studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2018.06.01

勇者ちゃん、街道を行く!

Written by
しゃちょ
Category
読み物
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「ま、まあ、あれです。どうぞ」
 と、私は皆を促す。
 夕暮れ、城壁から少し離れた、街道はずれの森の入り口。小さな湖の畔に、バンガロー風の家。私の生家だ。もう戻ることはないだろうと思っていたけれど、まさか、そう思って出かけたその日の内に、帰ってくる事になろうとは。
「おじゃまします~」
 と、私の後ろに続くのは、曰く、ヒーラーロールの導師、エルさん。
「あ、室内は一緒になんですね~」
 ……はて? 何と比較してなんだろうか。まあ、いい。
 私はバルコニーから、庭の方を見て、
「どうぞ? 遠慮はしなくていいですよ?」
 と、声をかけたが、そこにいた男三人、
「まったく、遠慮する気などないが」
 腰に細剣を吊した剣士、アルさんこと、アルベルトさん。
「我々のことは、お構いなく」
 漆黒のフルプレートに身を包んだ、暗黒騎士、レイさんこと、レイシュさん。
「こんなもんでいいか?」
 両腰に短剣を何本もぶら下げている、ローグ、ダガーさん。
 何やら、庭の地面をならして、いそいそとキャンプの準備を始めている。
「あの……みんな寝るスペースくらい、ありますけど……」
「いいんですよ~、ほっといて~」
 エルさんは、相変わらずのほわんほわんな感じで、言った。
「アレらは、好きでキャンプするんですから~」
「ほぅら! 見てください! アルさん、ダガーさん! これが幻の食材、ライゼルの肉ですよー!」
「おおー!」
「なんの肉に近いの?」
「ガゼルに近いそうですが……あいにく本物は食べたことがないので、わかりません」
「おい、アル。かまどいるか? 火は、カルボの木炭でいいのか?」
「いいんじゃね? 遠赤効果で、いい感じになるんじゃね? あ、これ、料理スキルとか、あったりする?」
「ありません! 料理は万人に平等です! プレイヤースキル依存! Dex高いほうがいいとかいう噂はありますが、未検証!」
「ようし、ダガー!」
「まかせろー!」
 ……うん。楽しそうだから、いいんだな。うん、たぶん。

 陽も落ち、森に夜が訪れた。
 森は、とても静かだ。父が、王からこの森を下賜された時は、猛獣の跋扈する夜が日常だったらしいのだが、今では王を始め、貴族が鷹狩りに訪れるほどに、平和な森になっている。そういえば、私がここを離れた後は、誰が森を引き継ぐのだろうか。ま、まあ、王の勅命を受けて私は旅立つのだし、誰かが管理するなり、見回りに来るなりするのだろう。たぶん……
 ともあれ、ライゼルという、聞いたこともない動物の肉をダガーさんがステーキにしてくれて、それに舌鼓をうった後──めっちゃおいしかった。「適当にソースも作ったぞ」と、ダガーさんがかけてくれたグレービーソースも、めっちゃおいしかった。意外な才能なのか──私たちは、エルさんが温めてくれた蜂蜜入りのワインを口にしながら、焚き火を囲んでいる。
 ぱちぱちと、薪の爆ぜる音が夜に響く。男三人は、すでにレイさんの持っていたテントを設置済みで、野宿する気満々だ。家に泊まればいいのに……床だけど。まあ、エルさん曰く、「キャンプ好きなんですよ、あの人たちは~」との事なので、好きにさせておく。
 焚き火に、レイさんが新しい薪を継ぎ足しながら、言った。
「で、取り敢えず一日やってみて、どうです?」
 言葉の先にいた、アルさんが返す。
「まあ、だいたい分かった」
「とくにコレといった、変わったシステムでもねーしな」
 続いたのはダガーさんだ。
「予想以上に味覚エンジンにコダワリがあるのが、謎すぎるくらいか」
「美味かったでしょう、ライゼルの肉。どうも、システムそのものがシンプルな分、他に全振りっぽいんですよね。AI勇者ちゃんもそうですが、学術研究の一環で予算取ってる分、環境系エンジンも、色々試験的な実装がされていて、出来はかなりいいです」
「俺の冒険の目的は、世界グルメ旅なのかもしれない……」
「いやいや、勇者ちゃんと、ちゃんと世界救ってください。ねえ?」
 と、レイシュさんは私を見て言ったが……ピンとこない。そもそも、私は勇者ではないし、私は国王から、勇者として勅命を受けて旅に出た、私の父の消息を確認してほしいと言われて旅立つのであって、別に、世界を救うとか、そんなことはこれっぽっちも考えていないし、って言うか、そもそも世界が、救うべき危機的状況にあると言う実感も無い。
 なのにこの人たちは──と、曖昧に小首を傾げていると、
「あんまり気にしなくていいですよ~」
 と、エルさんが言った。
 うん、気にしないことにする。
「で、結局、剣士でいいんです?」
 レイさんの言葉の先にいたアルさんは、空になったワインのコップをエルさんに差し出しながら、
「まあ、一応、サブジョブでヒーラー系入れたけど、そんなに呪文、覚えられねーしな」
 と、続ける。
「ダガーが相変わらずの、ローグ=レンジャーだし、バランス的に、問題ないだろ?」
「オレがローグ=レンジャー以外を、やるわけがなかろう」
「たまには、スペルユーザーをやってもいいんだぞ?」
「呪文など、覚えられぬ!」
「まあ、勇者ちゃんも勇者=剣士で、DPS系の人が多いですし、前のめりなのは、このゲームの特徴ですよ」
「シンプルなのは、よいことですよ~」
 ワインのおかわりを、ほわんほわんと返しつつ注ぐエルさんだけど、いや、こんな風にほわんほわんとしていても、いざ呪文を唱えるとなれば、長大な呪文の詠唱を、途切れることなくスラスラとこなす。私には無理だ。あんな長い呪文の詠唱、できる自信、全くない。から、アルさんと同じで、冒険者の店で紹介してもらった剣士さんから、剣術指南書をもらってきた。まあ、アルさんと一緒の指南書を貰っておけば、いろいろ教えてもらえそうって、皮算用もあるんだけど。
「取り敢えず、王都周辺のサブクエストは潰したのか?」
 ダガーさんが、地図を広げながら言った。
「そうですね~、10レベルで、クラスつけるくらいで、王都周辺のクエは終わりですね~」
「盗賊ギルドからのクエとか、ねーの?」
「ない」
 くるくると地図をしまいながら、ダガーさん。
「わりと、この世界の盗賊ギルドは、硬派なタイプっぽい。昔ながらの、裏の世界の必要悪系」
「この世界での、唯一の世界的組織ですからね、盗賊ギルド。それ以外のギルドは、いわゆる本物のギルド風です」
「下積みすんのか」
「冒険者ギルドで、15年、草むしりの下積みをするんですよ。そしてそこから職人になって、親方になるには、上の人間を政治的圧力で消すのです」
「これはひどいリアルファンタジー」
「まあ、大体大きめの町には、口入れ屋的な冒険者の店が、酒場を兼ねて存在してるんで、散発のサブクエスト系は、そこからの受注になります」
 あー……今日、出会いの酒場に何度も行ったり来たりして、その度になにやら魔物やら動物やらを狩って、いろいろ集めて持っていったりしていたアレは、おそらく仕事の依頼だったのだろう。私は付いていくのに必死で、詳細は把握してなかったけど……あれ? あれが仕事だったとしたら、結構な額の報酬になったのでは? あれ? 私の路銀は、まったく増えてないような? ん?
