studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2018.09.01

勇者ちゃん、ダンジョンに挑む!

Written by
しゃちょ
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読み物
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「なるほど、やはりそうか」
 と、テネロパ鉱夫ギルドの長であり、この街の実質トップでもある壮年の男性は、唸るようにして呟いた。
「この信書の中身については、何か聞いているのか?」
 テネロパの中央区、鉱夫ギルド長の執務室にて、ギルド長にそう問われた私とアルさんは、はて? と、顔を見合わせる。
「特に何も」
 さらりと返すアルさん。
「……ふむ」
 と、唸ったギルド長に、
「おう、次のクエストが出た」
 毎度の、アルさんのよくわからないつぶやきが続く。
 はてさて、なにやら、面倒くさい話になりそうな気がしてきたぞ……

「この信書は、ここ最近、遺棄された坑道に巣食うようになったコボルトどもが持っていた、鉱石の鑑定結果なんだがな」
 と、続けたギルド長に、
「コボルト? コボルドではなくて?」
 はて? と言う顔をするギルド長。「ん?」と、アルさんが私を見る。ので、
「コボルト」
 魔物と呼ばれるカテゴリーの妖魔だ。二本足で歩く、やや鱗がかかった爬虫類っぽい皮膚に、犬のような鼻っつらの頭が乗っかっている、らしい。見たことないので、伝聞。
「この世界は、コボルトなのか……」
 どうやら、アルさん曰く、ここではない別の世界での話のようだ。そっちでは、コボルドって、濁った発音だったのかな?
「コボルトの持ってた鉱石って事は、コバルトか?」
「それじゃ、わざわざ鑑定には出さないさ」
 さらりと答えられて、アルさんはびっくりしたように、
「コボルトとコバルトには、関係性があるのか! マニアックだな!」
 ん? と、再びギルド長。いや、私を見られても、私もアルさんが何言ってるかわかりませんので、念のため。
「で、何だった?」
「ああ」
 ギルド長は、ゆっくりと言った。
「どうやら、コボルトたちは、ミスリル銀を持っていたようだ」

 鉱夫ギルドから外に出ると、
「おっせーよ」
 と、いつの間に現れたのか、アルさんの冒険者仲間、ダガーさんが腕組みをしてそこに立っていた。神出鬼没。ローグだから、適性なのかしら。まあ、ともあれ、ダガーさんは不機嫌そうにムスッとして、
「オレを待たせるとは、偉くなったもんだな、アルベルト・ミラルス」
「いや、お前が勝手に待ってたんだろうが」
 うん。この二人に、平穏な挨拶など存在しない。
 ダガーさんは気にも止めずに、さらりと続けた。
「で、クエストは受けてきたんだろうな? 遺棄された坑道のなんちゃら」
「ああ、なんか、コボルトが坑道に巣食ってるから、退治して、ついでにそいつらが持ってるだろうミスリル銀を回収してきてくれってヤツだろ?」
「それだ」
 と、指を鳴らすダガーさんの言うように、先のギルド長から、私達はそんな依頼をされていた。のだが、なんでダガーさんが、それを知っているのだろう……謎だ。まあ、この人たちにはこういうことはよくあるので、聞いても、「そういうもん」とか言われるのがオチだろうから、あまり気にしない事にする。
 ともあれ、
「んじゃ、いこーぜー」
 と、ダガーさんも一緒に来る気まんまんのようだ。
「遺棄された坑道って、どこよ?」
「南に出て、ちょっといったとこだな。初のインスタンスダンジョンだぜ。ってか、ネリはどこにいってんだ? パーティリストにはいんのに」
 なにやら、ダガーさんが知らない言葉を発しながら、てくてくと行く。はて、インスタンスダンジョンってなんだろう。あと、ネリってなんだ?
「後から合流するとか言ってたな。できんのか?」
「インスタンス生成前にパーティ組んでりゃ、同一インスタンスには入れる」
 どうやら、ネリと言うのは人の名前らしい。アルさんの冒険者仲間だろうか。どんな人だろう、とも思うけれど、まあ、アルさんとダガーさんの仲間なら、推して知るべしか。
 などと考えつつ、てくてく行く二人について歩いていた私は、ふと見た中央広場の端に、数少ない、私の知る冒険者の姿を見た。
「あ」
 と、呟いてしまって、ごめんなさい。
「ん?」
 と、アルさんが私の視線の先を見て、
「お」
 と、ダガーさんがにやりと笑う。
 ……ごめんなさい。
 そして、基本的に人が良いんだろうなぁというその人は、「ああ」と、私達に気づいて、声をかけながら近づいてきた。
「アルさん、まだテネロパにいたのか」
 と、私達のもとにやってきたのは、金色の長い髪を揺らす聖騎士、チロルさんだ。
「いや、実は、前回からログインしてねーんだ」
「こいつ、週末くらいしかやんねーからな」
「なるほど……と、えーと……あなたは……ダガーさん、だったかな?」
 おそらく初対面であろうダガーさんに、チロルさん。え? ダガーさんて、有名人?
「さすがオレ。有名人」
 自分で言っちゃう。
「アホか」
 反射な感じで言ったアルさんに、チロルさんは軽く笑いながら続けていた。
「いや、教えてもらった配信、全部見させてもらったんだ。面白くて、過去作も一気見してしまったよ」
「お、この配信も見た? VRVのやつ。あれ、すごくね?」
 うーん……ダガーさんが言ったそれが、私にはさっぱりなんだかわからなかったが、
「もちろん。むしろ、このゲームであんな事ができるなんて、知らなかったよ。プレイ動画のVR再生で、しかも、自分が第三者視点で見られるなんて」
「臨場感、半端ないよな」
「己のショボさが、よくわかったろう、ダガー」
「死ね」
「しかし、あの時、背後であんなことになっていたとはな……」
 苦笑するチロルさんが、私を見る。はて? なんの話だか、私にはちんぷんかんぷん、さっぱりハテナだ。
「その内、アレでリアルタイム配信もする予定」
「ほう」
「実は、テスト用の配信専用サーバーがそろっと建つ予定なんだ」
「まあ、それが試したくて、これをやってるってフシもあるしな」
「へえ……それは、楽しみにしてるよ」
 チロルさんは笑って言ったが、うん、アルさんとダガーさんの二人の間に流れた一瞬の空気は、まあ、チロルさんにはまだ、わからなかろうな。
 何言ってんだ? ハテナ? みたいな、それ。
 わかっちゃう私も、どうかなー。そして、チロルさん、ごめんなさい。
「何言ってんだ?」
「んだ」
「?」
 そしてアルさんとダガーさんは、さも当たり前と言うように、言った。
「チロルさんも、こっち側に決まってんじゃん」
「……?」
 何やら、言葉の意味を理解するのに、たっぷりの沈黙があった。
 で、
「いやいやいや! わたしは──!!」
 両手を前に突き出し、ぶんぶんと振るうチロルさんに、
「はっはっはー、何言ってんだー。顔出し、名前出し、配信OKって、前回言ったじゃないかー」
 アルさんは爽やかを装うように言う。
「今日も、絶賛、録画中だぞー」
 その笑みは、全く爽やかではない。
「ま」
 と、ダガーさん。かるーく、言う。
「ここで会ったのも、何かの縁。袖振り合うも多生の縁。地獄の沙汰も、何かの縁」
 地獄の沙汰って、なんだそりゃ。
「一緒に、冒険しようぜ!」
 ふたり、息ぴったりに言う。
