studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2019.08.23

勇者ちゃんと、竜の赤い石(前編)

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しゃちょ
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読み物
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 ぽくぽくと、夜明け前の丘を、馬で行く。
 西へと伸びる巡礼路は、この丘の向こう、ナール帝国、デヴァリ公国領、エル・トゥラ=ランサ自治区へと続いている。
 背中から差し込んでくる朝日が、下草もまばらな丘をゆっくりと照らし出していく。かすかに吹く丘の向こうからの風には、潮の香りが乗っていた。
 巡礼路の先、丘の上に人影が見える。
 鎧姿の男は、丘をぽっくぽっくと登る私たちを待っているのか、仁王立ちで構えていた。
 長い巡礼路。その終わりの丘。歓喜の丘にたどり着いた私たちに、
「馬はダメでしょう、馬は」
 鎧姿の暗黒騎士、レイさんこと、レイシュさんは言った。
「巡礼者らしく、歩いてくださいよ」
「いやだって、歩かなきゃダメだとは言われてねぇもん」
 馬上から返すのは、私の相棒というか、パートナーというか、なんだか最近はただの旅の道連れじゃないかなという気すらする、剣士アルさんこと、アルベルト・ミラルスだ。
「そもそも、俺は古の知識と教養の神の信徒ではないのに、なぜ、律儀に巡礼路を巡らなきゃならんのだ? とすら、思っている」
「まあ、エル・トゥラに入るには、巡礼者として入るのが一番手っ取り早いというか、そういうシナリオなので」
 と、レイさん。
「竜の牙、揃いました?」
「八個でいいんだっけ?」
 馬から下りながら、私は聞いた。手を伸ばした腰の先には、じゃらじゃらと揺れる手のひらほどの大きさの牙のようなものが八つ。巡礼路の町の教会で貰ってきた──とは言え、是非寄進をお願いしますと言われる──古の知識と教養の神の聖印、そのレプリカだ。
「ですね。それで問題ないはずです」
「足りなくて、取りに戻れっていわれても、嫌だけどね」
 苦笑しつつ、ぽんぽんと馬の背を叩く。と、我が愛馬はひゅんと光の玉の形に姿を変え、腰にぶら下げていたひょうたんの中へと戻った。
「この丘の向こうか」
 同じく馬から下りたアルさんが、少し早足気味になりつつ、丘の最後の少しを登って行く。
 やれやれと思いつつも、私たちもその後を追った。
 丘の向こう、広がる海。
 その湾の岸部近く。
 浮かぶ小島のすべてを覆うように作られた町、聖堂城を中心に据えた、古の知識と教養の神の聖地、エル・トゥラ=ランサが、朝日を照り返す遠浅の海に浮かんでいた。

 古の知識と教養の神は、いわゆる基本六柱と呼ばれる六大神に名を連ねる神の一柱で、学者や賢者なんかに信者の多い、光の神の一人だという。
 神でありながら、その姿は大抵、竜の姿として描かれ、信者達はホーリーシンボルとして、竜の牙の形をした聖印を持っているのだそうだ。教義は、知の先にこそ、正しき生がある。ということらしいが、難しいことはよく知らない。まあ、その辺はレイさんの受け売り、ってわけだ。
 ともあれ、私たちが訪れたここ、エル・トゥラ=ランサは、その知識と教養の神の聖地、竜の住まう場所、だという。
「エル・トゥラに入るには、今日だと、昼過ぎまで待たないといけませんかねぇ」
 と、浜辺に座り込んだレイさんが言った。
 隣には、どこで拾ってきたのか、流木で砂浜にぐるぐる円を描き続けているアルさんがいて、
「モン・サン=ミシェルじゃねーか」
 海の向こう、聖堂城を見つつ呟いていた。
「まあ、まさにそれなんで」
「トンボロ現象だっけ?」
「ああ、なんか、そんな名前でしたねぇ」
 南天に向かって登って行く陽に、身体をぽかぽかと温めながら、のんびりーな、私たち。
 私たちは今、エル・トゥラを目の前に、浜辺で潮が引くのを待っていた。湾に浮かぶ小島に渡るには、潮が引いたときに現れる道を歩いて渡るしかないそうなのだ。渡し船? 敬虔な信者様たちは、そのようなものは利用しないのだ。歩いて渡るのが、当たり前なのだ。試される信仰心。なのか? は、知らない。が、潮が引いたら渡れるくらいの浅瀬だと、座礁の心配もあるので、渡し船なんてないのかも知れない。
 ともあれ、浜辺でぼけーっと時間をつぶして、いくらか経った頃、
「あれ? 巡礼者、動き出したな」
 言うアルさんの視線の先を、どれどれと見てみると──確かに、浜で待っていた私たち以外の数十人の巡礼者達が、のそのそと移動をし始めていた。
「ああ、オベリスクまで、潮が引いたんですね」
 と、レイさん。
「あそこ、入り口にあたる所ですが、オベリスクがあるでしょう? 敬虔なる信者様達は、あれに触れてお祈りをしてから、エル・トゥラに入るんですよ」
「あのオベリスク、どう見ても、魔力の塔の一部にしか見えんのだが」
「まあ、私たちはそれを知ってますからそうと分かりますが、一般人は知りませんからね。あれは、信者達の間では、竜の神様がエル・トゥラを守るために建てたものだと、そう伝えられているんですよ」
「古の知識の神なのに、間違った知識を教えていていいのかよ」
「ガイドマップには、違うよって書いてあるんですけどね。それはそれ! だそうで」
「むしろ、ガイドマップがあんのか。観光地か」
「ええ、ありますよ。エル・トゥラは、観光地と言えなくもないですし」
「お伊勢参り」
「日本人的には似たようなものかも知れませんが……敵を作りそうな発言ですね……」
 言いつつ、レイさんはごそごそと腰のポーチから折り畳まれた紙を取り出し、ぺろぺろと広げて見せた。なんと、それは羊皮紙ではなく、ちゃんとした、いわゆる紙のガイドマップであった。
「え? 紙なの、ガイドマップが?」
「え? 紙って、錬金術で創るんじゃないの? 高いんじゃ?」
 私の疑問に、レイさんは「いえいえ」と手を振って返した。
「まあ、紙は錬金術でなくても作れるんですが、その辺は置いといて──いずれにせよ、エル・トゥラは、あの島だけの自治区ですが、錬金術研究は世界でもトップクラスなので、紙もありますし、活版印刷技術もすでにあるんですよ。紙もそんなに高くない」
「ベストセラーは聖書だったりするのか?」
「修道院の売店で買えますね」
「ますます商売の神の側面が……」
「いやいや、ないです。多分」
 多分って……確かに巡礼路でも、聖印を貰うのに寄進がーとか、町の宿でもこの御守りがーとか、宿泊者には、旅の無事を祈るお祈りがーとかなんとか、いろいろあった気もしたが……まあいい。
 引き始めた潮に、うっすらとエル・トゥラへの道が浮かび上がってきている。
 その入り口脇、先のオベリスクの周りには敬虔なる信者様たちが集まり、触れ、祈りを捧げていた。あれは魔力の塔のオベリスクに相違ないだろうが、信者の皆が触れられる高さの辺りのすり減り具合を見ると、形はともあれ、信仰と言うものの強さを思い知らされる。私には神の声は聞こえないので、ふぅんと言う感じだが……あ、神の声が聞こえるくせに、ふぅんって感じの人、隣にいたわ。
 隣の人、レイさんから借りたガイドマップを見つつ、
「元々、魔力の塔があった場所に砦を築いたのが始まりで、竜が住んでいると言うのは、その後にわかったことなんだな」
「ええ、それから聖地として聖堂ができたり、修道院ができたりして、いつの間にか、世界最高の錬金術研究者達が集まる場所となって発展していったんですね。なので、聖堂城とか、魔改造されてて面白いですよ」
「なるほど」
 ガイドマップをたたみ、アルさんは言った。
「素晴らしい観光地だ」
「観光に来たんだっけ?」
「ほら、アルさん、オベリスク、触ってこないでいいんですか?」
「どうしよう、楽しむためには、ちゃんと触ってきた方がいいかな?」
「いや、聞かれても。っていうか、私たち、観光に来たんだっけ?」
「あ、浜に降りるときは、裸足になるのが習わしですから」
「よーし」
「あと、潮が来たら逃げてくださいね。本気で死にますから」
「え? そんなにすぐ、満潮になんの?」
「いや、これから干潮なんで大丈夫でしょうし、満月もしばらく先ですから、問題はないとは思いますが……散発クエスト中に満潮に当たって、干潟で死ぬってのは、わりとお約束ですよ?」
「え? それも楽しまないとダメ?」
「えっと、そもそも私たちは、何をしにここに来たんだっけね?」
 ともあれ、私たちは古の知識と教養の神の聖地、エル・トゥラ=ランサへと、渡ったのだった。

 干潟を渡り、町へと入る唯一の門に並んだ長蛇の列を抜け、寄進という名の入門税を取られたりなんかしたりして、やっとの事で、私たちはエル・トゥラ=ランサの中へと入った。
 島をぐるっと囲む城壁跡の内部は、細い道が緩いカーブを描き、外周に沿うように続いている。道の両脇には、たいてい三階建ての家々が立ち並んでいて、石が基本のその建物に、少々の圧迫感はあるものの、オーニングや看板など、色の付いたその他付属品のおかげか、その、ごちゃっとした雰囲気の中に、独特の活気があふれていた。
 入門してきた巡礼者たちに、レストランや宿、なんかだかよくわからない土産物のようなものを売る人たちが、今がチャンスとばかりに大声を上げている。胸にぶら下がっている竜の牙の聖印をみるに、この人達も知識の神の信徒のようだが──本当にこの神は、商売の神ではないのか?
「この辺りの通りはうるさいので、静かめの所で宿を取りましょうかね」
 と、レイさん。門から続く、細いとは言え、メインストリートっぽい道を離れ、外周を囲む城壁跡側へと進んでいった。
 うん、このごちゃっとした感じ、絶対に迷う自信があるな。すでに最初の門に戻れるかすら、不安だな。などと思いつつ、てくてくついて行くと、レイさんは階段を上がって、城壁跡の上へと私たちを連れて出た。
「おお!」
 と、アルさんが感嘆の声をあげていた。
 城壁跡の上からは──こっちは西かな?──開けた海が眼下に一望できた。遠浅の海は、引き潮のこの時間、広大な干潟となっていて、遠くのほうに離れていった海岸線と一緒に、きらきらと陽光に輝いている。
「なかなかの絶景だな!」
 興奮気味のアルさんに、
「ここから、ぐるーっとまわって、東下層昇降所に向かいます。絶景を楽しみつつ、短い旅をご堪能ください」
 と、レイさん。
 言いつつ、登りきった城壁跡の上、小さな小屋のような建物の前に座っていた人に、
「動力石をください。30個でいいかな?」
 と、声をかける。
「300コインですね」
「いや、それはおかしい。ひとつ5を、いくら何でも10はぼりすぎです。200で。残りはあなたのチップです」
「じゃあ、200で」
 などとやって、親指と人差し指で丁度持てるくらいの大きさの、なにやら丸い小さな玉を、いくつも購入していた。
「なんだそれ」
 アルさんの疑問に、私もうなずく。
「これは、動力石と言ってですね、まあ、わりとすごい錬成石なんですが、簡単に言っちゃえば、回転し続ける石です」
 まったく意味が分からない。
 回転し続ける石? アルさん、私が、ハテナハテナしていると、レイさんは「これはですね」と、小屋の隣に沢山置かれていた、円盤に車輪と腰くらいまでの高さの棒が生えた、不思議な乗り物? に乗り、
「ここの、棒のT字の末端にはめて、こう、軽く蹴り出すと──」
 すーっとそれは、蹴り出した方向へと、勝手に進んでいった。
「ほう」
「まあ、こういう乗り物です」
 ひょいと円盤から降り、持ち上げて車輪を地面から離し、レイさん。
「これは、町の人はスピンダと呼んでいるんですが、この町の外周をぐるっと回る城壁の上が専用道路になっていて、この町での足になっているんですね」
「首都環状線!」
「おおむね、そのようなものです。で、我々はここから半周位したところにある、東下層昇降インターチェンジまで行きます」
 と、先ほど購入した動力石を十個ずつ、私とアルさんに渡す。
「昇降機の使い方も後で教えますが、動力石はこの町ではインフラサービスを受けるのに必須ですので、あとでまた買い足しといてください。城壁上の販売店は、ぼったくってくるので注意」
「ひとつ、5コインな」
「オフィシャルな教会直営が安全ですが、中央四層は遠いんですよね……チップだと割り切るならいいですが……あと、勇者ちゃんは、迷子になったらここ、城壁の上を目指してください。ここにくれば、城壁は環状線になってますので、必ず目的地に着けます」
 おう、重要。大事。覚えた。
「山手線を一周するんだな」
 それが何かは知らないが、とても失礼な事を言っているのは解る。
「では、行きましょう」
 と、すーっと、レイさんは漕ぎ出した。
 うん、ちょいとこつをつかむまで、けっつまづいたりなんだり、あたふたしりもしたものの、すぐに慣れた私たちも、すーっとそれに続いた。
「いいな、これ」
 絶景を右手に見つつ、アルさんも楽しそうに笑っていた。

