studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2021.01.01

勇者ちゃんの、運命の向こう(後編)

Written by
しゃちょ
Category
読み物
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「ユリアー!」
「わ! どうしました!?」
 そんなこんなで、私とアルさんは北限の村のさらに向こう、北の最果て、オルムがすべての叡智を残した遺跡の最奥、シーカー達の研究室のドアをばーんと開けて飛び込んだ。
「単刀直入に」
 研究室の中にいたハーフエルフの研究者、ユリアさんに向かい、アルさんはぶっちゃける。
「賢者の雫を持ち出したいとしたら、それは可能か」
「理由とかさ、こう、説明とかさ……」
 呟くけれど、まぁ、そんなものはね、なくてもね、お互い、関係なかったりする。質問、そして回答。
「無理です」
 単刀直入だなぁ……
「やっぱり、無理かな?」
 一応、続けて聞いてみた。
 こくり、ひとつユリアさんは頷いて、
「はい。無理ですね。雫は、ここにあるミニ魔力の塔の力で雫の状態を保っています。マナの供給が切れてしまえば、雫は消えてしまいます」
「なるほど、やはりそうなるか」
 予想通りの答えだったようで、アルさんは顎に手を当て、「ふーむ」と唸った。
「というよりですね、突然何事ですか? 賢者の雫を持ち出したいのですか?」
 ユリアさんは古文書の解読をしていたのだろうか。机の上の古びた本をパタンと閉じて、部屋の隅に置かれた木箱の方へとそれを戻しに向かった。「この木箱は分類が終わったので、誰か所定のエリアに持っていってもらえますか?」「僕がやりましょう」ホムンクルスさん……なじんでるなぁ。
 その背中へ、
「おう、仮にあれが持ち出せるなら、試したい事があるんだ」
 と、アルさん。ユリアさんははっと振り向いて、
「まさか──オルムに会って、賢者の石を錬成する術を見つけたとか!?」
「まさかの!」
 勢い、返すが、
「そういう訳ではない」
 この人に任せると話が進まないので、私は一歩歩み出て、言った。「あ、通ります。ちょっとすみません」ホムンクルスさん……緊張感……「ええっと」
「なくもないけど……」
 私は言った。
「オルムの聖地に行ってね、そこでオルムの古き巫女に会ったんだけど、その巫女達が賢者の石を創るなら、哲学者の卵を持って来いと言っていて──」
「哲学者の卵?」
 ユリアさんはこちらに近づきながら続けた。
「混沌すらも飲み込む、賢者の石を錬成するための器の事ですか? なるほど……確かにそれがあれば、雫を閉じ込めて持ち出す事も可能でしょうが……」
「あー、やっぱりネリの言ってたように、その手段で移動するんだ」
 アルさんはわかった風に呟いている。
「で、ナンムの島で賢者の石を錬成しようとか、そういう話の流れなんだろうな……」
「ああ、あそこ、マナがすごく濃そうだったしね。たまご石があれば、あそこのマナを取り込んで……とか、できそう」
「できるんですか!?」
 興奮気味にユリアさん。
「うむ」
 アルさん。
「いやしかし、諸事情により、哲学者の卵は手に入らない事が確定しているのだ」
 水を差す。
「しかもこれは世界の摂理とか、そういう類いのものなので、我々にはどうしようもない。で、そこで哲学者の卵なしに雫を移動する術はないかと、そういう事を聞いているのだ、ユリア」
「私が言うのもなんだけど、すごい無茶な事聞いているよね」
「しょーがねーだろー」
「いや、アルさんが何を言っているのか、私にはさっぱりなんですが」
 と、前置きをして、ユリアさんは聞いた。
「ともかく、雫を持ち出して、その、オルムの聖地的な場所? に移動したいんですか? 賢者の石を錬成できるかもしれないから?」
「ちょっと違う」
 ふんと鼻を鳴らし、アルさんは言った。
「その島に雫を持って行ったとして、おそらくはイベントフラグが立っていないので何も起こらないだろう。我々に残された最後の手段は、世界の摂理を超え、世界がそうせざるを得なくなるほどの公理にまで、一気に手を伸ばす事、ただそれだけなのだ」
「なんか、壮大な事をいってる風だけど、適当言ってるだけだよね」
「しょーがねーだろー」
 ひどい話だよ……「あ、すみません、後ろ通りますね」ホムンクルスさん、戻ってきた。「あ、ホムさん、こっちの木箱もお願いします」「了解しました」「おい、ユリア、話聞けよ」

「で」
 と、ユリアさんは聞いた。
「雫を持ち出して、どうするんですか? あれはオルムがフローラの子どもたちに残した、最高の叡智ですよ? 持ち出すとして、それをどうする気なのか、せめて教えてもらわないと……」
「おう」
 そしてアルさんはぶっちゃけた。
「混沌渦巻く大穴の中に、賢者の雫をどーんとぶち込んでみたらどうなるのか! レッツ実験!」
「なんで!?」
「さっきも言っただろ。世界の摂理を超え、世界がそうせざるを得なくなるほどの公理にまで、一気に手を伸ばすためだ」
「気に入ったの?」
「うん」
 つまり、こうだ。
「まあ、ともかくだ。賢者の雫は、賢者の石になる手前の状態なんだろ? 混沌の先にそれを持っていったら、混沌を飲み込んで、賢者の石が出来上がり。になるかもしれないじゃないか」