「いやいやいや、そんな……わたしは何も面白い事は出来ないし、それに、そんなにプレイヤースキルが高いわけでもないし……」
 チロルさんは抵抗する。が、まぁ、ごめんなさい。
「さー、行こうかー」
 ずずいと詰め寄るアルさん、ダガーさん。
「え? ど、どこへ?」
「坑道のなんちゃらクエ」
「メインクエのあれか? いや、私は取りこぼしていた、銀細工の鍛冶師クエをやろうと思って、鍛冶師の家を探していて──」
「鍛冶師の家は、川向こうの下流だ。市街区じゃねーぞ?」
「川向こうの下流とか、細かいこだわりだな」
「しかも、あのクエは、鍛冶師の家に行かねーとでねーが、夜でないと鍛冶師が家にいねえから、夜まで時間つぶしだな」
「決まりだな」
「え? え? そうなのか?」
「うん、決まりだ」
 決まりらしい。
 あたふたするチロルさんは、あわれ、アルさん、ダガーさんに促され、「え? あれ?」と、私達と共に行く。
 ……ごめんなさい。

「ここだ」
 と、ダガーさん。
 街外れの、遺棄された坑道を前にして言う。
 坑道の入り口は、二人並んで歩くのにも十分な幅で、高さも、私の背丈の一人半くらいか。傾斜地にぽっかりと空いているその入り口は、木材で補強されてはいたが、ところどころ朽ちていて、遺棄されてから数年は経っているように見えた。
「ああ、ここは、長物はペナありだったかな? 私のハルバードだと、突き技しか使えないかもだな」
 と、チロルさんが弱々しく口にする。
「私は、役に立たないかもしれないぞ?」
「大丈夫だ。ダガーよりは信頼できる」
「死ね」
 もはや、挨拶と同レベル。
「よし」
 と、アルさんは腰の剣を確かめて、言った。
「ダガー──」
「入り口に罠はないぞ。遺棄されているとは言え、坑道だからな」
「クリア済み?」
「無論」
「早くね?」
「オメーがおせーんだ」
 軽口のやり取りがあって、「んじゃ、行くか」と、アルさんはその坑道の中に入って行った。
 さて、私も続くかと、踏み出そうとしたその肩を、ダガーさんがぺしと止めた。
 はて? と、振り向くと、ダガーさんはにやにやと笑っている。チロルさんは目を伏せて、おお……と天を仰いでいる。
 ……ほう。何かあるな。
 視線を戻すと、アルさんは坑道の闇の中に消えていって──程なくして、戻ってきた。
「真っ暗で、なんも見えねーんだけど!」
 そりゃ……そうだね……
「ランタンも買ってねーのか、ゴミめ」
「普通、通路にランタンオブジェクトとかあって明るいか、不思議発光で、明るいもんだろー?」
「このゲームは、わりとそういう、細かいこだわりがあるんだ」
 と、チロルさん。
「私達も、最初はそのまま入って、ランタンがなくて、街まで買いに戻ったなあ」
「待っててやるから、買ってこい、ゴミ」
「よし、買ってこい」
「なんで私!?」
 ナチュラルに私に振ったな、この人。
 私達が、さて、押し付け合いを始めようかとしたところで、
「まあ、ここは私が前に出るし、付けるよ」
 と、チロルさんはベルトポーチから灯火石を取り出した。火種を飲み込み、輝き続ける不思議な石、灯火石。それを、槍の石突きにぐいっと嵌め込む。
「おー、いいな、それ」
 と、アルさん。
「ち、しかたねーな」
 と、ダガーさんも左手で逆手に短剣を引き抜いて、柄に灯火石を嵌め込んだ。
 ……割とあれ、高価なものなんだけど、ダガーさん、いつの間に買ったんだ?
「ダガーさん、散火石は?」
「あるぜ、火起こしが楽だからな、買った」
「そうか」
 と、ばきんと、細長い石を二つに折って、飛び散った火花を灯火石に閉じ込める二人。
「あんな石もあるのか……」
 感心するアルさんに、
「灯火石も、散火石も、けっこう高いんですけどね……」
 つぶやく私。
「一応、何かあったときのために、いくつか渡しておこう」
 と、チロルさんはベルトポーチから一掴み、灯火石と散火石を、私達に差し出した。
「ええ!? いや、そんな高価なもの──」
「お、さんきゅー」
「ええっ!?」
 高い物だって言ってるのに、躊躇なかったなぁ、この人。

 「では、やはりここは真面目に、隊列なども考えつつ、慎重に行こうじゃないか」とか、アルさんは言って、「ローグのダガーと、タンクのチロルさんが前な」「いや、なんでクリア済み勢が前なんだよ」「隊列的には、正しい運用だろうが」などと言う、「あー、はいはい」なやり取りをして、坑道内部。
 入り口から奥へ、ややきつい下りの傾斜が続くその内部は、すこし左に弧を描くようにして、延々と伸びているようだ。
 灯火石に照らされる、いつの間にか木枠の無くなった、水に濡れててらてらと光る岩肌の通路を進みながら、アルさんはぽつり。
「これ、一本道なのか?」
「いや」
 先を照らしながらのダガーさんが返した。
「そろそろ、採掘場らしき広場に出る。でかいぞ、大久保間歩の福石場くらいある」
「でけえ!?」
 いやいや、
「おおくぼまぶ?」
 なんだそれはと呟き、チロルさんに視線を送ってみたけれど、チロルさんもわからないようで、小首を傾げる仕草だけを返してきた。
「なにそれ?」
 と、横のアルさんに、素直に、聞く。
「世界遺産」
「へえ」
 と、チロルさんが唸った。世界遺産? なんだそれは。古代魔法帝国あたりの、遺跡のことか?
「あれは、幅で15メートル、高さで20くらいはあったか?」
「おう、灯火石だと光が届ききらないから、闇の向こうが見えなくて、割と恐怖感あるぜ?」
「ってか、この世界の長さ単位って、メートル法でいいのか?」
「SIで問題ない。その辺変えると、厄介すぎる」
 アルさんとダガーさんは、多分、古代魔法文明語か何かを話しているんだろう。ふうんって、わかったふりして、頷いておこう。
 やがて道が広くなり始め、その福石場とやらに近づいてきた。
 手前、ダガーさんが右手を挙げ、左手に逆手に持っていた短剣を腰の鞘に戻した。灯火石の光源を鞘のカバーで隠して、辺りにふっと、闇を落とす。続いていたチロルさんもまた、石突きの先に皮の袋を軽くかぶせ、光量を落としていた。
「……光があるな」
 闇の先を見、呟くアルさん。
 同じ方向を見ながら、ダガーさんが、
「闇の向こうには、コボルトがいるようだ。コボルト達は、なにやら石を拾って、光に照らし、何かを探しているように見える……一体何を探しているのだろうか……」
「なんでナレーション口調なんだよ」
「DM風」
「君たち、マニアックだな」
「分かるチロルさんもどうかと思うぞ」
 もちろん、私には全くわからないわけだが。
「さて、リーダー、どうする?」
「突撃」
 躊躇ないな、この人は。
 アルさんはベルトポーチから灯火石を二つ取り出し、左手へ。そして右手には、続けて取り出した一本の散火石を手に、
「奇襲の後、光源内で戦闘。コボルトは暗視ありの、感覚、五感でいいんだな?」
「動きを見た限り、だと思うぞ」
「知能は『低い』だから、私のタウントで集まるとは思うが、何体いるんだ?」
「俺、まだ、索敵、そんなに高くねーんだよな。多分、六体」
「奇襲で三体減らせたとして、タウントで集めても、十分持てるだろう」
「ではそれで」
 というあっという間のやり取りに、え? っとか思う間もなく、
「では、わん……つー……」
 アルさんがカウントを取った。
「さん!」
 で、アルさんとダガーさんが飛び出す。ちょっと待って! カウントのタイミングすら指示されてないんですけど! っていうか、チロルさんも出遅れたんですけど!