 東下層昇降所なる場所は、城壁跡の尖塔に当たる場所らしく、そこには上下に繋がる階段と、そのとなりに鉄製の籠のようなものが鎖で吊されていた。
「お、動力石がまだ残ってますね。ラッキー」
 と、レイさんは籠に乗る。
「ここの、階数の凹みの所に動力石が残っていれば、入れ替えなくても使えます。無かったら動力石を入れてから、くるっと回してください」
「エレベーターか」
「ま、そのようなものです」
 アルさんと私が乗ったのを確認して、下層とかかれた箇所にはめ込まれた石を、レイさんはくるくるっと回す。と、びーっとなにやら音がしてから、籠がごとんごとんと下降を始めた。
「下層って、スラムだったりしねーの?」
 下がる籠の中、アルさん。レイさんが返す。
「いや、そういうことはないですね。そもそもここに住んでいる人たちは、ほとんどが教会に勤めている人たちなので、生活水準は高いんですよ。下層に住んでいるのは、なんといいますか、いわゆる下町の人たちみたいな、生粋のエル・トゥラっ子みたいな、そんな感じの人たちですね」
「ふぅん」
 程なくして、ちーんという音がして、籠は下層に停止した。
 尖塔から外にでると、そこは上層よりもずっとごちゃっとした、細い道がうねうねと続く、何というか、とても生活感にあふれた町並みであった。
 石の壁の家々の前には、派手な看板やオーニングがない代わりに、プランターに花が咲き、狭い道の上に渡されたロープには、白いタオルやシーツ、下着やらなんやらの、洗濯物が揺れている。下町。確かに。
「この通りの、ちょいと先……ああ、あそこです」
 と、案内するレイさんは、通りを少し行って、大きな木製の看板が掲げられた店に入った。看板に書かれた説明から察するに、お酒と食事がメインのお店のようだが……
「あら、いらっしゃい。旅の巡礼者が下層にくるなんて、珍しいこともあったものね。誰かの紹介かしら?」
 入った私たちに声をかけたのは、快活そうな、私と対して歳も変わらなそうな娘さんだった。
「いやあ、私は以前利用させてもらいました」
「あ、そう? ごめんなさい。じゃ、ウチのルールはOKね?」
「ノープロブレムです」
「じゃ、なに?」
「とっておきのビールと、名物オムレツを」
「はいはい、テキトーに座ってて」
 テンポのいいやりとりがあって、言われたとおり、私たちはテキトーな席に着いた。店は思ったよりも広くて、六人掛けのテーブルが七、八……まばらに地元の人たちがついていて、お酒と軽食を片手に談笑している。
「ルールってなんだ?」
 テーブルにつきつつ、アルさん。
「ああ、大したことはないです。この店、宿代はないので、かわりに食事なんかを注文することと、あそこの依頼をテキトーに片づけることが決まりなんです。どうせクエスト、潰すでしょう? あ、報酬はちゃんと別なので平気です」
「ありがたやーありがたやー」
 なぜか拝むアルさん。いやしかし、何泊するかもわからない手前、宿代がかからないというのは、ありがたやー。どっかの阿呆が、先日また無駄遣いをしやがったからな。誰とは言わないが、アルベルト・ミラルス。
 テーブルについて、
「あれ? 天井のあれ、ランプじゃねーな? 灯火石か?」
 アルさんは店内を弱く照らす、天井に埋め込まれた灯りを見て言った。ややオレンジがかったその光は、天井に埋め込まれたガラスのような瓶の中から、少しばかり揺らぎながら発せられている。各テーブルのちょうど上、規則正しく並んでいるそれは、店内の奥まった場所でも微かに影が見えるくらいに、室内を明るく照らしていた。
「灯火炉と言うそうですが」
 よいしょと座りつつ、レイさんは続けた。
「まあ、灯火石を横っちょからいれる、電球みたいなものですね。ここでは割と一般的ですよ。灯火石も、教会の直販ならそんなに高くないですし」
「割とすげーな」
 ふうむと唸るアルさん。
「電気がないのに、石で代用して動力やら灯りやらを手にしてるのか? 活版印刷もあるって言ってたし、一気に産業革命しちゃうんじゃねーの?」
「うーん」
 と、レイさんは首をひねりひねり。
「エル・トゥラには、それだけの資本と労働力がないですからねぇ。農業も、ここではほとんど発展していませんし、どうかなー?」
 小難しい話をしているなと、話半分に聞いてると、先の娘さんがジョッキを持ってやってきた。おっ、ガラスだ。
「はい、気をつけてね。こちら、とっておきのビール。オムレツは、もうちょっと待ってね」
 はいはいと受け取るそのガラスのジョッキは、きんと、びっくりするほど冷たかった。
「冷た!」
 思わず口にしてしまうと、
「冷蔵ができるのか?」
 驚いたようにアルさんが目を見張った。
「ええ、フレーム・ストーンがあるんですから、コールド・ストーンがあっても、不思議ではないでしょう?」
 レイさんはふふふと笑う。
「そしてこれが、とっておきのビール。いわゆる、キンキンに冷えたビールですよ!」
「いや、冷たすぎない? これ?」
 聞きつつ、二人にジョッキを渡すと、
「日本人はですねー! ビールは、キンキンに冷えているべきものなんですよー!」
「世界観とか言ってねーで、ビールはやっぱり、キンキンに冷えた奴なんだよ!」
 「いっえーい!」「かんぱーい!」と、二人、ぐびぐび、ぷはー!
 いや……こんなに冷えていて、お腹を壊さないんだろうかと少々不安になるが……まあ、飲むけど。
「で」
 アルさんはジョッキを手に、言った。あ、冷たいビールも美味しいな。
「ここが、割と文明が進んだ感じの設定だということは、よっくわかった。あとは、どんな感じのがあるんだ?」
「んー、細かい所で言うと、上下水道が完備されていて、生ゴミなんかも、共有のダストシュートから捨てられたりします」
「え? こんな閉鎖都市なのに? あ、でも海に垂れ流し?」
「いえ、処理施設ありますんで。スライムさんが大活躍してくれています」
「正しいスライムさんの使い方!」
「勇者ちゃん的には、トラウマかもしれませんが……大丈夫です。夜中にトイレから湧き上がってきたりはしませんので」
 つまりそれは、トイレに行くときは武器を持って行けと、そう言うことだな? っていうか、レイさんはあの時居なかったのに、何故それを知っているのだ? まあいいけど。
「スライムはあれか、それ、浄化槽なのか? 集めて処理するんなら、配管技術とか、その辺はどうなってんの?」
「さあ? 魔力の塔をベースに拡張された町なんで、古代魔法帝国期の、ろすとてくのろじぃかなんかなんじゃないですか?」
「詰め甘ッ!?」
 何の話をしているのか、さっぱりさっぱりだ。お、グラスの周りに霜が。凄いな、とっておきのビール。
「あとはそうですねー、学校があったりしますね。何しろ、知識の神ですからね」
「そうか……今回は、学園編だったのか……」
「いえ、違いますけど」
「えー……」
「はい、名物オムレツ、おまちどう」
「お、きましたよ。世界グルメ旅、本日のイチオシメニューは、モン・サン=ミシェル名物、ふわふわオムレツです」
「捻りもない!」
「どこそこ?」
「世界遺産」
「ここのは安くてうまいですよ。あ、エビも食べます?」
「私たちはここに、何をしに来たんだっけね?」
 少なくともレイさんは、このビールを飲みに来たんだろうというのは、間違いないだろうけど。

 そもそも、私たちが何故、このエル・トゥラを訪れたかと言うとだ。
「お、ここのオムレツは、上のと違って、味が濃いんだな」
 ダガーさんの言うような、世界グルメ旅のためではなく、
「エルさん、ビールどうですか? キンキンに冷えたやつは、ここでしか味わえませんよ?」
「いいですね~、今日は暑かったですしね~」
 ウワバミーなレイさん、エルさんは置いといて、
「え? マジで竜を見たことあんの? 本当にいるんだ」
 と、店の娘さんを捕まえてガイドマップにオススメスポットを書き込んでいるアルさんが練っているであろう、島内観光するためではなく、
「竜を見に来たの?」
「いえ、そう言うわけでは……」
 娘さん、私たちは知識の神の信者ではないからと、別に、観光に来たわけではなくてですね……
「竜の住まう聖堂城には、聖職者や知識人とかしか入れないけど、まあ、長く滞在してれば、竜神様が町に出てきた時に、会えるかもよ?」
「あー……いや、別にそれが目的では……」
 そう、それが目的ではない。
「よし、竜に会いに行こう!」
 いや、だから違う。
「いや、竜も気にはなるけど、ここには、ミスリルの加工ができる錬金術師がいるかもしれないって、それを確かめにきたんでしょうが」
 そうなのだ。
 先日、大量のミスリル銀を手に入れた私たちだったが、あれを加工し、武器なり防具なりを作れる職人が、全く見つからなかったのだ。テネロパの鍛冶師たちも、「形を加工したりは出来るが、純ミスリルなんぞ、武器にしたところで銀と対して変わらんぞ? それより、こっちの鋼の方がだな……」と、なんでも純ミスリルと言うのは、加工しても大した代物にはならんと言うことらしいのだ。
 しかし、しかしだぞ。
 レイさんやチロルさんの武器やら防具やらは、「いや、私のは、ミスリルダークという、中二的にかっこういい、合金ですが」「私のも、正しくはミスリルセイントという、合金だけど……」まあ、ともかく、二人の武器や防具は、純ミスリルを元にした物。ならばそれはどうやって作ったのだ? と言う話になって、「古の知識と教養の神の聖地、エル・トゥラを目指すのです……そこに、古の知識を蘇らせる、錬金術師が現れるでしょう……」「なぜに預言者風」「えー? さすがにネタバレしたら面白くないじゃないですか」
 ともあれ、そんなこんなで、私たちはこの大量のミスリル銀を武器防具に加工できる錬金術師を求め、ここを訪れたのだった。
「そうだ、俺の武器だ!」
 はっとしてアルさん。いや、私の武器もだが……
「ええっと、その、聖堂城にいるような、高位の錬金術師に会うには、なにをどうすればいいんだろうな?」
 ガイドマップに丸をつける作業を終え、おりおりしまいつつ、アルさんはレイさんに聞いた。
「さあ? ミスリルを寄進すれば、聖堂錬金術師も、会ってくれるんじゃないですかね?」
 レイさん、さらり。
「え? やだよ」
 アルさん、即答。
「ミスリル一粒、金貨一枚って言うくらいなんだろ? 純ミスリルが武器加工に適さないって言ったって、12Kとか、18Kとかなら、アホみたいに高額になるし……寄進とか、ないわー」
「別に、フルプレート作る訳じゃないし、多少はよくない?」
 と、意見してみたが、
「我々の財政を鑑みて、やだ!」
「うん、あなたが無駄遣いするからでしょう?」
「お前だってしただろー!」
「必要経費です」
 ふいっと視線をはずして、ビールぐびー。ぷはー。
 さて、
「そうなると、地味にこの町で名声を上げて、聖堂城に招かれるくらいにならないといけないわけですが……」
 レイさんは続けた。
「ここの依頼を、積極的にばんばんつぶしていくと、いずれ聖堂城に行けるようになるクエストがでます。さあ、アルさん、干潟を駆ける勇者となるのですよ!」
「めんどくさい、エル」
「私、神様違うんで~」
 あはは~と、エルさんは笑っていた。まあ、神様違うけど、エル様なら行けそうな気がするんだがなぁ……まあ、エル様がダメだと言うなら、仕方あるまい。
「ふむ……仕方がないな」
「仕方ないね」
 と、アルさんと私、
「ちょっとくらいは、仕事をしようかね」
 ビール片手に、頷きあった。

