studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2019.08.30

勇者ちゃんと、竜の赤い石(後編)

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しゃちょ
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読み物
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 それからまた、数日。
 配達のお仕事をやったり、研究室に顔を出したり、いつの間にか聖堂城の立ち番に顔を覚えられたりして、何日後かの、満月の夜。
 こっそり、私たちは研究室を抜け出した。
 研究室前の海は、満ち潮のせいもあって、強い風に白波をたてていた。
「一雨来そうだな」
 呟き、アルさんは空を仰ぐ。流れる厚い雲に、月は見えない。
「まあ、隠密活動にはもってこいか」
「風が強いから、多少の足音も聞こえなさそうね」
 ま、念のため足音には注意しつつ、聖堂城の螺旋階段を上って行く。揺れるランタンの落とす影は、私とアルさん、二人のものだけだ。他のみんなは、さすがにこんな真夜中にまで、付き合いはしないらしい。
 だいぶん登ったところで、向こうに小さな灯りが見えた。目を凝らすと、灯りは私たちを呼んでいるかのように、ゆらゆらと揺れていた。近づくと、トーカチを手にしたチビエルちゃんだった。
「二人だけ?」
 薄い寝間着姿のチビエルちゃんが、首を傾げつつ聞く。
「おう。ってか、このイベント、どうもパーティー組んでても、参加できない系の奴っぽいんだけどな」
 ハテナと首を傾げるチビエルちゃんだったが、
「ま、リヴァエルも、あんまりたくさんの人がいると疲れてしまうって言っていたし、ちょうどいいわ」
 言い、私たちを促す。
「ここから先、聖堂に入るのに、いったん西のテラスにでるから……今日は風が強いみたいだし、気をつけてね」
「テラスから身廊に入るのか? まんまだな」
 チビエルちゃんに続くアルさんの呟きを耳にしながら、私も階段を上がって西のテラスに出た。テラスに出ると、びょうと強い風が吹き付けてきて、髪や服の襟袖を、ばたばたと激しくはためかせてきた。凄い風。眼下に広がる広大な海は、闇に沈んで、時折立つ白波にうねっている。
「こっちよ」
 テラスに出てすぐ右手、聖堂の入り口だろう、不思議に白く輝く大きな扉があった。チビエルちゃんはそこに手をかざすと、何かを小さく口にして光を消し、ゆっくりとそれを引き開けた。
「やろう」
 アルさんが変わり、ドアを開ける。
 その向こうには、まっすぐに東へと伸びる身廊があって、最奥の後陣に当たる場所には、一体の竜の石像が安置されていた。

 中に進むと、不思議と風の音がぴたりと止んだ気がした。
 ゆっくり身廊を進み、クロッシングを抜けて内陣へ──どこからともなく、声が聞こえてきた。
「お前が、あれの娘か」
 聖堂のどこかから響いてくるような、重く、ゆっくりとした不思議な声。その声の主こそ、最奥に安置された竜の石像、竜神、リヴァエルの声なのだろう。
「石像?」
 後陣の石像を見上げつつ、アルさんは誰にとでもなく聞いた。
「依り代のようなものだ」
 響いた声に、
「え? じゃあ実体とかはないの? 精神体しかないの?」
 アルさんは、チビエルちゃんに聞く。と、チビエルちゃんはハテナと首を傾げていた。
 再び、声が応えた。
「いいや、本体はこの城の海深くで眠っている。流石にそちらの姿で会う事は叶わないな。エル・トゥラが大混乱になってしまう」
「ああ、本体はあるんだ」
「ここ数年は、眠りについたままだがね。まぁ、私が身体を動かさないに越したことはないよ。そういうものだ」
 竜神様──リヴァエルは言った。
 何だろうか。その、少し自嘲するような物言いが、妙に人間くさいなと、私は思った。なんか、竜神様と皆に崇められているのだから、もっと神々しいか、荒々しい感じの竜を想像していたのだけれど、今、目の前の石像から聞こえてくるその声は、なんか、とても人間くさくて、私の知っている人に例えて言うなら、地元の年老いた靴屋の店主みたいだと思えた。
「で、お前があれの娘、聖女と呼ばれる勇者か?」
 問われ、私ははっとした。そうだ、さっきも何か、そんな事を言っていたな。
「あの、竜神様。先ほども『あれの娘』と──」
「ああ、リヴァエルでかまわんよ。なんなら、親しみを込めて、リヴァでもかまわん」
「じゃあ、リヴァちゃん」
 即答、アルさん。
「恐れ多すぎない?」
「リヴァイアちゃんのがいいか?」
「リヴァエルは、おじいちゃんよ?」
「リヴァイアジー?」
「おい、やめろ。畏れ多すぎる」
 この人、マジで畏れを知らんな。
 ともあれ、
「あの、リヴァエル様、『あれの娘』ということは、もしかして父を?」
 聞いてみた。
「ふむ」
 唸るようにして、リヴァエル様は返した。
「あれは、何年くらい前だったかな……それほど古い話ではなかったと思うが……いかんせん、長く生きすぎて時間感覚がわからぬ故、適当な事を言うかも知れんが──」
「フランクだな、竜神様」
「リヴァエルは、優しい竜なのよ?」
「よせ、エル。そんな事を言われると、髭の根元がかゆくなる」
「それは竜の慣用句なのか……?」
 ええい、話が進まないじゃないか! この三人は! お前らみんな、自由過ぎるぞ!
「あの、それで?」
「ああ、そうだ。そうだな。ええと、いつの頃だったかな……二年くらい前か? おそらく勇者殿の父であろう方を、エルに頼んで、ここに連れてきてもらった事がある」
「なんで?」
 何かいろいろかっ飛ばして、アルさんは直球に聞いた。いやまあ、「なんで?」というその言葉には、なんで父がここを訪れて? とか、なんでリヴァエル様がわざわざ父を呼びつけて? とか、なんだかんだ、いろいろ含んでの、なんで? なわけだが、リヴァエル様は、
「賢者の石を探して、彼はエル・トゥラにやってきたのだ。彼は、ここにある竜の心臓という宝石がそれではないかと、調べにきたのだよ」
 流石、竜神様。言外の疑問を含め、返してくれた。
「私は、エル・トゥラで起こる出来事は、路地裏のネズミが隠したチーズの個数まで把握しているからね。実は、耳がよいのだよ。彼が町で聞き込みをしているのを知って、興味がわいたのだ。竜の心臓が欲しいのなら、ちょうどよいと、エルに頼んで連れてきてもらったのだ」
「よくあるのよ」
 言って、チビエルちゃんは笑った。
「だいたい、リヴァエルにお願いされて、旅の人をこっそり呼ぶんだけれどね。そうして、たくさんたくさん、旅のお話をしてもらうのよ」
 その弾んだ声に、思わず口許がほころぶ。
「古いお城を冒険したお話とか、幽霊城のお話とかね。たくさんあるのよ。あ! 知ってる? エル・トゥラの周りを囲んでいる海は、すっごく広くて、真ん中には、巨人のへそという、大穴が開いてるんだって! ね、リヴァエル!」
「うむ、そうらしいな」
「リヴァエルは、旅のお話が大好きなのよね!」
 笑うチビエルちゃんに、私もまた笑った。そうか、リヴァエル様が、町の靴屋の店主のように感じられたのは、チビエルちゃんがいるからかも知れないな。言い方を選ばなければ、二人は、おじいちゃんと孫のような会話をしている。そんな風に、見える。
「で」
 腕を組んで、アルさんが言った。
「なんでそれが、勇者ちゃんの親父さんだって思ったんだ?」
 まあ、確かに。顔が似てる? 似てるか? ヤバい、どんなだっけ? うすらぼやっとしてる。
 悩む私だったが、リヴァエル様は、そう言えばこのお方は竜神様じゃないかというようなことを、さらりと言ってのけたのであった。
「魂の色が似ているではないか」
「わかんねーよ!」
 確かに。
「そういうお前達は、兄妹ではなさそうだが、血縁か?」
「やめろ」
「ありえない」
「よく似た色をしておるんだがなぁ……」
 長く一緒で、染まってきたな感は確かにあるが……やめてくれ、私は私です。
「ま、それはおいといて」
 アルさんは言った。
「ここで勇者ちゃんの親父さんの話を聞けるとは思わなかったが、それで、その竜の心臓なる石は、賢者の石だったのか? 親父さんはそれをどうしたんだ?」
「ふむ、一つ目の質問の回答は、知らん、だ」
「え? 自分の物じゃないの?」
「あれは私の心臓──私をここにつなぎ止めるための錬成石で、遥か昔にアーオイルがつくった物なのだ。竜である私を縛り付けるのだから、それなりの理を封じてはおるのだろうが、お前達のいう賢者の石なのかは、私も知らん」
「あー、なんだ、じゃあ、リヴァエルはここに好きで住んでるんじゃなくて、縛られてるのか」
「そうだな……まあ、他に行き場もないがな」
「ふぅん」
「重ねていうなら、私はここの信者たちが信仰する神でもなければ、その血縁でもないぞ? そもそもここの神が本当に竜だとして、そのような者に会ったこともない」
「え? マジで!?」
「え? そんな、ぶっちゃけて平気?」
「うむ」
 大分、親しげな竜神様は、
「大丈夫だ。エルも知っておるし、古くからここに住む町の皆は、だいたい皆、知っておる」
 とまあ、雨の日は天気が悪いくらいの当たり前さで言った。
「そして二つ目の質問だが」
 と、続けた。
「どうもしなかった、だ」
 リヴァエル様のその言葉は、少し、楽しそうに弾んでいた。
「あの男は、それは賢者の石かも知れないが、お前の物なら手出しをするのは泥棒のする事だと、目にもせずに帰ったよ」
「それは……」
 アルさんはごくり、喉を鳴らし、
「目にしたら、盗っちゃうかも知れないからだな……」
「おい、根拠もなく他人の身内をディスるのはやめろ」
 なんてひどい。
 しかして、そのひどい男は、
「だがしかし、俺は健全安全好青年であるので、是非、その石を見てみたい!」
 ほんと、ひどい。
「ほう……」
 リヴァエル様は唸っていた。
「見られる?」
「塔の地下、最奥をゆけば。それはそこに安置されておる」
 そして、重く、言った。
「もしもその気があるのなら、お前たちにひとつ、依頼をしよう。エル──さがっていておくれ」