 飛び出したアルさんは、右手の散火石を折り、左手の灯火石に火を入れた。そしてすぐさまそれを地面に投げつけ、二つの光源で、一気にばっと、辺りを照らした。ってか高いんですけど、それ!
 は、ともかく、
「七じゃねーか!」
 照らし出された、広い空間に点在していたコボルトの数を確認し、アルさんは叫びながら剣を引き抜く。そしてそのまま一番奥のコボルトへと、真っ直ぐに斬りかかった。
「誤差だ!」
 文句の相手、ダガーさんは両手で短剣を引き抜き、右手奥のコボルトへ。
 私は左か──背後のチロルさんがそれ以外のコボルトの位置を確認したのを横目に見て、左手奥のコボルトに向かい、走り出す。
 突如現れた光源と、その中から飛び出してきた私達に、コボルト達は狼狽え、動けずにいる。奇襲なら私だって──と、腰だめに構えた剣をコボルトの胴めがけ、思い切りに付き出す。
 咄嗟、剣先を避けようとしたコボルトの左肩口に、深々と切っ先が突き刺さった。コボルトが、その鱗の体からは想像もつかないが、その犬のような鼻っ面からすれば、正にその通りといったような、動物じみた悲鳴を上げた。
 しかし、なんにせよ、捉えた! とどめの一撃を! と、剣を引き抜──けない!?
 はっとして見ると、肩口に深く突き刺さった剣を、コボルトが右手で抑え込んでいた。まずい。剣を引き抜こうと力を入れ直す私に、悲鳴を上げたまま、コボルトは石を掴んでいた左手を、私の頭めがけて、思い切りに振りおろしてきた。
 ぐわんと、世界がひっくり返って、私はその場に倒れ込んだ。
 ばちんと視界が弾けたような気がして、何が起こったのか、いや、コボルトは!?
 両手をついて、顔を上げる。剣がない。剣は──コボルトの肩口に突き刺さったままだ。なんとか立ち上がらなきゃと足に力を入れる。その私に背を向け、コボルトは闇の奥へと向かって走り出す。
「ま、まて!」
 踏ん張って、駆け出し、追いかけた。あれ? 剣? いや、手負いだ。タックルして押し倒して、剣を回収して──考えながら、闇へと逃げるコボルトを追う。手を伸ばし、走る。
 その私の足に、何かが引っかかった。
 びん! と、何か。
 両足が、宙を滑る。滑って、浮いて、勢いのまま、私は身体ごと前に投げ出された。
 転ぶ──!? と、引き伸ばされた一瞬の中、私はその足元、闇の中に、細い金属のワイヤーが灯火石の光に照らされうねっているのを見た。あれは何だ? と思うと同時に、理解していた。トリップワイヤーだ!?
 私はそのまま、どうと地面に倒れ込んだ。
 痛い。と思うよりも先に、けたたましいベルの音が鳴り響く。立ち上がらなきゃと思うが、体が動かない。けたたましいベルの音よりも激しく、自分の心臓が耳のすぐ隣でばくばくと鳴り出していた。うるさい! いや、それよりも──!
 立ち上がるよりも先に、私は採石場の中を見た。
 光の奥、採石場に繋がる坑道、闇の奥から、コボルトたちが無数に湧いて出て来ている。ある者は奇声を上げ、ある者は剣を打ち鳴らし。
 何かを言おうとして、なんとか口を動かすけれど、声が出ない。ばくばく鳴り続ける心臓の音が、とてもとてもうるさくて、声を上げても──
 私のすぐそばで、ごごっと、何か重いものが動いたような音がした。
 音を、見る。
 トリップワイヤーの根元。木組みが崩れ、積み上げられていた土嚢が、ずずっと滑っていた。
 視線を感じ、私は闇の奥を見た。そこには、肩口の剣を自分で引き抜いたコボルトが居て、笑っていた。──ような気がした。
 再び聞こえた、何かが滑るような音に視線を戻す。視線の先、木組みが弾け、土嚢が滑り落ち、それが塞き止めていた残土が、堰を切ってどっと流れ出してきて──私に襲いかかってきた。
「アルさ──!?」
 咄嗟、叫んだ声は、ベルの音にかき消され、誰にも届かなかっただろう。
 送った視線の先、斬りかかってきた二体のコボルトの刃を剣で受けるアルさんの背中。それが、残土の流れに覆い隠された。
 そして──ものすごい圧力で私の体は押し潰され、土に飲まれて、流された。

 そして私は──寒さに、意識を取り戻した。
 凍えるような寒さに、辺りを確認しようとするが、目は開けない。身体を包む、重たい感覚。何とか息はできるけれど、身体は完全に土砂の中に埋もれているようだ。上が下か、下が上か。頭がぼうっとする。寒い……
 ああ……私は、このまま死んでしまうんだろうか……
 そんな思いが、頭をよぎった。
 私のミスだ。アルさんたちは、どうなったんだろう。流石のアルさん達も、あの数のコボルトが相手では──
 私は、どれくらい流されたんだろう。仮にここから飛び出せたとして、駆けつけられたとして、私に何ができるだろう。いやむしろ、私がいなければ──
 寒い……
 意識が薄れていく。氷の中に閉じ込められたかのような寒さに、意識が遠のいていく。このまま、私は死んでしまうんだろうか。このまま、私は──
 薄れゆく意識の中で、私は、ぱちんと、誰かが指を弾いた音を聞いた。瞬間──
 ぱあん! と、私の身体を包んでいた土砂の全てが、その音と共に弾け飛んだ。
 光の満ちる坑道の景色が、一瞬にして目の前に現れる。
 驚きに、目を丸くする。
 その視界の中で、右手の指を打ち鳴らしたらしき人物が──真っ黒の、大きなつばのついた三角帽子を被り、節くれだった杖を手にした、いかにも魔道士ですといった風体の男性が──ニヒルに笑っていた。
 べしゃっと、私は地面に落ちた。ぼうっとした頭であたりを見ると、魔法の灯りらしきものの中で、きらきらと輝く何かが、無数に宙を舞っていた。
 そのきらきらとした空気の中。頭の帽子の位置を直す魔道士らしき人。この人は、一体誰だろう……そしてこのきらきら光る、冷たいこれは、はたしてなんなのだろうか……
「いやあ、危ないところでしたね」
 という声が、遠くから聞こえてくる。
「あ、あれ? もしもし?」
 寒い……
「ノぉォー!? 継続ダメージが止まってないィィー? ポ、ポ、ポーション!? うわー! 白ポしかないィィー!」
 遠くから、声が聞こえてる……

 ぱちっと、目が覚めた。
 がばっと、起き上がる。
 素早くあたりを確認する。と、そこは坑道の中で、魔法の灯りらしきものに照らされていて、それはそのまま、私の最後の記憶の景色と合致していた。
 ふぅと、大きく息をついて帽子の位置を直している、先の魔道士らしき人。
 ……どうやらここは安全なようだ。というか、意識を失ったと思った瞬間から、そう時間は経っていないのかもしれない。ほんの数分、いや、もしかしたら、数秒とかかもしれない。
 そのくせ、あの瞬間に感じていた寒さも、不明瞭だった思考もすでにない。ポーションがどうとか言っていたので、この人が私にポーションを使ってくれたのだろうか。ってか、あの瞬間からほんの数秒しか経っていないのだとしたら、ほんの数秒でここまで回復するようなポーションというのは、いったい、どれだけ高価なシロモノなのだろう。あ、寒気がした。どっち? いや……どうやら、頭も順調に回りだしたようだ。
「……ネリさん?」
 思い当たった名前を、口にした。
「いかにも」
 帽子の位置を直し、私に向かってニヒルに笑い、その魔道士は言った。
「白ポしかなく、しかも、思わず二本も撒いてしまった、うっかり魔道士のネリです。あなた十人分くらい、余裕で回復できましたね」
 白色のポーションなんて、聞いたこともないんだけど、どんだけ高級品なんだろう……気にしないことにしよう。
「いやいや、しかし、驚きました。運が良かったですね」
 と、ネリさん。
「こっちの坑道から入ったのが幸いしましたね。マップで位置確認したら、すぐそこだったのも運が良かったですし、カーソルが土の中を指していたときなんか、私以外ではもう、どうしようもなかったでしょうしね」
 ああ、そうだ。
「あれは……土を一瞬で……魔法ですか?」
「ええ、まあ、トンネルみたいな魔法が使えればもっと簡単だったんでしょうが、あいにく私は、ハイ・ウィザード=ハイ・ウィザードという、攻撃一辺倒なんで、ちょっと危ない方法になってしまいましたが……」
 ん?