 確かに混沌渦巻く世界の果てで、それはひとつの雫から生まれたとされている。賢者の石の誕生。それは、創世神話に語られている事実だ。それならば、私たちの手元にあるその雫をその場所に運びさえすれば──
「まぁ、可能性云々は置いておいても、世界の根幹に関わる事象に手を出しゃあ、世界もさすがに黙ってはいないだろう、と。何が起こるかは知らんが、ぶっちゃけ、大穴を越えさせてくれればよくってだな……ってか、超えちゃえば、鍵石があれば向こうとこっちは行き来できるしな……」
 後半、ボリュームを大分落としたな、こいつ。多分本音。
「え? なんです?」
 聞き返すユリアさんに、アルさん、勢い。
「つまり、賢者の雫を持って、大穴にダイブ!」
「そんな適当な──!?」
 と、ユリアさんはたいそう大きな声を上げたが、「ん?」と止まった。ホムンクルスさんも、木箱を抱えたまま、何事かと止まっていた。
「適当?」
「俺は何時でも真面目だぞ」
「それもどうか」
「適当? ん? 適当……かな?」
「面白い事を考えましたね」
 と、ホムンクルスさんは「ちょっと通りますよ」と、部屋を出て行った。
 残されたユリアさんは、顎に手を当て、何やらぶつぶつと呟いていた。「いえ……でも、そうか……いや、可能性として……」
「お……これは……」
 アルさんはぐっと身を乗り出し、ユリアさんに詰め寄った。
「いえ、ダメです!」
 正気に戻ったらしいユリアさんが返した。
「どうしたって、ミニ魔力の塔からの魔力供給が途絶えれば、雫は消えてしまいます! 持ち出すなんて、もっての他です! 我々には、雫を創ることすらできないんですからね!」
 しかし、その返答は予想済みだったので、
「魔結石がある」
 アルさんはじっとユリアさんを見て言った。
「……ええ。まぁ……」
「だろ? 魔結石を使って、魔力供給をし続けるとかした場合はどうだ? 維持するだけなら、それでもできそうじゃないか?」
「……そうですね」
 ユリアさんは根本的に嘘がつけない人なので、彼女がそう言うって事は、きっとそうなんだろうな。つまり、それは出来るのだ。
 となると、ここまでは予想通りだったので、アルさんは最後にそれを質問した。
「で、いくつ必要だ?」
 ばんっと机に地図を置く。地図には、ここから鍵石でナンナアリルの門石にまで飛んだ後、その場所、海の大穴ことカラニ・ルアまでの距離と、そこまで飛竜で飛んだ場合の、所要時間が書かれている。
 ユリアさんは片目でそれをちらちら見つつ、「鍵石で飛ぶとして、門石から目的地までの移動にかかる時間がこれとすると……時間当たりの魔力供給量がこうですから……魔結石の変換効率も含めると……安全も考えて……」
 ぶつぶつ計算をして、結局、出した答えを口にせずにはいられなかったのか、「そうですね……」と、言った。
「五千個。五千個あればいけます」
「よし」
 アルさんが強く頷く。
「ってか、そんなに!?」
 私、予想以上の数に目を見開いて言ったけれど、アルさんはくるくると地図をしまいながらさらりと言ってのけていた。
「いや、仕方ない。神様の提示した妥協点として、ペナルティーは甘んじて受けよう」
「どこの神様……月?」
「どっかの魔道師。またはプロデューサー」
 訳のわからんことを言って、アルさんは腰のポーチから小石ほどの大きさの錬成石を取り出し、それを机の上に置いて言った。
「と言うわけで、五千だからざっくり八人で割って、はちろく……お前ら、一人頭六百個だせ」
 石の向こうから、エルさんの声が届いてくる。
「いいんですか~、それだと、二百足りませんよ~」
 遠く離れた場所と会話をする事の出来る錬成石、遠声石の向こう、ネリさんの声。
「まあ、アルがそれでいいならいいですが」
「六百個ですか……なかなかハードな量ですね……廃人ならまだしも」
 と、レイさん。
「お前ら、廃人だろうが」
「あえて否定はしませんが~、私、あんまり魔結石は集めてないんですよね~」
「六百くらいなら倉庫にあるとは思いますが……」
「よーし、お前ら、六百。六百な。二言はないな」
「ありませんが~」
 エルさんが言っていた、
「それだと、アルさんと勇者ちゃんで千四百個必要ですが、二言なしですね~?」
「ん? あれ? あ、そうか!」
「計算できない○○」
「おい、どうすんだ、助けて」
「アル兄、優しいコメント欄をどうぞ」
 ニケちゃんに、
「ホント、頭が上がらないですねぇ」
 ネリさんが続いていた。
「みなさん、魔結石をどこに持って行けばいいのか、お尋ねですよ?」
「コメント欄の優しい皆さんに、感謝してくださいね~」
 エルさんはほわんほわん、笑っていた。
「ではみなさん、十七時まで集める時間としましょう~。魔結石を提供してもいいと言う方は、場所は……そうですね~、どこがわかりやすいでしょうか~」
「では、エル・トゥラの例の酒場で」
 と、レイさんの声が大真面目に言っていた。
「ご参加頂いた方には、パーティーメンバーでないと手に入らない、エル・トゥラの新名物、聖女二人のサイン入り聖印をプレゼントします。どしどしご参加ください」
「何の話か全く分からないんだけど、それ、全く私、関係ないやつ」
「みんなで竜の聖印をぶら下げて、勇者ちゃん教徒になろう!」
 やめろ、アルベルト。邪神の使徒、石のミラルス!

