」
「可能性は高いな」
「と、すれば」
 と、地図を覗き込みながら腕を組んでいた師匠さんが続けていた。
「と、すれば、トリガーイベントは何だろうな?」
「うーん……泉が湧くとすれば、ペガサスが蹄で蹴るとか?」
「それは詩のやつ」
「冥府まで穴を掘る?」
「それはなんだ?」
「冥府と繋がってたら、冥府を囲むステュキスの流れが湧いてこないかとか?」
「アキレス?」
「そう」
 全くわからん話をする男子をおいて、私はティラミスさんに聞いた。
「あとどれくらいの範囲が未探索ですかね?」
「そうですねぇ……」
 首を傾げながら、ティラミスさんは「うーん」と返す。
「四割……いや、三割くらいですかね。いろいろ集めた情報なんかと合わせでも、この段階でこれだと、正直……」
 どうかな? という状況なんだろう。それはなんとなくわかった。
「考える時間が必要だな」
 言って、アルさんは振り向き、
「よーし、ダガー! 飯はまだかー!」
「焼きあがったぜー!」
 打てば響くと言った感じで、声を投げた先からダガーさんがやってくる。その手には大量の串焼きを載せた大皿を抱えていて、「串は肉肉野菜肉野菜だ」「肉のみでもいいんですよ?」「なお肉は鳥系、牛豚系の他、魚系もあるぞ」「短時間で作ってた割には、意外と凝ってるな」「まあ、下拵えしてありゃ、焼くだけだしな」「いつの間に?」「お前らがアウラでクエストしてる間に」「そういう所はマメなんですよねぇ……」
 などと、わいわい着席する皆。そのテーブルにダガーさんは串焼き皿をどんと置くと、
「なくなったら火の所まで取りに来い」
 ぴっと指さす先のかまどでは、ニケちゃんがほいほいと楽しそうにまだまだたくさんある串を焼いていた。フルレイド二十四人分とは言え、大分量が多くないかね?
「食事休憩、いつまでにします?」
 早速串を口にしながら、レイさんが言った。
「リアルおやつやトイレタイムなんかも含めて、小一時間くらいとります?」
「おう、四十五分までな。ダガー、他のみんなにも言っといて」
「あいよ」
 と、ダガーさんはかまどに戻る道すがら、エミリーさんが大皿を持っていった他のみんなが纏まっている辺りに寄って、声をかけていた。
「勇者ちゃんはそれ食ったら、軽くでいいから寝とけよ」
 串に手を伸ばした私に向かって、アルさんが言った。
「なんで?」
 別にそれほど眠くはないが……まあ、確かに最後に仮眠をしたのは、砂漠を抜けた後の朝食時間だったかな。そうか、大分時間は経っているな。
「チェックポイントは大事ですね」
 レイさんが言う。それにヴィエットさんが、
「使うか? オリハルコンのフライパン」
 不穏な事を言って続く。それは寝るというより気絶では?
「やあ、ずいぶん前にもそんな話をしましたね」
 朗らかに言うレイさんに、アルさんも笑って言っていた。
「あの頃はそれで死ぬレベルだったが、今ならちょうどってところか?」
「試しましょうか? ヴィエット、持ってるか?」
「無論だ」
「やめてくれ」
 憮然と言い放ち、私は串を食らいながら「いーっ」と返した。こいつらならやりかねん。
 とは言え、アルさん達が私に寝ろというのは──私には全く解らない話だけれど──とても重要な事だと言うのは理解していた。曰く、チェックポイントなるものが私の睡眠にとても深く関係していて、それがないと──私に何かが起こると──私が最後に目覚めたその瞬間にまで、世界が巻き戻るというのだ。理屈は全く私には解らないが。
 しかし、それがむぎちゃんの記憶がなくなってしまうという理屈と同じだと皆に言われてしまうと、そうなのかと納得せざるを得ない。洒落や冗談で、さすがにみんな、ここまでの協力はしてくれないだろう。だから、
「ま、これ食べたら寝とくよ」
 軽く笑って、私は返した。
 アルさん達がゲームというこの世界の理屈は、私にはよくよく理解できない。それでも、少なくとも今の私にそれが起こってしまえば、みんなにとって大きな時間の損失になる。理屈云々はともかく、そういうものなのだとアルさんが言うのだから、ここは従っておく。私的には、ただ寝るだけな訳で、別に拒否するほどの理由もない。
 などと考えつつ、ともあれさくっと寝入るには空腹を満たしておこうと串をもぐもぐしていると、お代わりの大皿を手にやってきたダガーさんが、夜の向こうを見つめながら呟いていた。
「……なんだありゃ?」

 飛竜やペガサス、ヒポグリフなどのフライングマウントに跨がり、レイドメンバーの皆が次々と夜空に舞い上がっていく。
「アルさんと勇者ちゃんはここで待機で!」
 飛竜の上から、レイさんが言った。
 そして「いくぞ、皆のもの!」と皆で飛んでいく夜空の先、森の向こうでは、ちらちらと赤い何かが闇の中で踊っていた。
「火事か?」
 腕組みでそれを見つめながらのアルさんに、隣のネリさんが帽子を直しつつ続いていた。
「あれが火事だとすると、まずいですね」
「なにがまずい?」
 聞くアルさんの周りでは、いそいそとニケちゃん、ダガーさん、エミリーさん、そしてティラミスさんが夕食を片付け始めていた。
 ネリさんはそれを横目にしつつ、帽子に手をかけたまま、続けた。
「いや……そういうクエストが、このフィールドにはあるんですよ」
「エルフの森が焼かれるとか、そういうやつ?」
「まあ、そんな感じなのですが……」
 視線の先、皆が闇に飲まれて見えなくなったその向こうで、どぉん! という大きな音がして、爆発の炎が夜空を照らした。
「なん……!?」
 と、息をのむアルさんの隣、
「あー、間違いありませんね……」
 ネリさんが言っていた。
「最悪のクエストを、誰かが進めたようです……」
「どんな?」
 と聞くアルさんの頭上へ、猛スピードでレイさんが戻ってくる。
「まずいですまずいです!」
 飛竜から飛び降り、着地するやいなや、