「ふーむ……」
 と、店の掲示板を眺めてみる。
 郵便配達のような雑用やら、ちょっとした警備的なものから、下水のスライム駆除とか、なんだかんだ、まとめて雑用──アルさん曰く、お使いクエスト──が雑多にそこには掲載されていた。
「どうせなら、観光しつつ出来るような奴がいいか?」
「下水観光?」
「なんだ、スライムさんと戯れたいのか?」
「いや、やだ」
 まあ、簡単そうで、お店的にも急ぎっぽいのは、この郵便配達とかか。あとは……観光しつつなら、この、動力石の回収ってのは島内全域を回らないといけないっぽい。ふーむ……
「さて、何をやります?」
 と、後ろからレイさんが聞いた。
「レイシュ的には、戦闘ありの奴がいいか?」
「いいえ別に。どうせここじゃ経験値になりませんし、島内観光だって、私はかまいませんよ?」
「私も、なんでもいいですよ~」
「オレは、経験値になるから、戦闘もある下水をお勧めするぜ!」
「よし、観光クエにするか……」
「なぜだ!? アルベルトー!!」
「ダガーさんの意見だからじゃないかな?」
 いや、しかし、しかしだぞ。
「いや、でもこれ、別に一緒にやらなきゃいけないってわけでもないんでしょ?」
 私、提案。
「別に、みんなで下水のスライムとかを駆除してくれば? 私、郵便配達とか石の回収とか、島内の雑用依頼をすればいいし」
「え? マジですか?」
 びっくりして目を丸くしたのは、レイさんだった。続けてアルさんが、
「迷子になるぞ?」
「失礼だな」
 環状線を行けば大丈夫なのは、ちゃんと覚えているわ。
「いや、そうではなくてですね……」
 ぽそり、レイさんは続けていた。
「まさか、自発的に別行動を提案してくるとは……正直、驚きです」
「え? ないの?」
「普通、ないです」
「いや」
 と、私。
「私、別にそこまでみんなのこと信用してない訳じゃないし、一人でも町中くらいは大丈夫だろうし」
 まあ、スライムは嫌だと言うのもあるけどな! つか、お金もないのに、また新調したブレストアーマーを買い直したくもないしな!
「むむむ……こんなパターンは、聞いたことがないですね……」
「これって、仮に別行動してて、俺が死んだらどうなるの?」
「多分、ロールバックです。勇者ちゃんのみの場合は矛盾しないでしょうから、続行だとは思いますが……」
「パーティー組んでりゃ、全滅はないだろうし、それもありか」
「スライムで防具をやられても、新調するお金はないのでよろしく」
「ミスリル防具を手に入れるまでは、ステテコパンツもやむなしか……」
「やめて。捕まる」
 すげなく言って、私は配達の依頼のいくつかと、下水のスライム駆除の依頼表を掲示板からぴっと取った。お、紙だ。凄いな。

 そんなこんなで、ガイドマップを片手に私。
 スピンダ──環状線で乗るアレ──に乗って、島内観光──もとい、郵便配達。
 ふふふ、これはこれで、楽しいじゃないか。下水でスライムさんと戯れるなぞ、「ぎゃー!」と叫ぶ私と、「あっはっはー!」と笑うアルさんしか想像出来ないが、こっちは鼻歌でも出そうな雰囲気だ。あぶね、二層にあがるエレベーター、ここの尖塔だった。観光したのに、もう一周するところだったわ。
 ガイドマップを見ると、ここから二層に上がって、目的地の西区画はすぐそこらしい。えーと、まずはこの手紙を届けて、次に小包をやって、最後にこの小包でいけるかな。まあ、どの建物にもハウスナンバーが振ってあって、ガイドマップにも同じナンバーを娘さんに書いてもらったので、たぶん平気だろう。どうやら道ごとに番号が振ってあって、建物ごとに枝番があるらしい。
 ふんふんと、一件目。ドアをノックしてみたが応答はなく、留守のようなので、手紙は言われたとおりにドアの下から中に滑り込ませておいた。
 二件目。恰幅のいいおばさんに小包を届けると、ため息をはかれた。「ウチの旦那は、またろくでもない物を取り寄せたのかね」錬金術師なのだそうだ。
 三件目。こんこんとノックするも、音沙汰なく。これは留守かな? 小包だし、どうしようかな? と思案していると、がたがたっとドアの向こうで小さな物音がした。あれ? いる? と、もう一度ノック。
「すみません、お届け物なんですけどー?」
 声をかけると、がちゃりとドアが開き、
「うわ!」
 と、思わず声を上げてしまうほど顔が真っ赤な、明らかに病人な感じの人が顔を覗かせた。
「ああ、すみません……」
「だ、大丈夫ですか?」
 青年と言った感じのその人は、真っ赤な顔に、息も絶え絶えだ。大丈夫ですかってか、ダメっぽい……
「ああ、平気です……」
 平気ではなさそうだが……
「小包ですね、えーと、サインは……」
「ああ、ここに」
 割り印を打った紙の片方にサインをもらい、
「ええっと、なんか、具合悪いですか?」
 一応、聞く。
「ああ……何か、熱が……」
「大丈夫ですか? ええっと……知識の神様の神殿に行って、キュアしてもらったら……」
「いや、そんな、畏れ多い」
 んー……面倒くさいな、普通の人たちは。ウチの破戒神官なんて、二日酔いにキュア・ポイズンくらいの気楽さなのに……
 アルさんがいれば、ちゃちゃっとこの場で治してしまえそうなのだが、あいにくいない。
「あ、大丈夫です。寝ていれば治ります」
「そうですか……」
 まあ、今の私に出来るような事もなさそうだしな。と、辞そうとしたところで、
「あ、すみません。申し訳ないんですけど、郵便を届けてもらえませんか? 切手をつけておきますので、届けてもらえれば、報酬でますから」
 そう言って、その人はちょっとふらふらと、室内に戻っていった。
「はあ……」
 切手というシステムはよくわからなかったが、まあ、観光ついでのお届け物だ。引き受けよう。報酬もあるらしいし。

 と言うわけで、お届け先にやってきたのだが……なんともまあ……
「あの、手紙を届けにきました」
「聖堂第三分隊のネスから、隊長? なら、入って突き当たりの左が、第三分隊の詰め所だよ」
「どうも」
 と、するり。私は件の聖堂城へと、足を踏み入れたのだった。
 なんか……簡単に入れてしまったぞ、聖堂城。まあ、表ではなく、裏手側の、聖堂騎士団の入り口のようだが……
 言われたとおりに廊下を進み、左手のドアをノックする。反応がなかったので、「すみませんー」と、そろそろとドアをあけると、ちょうど奥からドアの向こうにあったカウンターに、一人の女性が小走りにやってきた所だった。
「ああ、すみません」
 と、カウンターの向こうへ言いつつ、手紙を乗せる。
「ネスさん? から、手紙を届けて欲しいと頼まれまして」
「ネスさんから? もしかして、ネスさんも具合悪そうでしたか?」
 手紙をためつすがめつ見つつ、女性は聞いてきた。うーん、も、と言うことは、心当たりがあるのだろうか。
「ええ、だいぶ……」
「隊長! ネスさんもダメみたいです!」
 と、女性は奥に向かって声を上げた。「なんだなんだ」「ネスもか」と、奥から騎士らしき武装した人たちが何人か出てきて、ネスさんの手紙を開き、回し読みをし始めた。
「困ったな」
 と、サーコートを着た壮年の騎士が頭をかいている。この人が隊長だろうか。まあ、武器を見た感じ、この中では一番腕がたちそうではあるが、アルさんなら木刀で軽くあしらえそうな感じに見える。隊長が聖堂騎士団でどの程度のレベルなのかはわからないが、この人たちをみる限り、聖堂騎士団のレベルはそんなに高くないのかも知れない。うん、強行突破も出来そうだ。しないけど。
「これはもう、タキにも出張ってもらうしか……」
「私ですか!? 無理ですよ!」
 と、先の受付のお姉さん。
「私、剣なんて握ったこともありませんし、神の声が聞こえるわけでもないんですよ!」
「いや、ただ立ち番するだけだ。何かあったときは、当然、我々が対処するし……」
 何か、不穏な雰囲気だな……そそくさとおいとまするのが、正解な気がする。
「あ、あの、なんか、切手があるから、届ければ報酬貰えるって──」
 お暇しようと切り出したが、
「そうですよ、こちらの方、冒険者のようですし、こちらの方にご依頼されてみては!?」
 なんだかしんないけど、やっぱりそうきたかー!?

 何故、私はサーコートをかぶって、干潟に立っているのでしょう。動力石の回収ですか? 「それなら、私がやっときますんで!」と、力強いお姉さん。「地元ですんで!」私は観光がしたかったのだが……
 傾きを始めた陽が、海の向こうへと落ちていく。そろそろ干潟の道は細くなって、まばらに人が通るだけになっている。あれが海に呑まれるまでがお仕事。立ちん坊。要するに、信者のみなさまが安全に海を渡るのを見守る、警備のような感じだ。
「すまないな、駆り出して」
 と、声をかけてきたのはこの第三分隊の隊長さん。たしか、ギィさん。
「ここのところ、原因不明の発熱で、隊員がことごとく現場に立てなくなっていてな」
「はあ」
 と、間抜けに返す。間抜けで結構。アルさんなら、「そんなやべー状態なら、原因究明が先じゃねーか?」とか言いそうなものだが、私は間抜けなので言わない。レイさん曰く、君子危うきに近寄らず。
「何かの、流行病なんですか?」
 さして興味はないが、隣に立った隊長さんが動かないので、聞いてみた。世間話世間話。
「ああ、病気なのかなんなのか、ちょっとわからなくてな。神官にキュア・ポイズンや、キュア・ディジーズを試してもらったんだが、どうにも、回復しない」
 ますますやべーじゃねーかと、脳内アルベルトが言う。
「そうですか」
 私、危うきに近づかない。
 キュア・ポイズンは、解毒の魔法だ。毒と判断した理由を突っ込みたいが、ぐっとこらえ──しかし、解毒に失敗したと言う事は、状況からしてそれは毒ではなかったのだろう。そもそもキュア・ポイズンよりも高位な、病気を治すキュア・ディジーズを使える神官が解毒を試みたのならば、それは解毒に失敗したのではなく、毒ではなかったと考える方が自然だ。まあ、病気の方はもしかしたら、キュア・ディジーズが実は失敗していた、という可能性も考えられるけれども……
 などと、ぼんやり考えつつ、まあ、私の知ったことではないなと、干潟をエル・トゥラに向かう人たちを、ぼーっと眺める作業に戻った。おや、あんなに小さい子どもを連れて歩くとか、大変だな。しかも裸足。
「お手伝いしましょうか?」
 近づき、年の頃は私とそう変わらないんじゃないかという、若いお母さんに声をかけた。
「荷物、持ちますよ?」
 せめて、その片手に持っている荷物を預かろう。そうすれば、そのお子さまも歩きやすかろう。うん。そしてそのまま町までご一緒し、引き上げたい。
「すみません」
 と、少々疲れた顔で返すお母さんから荷物を受け取り、
「あともうちょっとだよ」
 子どもに笑いかけると、ぐずり気味だったその表情が、ぱっと明るくなったような気がした。
 立派だなぁ。誰ぞに、爪の垢でも煎じて飲ましてやりたい。効果はイマイチだろうが……
 ともあれ、少し辺りの薄闇が強くなってきたなと思い、私はランタンに灯火石を入れて右手に持ち、二人に先導して歩いた。あれ? これ、経費でるのかな? まあ、灯火石くらいいいけど。
 足元を照らしつつ、二人と進む。えっちらおっちら、小さな足跡が、実に可愛らしい。
 うんうんと見ていると──何か、嫌な風が頬を撫でていった気がした。
 潮の香り──いや、その中に何か、少し刺激臭のような──薄闇の中に、微かに赤い紫の闇がある──靄!?
 咄嗟、私は腕で口と鼻を覆った。
 親子に視線を送ると、二人ははて? と、小首を傾げている。気づいていないのか? 息を止めさせるべきか? いや、子どもにそんな事、出来るのか? 押さえつけるか?
 遠くで、悲鳴が上がった。
 振り向くその先、靄が濃い。
 その向こうに、何かがいた。
 大きさは私の倍くらいの高さに、幅は、その数倍以上はあるか──なんだあれは!?
 何かが、こちらに向かって、何かをぷっと吐き出した。
 左手で逆手に剣を抜く。振り上げると同時に、大きく前へと踏み込む。
「ヴァルキーリア・スクード!」
 剣戟の閃光に、それは両断された。それは──白い、泡の塊だった。
「なん!?」
 なんで泡!? っていうか、なにあれ!?
「カタヅメ!?」
 駆け寄ってきた騎士団員が叫んでいた。
 その、巨大な蟹の化け物を、
「シマネキだ! 巡礼者を早く町へ!」
 そう呼び、慌ただしく動き出す。
 カタヅメだか、シマネキだかと呼ばれたそれは、巨大な蟹に見えた。というか、巨大な蟹だ。ぶくぶくと吹く泡が人を呑み込んでしまうくらいの大きさで、あろうことか、それは本当に幾人かの巡礼者を呑み込んでいた。
「なにあれ!?」
 走り寄ってきた隊長さんを捕まえ、聞く。
「シマネキだ!」
「それ、聞いた!」
「十年くらい前に、突如現れた魔物だったんだが……竜神様が退治してくださって、もう生き残りはいないと……あれは我々では手に負えん! 巡礼者を早く町へ!」
 なんだかよくわからないが、なにかとてもヤバい奴らしい。
「立てる!?」
 母子に声を投げかけ、立たせ、慌ただしく町へと駆け出す巡礼者と騎士団員の流れの中へ──
「靄!?」
 潮風に流れてきたそれに、振り返る。
 蟹の腹、そのふんどしのような部分から、ぶしゅうという音を立てそうな勢いで、赤紫色の煙が吐き出されていた。つんとする刺激臭。これはヤバい奴に違いない。この靄で、毒を疑ったのに違いない。いや、毒ではないらしいが、明らかにヤバい気配がぎゅんぎゅんする!
 煙に巻かれた巡礼者と、何人かの騎士団員たちが、もんどりうって干潟に倒れ込んでいた。「ううっ」とうめき、顔が一気に赤く熱を持ったようになって動けなくなっている。まずい。左手に逆手に持っていた剣を右手に持ち直し──
「よせ! シマネキは、我々の手には負えない!」
 私の肩を、隊長がぐっと押さえつけた。
「え!?」
「前の時は、たったの一匹で、百人以上もの死者を出したと聞く! しかも、あんな毒霧を吐くなんて、聞いていない! 逃げるんだ!」
「いや、なん──」
 悲鳴。
 振り向くと、蟹が吐き出した泡に、巡礼者、騎士団員達が呑み込まれていた。泡の中で、皆が必死の形相で叫んでいる。声は聞こえない。届かない。もがき、抜け出そうと、懸命にそれを内側から叩いているその姿が、目の前に見える。
「あれを見捨てるの!?」
「一人でも多く助けるのが、最優先だ!」
 なにを──!?
「泡の中の人は、まだ死んでない!」
 あれはたぶん、靄で動きを鈍らせるか何かをして、泡でとらえてから捕食するとか、なんかそんな感じのやつだろう。たぶん。いや、今はそんな分析、どうでもいい。
「一人でも多く助けるんなら」
 そうだ。
 だから私は、言った。
「アレを倒しちゃうのが、一番でしょうが!」