 それからしばらく──
「状態を確認する!」
 北限の遺跡の最下層。フラスコの底にて、アルさんは遺跡中から集めてきた魔結石を前にして言っていた。「報告せよ!」
「レイシュ!」
「は!」
 遠声石の向こう、レイさんが返した。
「こちら、エル・トゥラのレイシュです。例の酒場は盛況で、用意したプレゼントがなくなりそうです」
 本当に用意したのか……
「次!」
「私、いいかな?」
 遠声石からはチロルさんの声。
「私は、私のストックと、アカーシャやハイネからもらった分で、六百個、なんとか揃えたよ。既に門石前で待機してる」
「よくやった! ありがとう、チーム元女子大生!」
「微妙にほめられている気がしないぞ?」
「次!」
「私ですかね」
 それに続いたのはネリさんだ。ネリさんは含み笑いを漏らしつつ、
「ふふふ、ここは私にも責任がありますし、千個くらい献上しますよ。もうちょっとしたら、門石に戻ります」
「いいぞ、ネリ! 諸悪の根元!」
「マナ解放して、即昇華させますよ?」
「やめろ」
「ってか」
 そこにニケちゃんが続いていた。
「ニケ、二百個もないけど、諦めて既に門石にいる」
「ニケ、てめぇ!」
「おやおや~」
 と、エルさん。
「そこは兄妹で千二百個、クリアーですかね~。あ、私は師匠さんとヴィエットさんからも頂いたので、千五百個くらいありますよ~。そろそろ門石に戻ります~」
「さすがだ! 廃人!」
「左手~」
「最後、ダガー!」
「オレか?」
 そして、ダガーさんは言った。
「オレはオメー、夕飯を作って、ナンナアリルの門石前で待ってるに決まっているだろう」
 決まっているのか……なら仕方ないな。
「いや、それはそれとして、いくつあんだよ、お前」
「俺は廃人じゃねぇからな。ニケと同じで、二百個ない」
 さらり。
「飯作ってる場合じゃねぇだろ!?」
「オレがやらずに、誰がやるって言うんだ!」
「それもそうだな!」
 納得すんなよ、そこ。まあ、優先順位ってもんは人によって違うモンだけども。
「そういうアルさん勇者ちゃんは、いくつそろったので?」
 聞くレイさんに、
「……」
 顔を見合わせる私とアルさん。
「……三百、くらいはあるか? これ」
「うん、割とがんばったと、自分で自分をほめてあげたい」
「ダメじゃねぇか!」
「お前に言われたくねぇわ! ダガー!」
「そうだー!」
「飯抜きな」
「後生ですから!」
「つまり」
 「ふーむ」と唸り、レイさんが纏めていた。
「私を除くと、パーティーメンバーだけで集まったのは、四千弱ですか?」
「そういうことになるな」
「ダメな人たちですね!」
 ごめんなさい。
「協力頂いた冒険者の皆さんに感謝して、土下座してください!」
「ネリが」
「私が!?」
 そして、
「で、レイさん、皆さんからの寄贈は、いくつくらい集まりましたか~? もしもダメそうなら、トレーサーのお友達にも声をかけますけども~」
 エルさんが聞くと、「ふっふっふ」とレイさんは笑って返していた。
「それがなんと、びっくりしていいですよ、なんと、私の八百弱と合わせて、ここには魔結石が2248個もあります」
「おおー」
「みんな、八十とか百とかくれたんですよ、ありがたやー」
「すごいぞ! 二割は他力本願だ!」
 それもどうか。事実だが。
「これはもう、お礼に何かするしかありませんねぇ」
 にやにやといった風なレイさんの声に、
「アルが土下座」
 ダガーさん。
「アルの土下座では安すぎますね」
 ネリさんに、
「切腹?」
 ニケちゃんが続いて、レイさんが締める。
「では、介錯は私が」
「なぜそういう連携はスマートなんだ、お前ら」
 さもありなん。
 で、オチで良さそうなものを、エルさんが蒸し返していた。
「え~? アルさんにそれは求められていないと思うので、そこはやはり、勇者ちゃんに頑張ってもらわないと~」
「え? なんで私?」
 なぜに私に?