「ヴィエットに目視確認を頼んでますが、あれは多分、ここのオープンクエストボスです。逃げましょう!」
「99レベルフルレイドだぞ? そんなにまずいのか?」
 アルさんが聞く。
「故にまずいのです」
 言うレイさんに、かまどを壊してやってきたエミリーさんが続いていた。
「オープンクエストってことは、周囲のみなさんの状況で、強さが変動するやつですか? まあ、逆に強くなりすぎてしまっているかもですが……」
「あー、なるほど」
 唸り、ダガーさんが続けていた。
「それはやべーな。今このフィールドには、レベル99のプレイヤーが結構な数集まってるからな。どんだけ強化されてんだか」
「ですです。これは割と洒落にならない──」
 レイさんの台詞の途中で、闇夜を裂いて迸った業火が私たちの頭上を走り抜けていった。一瞬遅れて爆音と、火の粉が辺りに降り注いできた。
「うぉあっち!?」
 みょうちくりんな悲鳴を上げ、アルさんは斜めに身体を傾け、頭の上に手をやっていた。降り注いだ火の粉があたりの下草に、森の木々に降り注いで、ちらちらと炎を上げ始めていた。
「ヒートサークル!」
 素早く発したティラミスさんの声に精霊が応え、私たちの周りをぐるぐると飛び回る。そして再び響いた、ごうという炎の爆音に、ぱちぱちだった炎の音が一瞬にしてばちばちへと変わり、辺りが火の海に呑まれていった。
「まじか」
 呟くアルさん。その視線の先、
「なんだあいつ……」
 森から何か、巨大な人型の頭が突き出ている。終末の巨人ほどの大きさはないが、それでもこの深い森から頭ひとつ飛び出しているということは、あれは相当な大きさだろう。あれは一体……
「フンババです」
 闇夜を照らす火の海の向こうを見据え、ネリさんが帽子を直しながら言った。
「この森の木々を、ここに住むエルフのもの達をだまくらかして伐採しようとした輩に、怒れるフンババが現れてですね……」
「マジでフンババ?」
 それが何かは、私には解らないわけだが、
「それ、ヤバいの?」
 聞く。
「うん。一応俺的知識で言うと、神様とされることもあるレベルのまずいやつ」
「いや、まずいな、それは」
 神とされるレベルの奴とも戦ってきたことはあるわけだが、やりたいかやりたくないかで言えば、やりたくはない。しかもそれはレイさんが「ヤバい」と言うくらいなのだから、相当ヤバいのだろう。
「安全を確保できる所まで逃げましょう」
 レイさん。
「勇者ちゃん、寝てないですよね?」
「寝てない」
「おい、マジか。全滅したら最悪だな」
「ヒートサークルが効いている間に移動しましょう」
「フライングマウントで」
 言い、降りてきた飛竜の背に飛び乗ってレイさんが夜空へ舞い上がると、
「!?」
 舞い上がったその飛竜へ、一抱えほどの大きさの火の玉が無数、森の中から放たれてきた。
「なんと!」
 飛竜を見捨て、飛び降りるレイさん。着弾したそれは、大きな火矢のようだった。飛竜がぱっと光を放って、夜空の向こうへと消えていた。一撃で飛竜はやられ、錬成石に戻ってしまったようだ。
 しかし──
「なにいまの!?」
 声を上げつつ、私は剣を抜いた。
 アルさん、レイさんも剣を抜いていて、
「でかい火矢に見えたが?」
「ええ、火矢です。普通にでかい火矢です」
 集まり、構える。
 森の向こう、炎の向こうから何者かが近づいてきている。バキバキと森の木々がなぎ倒される音が、炎のむこうから響いてきている。
「先に言ってしまいますが──」
 杖を構えながら、ネリさんが言った。
「この森はフライングマウンドで飛んでいると、まれにああやって森の中から撃たれるのです」
「なにに?」
 それが、森の中から現れた。
 背丈は私の五倍、いや、六倍は優に越えるか……それはトロールよりも大きな人型巨躯の、
「フォレスト・ジャイアントです」
 古代種の一種とも言われる、巨人族であった。

「まずいですね」
 前に出てレイさんが剣を構える。
 森の向こうから、巨人族が次々とこちらに向かって現れてきている。
「お、多くね?」
「……いや、多いです」
「あれと連動してんのか?」
 振り向き、フンババの方を見ると、
「あれ? あれ、こっちに向かって来てない?」
「……そう見えますね」
「いやちょっと、あなた、また何かしてますか?」
「してねぇし!」
「ともかくここは、逃げの一手でしょう」
 ティラミスさんの声に、やるしかないかと武器を手に私たちが身構えていると──森の中から、炎の向こうから──三人の冒険者らしき人たちが飛び出してきた。
 走るその後ろには、武器を手にしたフォレスト・ジャイアント達が続いていて──追われている!?
「こっちへ!」
 と、逃げる彼らに声をかけると、
「え……?」
 私たちを視認した次の瞬間、三人はほぼ同時に立ち止まり──何故?
 ジャイアントが手にした棍棒を振り下ろす。
 過たずにそれは三人を巻き込んで──ぱっと光が弾けて──消えた。
「なん──!?」
 声を上げた私のそれよりも早く、レイさん、ネリさんが、はっとして声を発していた。
「わざとか!?」
「MPKか!?」
 光の粒子が炎にまかれ、夜空に消える。
 そして冒険者達が消えたことによって、フォレスト・ジャイアントはその殺意に満ちた目を、私たちに向けていたのだった。
「飛んだのか?」
「タイミング的には本当に死んだだけかもしれませんが……私には飛んだように見えましたね」
「しかも、トレインしてきたと考えれば、この量のフォレスト・ジャイアントも納得がいきます」
 身構え、前を向いたまま会話を続けるアルさん達がなにを言っているのか、私には解らない。わざと? 何が?
「まさかこの巨人も、あのフンババとかいうのも、私たちを狙ってエクスプローラーがやったとでも言うの? なんのために?」
「恨み」
 レイさん。さらり。
「俺は、人に恨まれる覚えはない」
 即答、アルさん。
「言い切りましたね、あなた」
「事実だろ?」
 どの口?