「相手を凍らせて、継続ダメージを与えたあと、一定のHP以下の状態になったら、指を鳴らした瞬間に粉々に散らすという、とても格好いい、氷魔法なんですがね……」
 んん?
「土砂オブジェクトに掛けて散らした所までは格好良かったんですが、貴方にも継続ダメージが入っていたようでしてね……いやあ、危なかった危なかった」
 ……つまり、私はこの人に助けられた訳だが、高そうな白ポーションの分のそれは、この人の自業自得ということか? 助けられておいてなんだけれど、この人も間違いなく、アルさんのお仲間のようだな……
「おおっと、すでに私の名前はご存知のようですが、ちゃんとした自己紹介がまだでしたね」
 言い、黒い大きなつばのついた三角帽子の位置を直して、
「私は、ネリ。大魔道士──」
 そしてネリさんは、言った。
「私は、ネリ。大魔道士補佐見習い候補、ネリ・からしと申します」
 ニヒルに笑う、大魔道士補佐見習い候補──大分、大魔道士からは遠そうだな、と思うと同時に、ああ、この人も、アルさんたちの仲間たちなんだなって、確信した。

「さて」
 と、身体の泥やら土やらを一通りはたき落として──ベルトポーチも、背中のマジックバッグもあることを確認して──立ち上がった私に向かって、ネリさん。
「では、行きましょうか」
 杖をついーと動かし、ふわふわと浮いていた光球を移動させる。光が停止したのは、奥へと進むであろう、坑道の前だった。
「お、奥に進むんですか?」
 聞いた。
「え? そりゃそうでしょう。何しに来たんですか?」
 いや、何しに来たって言われたら、そりゃそうなんだけど……
 最後の状況を、説明したほうがいいのだろうか。あの数のコボルトたちに襲われて、アルさんたちは……
 複雑な顔をしていたのだろう。気づいたネリさんは、
「あ、アルたちなら生きてるんで、大丈夫ですよ」
 軽く言った。
「えーと、説明が非常に面倒くさいんでアレなんですが、あなたは基本的に、アルと離れ離れになって何があったとしても、あなたが生きている限り、アルは生きていると思ってもらってかまいません。世界の摂理とか、神のアレとか、そう言うモンと思ってもらって結構です」
「え? いや、でも……」
 いくらなんでも、それは……
「大魔道士の言葉を信じなさい」
 補佐見習い候補では?
 いやしかし、どうであれ、ここに居てもどうにもならない。ネリさんの言うことを信じて行動するのも、一つの選択肢だ。けど、
「街に戻ったほうがいいんじゃ──」
「え? あなた、アルが生きてたとしたら、街に戻ると思ってるんですか? あー、貴方、まだ、彼をわかってませんね?」
 えっと……いや、でも……
「でも、ダガーさんとか、チロルさんとか……」
「その二人の方がやられていたら、アルはとうに死んでますね」
 さらりと言うけれど……ですよねー。
 で、アルさんが生きていたとしたら、やっぱり、戻らないですよねー。
「故に、アレらとはぐれた場合、最も効率的に合流する方法は、目的地を目指すことです」
「目的地?」
「ええ、すでにお気づきかもしれませんが、ここのコボルト達は、目的を持って行動しています。目的があると言うことは、目的を与えた、コボルト・リーダーがいると言うことです」
 すらすらと話すネリさん。ちょっと、大魔道士の貫禄すらある……
「つまり、我々が目指すべき場所は、有り体に言えば──」
 ふふんと笑い、ネリさんは言った。
「ボス部屋です」

 そして、それから数十分。
 ぐねぐねとした坑道を、すたすたと進むネリさんを追って、私は進んだ。いくつもの砕石場後を抜け、複雑そうに見える坑道を、迷う素振りも見せずに進み、とある通路の途中で、ネリさんは足を止めた。
「ふむ……」
 と、鼻を鳴らし、杖の先でこんこんと壁を叩き始める。
「あ、ここですね」
「え?」
「この向こうが、ボス部屋です」
 ちょ、なんでわかるの……魔法的な何か……?
 私が疑問を口にするよりも早く、
「ちょっと待っててくださいねー」
 と、ネリさんは杖の先でぐりぐりと壁に斜めに穴を開け、取り出した水袋から、その穴の中へ、どぼどぼと水を注ぎ始めた。
「爆破しますんで」
「ちょっと待ってください」
 流石に止めた。
 不思議そうな顔で、私を見るネリさん。
「いや、爆破?」
「ええ、トンネルとか、洒落た魔法が使えればいいんですが、あいにく、私は使えませんので」
「先程のアレを、やろうとしていますか?」
「え? あれが一番、MP効率がいいんですが……もっと派手にぶち抜く方が好みですか?」
 いや、そうではない。
「いや、隣、ボス部屋って……爆破して、突っ込む気ですか?」
「爆破して突っ込まなかったら、何の為に爆破するんですか?」
 いやいやいや! 心底不思議そうに言ってますけど、そうじゃないでしょ! と、叫びたい。でも、隣、ボス部屋だって言うし……
「さーて」
 と、アルさんのお仲間であること間違いなしのネリさんは、頭の帽子を直す。
「カウントで行きますから、準備してください」
 仕方がないので、剣を抜く。と、
「……なんで、初期装備のショートソードなんですか? まあ、ノービスの初期装備よりはマシですが、そのレベルで、それはないでしょう」
「……う」
 剣は取られてしまったので、バッグの中に押し込んだままだったショートソードを取り出していたのだが……やはり、なんとも心もとない。なんかヒルトは歪んでるし……ブレードは鈍い感じがするし……
「買い替えてないんですか?」
「いえ……あの……何度か変えてますし、この街に来たときにも買い替えたんですけど……そのー、コボルトに取られてしまいまして……」
 実に恥ずかしい……
「ん? ここのコボルト、ディスアームやルートはしなかったはずですが?」
 やられたわけではないですし……
「まあ、なら、仕方ないですね。冒険終わりの、プレゼントのつもりでしたが」
 と、ネリさんは肩からかけていたマジックバッグを開け、中から、するすると、二本の剣を取り出していた。
「こちらは片手半ブロードソード。王道ですね。Lv12で、IL22ですから、まあまあの業物です。そしてこちらは細剣カテゴリー、まあ、レイピア系ですね。これはLv12でIL30という、超レアモノです。どっちがいいですか?」
「くれるんですか?」
 念のため、念のため。
「あげますよ?」
 あっさり!