 剣を構え、私は駆けた。
 そして巨大な蟹の、巨大な爪の射程に入ろうかというところで、
「レイ・スティンガー!」
 距離を、閃光となって突き詰め、巨体を剣先で弾き飛ばした。ずどん! と、猛烈な空気を揺らす音が響いて、潮を舞わせながら蟹が干潟から押し出される。
「動ける人! 泡、壊して!」
 言い、近くにあった泡に向かって剣を振るう。が、それはまるで金属を叩いたかのように、がっつん! と派手な音を立てるだけで、傷一つついた風には見えなかった。
「かたっ!? なにこれ!?」
 何で出来ているのか知らないが、私の剣でこれだと、騎士団員の剣で歯が立つとは思えない。
「ここは任せる!」
 ともあれ、蟹だ! と、私は海から再び干潟に上がってこようとする蟹に向かって躍り込んだ。
 振り上げた、片方だけ異様に大きな爪を、蟹は私の頭上から振り下ろしてくる。そんなに速くはない。かわして、カウンターを叩き込んでやると剣を引いたが、ばすんと蟹が振り下ろした爪が干潟の泥を巻き上げ、私の身体を打った。バランスを崩した所で足を取られ、思わず尻餅をつく。
「やば!」
 二撃目の爪が振り下ろされてくるのを、ごろんと転がり、なんとかかわした。やっべぇ! やりにくい! っていうか、泥だらけじゃんか!
 ぱっと飛び起き、体勢を立て直した。蟹が突き出してくる左右の爪を、剣の切っ先でいなしながら距離を取り──さて、どうしたもんかな。
 背後の喧騒は、収まる気配はない。ってか、加勢もこない……まあ、あんまり期待してもな。
「彼女が時間を稼いでくれている間に、巡礼者たちを町へ!」
 と、隊長さんは声を上げていた。
 ふーむ……困ったな。と、大きく飛び退き、間合いを取る。しかし……あんまり下がり過ぎると、後ろには泡に捕らわれた人たちがいるし、今もなんか、背中に視線を感じるし……困っちゃったなぁ。
 へへっと、私は何故か笑ってしまって、泥だらけの手で、隠すように口元を拭っていた。
 そして──飛び込む。
「セプト・エトワール!」
 飛び込み、神速の七連撃。
 固そうな甲羅を避け、関節部分にねじ込むように撃ちつける。
 ばばっと、水しぶきのような体液を舞い散らせ、最後の一撃で、それごと蟹の巨体を吹き飛ばす。
「どうだ!?」
 七発、すべて入った。流石に固い甲羅で守られているとはいえ、節足部への攻撃は確かに手応えがあった。押し込めば行けそうだ。が、
「いや……マジか……」
 動きを止めた蟹は、ぶくぶくと泡を吐いていた。その、私が攻撃を与えた間接の、至る所を覆うように、ぶくぶくと、だ。
 で──あろうことか、その泡は傷口をみるみるうちに再生させていくではないか。
「リジェネレーション……とか言うんだっけね」
 私の嫌いなスライムさんなんかにもあったが、攻撃を与えた端から、どんどん再生していくという、実に厄介な能力だ。弱点は、再生しづらい鈍器なんかでの殴打だが……手持ちのスキレットでは、あの甲羅は貫けないだろうなぁ。
「さて、困った」
 とてもとても、相性が悪い。とは言え──
「ここで下がれば、乙女がすたる!」
 三度、飛び込む。
 クロス・アンド・ピアースから、セプト・エトワール。連撃を浴びせかけ、干潟の向こうへと押し込んで行く。諦めて、逃げてくれればめっけもの。とにかく押す! 乙女なら、押して押して押しまくる! のみ!
「潮がくるぞ!」
 背後から、声がした。
「ふぁ!?」
 なにごとか。
 ざざざざざーっと、ものすごい音とともに、波が押し寄せて来ていた。なんと、小さいながらも、それは引かない波だった。どういうこと!? と思う間もなく、それは私の足をすくい上げ、もの凄い力で私を転倒させた。
「がっは!」
 浅瀬で溺れる!? はっとして顔を上げると、頭上、蟹の爪が振り下ろされてくる。なんとか身体をひねり、海の中を転がるようにして、がぼがぼがぼと、それをかわす。耳元を、泡をまとった巨大な爪が、猛烈な勢いでかすめていった。
「ぷっは!」
 顔を出し、剣の握りを確かめ、蟹の位置を──横薙ぎに、巨大な爪が波しぶきを上げて迫ってくる!?
 剣を立て、私はそれをなんとか受けた。しかし、その強烈なすくい上げるような一撃に、私はそのまま宙に向かって巻き上げられていた。さっきまでとは、威力が全然違う!? 急に動きもよくなったし──満潮のせいか!?
 蟹が腹のふんどしから、空中の私に向かって、例の赤紫の靄を吹き付けてきた。この靄はなんだか知らないが、ヤバいやつだ。口元と鼻を何とか腕で押さえるが、突然、身体がぐんっと重くなった。
「んぎ!?」
 声にならない声が漏れ、身体の自由が利かなくなり、私は海に落ちた。ヤバい、起きあがれない。溺れ死ぬ!?
 立てば、膝丈もないような浅瀬なのに、潮の流れに翻弄され、動かない身体を波にごろごろ転がし回される。毒じゃないのか!? 病気にしたって、こんな即座に!?
 なんとか海面に顔を出し、息も絶え絶え、蟹の行方を目で追った。蟹は、やっかいな私は後回しにするつもりか、はたまた、もはやほっといても死ぬだろうとふんだか、私を無視し、町の方へと歩き出し始めていた。
「急げ! 潮か満ちてきたぞ!」
「シマネキがくる! 門を閉めろ!」
 騎士団員たちの上げる声に、泡に閉じ込められた人たちが必死の形相で口を開き、それを内側から叩いていた。声は届かない。密閉されたあれは、音も水を通さないようだ。しかし海に呑まれれば、あの強度とは言え、長くは保たないかもしれない。蟹は、一人でも多く捕まえようと言うのか、ぶしゅうぶしゅうと、靄と泡を交互に吐き出しながら進んでいる。
 どうやらそろそろ、本気で覚悟を決めないといけないらしいな……
 残された時間は少ない。この状況を打破する為には──仕方あるまい!
 私はベルトポーチに手を突っ込むと、そこから取れるだけ沢山の錬成石を取り出した。怪我らしい怪我はないのに、キュア・ウーンズなんかを閉じ込めた錬成石もあったが──緊急事態だ! かまうことはない! と、握りこんだそれを、迷うことなく剣の柄で叩き、闇雲に発動させていった。
 ふっと、身体が軽くなる。何かが効いた。なんだ?──リムーブ・カースの錬成石。こいつ、呪いだったのか!
 そして軽くなった身体に、さらにぶわっと力がみなぎってくる。どうやら、虎の子のフィジカル・エンチャント系の何かも割ったようだ。足に力を入れると、潮の力をものともせず、しっかりと立ち上がれた。しかも、それ以上に足が軽い。フェザー・ステップか何かの錬成石も割ったっぽいな……右手の愛剣の輝きも、僅かに強まっているようだし、この不思議な高揚感は、たぶん、ファナティシズムの錬成石を割ったのに違いあるまい。
「さあて……」
 思わず笑ってしまって、口許を拭った。
「ミスリル銀貨、何枚分かな!?」
 経費経費だ!──と、私は駆けた。
 そして矢のような速さで蟹の前面に回り込み、
「セプト・エトワール!」
 軸足の回転に波しぶきを舞わせながら、七連撃をそこに叩き込んだ。
 ぐわっと仰け反った蟹の動きが、スローモーションのように見えた。いける。身体が驚くほど軽い。蟹は仰け反った姿勢のまま、再び腹から赤紫の靄を吐く。しかし、呪いとわかっていれば怖くはない。──防ぎようがないからな!
 手首を返し、靄を散らしながら、私は突きを連打で撃ち放った。剣閃が宙を舞い、踊る。
 身体は軽いままだ。むしろ、加速していくような気すらする。呪いは、今の私には効果を与えられなかったようだ。蟹は狼狽えたか、振り上げていた両の爪をむやみやたらと振り回し、泡とともに私を狙ってきた。が、巻き上がった水滴の一粒すらこの目で確かに捉える事の出来る今の私には、そんな攻撃では、かすり傷ひとつ与えられない。
 泡の一撃を、私は左足を軸に回転してかわす。
 回転に、ふわりと舞った髪の毛の一本すら、今の私には、確かに感じられる気がした。
 いける──渦巻く飛沫を裂いた愛剣の閃光を、私は目の高さに水平に引き絞る。直立の半身、剣先の指す一点、その先を見据え──踊る髪が凪いだその瞬間──一拍。
 静止した時の中から、私は剣を突き出した。
「ラ・ロンド・フルーレ!」
 高速の剣閃。剣の舞。
 怒涛の十六連撃。
 踊るような足取りから繰り出される剣閃に、風と飛沫が添い、舞う。
 そして最後の一撃を、蟹の正中線の下から真っ直ぐに振り抜き──どおん! と、飛沫を舞わせ、波間の向こうへと、それを吹き飛ばした。
 風が渦巻き、飛沫が舞う。
 余韻がもたらす静寂の中、それは波間の向こうで弾け、光の粒子となって、消えていった。