「まあ」
 息をついて、レイさんは言っていた。
「恨み妬み嫉み。理由など何でもいいのですよ。それが面白いとカンチガイしている連中は、一定数いるものです」
 眼前、ジャイアントたちはじりじりと包囲を狭めてきている。連携し、じわりじわりと逃げ道を塞いでくる辺り、知能は高いようだ。はてさて、どうしたものか……
「ごめん。これ、あたしの所為かもしんない。さっきご飯の時、配信いれちゃったから」
 弓を手に、ニケちゃんが言っていた。
「別にご飯タイムくらいいいかなって思ったんだけど……うかつ?」
「ニケー……」
 眉を寄せ、溜め息混じりにダガーさんがぼやく。
「お前、昨日の配信も深夜とはいえ、物議を醸してたのをしらんのか?」
「なんだ、何かあったのか?」
「いや、あなたが勇者ちゃんにゲームの事を言った件ですよ。あれ、もうまとめられてますよ?」
「マジかよ、はええよ」
「あなた、今、それくらいこの世界で影響力を持っちゃってるんですよ。自覚してください」
「なるほど……そうか……」
 言って、アルさんはにやりと笑った。
「じゃあ、もう別に何に遠慮する事もねぇな」
 そして左手の人差し指で宙をなぞり、流れるようにその指先で空間を何度か突っついた。
「配・信・再・開!」
 私には何の事だか解らないが、
「やる気だ、この男ー!」
「じゃあニケもー」
「まあ、配信されていれば、MPKしようなんて輩は引っ込むかもしれませんしね」
「ぐんぐんあがる視聴数」
「ええっと……この状況で配信されるってことは、エミリー? 私たちも顔出しになってしまって、結構まずいのでは?」
「今更感」
「そもそもティラミスさんもエミリーさんも当事者ですんで、アルス・マグナ戦の視聴数とか、割といってますよ?」
「えっ!? そうなんですか!?」
「ティラミスにも二つ名が付くといいね」
「それは、誇っていいこと……?」
「二つ名は、勝手に増えるものです」
 ともあれ、
「さあて」
 片手で剣を振るい、アルさんは言った。
「切り抜けるぞ! 突・撃!」

「前方、ぶち抜きます!」
 暗黒の炎を立ち上がらせ、レイさんが駆け出す。
 その後ろに続く、私、アルさん、ダガーさん。ジャイアント達が武器を振り上げ、先頭のレイさんに群がっていく。ところを、
「行きますよ! エミリーさん!」
「もちろんですとも!」
 後衛、魔導士の二人が素早く詠唱、「永久の時にも姿を変える事なき氷の力よ!」「天と地に満ちる数多の風の精霊達よ!」
「ストーム・ガスト!」
「ロード・オブ・ヴァーミリオン!」
 レイさんの前に集まっていたジャイアント達に、氷の嵐と雷の旋風が荒れ狂って襲いかかる。そこへ、
「一点突破!」
 巨大な光芒の矢をニケちゃんが撃ち放ち、集まっていたジャイアント達を三体ほど光の粒子に変換させていた。
「ささえますぞ! 兎にも角にも、前へ前へ!」
 僅かに生まれた隙間へ、ジャイアントが武器を振り上げて踊り込んでくる。そしてそれを大剣を横にして受けたレイさんの左右へ、私たちは走り込んだ。
「セプト・エトワール!」
 を巨人の側面から叩き込み、最後の一振りでそれを彼方へ弾き飛ばす。「レイさん、一度に何体まで!?」「ジャイアントは一撃重いんで、三体かなぁ。ノックバックで飛ばしてくれるのは、非常にありがたいです」「ミーティア・ストライク!」で、アルさんがレイさんの台詞が終わるよりも早く、二体ほど弾き飛ばし、「ローグには、部位数三以上のノックバック系はねぇんだよな」と言いつつ、ダガーさんはレイさんに迫っていたジャイアントに「ソニック・ブロウ!」を叩き込んでその巨躯を硬直させ、後続のジャイアント達にたたらを踏ませていた。
「所詮はフィールドモンスター、我々の敵ではないですね!」
 言い、レイさんは暗黒の炎で数体のジャイアントを巻き込み、自らに引き寄せた所で、「ぐぼぁ!?」左右から二発もらう。「あああ!」と、そのレイさんに後方から走り寄ってきたティラミスさんが「キュア・シリアス・ウーンズ!」を飛ばし、傷を癒やす。
「この連携を続けて、突破する!」
 炎の中、剣を振るうアルさんが言った。「レイシュが二発もらうところまで!」「いえ、それはいいです」
 ともかく、波状攻撃のように迫ってくるジャイアントを魔法とニケちゃんの波動砲を中心に押し返し、数体ずつ数を減らしながら、私たちは森の方へと徐々に詰めていった。
 何体目かを屠った辺りで、
「なんだ、ひどいことになってんな!」
 夜空から、ヴィエットさんが飛び降りてきた。
「ヴィエット! やっときたか!」
「悪い、検索に時間食った」
「状況を知りたいです!」
 詠唱の合間にネリさんが言うと、「おう」と返して、ヴィエットさんは続けた。
「まず、アル君とニケちゃんの配信は既に拡散されていて、ミラーが複数たっている」
「わりとどうでもいい」
「ニケ、大人気?」
「おかけで検索しづらい……はともかく、祭りの趣旨だが、あのフンババも祭りの一環で確定」
「やはりか」
 ちらり、後ろを振り向いてレイさんが言った。
「あれは、みんなが押さえてくれているのか?」
「うん。まぁ、うちらのレイドメンバー以外にもお祭り参加者がいるからな。あっちがここまで来ることはないだろう」
「どういう状況?」
 ジャイアントに攻撃をし、一旦下がってきたダカーさんがヴィエットさんの隣に並んで言った。
「この祭り、アルをぶっ殺せ祭りだったら、オレもそっち側につくが?」
「人望」
「ある意味」
「どっち?」
「ってか、そうか。これ、配信されているんだったな」
 ヴィエットさんはぽんと手を打つと、「あれ? これ、ここでみんなに教えない方が、配信的には面白いのか? いや、でもそうすると、アル君たちはなんで戦うのか、さっぱり意味がわからないから、話した方がいいのか?」
「いいから早く言え」
 ジャイアントの棍棒を大剣で受けつつ、レイさんがドスのきいた声で言う。
「大方の見当は付いている。さっき、MPKっぽいこともされたしな」
「お、マジか。じゃあ言っちゃうけど、その通り。このジャイアントは、君たちをMPKするために、何人かが動いてトレインしてきたもの」
「何のために?」
 私もジャイアントに連撃を食らわせて下がったところで、聞いた。
「エクスプローラー達がやっているんでしょ? 何のために?」
「面白いから」
「いや、私的には面白くもなんともないんだけど」
「勇者ちゃんにわかるように言うとすれば──」
 少し考えるようにしてから、ヴィエットさんは言った。すごく、私には理解できないような事を。
「これは、ゲームだからな」

「……なんて?」
 いや、なんでだ?
 この世界がゲームだというのは頭では理解しているけれど、腑には落ちていない。けど、それで、だからといって、何故?
「イベント扱いか」
 アルさんは少し苦笑するようにして言った。
「イベント扱いするなら、もうちょっと面白くやれってんだ」
「いや、あなたのそういう態度もよくないとは思いますが、暖簾に腕押しでしょうから言いませんけど」
「言ってる」
「小言くらいは。それが私の仕事ですし」
「いや、いつもの調子で流そうとしてるけど」
 止め、私は続けた。
「これがゲームだからって、何で私たちの邪魔を? むしろ、私たちがむぎちゃんとチロルさんのために頑張っているって、その人達も知っているんじゃないの? それなのになんで? 別に、私たちを襲う必要なんてなくない?」
「それはそうなんでしょうけど」
「そうともならないのが、アル君──と、君の関係性というか、勇者ちゃん、君自身の存在なんだ」
 私?