 チビエルちゃんを連れ、身廊の入り口まで戻り、再び独り、リヴァエル様のいる後陣へと戻ると、なにやら先に話していたアルさんが、難しい顔をして唸っていた。
「うーん……」
「どうしたの?」
 聞くと、アルさんは顔を上げ、リヴァエル様に向かい、
「今の話、もう一度、勇者ちゃんにしてくれねーかな?」
 投げるように、そう言った。
「よかろう」
 エル・トゥラの竜の神、古の知識と教養の神と同一視されるその竜神様は、静かに続けた。
「もしも竜の心臓の元へと向かうのであれば、私の依頼は簡単だ。私はそれを、破壊して欲しいのだよ」
「え?」
「想定される危険は、アーオイルが造った魔物がそれを守っているってことくらいだそうだ」
「いやいやいや」
 アルさんを止め、私は聞いた。
「それって、壊したら、リヴァエル様的にまずいものではないんですか?」
「ふむ……」
 唸り、
「どうだろうな。どのような理で私を縛っているのか……それが破壊されたとして、はたして私がどのような事になるのか……古の知識と教養の神にでも聞かねば、解るまいよ」
「いや……あの……」
 竜神様の冗談らしき解答が、高度すぎて……その、困る……
「話を戻そう。理由」
 短いアルさんの発言に、リヴァエル様は少しの間をおいてから、真面目に返した。
「そうだな……簡単に言えば、私の竜の力は、聖女であるエルに、今もなお、とめどなく流れ込んでいるのだよ。彼女が、君たちのいう神聖魔法が使える理由も、それによるものなのだが──」
 ふうん……と、聞いている私。それが竜の心臓を破壊してほしいという話に、うまいこと繋がらない。
「それゆえに」
 リヴァエル様は続けた。
「エルの身体は、今のままでは、長くは保たない。竜の力は、人間の彼女には大きすぎるのだ」
 ん? と、私が小首を傾げていると、
「リヴァエルが言うには、竜の力を操る聖女なんてのは幻想で、あれは呪いの様なものなんだとさ」
 ぼりぼりと首筋の辺りを掻きながら、アルさんは付け加えた。
「要するに、今のままチビエルが竜の力を受け続けると、近いうちにチビエルは死ぬ」
「え? いや、なんで?」
「あ? だから、竜の力が大きすぎるからだって」
「え? 止めればよくない?」
「そんなん、できりゃ、とうにやってんだろ」
 ああ……まあ、それもそうか……
 首をひねりつつ納得している私に、リヴァエル様はゆっくりと続けていた。
「その力の流出は、私の意志ではどうにもならなくてね。竜の、呪いのようなものなのだろうな……もう記憶もおぼろげだが、この塔が生きていた頃は、その力を沢山の聖女たちに使わせていたような気がするよ」
「多分──」
 小声で、アルさんは私に耳打ちする。
「この塔が生きていた頃は、塔を守るために竜の力を使っていたんだろう。リヴァエルはあんまり覚えてはいないようだが、竜の力を操る聖女様というのは、当時、この塔の護衛をしていた者達の事を指していたのかもしれん」
「リヴァエル様の竜の力を、無理やり使ってたとか、そんな感じ?」
「おそらくは、な。まあ、その聖女様たちが人族だったのか鉱石魔神の類だったのか。果たしてその後どうなったのかとかは……俺にはわからんけども」
 とか言いつつ、その言い方はよくない方向で考えているときのアレじゃないか、アルベルト。言わんとすることは解るけども……
「リヴァエル様」
 私は聞いていた。
「チビエルちゃんの前に聖女様だった方も、同じように?」
「チビエル?」
「あ……」
 いかん、通じない。
「あ、あの、こちらのエル様のことです」
「うちにもエルがいるから、混同しないように、俺たちの間ではそう呼んでるんだ」
「ほう……ああ、なるほどな」
 と、唸ったかと思うと、
「チビエル……そうか。チビエルか。ふふ、それはよいな」
 リヴァエル様も、その呼び名がお気に召したらしい。似たもの同士なのかも知れない。
「チビエルの前か……」
 リヴァエル様は思い出すように間を置き、続けた。
「あの子の前は、あの子の母親の声に応えてその力を与えたな。彼女はその命を賭して、私の本体を呼び起こし、チビエルを助けたのだが──」
 その話は、アルフさんに聞いた話だ。そしてチビエルちゃんのお母さんは、その時、自らの命を落としてしまったという。
「それより前は、この聖堂城が出来る前か後だったか……何度かひどい嵐の時に頼まれ、力を使わせた記憶があるが……あの者達はどうなったのだったかな……すまぬ、記憶がおぼろげだ」
「まあ、それはいいよ」
 一つ息をついて、アルさんは言った。
「昔の話はともかく、リヴァエルは自分をここに縛り付け、その力を使わせる石であるところの、竜の心臓を破壊して貰いたい」
「そうだ」
「そして、チビエルを助けてやって欲しい」
「その通りだ」
「ふーむ……」
 再び、アルさんは唸ってしまった。
 いや、しかし……なんかこう、もやもやするな。チビエルちゃんを助けて欲しいというのは、喜んで協力したいところだが……それが、何かとてもとても大事そうな、竜の心臓なる石を壊すというのが、なんともまた……
「私は、竜の心臓など、ここには不要だと思っているよ」
 私の心を読んだ訳ではないだろうが、リヴァエル様は優しげに、そう言った。
「竜の力は、人には大きすぎるのだ。ここの者達は、今では古の知識の多くを取り戻し、私がいなくても、十分に生きていけるようになっている。チビエルの命を犠牲に、私の力を使い続ける必要など、最早ないのだよ。ならばここを離れるのは、神でもない私であるのが道理」
「うーん……」
「頼めるか、冒険者」
「ううーん……」
 再び唸り、アルさんは、
「勇者ちゃん、どう思う?」
 ええー? いやぁ……振られてもなァ……
「いや、頭がついていってない」
 突然すぎて、なにがなんだかというのが正直なところだ。竜の心臓なる石が賢者の石であるかどうかというのも、今の話から、どうなのかもわからないし……そもそも、賢者の石に他者から力を他者に譲り渡すというような力があるのかも知らないし……ううーん。
 アルさんもまた、「うううーん……」としながら、
「俺的には、いくつか懸念があるんだよな」
 目を伏せ、考えるようにして続けていた。
「まず、実はリヴァエルは悪い竜で、ここに封印されているというパターン。竜の心臓は、リヴァエルの力を封印して縛っていて、そいつを壊したら豹変して、再び悪事を働くとかいう、そういうパターン」
 おい。
「なるほど。そういう考え方もあるか」
 何故、納得をする。竜神様。
「ふむ……長く人に接してきて、私も随分人を理解したつもりでいたが、まだまだだったか」
「いえ、最初にそんな失礼な事をいうこの人が、ちょっと特殊なんで」
「え? よくあるパターンじゃん」
「あっても、神さまに向かって言う?」
「二つ目」
 無視して、アルさんは続けた。
「それを壊したらどうなるか、リヴァエルはわからないと言ったが、本当か?」
「──何故、そのような事を?」
「いや、竜の力を失ったら、この町はどうなるのかなーってな」
 神を見据え、アルさんは言った。
「少なくとも、大きな嵐の時にその力を使って、この町を護ったりなんだりしていたんだろ? 竜の力を失ったからといって、即座になにかが起こるわけではないと、リヴァエルは言うかも知れんが……魔力の塔としては死んでるこの聖堂城が、錬金術の力で今も発展を続けているのには、その石が、何かしらの影響を与えていたりはしないのかなー? ってな」
 竜神は、答えなかった。
「俺たちは、冒険者だけどよ」
 だから、アルさんは言った。
「これでも一応、世界を救う勇者様ご一行なんだ」
 私の胸の中にあるもやもやよりも、きっともっとはっきりとした理由を、アルさんは抱えているのだろう。おそらくは、経験とか勘とか、いくつもの世界を救ってきた歴戦の冒険者としての、それで。
 答えを返さなかった竜神に、
「──ちょっと、考える時間がいるな」
 言って、アルさんは腰の剣の位置を正し、「取りあえず、返答は保留するよ」と、その場を離れた。
 その背中へ、
「明日は、雨だろうが──」
 竜神、リヴァエルは言っていた。
「満月の次の朝は、キノニアという、大規模な信者向けの典礼が執り行われる。見ていくといい」
 アルさんは振り向きもせず、片手をあげ、身廊を歩いていった。

 ざーと、雨の降る音が部屋の中まで響いている。そして時折、ごろごろと空気を揺らす雷鳴まで聞こえている。今日は昨日、リヴァエル様が言っていたように、ざんざんぶりの雨だった。
 窓のない室内では、外の明るさはわからない。しかし、このおなかの空き具合からして、そろそろ朝食の時間だろうと思われる。さて、今日も今日とて、研究室でオムレツサンドかな、などとぼんやり考えていると、
「ほほう、なかなかの見栄えですね」
 と、銀色に輝く細剣を手にしたレイさんが、「いやいや、これはなかなか」と唸っていた。
「こちらは、勇者ちゃん用の剣ですか?」
「うん、まあ、まだ完成じゃないらしいけど」
「軽すぎますしね」
「両手剣じゃないですし~」
 ほわんほわんと言いながら、エルさんは私の前にやってきて、
「はい、こちらの防具は、一見すると服のように見えますが、プレートアーマーを超える防御力のミスリル銀糸で編まれています。錬金術での強化はまだされていませんが、現時点でその装備より上なので、さっさと着替えてどうぞ」
「え? いつのまに?」
「この前、みんなで決めたじゃないですか~」
 え? 知らんけど? いや、いつ? ってか、私は不参加だったのでは?
「はいはい、あちらでお着替えしましょうね~」
 連れて行かれる私。いやまて。これ、フリフリではないが、なんか、随分ボリュームないか? なんかマントもついてるし、フルセットなのか? あれ? スカート短くない?
「エルさん、ブーツ忘れてます」
「おっとー。せっかくの視聴者投票第一位のデザインが~」
「え? あれ、マジでやったの? 投票ゼロとか、悲しくならなかったの?」
「いやまあ、身内だけでも結構いますし、それなりに有名ですからね、あなた」
「主に悪名で、ですが」
 と、にやりと笑って言うのは、オムレツサンドを制作中のネリさんだ。曰く、「ニケの倍はうまい」らしいが、私はエルさんに拉致られて、あーれー。
 本日は、アルエルネリレイシュの四人が研究室に顔を出していて、
「結構、この状態でもILたけーんだけど、まだ完成じゃないの?」
 などと、新たな剣を前に喋っていた。
「そうですね、完成までは、まだもうちょっとありますね」
「なんのイベントで完成すんの?」
「さすがアル。身も蓋もない言い方をしますねぇ。まあ、そうですが」
「で、ぶっちゃけ言ってしまうとですね。正しいクエスト順序としては、このタイミングでカニと戦うわけなんですが……」
「カニ?」
「カニ、もう居ないんですよね……どうするんでしょうね?」
 おう、私は隣の部屋で着替えていましょう。多少、コルセットがきつくても、今は、何も言いますまい。
「おい、アルフ! カニいねーぞ! どうすんだ!?」
「いや……僕たちが最後に確認したいのは、その剣の武器としての金属特性で……いくつか試薬を仕込んでいますので、それが反応するくらいの強度のものを叩ければ、対象は別になんでもいいんですが……」
「え? じゃあ、大岩とか?」
「いえ、多分、この武器、大岩斬れちゃうんで……」
「鉄? 鋼?」
「私の両手剣だと、どちらも余裕でたたっ斬れますね」
「よし、じゃあ、リヴァエル叩いてくるか」
「確かにカニより堅そうですね。倒せる相手ではないと思いますが」
 本気でやりそうだなと、エルさんにコルセットで絞られながら思った。ってか、いたたたっ!
「え、エルさん、ちょっときつすぎません?」
「え? これくらいのが、しゅっとしてて格好いいじゃないですか。それに」
 ふふり、エルさんは笑っていた。
「今日は、ミサのある日ですからね~」

「なんか、おちつかないな」
 新しい装備、エルさん曰く、「勇者ちゃんのふく」に身を包み、どうにもしっくりこないなぁと思っていると、
「そうか? みんなが選んだだけあって、割と似合ってるとおもうけど?」
 アルさんがなにやら変な事を言うので、剣の柄でわき腹を打ってやった。「おうふ」いや、そんなに痛くねーだろ。
 新しい武器に、新しい服。アルさんも、王家の聖剣にミスリル製の新しい剣の二本差しだ。今のところ、王家の剣もミスリル加工をしている事もあって、性能的には大して変わらないということらしいが、ミスリルの方は性能試験がうまくいけば、もっともっと強くなるのだという。
 ふーむ……つまりはこの服も武器も、今はまだ試作品なのだな。完成品では、もう少し全体的に余裕を頂きたいなと思います。美味しいものがちゃんとはいるくらいには。
 それはともかく、私たちは聖堂城の入り口のある一つ上のフロア、大聖堂の翼廊にいた。
 目の前の聖堂では、チビエルちゃんがなにやら難しい言葉で祈りを捧げていて、祭壇の上におかれた薄いクッキーくらいの大きさのパンの上へ、きらきらと光の粒のようなものをふり降ろしている。まさに、神の奇跡。
「あれ、聖体なん?」
 見ながら、アルさんは隣のレイさんに向かって聞いていた。
「ですね、ここの神様的には、太古の昔、竜が人にその知恵の全てを与えるために、その体の一部を分け与えたっていう聖書の記述にしたがったものらしいですが」
「ワインもあんの?」
「飲み物はねーです。割と水分もってかれる食べ物なので、飲み物も欲しくなるんですけどね」
「食べられるんだ?」
「後で配ってくれます」
 ほほう、食べられるのか。ってか、あれを食べたら、竜の知識が得られたりするのだろうか? まあ、実際はしないんだろうけど、あの神聖魔法的な光を見ると、なんか、取りあえずは何かしらの御利益がありそうには見える。
「古の知識と教養の神の聖書について知りたければ、十二階の図書館に行くと読めますよ」
 とは、ネリさん。
「まあ、授かった知識を人が失い、再び古の知識を取り戻しましょうとする、この宗派の根元的な話のサブクエとか、割と経験値いいんで、ラスト前のレベル上げにもってこいなんですが……アル、もう47でしたっけ? あんまり旨くないですかね」
「まあ、気にはなるから、後でやっておこう」
 チビエルちゃんは祈りを終えると、今度は聖書台のある手前側にまで出てきて、ここでやっと、私たちのわかる言葉でお話をし始めた。どうやら話しているのは聖書の一説のようだが、私にはよくわからない。
「まんま、ミサだな」
 呟くアルさん。それが何かはわからなかったが、まあ、同じような宗教的儀式の事だろう。
 ざあざあと降る雨の音と、時折届く雷鳴の音。そしてチビエルちゃんの声が、聖堂に響いている。
「すげえ、本当に司教してるな……」
 唸るアルさんの感想に、私もこくこくと頷いた。全く想像もつかなかったが、彼女は本当に竜の聖女、彼らの信じる神と人とを繋ぐ、聖なる巫女なのだ。
 式は続く。
 ざあざあという雨の音が少し強くなってきたなぁと思いながらそれを眺めていると、突然、聖堂を激しく揺らすような、強烈な雷鳴が轟いた。
 ばしゃーん! と、激しい音に震える空気。
 一瞬の出来事に、はっとした。
 雷鳴の轟いた次の瞬間、チビエルちゃんが何かに撃たれたように、目を大きく丸く開いたまま、ぐらりと後ろへ──
 果たして、どちらが先だっただろうか。
 私とアルさんは、おそらく考えるよりも早く、ばっと飛び出していて、倒れるチビエルちゃんに手を伸ばしていた。結果的には、間合いを一気に積める剣技、レイ・スティンガーを使える私の方が先に距離を詰め、彼女の身体を受け止めていたのだが──一体、何が?
「どうした?」
 アルさん。
 チビエルちゃんを受け止めた私は、
「わかんない。雷で気絶した?」
 腕の中、ぐったりとしているチビエルちゃんを見た。
 少し、顔が青ざめているように見える。一体何があったのか、よくはわからなかったが──以前に謁見した司祭さんが走り寄ってきて、「すみません、聖女様。あとはこちらで」と、連れてきた助祭にチビエルちゃんを預け、自らは聖書台の前へと赴き、
「みなさま、驚かせました。司教様は、お体の具合がすぐれず──」
 などと、話し始めていた。
 ざわつく聖堂内では、チビエルちゃんを心配する声に混じって、あれは勇者の聖女様では? 勇者の聖女様が、エル様を? おお! ふたりの聖女様が!? などと言う声も聞こえていたが、まあ、それはそれで置いておく。
 ふと、頭の中に直接、声が響いてきた。
「竜の力は、強すぎるのだ」
 声の元は、どこでもないとはわかっていたが、私とアルさんは、聖域に安置されていた竜の石像を見上げていた。
「子どもの身体では、この儀式ですら、その身体にかかる負担が大きすぎるのだよ。特に今日は、雨のせいもあって、私の力が強まっているからね……」
 助祭に運ばれていくチビエルちゃん。
「これを毎月続けていれば、彼女はいつか、その身体を壊してしまうだろう」
 頭に響く声に向かって、アルさんは呟いていた。
「ミサを、止めるわけにはいかないのか?」
「ここは、古の知識と教養の神の信徒らにとっての、聖地だよ。そして私は、彼らの信じる神で、そして彼女は、それに繋がる聖女なのだ」
 リヴァエルは言った。
「彼らには失望を与えるだろうが、どちらかがいなくなるしか、道はないのだよ」
 それは、神様の言葉としては、威厳も何もなく、ただ、悲しそうに響いただけのような気がした。
「私は、神に連なる竜ではないよ。ならば消えるのは、私と言うのが道理。勇者よ──私は、彼女を自由にしたいのだ」