「ただし!」
 を、付けるネリさん。
「あなたがどちらを選ぶかによって、今後のアルの武器が決まりますので、あなた好みの方を選んでください」
 むむ……なんで私の選択でアルさんの武器が決まるのかはわからないが、まあ、残ったほうをアルさんが使うとすれば……私が片手半ブロードソードを持つよりは、アルさんが持った方が格好いいんじゃないかな……いや、あの人がかっこいいかどうかなんて、私にはすごくどうでもいい事だが。
 と言うわけで、
「レイピアの方を……」
「最強厨乙」
 よくわからないことを言って、ネリさんはレイピアを私に投げ渡し、ブロードソードをしまった。
 投げ渡された剣は、見た目以上に軽く、しかし、しっくりと手に馴染む重さだった。
「ふふーん、しかし、貴方も中々、アルのことをわかっていますね」
 はて? 何がだろう。
「アルは基本、両手剣かレイピア細剣系の、両極端しか使わないので、盾持ち片手剣系も見てみたかったんですがねー」
 ん?
「そっちのブロードソードを、アルさんにでは?」
「は? なんで私がアルに貢がなきゃならないんですか?」
 それもそうだが……
「なんでアルさんも細剣?」
「貴方のお下がりの武器を使うからに決まっているでしょう。お金がもったいないからです」
 ……なるほど。私もまだまだ彼らのことを理解していなかったようだ。別にしたくないけど。
 しゃらんと剣を抜く。魔法の光の中でその刀身は強く、鋭く、自ら発光するように輝いて見えた。十字の華美な装飾は一切ないヒルトに、刀身と同じ輝きの、重六角錐のポメル。
「ミスリル製なんですよ、12kですけどね」
 12kと言うことは、半分はミスリルが含まれた剣と言うことに──どんだけ高価なんだ、これ?
「まあ、この時点でミスリル武器なんて、割とバランスクラッシャーですが、それはそれで」
 ミスリル。それは魔法の力を帯びた金属だ。銀に似た輝きから、ミスリル銀とも呼ばれ、銀と共に、ごく少量、採掘されることがあると言う。銅のように打ち伸ばせ、鋼のように硬いとも言われる、とても希少な金属で、もしもここ、テネロパでミスリルが採掘される事になったら、王国に莫大な富をもたらす事は間違いないのだが……あるともしれない鉱石より、実際に手にしている本物のミスリルは……やばい、ちょっと手が震える。
「まあ、冒険者をずっとやっていれば、12kのミスリルなんて、業物の鋼以下なので、高いだけの趣味武器だなってなりますけどね」
 ふふっと笑うネリさん。チロルさんもそうだけど、熟練冒険者さんは、価値観が違いすぎるなぁ……そう言えば、チロルさんの白い鎧、これに似た輝きだったから、もしかして、純ミスリルだったりするのかなぁ……町の一つくらい、買えちゃうんじゃないかなぁ……
「何やら、意識が別のところに行っているようですが、大丈夫ですか?」
 おっと、そうだ。隣、ボス部屋。
「アルとダガーがうるせーんで、そろそろ行きますよ」
 と、壁に向かい、ネリさんは左手の杖をかざした。
「カウントで行きますよ? いいですね?」
 剣を握り直し、私はこくんと頷いた。
「わん……つー……」
 そして杖を引いたネリさんは、
「さん!」
 ぱちん! と、指を鳴らした。

 爆発が、壁を粉砕する。
 生まれた空間へ、土煙を裂いて、私は躍り出た。
 浮遊する感覚。可能性として考えてはいたけれど、やっぱりだよ! 地面がない。
 私は空中をそのまま二、三歩走って、地面に着地した。追い抜いていったネリさんの魔法の光が、採石場跡を照らし出す。そして、
「よう」
 背後から、聞き慣れた声。
「生きてたな」
 顔を上げた私の隣を、アルさんが走り抜けていった。
「ごめん」
 走って追う。
 咄嗟だった。その言葉は、本心だったのかもしれないし、割とあっさり言えたのは、ネリさんの言葉以上に、信じていたからかもしれないけれど、言わないでおこう。
 剣を脇構えに下げたまま、私達は一点を目指して駆け抜けて行った。
 採石場の奥、数体──三体だ──のコボルトがいる。突然の爆発と、飛び出してきた私達にコボルトたちは狼狽え、動けずにいる。奥に大きいのが一体、手前に、普通のコボルトが二体。
「コールド・ボルト!」
 響いたネリさんの声に、私達の頭上を飛び越えて降り注いだ氷のつぶてが、一体のコボルトを、断末魔の悲鳴を上げさせる間もなく撃ち抜き、黒い靄に変えて霧散させていた。
 並走するアルさんの足が緩む。私はそのまま前に出て、小さい方のコボルトに迫る。
 コボルトの右手、サビの浮いたショートソード──利き手があるなら、右なのか──まずは、相手の利き手を狙う。さっきみたいな失敗はゴメンだ。腕を守る、籠手のようなものは見当たらない。私はコボルトの右手に向かい、内側から剣を振り上げた。
 手首に、軽い衝撃があって──コボルトの右手が、音もなくすっ飛んだ。
 驚きに目を丸くしたのは、コボルトだけじゃない。ミスリルの剣って、こんな切れ味なのか!?
 ともあれ、先に次の行動をとったのは私だった。つきすぎた勢いを、右足で踏ん張って止め、左上段に剣を止める。返す刀で、コボルトの肩口から、袈裟がけに剣を振り下ろす。と、ひゅんという空気を切り裂く音だけがして、コボルトは黒い霧となって霧散し、足元に鉱石を落とした。
 隣を、アルさんかニヤリと笑って、駆け抜けて行った。
 最奥、今までのコボルトよりも頭ふたつ分ほど大きいその妖魔は、右手にしていたメイスのようなものを構える。アルさんはその懐に飛び込み、いち、に、とフェイントを入れてから、払うように剣を振るった。が、コボルトはそれを器用に、メイスで受け止めた。
「さがれ」
 と、バックステップで下がるアルさんに、私も続いて、仲間たちの元へと下がった。即座にチロルさんが前に出てきて、盾を構えていた。
「おい」
 と、アルさん。言葉の先には、ネリさん。
「はい?」
「あれ、イモータルじゃねーか?」
「流石ですね、その通りです。奇襲で倒せるのは、手前の雑魚だけです」
 続くのは、短剣を両手に構えたダガーさんだ。
「コボルト・チーフは、一応、おボス様だからな。イモータル解除は、イベントしてからだ」
「本気で殴りに行ったのに」
 こちらのやり取りを無視して、大コボルトこと、コボルト・チーフが、犬のような口元をぎりぎりと震わせながら言っていた。
「ギギギ……貴様ら、おのれ……ここにミスリルの鉱床を見つけたのは、オデだちだ……この鉱床──」
 聞き取りにくい声で続けるコボルト・チーフを無視し、
「ネリ!」
「はい?」
「説明要約!」
「ネタバレ、どこまで?」
「任意!」
 ネリさんはふうと息をつき、肩をすくめさせて続けた。
「大規模な銀鉱床からは、ミスリル鉱床が見つかることがあるんですね。これはなぜかというと、実は、ミスリルが銀を元に、魔力によって錬成されるからなんですが、この技術は、この世界の住人達が言う、古代魔法帝国の技術なんです。で、ここ、テネロパの地下には、実は巨大な錬金術研究施設の遺跡が埋まっていましてね」
「……大分先の話をネタバレしたが、いいのか?」
 ぽそりと言ったチロルさんの言葉を無視し、ネリさんは続ける。
「で、錬金術の究極目標って、なんでしたっけ?」
「なるほど」
 わからん。何の話をしているのだ?