 私が、なんで?
「世界を変えうる力?」
 私は行き着いた答えを、口にしていた。
 それが私にあると、みんなは言う。それが私にあるから、こんな事に?
「いや、そんな──!?」
 振り向き、皆に向かって言葉を続けようとしたその私の前に、アルさんが飛び出した。
「さがれ! 勇者ちゃん!」
 はっとし、見る。
 そこへ──流星のような光となって、何者かが私と同じような細剣を真っ直ぐに突き出したまま、突っ込んできていた。
 飛び出したアルさんが、「ヴァルキーリア・スクード!」と、剣を振り上げる。光と、光がぶつかり合い、ばあん! と弾けて、響いた音が空気を震わせた。
 生まれ出た衝撃に燃えさかる炎が揺らいで、その向こう、飛び込んできた相手の──美しく長い金色の髪が揺れていた。
 深い翡翠色の、強い意志を宿した瞳が、その髪の奥で私たちを捉えていた。
「勇者!?」
 アルさんが声を上げる。
 翡翠色の瞳の剣士は剣を振るい、体勢を立て直す。そしてそのままアルさんに向かって、強く踏み込んでくる。
「こいつ!」
 剣を立て、アルさんはそれを受けた。
 踊る髪の向こう、瞳を見据え、
「お前……何者だ?」
 問うアルさんに向かい、彼女は真っ直ぐにその瞳を向けたまま、言った。
「勇者、ソアラ」

「追撃来ます!」
 ティラミスさんの声。
 振り向く私たちの元へ、何人かのエクスプローラーたちが駆け寄ってくる。
「マジか!?」
 暗黒の炎を巻き上がらせ、レイさんは叫んだ。
「ここ、PvPフィールドじゃないぞ!?」
「痛いだけで死にゃあしないのに、何のつもりだ!?」
「まさかの、垢バン覚悟!?」
 槍を手にした戦士が投げつけた錬成石から雷の魔法が撃ち放たれ、暗黒の炎がそれを打ち消す。生まれた間隙を縫って飛び込んできた、ハルバード、ロングスピア、短剣を手にした者達に、レイさん、ダガーさん、ヴィエットさんが飛びつく。
「何のつもりだ!?」
 レイさんが叫んだ。
 ハルバードを手にしたドワーフの男が何事かを口にしていたが、私の耳には届かなかった。「PvP申請なんか、受けるわけないだろう!」「ウィンドウ、邪魔くせぇ!?」「足止めだと!?」
「アルさん!」
 エミリーさんの声に振り向くと、アルさんに向かってもう一人、片刃の長剣を手にした青年が走り込んで来ていた。長剣には暗黒の炎が宿っていて、それはレイさんが使う暗黒の炎のそれと同じように見えた。エミリーさんが詠唱を始め──間に合わない!──私は剣を腰だめに構え、一気に踏み込んだ。「レイ・スティンガー!」
 暗黒の炎を纏った剣が振るわれる。私の剣の切っ先が、その長剣の刀身を撃つ。響いた音と共に散った暗黒の炎に、青年が声を上げていた。「スイッチ!」
 勇者──ソアラと名乗った剣士が、一息で私の前に飛び込んできた。ぐっと足を止めた私の向こう、彼女の背後から、青年は剣を握り直してアルさんの方へと、一気に詰め寄っていた。
「アルさん!」
「そっち持て!」
 振り下ろされてくる二人の剣を、私たち二人はほとんど同時に受け止めた。
 弾けた光と、炎の熱に巻かれた風が、私たちの間を走り抜けていった。
「……一応聞いておくが」
 切っ先の向こう、剣を交えた青年に向かい、アルさんは問う。
「俺には君の名前が見えている訳だが、口にしてもいいのか?」
「どうぞ」
 返し、青年は剣を振るう。受け流し、アルさんは大きく飛び退いた。それに合わせて私もソアラと名乗った勇者の剣を弾き、素早く飛び退いてアルさんの隣に立った。
 構え直す切っ先の向こう、片刃の長剣を構え直す青年と、金色の長い髪に深い翡翠色の瞳をした、少しとがった耳のハーフエルフ。
「……何者?」
「さてね」
 対峙する二人に向かい、アルさんは聞いた。
「そっちは……ジェダ、で読み方は合ってる?」
「合ってます」
 と、ジェダと呼ばれた青年は、暗黒の炎を纏った長剣を斜に構え、返した。
「こちらも配信していますので、お気になさらず」
「おいおい……」
 苦笑するようにして笑い、アルさんは続けた。
「正気かよ? こんな事したら、垢バンじゃ済まないんじゃないか?」
「それが、そうでもないと私は思うんですよね」
 笑い、ジェダと名乗った暗黒騎士にしては軽装に見える彼は、炎を纏い直しつつ続けた。
「うちの勇者が、そうすると決めたので」
 ぴくり、アルさんの剣先が震えた。
 視線の先、ソアラと名乗った剣士が一歩前へと踏み出してくる。そしてハーフエルフの剣士は、炎にまかれて揺れる金色の髪をそのままに、切っ先を私たちに向け、言った。
「貴方たちが、賢者の石と同一視されるという秘薬、エリクサーを手にいれんと世界樹を狙う、勇者を語る者達ですね!」
「え?」
 素で声が出た。
「いやいやいや、何それ?」
 訳がわからず、そう言う彼女とアルさんを代わる代わるに見た。「あの子、何か誤解してる──」
「そう言うことにしたのか?」
 ジェダと名乗った暗黒騎士に向け、アルさんは笑っていた。
「シナリオを、世界を変えうる力が勇者にはあるって、そういう使い方もアリなのか?」
「ええ」
 暗黒騎士、ジェダは笑うようにして返した。
「フンババの方は、私たちは関係ないですけどね」
「利用した?」
「あのシナリオは元々、この森を犯す者達に対して怒れるフンババが現れ、勇者がそれを収めるというシナリオですんで……こちらの彼女の視点からすれば、貴方たちの方が悪役なんですよ。彼女は、ハーフエルフですしね」
「そういうシナリオも、まぁ、よくあるよな」