「教会とかから、クエストねーの?」
 と、ダガーさん。
「一応、ざっくり見たけど、なかったな。そもそも俺、この世界の宗教形態、よくわかってねえし。エルのほうが詳しいだろ」
「えー……この世界は、基本六柱という、メジャーゴッドがおりまして~……長くなりますよ?」
「覚えられない!」
「俺、自分が信仰対象にした神様の名前、おぼえてねえぜ!」
「自慢になりませんよ~」
 王都を後にする前、アルさんは「ちょっとここで、休憩してろ」と、レイさん、エルさん、私をおいて、ダガーさんと一緒に数十分、姿を消した。ダガーさんは盗賊ギルドに、アルさんは神殿に行って神の声を聞いてきたんだそうだが、なんか、そんな簡単に、ほいほいと聞けるものなのだろうか……と、聞いたところ、「大丈夫だ。だいたいこの手の奴は、基本の所は共通だ。回復なら、ヒールなのか、キュアなのかがわかれば、大抵、なんとかなる」という、謎の回答をしてくれた。よくわからないけれど、神の奇跡の力で傷を癒やす祈りは、キュア・ウーンズと言うので、そのへんの宗派の話かなにかなのだろう。
「ちなみに、アルさんが信仰対象にした神様は、月と旅人の女神ですね~。メジャーゴッドですが、どマイナーで神殿が少ないので、神殿でブレスがもらいにくいです~」
「え? なに、そんなバフあんの?」
「ヒーラー系は、ソロ性能が低いので、神殿で、タダバフがかけられるんですよ。知らなかったんですか?」
「一番近くにあった神殿に行ったからな」
「あ、でも、メインジョブがプリーストクラスになれば、月と旅人の女神の信者は、自分で祠がつくれるようになりますよ~。破壊されない限りは、信者なら誰でも効果を得られますし、たまに、すごい変なところに祠があったりして、アルさんは好きかもしれません~」
「俺の旅の目的は、世界中の僻地祠を回ることかもしれない……」
「世界救ってください~」
「まあ、世界を救うのはアレとして、だ」
 ダガーさんが焚き火をつつきながら、言った。
「王都を出る前に受けたメインクエで、通行許可証を貰ったから、なんだかの書簡を、かんとかに届けんだろ?」
「ここは、ずいぶんうろ覚えないんたーねっつですね」
 王都を後にする前、私たちは衛兵詰め所に立ち寄った。なんの用事でそこに行ったのかは、すでに疲れ切って満身創痍だった私には、知る由もないのだが、そこでアルさんは、何やら書簡と通行証を貰っていた。
「鉱山の街、テネロパですね。ここからだと、二日くらい歩きます」
「遠っ!?」
「ゲーム内時間ですよ」
「割と長く感じるけど、一日、何時間よ」
 アルさんは何を言っているのだろう。
「五時間ですね。夜はだいたい、二時間です」
 レイさんの言うとおりなのに。はて?
「え? もしかして、六時間歩く?」
 テネロパと言う鉱山の街は、行ったことはないけれど、話には聞いたことがある。銀鉱があって、王国の銀のほとんどは、テネロパで採掘されているそうだ。王の直轄領で、街道も整えられていて、街に入るには、王国発行の通行許可証が必要と聞いている。
 でも、
「テネロパ?」
 素朴な疑問を、私は口にした。
「テネロパに、何かあるんですか?」
「うむ……」
 ワインで唇を濡らし、遠い目をして、アルさんは言った。
「クエストの流れ的に……」
「身も蓋もないッ!?」
「勇者ちゃんのお父さんが、王都を出て、最初に立ち寄った街なのだそうですよ~」
 エルさんは、アルさんを押さえて、苦笑気味に笑った
「アルさん、変な事言ってますけど、気にしないでください~。あれは、照れ隠しなので~」
「え? 俺、結構真面目だったけど?」
「フォロー、受け入れて!」
「まあ、アルに期待すんなって事だな」
「なんだてめぇ、ワインぶっかけんぞ」
「やるならやるぞ」
 と、お互いの頭の上で腕をつかみ合いのアルダガー。この人たちは──どこまで本気なんだろう。
 エルさんは、私が父を探すために旅に出たことを知っているようだったけれど、アルさんたちはどうなんだろうか。まあ、エルさんが知っているんだから、皆も知っているんだろうけど、そんな事は一言も口にしない。今日はただ、ひたすら戦闘訓練してただけって気がしていたけれど、けれど、エルさんが言ったように、その裏でこっそり、父の消息を辿るためにテネロパに行こうとしてくれていたのだとしたら──本当に、照れ隠しなのだとしたら──
「なんだ? なんかあるのか?」
「いえ……」
 私は笑って、返した。
「なんでも」
 ん? あんまりうまく笑えなくって、苦笑っぽくなっていたかもしれないぞ。

 差し込む朝日に、私はゆっくりと目を開けた。
 いつものベッドの上。見慣れた室内。
 身体を起こし、私は、我が家をぐるりと見回した。
 私、ひとり。
 ──夢だったのだろうか。
 16歳の誕生日。
 王都に出向き、勇者として旅立った父を探す勅命を受け、出会いの酒場で出会った彼らとの旅立ちのあの日は、夢だったのだろうか。
 旅立ちの日。最後に目にしたのと同じ室内。
 私は、暖炉のそばのテーブルにゆっくりと近づくと、その上に置かれていた、革のバックパックに手を伸ばした。
 それは、あの人が私に「レンタルだ」と言って投げ渡した、はじめての贈り物。
 私は朝日に目を細め、その準備を始めた。そして最後に、そのバックパックを背負い、腰の剣を確かめて、外への扉を開いた。
 差し込む朝の光。
 湖に反射する朝日の中、腰に細剣を下げた剣士、アルベルト──アルさんがいる。
「おう、起きたか」
 半身、振り向き、アルさんは笑った。
「見ろよ、昨日話してたあれ、こんなとこにもあった」
 指差す足元を見ると、土で出来た、ちいさな祠のようなものがあった。昨日の夜、エルさんが言っていた、月と旅人の女神を祀る祠だろうか。
「こんなの、あったかな?」
 つぶやく私に、
「ま、気づかれないくらいのほうが、探しがいがある。なにしろ、俺の旅の目的は、僻地祠巡りだからな」
 ……それは、本気だったのか。
 私はアルさんに、
「みなさんは?」