「そういえば、セルフィさんでしたっけ?」
 レイさんの声が聞こえていた。
「来てくれまして、アルさんに伝言を言付かっていますよ。お礼は勇者ちゃんのむふふ映像で、とのことです」
「了解した」
「なんで!?」
「私は言付けを頼まれただけですので、念のため」
「じゃ~、私は、ちょっと倉庫あさってから行きますかね~。今のILに合うビキニアーマーとか、ありましたかね~」
「いや、ちょっと待って」
 なぜにやる気なのだ?
「ってか、それ、私がやる必要あることかな?」
「よし。では、手順その他を確認する」
「スルーだよ」
 こほむと、アルさんは一つ咳払いをして言った。「よし、皆の者、よく聞け」
「今現在、ユリアがミニ魔力の塔の固定部分を切り離して、抱えられるようにしてくれている」
「え? あれ、抱えてくんですか? 割とシュールな絵面ですね」
「抱えるのは俺一人でできそうだから、それは俺が持つとして、台座から先にホースみてーなモンが延びていてだな。その先に、台車に載せたバケツくらいの大きさの炉が繋がっている」
「ものすごいとってつけた感」
「一応、魔高炉の類なんでしょうね、それ。錬成石を錬成する時に使う奴」
「おう。で、この即席転換炉に、曰く、魔結石を入れ続けろとのこと」
 「ふーむ」と唸るレイさんの声がして、
「では、台車を押す人、魔結石を入れる人は、個別にいた方がよさそうですね。私がみなさんの魔結石をナンナアリルで受け取って、北限に行きましょう。アイテムも一番もてますし」
「ニケもいくー。炉に入れるなら、Dexある人の方がいいでしょ?」
「それならば、それはダガーさんの仕事では……」
「オレ、飯作ってるから」
「ではそれで」
 あっさりアルさん。うむ、仕方ないな。各々、特性というものがあるからな。いいのかどうかは知らんが。
 遠声石の向こう、ネリさんが続けていた。
「カラニ・ルアへの移動はどうするんですか? フライングマウントが必須として、魔力の塔を抱えたアル、台車を押す人、炉に入れる人、マウントを操作する人で、最低四人乗りは必要ですけど」
「レイシュの絨毯しかねぇな」
「まあ、それが無難ですかね。ニケさん、炉をお願いすます」
「がってん!」
「では、他のみんなは個人ごとで~」
「行けそうな気がするな……」
 話が一段落したところで、アルさんはニヤリと笑って言っていた。
「問題は、これを持って大穴に突っ込んだ所でどうなるのか、全く想像も付かないことですが……」
 ネリさんの呟きを耳にしつつ、私はアルさんに聞いてみた。
「ちなみに、突っ込む時ってどうすんの? 飛び降りるの?」
「絨毯ごと突っ込むのでよくね?」
「それ、私とニケさん、道連れにする気満々ですよね?」
「うん」
 軽いなぁ……
「私たち、確実に死にそうですね……」
「セーブポイントかえとこ」
「作戦開始は、夜の入り、十八時とする!」
 ぐっと拳を握りしめ、アルさんは皆を鼓舞するようにして言っていた。

「三、二、一……」
 遠声石から、カウントが聞こえていた。
「ゼロ!」
 エルさんが最後のカウントを口にするのと同時に、ユリアさんがミニ魔力の塔に繋がっていた管をぶち抜いた。
「飛ぶぞ!」
 アルさんの声。
 ミニ魔力の塔を抱え、右手を差し出す。
 台車に手をかけ、私はその手を取る。台車の上のニケちゃんが私の肩に手をかけ、もう片方でレイさんの腕を掴む。「あああ! 私も!」と、ユリアさんが台車に飛び乗ってニケちゃんの腰にしがみついたところで、
「発動!」
 と、右手の中に握り込んでいた鍵石をアルさんは発動させた。
 ぐるんと、世界が一回転したかと思うと、私たちは次の瞬間には、ナンナアリルの門石の前にいた。
「行くぜ!」
 響く号令。
 既に各々のフライングマウントに騎乗していた皆が、一斉に飛び立った。
 広げられたレイさんの空飛ぶ絨毯に飛び乗るアルさん。続く私とニケちゃん。魔高炉を載せた台車を乗せきった所で、「ユリア、もってけ!」と、ダガーさんがピタパンをユリアさんに押し付け、絨毯に乗せていた。「夕食だ!」「両手が塞がっとるわ!」「ユリア、アルの口には突っ込んでかまわん」「え?」「静かになっていいかもしれませんね」「ニケ、食べたいんだけど、ニケ、手が離せない重要な役目ちゃん?」「絨毯飛んだら、私も手伝うから」