「それに、当然こちらはクリア済みですんで、彼女は本物の勇者ですし」
「まあ、他人のストーリーに口出しする気はねぇけどよ。それはどうなんだ?」
「勇者は、あなたの勇者だけではないんですよ」
「そんな事は知ってるさ」
「まぁ……私の勇者はβどころかα時代からの最古参なんで、特殊ではありますけど」
「廃人か」
「なんとでも」
 構え、暗黒騎士ジェダは言った。「貴方が言いそうな言葉を選んで言うのなら──」
「物語の主人公は、貴方だけじゃないんですよ」
 その言葉に──沈黙。
 私は、何を答えればいいか解らない。アルさんは構えたまま、言葉を発しない。
 暗黒騎士ジェダも、勇者ソアラも、ゆっくりと剣を構え直す。
 世界を変えうる力。
 勇者の力。
 それが、私にはあるという。
 それは私がこの世界の住人で、そして勇者だからだと、皆は言う。
 けれど──私の前で剣を構える彼女もまた、勇者なのだと言う。いや、正直、私なんかよりもずっと凜とした美しさと自信に満ちたその姿は、私のような自称と違って、本物のそれのように見える。
 彼女も、勇者──いや、そうだ。勇者はもっと、たくさんいるんだ。
 むぎちゃんも、チロルさんの勇者だった。
 そう、勇者はもっとたくさんいるんだ。ダガーさんにも勇者がいるし、レイさんにもいると聞いた。エルさんの勇者の話も聞いたことがあるし、きっとネリさんにもニケちゃんにも、その隣には勇者がいるのに違いない。
 そうだ。この世界は、私の住むこの世界は、アルさんたちにとってはゲームだというこの世界には、多分、その主人公である皆の隣に、私と同じように勇者がいるんだ。
 そしてそのみんなが、その勇者達が、皆、世界を変えうる力を持っていて──きっと──
「正直」
 沈黙を破って、アルさんは言った。
「こんな状況じゃなければ、超面白い展開なんだけどな」
 言って、笑って、そして目を伏せた。
「でも、今はダメだ」
 真っ直ぐに見つめる先に切っ先を向け、アルさんは言った。めったに見せることのない真っ直ぐな瞳で、真っ直ぐに、言った。
「今回はちょっと、主人公は譲れない」
「MMORPGに主人公なんていないってのが、貴方の持論では?」
「なんだ、ファンか?」
「だとしたら?」
「無論──全力でいく!」
 そしてアルさんは駆けた。
 暗黒騎士、ジェダも踏み込む。長剣と細剣が激しくぶつかり合い、炎と光が弾けた。
 勇者ソアラが動く。加勢に向かうその進路へ、私は奥歯をかみしめて飛び込んだ。
 細剣と細剣の連撃が弾け、光を散らした。
「聞いて!」
 私は剣撃の中、叫んだ。
「私たちはエリクサーを手に入れようとしているけれど、それはそうじゃなくて!」
「賢者の石と同一視されるそれを手にしようとする時点で、貴方たちはアーオイルと同じ!」
 ソアラが、セプト・エトワールを放ってくる。受けるように私も七連撃を繰り出すが、わずかばかり、向こうの剣の方が速かった。頬を、腕を、ミスリルの輝きがかすめていった。
「聞いて!」
「聞く耳なんてないんだろ!?」
 アルさんが至近距離からジェダに向かってミーティア・ストライクを放つ。
「仮に貴方たちがここで倒れるならば!」
 それを暗黒の炎で受けたジェダの前で、ガリガリと光が散っていた。光の向こう、大上段へ、長刀が振りあげられる。
「それは、貴方たちに世界を変える力がなかったということ!」
「試すつもりか!」
 振り下ろされた剣を、アルさんの細剣が受け、弾いた。
「あえて言うぜ! 神にでもなったつもりか!」
「貴方達こそ、運営にそそのかされ、主人公を気取っているだけでは!?」
 大きく後ろへと振るわれた長剣の動きに合わせ、暗黒の火球が無数に生み出される。私は踵を踏みならし、それに向かって剣を突きつけた。
「そんなつもりはない!」
 十六連撃で火球を振り払い、長剣を握るその手に向けて切っ先を突き出す。が、その先を、流れるような剣さばきでソアラが弾いた。
「この世界は、私たちが守った世界! それを壊す事は、許さない!」
「違う!」
 違う?
 いや──違う。
 違うんだ。
 私の剣の切っ先が、光が──鈍る。
 違う。
 彼女は多分、知らない。この世界は──
「下がれ! 勇者ちゃん!」
 アルさんの声。
「スイッチ!」
 声に、暗黒騎士の前へと勇者が飛び出してくる。私の、前へ。
 金色の髪が踊る。翡翠色の瞳が、私を映す。打ち鳴らされる踵の音。「ラ・ロンド──」
「やめろ!」
 私の脇をすり抜け、アルさんが前へ──
「どうせ終わる世界だ!」
 暗黒騎士が、そこに向かって、大きく踏み込んだ。
 届かない──踵の終音に、彼女の声が重なった。
「フルーレ!」
 踊る髪をそのままに、勇者の剣が、私に向かって突き出された。

 不思議と、痛みはなかった。
 弾き飛ばされた私に、アルさんが駆け寄ってきて、その身体を抱き上げた。
 何かを、言っている。言っているけど、よく聞こえない。右手にしていた剣はどこに行った?
 アルさんがみんなの方に向かって何か言っていて、だけれど私のかすれた視界の中には、みんなの姿は見えなくて……
 ああ、こいつ……
「私はいいから」
 口をついて、言葉が出た。
「私が死んでも、貴方が生きてれば大丈夫でしょ?」
 なんだよその、すげぇびっくりしたような顔は。
 この世界は──所詮、ゲームなんだ。
 知ってるよ。
 そして私は、その世界で、貴方の物語を紡ぐために生まれたその登場人物で、貴方の勇者という役割をもらった、演者なんでしょう?