 と、聞いた。
 一緒に、室内で眠りについたエルさんもいない。アルさん達が建てたテントも、そこにはすでになく、レイさん、ダガーさんの姿も見えず……
「ん? あー……お前的には、時系列がつながってんのか? リアルでは、あれは、昨日の夜の話だぞ?」
 いや、私は昨日の夜の話をしているんだが、話が噛み合ってないな。えーと……
「今日は、みんなはいない」
 まあ、冒険者というのは、そういうものなんだろう。それがわかれば十分だったので、うんと、小さくうなずいて、
「じゃ、テネロパへは、アルさんと?」
「おう。エル曰く、『三時間、二人で一緒に歩いて、親睦を深め合うんですよ~』だそうだ」
 あー……うん……そう言うのは、言わない方がいいんじゃないかな? 逆に、緊張する。まあ多分、この人はそういうの、全く気にしないんだろうけど。
「もう、出られるのか?」
 問いに、
「はい。特に、昨日から何か変わったわけでもありませんし」
 と、返すと、
「いや、んなことねーだろ」
 アルさんは言った。
「バックパック、あげただろ。魔法の。アレ、すげー入るんだから、持ってこうと思って諦めてたモンがあれば、突っ込んでこいよ」
「あげた?」
「あ、レンタル」
 どっちだ……
 ともあれ、私は少し考えて、
「あ、じゃあ、ちょっと待っててください」
 家へと、小走りに走った。
「おーう」
 気のない感じで返して、アルさんはその場にしゃがみこんで、「なむなむ……」と両手を合わせ、祠に祈っていた。月と旅人の女神のお祈りは、あんな感じなんだろうか……
 まあ、それはともかく、私は家に戻ると、最小限の必要なものだけにしようと持ち出さなかったお気に入りの普段着やら、使い慣れたナイフ、食器類なんかをバッグに詰めて、ああ、そうだ──と棚の上においてあった、卵型の石を手に取った。
 こぶし二個分ほどのその石は、ずっしりと重い。旅の荷物にはアレだけれど、重量を気にしないでいいマジックバッグになら、突っ込んでおいてもいいかな? と。何故石? と言われるとアレなんだけれど、この石は、幼い頃に森の奥で父が見つけ、私にくれた、お守りのようなものなのだ。小さい頃は毎朝お祈りしていたような記憶もあるけれど、最近はまあ、お祈りまではしていないが、それでもまあ、なんだ。なんか私を守ってくれるような気がするので……もっていこう。
 たまご石。アルさんには、内緒にしておこう。絶対なんかいう。割ったら、黄身でてこねーかなとか、絶対、言う。間違いない。そして、本当に割りそうだ。多分黄身は出ない。
「おう、いいのか?」
 外に出ると、アルさんが待っていた。
「はい」
「よし。んじゃ……いくべか」
 そして私達は歩き出した。

 私たちは、街道を行く。
 王都の周辺は、ずっと平原で、それほどの起伏はなく、ただただ平坦な道を、私たちは進んだ。草原の向こう、小高い丘の上を、羊を連れた牧人が行くような景色を、二人、歩いて行く。
 特に何か、会話があるというわけでもなく──たまに見かけたものをアルさんが指さして──例えば、街道沿いに自生していた果樹を「あれはなんだ?」と聞き、「キイチゴ? 知らないんですか?」「まんまなのな……あれは、俺らの間では、ラズベリーと言うのだ」「ああ、実のことを言ってるなら、そうです」みたいな会話があったりして、「あれ、食ってもいいの?」「え? 知りませんよ」「街道沿いの果樹は、ノータイムでイートインな世界じゃねーのか?」と言いつつ、勝手に食べてみて、「すっぱ!」「でしょうね」なんてやりとりをしつつ、進んだ。
 やがて、石で固められた道は途切れ、轍が残るだけの道へと変わり、しばらく行った頃、陽は、南天を少しばかり過ぎ、傾きを始めた頃、私たちは、王都とテネロパの間にある唯一の関所、さして大きくもない、石造りの砦へとたどり着いた。
 街道が吸い込まれていく門の脇、ウッドチェアに座っていた軽装の兵士が、私たちに気づいて、面倒臭そうに、重い腰を上げて言う。
「この先は、テネロパの直轄領になる。許可証がないものは、通行を許可できない」
「ふむ……強行突破出来そうなレベルだな」
「アルさん?」
 ぜひやめて。この人なら、しそう、できそうだけど。
 ごそごそと、アルさんはベルトポーチから通行証を取り出し、兵士に手渡した。「採掘ギルドの通行証か?」「お届け物を頼まれてな」「ふむ……」
 やり取りを横目に見ながら、私は手持ち無沙汰に砦の中を覗いてみた。待機場のようなホールに、武装した数人の兵士の姿が見える。うん……強行突破は無理そうだな……しないけど。
 一人、その中に、明らかに上質な、白く輝くフルプレートに身を包んだ、金色の長い髪の女性の姿があった。女性騎士だろうか。装備の見た目は、アルさんの冒険者仲間、レイシュさんのそれと同じくらいに見え、一人、その中で浮いている。脇に控えていた、軽装の栗毛の女の子が、私の視線に気付いて振り向き、目があった。ちょこんと下げられた頭に、私も、思わす頭を動かす。
「テネロパに、書簡を届けるのか」
 兵士が言った。
「ああ、ちょっと、王都の採掘ギルドから、頼まれ事をされてね」
 通行証を受け取りながら、アルさん。それに、兵士が続ける。
「少し休んで出るくらいなら、日暮れ前には、テネロパ山道中腹の宿場に着くだろう。夜は、最近は物騒だから、そこで一泊するといい」
「へえ」
 返された通行証をベルトポーチに戻しながら、
「物騒って、何かあったのか?」
 アルさんは聞く。
 兵士はため息をひとつついて、返した。
「街道守も兼ねて、我々が駐屯するようになってから、王都から戻る商人を狙う野党も、ずっとなりを潜めていたんだが……数日前、商人が襲われたらしくてな」
「えー……物騒だな。それで?」
「宿場に、なんとか逃げおおせたようだが……君らは、二人旅か? もし護衛が必要なら、我々三名が、有料で同行できるが、どうする?」
「え?」
 と、アルさんが眉を寄せた。
「なに、そんなクエストあんの?」
 はて? アルさんは何を独り言を?