「これは一体、どうしたことだ?」
 と、下層の宿に戻ってきたアルさん。私に向かって、聞く。
「ええとだな……」
 どう説明したものかな? とりあえず、今行われているのは、
「祝勝会だって」
「いや、そんなことは聞いてねぇ」
 ですよねー。
 まあ、ともかく。
 とにもかくにも、これまでの経緯を説明するとだ。なんやかんやあって蟹と戦うことになった私が、なんやかんやあってそれに勝利すると、そりゃあもうみなさん大興奮で、「勇者様だ!」「聖女様!」「竜神様が、新たな聖女様を遣わせてくださったのだ!」とかなんとか。まあ、大変なことになってだな。潮が満ちる前に、なんとか全員を助け出し、はぁ疲れた疲れたと、さて、詰め所に戻るかなとなったら、今度は軽い聖者の行進状態になってしまったりしてだな……
「あ、聖女様、ウチの子の頭をなでてやってもらえますか? 聖女様のように、強い子になりますようにと」
「あー……はい。よしよし」
 うん。まだ目すら開いてないから、絶対覚えてないだろうな、この子。
「つまり──?」
 つまりか。つまりだな、なんだか大変なことに、
「どうしよう、私、今度は聖女様になってしまったみたいだ」
「おう、そのすっげぇ真面目な顔が、全く困った風には見えない」
「まあ、実際、やってしまったな、という以上の感想はないです。あ、祝勝会は騎士団の方でお金を出してくれるそうなんで、飲み食いはお好きにどうぞ」
「マジか!」
「ただし、後で助けてくださいー!?」
「嫌です! あ、とっておきのビールくださーい!」
「なるほど、理解しました」
 と、レイさんがテーブルに着きながら言った。
「騎士団員や、店の前でちらちらこちらを見ている皆さんに聞き取りをした結果、わかったことは──あ、私もビールもらっていいですか?」
「何とかしてくれるなら」
「すみませーん、とっておきのビール!」
「つまり?」
「つまり」
 レイさんは言った。
「なんと、勇者ちゃん、このシナリオの中ボスを、シナリオが始まる前に撃退してしまいました」
「そういうとこだぞ?」
「どこだよ」
「っていうか、蟹ですよね? シマネキでしたっけ?」
「ああ、それそれ」
「郵便配達してたんじゃ?」
「うん、いろいろあって。気づいたらこうなっていた」
「シマネキ、すげー防御力だから、普通に攻撃通らないんじゃねーの?」
 と、こちらも聞き込みから戻ってきてテーブルについたダガーさん。
「あ、オレもビールもらうな?」
「どうぞ。何とかしてくれるなら」
「おう、ちゃんと後で噂を流しとく。聖女様ではなく、勇者ちゃんだぞって」
「違うよ!? 違うからね、ダガーさん!?」
「何、蟹モンスター?」
「ですね」
 運ばれてきたビールを回しつつ、アルさん、レイさん。
「まあ、ぶっちゃけ、本来ならここで作るミスリル武器で、初めてダメージが通るような敵なんですが……しかも、リジェネするはずなんですがねぇ……倒せちゃうのかぁ」
「その件に関して、ご報告があります」
「その真面目な表情が、聞きたくない」
「愛剣が折れました。すみません」
 腰から逆手で抜いた我が愛剣は、残念なことに、真ん中辺りでぼっきりと折れ、ショートソードくらいの長さになっていた。
「ちょっと、何してくれちゃってんのぉぉお!?」
「ちなみに剣先は、どっかいった」
「わあ、武器破損ですか。なるほど。まあ、そうなりますよね。ダメージ与えられるILじゃないですし」
「ちょっと、お前、それ、テネロパで+7強化した奴じゃねーか! いくらかかってると思ってんだよ!?」
「んなこと言ったってー!」
 折れちまったもんはー!
「ちょっと、まて」
 ぐいと、言い争いゴングな感じのアルさんの肩を押さえ、レイさんが止めた。
「アルさん、あなた、今、ぷらすななとか言いましたか?」
「そうだよ! せっかく強化したのに!」
「おー、すげぇな」
 ビールを受け取りつつ、ダガーさんは目を丸くしている。
「7ってことは、IL65以上あったのか? そりゃあ、ダメージでるわな」
「アルさん……」
 レイさん、何か、不思議な笑顔。
「テネロパでミスリル強化が出来るようになるには、レベル45のクエストをクリアした後ですが? 普通、順番的には、ここでミスリル武器を作れるようになってから、そのクエストをやるんですが?」
「え? そうなの? ミスリル加工出来ねーかなって、テネロパ行ったら、クエストあったけどレベル足りねーから、わざわざあげてやっちゃったよ」
「目の前にクエストがあると、やらずにはいられないタイプの人だったー!?」
「おい、アル。お前ら、今レベルいくつよ?」
「47。二人とも」
「まだアップデート1にも差し掛かってないのに、もうすぐレベルキャップー!?」
「オメー、オレよりたけーじゃねーか。オレ、もうアップデート1前の最終シナリオやってんぞ?」
「マジか、雑魚め」
「うるせぇ死ね、ウスノロ」
 ふーう……やれやれ。な所へ、
「やれやれですね~」
 と、エルさんもやってきた。
「ビールでいいか?」
「ええ、それで~」
 と、テーブルにつく。
「あ、エルさん、さっきの……」
「ああー、ちゃんとやってきましたよ~、大丈夫です~。まあ、それがシナリオにどう影響するのかは、全くわかりませんが~」
 おお、さすがエル様。仕事が速い。
「なんの話だ?」
 ビールを口に運びつつのアルさんに返す。
「ああ、その蟹がね。なんか、呪いがかかる煙を吐くんだけど、それで呪われちゃった人がいるから、エルさんに解呪を」
「ほう」
「それですよ!」
 はっと、レイさん。どれですか?
「そう、あれは呪いを吐いたはず! よく呪いと気づけましたね! というか、よくかかりませんでしたね!」
「リムーブ・カースの錬成石を割った」
「なんでそんな、マニアックな石を持っているんですか? こくびかくん。っていうか、よく売ってましたね?」
「この人が作った」
「おう、俺が作った。ってか、あれ、石だけでも高レベルだから、割とたけーんだぞ? 無駄遣いすんなよ」
「あなたレベル……ああ、47でしたか……そうですね……使えますね……」
 いやあ、何故かレイさんが気落ちしているぞ。まあ、それはともかく、この流れなら言える。というか、言ってしまおう。むしろ、今しかない。
「あと、キュア・ポイズンと、ディジーズと、フィジカルエンチャント・ストレングス、ファナティシズムにエンチャント──」
 指折り数えていると、
「なんでー!?」
「ドーピングアタックー!?」
 アルさん、レイさんが絶叫していた。
 ま、まあ……悪いとは思ってる。よ? 思ってる。ミスリル大銀貨くらいはいったんじゃないかなー? とは、思っているよ?
 だが、人助けなので、アルベルトー! 貴様の無駄遣いとは、一線を画すのだー!
 ……言わないけれど。

「ちょっといいだろうか」
 と、夜も深くなり、祝勝会と言う名のタダ酒を貰う会、もしくは、騎士団員の皆さんや町の皆さんに聖女様とおだてられ続けてしまう会も、三々五々、皆が家路につきだしてお開きかな? といった時分、私たちのテーブルへと、隊長のギィさんがやってきて、声をかけてきた。
「どうぞどうぞ」
 と、レイさん。ちなみに、すでにエルさんとダガーさんはいない。
「そろそろ店、閉めたいんだけど?」
 と、こちらは私たちのテーブルの隣、頬杖をついて座っている娘さん。
「あのね、お代を払ってくれるのはいいけど、とっておきのビールも、もう冷えたのはないわよ?」
「ああ、お気になさらず。私はエールでもかまいませんので」
「おつまみほしいんだけど、何かある?」
「ねぇわよ」
「仕方ない……石でも食うか」
「保存食用の干し肉なら、出してあげるわよ」
「せめて、あぶって」
「ご注文、ありがとうございまーす」
 おざなりに返し、ため息混じりにカウンターに向かう娘さん。いやあ、私たちの扱い、早くもわかってきてんなー。
 ともあれ、
「今回の件だが」
 と、ギィさんは続けた。
「本当に、聖女様には、なんとお礼を申し上げればよいか……」
「聖女様」
「私を指差さない」
 失礼すぎる。
 いや、なんにしても、だ。
「あの、私は別に、聖女とか、そういうんじゃないんで。あの、ただの冒険者ですから……」
 弁明しようとすると、ギィさんは、はて? と首を傾げて言った。
「正義と秩序の神の聖女、勇者様とお聞きしましたが──」
「ダガーさんっ!?」
「まあ、二つ名は勝手に増えるものです」
 ぐびぐびレイさん。
「いいじゃないですか。どっちにしろ、この町で名を売る必要があったのです」
「あ、そういや、そうだったな。何のためにだったのかは、まったく覚えてないが」
「その方が、面白いからじゃないですかね?」
「なるほど」
「ちげーよ」
 多分、半分くらいは本気で、半分くらいは当初の目的を忘れつつあるな、このふたり。いい加減、飲みすぎではないだろうか?
 そんな私たちに向け、ギィさんは続けた。
 そういやそうだと、アルさんが膝を叩くような事を。
「今回の件、教会の上層部へ報告し、是非とも皆さんに、聖堂城へ上がって頂きたいと思うのです」

 竜の住まう聖地、エル・トゥラ。
 この町では今、ちょっとした郵便配達員が話題になっている。
 なんでも、古の知識と教養の神の敬虔なる信徒である巡礼者たちを、恐ろしい海の魔物から身を挺して守り、聖女として竜神様に認められたという美しき勇者様が、世を忍ぶ仮の姿として、その郵便配達員をしているというのだ。
「へぇ、そうなんですか。しりません」
 ええ、そんな人は知りません。行く先々で聞かれましても、知りませんとも。
 騎士団の隊長、ギィさんが下層の宿にやってきたのは、そんな質問を私が聞き飽きて、そろそろ辟易しだした頃だった。
「聖堂城の司祭様と、謁見の手はずが整いました。大々的にではありませんが、竜神様より洗礼もございます」
「え? 俺、月と旅人の女神の信者だから、洗礼はうけられねーぞ?」
「私も、神様とかは別にいい」
 そんなことをしたら、本当に聖女様にされてしまう……
「あ、でも、竜とは話してみたいから、会ってはみたい」
「あー」
 竜なんて、見たこともないし、せっかくだから、会えるものなら会ってみたい。聖女様は、謁見を希望する!
「いえ……竜神様とお会いできるかは、確約は出来ませんが……そのように伝えておきます。では、当日は、私がお迎えにあがりますので……」
「え? いいよ。歩いていくし」
「その方が早いし」
「え? いやしかし……」
 ギィさんはうろたえたが、まあ、私たちとしては、だ。
「いや、正直、そういうのはめんどくさい」
 我が相棒と、その辺の意志疎通はバッチリだ。
 そんなこんなで、その翌日。
 私たちは聖堂城の正面から、騎士団員達に囲まれ、竜の住まう聖地、エル・トゥラの中心。古代の魔力の塔を拡張して作られた信仰の場、通称、聖堂城へと入ったのだった。

「竜の神に、感謝をいたします……」
 と、司祭様は肩からかかったたすきのような奴を、おなかのところでふわりと押さえながら、頭を垂れた。あわわっと、あわてて真似る。あれ? これ、真似なくていいやつ? よくわかんない。
 通された聖堂にて、なにやらいろんなお祈りやらなんやらの儀式が始まってしまい、えー? そういうのはいいんだけど……とも、今更いえず、仕方なく付き合うこと、半刻ほど。
 やっとこ、一通りの儀式が終わったらしく、司祭様は一つ咳払いをして、言った。
「この度は、我らの信徒をお守りいただき、感謝の言葉もありません」
 間。
 あれ? 普段なら何か言いそうなアルさんが、なんの反応しない? あれ? と見ると、
「いや、俺はなんもしてねーし、これ全部、勇者ちゃん向けの話だから」
「いえ、そういう律儀さはいらないので、後生ですから、お願いします」
 こいつ、傍観者モードだった。
 付き添いくらいの感じだった。いやいややめて? ただでさえ、私とあなたしかいないというのに……エル様さえいてくれたら、何もかもが万事うまく行く気がするのに……最悪、左手で。いやまあともかく、みんなは昨日から見ていないので、今日もいない。
「ええっと……」
 アルさんはちょっと首を倒しながら、言った。
「まあ、皆を助けたのは、成り行きというか、仕方なくというかですけど、感謝の言葉は、素直に受け取っておきます。と、申しております」
「もうしておりません」
「なお、その際に高価なアイテムをバンバン使ってしまったので、経費申請できますか? とも、申しております」
 もうしておりませんが、出来ますか? ダメですか。そうですか。
「まあ、それはともかく、我々がここに訪れたのには、他でもない理由があるので、その辺りの話をさせてもらいたい」
 そう、本題。
「ここ、エル・トゥラは、今では、世界で最も錬金術研究が進んでいると聞いている。実は、我々はなんやかんやあって、大量のミスリル銀を持っているのだが、それを加工する術がなく、それを加工できる錬金術師を探しているのだ」
「ミスリル銀というと、銀のようになめらかで、鋼のように硬く、白銀に輝くという、あれですか?」
「そう、それ。でも、普通に加工したんじゃ、鋼のように硬いだけだから、鋼でいいじゃんって、テネロパで言われたそれ」
 あれは、衝撃だったなあ……そりゃあそうだよね。ミスリル一握りで、オーダーメイドのフルプレートを買ってお釣りがくるのに、防具としては、そんなに変わんないという……加工のしやすさから、ミスリルの方が装飾には凝れるけれど、別にそういうのは求めてないし……あ、ミスリルのが軽いっていうのはあるか。なんにせよ、
「なんか、錬金術加工かなんかをすれば、本当にミスリルでしか作れないような、強力な武具が作れるらしいから、そういうのが出来る人材を紹介してほしいわけだ」
 多少の身振りを交えつつアルさんがいうと、「そうですね……」と、司祭様は少し考えるような間をおいて、返した。
「では、まずは寄進を……」
「え? やだよ」
 即答だったな!
「このランサ自治区は──」
 聞こえてない訳ではなかろうが、司祭様は続ける。
「このランサ自治区は、信者からの寄進で成り立っています。巡礼路を巡り、ここへたどり着いたのならば、是非」
「……知識の神だよな?」
「私に聞かない」
「なんでしたら、修道会に入っていただくというのも……」
「あ、俺、神様違うんで」
「特に勇者様など……」
「私もそういうのはちょっと……いろいろあるんで」
 正義と秩序の方だけでも、ちょっとめんどくさいのに、なんやかんやで面倒ごとを増やしたくはない。
「あ、でも、竜には会ってみたい」
 アルさん、欲望の赴くままに口にする。
「いえ、流石にそれは信者であっても……なかなか出来ることでは……」
「聖女様」
「え? やだよ」
 即答。
「ふむ……」
 と唸って、アルさんは右手の人差し指で宙をつつきつつ、言っていた。
「まあ、それはそれとして、ミスリルについて、詳しい錬金術師を紹介してほしい。こちらからは、ミスリルの提供と、それにまつわる錬金術研究の知識を提供するよ」
「なるほど。知識ですか」
「古の知識と教養の神にとって、これ以上の寄進はないだろ?」
 言って、悪者っぽく、アルさんは笑っていた。