 ともあれ、アルさんは納得したようで、
「で、ここに賢者の石はあるのか?」
 言った。
 賢者の石。それは父が探して、旅に出たもの。つまり、私が父を追う手がかり。
 今の話から、どうしてその話になったのか、私にはさっぱりわからなかったが、
「ここに賢者の石ですか? こんな序盤で、出てくるわけ無いでしょう」
 ネリさんは、それはここにはないという。
「あれば、終わりなのに……」
「オレもそう思った」
「奇遇ですね、私もです」
「いや……賢者の石を探すのが目的ではなく、彼女の父親を探すのが目的なのでは……?」
 おう……チロルさんだけだよ、わかってくれるのは。ん? でも、チロルさんにそんな話、したっけか?
 ともあれ、
「あいつらも、賢者の石を探してんのか?」
「んー、探しているのは、ミスリルなんですが、まあ、ミスリルを探すのは、ニアイコールなんで、どうなんでしょうねぇ。一応──」
 ネリさんが言葉を切った。視線を、コボルト・チーフに送ると、ちょうど、
「このミスリル鉱床は、オデたちのモンだ! ここから、賢者の石が発掘されるかもしレン! キサマらには、渡さン!!」
「という、捨て台詞を吐きます」
「おう、よくわかった」
「くるぞ!」
 構えるチロルさん。
 コボルト・チーフはメイスのようなものを持っていた手とは逆の手を高々と掲げ、その手にしていた何かを、勢いよく地面に叩きつけた。
 あれは──宝石か?
 ぱあんと勢いよく宝石が弾けるのと同時に、強烈な閃光が私達を襲った。思わず目を伏せ──次に開けた時、そこには、私の背丈の倍はゆうにあろうかという、巨大な化け物の姿があった。
 曲がった背中に、突き出た大きな顔。不気味なほど盛り上がった筋肉に包まれた体は、岩のような灰色で、背中から肩にかけての部分など、ごつごつと、本当に岩のように見える。不釣り合いに短い足に、不格好に長い腕。突如として現れたその化け物は、坑道を揺らすほどの声量で、大きく吠えあげた。
「トロールか!」
 アルさん。
「かっけえな!」
 恐怖とか、そういうのは皆無。
「ざんねん、レッサーなのですよ」
 ネリさんも割と冷静。
「え? マジ? これレッサーなの? ノーマルのトロールとか、どんだけデケェんだよ」
「ノーマルトロールは、中盤以降にならないと出てきませんねぇ。五メートルくらいあるので……」
「デケェ!? ジャイアントじゃねぇか!?」
「ちなみにジャイアント系はもっとデカいですよ。十メートルに迫るものもあります」
「VR、デカいだけでも難易度爆上がりだろ?」
「いいじゃねぇか、その方がやりがいあるし。 さーて、ライトパーティ初のボス戦だ! ちったあ、骨のある戦いしてくれよー」
 と、男三人。特に恐怖とか畏怖とか、そういうものは皆無。
「……余裕だな、君たち」
 チロルさんに同意。
 吠え上げたトロールは、腕を大きく振り上げ、大きく一歩を踏み出して、私達に詰め寄った。チロルさんが短く息を吸って前へと飛び出し、盾をかざす。風をうねらす音とともに振り下ろされた剛腕が、チロルさんを押しつぶさんと襲いかかり──があんと、けたたましい音と閃光が辺りに散った。
「ん?」
 と、チロルさん。
「あれ? レッサー・トロールの一撃って、こんなに軽かったかな?」
 盾を弾くと、トロールの身体がぐらりと揺れた。すかさずチロルさんが槍で足を払うと、巨体は宙を浮いて、どおんと倒れた。
「あれ? ダウンまで入ってしまうのか?」
 三倍以上はありそうな巨躯を相手に、チロルさんは赤子の手をひねるかのようだ。
「もう、チロルさん一人でいいんじゃないかな?」
「オレら、観戦してようか」
「ですね、所詮、レッサーですしね」
「いやいやいや」
 うん、私も、そう思ったんだけどな……
 ともあれ、軽くいなしたチロルさんに、コボルト・チーフは怒りを露わにして、
「クソが! 脳筋! 力だけが取りエのクセに、力で負けるトは!」
 ぶんとメイスのようなものを振り回し、何ごとかを詠唱した。と、トロールの頭の上でくるくると輪っかを作った光が回りだし、金属がこすれるような音と共に弾けて、文字通りトロールの目の色が変わって、ぼこっと、その体の筋肉が三割増くらいに盛り上がった。
「お、いきなり、フェーズ2に入りましたよ」
「すまない、シンクされていても、レベル差があり過ぎたようだ」
「ま、いいだろ」
「ヤレ! トロール!!」
 コボルト・チーフの声に、立ち上がったトロールが吠える。同時に、トロールの体から湯気のようなものが立ち上がって、その肌が赤く、熱を帯びたように色づいた。
「お、フェーズ3まで入りましたね」
「早すぎない!? 一撃入れただけだよね!?」
「……レベル差が」
「ちなみに聞くけど、ネリ、いくつ?」
「経験値などという概念からは、すでに解脱しています。ここ数ヶ月、数値が変わったところを、みたことがありませんね。桁数的に」
「どんだけやり込んでんの……」
「いやー、試練の塔のユニークアイテム探しは、結構、楽しいですよ?」
「あ、私もこの間上がったんで、88なんだ。ごめん」
「この前、86!」
「お、マキシマイズパワーで、くるぜ?」
 大きく吠え上げたトロールが、その真っ赤な目で私達を睨みつけた。吸い込む息に砂塵がまかれ、じりっと足元が揺らぐ。
「スタンだったかな……?」
 ぽそり、呟いたチロルさんに、
「止めていいから!」
 アルさん。
「えー」
「スタンして、阿鼻叫喚が楽しいんじゃないですかー」
 ダガーさん、ネリさん。
 私達に向け、トロールは組んだ両手を、思い切りに叩きつけてきた。
「ふん!」
 が、その組まれた巨大な手を、チロルさんが盾で薙ぎ払う。軌道をそらされたトロールが、前のめりになって倒れ込みそうになったところへ、身軽にダガーさんが飛びかかり、その首筋を斬りつけた。ぱっと散った赤い光に、
「コールド……あ、ダメですね、間に合いません」
 ネリさんはかざした杖を、途中で下ろした。
「言ってくれないと」
「わかれよ」
 そんな会話の後ろで、どーんと倒れ込み、目を回すトロール。
「グギギギ……クソォ!」
 倒れ込んだトロールに、コボルト・チーフは唸るような声を上げ、手にしていたメイスのようなものを振りかざして、その先から電撃を迸らせた。
 が、
「コンボするなら、言ってくれないと」
「何年一緒にやってんだよー」
「いや、この世界、今日、初ですよね?」
 言い合う二人に向かって放たれた電撃は、手前にいたチロルさんが短く詠唱した魔法の盾で、かーんと、かるがる弾いていた。
「あれ? コボルト・チーフのマジックミサイルって、プロテクションで弾けてしまうのか?」
「出る幕ないな、俺ら」
 アルさんに、うんとうなずく、完全同意。
「スタン後にマジックミサイルで阿鼻叫喚とか、そういうパターンなんだろうが、完封だしなぁ」
「いやいや、私の攻撃力だと、トロールの防御を破れない……事もないかな? これなら、アタッカースタンスでも、完封できそうだし……」
 ふむ、と少し考えてから、チロルさんは手にしていた盾を腰のマジックバッグに押し込み、槍を両手持ちにきり変えた。
「久しぶりだな、両手槍」
「じゃ、一気に押し切っちゃいましょうか」
 と、ネリさん。
「私、詠唱あるんで、3で」
「オレ、2な」
「私起点でいいかな? スタブで、二体とも押し込む」
「了解」
「ちょっと待て」
 三人の意味不明な会話を、アルさんが止めた。
「何をやる気だ?」
「コンボ。防御無視のクリティカル。回数で倍率付き」
「十連撃くらいすれば、このレベルでもレッサー・トロールくらい、一瞬です。アルが六連撃くらいしてくれればOKですよ?」
「そんなスキルねえわ」
「気合で」
「LA譲るだろ? アル、4な」
「マジか。じゃあ、1ミリ残すから、LAとれよ?」
 と、私に向かって言うが、
「は?」
 いや、なんだ? コンボ? 攻撃順っぽいけど、え? どういうこと?