「クエスト?」
「ああ、クエストマーク……は、お前には見えないんだったな……どうしよう……面倒くさい系かな……レベル10だから、大したことは無さそうだけど……」
 護衛の申し出を、うーんと唸るアルさん。まあ、実力的にどうだろうって言う感じなのかもしれない。まあ、そうだなあ……あの女性騎士さんだったら、超頼りになりそうだけど……と、ちらり。
 気付いたアルさんが、「お」と、声を上げて、
「あ、すんませーん!」
 と、その女性騎士に向かって声をあげた。躊躇ないな、この人は。
「あの、このクエスト、面倒くさい系?」
 声をかけられた女騎士さんは、きょろきょろとあたりを見回し、それが自分にかけられた声だとわかると、
「あ、ああ。いや、これは……ネタバレ、いいのか?」
 兵士に軽く会釈をして、待機場のような場所にいた女騎士さんに「かまわん」と、近づくアルさんに、あわわと、私も続く。
 アルさんは、女騎士さんに苦笑のような表情を見せながら、
「レベル、リビール出来ないんだけど、そんな高レベルでないと、ヤバイ系?」
「いや……」
 女騎士さんも、苦笑ぎみに返した。
「恥ずかしながら、初期クエは、友人たちと一緒にプレイしていた関係で、わりと取りこぼしが多くてね。クリア前に、全クエ、潰しておこうかと……」
「あー、わかるー。クリア後に潰せるとしても、クリア前に潰したくなるタイプー。俺も俺も。で、コレ、単発?」
「いや、サブクエだが、二、三、続く様だ。受注条件が、勇者と二人でないと発生しない」
「あ、マジで。衛兵さん、受けるわ、コレ。護衛よろしく」
「そうか。なら、出る前に、また声をかけてくれ。料金は成功報酬で、後払いだ」
「OK。おそらくそれは、支払われない」
 いや、払おうよ……女騎士さん、苦笑いだよ。
 しかし、当のアルさんにとっては、そんなことは些事な事なので、
「そっちも、クエスト、受けたの?」
「ああ、これから、出ようかと──」
「よし。なら、ここであったのも、何かの縁だ。行こう」
「ああ……え?」
 突然のアルさんの発言に、言葉を失う女騎士さん。うん……そうだね、普通、そうだよね……私は大分、わかってきたけどね。
 仕方がないので、
「どうやら、行く先も一緒みたいですし、ご一緒にどうですか、と、言いたいらしいです」
 と、私はアルさんの言葉を補った。
 その提案に、女騎士さんは、青い目をまんまるにして、驚いていた。
 後に、その女騎士さん──チロルさんと言う──に、何故あの時、あんなにびっくりしていたのか、聞いたことがある。
 曰く、女性で騎士という立場上、男性冒険者から声をかけられる、いわゆるナンパと言うものを何度か経験してきていたが、まさか、異性勇者を連れた人が、その異性勇者と共にナンパを仕掛けてくるとは、思っても見なかったんだ──との事だった。
 失礼な。アルさんはどうか知らないけれど、私はそんなつもりではなかったのだが……まあ、チロルさんは笑いながら言ったので、たぶん、冗談だったのだろうけど。「え? アルさんなら、そんなの、朝飯前ですよ?」「そうだぞ、アルならな」とか言っていた、レイさんやダガーさんの言葉の方が、真実味がアレとか、まあ、それはどうでもいいとして。

 都合、護衛六名。私、アルさん。そして、
「チロルだ。クラスは、聖騎士。パラディン=ナイト。こっちは、むぎ。ハイウィズを取ってる」
 と、金色の髪の女騎士、チロルさんと、その隣、栗色の短髪の少女、むぎさんの、総勢10名。いつの間にか、大所帯だ。
「シンクされても、15かー」
 関所を抜け、山道に入り、ぐねぐねとした歩きづらい道を進みながら、アルさん。
「元々、何レベル?」
「86レベルだよ。むぎはちょっと低くて、84」
「やべえ、80レベルの魔法使いって、どんだけ詠唱すんの……」
「?」
 問いかけられて、「はて?」という顔をするむぎさん──さん? いや、なんか、ちゃん?