 昼を過ぎても、雨のやむ気配はなかった。
 聖堂城の十三階。そこにあるチビエルちゃんの部屋に、私たちは招かれていた。
「ごめんね、勇者さま」
 と、ベッドの上でチビエルちゃんは言った。
 その顔は、まだ青白い。「ふふっ」と笑うが、それはとてもとても、弱々しい。
「チビエル」
 私の隣に立っていたアルさんが言った。
「お前、自分の身体が竜の力に耐えられずにこういう風になったっていう自覚、あるのか?」
 ひどい質問だなあと思った。チビエルちゃんはシーツを少し引っ張り上げて、答えなかった。
 ふうと、アルさんは大きく息をついて、
「なあ?」
 と、後ろへ振り向く。
「これ──」
「おおっと!」
 そこにいたエルネリレイシュのレイさんが、
「何を聞かれても、私たちは答えませんよー! ここは、あなたと勇者ちゃんの選択を、我々は見守るべき所です!」
「そうですよ~」
「質問程度なら、受け付けますがね」
 と、目を伏せ、ネリさん。
「ちなみに、彼女が自分の状態をわかっているのかどうかについての質問であれば、アルの感じている通りです」
「うーむ……」
 唸り、アルさんは再びチビエルちゃんに向き直って、言った。
「なあ、あれ、止めちゃえば? それだけでも、大分違うんじゃねーの?」
「おお、さすが」
「大上段からぶった切りましたね~」
「……それは」
 と、チビエルちゃんは言葉を濁していた。
「私、聖女様だし、この町をリヴァエルと守るのが、私の使命だし──」
「使命とか、軽々しく言っちゃだめだぞ」
 チビエルちゃんの言葉を遮り、アルさんは続けていた。それはなにか、ちょっと、真剣っぽくも感じられた。
「本当にお前が、心の底から、本当にそう思って言っているならいいけど、でも、誰かの言葉をそのまま吐いているだけだとしたら、そんなのはダメだぞ。お前が聖女で、信者たちがそれを望むからなんて、そんなもんは理由にならん」
「ひどいな」
 私は苦笑した。
 けれど、私もまた、ベッドのチビエルちゃんの頭に手を触れ、言っていた。
「リヴァエルも、心配しているよ」
「でも……」
 ベッドの上のチビエルちゃんは眉を寄せ、言っていた。
「私は、この町を守りたいのだもの。リヴァエルの竜の力を使わなければ、この町は嵐の日には沈んでしまうし、みんな、死んでしまうわ。それに、みんなのためにはお金も必要だし、みんな、リヴァエルを本当の神様のように慕ってくれているし、私、聖女として、みんなに──」
「ぶっちゃけ、みんなとか、俺的にはどうでもいい」
 チビエルちゃんは多分、何を言ってもアルさんを納得させられないだろう。彼女は多分、自分でもどうすればいいのか、どうしたいのか、わかっていないのに違いない。そしてそんなのは、たぶん、アルさんには通用しない。
 少し身を縮めて、「だって……」と呟き、「私がやらなきゃ……リヴァエルだって……」と、シーツを引っ張り上げ、チビエルちゃんはその顔を隠してしまった。
「チビエル」
 アルさんは言った。
「リヴァエルは、自分をこの町に縛り付ける力を無くしてくれと、俺たちに言ってきた。そうすれば、お前の命が助かるからってな。ま、それによって自分が──いや、この町がどうなるか、それをわかっていて、だ」
 もぞっと、シーツの中のチビエルちゃんが動いていた。
「わかっていて、それでもお前を助けたいというのが、竜のくせに人間くさいリヴァエルのエゴなのか、それとも贖罪なのかとか、そういうのには正直、興味がない」
 そしてこの男は、滅多に見せることのない真面目な顔で、不思議な事を言ったのだった。
「でも俺は、絶対、誰かのために自分を犠牲にするなんて言うような奴らは、認めない」
 私の知らない、アルベルト・ミラルスだと思った。
「お前も、リヴァエルもだ」
 そうして、アルさんはドアに向かって、振り向いた。
「いえ、クエスト、アドバンスしてませんよ?」
 レイさん。
「そうですよ~、このあと、司祭さんや助祭さんからいろいろ聞いて、情報を集める流れですよ~。それから、いろいろあってですね~」
 エルさん。
「まあ、今更ですが」
 ネリさんも苦笑していた。
「おう」
 アルさんはにやり、笑っていた。
「今更、クエスト順序とか、そんなもん気にしてたって、しょうがねぇだろ。『困っているなら、助けるまでさ』」
「なんでしたっけね?」
 レイさんは笑う。
「あー、幼女を助けて、剣を完成させたアレですか~」
 笑うエルさんの言うそれが何か、私には分からなかったけれど、
「あー、ということは、私はまたもや言葉の魔術師スキルを発動して、アルを焚き付ける役目ですか?」
 同じく笑うネリさんの言うように、それは私の知らない、どこか別の世界での、彼らの冒険譚なのだろう。
「乗ってやろう」
「では、チビエルを連れて逃げましょう。それが一番おもしろそうです」
「よーし!」
 少々本気そうだな……
「だがその前に」
 そしてアルさんは、とてもとても悪者っぽく、笑ったのだった。
「根性のねぇ神様を、一発ぶん殴って、剣を完成させてくるかな」
 これは本気だな。

 身廊を進む私たちの足元には、ほんの少し外のテラスを通っただけなのに、ぽたぽたと大粒の雨だれが落ちていた。
 最上階、西のテラスの奥の大聖堂。
 しんとした静謐な空気の中、私たちの足音が響く。
「リヴァエル」
 後陣の石像に向かって歩きながら、アルさんは言葉を投げかけた。
「竜の心臓とやら、壊す壊さないはともかく、物を改めさせてもらいにきた」
「それを壊さない限り、何かが変わることはないぞ?」
「それは知らん。最悪、チビエルを助けるだけなら、ここからチビエルを連れ出して、かわりに勇者ちゃんを置いていくという手もある」
「おい、何言ってんだ?」
「お前、聖女やれ」
「なんでだよ」
「まぁ、それも一案。別案としては、確かに壊すのもありだが……それをやるなら、チビエルをかっさらった上で、邪神の信徒、石のミラルスが偽りの神を滅すると宣言して、勇者の聖女様と、少々茶番を演じて楽しむ」
「それ、私、どういう立ち回りすんの?」
「俺に負ける役。チビエルは攫われ、竜はいなくなり、町は滅ぶ」
「いいですね、それ。やりましょう」
 レイさん。
「では、教祖はエルで」
「え~、なんですか、その、面白そうなやつ~」
 ネリさんエルさん。おのれ、悪魔め……
「私、全力で抵抗した方がいいかな?」
「おう。そして俺の刃に倒れろ」
「その場合、この先のストーリーはどうなるんでしょうね?」
「しらん」
 まあ、それは置いといて、だ。
「リヴァエル」
 私は言った。
「竜の心臓が錬金術で作られた物であるのなら、私たちには、錬金術にとても詳しい人へのつてがあります。もしかしたら、別の解決方法もあるかもしれません」
「え? トマス連れてくるとか、そう言うこと? 俺、別にそこまで考えてなかったぞ?」
 お前、本当に何も考えてなかっただろう。
 私の提案に、リヴァエルはしばらくの無言を返した後、
「それほどの時間はない」
 言った。
 それと同時に、びりっと、身体中を電撃が走り抜けたような感覚を覚えた。それが何か、考えるよりも早く体が動く。剣に手をかけ振り向くと、両手剣を抜刀したレイさんが、すでにそれを振り抜いたところだった。
 びしゃん! と、激しい雷鳴のような音が響き渡り、閃光が散った。光の向こう、身廊の向こう、何者かが、そこにいた。
「ほう……」
 雷撃をその剣で弾き飛ばしたレイさんが、不敵に笑っていた。
「まさかのまさか、こんなムチャクチャな流れでも、ちゃんと出てきやがるんですねぇ」
 私たちは身構える。
 身廊をゆっくりと歩いてくる、背の低い、ずんぐりとした男の影に。
 青黒い、彫りの深い顔。
 やけに大きく、焦点が合っていないかのようにせわしなく動く、まあるい目。
 口を、コブのような袋がぶら下がった大きなマスクで覆ったその男──その男は、
「フローラの子どもらか」
 私たちを、その名で呼んだ。
「……アーオイル」
 アルさんが呟く。
 アーオイル。
 私たちと同じく、賢者の石を探す者。魔物と呼ばれる蛮族以外の、私たち、人族によく似た者。下の世界の人族──アーオイル。
「竜の心臓狙いか?」
 そうだろうという、当たり前の事をアルさんが呟くと、リヴァエルがそれに続いた。
「この者らは、危険だ」
「直接やりあったことはねーんだけど、いつも面倒くせーことばっかりするんだよな」
「私の結界に手を出し続け、破ってくるだけの力を持つ。手を出さないほうがよい」
 距離をとって立ち止まったアーオイルの男に、リヴァエルは低い声で告げた。
「立ち去れ、アーオイル。お前に竜の心臓は渡さない」
「竜であるからして──」
 男はもごもごと返した。
「敬意を払うつもりでいたが、結界で私を締め出すような真似をするならば、こちらもその気で対応するまで」
「まあまて」
 剣を手に、アルさんは続けた。
「敬意のかけらくらい残っているなら、質問くらいはさせろ」
「またお前か、フローラのエクスプローラー」
「うるせぇ。お前、最近はサブクエでしか出番なかったくせに」
「いえ、もともとアーオイル絡みのシナリオは、リリース当初はほとんどなかったので、この辺りまでは後から加えられたものがほとんどなんですよ。だから、サブクエ扱いが多いのです」
「あ、そうなの?」
「緊迫感が台無しですよ~」
「おう」
 と、アルさんは剣の切っ先を下げたまま、問いかけた。
「狙いは竜の心臓だとはわかっている。こいつは、お前等の探す、賢者の石なのか?」
「答える必要はない」
「ちなみに、持ち主はそいつを壊してくれと俺たちに依頼している。それは自分をここに縛る物だからだそうだが、お前、そんな状態でそれを手に入れても、意味がなかったりするんじゃないのか?」
「竜であるからして、敬意を払い──」
 そいつは言った。
「自ら命を絶てと、伝えたのだがな」
「ほう」
 口の中で唸るようにして返し、アルさんは剣の握りを確かめていた。
「立ち去れ」
 リヴァエルが言う。御神体の石像から光の矢の魔法が放たれ、アーオイルを撃った。しかし、アーオイルは手にしていた石をその手の中で砕き、魔法の障壁を生み出して軽々とそれを弾き飛ばしていた。
「本体で挑んだ方が、よいのではないかな?」
「勇者たち、先に行け。アプスの奥から、塔の中心へ入ることが出来る。竜の心臓は、その最下層にある」
「行って、どうしろってんだ?」
「竜の心臓を破壊するのだ。あの男に渡すのは危険だ。破壊してしまえば、あの男の目的はなくなる。そして、エルも助かる」
「それを依頼するなら、先の質問に答えてもらってからじゃねーとな」
「何を──」
「石を壊したら、この町はどうなる?」
「何を──石が奴に奪われれば、同じ事」
 ひとつ、アルさんは息をついた。
「チビエルは、この町を守りたいと言っていた。そして、お前とも離れたくはないようだった」
 リヴァエルは応えない。
「母の祈りに応え、その命と引き換えに助けた子どもを思えばこそかもしれんが、俺はそういう考え方は、好きじゃないね」
 そしてアルさんは手にした剣を目の高さにまで上げ、その切っ先を、アーオイルへと向けたのだった。
「どっちかというと、俺は、こっちの方だ」
「え? 戦えるんだ、このイベント」
 言い、レイさんも両手剣を構えた。
「いやー、これはなかなか、燃えますね」
「あれ、つえーのか?」
「竜に戦いを挑む事を厭わない程度には、強いですよ」
「なるほど。じゃあ──本気でやるしかねーな!」
 言って、アルさんは踏み出した。