「起きるぞ」
 チロルさんの声にトロールを見ると、トロールは頭をふりふり、立ち上がろうとしている所だった。
「よん!」
「三で」
「私起点。ノックバックするんで」
「に。了解」
「え? あ? え? ご?」
「グギギギ……やれ! トロール!」
 杖を突き出すコボルト・チーフに、オオオオォ! と、再び吠えるトロール。振り上げた腕に、
「では……参る!」
 両手持ちにした槍を腰だめに構えたチロルさんが、長い金色の髪を揺らして迫った。その後ろには、ダガーさんが続く。そして、走り出した二人に、詠唱を始めるネリさん。
「タイミング、わかんねえな!」
 言って、アルさんも駆け出した。よくわかんないけど、私もそれに続く。連続攻撃──できる自信が、全くない!
 槍を構えたチロルさんは、弧を描くように走り抜け、トロール、コボルト・チーフを直線上に捉えると、
「ダガーさん!」
「あいよう!」
 短い応答を挟んで、地面を確かめるように、ぎゅっとその場に停止した。両手に握られた槍が、きゅいんと高い音を発して光を集めた次の瞬間、チロルさんは矢のような速さで、一気にその空間を飛び越えた。
 どぉん! と、ものすごい音がして、トロールの巨体が槍に押し込まれる。背後にいたコボルト・チーフ諸共、チロルさんの突進に、それは壁際にまで追い込まれ、押しつぶされていた。
「がっつり減ったな!」
 声を上げたダガーさんが、チロルさんの背後から彼女の肩を蹴り、身軽に飛び上がっていた。逆手に握っていた両手の短剣が、わずかに光を放ち、
「ダブル・リッパー!」
 トロールの胸元に、大きくバツ印の一撃を食らわせ、大きくのけぞらせる。
「え? 四連撃ないんですか!?」
「ねえよ!」
 ネリさんの声に、トロールの頭を蹴って宙返りで離れるダガーさん。
「ぶち込め!」
「単発魔法、詠唱しちゃいましたよ!」
 ネリさんは応えて返すように、真っ直ぐに杖をかざした。
「ウォーター・レイ!」
 その杖の先端から、白く輝く光の筋が迸り、トロールの喉元を撃ち抜いた。撃ち抜いて、天井の岩盤が、ばこん! と弾けて、岩石が辺りに散って、
「なんで、あとのこと考えねーんだよ! オメーらは!」
 バックステップで離れるチロルさんと入れ替わりに、アルさんが前へと飛び出した。舞い散る岩石の雨の中、トロールに迫るその後ろでは、
「ネリだろ!」
「いや、ダガーが!」
「本当に六連撃くらい必要だぞ? 大丈夫か、アルさん!?」
「男の子なら、やってやれ! だ! 付いてこい!」
 後半にかけられた声は、私に向かってのものだったけれど──私、男の子じゃないんだけどな。と思いつつも、アルさんに続く。
 眼前、見上げるほどの巨体。そのトロールの間合いに飛び込み──圧倒されるような巨体に物怖じもせず──アルさんはトロールの右足を下段から思い切りよく斬り上げた。ぐっと揺らぐ巨体を躱すように、その場で剣先を方向転換し、返す刀で左足を斬りつける。
「あ、ダメだ」
 両膝をつくように倒れ込んでくるトロール。迫るトロールの巨体に、アルさんが呟く。覆いかぶさる影に、
「くそ!」
 ひときわ強く剣を輝かせ、最後の一撃を、アルさんはトロールの胸元に突き出した。
 どんっ! と、大きな衝撃が空気を揺らし、両膝を付いたトロールの体が、向こう側へと仰け反った。
「無理! スキル中に通常攻撃とか、無理なんじゃねーの!」
「だっせ!」
「失望しました!」
「いや……クロスアンドピアースを、トロールの足から胴で途切れさせないって、普通にすごくないか?」
「すまん!」
 駆け込む私の横。
 アルさんの横顔が言う。
「あとは頼んだ──勇者ちゃん!」
 頼まれちゃったよ! しかも私、勇者じゃないんだけどな! と思いつつも、私は剣を腰につけ、トロールへと向かって飛んだ。
 みんなの言葉を信じるなら、あと三撃。
 あと三撃なら──アルさんが今やって見せた剣技、クロスアンドピアースがある。教えてもらって以降、一度も実践で使ったことはないが──乙女ならやってやれ! だ!
 両膝をついたトロールの胸元に飛び込み、ぎゅっと剣を握りしめる。込める力に呼応するように刀身が輝き、私はひと振り目を下段から逆袈裟に振り上げた。
 光の軌跡が、トロールの胸元を深く切り裂く。一撃目!
 勢いに身体をひねりながら、二撃目──いや、きっつい! なんとか左手を添えて、一撃目とクロスさせるように、再び剣を振り上げた。はいった! 二撃目!
 最後、三撃目。ここから、どうやって撃つんだ!? 体のバランスは崩れていて、剣を握る両腕はすでに伸びている。なんとか剣を引いて、耳元にまで引き寄せるが──ここから突き出す三撃目が、撃てる気がしない!
「きばれ!」
 アルさんの声が、背中からした。
 っていうか──あろうことか、アルさんは身をよじって飛び上がり、私の背中に向かって回し蹴りをいれてきた。マジか! マジだ!?