「ゴー!」
 そして私たちは飛び上がり、夕日の沈む水平線の向こうへと飛び出した。
「このまま一気に、カラニ・ルアに!」
 空を割いて、飛竜のチロルさん、エルさんを先頭に、私たちはぐんぐんと進む。すぐに島は遠く離れて見えなくなり、見渡す限りに続く海の世界が、眼下を飛ぶように流れていっていた。
「はてさて」
 真っ直ぐに前を見つめていたレイさんが、口許を弛ませながら呟いていた。
「このまま一気に、いけるといいんですがね……」
「何かあるのか?」
「さあ? どうでしょうね。全く聞いたことない展開なんで、何が起こるか解ったものじゃないのですが──」
「前方! 何か出るぞ!?」
 振り向きながら、チロルさんが叫んでいた。
 声に、見ると、海が大きく盛り上がっている。簡単には行かないだろうなとは思っていたが、はたしてオーガが出るか、ラミアが出るか──
「いや、待て──」
 驚愕に目を見開き、アルさんが呟いていた。
「普通に行けるとは思っていなかったが、まさかのここで!?」
「うお、このBGM、マジですか!」
「律儀にそこ、やらなくてもいいのに~」
「これ、戦闘になるのか!? 倒せないんだが!?」
「こっちにはタイムリミットがあるからな! 逃亡戦だと願いたい!」
「いやぁ、無茶苦茶ですねぇ」
 口々に皆が海の向こうに屹立したそれを目にして、声を上げていた。
「まさかの──」
 苦笑するように口許を曲げ、アルさんが言っていた。
「ここで巨人がでてくるとはな!」
 海の向こう、そこに現れたのは始原の巨人にして、終末の巨人。この世界を生み出したとされる、創世の巨人であった。
「イカかと思ってたのに!」
 突き進む先の巨人に向かい、アルさん。隣のレイさんも、前を見据えたまま返していた。
「いやぁ、このシナリオ、どっかで巨人が出てくるはずだったんで、何時かは出てくるんだろうなぁとは思っていたんですが……」
「なんで!?」
「え? いや、ここで巨人が出てこないと、徘徊する巨人に一度も会っていない人は、島で巨人の話を聞いたのに、一度も会ったことないとか、そういう変な事態になっちゃうんで──」
「そういう律儀さいらねー!」
「いやあ、シナリオ都合ってやつですね」
 「はっはっはー」とレイさんは笑っているが、笑っている場合ではないぞ。あれは創世にして、終末の巨人だ。聞いた話では、賢者の石を錬成したアーオイルの住む世界とこの世界とを、それが原因で二つに分けたという、神をも超える世界の始祖だ。それが今、私たちの前に現れたと言うことは──
 前線から、速度を落として併走に入ったエルさんが、私たちに向かって言っていた。
「しかし、オルムが誰もいないのに、巨人が出ちゃいましたね~」
 同じく速度を落として並んだチロルさんが、
「あれ、どうするのが正解なんですかね?」
 エルさんと二人、絨毯を挟んでその上の私たちに向かって聞く。
「かわしてカラニ・ルアまで行ければ、クエストクリアになるんですかね?」
「何にせよ、それしかあるめぇ」
 アルさんはニヤリとしながら、言ってのけた。
「そもそも、動き出しちまった現状、俺らは止まれねーんだ! たとえ世界が俺たちを止めようと、立ちふさがってもな!」
「かっこうよさげに言ってますが~、世間ではそれを、行き当たりばったりというのです~」
「世界の摂理に、翻せ反旗」
「気に入ってる?」
「うん」
「しかし」
 ぽつり、レイさんが呟いていた。
「アルさんは西の塔の時に巨人に会ってますから、別段驚きはないですが、このむちゃくちゃ展開の場合、巨人について誰が語るんですかね」
「あれは、終末の巨人!?」
 返したのは絨毯の上の、
「ユリアさんがいましたか~」
「そういえばこの人、巨人見たことなかったですね。AI、優秀」
「あれは──」
「いや、説明いらない!」
「エンゲージすんぞ!」
 ダガーさんが叫んでいた。

 巨大な腕を振り回し、それからすれば羽虫のような大きさの私たちを叩き落とそうとする巨人。
 ぼうと巻き起こった突風に煽られ、海に落っことされそうになりながら、
「ちょっとアルさん! 本気で他の皆が落ちないように!」
「ピタパンで右手が塞がっているのだが!」
「食べて! さっさと!」
 などと、レイさんはなんとか絨毯を水平に戻し、続いてアルさんが叫んでいる。