 一気に距離を詰め、アルさんは突きの一撃を繰り出す。
 石から生まれた光の盾が、それをぎゃん! と弾いた。
 アルさんに続き、横から回り込んだ私は、
「セプト・エトワール!」
 七度の突きを素早く繰り出すが、アーオイルはそれらすべてを、華麗に避けきった。
「!?」
 ひとつもなかった手応えに、踏み出した足でたたらを踏んでしまう──眼前、アーオイルが左手を突き出していた。
 その指先に挟まれていた錬成石が、弾け、炎を迸らせる。
 咄嗟、顔を背けてかわそうとするが、間に合わない。後ろに飛び退く私の左腕を、炎が包み込んだ。
「ぐっ!?」
 と、歯を食いしばり、床を転がり距離をとる。炎の一撃は、以前なら致命傷だっただろうが、ミスリル銀糸の服の袖は、炎に巻かれても煤のひとかけらすらつきはしなかった。
「キュア・ライト・ウーンズ!」
 エルさんの魔法が飛ぶ。軽いやけどを負った手首から先も、その魔法で一瞬にして癒やされた。
「この──!」
 体勢を立て直す私に向かって、
「まとめて吹き飛べ」
 と、アーオイルが錬成石を爆発させた。どおん! という重たい爆発音に吹き飛ばされたアルさんの背中が、爆風とつぶてを纏って、猛烈な勢いで迫ってくる。
 おおい!?
「んご!?」
 体ごとそれを受け止め、二人、ごろごろと転がった。アルさんはとっさにスクードを放ったらしく、大した怪我はなかったが、
「くそっ!」
 再びアーオイルに向き直った時、そこにそいつは居なかった。
 聖堂に視線を走らせる。
「エルさん!」
 その背後へ、アーオイルが瞬間移動したように移動していた。
「まずはひとり」
 と、右手の錬成石を突きつける。
「アイス・ウォール!」
 ネリさんの魔法に、エルさんとアーオイルの間に、氷の壁が突き立った。錬成石が弾け、爆発に氷が砕け散る。生まれ出た爆風に、エルさんが吹き飛ばされ、大聖堂の壁際にまで転がっていった。
「おのれ、ちょこまかと!」
 両手剣を手に、レイさんが斬りかかる。アーオイルは再び左手に光の盾を具現化させると、その重たい一撃を、片手で受け止めた。
「やらせはせんよ!」
 剣を振るい、レイさんはそれを横薙ぎに払う。
 アーオイルは右手に長い直刀を具現化させると、それを立てて両手剣を受けた。ぎんっ! と強烈な音が響いたが、アーオイルは顔色一つ変えてはいなかった。
「暗黒騎士とは、面倒だな」
「お褒めに与り、恐悦至極!」
 ぶわっと舞った暗黒の炎に、アーオイルは大きく飛び退く。
「フロスト・ハンマー!」
 空中のアーオイルに向け、ネリさんが魔法を放つ。放たれた光の筋は、空中で氷結し、氷の槌となってアーオイルを襲う。が、アーオイルは錬成石を一つ投げつけただけで、その槌を爆発で粉々に砕いていた。
「有効打がねぇ!」
 叫びつつ、アルさんはアーオイルの着地点に向かって飛び込む。それに続くレイさん。
「いち!」
「に!」
「さん!」
 アルさん、レイさん、私。
 アルさんの三連撃。それをいなしたアーオイルに、レイさんが両手剣を振り下ろす。受けたアーオイルの動きが止まったところで、すかさず左に回り込んだ私が、死角からの七連撃を繰り出す。
 捉えた! かに思えたその連撃は、アーオイルの信じられない程の素早い足さばきによって、最初の二発を肩口にかすめさせただけに終わった。
 アーオイルは、ふわりと背後へ飛び退いて、距離を取っていた。
「……マジか」
 隣で、アルさんが呟いていた。
「レベルが違いすぎる」
「まあ……」
 レイさんも構えたまま、呟く。
「TRが違いすぎて、このレベルで戦える相手じゃないですね。こっちは、セプト・エトワールでやっと追いつけるレベルのようですし」
「TRって、このステの、よくわからん数字? 気にしたこともなかったが、こんなにも違うのか?」
「そうですね……内部時間の一秒を、リアルの一秒よりどれだけ長くするかですから、単純にアーオイルには、私たちの動きがスローモーションで見えているようなもんです」
「マジか」
「速度増加しても、追いつけそうにないですね~」
 背後に立ったエルさんが、皆の背に向け詠唱を始めていた。ふっと身体が軽くなるが、それで追いつける気が……
「まあそもそも、ここで戦う敵じゃないですしね」
 杖を構え直し、ネリさんは、
「セプトは最速、2.58秒で七連撃ですから、一撃0.3秒として、二発入ったので単純計算は0.6秒。これを実時間の一秒に合わせられれば、ワンチャンあります」
「なんの呪文?」
 なにがなにやら、わけがわからん。
「つか、それ、TRいくつ?」
 聞くアルさんに、ネリさんは首を傾げていた。
「さあ? ざっくりだと、480:y=0.6:1なんで、800あれば、確実じゃないですかね?」
「この、511とかいう値が、800!」
「まあ、600あれば勝負になると思いますよ」
 おう。なんだい。何がなんだか、よくわからん。
「よくわからんのだけど──」
 私は、言った。
「あいつ、別次元に強いってことね?」
「簡単に言っちゃえば、そういうことらしい」
 仕方がないので、私は苦笑して、言った。
「割とまずいんじゃないの?」
「そうとも言うな」
「あ、今負けると、ミサからやり直せますよ? 別ルートにすれば、飛ばしたイベントも見られますが?」
「やだね」
 言って、アルさんも笑いながら剣を握りなおしていた。

「まさか、二発ももらうとは思わなかったな」
 アーオイルは低く笑っていた。
「その成長速度。エクスプローラーとしては、危険だ」
「しっぽを巻いて、逃げてくれてもいいんだぜ?」
「まさか」
 そしてアーオイルは盾を消し、直刀を両手で構え直すと、
「ここでつぶす。我らアーオイルの悲願の障害となりうる者は、早々に排除する」
「いや、そんな──」
 何かを続けようとしたアルさんの軽口が、最後を結ぶことはなかった。
「!?」
 ぎん! と、眼前でミスリルの真新しい剣が火花を散らす。
 目にも留まらぬ速さで私たちに詰め寄ったアーオイルの剣を、アルさんはなんとかその剣で受け止めていた。
「こい──!」
 その言葉もまた、最後を結ぶことはなく──アーオイルが放った回し蹴りに、アルさんの身体が宙を浮いた。
「アルさ──!?」
 目で追ってしまいそうになって、視界の端に見えた切っ先に、咄嗟、剣をたてる。
 剣戟の音が消えるよりも早く──蹴り飛ばして壁際にまで吹き飛ばしたアルさんに一瞥もくれず──アーオイルが剣を突き出す。歯を食いしばり、なんとかそれを弾いたが、流れるようにその力を受けて回転したアーオイルの踵からの蹴りが、私の身体を弾き飛ばした。
 押し飛ばされ、激突した壁の衝撃に、うっと息を詰まらせ──はじけた視界の向こうをなんとか見据えると、その場所にすでにエルさん、ネリさんの姿はなく、離れたところで倒れている二人を護るように、レイさんが両手剣でアーオイルの直刀を受け止めていた。
「これは……まずい」
 レイさんが呟く。
「バッシュでスタンとか、まさかのまさかですよ」
「よく耐える」
 言い、アーオイルはレイさんを真正面から押すようにして蹴った。ただの正面からの蹴りのように見えたそれは、あろうことか、あのレイさんを体ごと弾き飛ばし、石の床を砕きながら、翼廊の奥へと押しやったのだった。
「ぐふぉー……スタン、きっつー」
 構え直すレイさんに、アーオイルが躍りかかる。その間へ、壁際から一気に飛ぶように距離を詰めたアルさんが割って入った。
「ちょっと、マジになっちゃうからな!」
「名もなき剣士ごときが」
 剣と剣がぶつかり合う剣戟の音が、大聖堂に響き渡る。アルさんがアーオイルと対峙しているその隙に、エルさんネリさんに駆け寄ったレイさんが、治癒の錬成石を片手で砕いていた。
「勇者」
 頭の中に、声が響いた。
「アプスから、最奥へゆけ。竜の心臓を破壊するのだ」
 リヴァエルの声は、皆にも届いたのだろう。
「行け!」
 鍔迫り合いの中、アルさんが叫ぶ。
「取りあえず、先に手に入れちまえ!」
「勇者ちゃん、これを!」
 ネリさんが投げた錬成石を、私は左手で受け止める。
「フォーリング・コントロールです!」
「行け、勇者」
 リヴァエルの声が頭に響いた。
「もはや、猶予はない」
「ボス、いますよ!?」
 レイさん。
「ブレス、プロテクション、念のためにネリさん、ウォーター・ブリージングを!」
「かけときましょう!」
 エルさん、ネリさん。
「行け!」
 アーオイルと斬り結ぶアルさんの声に、私は小さく頷き、駆け出した。

 後陣の奥、石像の後ろ側には、紋章が刻まれた壁面があった。
 私はそこに、迷うことなく重たい突きの一撃を撃ち放つ。
 ばかん! と、そこにぽっかり穴があいて、覗き込むとそこは魔力の塔の中心、本来ならばオベリスクの立つ中心の真下、セントラル・キャビティに相違なかった。
 空洞の中心区画は、真っ直ぐにこの塔の最奥まで延びているはずだ。剣を収め、灯火石に散火石で火を入れる。フォーリング・コントロールの錬成石は床にぶつけてたたき割った。魔法の力が身体を包むのを確認し、左手に灯火石を持ち直して再び剣を抜き、私はそこへ飛び込んだ。
 地上十四階。果たして地下はどれほどまで延びているのか。考えてもしょうがない。ぎりぎりの速度に調整して、私は塔を落下する。
 びょうびょうと耳元を抜けていく風の向こう、灯火石の光の届かない暗闇の向こう、何かが、うねっているのが見えた。
 剣の握りを確かめる。
 それは、うねりながら上昇してきていた。
 それは巨大な、空飛ぶ百足のような生き物だった。長い胴に、扁平な頭。大きく裂けた口には長い牙が生えていて、はたしてなんという生き物なのか、名前はまったく解らなかった。いや、そもそも生き物ではなく、錬金術で作られた鉱石魔神の類かも知れないのだが、そんなことはどうでもいい。向こうもそれは同じらしく、私に向かって扁平な口を大きく広げ、迫ってくる。
「ヴァルキーリア──」
 剣を引き、
「スクード!」
 落下の勢いのまま振り上げ、鼻っ面──あるのかは知らない──に剣を叩きつけた。金属を打ったような強烈な衝撃に火花が飛び散り、光の盾が弾けた。
「!?」
 反動に、体が巻き上げられる。重力を振り切る衝撃に押し返された私は、なんとか身体をひねり、内壁に両足をつけて耐えきった。
「んにゃろ……」
 視線で追うと、そいつは旋回しながら私より上へと上昇していて、二撃目のための距離を取っていた。すぐにくるなと、内壁の内側に設けられた螺旋階段に飛び降り、剣を構え直す。
 ぐるぐると頭上を旋回するそれ。
 狭いセントラル・キャビティ内で、長々とまともに相手はしたくないなと、ちらり、下を覗くと、押し返されたせいもあってか、底まではまだまだ大分ありそうな雰囲気だった。
「乙女なら、やってやれってね」
 ひとり呟き、笑う。
 そして手にしていた灯火石をぽいと、私は闇に向かって投げ捨てた。
 やれやれ……あのカニの時もそうだったけど、独りでこうして敵と対峙していると、私も染まってきてしまったんだなぁと、つくづく思う。
 まあ──そんな私をよそに、それは旋回から急降下へと、変転していた。
 さて──と、ぐんぐん迫るそれから逃げるように、私は闇の向こうへ、階段を蹴って飛び降りた。
 頭上で、ががががっと、壁面にそれが突っ込んで何かを削る音がした。空中で振り向くと、もうもうと舞う煙のようなものの中から、ほぼ無傷のそれが現れ、落ちる私に向かって再び急降下を始めていた。
「こい!」
 通じやしないだろうが、言って、私は闇の底に向き直る。そして自らの意志で、その落下速度をぐんぐんと上げ、加速していった。
 闇が、風と共に耳元を駆け抜けていく。
 それは私に追いつかんと、猛烈な勢いで速度を上げ、迫ってくる。
 闇の向こう、小さな光が見えた。
 光は動かない。
 底だ。
 瞬間、自らの意志で落下速度を限りなくゼロへと切り替えた。衝撃で身体がぎしりと軋んだが、乙女の気合いでなんとか振り向く。眼前にまで迫っていた大口を、こんにゃろと身体をひねってかわし、その回転の勢いのまま、私は奴に対峙した。
 勢いに呑まれ、それは身をよじったが、落下を止めることはなかったようだ。大きく開けられた口が、私に向かって何かを言っていそうに思えたが──無視する。
 落ちるそれへと向かい、私は自らの意志で再び、最高速度で落下した。
 右手で握りしめた剣のポメルに左手をあてがい、私は剣と一体となり、闇を切り裂き、落ちていく。狙うは一点。眉間──あるのかは知らないが──そこに向かい、
「ミーティア──」
 剣閃を、突き出した。
「ストライク!」
 巨大なそれ諸共、落ちる星のような閃光を纏って、私は底面に剣先から突っ込んだ。
 塔全体を揺らすような激しい音とともに、それは巻き上げられた海水の飛沫と一緒になって、光の粒子となり、散った。