 だから──解っているよ。
「死なないでよ?」
 そうしないと、今まで私たちがやってきた事のすべてが無駄になってしまう。たくさんの仲間達がその時間を使って、私たちを信じてやってくれたそのすべてが、無駄になってしまう。
「死ぬなよ」
 私だけが、この世界を変えられる。貴方はそう言った。
 だから、
「あなたも死んでしまったら、私は、今を忘れてしまう」
 何だよ、その顔は。
 知ってるよ、貴方が言ったんだ。
「そうしないと、全部、無駄になっちゃうんでしょ?」
 よせよ、今生の別れじゃあるまいし。よせよ、痛いよ。
 握りしめられた右手が痛すぎて、ただ一言しか言えないよ。「アルさん……」
「生きて」

 目が、覚めた。
 暗い、部屋。
 木の天井。
 知らない部屋。
 あの後──を思い出そうとして、「あの」を思い出した。恥ずかしい……アルさん、マジで私の事を抱きしめた。信じられん……
 頬の辺りをごしごししながら、私は部屋を見回した。灯りのない部屋は、窓から差し込む弱い月明かりだけが唯一の光源だった。けれど、それでも、部屋の造りからここがどこか、なんとなく解った。
 ここは多分、チロルさんのバンガローだろう。
 あの後何がどうしてどうなったのかは解らないけれど、多分、なんとかアルさんたちは逃げ切ったのだ。逃げ切って、そしてここへと戻ってきたのだ。
 私の記憶がつながっている以上、それはおそらく間違いない。
 そっとベッドから降りると、サイドテーブルに置かれていたバッグを腰にかけ、剣をつるし、私は静かに部屋を出た。
 部屋は、バンガローの一番奥にあった部屋のようだった。間違いなくチロルさんのバンガローであるここは、そうすると……この部屋の前が、むぎちゃんの部屋だ。
 小さく深呼吸をして、私はそのドアに手をかけ、細く開けた。
 薄暗い部屋。こちらは北側なのか、月明かりはほとんどなかった。暗闇に目が慣れず、よく見えなくて、私は部屋の中に静かに歩を進めた。
 ベッドに近づく。二歩ほど進んだところで、そのベッドの上に誰かが寝ているのは解っていた。解っていたけれど、解りたくなくて、私は歩を進めた。
 ベッドの上では、むぎちゃんが眠っていた。
 腰の剣の柄に手をかけて、私は詰まりそうになった息をなんとか吸って、止めた。むせてしまいそうなくらい、胸の上の所が痛いような気がして、息を止めた。
 目を伏せ、呼吸をなんとか整えようとしていると、こんこんと、小さくドアをノックする音が部屋に響いた。
 振り向くと、ニケちゃんがそこにいた。
「良かった。起きた」
「……うん」
「いや、リザしても起きなくて、またなんかやばいことになったのかと思っちゃって」
 不器用な感じに笑いながら、ニケちゃんも部屋の中に入ってくる。
「まあ、お兄ちゃんが言うには、やられ方によってはAIがデータセットを処理するのに時間がかかることもあるから、リザしてもすぐには復活しないって言ってたけど……あたし、もしかして勇者ちゃんもって──」
 途中まで言って、ニケちゃんは目をそらした。そしてその続きは、言わなかった。
 沈黙になってしまって、私は息を吸うために長くゆっくりと息を吐くと──言った。
「いこ」
 多分みんな、リビングにいる。

 私とニケちゃんがリビングに進むと、そこに置かれていた大きなテーブルについていたエミリーさんが最初に気づいて、ばっと立ち上がった。
「勇者ちゃん!?」
 声に、腕を組んで眠るようにしていたレイさんも顔を上げ、ティラミスさん、ネリさん、そしてチロルさんも顔をあげて私を見た。
 思ったよりも、少ない……
 そう思って、私が目をそらすと、
「おう、何飲む?」
 と、横のキッチンスペースからダガーさんが頭を出していた。
「ホットミルクとかにしておくか?」
「ああ……うん」
「蜂蜜も入れてやろう」
 と、ダガーさんの頭が引っ込んで、キッチンの向こうでごそごそとし始めた。
 私はそらした視線を再びリビングに戻し、気づいたレイさんが片手で自分の向かいに促してくれているのを見て、それに従った。
 促されるまま、椅子につくと、
「さて」
 と、レイさんが水を向けてくれた。
「あの後、我々がどうなったか、まずは知りたいですか?」
「ああ……うん」
「ふむ」
 と唸り、レイさんはテーブルの上で手を組んで続けた。
「割と、大変な事になりはしたんですけどね……とはいえ、あそこはPvPフィールドではないので、PC間ではダメージが発生しません。あの暗黒騎士の勇者とジャイアントだけが、我々にダメージを与えられる存在でしたので、戦おうとするアルさんをティラミスさんにバインドしてもらって守りつつ、フンババ側に行っていた皆が戻るまで、ひたすら私が壁となって耐え続けました」
「人数いりゃ、ジャイアントはたいした敵じゃないしな」
 横から、ホットミルクのカップを差し出しつつ、ダガーさんが続ける。
「問題は向こうの勇者だったが……こっちは勇者が誰もいなかったもんだから、あいつを倒す術がなくってな。どうしたもんかと思っていたが、そこはGMが出てきてくれて、向こうの勇者を強制的に眠らせてくれた」
「いやしかし」
 と、大きく息をついて、ネリさんが目頭を押さえていた。
「自立AIとは言え、まさか自分の意思でプレイヤーや勇者に攻撃をしてくる者が現れるとは」
「本来は、出来ない仕様でいいんだろ?」
 自分のカップを手に、ダガーさんもテーブルに着きつつネリさんに向かって聞く。ネリさんは目頭を押さえたまま、「ええ」と返した。
「出来ません。そういう思考をしないように調整されていますので」
「まあ、あの暗黒騎士のプレイヤーはαプレイヤーらしいので、長年の蓄積がある彼の勇者だからこそ出来た、という可能性はありますね」
 ふうと息をつくレイさんに、ネリさん、ダガーさんがため息交じりに続いていた。
「とはいえ、勇者が、勇者どころかPCにも攻撃を仕掛けてきたというのは事実です。どういう風にやらせたのか、それは今後の調査になりますが……誰にでもそういう可能性があるとすると、これは大問題です」
「下手すりゃ、このゲームの根幹を揺るがす大問題になるな……」
「いや、それは多分、心配ないんじゃないかな」
 ホットミルクのカップを両手で包み、ほのかな暖かさを手のひらに感じながら、私は呟いていた。
「え? と、いうと?」
「え?」
 いや、それは口をついただけで、問われても、特に……
「私達は、試されたんだと思う」
 口をついて、出ていた。
「仮に私達があそこで倒れてしまうようであれば、私たちに世界を変える力がなかったと、そういうことになる」
 口をついて出た言葉に、レイさん、ネリさんが目を丸くしていた。
「それは……勇者ちゃんの言葉ですか?」
「どうなんですか?」
 問いに、私はうつむいて、
「違う……と思う」
 返した。
「そうですか」
 言って、ネリさんは天を仰いだ。
「そうであれば、シナリオAIが貴方たちに課したものとして理解できますね。納得は、出来ませんが……」
「そこは、調査してもらうしかありませんね」
 言い、レイさんは再び私を見て続けた。