「ネリ! 攻撃!」
「きかないと思いますがー」
 言いつつ、素早く呪文を唱えてネリさんは極大な氷の槌を巨人の顔面に打ちつけた。ばぁん! とはじけた空気と氷に世界が歪んだが、巨人は身じろぎひとつしなかった。
「私が敵視を稼ぐから、その隙に!」
 飛竜を飛ばし、チロルさんが真正面から巨人に向かって突っ込んで行く。
 仲間達が巨人の注意を引いている隙に、台車と魔高炉と体勢を立て直しつつ、私は言った。
「ってか、なんでここで巨人?」
 言いながらも、ひとつの可能性は頭の中にあった。
「あれ、もしかして、私たちが賢者の石を創ろうとしているのを、阻止しようとしてるわけ?」
「え? 俺は別に賢者の石ができなくてもいいんだが?」
 魔高炉を立て直しながら、ぼんくら顔にアルさん。
「お前、もしかして賢者の石がマジで欲しい?」
「え? いや、私も別に? 出来なくてもいいやって、八割くらいそう思ってるけど」
 ぼんくら顔にぼんくら返しをしていると、レイさんが悲鳴じみた声で、
「この人達は、この期に及んでッ!?」
 とかなんとか、叫んだ後に、
「いや、ちょっと待ってください」
 がっしと、涙目になりつつ私の肩を掴んだユリアさんが続けていた。
「アルさん勇者ちゃん。何ですって? 賢者の石を創るために、雫を持ち出したのではないのですか?」
 お? おお……そ、そうだな。
「多分、ユリアだけだぞ、本気でそう思ってんの」
 おうふ……あっさり言っちまったよ、この人。
「今すぐ戻りましょう!」
 ユリアさんは私の肩を両手でぎゅっと掴んで声を上げた。が、それを見つつも手を止めないニケちゃんは、ほがらかに返す。
「魔結石、もう半分切ったから、無理だよ」
「ああああー!」
 肩を掴む手に、ものすごい力を込めて、
「やはり、資格もなしに賢者の石を創ろうなどとしたのが間違いだったのですよー! 巨人の怒りに触れ、私たちはプリママテリアにされてしまうのですー!」
 ユリアさん、「あうあう」と私にすがりよってくる。
「いや……まあ……ほら、まだそうと決まったわけでは……」
 ないと思いたい。
「ま、確かにナンムアリルで祝福受けてませんしね」
 レイさん。
「あれ? そういう展開なの?」
 アルさん。
「いえ、もはや原型とどめてないので、知りませんが」
「まあ、そうだな。考えてもしょうがねぇってやつだな」
 マイペース。
「ちょっとは考えろよ」
「俺が何も考えてないみたいに言うな」
「えー……」
「なんでもいいけど、魔結石なくなっちゃうよ?」
 ざらざら魔結石を入れ続けるニケちゃんの台詞に、「そうだ」と、アルさんはレイさんをまっすぐに見た。
「いくぞ、レイシュ!」
「合点! 巨人をかわして、一路、カラニ・ルアへですね!」
 前を見据え、いざ、全速力で巨人をかわして飛び出そうとしたところで、
「アル! 上だ!」
 ダガーさんの声が飛んできた。
「!?」
 瞬間、アルさんが逆手で剣を引き抜く。そして頭上へ向かって「ヴァルキーリア・スクード!」を振り上げる。
 がぁん! と激しい音と共に、閃光が散った。
「久しいな、勇者」
 突き出された短剣の切っ先を受け止めた細剣の向こう、それが──トゥーディオで私たちの前から姿を消した奴が──笑うように言っていた。
「アーオイル……!?」
 見据え、奥歯をかみしめるアルさんに、それは笑うように目を細めながらくるりと宙返りをして絨毯の上へと舞い降りた。
 そしてすぐさま身体を低くし、アルさんに向かって飛びかかってくる。
 剣を構え、アルさんは突き出されたその切っ先を弾く。
 不安定な狭いその場所で、アルさんとアーオイルの剣が、激しい剣戟の音を何十と打ち鳴らしていた。
「こいつ……!」
 と、私も剣を抜き、突く。
「おおっと!」
 と、アーオイルは大きく後ろに飛び退き、絨毯の向こうの空中に立った。
「奇襲ならずか」
 マスクの向こう、おそらく笑っているようにもごもごと、それは言った。
「まあ、いい。何にせよ、お前たちに確認せねばならんしなぁ」
 そしてそれは左手で私たちの方を指さしながら、言った。
「お前らが持っている、それはなんだぁ?」
 視線の先。アルさんの背中の向こう、魔高炉をその指は指していた。私は無言で、それを遮るように動き、構えを直す。