 ぐっと歯を食いしばり、私は衝撃を覚悟して、一点を見据えた。クロスした剣戟の軌跡の交差点。その中央へ──回し蹴りの力で押し出され、狙いすましたその場所へ──真っ直ぐに剣を突き出した。
 三撃目! 入った! 瞬間、どん! という衝撃波に、トロールの身体が霧散した。
 決まった。
 マジか……
 無我夢中だった。
 空中、光の中に散った宝石の欠片のようなそれが、ゆっくりと消えていく……と同時に、空中にいた私は、ベチャッと、格好悪く、地面に落ちた。

 痛い……顔面と背中。
 特に、背中。
「いえーい!」
「結果、オーラーイ!」
 後ろから、ネリさんとダガーさんがハイタッチでもしてそうな声が聞こえてくる。
「コボルト・チーフ、気絶してるようなんだが、これ、捕縛でもクエスト進むのか……知らなかったな」
 とは、壁際に埋め込まれて白目を剥いているコボルト・チーフを、手にしたハルバードの先でつんつん突っついているチロルさん。
「こういうパターンもあるんだなぁ」
「DMが認めれば、何でもありだ」
「いえ、シナリオAIですが……」
 そして、
「おう、やったな」
 ベチャッとなったままの私の隣に、アルさんが座り込んで、声をかけてきた。
「……マジ睨み?」
 口許を曲げつつ、アルさんは言う。いやいや、
「そりゃ、そうでしょう……」
「うん、素晴らしい三連撃だったぞ。感動した」
「うん。まさか、仲間に背後から蹴りを入れられるなんて、夢にも思いませんでした」
「おう」
 ニヤリ、アルさんは笑って、言った。
「仲間だと思ってたのか?」
「……思ってないけど!」
 睨んでおいた。

 テネロパの採掘ギルドへ、件のコボルト・チーフを簀巻きにして──本当にダガーさんが簀巻きにした──連行すると、「いや、捕まえてこいとは、言わなかったんだがなぁ」とぼやきつつも、ギルド長は屈強そうな男達を何人か呼びつけて、そいつをどこかへと連れて行った。
「あれ、どうなるんだろうな」
「考えてはいけませんね」
 言うネリさんの言葉に、目を細めておく。
 その後、なんだかんだあって報酬を受け取り、ミスリル銀についての少しの情報と、父が同じようにミスリル銀を追って、大陸に渡るための方法を探していたとの情報を得て、私達はギルドを後にした。
 外に出ると、街はすでに夕暮れを過ぎ、ギルド前の街灯には、流石テネロパの採掘ギルドというべきか、灯火石の火が入れられ、ほんのりと赤く、あたりを照らしていた。
「さて、このあとはどうします?」
 かちゃかちゃとランタンを取り出し、当たり前のように灯火石を放り込むネリさんの質問に、
「無論、酒場で打ち上げだろう?」
 ダガーさんが、よどみなく返す。
「あ、わたしはこれから取りこぼしクエストをやりに行くから、これで失礼するよ」
 言って、チロルさんもランタンを取り出す。ランタンだけと、あれも中身、灯火石なんだろうな。いいな、あれ。
「お、そう言えば、そんな話もあったな」
 ぽんと手を叩くアルさんに、ネリさんが続いていた。
「なんのクエストです?」
「えーと……」
「銀細工の鍛冶師のなんちゃら」
「ああ、あれなら、それほど時間かかりませんし、みんなでやっちゃいますか?」
「いや、打ち上げするんだろう? わたし一人でやってくるよ」
「いや、おっさん三人の飲み会実況したって、面白くもなんとも無いですしね」
「実況?」
 わいのわいの話す皆から、視線を感じて、私はくるりと振り向いた。視線の先、ランタンを手にした誰かが、こちらに向かってトコトコと歩み寄ってきている。
 はて、誰であろう、と思うまでもなく、にっこりと私に向かって微笑みかけながら近づいてくるその姿は、
「あ、エルさん」
「こんばんわ~」
 薄く輝く銀色のローブを身に纏った導師、エルさんだった。
「おう、エル。久しぶり」
 と、気づいたアルさんが気さくに返すと、
「アルさぁ~ん?」
 と、エルさんはとてもとても嫌な感じの微笑みをたたえた口許のまま、いつものほわんほわんとは違って、わざとらしーく、間延びした声で応えたのだった。
 こ、これは──! アルさんの身が強張るのにつられ、私の身も強張る。なにか、とてつもなく、良くない予感がする!
「見ましたよぉ」
「え? な、何を?」
「配信」
「え? いつの?」
「今の、です」
「は? 今? 今は配信──」
 ふと、アルさんは言葉を途切れさせた。
 そしてダガーさんと顔を見合わせ、次いでチロルさんとも顔を見合わせ、そして、三人で振り向いた。ネリさんに。
「……お前?」
「え? あ、はい。約束してたVRVのサーバー、建て終わったんで、テスト配信を。あ、プライベートモードなんで、暇してたチャンネルメンバーしか見てませんから、大丈夫ですよ」
「ふふふ……」
 と、エルさんは優雅に微笑む。ネリさんを見る、アルさんの背中に向かって。
「レッサーとは言え、ライトパーティのフルコンボで瞬殺してしまうあたり、さすがですねぇ~」
 ぽん、と、エルさんはアルさんの肩を叩いた。おう、わかった。安心した。あの微笑みは私宛じゃない。って言うかむしろエルさんは、
「でも、女の子の背中に回し蹴りっていうのは、ど、う、な、ん、ですかね~?」
 どうやら完全に、私の味方らしい。
「ええっと……」
 錆びついた歯車のように、ぎりぎりと顔を引きつらせ、エルさんに振り向くアルさん。
「ええっとですね……」
「はい? 私になにか言う必要、ありますか~?」
「ええっと……」
 ぎりぎりと言う音が聞こえそうな感じで、アルさんは首を回して私の方を見た。
「ごめんなさい?」
 そんなことを言うので、だから私は、にっこり微笑んで、返してあげた。
「女の子の背中を蹴るとか、アルさん、サイテーですね」
 笑顔。
「ヒっ!?」
 と、身をこわばらせるアルさんの背後、エル様の微笑みの向こうに、ごごごご……という効果音が見えた。ような気がした。
「それでは、お仕置き部屋に行きましょうか~。PvPフィールドって言うんですけどね~」
「いやいやいや……」
「おや~? パブリックのままですと、ただ痛いだけで死なないので、永遠の苦痛なだけですが……そっちの方がお好みですか~?」
「ごめん被る!」
 言って、アルさんは逃げ出した。
「おや~、悪い子ですねぇ」
 言いつつ、エルさんは短く祈りの言葉を発して、消えた。と思ったら、逃げたアルさんの前へ、まるで瞬間移動したかのようにして立ちふさがっていた。
「レベルが違いすぎる!?」
「まぁ、パーティー組んでないなら、そうでしょうね」
「面白そうだな」
 傍観を決め込んだネリさん、ダガーさん。
「あ、あの! 今の、エルさん? いや、私もちょっと、いろいろと聞きたいことが! ファンで!」
 チロルさんが、わたわたと二人に向かって聞いていた。
 走るアルさん。
 その先に、微笑みとともに回り込むエルさん。
 笑って見ているネリさん、ダガーさんに、ちょっと興奮気味のチロルさん。
 なんともまぁ……この人たちにとっては、これもいつものことなんだろうな──と思いながら、私も灯火石の光が落ちる街灯の下、軽く笑って腕を組み、傍観を決め込んだ。
 言われてみればそうだな、ってくらいに、ちょっと痛い気もする背中を、隠すように街灯にあずけて。


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