「で、あの暗黒騎士ですが……ジェダとかいいましたか? 今回の主犯格とは別らしいのですが……そんな複雑な事情もあって、彼の処分は現状、保留だそうです。アルさんが何もアクションを起こさずに保留としたので、運営側もまだなんとも動けていません。MPKを仕掛けてきた連中は、おそらくバンされるでしょうけど、フンババ側の方は現状ではまだなんとも言えない状況のようですね。死ねばいいのに」
「やがて終わる世界とは言え、大分、終末感が出てきてしまいましたねぇ」
 苦笑のネリさん。
「日付が変わる頃には、ゲーム系サイト辺りではニュースになってそうだな」
 ダガーさんはホットミルクを口につけ、ちびちびと啜っている。
「ちなみにニケ、これ、配信してるよ?」
「ちょっと待ってください。すると私の死ねばいいのに発言も配信されていますか? 今のなしで」
「もう遅い」
「ぉぅ……」
 とかなんとかやって、話が一段落ついたところで、上座に座っていたチロルさんが口を開いた。
「勇者ちゃん」
 そして、言った。
「ありがとう」
 その微笑みは、私には、とても悲しそうに見えた。
 チロルさんは長い髪を肩の後ろへと静かに送りながら、ゆっくりと続けていた。
「勇者ちゃんたちが頑張ってくれていたのは、ずっと見ていたよ。私も何か力になりたかったのだけれど、何も出来なくって……ごめん」
「いいえ……」
 手元のホットミルクに視線を落とした私に、レイさんが続いていた。
「いえ、チロルさんに万が一の事があっては、そもそも意味がありません。気に病むことはありませんよ」
「そもそもログイン状態を維持するために、まともに動作するような環境じゃないんだろ?」
 ネリさんの横顔に質問するダガーさんに、ネリさんが目を伏せたままで何度か小さく頷いていた。
「それでも」
 チロルさんは続けた。
「これは私の問題で、当事者は私なんだ。それにみんなを、巻き込んでしまったんだ」
「そんなことないよ!」
 チロルさんの正面に座っていたティラミスさんが、テーブルに手をついて勢いよく立ち上がりながらその言葉を強く口にしていた。
「仲間じゃん!」
「ティラミス……」
 エミリーさんが彼女の腕に手を触れて声をかけると、ティラミスさんは視線を外して、すとんと椅子に座り直した。
 チロルさんが目を伏せて、一つ大きく息をついて、言った。
「ありがとう」
 静かに、けれど──言った。
「ごめん」

 手の中のカップに熱はもうなく。
 何かを考えているような気はするのに、言葉は口から何も出て来なくて……
 沈黙の部屋にチロルさんの姿はなく、部屋に戻った彼女にかける言葉も見つけられず、私達はテーブルについたまま、それぞれ思い思いの場所をただじっと見つめ続けていた。
 私は熱を失ったミルクの表面を見つめたまま、小さく、聞いた。
「今、何時?」
「今ですか?」
 レイさんが返そうとしたところに、ダガーさんが割って入った。
「それはこっちの時間か、それとも、リアルの時間か?」
 解っている。
「リアルの」
 レイさんは言葉に詰まったようだったけれど、ダガーさんは解っていたのか、するりと返してきた。
「もうすぐ、夜の十一時になるか。オレたちの日付も、もうすぐ変わる」
「そう……」
 短く返した私に、ダガーさんがわざとらしく身体を動かしながら、身を乗り出し、言った。「勇者ちゃん、もう、いろいろ解っていると思うが、あえて言うぞ」
 顔を上げた私に向かって、言った。
「今、君がこうしてオレたちと話しているということは、君は今、インスタンス化されているということだ。つまり、あいつもまだログインしている」
 解っている。
 私が眠っている間に、どんな話があったのか。
 ここに、どうして、これだけのみんなしかいないのか。
 なんとなく、解っている。
 沈黙の中で、ニケちゃんがそっと右手を挙げ、宙を滑らせていた。
「止めるね」
「あ、配信、まだしていたんですか?」
「うん」
 小さく返し、その指を止めて、
「止めるって言ったら、みんな、コメントつけてくるー。さっきまで静かだったのにー」
 少し、笑い、
「勇者ちゃん」
 そして、言った。
「あたし達は、ここで見ている事しか出来ない。歯がゆいけどね。けど、たとえすべてが消えてしまうとしても──」
 解っている。
「あたし達は、ここで見ているよ」
 物語には、結末が必要だ。
 私は勇者として、この世界のキャラクターとして、みんなの期待に応えて、この物語の結末をつけなければならない。
 それが、どんな結末であろうとも──
 一つ大きく息を吸って、私は立ち上がり、聞いた。
「アルさんは?」
「さあ?」
 曖昧に笑って、レイさんは答えた。
「外に出て行きましたんで、外にいるとは思いますが」
「大丈夫だろ」
 もう入っていないはずのホットミルクのカップを口に当てながら、ダガーさんが続いていた。
「勇者ちゃんなら、見つけられる」
「それは、私がアルさんの勇者だから?」
「どうだろうね」
 首を傾げるダガーさんから視線を外し、私はネリさんに聞いた。
「配信っていうやつ、されてるの?」
「アルのですか? あれ? どうだろう?」
「入れっぱなしだったから、今も勇者ちゃんの視点で映ってる」
 ニケちゃんが言う。
「見てるよ」
「ありがとう」
 短く返し、私は歩き出した。
 腰に下げた剣の柄に、軽く、手をかけて。

 高地高原の夜空は晴れ渡り、空にはまんまるの月が昇っていた。
 月明かりの落とす影が、歩く私の後ろを静かに着いてくる。
 街道へとつながる小道を進みながらアルさんを探すと、街道との中間地点くらいに置かれていた門石がわずかに光って、そこに誰かが姿を現していた。
「あら~」
 というその声に、私は胸の奥を優しく触れられた気がして、微笑んだ。
「エルさん」
「おや~、お散歩ですか~」
「ええ」
 と、返し、
「アルさんを探して」
 続けると、エルさんは「そうですか~」と前置きをして、続けた。
「私、先ほど用事を済ませて帰ってきた所ですので、状況をよく理解していないのですが、みなさん、ちゃんとお話はしましたか~?」
 夜風が、高地高原を抜けていく。
 屈託なく、いつもの調子のエルさんが、私の前で笑っている。
 ちくりと、胸が痛む。
「大丈夫ですか~?」
 エルさんは察しのいい人だから、解っていて私にそんな質問をしている。解っている。だから、
「いえ……」
 言葉を濁した私に、
「ダメですよ~」
 と、いつもの調子で、いつものように笑って、私に向かって言った。
「ちゃんとみんなで、話して決めないと~」
 エルさんは、いつもそうだ。いつも、私達を後ろから支えてくれている。だからきっと、彼女ももう、既に解っている。
「じゃあ、アルさん見つけたら、連れてきてくださいね~」
 それでも、
「私、ちゃんとアルさんの口から聞かないと、納得しませんよ~って言っておいてくださいね~」
 そう言って、笑う。
 ああ……多分、それはアルさんが一番面倒くさいと思うタイプの奴だ。歴戦の冒険者であるみんなの過去の冒険譚は、たき火を囲みながら、夜話でいくつもいくつも聞いてきた。彼らのいくつもの夜、いくつもの物語の中で、きっと彼らは、そうした結末を選んだこともあるのだろう。そしてそのとき、きっと彼女はその中で──