「ここはマナが薄いようなので、そんなに凄い魔法は、使えなさそうですよ?」
 と、微笑みながら小首を傾げる。おお……
「小動物みたいで、かわいいな」
 おお……アルさんと同じ感想を抱いたなんてことは、この胸にしまっておこう。
「そういう反応をするんだ」
 と、チロルさんに聞くアルさん。チロルさんは軽く笑って、むぎちゃんさんを見た。
「ああ、レベルシンクがかかったときの反応は色々だが、むぎの場合はこのパターンが多いかな。もっとも、他の勇者と同時行動できるタイプのクエストは、メインに絡むものはほとんど無いから、あまりシンクを彼女らがどう考えているのかは、わからないが」
「うちのがシンクかかることなんて、なさそうだしなぁ」
 私を見るその視線はなんだ。なんだかよくわかんないけど、たぶん、いいことを言ってないってことはわかるぞ。どうせ私は、ひよっこですよ。
「剣士なんですねー」
 むぎさんちゃんが、話しかけてきた。むぎさんちゃん、むぎさん、むぎちゃん……うーん……
「すごいですね、私なんて、チロルみたいに、怖い魔物の前に立つなんて、無理ですよー」
 うーん……むぎちゃん。
「もしもし?」
「あ! あ、いや、私も、実際……ちょっと、無理なんだけど……」
「えー? でも、すごいですよ。私には、絶対無理ですよ」
 く、屈託ない微笑み! エルさんとはまた違った、純粋な意見! あ、エルさんに知られたら、左手で屠られる。胸にしまっておこう。私の胸、キャパいくつか知らないけど。
「魔法覚えられる方が、私的には凄いと思いますよ? 私、覚えられる自信、まったく無いですし」
「毎日、写経するんですよ~」
「そこは変わらないんだ!?」
 ある種、衝撃。
「パラディンは、タンク?」
「自己回復しながら戦うタイプの、タンクロールだよ。私達の場合、私が前線を支えて、むぎが後方から、高火力で落としていくスタイルかな」
「ふーむ……戦術か……ある程度はそういうのも、考えたほうがいいのかね?」
「いや、二次職が開放される位までは、それほど考える必要はないかな。たまに初見殺しはあるけれど、難易度が高いって事はないし」
 アルさんとチロルさんは、なにやら小難しい話をしている。戦術……今後、私とアルさんの二人旅を続けていくのだとしたら、私たちもこの二人のように──えー……あんまり考えないようにしよう。
「君の勇者は剣士のようだが、君も剣士オンリーか?」
「剣士=クレリック。ヒーラーいないが、二人いればなんとでもなるでしょ」
「期待してるよ」
「魔法、不発したらごめん」
「むぎが不発するかもしれないから、先に謝っておくよ」
「しないよー」
 と、言って、
「し、しない……よ? たぶん……」
 杖を両手で握りしめて──「うぅ……」
「おい、かわいいな、おい」
 やっべぇ……アルさんと同時につぶやいてしまった。

 山道は、山を迂回するようにぐるっと回っていて、真っ直ぐ登って突っ切ればすぐなんじゃないの? と言う私の疑問を完全に無視して、ぐねぐねとした緩やかな上り坂で、えんえんと続いていた。
 既に傾き、今にも消え入りそうな陽は、山道に僅かにしか届かず、夕闇が、風と共に山を包み始めている。
 山道がぐねぐねと迂回しているせいだと、いちゃもんをつけても仕方がない──ただの愚痴だし、アルさんは休憩、取らないし──ともかく、完全に陽が落ちてしまう前になんとかした方がいいんじゃないかなぁと思っていると、同行の護衛の兵士たちが、私達を止め、言った。
「あと少しで宿場に着くが、陽が落ちきってしまう前に、明かりを準備する。少し待ってくれ」
 と、護衛の二人が、荷物から長い棒と、こぶし大の大きさの白い鉱石を取り出していた。
「なんだ、あれ?」
 明かりを準備する護衛の兵士たちから離れ、自然と円陣を組んでいたアルさん、私、チロルさん、むぎちゃんの輪の中、アルさんが聞く。ので、
「トーカチ。あの石は、灯火石」
 と、教えてあげた。
「なんだそれは」
 ふむ、やはり知らないのか。アルさんの知識は、偏ってるなぁ。さて、どんな適当な事を教えようかと思案しているうちに、チロルさんが教えていた。
「簡単に言えば、あの石を棒の先端に付けて、松明のようにして使うんだ。照明器具だよ」
「光るのか? 熱いのか?」
 私を見て聞く。ので、
「光る。熱くない。高い」
 付加情報もつけて、答えてあげた。
 灯火石は、火を近づけると、それを吸い込んで赤く光る不思議な石だ。精製方法はよくわかっていないが、遺跡や遺構からは割とよく発掘されるため、太古に栄えていたと信じられている古代魔法文明では、一般的な照明器具だったのだろうと言われている。一般的とは言え、庶民たる私達にとってはお高い代物で、蝋燭なら、一年分は買えるようなお値段となっている。とても高い。というか、そもそも私、蝋燭どころか、オイルランプしか使ったことなかったわ。
「その内、五、六個は、ポーチに入れておくことになるよ」
 さらっと、チロルさん。なんだって?
「ダンジョンが、真面目に照明がなくて、真っ暗なんだ」
「まじかー」
 いやいや、灯火石をポーチに五、六個って、冒険者って、そんなにお金持ちなの? ってか、待てよ……アルさん、そういえば突然、マジックバッグを私にくれたな……実は、お金持ちなのか……?
「良からぬ妄想をしているな……」
 失敬な。
「あと、どんなもん?」
 火口に火が落ちないで、たいそう苦戦しているらしき護衛の兵士たちを眺めながらのアルさんに、チロルさんが返した。
「半刻もないかな? とは言え、この世界の時間は、体感より速いからな」
「疲れたか?」
 と、アルさんが私に──え? 私に? え?
「あ、いや……ま、まあ、大丈夫」
 不意打ちだ。くっ……
「むぎ──」
 と、言いかけたアルさんの言葉が、途切れた。
 ざわりと流れた風に、チロルさんの長い金色の髪が、揺れた。
 しゅっと、風を切る音。チロルさんがむぎちゃんの、アルさんが私の頭を押さえつけ、屈めさせた。な、何事!?