 聖堂城は、島の中心に立つ魔力の塔をぐるっと囲うように増築された城をベースに、改築されている。
 レイさん曰く、「変態建築」だそうで、城内の見所は、なんとか式とかんとか式の柱が一緒にある部屋だとか、実はここでは希少な木材で作られた秘密の小部屋だとか、小竜が居眠りするために作られた、入り口のないバルコニーだとか──なんかいろいろあるそうなのだが、私的には一番の衝撃は、正面入り口のあるフロアがグランドフロアで、その上が、10階という謎階層だ。
 ちなみに町の上層、下層の単位でいうと、正面入り口は上層四層にあるので、もう、なにがなにやら訳が分からない。
 そんなこんなで、今、私はどこにいるのでしょう。聖堂城の階数でいうと、四階らしいですが、廊下の向こうは、すぐ海です。町の下層よりも低いかもしれません。正面入り口に戻れる自信は、まったくありません。
「えーと、こっちでしたかね?」
 変態建築を案内するのはレイさん。
「勇者ちゃんは、迷子にならないでくださいね~」
 とは、合流したエルさん。大丈夫。みんなが視界にいる限りは迷わない。見えなくなったらお察しください。
「ここかな?」
 大きめの木製ドアの前で、アルさんが言った。潮風にだいぶん痛んだ感じのそのドアを、コンコンとノックし、
「すんませーん。司祭様の紹介で来たんですけどー」
 言って、がちゃり。躊躇ないな。
 ぎいとドアを開けて中にはいると、中は思ったよりも広く、実に研究室らしい造りになっていた。
 中央に、大きな作業台のようなテーブル。壁にはコルクのボードがぶら下がっていて、紙の書類がいくつもピンで留められている。天井と、壁際にはいくつか灯火炉がおかれていて、窓のないその部屋の中を、明るく照らしていた。
 さて、そしてその部屋には、
「誰もいねぇ」
 のでした。
「ドア、開いてたのに」
 つぶやき、部屋を見回す。人がいた気配はあるが……はて、外出だろうか。と首をひねっていると、
「あれ? お客さん?」
 と、背後から声がかけられた。
 振り向くとそこに、青年が三人。
「何かご用ですか?」
 という台詞から察するに、この部屋の所有者だろうか。
「ああ」
 と、アルさんは身体ごと振り向いて、言った。
「司祭様に、ミスリル銀の研究をしている錬金術師を紹介してくれって頼んだら、ここに行けと言われて、来たんだ。ここの錬金術師?」
「僕らですか?」
 と言いつつ、「まぁ、どうぞ、中へ」と、青年は部屋の中へ進んでいく。
「いやまあ、確かに僕らの専門はミスリル銀などの鉱石系ですが……僕らなんかよりも、もっと高位の錬金術師の方の方が、詳しいんじゃないですかね」
「マジか。期待してきたんだが?」
 促されるまま部屋に入りつつ、アルさん。本当か?
 青年は中央のテーブルの周りに乱雑に並べられていた椅子を、私たちの人数分、そろえて並べると、その向かい側に座りつつ、「まぁ、どうぞ」と私たちを促した。ではではと、席に着くのは私、アルさん、エルさん。レイさんは壁の書類をふむふむと眺めながら、「あー、これ、当時は全然気にしてなかったですが、ちゃんとミスリル研究に関する実験ノートになっているんですねぇ」等と呟いていて、「え? わかるんですか?」と、他の二人の青年たちと何やら話し始めていた。なお、私にはミミズののたくったようなその文字は、まったく読めない。古代語ではなさそうだが。
「アル・フロイスと言います」
 テーブルの向かいに座った青年は、そう名乗った。
「お、アルっていうのか」
 と、こちらのアル。
「実に不安な名前だな」
 自分で言うかね。
 ハテナ顔の青年、アルさんに私は、
「ああ、この人は、アルベルト・ミラルスと言って、私たちはアルさんと呼んでいるんです」
「ああ」
 青年アルさんは少し目を丸くして、笑った。
「奇遇ですね。よろしく」
「では、今からお前はアルフな」
「は?」
 とは、私。
「何を初対面の人に」
「いや、だって、わかりづれーじゃん」
「茶色い宇宙人ですね、わかります」
 遠くからレイさん。
「ロイヤルブラウンだろ!」
 何故か怒るアルさん。
「すみません、アルフわかりません」
 不思議に謝るエルさん。
 青年アルさん改め、アルフさんは、「はは、かまいませんよ」と笑っていた。いい人だ……
「まずは、自己紹介ですかね」
 と、アルフさんは、
「あっちの、髪の短い方がコニー。長い方がジェフリー。ジェフはすみません、目が悪いのでちょっと目つきが悪いですけど、悪意があるわけではないので」
「ひどいぞ、アルフ」
「早速かよ」
 と、三人、笑い合う。仲よさそうな三人組だ。
 レイさんが戻ってきて席に着くと、他の二人も、向かい側の席に着いた。
「ところで、鍵が開いていたから勝手に入ろうとしちゃったけど」
 と、アルさんは続けた。
「ここって、もしかして、鍵ない?」
「なくはないですけど」
 アルフさんは返した。
「まぁ、この研究室に来る人なんていませんので、特に鍵をかけたりはしていませんね。巡礼者の方がこんなところまで来ることはありませんし、聖堂城の錬金術師達が、わざわざ来ることもありませんし……」
「ちょっと遅めの、朝食をとりに出ただけですしね」
 と、コニーさん。
「特に取られるようなものもありませんしね」
「えー、これ、ミスリル盗まれるイベントとかねぇだろうな」
「私に尋ねられても、お答えしませんよ。っていうか、仮にあったとしても、すでにイベント順序狂ってるんで、私にはわかりませんが」
 ひそひそでもないひそひそ話な、アルさんレイさん。いやしかし、鍵はかけた方がいいんじゃないかな……少なくとも、
「ま、いいか。じゃあまぁ、とりあえず──」
 と、マジックバックの中から、一本、二本……と、机の上に並べられていくインゴッドの価値からすると、鍵くらいじゃ怖いくらいだ。
 並べられるインゴッド。その数、十二。
 さすがに眼前の三人は、目を丸くしていた。
「あれ? インゴッドって、全部で二十個くらいになりませんでしたっけ?」
 さらりというのはレイさんだ。
「ランダムでしたっけね?」
「ああ、いや、八個はテネロパで、強化に使っちゃったから」
「もったいねぇ! フルプレート作れる!?」
「着ねぇし」
「あ、あの……これはもしかして……」
 と、アルフさんは声を震わせていた。
「さ、触ってもいいですか?」
 不安そうに聞くのはジェフさんだ。
「どうぞどうぞ」
 ちょっと苦笑気味に、私は返した。まぁ、これが普通の反応だよなぁ……
 そして三人はそれを手にして、ためつすがめつ、ひとしきり確認し、
「こ、これ、もしかして、本物のミスリルですか……?」
「おう、まごうとのなき、純ミスリルだ」
 ど、アルさん。
 コニーさん、ジェフさんは、未だ信じられないのか、ガラス板のような丸い何かを翳して覗き込んだり、指で叩いたりしている。まあ、そうだよねぇ……と、目を細めている私の前、アルフさんは二人を横目にしながら、聞いていた。
「こ、こんなに大量のミスリル……しかもインゴッドになっているなんて……どこでこれを……」
「インゴッドは、テネロパっていう鍛冶師がいっぱいいる街で加工してもらったんだが、まぁ、ミスリルそのものは……なんだ、錬成したって言ってもいいのかな?」
「ミスリルの錬成!?」
 ぐわと、三人が身を乗り出す。おおぅと気後れして身を引くアルさん、私。
「ミスリルの錬成なんて、そんな……どうやって!?」
「あれ? ミスリルの錬成って、錬金術師でも、普通は知らない?」
「ええ、知りません。トマスさんはああ見えて、アルブレスト最後の錬金術師と言うだけあって、実は、超有能だったのです」
 マジか。しかしレイさん、会ったこともないのにトマスさんの事を知ってんのか。実は超有名人なのか、トマスさん。
 ともあれ、
「アルブレスト!? 伝説の錬金術師の町ですか!?」
 と、興奮気味なのはアルフさんだ。
「まさか、ご存じなのですか!?」
「ああ、知ってはいるけど、もう誰も住んでねぇよ。ちょっといろいろあって、そこでこのミスリルを手に入れたんだ」
「はー」
 と、関心しきり。
「すごいな……アルブレストか……一度は行ってみたいところだ……」
「え? 行く?」
「はい?」
「鍵石に登録されているから、行こうと思えば行けるぞ。別に何もねぇし、ゴーレムさんもトマスが連れてちゃったから、本当に誰もいねーけどな」
 と、鍵石を取り出し、テーブルに置く。と、
「鍵石!?」
「門石が登録されている!?」
「鍵石なんて、始めて見た!?」
 三人、びっくりして目を丸くした。
「……大丈夫なのか、こいつら」
 アルさんは、レイさんに向かって苦笑していた。
「はっはっはー、実に不安ですねぇ……しかし、他に頼るものもないので、仕方ありませんねぇ」
「マジかよ、ひっでぇな」
 苦笑気味ではあったが、アルさんはちょっと、楽しそうにも見えた。