「まあ、私はそんな選択、ゆるしませんけどね~」
 「あはは~」と笑いながら、エルさんは私の隣を抜け、バンガローの方へと向かって歩き出していた。
「許さないんだ……」
 呟いてしまって、苦笑する。
 胸が、少し、軽くなったような気がしていた。
 話さなければならない。
 私たちは──
「ああ、そうだ」
 立ち止まったエルさんの、背中が言った。
「もちろん、私も鬼ではないので、みんなが選択しようとしている事を、みんな誰一人納得なんてしていなくて、それでもそれを選択しようとしている事は、解っていますよ」
 そして、振り向き、言った。
「でも、だからこそ、言うのです」
 月明かりの下、薄く銀色に輝くローブに身を包んだ私達をいつも後ろから支えてくれる導師は、いつものように微笑みながら、言った。
「たとえ誰もがそう思っていても、最後の最後にまで、私はそれを言うのです。それが、導師エルという、私のキャラクターなのですから」

 夜空に月。
 伸びる影。
 高地高原を、静かに風がながれていく。
「この世界は、ゲームです」
 エルさんは、言う。「いいじゃないですか。だからこそ、です」
 月明かりの下、銀色の輝くローブに身を包んだ私達の導師様が、いつものように笑って、言う。
「実際の私は、本当はそんなことは言えません。私は皆さんが思うよりもずっとずっと、心の弱い人間です。言うほど、気丈でもありません。でもそれでも、だからこそ、です。
 ゲームに、何をマジになっちゃってるのとか、そんな風に言う輩もいますけど、いいじゃないですか。
 リアルを持ち込めるからこそ、VRなのですよ。
 そして、人と世界にふれあえるからこそ、MMOなのであって、なりたい自分になれるからこそ、RPGなんです」

 夜空に月。
 伸びる影。
 高地高原を、静かに風がながれていく。
 丘の向こう、小さな石の上で剣を抱え、アルさんは座って月を見上げていた。
 私は静かにゆっくりと、それに近づいていく。
 最初の言葉を探して、探して、見つけられなくて、近づいて、立ち止まって、言った。
「エリクサーは……」
 アルさんが少しだけ、こちらに顔を向けた。
「もう、見つけられない?」
 沈黙があって、アルさんは再び月を見上げて短く返した。
「ああ」
 胸が、締め付けられる。
 私は、言わなければならない。
 私の背中の向こうには、みんながいる。
 みんながいて、みんなが見ている。
 その月を見上げ、剣を抱えた彼の背中を。
「アルさん……」
 誰もいない、夜の草原。
 月下の丘を吹き抜ける風の中。
 私は、言った。
「みんなが選択しようとしていることを、みんな、誰一人、納得していない事は、よくわかってる。でも、どうにもならない事だから、その選択をしようとしている事も、わかってる」
 私は、愛剣の柄を握りしめた。
 私は、言わなければならない。
「所詮はさ──」
 言わなければならない。
「この世界は、アルさん達にとっては、ゲームなんでしょう? だから別に、気に病むようなことではないんでしょう? すべて、時がたてば忘れてしまって、そういえばそんなこともあったねとか、そんな風に思い出すような、そういう、世界なんでしょう?」
 アルさんは答えない。
 解っているから、私は続けなければならない。
「私もどうせ、忘れてしまう」
 言わなければならない。
「私たちは、エリクサーを手に入れられなかった。時間ももうない。世界樹のあれも、多分、今となっては誰かが流した嘘なんだろうなって、解ってる。この世界に、エリクサーは存在しない」
 言わなければならない。
「それでも──」
 もしも貴方が、言ってくれるのなら。
 私は、ただひとつ、貴方と、貴方を慕う仲間達のために、この世界を変える事の出来る言葉を、言わなければならない。
「難しい事は、私にはわからない。けれど、あなたが聞いてくれるのなら、私は、何度だってあなたに、答える事ができる」
 ゆっくりと、アルさんが振り向いた。
 そして、息をついて、諦めたように──
「しょうがない。これは──」
「貴方の勇者は、そんな事を言わない」
 ただ一つ、私に言える言葉は、それだけしか、残されていないんだ。
 多分、私には、世界を変える決定権なんてものは、与えられていないんだ。
 本当に世界を変えられる力は、私にではなくて、貴方のその心の内にしか、存在しないんだ。
 だから私は、その心の内にあるものに寄り添って、ただ一つ、伝えられる言葉を口にするしか、ないんだ。
「貴方の勇者は、そんな事を言わない」
 アルさんが驚いたよう目を丸くしていた。
 風がながれていく。
 月明かりが、私達の影を、揺らしていた。
「おまえ……」
 私と、アルさんの間の中空を、アルさんは見つめていた。
 ねえ、アルさん。
 そこには、何があるの?
 そこには、何が表示されているの?
 私には見えない。
 けれど、それが私に出来る最後の悪あがきで、そして貴方にかけてあげる事のできる、最後の言葉なんだ。
 私からの、最初で最後の、クエスト依頼。
 そのウィンドウに表示されている言葉は、多分、私以外のみんなには見えているはずだ。パーティメンバーのみんなはもちろん、私の背中の向こうにいるみんなにも、きっとニケちゃんの目を通して、見えているのに違いないんだ。
 だから私は、言わなければならない。「しょうがないとか、諦めるとか、貴方の勇者は、そんな事を言わない」
「いいじゃないか。この世界がゲームでも、リアルでなくても。貴方の勇者はそれでも、貴方にそうあって欲しくて、貴方が、みんなが、そう望むように、ひとかけらの勇気を信じて、貴方に問いかけるよ」
 エリクサーは、この世界に存在しない。
 けれど──それと同じとされるそれは、この世界に間違いなく存在している。アーオイルが奪い、アルス・マグナの復活のために使用してしまったそれはもう取り戻せないだろうけれど、それでも、それ以外にもうひとつ。
 いつか、貴方たちは言っていた。
 それは倒せると。
 創世の神話。
 世界は、混沌の果てで生まれた雫から生成された、賢者の石から生まれた。そしてそれは、始原の、そして終末の巨人となって、この世界に確かに存在する。
「貴方が望むなら、私は世界を変えてみせる」
 クエスト──『終末の巨人の討伐』
 貴方の目の前に表示されたウィンドウに、正しくはどう表示されているのか、私には解らないけれど、そのボタンを押すのは、貴方自身だ。
 夜空に月。
 伸びるふたりの影。
 高地高原を、静かに風がながれていく。
 ゆっくりとアルさんは右手を挙げ、その人差し指を伸ばした。
「勇者ちゃんよ……」
「なに?」
「お前、もう、戻れねぇところまで染まっちまったな」
「誰のせいだよ」
 笑って言う私の視線の先で、指先が、弾むように空間を叩いていた。


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