 「ウゥ!」という短いうめき声が聞こえて、火種を作っていた兵士がその場にうずくまった。首筋に、木製の矢が、深く突き刺さっている。
 しゅんしゅんと、矢が闇を切る音がいくつも聞こえて、あたりの木々に、びぃんと音を立てて突き刺さった。
「来たか!」
 剣を抜くアルさん。「どこだ!?」
「むぎ、灯りを!」
 言い、チロルさんは矢に撃たれた兵士の元へと走って行く。「負傷者は、私が見る」「了解」短く返すアルさんの声に、むぎちゃんの短い詠唱。空間に三つの光球が生まれ、あたりを照らす。
「立て!」
 ぐいと腕を引っぱられ、わたわたと私は立ち上がった。ざざざざざざと、森の下草を掻き分け、何かが迫ってくる音が聞こえ、私は音の方を見た。黒い影が、光の中に踊り込んできて、その姿が照らし出される。振り上げられた右手には、逆手に握られた短い剣。ぼろぼろの、意味をなしているのかわからない服。はだけた胸元の肉は削げ落ち、骨が露出していて、その顔の肉も、同じようにすでになく、窪んだ眼窩には、赤い小さな光が瞬いていた。
 私に向かって、逆手に握られた短剣が振り下ろされる。仰け反るようにして身を引いた私は、そのまま尻もちをついて倒れ──切っ先が、私の目に、いっぱいに映り──
「何だコイツ!?」
 間に割って入ったアルさんが、逆袈裟に剣を振り上げ、それを斬り飛ばした。ばしゅんとそれは黒い靄になって散り、コークスのようなものをその場に落とした。
「ブアウゾンビか!?」
 それが何か、私にはわからなかったけれど、下草を掻き分けて、何体ものそれが、光の中に姿を現していた。
 兵士たちの悲鳴が聞こえる。見ると、すでに三人、地面にうつ伏せに倒れている。
「チロル!」
 アルさんの声に、
「大丈夫だ!」
 及び腰になっていた兵士たちの首根っこをひっ掴んで、自分の背後に引き倒しながら、チロルさんは返した。
「負傷者をキュアしながら、こっちはかばう。むぎ!」
「うん!」
「任せる!」
 声に、むぎちゃんは長い杖を両手でつかみ、捧げるようにして天に掲げた。魔法陣の円環が、彼女の足元に光とともに描き出される。
「おお!? コレ、全部潰せるレベル?」
「全部行けますけど、ちょっと詠唱、かかりますよ?」
「オウケーイ」
 ニヤリ、笑って、
「おら、立て」
 アルさんは、尻もちをついていた私を蹴った。うぐ……何か言い返したかったけど、やめた。明らかに私、この中でひとり、足手まといだ。
「剣を抜け」
 言われ、腰の剣すら抜いていなかったことに気づく。急いで抜こうとして、上手くできなくて、なんとかそれを抜いて、
「片手で、一番近いやつの青眼につけろ」
 言われたとおりにすると、切っ先が、かたかたと揺れていた。なんてこった……私、震えているのか?
「落ち着け」
 声に、ごくんとつばを飲んで、私は、私達を取り囲む、ブアウゾンビとアルさんが言ったそれを数えてみた。一、二、三……チロルさんの方を囲んでいるのも含めて、八体くらいいるだろうか。
 しゅんっと、三度、矢が風を切る音がし──たが、それは、アルさんの剣によって叩き落とされていた。見えてるのか、この人……
「むぎ、詠唱中のお前は、こいつが守る」
 私!?
「わかりました」
 むぎちゃん、すんなり納得。そっと目を伏せ、
「お願いしますね」
 と、杖を胸の前に引き、小さく詠唱を始める。
 マジか……しかし、
「わ、わかった。守る」
 と、返すけれど、全く自信がない……
「森の中から撃ってきてるアーチャータイプを潰してくる。あと、よろしく」
「ちょ……!?」
 止める間もなく、アルさんは剣を腰だめに構えて、駆け出していた。
「ちょっと待って!」
 置いてかないで!? まったく自信、ないんだけど! という思いを告げる間もなく、アルさんは行きがけに立ちふさがったブアウゾンビを一体切り結び、取り囲んでいた残りの数体も引きつけて、森の闇の中に躍り込んでいった。
 光の届かないその先で、剣閃と剣戟の音が響いている。
 何が起こっているのか、じっと目を凝らすけれど、わからない。あの闇の中で、アルさんは数体の敵を引っ張りながら、戦ってるの……か?
 不意に、赤い何かが、チカッと光った気がして、
「わぁあ!?」
 私は剣を振るった。ビシッと腕に走る衝撃。軌道をそらされた矢が、近くの木に音を立てて突き刺さった。
「ちょっと! 狙われた!」
 叫んでみた。
「わりい!」
 返ってきた。返ってくるとは思わなんだ。ってか、まさか当たるとも思わなかった。ってか、悪びれた様子がまったくなかったんだが、なんなんだ……
 背後のむぎちゃんは、粛々と詠唱を続けている。
 離れたチロルさんを見ると、こちらも背後でうずくまっている兵士を守りながら、長い槍のような武器で、ブアウゾンビを押し返している。
 早く──むぎちゃんを見る。小さく詠唱を続ける彼女のそれが、いつ終わるのか、全くわからない。精神衛生上、よろしくない。魔法も覚えよう。なんて思っている視界の端に、森の木々の向こう、曲刀を手にした、ブアウゾンビの姿が映った。
 赤い、小さな火種のような眼窩の中のそれが、ふっと小さく揺れる。人の眼なら、それは明らかに、むぎちゃんを見定めたものだと思った。
 半身に振り向いてむぎちゃんを見ていた私、むぎちゃん、そしてその向こうの、それ。
 それが、右腕を振り上げ、走り出した。
「アルさん!」
 咄嗟、叫んだけれど、それがなぜだったのかはわからない。同時に、私は、彼女を守らなければと動き出していた。彼女の背後に回り込まなければ──と、駆け出そうとした私の耳に、再び、あの、空気を引き裂く音が届いた。
 なにか、熱いものが私の太ももに衝撃を走らせ、駆け出そうとした私を、その場にもんどり打って倒れ込ませた。
 いや、それが何かは、すぐに分かった。分かっていた。
「わりい! 一匹、タゲが──」
 アルさんの声。いや、そんなものはいい。太ももに、深々と矢が刺さっている。血が、じわりとにじみ出て──それよりも──「むぎちゃん!?」
 見上げた彼女は、目を伏せたまま、詠唱を続けている。ブアウゾンビ──は、彼女の背後へ、最後の一歩を詰めるため、大きく跳躍していた。
「むぎ!?」
 アルさんの声。むぎちゃんの背後に迫るそれに、鋭い警告。
 しかし、むぎちゃんは詠唱を止めない。
 私の剣は、右手にあった。
 力を振り絞り、片足で地面を蹴る。何かを叫びながら、私はその間に飛び込んだ。身を挺する覚悟だったのかは、よくわからない。とにかく、力一杯に地面を蹴ってそこに飛び込み、剣を振り上げた。
 剣閃に、闇の体が二つに切り裂かれ、ばしゅんと、靄になって消えた。
「むぎ!」
 再びアルさんの声。振り向く。
 闇の中、チカッと瞬く、赤い光。真っ直ぐに迫る次の矢が、見えた気がした。
 いや、そんな馬鹿な──と、疑う余地はなかった。守らなければ──それが最初。確かに見えていた。刹那の時間の中で、迫りくるそれが見えていることを、私は確信していた。
 勢いのまま振り向きながら、私はそれに左手を伸ばす。掴めると思った。はたしてそれは──掴めた!