「ふむふむ……」
 と、アルフコニージェフの三人は、子細にミスリルを確認している。
 よくわからない筒状のなんかをミスリルに当てて覗き込んだり、ナイフのようなものでインゴッドをちょっと削って、不思議な薬品をかけたりなんだりして、なんだか私にはよくわからないことをいろいろとやって、
「間違いなく、純ミスリルですね……」
 と、ため息交じりに呟いたのだった。
「おう。さすがに鍵を新調した方がいいなと思ったか?」
 にやにや、アルさん。
「なんなら、ミスリルで錠前でも作るか?」
「それ、錠前ごと盗んだ方が早そうですね」
 レイさん。そういう話ではない。
「うーん……」
 と、アルフさんは唸っていた。
「これを武具に加工したいと、そういう話でしたね」
「おう」
 居住まいを正し、アルさんは続けた。
「知り合いの鍛冶師に聞いたところ、そのままだと、銀と同じようにうまいこと加工はできるが、武器としては鋼にも劣るらしくてな。なんでも、古代の錬金術師は、ミスリルに特殊な加工を施して、強力な武具を生み出していたそうなんだが、その技術はもはや失われていて、誰も知らんという話らしい」
「ミスリル加工ですか……」
 ふうむと唸るアルフさんに、
「アルフ、これだけの量があれば、仮説を片っ端から試してみても、十分な量じゃないか?」
 と、コニーさん。それにジェフさんも続く。
「いや、とは言え、純ミスリルだろ? 合金から試した方が、結果的に早いんじゃないだろうか?」
「武器なら、ブレード加工という手もあるが……」
「あ、それは試した」
 軽く言うアルさんに、
「え? 試したんですか!?」
 三人、ものすごい反応。
「お、おう……」
「いえね、アルさん……」
 ため息交じりに、レイさんが天を仰いでいた。
「それ、テネロパのブレード加工の事だと思いますけど、それ、順序逆なんで……本当はここで、第一段階の武器加工の話が出てですね……」
「そんなん、知らんがな」
 ぷーと、アルさん。可愛くない。
「あの……」
 と、私は三人に向かって、聞いてみた。
「武器加工なら、テネロパっていう鍛冶の町でそれが出来る職人がいますから、会って話を聞くとか、そういうことはできますけど?」
「本当ですか!?」
「それは是非、会って話を聞いてみたい!」
「鍛冶に関しては、我々は素人みたいなものですからね。是非!」
「よし、んじゃ、行くか」
 よっこらせっと立ち上がるアルさんに、三人はハテナと小首をかしげていた。
 ん? と、私。アルさんも、ハテナと首をかしげる。
「あー」
 出されたお茶を飲んでいたエルさんが、ほわんほわんと続けていた。
「みなさん、当たり前のように鍵石で飛ぼうとしてますけど、普通の方々にとっては鍵石で飛ぶとか、一生に一度も経験しない場合がほとんどですので~」
「え? 錬金術師なのに、鍵石もってないの?」
「普通に、鍵石作るのって、大変な作業だったじゃないですか~?」
 いやまあ……確かにそうだった。やばいな。私も感覚が一般人からずれ始めているのか……言われてみれば、灯火石なんて、今や高いともなんとも思わなくなっていたな。初心に返れ、私。あんなに大量の錬成石を割るなんて、昔の私なら考えられなかったはずだ。まぁ、昔の私は錬成石なんて存在、知りもしなかった訳だけれども。
 ともあれ、
「うーむ……」
 唸るアルさんが、
「鍵石作る素材、一個分くらい残ってねぇかな?」
 ごそごそ、マジックバッグをあさっている。
「私、あるよ。多分」
 ごそごそ、マジックバッグからいろいろと取り出して、机に置いていく。たしかテネロパで鍵石を作るときには、乾を強めにするために、フレイム・ストーン関係の錬成原石を生成した後に、高磁砂とかその辺が必要だったはず……
 ぽかーんと、アルフさんたちが、机の上に並べられたそれらを見て、言葉を失っていた。
「え?」
「いえ~、ですからね~、勇者ちゃん」
 エルさんはお茶を両手で持ったまま、続けていた。
「その手の錬成物もですね~、一般の方々は、ほとんど目にした事はないんですよ~。錬金術師といえども、それだけの錬成物を作ろうと思うと、それなりに費用がかかるのですよ~」
「え? そうなんですか?」
 もしや、このテーブルに並べられた錬成物は、彼らにとって、ものすごい価値の代物だったりするのか?
「たまご石!?」
 その中のひとつ、たまご型の石を見て、ぎょっとしたように、ジェフさんが声を上げていた。
「たまご石!? まさか、これも錬成したんですか!?」
 ん?
「いや、しらん。何コレ?」
 と、たまご石を見て言ったのはアルさんだ。
 ううむ……適当に並べてしまって、しまったな。これはアルさん、見たことがなかったな……
「ああ……これは……なんだろう。たまご石」
「いや、だから、それはなんだ?」
「ええっとだな……」
 説明が面倒くさいな……これはその、なんというか、私にとってのお守りみたいなもので、家から持ってきたものなんだが……
「あらあら~」
 ほわんほわん、エルさんが笑っていた。
「おおぅ……」
 レイさんは空を仰いでいる。
「何故ここにたまご石が……もはやイベント順、完全無視……」
「いや、だから何コレ」
「いや、その、大事なもの」
 そそくさ、しまった。
 なんだかわかんないけど、なんかちょっと、面倒くさそうな感じだ。
「で、鍵石だったね、うん、作れるくらいのものはあるね」
「よし、じゃあ、テネロパに行って、作ってもらおう。で、アルフにやる」
 ぽん、アルさんは空気を変えるように手を打った。
「大盤振る舞いですね~」
「あれ? そんな方法でクエスト進めても、大丈夫なんですかね?」
「いいんじゃないですか~。どうせもはや、原型とどめていませんし~」
 よっこらせっと、立ち上がるエルさん。レイさんも、「まぁ、なるようになるでしょうし、気にしても仕方ありませんか」と、立ち上がる。
「よし、じゃあ、テネロパいくぞ、アルフ! ってか、君ら、ドワーフとはあったことあるのか?」
「僕はありますが……コニーとジェフはないかな?」
「ないですね」
「よーし、じゃあ、ドワーフとも会えるぞ。で、酒は?」
「え? いえ、僕は下戸で」
「コニー、ジェフ」
「私はそこそこです。ジェフは結構行けますよ」
「それ、何か関係あるんです?」
「無論。相手はドワーフだからな。よし、まずはそこからだな」
「ええ、そこからですね」
 アルさん、レイさんはふふんと笑って鼻を鳴らしていた。
「あらあら~大変ですね~」
 アルエルレイシュにドワーフたちとは……先なむだな。
 これは、うまいやり方を先に教えた方がいいのかな? なんて考えている間に、私たちは鍵石でテネロパへと飛び──なんやかんやあって、一夜明けた錬金術師たちの研究室には、数人の大いびきをかいて寝るドワーフたちと共に、二日酔いで死んでるアルフさんたちの姿があった。
 うーむ……さもありなん。

 そんな研究室の朝。
 というか、そろそろ昼も近いが、元気なのはレイさんだ。
「さあ、この間に、Lvも40も越えているなら、装備品のフォームを決めましょう! 見た目は大事ですよ!」
 この人は、いつ寝ているのかな?
「フォームって、見た目装備か?」
 もぐもぐと、パンにオムレツとチーズを挟み、軽く温めたホットサンドを口にしながら、アルさんが返す。
「いいな、それ、頂戴」
「ニケに言え」
「作るよ! ニケの新作、ホットサンド!」
 二枚の、薄めで重なるスキレットを手に、ふんすと鼻を鳴らすのはニケちゃんだ。おおっと、いつの間に。まあ、でも、
「じゃあ、頼もうかな?」
「いえす! パン! オムレツ! チーズ!」
「料理と言えるのだろうか……」
 どうやら三種をスキレットで挟んで、フレイム・ストーンをその上で転がすだけらしい。「やりすぎると焦げるからね! 絶妙なタイミングが必要なんだよ!」「あー、はいはい」
「で、フォームチェンジですよ、アルさん」
 と、レイさんは続けた。
「いわゆる、見た目装備です」
「ああ、なんかそんなのが、40で解放されてたな」
 私の前にニケちゃんが置いてくれたオムレツサンドに手を伸ばす不届き者が、私にべしっとその手を叩かれ、引っ込めつつ、続ける。
「なんかメリットあんの?」
「特にねぇです」
「ねぇのか」
「でも、課金装備は可愛いのも一杯あるよ?」
 と、スキレットを振りつつのニケちゃん。
「フリルのついたミニスカートとか──ニケは穿かないけど──フリルのついたブリオーとか──ニケは着ないけど──おすすめ!」
 それはおすすめなのか?
「しかし、見た目だけだと、課金するほどでもなぁ……」
「あ、じゃあ、声変えます? 勇者ちゃんの。課金で声、変えられますよ?」
「え? マジ? マジならちょっと遊び倒すか?」
「マジか、アル兄。まさかそこに手を出すとは……死ね」
「おう! まかせろ! ちょっと変えてくる!」
「そのフットワークの軽さ、好き! めちゃくちゃにして!」
 もぐもぐ。
 オムレツサンドを食べる私は、あの人たちは何を楽しそうにしてんだろうなあと、眺めている。
 ──何をしているのだろう。
「よし、勇者ちゃん」
 テーブルの向こう、ふと振り向いたアルさんが、身を乗り出し気味にして、言った。
「なんかしゃべれ」
「え? なんで?」
「あー、違うー。なんか違うー」
「違いますね……」
「え? 何?」
 ──むーと、難しい顔をしているアルさんに、
「ちょっと、なに難しい顔してんの?」
「お、これはこれで……」
「ありっちゃありですね」
「いや、なにがだよ」
 ──何でこの人たちは、なにやら楽しそうなんだ?
「なんか、すげー嫌な感じなんだけど? なんかしてる?」
「いや、そんな台詞用の声じゃない」
「あー、違うなー、なんか違うー」
 ──いや、これは間違いない。オムレツサンドを食べている場合ではない!
「ちょっと! なにか、私で遊んでるでしょ! 私にはわかんないけど!」
「ありだな!」
「ありですね!」
「課金、躊躇ないなァ……」
 ──いやあ、なんかしてる。私には全くわからないけど、確実になんかしてる。
「よし、十分楽しんだので、次にいこう」
「ですね」
「ちょっと! なんなの! またなんかしてるんでしょ!」
「あ、戻すの忘れてた」
 ──むううぅ。
「しかし、慣れちゃってるから、今更声を変えてもなぁ」
 小首を傾げつつのアルさんに、レイさんが続けていた。
「いや、本当は声は最初に決められますし。フォームパックを買えば、最初から見た目変更のロック解除と、課金装備も三個、もらえますけどね」
「え? 早くいえよ」
「変えたんですか?」
「制服コスで、異世界転生風」
「アル兄、知ってたけど、最低」
「視聴数の為だけに、ふぁんたじぃを犠牲にするのはどうかなー」
「逆にふぁんたじぃ」
「一理ある」
「反論できない」
「ねぇ、ちょっと!」
「あ、戻すの忘れてた。どれだっけ?」
「おかわいそうに……」
 私にはわからないが、私で遊ぶのはやめろ。

「ともあれ、武器、防具、アクセ、いろいろ取り揃えておりますよー!」
 要約すると、レイさん曰く、「新しく作る武具のデザインを、この中から選ぶという事です」とのことで、
「多い多い」
 テーブルの上には、レイさんが取り出した無数の武器防具が並べられていた。やあ、ラーゼンの戴冠式の時のようだ。ってか、あのときより多くないか?
「試練の塔って、見た目装備、超でるんですよ」
 と、レイさん。
 それに、
「というか、高IL狙いなのに、Lv40、IL1の見た目装備が出てくるんで、なんだかたくさんでる気がするだけですけどね~」
 いつの間にやらやってきたエルさんが、ほわんほわんと続いていた。「あ、そうだ。私の分も出しましょうね~」そして増える。
 その両隣、のそりのそりと起き出してきたドワーフの鍛冶師達が、武具をためつすがめつ見て、「ふーむ」と唸っていた。
「強い武器を作るのなら、見た目も当然、大事なことだ。これとこれと……この辺りは、お前さんらには向かないな」
「え? そういうのあんの?」
「いや、ありませんけど、あの辺の武器はユニークな見た目じゃないんで、より分けてくれているのかもしれません」
「ニケも、お兄ちゃんからいろいろ預かってきたから、出すね!」
「いや、なんでビキニアーマー押しなんですか……」
「これって、鍛冶師の領分なの? 布じゃねぇの?」
「不思議ですね~、ミスリル銀糸とかなんですかね~、まあ、最終的には錬金術なので、大丈夫なんじゃないですかね~」
「いい加減すぎる」
 わいのわいの、そんなこんなで楽しげに、皆は武具を選び始めた。ふふふ、みんなで盛り上がって、楽しそうだなー。いや、私の武具なんだが? 「これどう? 勇者ちゃん」いえ、そんなお尻が見えそうなスカートは穿きません。それに、上着もお腹が冷えそうです。「こっちの上着の方が、勇者っぽいじゃないですか~」いや、そんなフリルマシマシはちょっと……「この剣どうです? 両手剣ですけど」もてねーよ。「マトック!? マトックとかあったのか! よし、マトックにしよう!」もはや剣ですらない。
 とかなんとか。なんやかんやとわいのわいのしている皆を、ふぅうとため息混じりに見ていると、ふと視線を感じ、私はドアの方を盗み見た。
 視線の先、ちょびっとドアが開いている。そして、誰かがそこからこちらをじっと覗き込んでいる気配がする。
 ならばと、ばっと飛び出し、私は勢いよくドアを開けた。「うぐっ!」と、開かれたドアに頭を打ちつけた誰かが、目をばってんにして、そこに凍りついていた。
「……へ?」
 そこにいたのは、小さな女の子だった。
 年の頃は十か、もう少し下か。けれど、着ている服はとてもとても上質な感じで、ダルマティカにカズラという、身なりは聖堂城の神官、それも結構な上席に位置する人のように見えた。
 や、でも、十歳にもなっていなさそうな女の子なわけで……単に、ここのえらい人の娘とか、そういうのかも知れないけれど、
「おや?」
 気づいたレイさんが、声を上げていた。
「こんな所からもアドバンスするとは」
 こちらを見つつの、アルさんも続く。
「なんか、いつもそんな台詞を聞いている気がするな」
「それだけ、あなた方がイレギュラーな行動をしていると言うことです」
「心外だな」
 ええ、とても心外ですね。
「本当は、どういう流れなん?」
 アルさんの問いに、レイさんは「うーん」と唸って返していた。
「本当は、こことテネロパの間を何度かお使いクエストするんですが、その度にこの子がちょいちょいと出てきて、仲良くなっていくんですね……でも、この流れだと、この子、最初から好感度マックスなんですかね」
 むぅ。やはり聖堂城の関係者らしい。
「あの、えっと……」
 と、その子はぶつけた頭を抑えつつ、私に向かって聞いてきた。
「聖女さま?」
「ちがうよー」
 にこにこしつつ、即答。
 こうね、アピールするところは、ちゃんとしないとね。そう、大事よ。
「そうだぞ」
「ちげーよ」
「え? でも、リヴァエルがそう言っていたわ」
 誰?
「えっと……それは誰かな?」
「リヴァエルよ?」
 それを誰かと聞いているのだが……
「ええっと……聖女さま?」
「ちがうよー」
 戻ったか。
 私が苦笑していると、
「残念だが幼女。この人は、聖女さまではないんだー」
 なんと! 近づきつつのアルさんが、そんなことを! そして幼女と視線を合わせるように、よいしょとしゃがみこむと、
「このおねーちゃんはなー、勇者ちゃんだぞー。聖女さまじゃないんだー」
 よせ、違う。
「なんか、いろいろ面倒くさい事になりそうだから、是非やめて?」
「勇者さまなのね!?」
 ああっ! ほら、もう、目がきらきらと輝いてしまっているじゃないか!?
「聖女さまは、勇者さまだったのね!」
「いやいやいやいや」
「幼女の期待に応えろよー」
「いや、なんで……」
「勇者さま?」
 いやいやいや、そんなきらきらした目で私を見ないで? ってか、私は聖女さまではないので、
「ええっと……そ、そうね。勇者。そ、そんな事を言われることも、ま、まあ、たまには、あるかもしれないし、ないかもしれないわね」
「さすがは勇者さまね!」
 何が流石なのかはよくわからなかったが、何かが彼女の琴線に触れたようだ。目が、キラッキラしている。
「で、おちび」
 と、アルさんに室内に招かれ、特に臆した風でもなくとことこ入ってくるその女の子。怖いもの知らずなのか純粋なのか、彼女はテーブルに招かれて、席に着くと、アルさんにされた質問に、こてんと小首を傾げていた。
「で、おちび。お前は何者だ? このタイミングで出てくるとか、メインクエに絡むのか?」
「身も蓋もないですね、あなた」
「私はエル」
 と、その子は名乗った。
「私はここの、司教をしているの」
「は? 司教って、意味分かって言ってるのか? チビエル」
「チビエル?」
 問われ、彼女はハテナ。
 小首を傾げる彼女に、アルさんはテーブルのエルさんを指差して、
「こっちのおねーちゃんも、エルと言うのだ。だから、わかりづれーから、お前は今からチビエルな」
「は~い、エルで~す」
 手を振るエルさん。順応早すぎ。
「こんにちは、チビエルです」
 ちゃんとご挨拶。こっちも順応、早すぎる。
「ふふふ、チビエル。ふふふ」
 しかも気に入っている……
「で」
 と、一つ息をついて、アルさんは言った。
「司教とか言ってたが、チビエルは、ちゃんと意味を分かって言っているのか?」
「意味? 司教は、司教でしょう?」
「うーむ……なんと言ったら通じるのかな……」
 困ったようにアルさんがゆらゆら揺れていると、ドアの向こうを、ばたばたと聖堂騎士たちが走って行って──
「あ! こちらにいらっしゃいました!」
 半開きのドアから室内を見、彼女を見つけたその騎士の一人が、大きく声を上げていた。