 巻き上げられた海水が、風にまかれて雨のように降っていた。
 魔力の塔の中心。その底面。
 きらきらと舞う光のかけらに、膝丈ほどの高さの水面が、ゆらゆらと照らされていた。
「……もともと、死んでいたとは思うけど」
 よっこいせと立ち上がり、水面の向こうを目を細めて見る。底面に描かれていた回路のような魔力の塔の文様は、私の突きの一撃でひび割れ、もはや元の形がどうであったのか分からない程に破壊されていた。ま、どうせ生きてはいなかっただろうから問題はなかろうが。さて──竜の心臓とやらは、どこにあるのかね。
 手にしていた剣を鞘に収めようとして、違和感に刀身をみた。おかしい。刀身がない……未完成のあの状態では、あの一撃には耐えられなかったようだ……
 取りあえず見なかったことにして、辺りを見回す。わずかに光を発する文様の先、奥へと続く通路が見えた。
 私は灯火石を水の中から拾い上げ、頭の上に掲げるようにして持つと、その向こうへ向かって、ゆっくりと歩き出した。
 低い、唸りのような音が聞こえている。
 外の嵐にうねる、海の音だろうか。
 それとも何か、竜か魔物か鉱石魔神か、そういった類のものが、この先に待ち受けているのだろうか。
 はたしてそれは──そこにあった。
 暗い暗い、遺構の最奥。
 そこに、それはあった。
 腰ほどの高さの、燭台のような金属器の上にその石は浮いていて、弱く赤く、光を放っていた。
「……これが?」
 私はつぶやく。
「賢者の、石……?」
 私はそれに、手を伸ばす。
 竜の心臓。もしかすると、賢者の石。リヴァエルをこの地に縛るもの。アーオイルが求めるもの。
 私はそれに、手を触れた。
 瞬間──それは強烈な光をうねらせ、輝き出した。
 まるでその光は蛇のように──いや、まさに竜のようにというべきか──うねり、激しく暴れまわり、ごうごうと音を立て、溢れる力に魔力の塔を揺さぶり始めた。
 ぐらぐらと揺れ出した地面に、ぐっと足を踏ん張り、つかんだ石を両手で握り直す。ぐぐぐぐと、手の中で悶えるように震えるそれから溢れた光が、壁面を打ち、ばちんばちんと辺り所かまわず、砕いていく。
「!?」
 砕かれた壁の向こうから、どばっと壁面を割って、海水が流れ込んできた。暴れまわる光と押し寄せる波に、負けるもんかと、私は両手で掴んだ石をぎゅっと強く握り込んだ。
 光は、押し寄せる波に飲まれ、石は、私諸共渦の遥か向こう、ほの暗い遺構の奥へと、押し流された。

 どれくらい流されただろうか。
 まあ、それでも両手で石を掴んで冷静でいられたのは、この手のものに流されるのも初めてじゃないというのと、そもそも、水の中でも呼吸が出来るウォーター・ブリージングの魔法をかけてもらっていたので、壁に激突したり、押しつぶされたりでもしない限りはまぁ、問題なかろうと──あ、壁には四、五回ぶつかりましたが、ミスリル銀糸の服のおかげか、痣になるほど痛くはなかったです。
 とにもかくにも、流され、海に出たようだと分かると、私は海面に顔を出すべく、片手に石を握りしめたまま、急いで浮上した。
「ぶっは!?」
 別に苦しかった訳ではなかったが、海面に顔を出し、取りあえず呼吸を整える。
 そして、辺りを見回す──
 海面を、激しい雨が打ち続けていた。
 真っ黒な空から、ばたばたと降りつける激しい雨に、水面に無数の円環が生まれては波にのまれを繰り返している。うねる海にもまれながら、私は、その向こうの聖堂城を見た。
 北東側、聖堂城の裏側のようだ。
 厚く、真っ黒な低い雲が、聖堂城の後ろで稲光に光っている。
 そしてその聖堂城を──渦を巻いて取り囲むように、一匹の竜がいた。
 激しい雨に、唸る海。
 轟く雷鳴に、吹き付ける嵐。
 そして響く──恐ろしい紅の色に目を輝かせた、竜の咆哮。
 私の手の中で、その石は脈打つように光り、激しく震えていた。
 降り続ける雨の中、竜神リヴァエルが雷鳴と共に、暴風のように暴れていた。
「……どういうことだよ」
 右手に握った石を確かめ、私は聖堂城へと向かって泳ぎ出す。
 一体何が起こっているのか、さっぱり訳がわからない。リヴァエルは正気を失っているのだろうか。手の中で光り、震えているこの石とリヴァエルの現状は、何か関係があるのだろうか。この石を破壊してしまえば、あれは止まるのだろうか。
 眼前で、聖堂城の一部が竜の身体に弾かれ、爆発するように吹き飛んで崩れていった。どぉんという音は、嵐に飲まれてここには届かなかったが、落ちた瓦礫に高い白波が立ち昇るのが見えた。
 リヴァエルは再び空に舞い上がり、ぐるぐると雷鳴の轟く黒い雲の中を泳いでいる。
 アーオイルは、どうなったのだろう。
 アルさんたちは、どうなったのだろう。
 何もわからなかったが、私は聖堂城へと向かって、とにかく泳ぎ続けた。
 武器はない。
 この石は、破壊すべか?
 リヴァエルに、いったい何が?
 アルさんは、どうなった?
 頭の中を、ぐるぐるぐるぐると、同じ疑問が廻っていく。ぐるぐるぐるぐる。何を無駄なことを。ここからでは、何もわかる訳がないじゃないか。
 言い聞かせて、私は、聖堂城へと向かって泳ぎ続けた。
 ひとつだけ、間違いのない事がある。
 私が生きている限り、あの人は生きている。それは世界の摂理とか、神のアレとか、そう言うモンだと言う──大魔導士の言葉だ。
 そして、私たちならきっと、竜と少女とその町を、助ける事ができるのだ。
 私は、聖堂城へと向かう。
 あの人が、そのつもりである限り。

 真っ黒な雲の中、何かが紅く光った。
 竜の目が、私を捉え、紅く輝いていた。
「お、くるかのい?」
 軽口のひとつでもたたかなきゃ、怖くて海に沈んでしまうぜ。
「来なくてもいいのよ?」
 とは言え、暗い海の中、私の手から発せられる赤い光は、きっとよく目立つのだろう。そうでなくてもあの竜とこの石は、何かしらの繋がりがあると考えてしかるべきだ。もしかしなくても、私、結構やばい。
 竜は私を捉え、その石を取り返そうというのか、はたまた破壊しようというのか、私に向かって真っ直ぐに、急降下で迫ってきていた。
 石を左手に持ち替え、背中のバックパックに手を突っ込む。一撃に耐えられるような武器はないだろう。しかし、空手で受けることもできない。とりあえずマジックバックの中から適当な武器を取り出すと、それを構え、迫る竜の鼻っ面に向け、海を裂いて振り上げた。
「ヴァルキーリア・スクード!」
 激突に、強烈な閃光がはじけ飛ぶ。
 ばちん! と弾けた光と共に、武器が光の粒になって砕け散った。と共に、竜は衝撃にむずがるように頭を振るって、波しぶきと共に私の身体を宙に舞い上がらせたのだった。
「くそっ!?」
 コルクの栓みたいに軽々と宙に放り投げられた私は、なんとか身体をひねって、空中で体勢を立て直す。どこかが折れたとか、そういった感覚はなかった。大丈夫。問題ない。ごうごうと吹き荒れる風と雨が支配する空に舞い上げられた私は、眼下の海に竜が立ち上らせた水柱が消えていくのを目にしながら、魔法の力で重力を制御した。
 左手の石を握り直し、宙をゆっくりと落下しつつ、竜の消えた海へと対峙する。
 再び、海を割って、竜が姿を現した。
 竜は空高くへと真っ直ぐに登り、ぐるりと円を描いたかと思うと、再び私に向かって急転直下、突進を仕掛けてきた。
 逃げるように落下速度を上げ、竜を誘い、竜が激突する寸前に停止、ぐるりと身体を捻ってその突進を躱す。なんとか避けきったが、走り抜けた竜が生み出した猛烈な勢いの風に、私は再び、木の葉のように宙に舞い上がった。
 肩口から、竜を見る。
 竜は、突進の先にあった聖堂城の一角に頭から突っ込み、激しい音と土煙を巻き上がらせていた。ごごごごと、低い唸りのような音がして、瓦礫と化した聖堂城の一部が海に落ちていく。
 吹き付ける風と雨に目を細め、私は再び、落ちるその速度を緩めた。
 聖堂城は、あと少しにまで迫ってきている。とにもかくにも、まずはあそこに降りて、みんなと合流しなければ──
 竜が三度、舞い上がった。
 唸る嵐を身に纏い、下から私目掛けて突進してくる。やばい、真下から突っ込まれると、落ちる速度しか変えられない今の私には、とてつもなく不利だ。なんとか身体をよじって風の力でそれを躱すが、振り返ると、竜はすぐ上空でくるりと一回転し、それを狙っていたのだとばかりに、今度は真上からの急転直下で、私に迫ってきた。
 左手の中で震えながら輝く石を握りしめ、私はぎゅっと、歯を食いしばった。
 ここまでか──聖堂城、西のテラスが見える。あと一歩、届かなかったか──私は石を破壊しようと、その手に力を込めた。
「勇者ちゃん!」
 嵐の中、そんな声が届くわけがない。
「アン・アヴァン!」
 空間を飛び越え、私の眼前にアルさんが飛び込んでくる。そして手にした剣を振り抜き、竜の鼻っ面をぶったたいて、ばあん! と嵐の向こうにそれを弾き飛ばした。
「よう」
 雨の降りつける雲の向こうへ吹き飛ばされる竜を背に、頭から落下しながら、その男は笑っていた。
「生きてたな」
「あなた、そのまま落ちたら、死ぬね?」
「そうだな!」
 しかたねぇので、その手を取り、私もにやりと笑い返してやった。

 雨の降りしきる西のテラスに、死なない程度の、割と洒落にならない速度で二人、落下して、ごろごろごろと転がって立ち上がった。
「なんなの、あれ!」
「石、あったんだな!」
 交錯する会話を、
「あった。でもなんか、すげーびかびかしてる。そのせい?」
「いや、たぶん違う」
 そのまま続けると、
「ぐぬぅ!」
 と、西のテラスにエルさん、ネリさんを両肩に抱えたレイさんが、瞬間移動でもしてきたのかという勢いで現れた。
「バックステップを三連打するなど、初」
「奴は?」
「にんともかんとも」
「ニンニン」
「え~? まだ余裕なんですか~?」
 軽口の応酬が余裕なのかはともかく、肩から降りたエルさんは、強化の呪文を唱え直した。ネリさんも「念のため、皆にウォーター・ブリージングをかけておきます」と続き、各種強化魔法を背中に受けつつ、剣を構え直すレイさんは、
「さて、なんだかんだでてんやわんやですが、状況が解らないであろう勇者ちゃんの為に説明しますと」
 と、続けた。
 屋根の半分くらいが吹き飛んだ大聖堂を背に、構え直す私たち。嵐の中、早鐘の音が響き始めている。
 眼前には、嵐の海を背にした、アーオイル。
 レイさんはニヤリと笑いながら、言った。
「奴がなにやら、変な石を使いまして、その力でリヴァエルは絶賛暴走中です」
 雨の中、見上げる暗い空に、稲光とともに竜がうねっている。
 ざんざんと降りつける雨の向こう、
「所詮は」
 アーオイルが、もごもごとこもった声で言っていた。
「所詮は、たいした力も持たぬ小竜だな。石から流れる力を少し増幅させただけで、このていたらくとは」
「増幅って?」
 呟く私に、アルさんはちょいと肩をすくめて返す。
「なんか、石像のリヴァエルに変な石を押しつけて壊しやがってよー。よう解らんが、そのせいでリヴァエルは本体側に強制送還されて、絶賛暴走中のようだ」
「図書館のサブクエに、その辺の話、あるんですけどね」
 と、ネリさん。
「まあ、順番めちゃくちゃですから、知ったことではないですが」
「と言うかですね」
 レイさんは苦笑するように笑っている。
「そもそもこんな展開、聞いたこともないんで、このイベントがどこに落ち着くのか、私にも全くわからないんですが」
「まぁ、なるようになりますよ~」
 エルさんもまた、杖を構えて笑っていた。
「アルさんがやる気である以上、やるしかないですしね~」
「おうよ」
 この男、事ここに至っても、不敵に笑っている。
 しかたがない。ので、
「壊すの?」
 左手に持っていた赤く輝く石をちょいと見せながら、聞いてみた。
「それで解決するかね、これ」
「さあ?」
 頭上の竜は勢いよく下降を始め、聖堂城をかすめて町の方へと走り抜けていった。激しい雨音を打ち消して、何本目か、聖堂城の尖塔が崩れ落ちる。町の向こうからも、早鐘のような音や、人々の喧騒の声が聞こえ始めていた。
 時間はない。
 決断が、必要だ。
「壊せば、少なくともチビエルちゃんは助かる」
「その石の所為でリヴァエルが暴走しているのなら、リヴァエルの暴走も止まるかもしれねーな」
「ま、もしかしたらリヴァエルが隠していたように、リヴァエルは死んでしまって、嵐に、エル・トゥラも沈んでしまうかも知れないけどね」
「おう、そうだな」
 言って、アルさんは私に向かって笑ったのだった。
「しかし、全てを救おうなんて、おこがましいとは思わんかね?」
「全てを救おうとか、全く思ってないからね」
 決断が、必要だ。
 だから私は、言った。
「私は、小さな女の子が守りたいと思うものを守ってあげるくらいの、器の小さな勇者でいい」
 石を掲げて見せる私に、アルさんも笑っていた。
「言うようになったなぁ」