 むぎちゃんの額に、拳一つ分とない所で、私はその矢を、しっかりと、掴んでいた。
 なんてこった……右手に剣、太ももに矢を受けて、左手で飛んできた矢を掴んで、踏ん張ってる私。信じられない……その目の前で、むぎちゃんは目を伏せたまま、微動だにせず──詠唱を終えた。
 むぎちゃんが目を開き、高々と両手で握りしめた杖を再び天に掲げ、呪文の最後を結ぶ。
 闇を払う彼女の声に、生まれ出た無数の火球が、轟音と共に辺りに舞い踊り、光と熱の中でそれを一掃した。
 やがて、静寂が夜の森に戻り──それを確認して、私はその場に倒れ込んだ。
 ああ……痛い……
 超痛い。泣きそう……って言うか、泣く……

 と思っていたが、なんか、痛くなくなった。
 あれ? 死んじゃう時って、痛み感じないとか言うけど、それか? とか、不安になっていると、
「すまん」
 アルさんの声が上から降ってきた気がしたので、うろんに顔を上げた。
「すまん、タゲがいっこ、漏れてた」
「悪びれた風に聞こえない」
 思ったままを口にした。
「治したから、キュア・ウーンズ。もう痛くないだろ?」
「そういう問題?」
「すまん。タゲ、タンクスキルないと、一度に四体までしか持てないみたい。勉強になった」
「私、死ぬかと思ったんだけど?」
「すまん。だがしかし、結果オーライ」
 悪びれた様子、全くなし。
 座り込んでいた私に、むぎちゃんが手を伸ばしてきた。
「ありがとうございます。大丈夫ですか?」
「あ、うん。平気」
「平気じゃん」
 この男は……と、軽く睨みつけてやって、
「そういえば、なんで私じゃなくて、『むぎちゃん』だったの?」
 むぎちゃんに手をとってもらい、立ち上がる私に、アルさんは「ふむ……」と唸り、
「お前は、なんか、なんとかするかなと思って」
 どういう信頼関係だ、くそう。
「ってか、聞こえてたの?」
 アルさんは、むぎちゃんに向かって聞いた。問われたむぎちゃんは、「はて?」と小首を傾げて、さらりと返した。
「アルさんの声ですか? 聞こえてましたよ?」
「後ろから来てたの、気づいてなかったの?」
 聞いてみた。
「気づいてましたよ?」
 え? マジで? 微動だにしてませんでしたけど?
「俺のミスだけど、その後の矢は?」
 お、認めたな……
「あ、それも、なんとなく」
「マジで!?」
 私とアルさん、思わず声が重なった。
 気づいてたなら、もうちょっとなんかあったのでは? 詠唱って、一瞬でも途切れちゃ駄目なのか? 知識がないから、わからない。わからないけど、なんか──なんか、なかったのか?
 屈託のない微笑みのまま、小首を傾げるむぎちゃん。その私達のもとへ、兵士の治癒を終えたチロルさんが歩み寄ってくる。
「なにやら、むぎが、また無茶なことをしたかな?」
「えー? してないよー」
「お前、よく矢、掴んだな?」
「アルさん、よく矢、弾けますよね?」
「勘」
「勘」
 ってか、
「いや、あれ、当たってたら大事だよ、むぎちゃん」
 あんな事をやってしまった自分が言うのもなんだけれど、あれは危なかった。思い出しても、背筋がぞわぞわする。
「え? でも、守ってくれるって言ったじゃないですか」
 屈託なく、むぎちゃんは言う。言ったっけ? あ、言ったな。言ったわ。
 チロルさんは、苦笑するように笑っていた。むぎちゃんは相変わらずに、屈託なく笑ったまま、
「守るって言ってくれましたから、私、信じてました」
 私に向かって、そう言った。
「勇者って、そういうものじゃないですか」

 そして半刻ほど。
 森の道を進んだ私達は、やっとの事で、山道の宿場についた。
 そして、その宿場の入り口には、
「いやいや、遅かったですね」
 暗黒騎士、レイさんこと、レイシュさんが待っていた。
「ともかく、私は最初に、なんて言えば良いですかね?」
「ふむ……」
 唸るアルさんに、
「思ったままを、言えばいいんじゃないですかね?」
 私が続いた。ので、
「ナンパですか?」
 思ったままを口にするレイさん。
「違う」
 チロルさんは苦笑。むぎちゃんはハテナだ。私はうんうん。
「パーティー組んでるって事は、途中の襲撃クエスト、やらなかったんですか? 折角、私達がお膳立てしたのに」
 と、レイさん。
「いや、やったぞ。ブアウゾンビに襲われるやつ」
「え? マジですか?」
 レイさんは驚きに目を丸くして続けた。
「よく死にませんでしたね。あれ、受けた後でパーティー組めますけど、組むと足手まといにしかならない護衛の兵士が増えて、敵の数がめっちゃ増えるんですけど」
「80レベル超えのタンクと魔法使いだったから、へーきへーき」
 いやいや、あなた……私的には、平気だった気が、全くしないのだけれど……
「いや、私も少し甘く見すぎていて、お仲間を危険にさらしてしまった。すまない」
 と、チロルさん。チロルさんが謝るような事ではないと思うけどなー。アルさんは、私に謝るべきだと思うけれどなー。
「15にシンクされていたのもあって、大分危険だったかもしれない」
「ああ、この人は実レベルに見合わぬ廃人なので、死んだら自己責任でいいんですよ」
「ひどくね?」
 私に同意を求めても、無駄だと思わないのかな、この人は。
「それに、聖騎士様が、暗黒騎士如きに謝罪などしてはいけません」
「あ、すまない。私は、そういうのにはうとくて……」