「エル様、こんな所で何をなさっているのですか」
 と、先日の隊長よりもずっと豪華な鎧を身にまとった騎士様が、子どもに向かって叱りつけるように、
「勝手に出歩かれては、困ります!」
 と、言う。ってか、私の足にしがみついて隠れるようにしているチビエルちゃんは、どっからどうみても子どもなので、子どもに向かって叱りつけている格好で、ああ、まあ、間違いではないな。
「だって、聖女さまがお城にご滞在されてるって聞いたから、ご挨拶しなきゃって」
 もごもご返すが、まあ、嘘だなー。ただの興味だろうなー。
「謁見は、必要であれば我々の方で場を設けますから」
「いやよ、それじゃ、楽しくお話できないもの……」
「いえ、エル様のお言葉は、そう軽いものではないのです。お言葉は、執事を通していただかなければ……」
「いやよ、そんなの。私は、楽しくお話したいのだもの」
 ぎゅっと、私の足をつかむ幼女は、
「さ、お体に障ります。戻りましょう」
 手を伸ばす騎士さんから逃げるように、小さい身体を私の背後に隠した。あー、これ、私、完全に巻き込まれてる格好だわー。どうしたもんかなー。と、思わず苦笑。
「もしかして、チビエルって、本当に偉いの?」
 アルさん。
「執事って、バトラー的なやつじゃねぇな?」
「そうですね」
 と、レイさんは返す。
「ここで言う執事は、助祭的な方ですね」
「こいつ、マジで司教なのか……」
「司教って、偉いの?」
 ニケちゃん。わからないことは聞く。ありがとう。そういう階級みたいの、私もよくわからん。
「司教は、司祭の上。司祭にプリーストをあてるなら、ハイプリースト。助祭はあてるなら、アコライトとかかな」
「ハイプリ! 三次職!」
「ふっふっふ~」
 なぜか不敵に笑うエルさんは、
「まあ、私なんて隠し三次職の導師なんで、サブのハイプリーストは、自動的にアークプリーストになってますから、私の方が階級的には上ですけどね~、えへん」
 なぜか張り合う。
「さ、エル様。こちらへ」
 騎士さんの声に、
「エル、呼んでんぞ」
「明らかに私じゃないですが~」
 アルと言い、エルといい、紛らわしいなここは。
「ああ、正義と秩序の神の導師様も、エル様でしたか。これは失礼を」
「いえいえ~」
 ほわんほわんしているエルさんに、きゅっぴーんと、アルさんが悪巧みな顔を向けていた。
 何をする気かは知らないが、ろくな事ではないだろう。いいぞ、やれ。
 こほむ、アルさんは咳払いをひとつして、言った。
「なんか、そちらのエル様は、こちらのエル様とお話がしたいらしいから、しばらく下がっていて頂きたいそうだ」
 ほう……何を言い出したんだ、こいつ。
「なにを?」
 と、騎士さんもいぶかしんでいる。ふふんと、アルさんは口許を曲げつつ、続けた。
「正義と秩序の神の導師様と、古の知識と教養の神の司教様とのお話となると、どちらも軽いお言葉ではないから、特別な者以外には同席は認められないなー。と、エル様のお言葉です」
「言ってませんが~」
「いえ、こちらのエル様が」
「え?」
「言ったよな?」
「何を?」
「おう、純粋か。なんとかしろ、勇者ちゃん」
「何でだよ」
「エルさん、面白そうなので、口八丁手八丁に合わせません?」
「え~、なんですか~、その、面白そうなやつ~」
 と、ほわんほわんしつつ、にこにこ。

「で、何故僕が?」
 テーブルについて、ニケちゃん特製オムレツサンドを振る舞われているチビエルちゃんの隣、たたき起こされたアルフさんが、頭をかきつつ言っていた。
「いや、なんか」
 アルさんは鼻を鳴らし、
「神殿騎士が、誰かを同席させろって引かないから、チビエルに誰かを決めさせたら、アルフだったと、そういうことだ」
 そのアルさんの説明は、はたして通じているのだろうか。不安だ。
「なるほど」
 頷き、オムレツサンドに手を伸ばすアルフさん。
「よくわかりませんが、わかりました」
 昨日の酒が抜けていないのだろう。ということにしておく。彼のために。
「ちょうどいいだろ。この部屋の住人だし」
「いや、別に僕はここに住んでいる訳じゃないんですが……っていうか、チビエルって?」
「そちらのエル様のことです」
 言い、レイさんはアルフさんの隣でオムレツサンドを食べている彼女に手を向けた。
「ああ」
 横のチビエルちゃんを確認し、唸るアルフさん。納得している。本当か。いや、実は錬金術師だけあって、彼は頭の回転がすごくよくて、全てを状況から理解しているのかも知れないな。いや、ないな。
「チビエルとアルフは、知り合いなのか?」
 アルさんはテーブルの二人に向かって聞いた。チビエルちゃんに、「誰か」を聞いたところ、「ここは、アルの研究室でしょ? アルは居ないの?」と、淀みなく答えていたが故の質問だが、その辺りをかっ飛ばして聞いても、果たして通じるのかと思ったが、
「アルフ?」
 違うところに、チビエルちゃんは食いついていた。
「アルのこと?」
「そうですよ」
 返すアルフさんに、レイさんが続いた。
「あー、アル・フロイスをアルと呼ぶと、アルベルト・ミラルスのアルと混同するので、我々はアルフと呼んでいるのです」
 「へえ」と、チビエルちゃんは目を丸くしたかと思うと、
「アルフ……ふふふ、アルフね、アルフ」
「気に入っている……」
「やめてください、エル様」
「私はここではチビエルよ、アルフ!」
「どうしてこうなった」
「え? 面白いから」
「身も蓋もない……」
 ま、そんなもんだ。
 そもそも、騎士さんたちを部屋の外に追い出して、こうしてテーブルを囲んでオムレツサンドなどを食べている現状な訳だが、これ、なにか意味があるのかと言われれば、特にないしな。っていうか、アルさんも別に何かの意味があってこの場をもうけた訳ではなくて、単に騎士さんたちが気に入らなかったからとか、その方が面白そうだからとか、そんな理由で、反骨しただけだろうしな。
「チビエルちゃん、オムレツついてるー」
 にこにこしながら、ニケちゃんがチビエルちゃんのほっぺのオムレツを取って、口に入れていた。
 うん、実に何の意味もない、お茶会のひとときだな。

 ともあれ、錬金術師とドワーフさんたちのミスリル加工についての意見交換やら、武具の選別やらを横目にしつつ、我々、アルエルニケレイシュは、もう一方のアルニケと共にテーブルにつき、お茶をしつつ話し込んでいた。
 チビエルちゃんは、アルフさん曰く、本当に司教的立場であり、なんと、神の声を聞き、神聖魔法も使えるのだという。
 もともとチビエルちゃんは片親で、敬虔な古の知識と教養の神の信者であった母と、巡礼の末にこのエル・トゥラへとやってきたのだそうだ。そしてその旅の途中、当時放浪学者をしていたアルフさんと出会い、共にここを訪れたのだという。
「その旅の最後で──」
 と、アルフさんは少しうつむきがちに教えてくれた。
「彼女の母親は──」
 その旅の最後、あの干潟で、あの蟹の群れに襲われ──命を落としたのだという。
 しかもそれは、泡にとらわれたチビエルちゃんを助けるために神に祈った母が、その命と引き換えに竜神を呼び出したが故というのだから……なんとも……言葉がない。
「それからしばらく、一緒に暮らしていたんですよ」
 アルフさんは細く笑っていた。
「しかし、ある嵐の夜でしたかね……エル・トゥラが海に飲まれてしまうんじゃないかという嵐があった日に、それを鎮めるため、この子は竜神様に呼ばれ、聖女になったのです」
「それって、有り体にいえば、竜にお願いを聞いてもらうために人柱になったってことか?」
 言葉を選ばないアルさんに、
「ま、そうですね」
 アルフさんも苦笑だ。
「立場的に司教というのも、そういうことです。この子は、竜神様の力を使うことができ、竜神様とお話ができる、数少ない神官の一人なんですよ」
「お前、実はすげーんだな」
「アルは失礼ね!」
「竜の力を使われると、私でも苦戦するかもしれませんね~」
 エ、エル様がそんなことを仰るとは……どんだけなんだ? 恐るべし、チビエルちゃん。
「神の子か……」
 ふうんと、アルさんはうなった。そして、
「あれ? もしかして、チビエルがちらっと言ってたリヴァエルって、その竜のことか? リヴァイアサンなの?」
 レイさんに聞く。
「まあ、そうなのかもしれませんね。固有名、リヴァエルなんで、実際のところはわかりませんが」
「竜っていうから、四足の竜を想像してた」
 ん? 私もだ。おとぎ話に出てくるような、四足の竜ではないのか?
「うねうねーってしている方の龍だよ」
 おう、ニケちゃんの説明はよくわからなかったが、うねうねーなのか。そうか。
「この世界におけるドラゴンって、どういう扱いなの?」
 アルさんの質問に返すのは、当然、レイさんだ。
「ドラゴンは、巨人の心臓から生まれた事になってますね」
「心臓なのか。ってかあいつ、心臓あるのか」
「あ、そういえばそうですね」
 巨人。つまり、始原の巨人の事だろう。混沌から生まれ、その死によって世界の全てを生み出したという、全ての創造主。竜が、神と同様にその巨人から生まれたと言うのなら、
「しかし、巨人から生まれたとなると、やっぱり、竜は神と同等なんだな」
 アルさんの言うとおり、それはとても高位な存在といえよう。
「そうかー、神かー、あってみてーなー」
 えへへと笑うその顔は、基本的によくないことを考えている時のやつだ。おう、貴様、神に挑もうとでも言うのか。おこがましいぞ、このアルベルト無勢が!
「会う?」
 やめろー! チビエルちゃんー!
「いいよ」
「いやいやいや、軽い。軽すぎるから、チビエルちゃん」
「え? 別に、リヴァエルも勇者ちゃんには会ってみたいって、そう言っていたわ」
 は?
 まて、もしや私、竜神様からも聖女さまロックオンされてんの?
「ようし、決まりだな」
 にやりと、アルさんは笑っていた。
 是非やめてくれ。


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