「お前には関係ない」
 切っ先を向けつつ言うアルさんに、アーオイルは笑いながら返した。
「そうはいかんなぁ。その魔高炉からは、膨大なマナの可能性を感じる。それはあれか?」
 ニヤリと笑いながら、奴は言った。
「それは、賢者の石ではないのか?」
「……」
 アルさんは応えず、切っ先の向こうを見据えたまま、「レイシュ……」言った。
「コレもアレか? シナリオの通りなのか?」
 背中の両手剣に手をかけつつ、レイさんが返していた。
「全く展開ちがうので、こっちは出てこないかと思ったんですけどねぇ……」
「そうか……」
「どうします?」
「魔結石なくなっちゃうよ?」
「勇者ちゃん」
「なに?」
 私は返す。
 だいたい、わかってる。
「あとは任せた」
 そう言って、アルさんは駆けた。
 アーオイルに向かって飛びかかり、「アン・アヴァン!」空中のそれと切り結ぶ。
「レイさん、行こう!」
「ちょっともう、これ、本当になんとかなるんですかね!?」
 レイさんは絨毯を操作し、巨人をかわしてカラニ・ルアへと飛んだ。
「いかせるものか!」
 と、アーオイルが私たちの方へ手を伸ばし、錬成石を翳すが、
「させねーよ!」
 飛竜を駆るダガーさんがアルさんの手を掴み、ぐんっと、その間にアルさんを投げ込んでいた。
「ヴァルキーリア・スクード!」
 迸る閃光を、アルさんの剣が弾いていた。

「アル兄、ダガーさんの飛竜で空中戦すんの!?」
 絨毯の上、魔結石を投げ込みながらのニケちゃんが言う。
「さあ? まぁ、あの人達ならそれくらいやってみせるでしょうけど」
 絨毯を飛ばしながら、レイさんは続ける。
「しかし、予想以上に時間を取られてしまいましたね。魔結石は足りますか?」
「さて……ね」
 肩越し、遠くなっていく巨人とアーオイルと戦う仲間達を見て、私は言った。
「なんにせよ、巨人もアーオイルも、狙いは賢者の石でしょう? さっさと決着をつけてしまえば、奴らの目的もなくなっちゃうはず」
「それは……!?」
 ユリアさんが息をのんで、私を掴んで言っていた。
「雫を失って、結局解散ーってことですか!?」
 ──うん、その可能性も否定はしない。
 ともかく。
 私たちは一路、カラニ・ルアへと飛んだ。
 そして──
 戦場を背に、巨人の姿も水平線の向こうにかすれて見えなくなってきた頃、私たちは海の大穴、大瀑布の音が響き渡る世界のへそ、カラニ・ルアへとたどり着いたのであった。
「突っ込んじゃうんで、いいんですかね!」
 大穴の上を旋回しながら、レイさん。
「魔結石の底が見えてきたー!」
 バケツに身体ごと突っ込みながら、ニケちゃん。
「もう後には引けないけど、どうすんのー!?」
「アルさんは!? 置いてきますか!?」
 レイさんの声に振り向き、私は彼方を見た。
 遠くに、巨人の影。
 その頭にあたるところが、くわっと光ったかと思うと、
「かわして!」
「ぬお!?」
 闇夜を裂いて迸った、大木程もある閃光が、私たちを掠めていって、空に吸い込まれて行った。
「うっひー!」
 煽られ、落っこちそうになるニケちゃんを掴み、引っ張り、
「どうなってんの!?」
 水平線の向こうを見据え、叫ぶ。
 ここからでは戦況は全く解らない。飛竜の全速力なら絨毯に追いつけるだろうが、アルさんとダガーさんはどうなったのか。少なくとも巨人は健在で、皆はそれをなんとか引きつけているようだが……
「ニケさん、戦況は!?」
 絨毯を安定させながら、レイさんが聞いた。
「ええええ!? 今サブモニター出したら、ニケ、落っこちて死ぬ!?」
 言いながらも、魔結石を魔高炉にぽいぽいしつつ、
「と言いつつ、出す」
 左手の指先で、ニケちゃんは宙をなぞった。
「勇者ちゃん、魔結石、かわって!」
「りょ、了解!」
 ニケちゃんのバケツを受け取り、手を突っ込む。あんなにあった魔結石が、もう斜めにしないと掴めないくらいに減っている。「マジか!?」「ああああー!」ユリアさんが叫んでいる。
「対巨人チーム、健在」
 左目を閉じたまま、ニケちゃんが言った。
「エルさんがコールゴッドする様子」
「本気すぎる!?」
 西の塔で見たあれか……しかし、あれでも巨人は倒せなかったはず……時間稼ぎにはなるかも知れないが、単に打つ手が最早ないのか……