「いえ、私も実際はルーニーなので、たわごとです」
「なんか、そういうの、あんの?」
「世界観的なものですねー、まあ、私はPvPはしないので、そのへんは気にしません」
 アルさん、レイさんが、私にはよくわからないいつもの話をしているところに、護衛の兵士さん達がやって来た。いつの間にか、宿場で馬を借りたようで、「鞍上から失礼する」と、声をかけてきた。
「我々は、先程の襲撃の件を、関係各所に通達するため、ここで失礼する」
「おう、気をつけて」
「テネロパまで同行はできないが、先に伝令をやって、街道の安全確保につとめてもらう。明日は昼頃に出れば、安全にテネロパへつけるだろう」
「おう、サンキュー」
 軽く返して、アルさんはレイさんに小声で聞いた。
「これで、クエ終わり?」
「ええ、次はテネロパに行かないと出ませんね」
「あのブアウゾンビは、何だったんだろうな」
 アルさんの呟きに、鞍上の兵士が応えた。
「衣服や武器から察するに、以前から報告のあった野盗まがいの者達だと思うが……そんな輩がアンデッド化して襲いかかってきたとなると……この事は、他言無用で頼む」
「ブアウゾンビなんだから、黒幕、いるんだろうしな」
「しーっ! しーっ! プレイヤーにはターゲットネームが見えてますけど、彼らには見えてませんからー!」
「なんで、黒幕がいる話になるんだ?」
 けろりと言ったアルさんの台詞に、チロルさんが聞いた。私も同じ疑問だ。そもそも、あれがブアウゾンビと言うアンデッドだという情報も、アルさんがそう言っていたからなんだけど、そもそも、ブアウゾンビってなんだ? 死体が動くっていうゾンビとは、なにか違うのか?
 私達の素朴な疑問に、レイさんが答えてくれた。
「えー、ブアウゾンビはですね、クリエイト・ブアウゾンビという魔法で作られるというのが、まあ、一般常識としてあるわけでして、大抵、そういうのは、悪いネクロマンサー系が使えて、プレイヤーは使えないわけですが……まあ、この男はですね、己の知識で先読みをして発言をしているわけで、まあ、軽く流しておくのが良いかと思います」
「扱い、酷くね?」
 なぜ、私に聞く。
 ってか、
「だんだん、私もわかってきた気がしますよ?」
「マジかよ、ヒデエな」
「そういうところだよ」
 そういうところだな、うん。

 兵士さんたちが去って、さて、私達も宿を取ろうかと、私、チロルさん、むぎちゃん。あれ? アルさんは?
 と、見ると、レイさんと二人、なにやら夜空を見上げて話している。
「で、勇者ちゃんとの、初めての二人旅は、どうでしたか?」
「うむ……なかなか見込みがあるぞ。今日なんて、素手で矢を掴んだ」
「……チートはだめですよ?」
「え? 出来ねーの? やってたぞ、あれ」
「まあ、勇者ちゃんはプレイヤーではありませんから、システムが許可する限り、なんでも出来ちゃうそうですが……」
「俺にもできねーかなー」
「あなた、本当にやりそうで怖いですね」
「まあ、一緒に旅する相棒としては、割とありかも知れん。なかなか、イイやつだぞ?」
「最初の適性診断は、ちゃんとやったんですね。リセットされなくて良かったです……」
「俺は、いつでも真面目だぞー」
「どの口が!?」
 あの口は、本当になんとかしたほうがいいな。マジで。
「いや、でもあいつ、俺は、結構好きだぞ?」
 ……いやまて。何を言い出したんだ、あの人は。
「今日一日、一緒に旅した感じだけど、俺は、あいつ──」
「アルさん!」
 と、なにか恥ずかしいことを言われる前に、私は声をかけた。
「宿! とりますよ! どうするんですか!?」
「おう」
 と、振り向き、
「個室取るなら、一部屋でいいぞ」
 なん……!?
 いや、なに、まて。そう、むぎちゃんたち女部屋がひとつあって、男部屋がひとつという意味。おう、オーケイ。ありうる。いや、でも、むぎちゃんたちと一緒っていうのも、向こうに悪いか? いや、でも、一部屋って、アルさんと? いやいや、エルさんいるなら左手の一撃があるからまだしも、いや、流石に一緒に旅したからって、昨日の今日で、それはほら、っていうか、あのナンパ師、さっき私のこと、割と好きだぞとか言ってなかったか?
 いやいやいや。
「へーい」
「やっほーい」
 和気あいあいと、アルさんとレイさん。
 宿屋の庭に、ぽーんとテントを広げる。
「ああ……」
 なるほど。
「なんか美味しいもの食べるなら、言ってくださいよ!」
「おう! 無論だ!」
「今日は、わざわざ深碧の渓流まで行って捕まえてきた、川魚ですよ! 塩はサウルヤ塩湖の岩塩です!」
 よくわかんないけど、こだわりはよくわかった。それてそれもまた、うまそうだなって事も、よくわかった。
「楽しそうだな」
 チロルさんが、笑っていた。
「ええ、ええっと……まあ、私もまだ、二日しか一緒にいないんで、わかんないですけと……」
 ちょっと、苦笑気味だったかもしれない。まあ、ちょっと、ね。チロルさんの隣で、楽しそうに笑うむぎちゃんほど、屈託なくは、まだ笑えない。
「ご一緒します? アレらは好きでやってるんで、喜ぶと思いますよ?」
 そのお誘いは、結構、屈託なく言えたような気がした。


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