 嵐の中、猛り狂った竜が暴れまわるエル・トゥラを見下ろし、アーオイルは言った。
「竜が暴走し続ける以上、ここにいるものは誰も助からん」
 そして視線を送り、
「あの塔が崩れれば、多くの者たちが死ぬだろう。生き残ったとして、地に落ちたフローラの子らは皆、潮に呑まれて命を落とす」
「解っているなら、なおさらだ」
 アルさんは剣を握り直す。
「何であれ、リヴァエルを止めなきゃって事ね」
「おうよ」
 言葉を交わす私たちに向かって、アーオイルは言った。
「ストーンを渡せ、エクスプローラー。石を渡せば、私が代わりに竜を殺そう。お前たちなら鍵石でここを離れ、生き残る事もできるだろう」
「なるほど! その考えはなかったな!」
「堕ちたね、アルベルト……」
「なかったって!」
「ストーンは、君ら、フローラの子には手に余る」
 もごもごと、アーオイルの男は私達を指差し、言った。
「さあ、そのストーンを渡せ」
「そうはいうがね……」
 剣を構え直し、アルさんはいつもとは違う感じに笑って、いつもとは違った調子で、言った。
「これが賢者の石であろうがなかろうが、はいわかりましたと、ほいほいお前に渡すほど、俺たちは適当に生きてねぇよ」
 だから私も、強気に笑って、言ってやった。
「ほんとかよ」
 私の手の中には、赤く輝く石。これが賢者の石であろうとなかろうと──この石は渡さない。
 ぎゅっと石を握りしめ、私は続けた。
「この石は、渡さない」
 男は返す。笑うように。
「その石がフィロソフィーズ・ストーンであったとして、お前たちが手にして、何の意味がある? 所詮、フローラの子にはそれは扱いきれない。それは、我ら、アーオイルにこそふさわしい」
「これが、賢者の石であろうがなかろうが──」
 言って、アルさんも笑った。
「俺はお前が気に入らない。だから、渡さない」
「本気だね、それ」
「俺はいつでも本気だぞ?」
「フローラの子が、我らアーオイルに向かって、出過ぎた口を」
 アーオイルの男は、嘲笑っていた。
「愚者にも劣る貴様等に、賢者の石など過ぎたるもの!」
 そして男は、右手を、私達へと突きつけた。
「消えろ! 愚かなるフローラのエクスプローラーども!」
 その手に握られていた石から、雷光が迸る。
 この石は渡さない。この石は、あの子を苦しめている。けれど、この石を渡しては、あの子は救えない。
 あの子が大切に思う全て。
 私を、勇者と信じている彼女のために──私はそれを、ぎゅっと強く握りしめた。
 雷光と私の間に、アルさんが割って入る。そしてその手にした剣で、雷光を受け、弾く。
 あたりに、閃光が散った。
「エルネリレイシュ」
 アルさんはミスリルの輝きを帯びた剣を構え、不敵にニヤリと、口許を緩ませる。
「まさかのまさか、負けイベントなんて言わせねーぜ?」
「負けイベント?」
 返しつつ、私はアルさんの腰にぶら下がっていた王家の聖剣を引き抜く。
「勝たなきゃみんな死んじゃうなら、負けなんてないでしょうが」
「ちげぇねぇな!」
 そして私たちは、身構えた。
「行くぜ!」

 降りつける雨を裂いて、アルさんが先陣を切った。
 大きく踏み込み、薙ぎ払うように横からの一撃をアーオイルに向かって繰り出す。が、その一撃をアーオイルは左手の剣で易々と受け、
「ならば皆、ここで海の藻屑となれ!」
 受けた剣をそのままに、右手を突き出し、そこに握られていた錬成石をアルさんに突きつけた。
「吹き飛べ!」
「アイス・ウォール!」
 弾けた錬成石が、アルさんとアーオイルの間に屹立した氷の壁を、爆発させたように吹き飛ばす。
「からの──!」
 氷の壁を生み出したネリさんは、爆風の中で帽子のつばを押さえたまま、その指をパチンと鳴らした。砕けた氷壁の破片は、その音に反応し、パチパチと弾け、次の瞬間、連鎖して巨大な爆発となった。
「捨て身の覚悟か──!?」
 逃げるように後ろへ飛び、距離を取るアーオイルに、
「まさか」
 爆発の中、アルさんがいた場所からレイさんが飛び出して行く。
「こういうスイッチもあるんですよ!」
 そしてその巨大な両手剣に暗黒の炎を纏わせ、大上段から振り下ろす。
「くっ……」
 と唸ったアーオイルが、両手で握りしめた剣でそれを受けていた。
「捉えましたぜ……一秒でもスタンが入ればめっけものでしたが」
「おのれ……!」
 ぐらりと、アーオイルの膝が動いたのを見逃さなかった。
 レイさんの背中から、私は飛び出す。
 左手に握りしめた赤い石が、ばちばちと光を放ちながら、私の右手の剣を包んでいた。
 降りつける雨の滴が、ゆっくりと落ちていく様が見える。とにかく原理は一切不明だが、この石を握りしめている間は、錬成石で強化しまくったあの時と同じように、世界が止まって見えるような、そんな感覚になれる。これがこの石の力か──どうかは、今はどうでもいい。
 今は、確信があればよかった。そして、いける。
「ラ・ロンド──」
 踊る髪の向こう、切っ先の向こう、アーオイル。
「フルーレ!!」
 高速の十六連撃を繰り出す私の剣先が、アーオイルを捉えた。一、二と確かな手応え、三、四と切っ先を受けられる感覚。ぐっと踏み込み、一瞬のフェイントに、六、七とアーオイルの足を打つ。ぐらり、揺らいだ姿勢のまま、アーオイルは伸ばした左手の先の錬成石を私に突きつけてくる。「弾けろ!」と、その声にその石がはじけ飛んだ瞬間に、八、九、十と光のつぶてとなった石を撃つ。頬を、腕を、足を、いくつかの閃光がかすめていったが、私の踏み込んだ足を下げる程の力は、そこにはなかった。
 雨粒をすり抜けた剣閃が、私の視線の先に固定される。
 一直線。
 私の見据える先には、アーオイル。
 最後の六連撃を、私は真っ直ぐに突き出した。
 どおん! と、アーオイルが嵐の中を弾き飛ばされ、西のテラスの欄干にその身を強く打ち付け、止まった。
 ざあざあと降る雨の音が、世界を包んでいた。

「おのれ……」
 ゆらりとアーオイルは立ち上がった。
 するりと、その口を覆っていた不格好なマスクが剥がれ、落ち、両のこぶのような袋の中から、不気味に青く光る石が転がり出ていた。
「石の力を使うとは……」
 呻くように漏らし、アーオイルは左手で口許を覆った。そしてごほごほと咳き込みながら、
「だが、その石は、フィロソフィーズ・ストーンではないな」
 構える私たちを睨みつけ、続けていた。
「その石はくれてやる。しかし、この私に届くようになった貴様らは、もはや、弱きフローラのエクスプローラーと、捨て置けぬ」
 右手にしていた剣を投げ捨て、新たな石を右手に握り混み、アーオイルは強く、強く、言った。
「いずれ再び合間見える時まで、勝負は預けよう! フローラのエクスプローラー──いや、勇者どもよ!」
 高く振り上げた右手に握られていた石を、アーオイルは勢いよく地面に叩きつけた。
「まて!」
 思わず踏み出した私とアルさんに、不敵な笑いを残し、閃光の中、男は消えていった。

「まて! と、思わず踏み出してしまったが!」
 アーオイルが消え、静寂の中に雨音が戻ると、最初に声を上げたのはアルさんだった。
「言ったが、正直、待たれてしまっても勝ち目があったかは微妙だったので──おのれ! 乗せられた!」
「何言ってんだ」
 マジで。
 しかし、思わず私も息をつく。
 アーオイルはもういない。脅威は去った。
 少なくとも──ひとつは。
「さて……」
 見上げた真っ黒な空に雷鳴が轟き、その中から竜が現れ──竜はぐるりと一回転すると、私たちの立つ西のテラスに向かって、堕ちる雷のごとく突進をしかけてきた。
「レイシュ!」
「ちょっと、無理でしょうけどね!」
 身体を暗黒の炎に包み込み、レイさんは前に躍り出る。そして両手剣を水平に突き出し、
「ダーク・フレーム・ウォール!」
 燃え盛る暗黒の炎の壁で、その突進を受けた。ごうと巻き起こった風に散った暗黒の炎が、周囲の雨を一瞬にして蒸発させ、濃霧を生み出す。
「ぐおのれ!」
 踏み出し、再び暗黒の炎を吹き上がらせたレイさんが、気合いと共に両手剣を振り上げると、ぼっ! と巻き起こった上向きの気流に、炎と、濃霧と、竜が舞い上がった。
 強烈な風に耐え、私たちは空を見た。
 舞い上げられた竜は、空中で再びくるりと回転し、隠れるように厚い雲の中に戻って行く。
「ぐふぉー」
 だらんと両手を下ろし、レイさんは息をついた。
「さすがにリヴァエルの一撃を止めるのは、無理がありましたね」
「いや、止めたじゃねーか」
「ええ」
 ふっとレイさんはニヒルに笑い、言った。
「しかし、今のでMPを完全に使い切ってしまいましたので、もはや私はただの黒いでくの坊です」
「エル! トランス!」
「それが、無理なんですよねー」
 両手をだらんと下げ、右手の剣を力なく支えているだけのレイさんが、ふっふっふっと笑いながら続けていた。
「暗黒騎士は、MPが空になってしまうと、自己回復で1/3以上にならないと、トランスも受けられないんですよ。このデバフは、ポーションでも直せません」
「え? マジで? じゃあ、役にたたねーじゃん」
「ふっふっふ……はい。まあ、肉壁になって散るくらいは出来ますけど」
「よし、じゃあ、あと一回はいけるな? 肉壁となって死ね」
「言うと思いましたけどね!」
「スタンは入ったっぽいですね」
 ネリさんが、空を見上げながら言っていた。
「とりあえず、体勢を立て直して反撃の算段をつけるか、それとも尻尾を巻いて逃げだすか。選択の時です」
「きゃいんきゃいん」
「あの、出来れば私、動けないんで、逃走はご勘弁頂きたいのですが……」
「よし!」
 続ける言葉が解ったので、空いてる右足でアルさんを蹴っといた。「いって!」「そうじゃないでしょ」
「どうする?」
 そして私は、左手の中で光を放ちながら震えている、その赤い石を見せた。
「さてね……」
 アルさんは笑っていた。
「アル!」
 そこへ──西のテラスへ、声を上げながら飛び出して来たのは、チビエルちゃんだった。
「アル!」
 雨の中、転びそうになりながら、彼女は私たちの元へと駆け寄ってくる。その後ろには、
「エル様!」
 と、声を上げて続く、アルフさんの姿もあった。
 駆け寄ってきて、チビエルちゃんはアルさんの腰にしがみつき、そして、
「リヴァエルを止めて!」
 言った。
「リヴァエルは、あんなことする竜じゃないのよ! きっと何か、理由があるの! アル! リヴァエルを止めて!」
「いや、まあ……」
 気圧され気味にアルさんは漏らした。そして、息も絶え絶えに近づいてきたアルフさんに向かって、
「一緒だったのか?」
 聞いた。
「突然、研究室に、やってきて」
 息を整えながら、アルフさんは返す。
「リヴァエルを助けてあげてとかなんとか……そうしたら、突然早鐘が鳴って……外を見たら、リヴァエルが……」
 息を切らしながら見上げる空の向こうでは、雷鳴が轟いている。
「アル! リヴァエルを助けて!」
 二人のアルを交互に見ながら、チビエルちゃんは言った。
「リヴァエルは、優しい竜なのよ!」
 荒れ狂う竜神。あれを止めるには──私は手の中の赤く輝く石を見た。
 気づいたアルフさんが、息を呑んでいた。
「それは……賢者の石ですか?」
「いや、賢者の石ではない」
 アルさんが返す。
「しかし、どうやらこいつがリヴァエルの暴走に絡んでいることは、間違いなさそうだ」
「かして!」
 と、私に手を伸ばしたチビエルちゃんが、ばしんと弾けた光に吹き飛ばされ、雨の降りつけるテラスに倒れ込んだ。
「チビエルちゃん!?」
 驚き、手を伸ばそうとして、止めた。いや、よくわかんないけど、きっとこの石と彼女を近づけてはいけないのだろう。
「竜の心臓は、リヴァエルを縛り、その力を聖女の命と引き換えに使わせるものですから~」
 エルさんが言っていた。
「聖女が、それに危害を加えることはできません~」
「壊すなら、我々以外にはできませんよ」
 レイさん。
「最も」
 手の中の石は、光を放ちながら震えている。
「それを破壊すればどうなるかは、お察しの通りですが」
「かして!」
 立ち上がったチビエルちゃんが、再び私に向かって駆けつけてきた。左手を高く上げ、チビエルちゃんが届かないように半身になって彼女を制するが、彼女は私の腰に取り付いて、真剣な眼差しで私の頭の向こうにある石に向かって手を伸ばす。
「私がなんとかするわ!」
「なんとかって……」
「よせ、チビエル!」
 アルさんがチビエルちゃんを羽交い締めにして、引き剥がした。
「落ち着け」
「なんとかして! アル!」
 その胸に飛びつき、彼女は言う。
「リヴァエルを、助けて!」
「もちろんだ」
 即答した。
 何か手が、あるとは思えなかった。
「チビエル」
 そしてアルさんは、彼女を見つめ、言った。
「リヴァエルの暴走を止めるには、竜の心臓を破壊するという方法が考えられる。あの石だ。あの石を破壊すれば、おそらく、石から溢れる力の流出が止まって、リヴァエルの暴走は収まるだろう。ただ、あれはリヴァエルをこの地に縛る為の物なんだ。破壊すれば、リヴァエルをこの地に縛る力はなくなり、あいつは多分、死ぬ」
 チビエルちゃんが、息を呑むのがわかった。
 ひどい言い方だなぁと思った。もう少し、言いようはなかったのだろうかなぁと、私は左手の石をぎゅっと強く、握りしめていた。
「どうして?」
 チビエルちゃんが言っていた。
「どうして? どうしてリヴァエルを助けられないの? リヴァエルは、優しい竜なのよ? みんな、リヴァエルが大好きなの。聖堂城のみんなも、町のみんなも、リヴァエルが本当の神様じゃないって知っていても、とっても大好きなのよ? リヴァエルが死んじゃうなんて、そんなのはダメよ!」
 真っ直ぐにアルさんを見つめ、チビエルちゃんは一所懸命に言っていた。
 ざあざあと降る雨に、身体を震わせ、髪から落ちる雨垂れをそのままに、彼女はまっすぐに、言っていた。
「アル、リヴァエルを助けてあげて! お願い! リヴァエルは、みんなの神様なの。私の命でリヴァエルが助かるなら──!」
 言いかけた言葉を、アルさんは彼女の肩を強く掴んで、言わせなかった。
 はっと、真剣なその眼差しに、彼女は言葉を飲み込んだ。
「チビエル」
 そして、アルさんは言った。
「それじゃ、リヴァエルは喜ばねぇよ」
 じっと見つめる視線を、彼女は真っ直ぐに受けていた。
 そして、見つめる瞳の声を、真っ直ぐに聞いていた。
「リヴァエルは、お前に生きて欲しいと言った。石を壊せば、お前の呪いは解けるし、多分、リヴァエルの暴走も止まる」
「でも、それじゃ、リヴァエルは死んでしまうのでしょう?」
「恐らく、そうだ」
「そんなのはダメよ。例え私が助かっても、リヴァエルが居なくなってしまったら、そんなのはダメよ。それに、この嵐はどうなるの? リヴァエルも私の力もなければ、エル・トゥラは、嵐に沈んでしまうわ」
「かもしれんが、リヴァエルが望んだように、お前だけは助かるぞ?」
「ダメよ」
 降りつける雨に震える彼女の身体は、もう、そこにはなかった。
「アル、リヴァエルを助けてあげて。リヴァエルは、みんなの家族なの。そして私の、お父さんなの」
 そして彼女は、この人を納得させることのできる、ただ一つの答えを、口にした。
「アル、わがままを言うわ。でも、私の、本当のお願いなの──私の家族を──」
 真っ直ぐに、彼女は言った。
「みんなを、助けて」

 ゆらり、雨の中、アルさんは立ち上がる。
 おいおい、どうすんだよ、これ。
 という私の視線に、アルさんはニヤリと笑ってみせた。
「だってよ、勇者ちゃん」
 私は、息をついて返す。
「全てを救おうなんて、おこがましいとは思わないの?」
「全くだな」
 大きく息をついた私たちに、不安そうな彼女の瞳に──アルさん、私は、言った。
「まぁ、俺たちは、器の小さい勇者ちゃんご一行様だからな」
「小さな女の子が守りたいと思うものを、なんとか守ってあげるくらいしか、できない程度のね」
 そして私は剣を握り直し、剣を肩に担いで口許を緩ませるアルさんに向かい、問う。
「どうする?」
「俺にできるのは、クソオヤジの鼻っ面を叩いて、正気に戻すくらいしかないか?」
「本気?」
 仕方なく、私も苦笑した。それでどうにかなるのか──まあ、乙女ならやってやれって、それしかねーのかね。
「アーオイルを退けてしまったので、通常ルートは期待できませんしね」
 レイさん。
「これ、どう結末つけるんですかね~」
 エルさん。
「ひとつ──」
 ネリさんが、言った。
「案が、アルフさんにあるそうです」
「あー! 言っちゃいますか、それ!」
「私は、どうなっても知りませんからね~」
「いやもう、それ以外、ロールバックしかありませんよ、これ。配信見ている皆さんも、やれって声が大半ですよ?」
「まあここでロールバックとか、大ブーイングでしょうしねぇ」
「クリアできなくなっても、知りませんよ~」
 言い合う三人の言葉を受けて、
「アルフ、なんかあんのか?」
 振り向き、アルさんはアルフさんに聞いた。問われたアルフさんは、「いや……」と狼狽えたかと思うと、はっと何かに気づいたように目を開き、
「いや……まてよ……」
 つぶやいて、顎に手を当て、鋭い視線を脇に逸らした。「確かに……いけるかも知れない……」
 そして、アルフさんは言った。
「勇者様の持っているたまご石なら、もしかしたらそれを破壊せずに、リヴァエル様の暴走を止められるかも知れません!」
 え?
 たまご……石?
「なにそれ?」
 ぼんくら顔で、アルさんはみんなを見た。「おおう」と、あの時と同じように、レイさんは空を仰いでいる。
「いや……」
 右手に持っていた剣を小脇に挟み、私は背中のバッグからその石を取り出していた。片手で持つには少々大きい、たまごの形をした例の石。私の中での通称、たまご石。
「コレの事を言ってます?」
「それです!」
「それなんですよ」
「出しちゃいましたね~」
「なんでそれが今、ここにあるんでしょうかねぇ」
 思い思いの言葉を口にする皆に、私は首を傾げるしかなかった。いやこれは、ただのたまごの形をした、ちょっと可愛い石だろう。これがなんか──いやまさかこれ──錬金術に関するものなのか!?
「それは、哲学者の卵という、錬成物です」
「錬成物なの!?」
「どういう効果なんだ?」
 アルさんに問われ、アルフさんは確認するように頷きながら返した。
「賢者の石を創るには、いくつかの方法があったそうなんですが、そのうちのひとつに、哲学者の卵、つまり、それは専用フラスコなんですが、その中に世界を構成する要素を封じ込めて、アタノールで加熱するという方法がありまして──」
「いや、そういうのは解るから大丈夫」
「いや、わかんねーよ」
 何をさらっと流そうとしてんだ、アルベルト。全くついていけてないよ!
「つまりそれは、内部で賢者の石を作ることができる程、強固な外殻を持っているわけで──」
 言葉の途中で轟いた雷鳴が、崩れかけていた聖堂城を撃った。どしゃーんびりびりと空気が震え、弾けた瓦礫が雨の中に降り注いだ。腕をかざし、厚い、真っ黒な空の向こうを見ると、雷の走る雲の中で竜がもがくように激しくうねっていた。
「細かい説明は後で聞く! どうすればいい!?」
 アルさんが言った。
「卵を起動させ、中にその石を閉じこめてしまえば、あるいは!」
 私の手の卵を見て言う。
「それが完全な哲学者の卵であれば、消失と同義でしょうが、完全な哲学者の卵は、この世界に存在しません!」
「逆に、ちょっと漏れ出すくらいで丁度いいってか! よしやれ! 勇者ちゃん!」
「いや、どうやって使うのか、わかんないし!」
「やりますよ!」
 言って、ネリさんはたまご石に杖の先を押し当て、
「言っておきますが」
 アルさんに向かい、言った。
「この石は本来、もっと先のクエストで使う物です。この先で同じ物が手にはいるかどうかは分かりませんし、場合によってはクリア不能になりますが──覚悟の上ですね!?」
「おう! え? マジで?」
「起動します!」
「お前、返答待つ気なかったろ!?」
 ネリさんが上位古代語で何かの一節を口にすると、私の手の中にあったたまご石はすうっと宙に浮き上がり、石そのものの外殻に、無数のひびを走らせた。
 割れ目から、銀色の光が溢れて外殻を弾き飛ばす。やがてそこには、ミスリルにも似た美しい輝きを放つ、たまご型のそれが姿を現していた。
「どうすれば!?」
「たまごが真ん中から、上下に割れます!」
 レイさんの言葉通り、それは私の目の前で、上下二つにゆっくりと割れ始めた。思わず目を細め、顔を背けてしまうくらいの輝きの奥で、何かが渦を巻いている。あれは──だぶん、賢者の石を創るのに必要な混沌に違いない。どうやらこれは、本物のようだ。──本当にいけるのか!?
 私は口許を曲げ、竜の心臓を右手に持ち直した。
「あそこに入れればいいのね!」
「やっちまえ!」
 アルさんの声に、私は手にした石を突き出す。が、それは激しく震え、銀色の光を打ち消すような真っ赤な光を迸らせ、近づくことを拒絶した。
「ぐぬ!」
 右手を左手で押さえ込み、ぐっと突き出す。弾ける赤の光が辺りに飛び交い、猛烈な風と熱と、そして冷気を渦巻かせた。
「このやろ……」
 歯を食いしばる私の耳に、
「アルさん!」
 チビエルちゃんを守るように抱き抱えていた、エルさんの声が届いた。
「来ますよ!」
 視線の先を、見る。
 厚い雲の中から現れた荒ぶる竜神が、海の向こうにまっすぐ降り、そしてそこから──一直線に突進を始めていた。
「あとは任せたぜ、勇者ちゃん!」
 アルさんはそれに振り向く。
 剣を構え、
「止める気!?」
「まさか!」
 言った。
「俺はハナっから、根性のねぇ神様のハナっつらを、一発ぶん殴る気だっただけだ!」
 駆け出す。
「アルさん!」
「石を、中へ!」
 レイさんが叫ぶ。
 ぐっと奥歯を噛み締め、私は腕を突き出した。それでどうにかなろうがなるまいが、今、私のやるべき事は変わらない。石を突き出す。そして気持ち的には──おうよ、やってやれ!
「フロスト・ダイバー!」
 ネリさんの魔法が地面を走る。生み出された氷の道が、西のテラスからその向こう、迫る、荒ぶる神に向け、道をつくる。
「リヴァエル!」
 そしてアルさんはその道を駆け抜けて行った。左手に握り込んでいたいくつもの錬成石が、雨の中に光となって弾けながら尾を引き、流星のような輝きを生み出す。
 そして迫る竜神へ、アルさんは剣を振り上げ、躍り出た。
 風が、嵐が、舞う。
 弾ける光の渦の真ん中へ──私は竜の心臓を突き出した。
「お前はいっぺん──」
 大きく口を開けて迫る竜神へ、アルさんは振り上げた剣を叩きつけた。
「頭、冷やしてこい!」
 竜の心臓が、たまごの中心へとたどり着く。
 ごうと渦巻いた混沌が、銀色の光を、荒ぶる紅の光を──すべてを巻き込んで──弾け飛んだ光に駆け抜けた風が、雨を、嵐を飲み込んで、混沌に吸い込まれていく。
 聖堂城を囲む海の向こう、振り下ろされた剣の一撃に荒ぶる竜神は弾き飛ばされ、混沌の渦巻く世界からはじき飛ばされ、その海に、巨大な水柱を立ち上らせた。
 遅れて──光と共に吸い込まれ、真っ黒な雷雲の消えた空に、どおんと大地を揺さぶる音が響き渡って──青空の向こうに消えていった。

 竜の住まう聖地、エル・トゥラ。
 この町では今、ちょっとした郵便配達員が話題になっている。
 なんでも、古の知識と教養の神の敬虔なる信徒である巡礼者たちを、恐ろしい海の魔物から身を挺して守った──だけでなく、悪しき邪神の信徒であった、石のミラルスなる男の謀計により暴走してしまった竜神を、竜の聖女、エル様と共に鎮め、この聖地を救ったという勇者様が、世を忍ぶ仮の姿としてその郵便配達員をしているとかなんとか──長い。長いよ! しかもなんか、いろいろ尾ひれが付いてるよ!
「へぇ、そうなんですか。しりません」
 ええ、そんな人は知りません。行く先々で聞かれましても、知りませんとも。
 午前中の配達を終え、私は外周環状線でスピンダに乗った。
「ああ、第三区の外壁修理が始まったから、夕方までは、外回りしか使えないよ」
「あ、そうなんですか。ありがとうございます」
 スピンダ置き場のおじさんに声をかけられ、私は軽く会釈を返す。
 あれから六日。
 エル・トゥラは、今日も活気に満ちていた。
 城壁跡の環状線を行きながら、眼下の町並みを見下ろす──島に入る唯一の門は、今日も長蛇の列だ。入り口入ってすぐの所では、土産物屋や食事処、宿屋の客引きやらが声を上げていて、「エル・トゥラ新名物、オムレツサンドはいかがですかー?」「旅の疲れを癒やすには、お湯のでる宿、海を見渡せる露天風呂! いかがですかー?」「エル・トゥラの二大聖女、エル様と勇者様の、有り難いサイン入り色紙! ここでしか買えない、有り難い一品はいかがですかー!」って、おい、なんか変なもんが混じってんぞ、言わんけど。
 スピンダでそのまま行って、エル・トゥラの西側へ出る。西区は、先日の一件で大分派手に破壊されてしまっていたのだけれど、見れば、町並みの修繕は着々と進んできているようだった。はてさて、これも錬金技術の賜物なのか。ほんの数日前までは屋根もなかったような家々が、今ではもう、綺麗に修繕されているではないか。たいしたもんだ。
 たいしたもんだという点で言えば、古の知識と教養の神を信仰する共同体と言うこともあってか、町の復旧のために皆が一丸となって働く姿には、目を見張る物があった。困った時はお互い様さと助け合い、快活に笑う姿には、正直、驚いて目を丸くするほどだった。
 眼下、復興現場の仮設テントの下で、誰かが私に向かって手を振っていた。エルさんだ。私も片手を大きく上げて返した。
 エルさん曰く、あれだけのことがあったにも関わらず、死者は出なかったのだという。そこはまあ、神聖魔法を使える方々がたくさんいらっしゃいますので、なんともあれですが、「まあ、竜の加護という奴ですよ~」とほわんほわんと言うエル様が、実はあの後、一人で町をくまなく巡っていたと言う話を、私は知っている。郵便配達員の噂では、後光の差す新な聖女、オトナエル様なる方のお噂があるのだが、それはまあ、ゴニョゴニョとしておこう。今日もきっとエル様は、作業現場で怪我人が出ないよう、見守っているのだろう。
 下層へと降りて、宿へと向かう道すがら、ダガーさんに出会った。
「あら、ダガーさん」
「おう」
 と、ダガーさんはしゃがみ込んで子どもたちとしていた会話を、
「じゃ、たのむぜー」
「りょうかーい!」
 と切り上げ、私に向き直った。
「よう、竜の聖女の勇者様」
「今のは?」
「うむ、勇者ちゃんの、新しい噂をだな……」
「是非やめて」
 エル・トゥラは、徐々に日常を取り戻しつつあった。

「じゃーん!」
 と、定宿にしている酒場で、アルさんは真新しい剣を掲げて見せた。
「紆余曲折を経て、ついに完成!」
 それはミスリルでできた、私たちの新たな剣だった。美しい白銀の輝きに、私の剣には赤い宝石と竜の装飾があり──いや、私はそういうのはよかったんだけどね。どうしてもと。
「おおー、紆余曲折の内容が、本当に紆余曲折だった分、感慨深いですねぇ」
 と、テーブルでむせび泣く、ふり、のレイさん。どんくらい、ふり、かと言うと、その右手のとっておきのビールが三杯目ってくらいに、ふり。
「防具は?」
 とは、ダガーさんだ。
「防具も、ミスリルにしたんじゃねーの? なんか、みんなで選んだやつ」
「おう、あるぞ。アルフ」
「こちらに」
 言って、アルフさんはジェフさん、コニーさんが抱えてきた、なにやら大きなそれにかけられていた布を、ばっと取った。そこには──トルソーに着せられた、エルさん曰く、「勇者ちゃんの、ふく(完全版)」があった。
「おおー!」
「マーベラス!」
 上下セットで、ブーツまで揃えられた、薄く白銀に輝くその服は、少々腰回りが辛そうではないかね? そしてだいぶん、目立つような気がしないでもないのだが、大丈夫かね? それ着てこの町を歩いていたら、ものすごい大変なことになりそうな気がするのだが、気のせいかね?
「ちなみに、ここに竜の聖印があってですね……」
「私は、古の知識と教養の神の信徒ではないんだけどなぁ……」
「よいな。やはり冒険活劇の主人公は、こうでなければいかん」
「や、アルさんのは?」
「あ、アルさんのはこちらに」
 ちみっと折り畳まれた、服一式。
「雑! 扱い雑!?」
「男キャラの見た目装備なんて、どうでもいいんだよ。大体、俺が俺の全身像なんて見ることねーんだし」
「はいはい!」
 酔っ払いのごときレイさんが、ぱんぱんと手をたたきながら言っていた。
「VRVでご覧の皆様は、今がぐりぐりできるチャンスですよ! 見た目装備の組み合わせは、タップアンドプロパティー!」
 何言ってんだ、この人は……
「よし、着ろ」
「え? なんでだよ。やだよ。別に、町にいる間はこんな高級装備、必要ないじゃん。剣は下げるけどさ」
「きしゃー!」
 それは威嚇なのか?
「そうよ!」
 と、バーンと酒場のドアを両手で押し開け、そこに姿を現したのは、
「まだ、私のお祈りが終わっていないわ! 届けに行くときは、声をかけてねって言ったでしょう! アルフ!」
 ばーんとそこに姿を現したのは、この町の信仰の対象、司教にして聖女、チビエルちゃんこと、エル様だった。
 酒場にいたお客さんたちが、お店の娘さんが、ぽかーんと口を開けていて──状況を理解すると、
「聖女さま!?」
「エル様!?」
「いや、確かに勇者様がご滞在されているから、有り得ない事ではないけれど……この人たちを見ていると、ホントなのかよと思っていた分、衝撃が!」
 あの……最後の娘さんの台詞がちょっと胸に刺さるんですけども……まあ、基本的にここにいるときは、飲んだくれてますんでね……
「こんにちは、みなさん」
 と、会釈をし、とことことチビエルちゃんは私たちのテーブルへと歩み寄ってきた。
「こんな下層まで出てきて平気なのか、お前」
 アルさん。チビエルちゃんはこてんと首を傾げて、
「聖堂城は今、修復作業とかでとっても忙しそうだから。私が居ても、邪魔になってしまうじゃない? みんなのためよ?」
「忙しすぎて、目が届かない隙をついて脱走したんだろ?」
「失礼ね! そんなことしないわよ! 私だって、子どもじゃないんだから!」
 子どもだよ、とは、皆言わない程度には大人。
 チビエルちゃんは、ぷんぷんと頬を膨らませたまま、続けた。
「剣と、服が出来たら、私が祝福をするって言ったでしょう、アルフ。だめよ、勝手に持って行っては!」
「いや、しかし、エル様……」
「私はここでは、チビエルよ!」
 両手を振り上げて怒るチビエルちゃんに、私たちは顔を見合わせ、笑いあった。

 仕方がないので、勇者のふくに着替えた私。
 腰に剣をつるし、酒場のテーブルを全部端っこに寄せて作ったスペースで、チビエルちゃんの前に片膝をついた。
「おや~? 何事ですか~?」
 やってきたエルさんが、お酒片手に取り囲む野次馬の中から、ひょっこり、顔をのぞかせていた。
「チビエルが、勇者ちゃんに祝福をするんだって」
「おやおや~、それはとてもよいことですね~」
 チビエルちゃんは聖書を手に、古代語か神聖語か、よくわからない言葉で祝詞をあげていた。
 小さな身体で真っ直ぐに立ち、目を伏せ、静かにとぎれることなく、彼女は言葉を紡いでいく。
 ああ、彼女はやっぱり、聖女なんだな。
 言葉の意味はよくわからないし、何か、本当に神聖魔法のそれのような効果も感じはしなかったけれど、聖女の祈りの言葉に、私は不思議と顔がほころぶような、そんな気がした。
 祝福のお祈りを終え、チビエルちゃんは言った。
「勇者様」
 それはとてもとても子どもっぽくて、私にとって、それはそれでとても嬉しい、笑顔だった。
「お祈り、本当は、なんの力もないの。ごめんね。でもね、これは、私たちの気持ちなの。気持ちが一番大事って、リヴァエルも言っていたわ。じゃあ、リヴァエルもお祈りしてあげなきゃねって言ったら、恥ずかしくて、合わせる顔がないって言っていたけどね。もう、困った神様ね!」

「結局それで、たまご石は?」
 戻したテーブルの上に、娘さんが運んできた料理を次々と置きながら、レイさんが言っていた。
「しらん」
 と、アルさん。
 それに、とっておきのビールを回しながらのネリさんが続く。
「いや、聖堂城の奥深く、竜神リヴァエルの本体が眠る場所に、静かに安直されていますよ。流石にこれ以上の何かはないでしょう」
「いやはや、まったく聞いたこともない展開で、正直、びっくりしたよ」
 苦笑するようにして言ったのはチロルさんだ。
「いやあ、参加したかったなぁ」
「ニケもニケも! なんか、予備校から帰ってきたら大変なことになってて、でも、ログインしても間に合わないかもって、ずっと見てたよ!」
「まあ、現場に居合わせた私からすると、なるようになれ~としか思っていませんでしたが~」
 と、エルさんは言いつつ、
「ダガーさん、テーブル、もういっぱいですよ~」
 厨房の方に向かって声を投げかけると、
「おうよ」
 大皿を両手に持って、ダガーさんが厨房から楽しげに姿を現していた。
「ほれ、エル・トゥラの海の幸を使った、トラットリア風、大皿料理だぜ! 大盤振る舞いだ! みんなでやってくれよ! あ、娘さん、あと二皿あるから、他のテーブルにもヨロ」
「ってか、うちの厨房にあった食材だけで、こんな料理ができる気がしないんだけど?」
「え? いや、エビとか貝とかは、ここのだぞ? カニとパスタは俺が用意したやつだが……まあ、親父さんにレシピは教えといたから、気に入ったらメニューにいれといてくれ」
「これは……すごいですね……」
 テーブルに置かれた料理の数々を目にしながら、アルフさんは息を呑んだ。
「すごいわね!」
 と、チビエルちゃんも興奮気味だ。
 ふっふっふ……すごかろう。
 大皿の上は、エル・トゥラの海の幸が、ダガーさんの手によって、これでもか! と盛りつけられている。白い大皿に映える、真ん中でばーんと二つに割られた赤い大きなエビなんか、クリームのようなとろっとしたソースがかかっていて、すげーうまそうだ。
「このエビは、スキエみたいな感じだから、フリットにしてみた。カニは、毛ガニみてーな感じだから、クリームパスタで。こっちの貝はホタテみたいな食感だから、ソテーにしたぞ」
 開いた二枚貝に香草をまぶしてグリルした、お腹の底をくすぐるような香りのするソテーに、カニのクリームパスタ。脇に彩りのために置かれているハーブ類も、半透明できらきらしているソースのようなものが薄くかかっていて、おそらくこれは、この小エビのフリッターと一緒に食べたらうまいやつに違いない。しかも、余ったソースを濾しとって食べるためのバゲットも万全だ!
「これ、ダガーさんがつくったの!?」
 興奮気味のチビエルちゃん。目が、キラッキラしている。いいぞ、そうでなければいかん。その笑顔が、なによりの報酬だ。
「おう。気に入ったらまだまだあるぞ? ばんばん食えよ。今日はお前が一番箸だ!」
 ぽんぽんと、ダガーさんはチビエルちゃんの頭を叩く。
「もう、子ども扱いしないで!」
「おおっと、すまん」
「とっておきのビール、みんなにわたりましたかー?」
 そして、フロアのみんなを見回してから、レイさんは言った。
「では、マスター。発声を」
「エル・トゥラの聖女に?」
「新たな聖女に」
「やめて?」
「恥ずかしがり屋の竜神に~」
「竜神は、エル・トゥラの出来事は全て耳に届くそうですから、聞こえてるかもしれませんよ?」
「なら、チビエルにやってもらった方がいいんじゃねーの? このゲーム、ギルドねーし、俺、マスターじゃねぇし」
「なんでもいいけど、締まらないよ、アル兄~」
「ジョッキが重いなぁー」
「いや、シールドより、絶対重くないですよね?」
「よし、チビエル!」
 言って、アルさんはきんきんに冷えたビールのジョッキを片手に立ち上がり、すばやくチビエルちゃんの後ろに回り込むと、彼女をテーブルの上に立たせた。「え?」とするチビエルちゃんの手にジョッキを持たせ、「未成年未成年!」「いけ、やれ! チビエル!」「乙女なら、やってやれ~」「使うタイミング違う!?」
「ええっと……」
 少し戸惑い、そして笑い──ジョッキについていた冷たい水滴が落ちるよりも早く──それを掲げて景気よく、彼女は言った。
「エル・トゥラの、勇者たちに!」
「かんっばーい!!」
 打ち鳴らされるジョッキの音に、響く笑い声。
 いつか、誰かが言ってたやつ。
 冒険活劇の終わりは、こうでなきゃ──ってね。


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