「アル兄ダガーチームは、ダガーさん映像しかわかんない」
「ああ、勇者ちゃん視点、こっちが映ってるからか」
「あっ!?」
 と、ニケちゃんが声を上げた次の瞬間、ぱあっと強烈な光が闇夜を裂いて──ほんのわずかな間をおいて轟音が響き渡った。
 音に、見ると、巨人の向こうに光の柱のようなものが立ち昇っていた。
「何!?」
 なんだかは解らないが、あの光の柱は、嫌な気配がする。目で見ているだけで、身体中がぞわぞわするような……全身の毛穴が開くような……
「あの方角……ナンムアリルか!? まさか、巨人がナンムアリルを破壊したのか!?」
 同じものを見ながら、レイさんが口にしていた。
「マジか! 展開無茶苦茶なのに、ストーリーラインには沿ってくのか!?」
「うん」
 片目を閉じたまま、ニケちゃんは呟く。
「巨人が、粒子砲でナンムアリルを撃った。エルさん、コールゴッドで止めようとしたみたいだけど、間に合わなかったみたい……」
「どういうこと!?」
 魔結石を放り込みながら、私は聞いた。ちょっと、状況がよくわからない。
 レイさんはニケちゃんを見ながら、叫ぶようにして続けていた。
「ニケさん、アルさんたちは!?」
「アル兄ダガーさんの飛竜は……アーオイルをめっちゃ追ってる! マジでー!? さっきまでバチバチ戦闘してたのに!」
「マジか!?」
「どういうこと!? ナンムアリルがどうかしたの!?」
「ええっと……これはヤバいですね……これ、どうなっちゃうんだろう……」
 視線を外しながら、レイさんは考えるように呟いていた。
「これは……言っちゃっていいのかなぁ……いや、アルさんがアーオイルを追ってるってことは、アルさんはアーオイルに聞いたか、感づいたか……既に知っていると見るべきなのか……」
「何が!?」
 問いに対する応えは、さっくり、ニケちゃんから返ってきた。
「ナンムアリルの巫女の六人は、鉱石魔神なんだよ」
「言っちゃった!?」
 は? と、私は手を止めてしまって、ああまずい! と、慌てて魔結石を投げ込む作業に戻りつつ聞いた。
「ナンムアリルの巫女って、あの? あの人達が鉱石魔神? いや、可能性としてホムンクルスかなとは思っていたけど……鉱石魔神だったの? ってことは、彼女たちはオルムが創った? いや、でも、それが?」
 一気に疑問を口にすると、レイさんは小さく頷きながら、私をまっすぐに見て返した。
「なんの鉱石魔神なのか、という事です」
 何の──?
 問いに対する答えに思いを巡らすよりも早く、再びナンムアリルの方角にぐわっと光の柱が立ち昇っていた。はっとし、見る。その瞬間、今度はその力を欠片ほども持たない私にも、その光の根源が何か、確かに解った。
 嫌な気配というか、全身をぞわっとさせるような感覚というか──それの正体は、ナンムアリルに舞っていた膨大なマナの力が閃光によって弾き飛ばされ、暴走するように島から湧き上がっているのに相違なかった。
「魔力!? 何が起こって──!?」
 神殿が破壊されたのか?
 ナンムアリルのマナを制御していた何かが、あの一撃で破壊されたのか?
 六人の、鉱石魔神だという巫女は?
 その、『石』とは──?
 ひとつの答えにたどり着いた私が、はっして目を見開くのを見て、
「ええ」
 レイさんが言っていた。
「六人の巫女は、賢者の石の欠片の鉱石魔神なんですよ」

 私は思う。
 多分、こうだ。
 巨人は、私たちを止めるべく姿を現したのだ。巨人にとって、賢者の石が生まれるかもしれないという事態は、看過できなかったのに違いない。
 そして巨人と同じく、溢れるマナの力を感じ取って、アーオイルが私たちの前に現れた。
「行こう」
 そして──巨人、アーオイル、私たちの三つ巴の戦いが始まって──巨人が気づいたか、ただの偶然か──その光の砲撃で、ナンムアリルを破壊した。
「間に合うかは分かりませんが……」
「いや……」
 恐らく巫女達はあの一撃で石へと戻ってしまったのに違いない。レイさんが何故それを知っていたのかの疑問は残るが、そういう適当な事を言う人ではない事は知っている。恐らくそれは事実で、つまるところ──賢者の石の欠片がそこに顕現したのに違いない。
 アーオイルは欠片に向かっている。
 恐らくは、巨人も。
「行こう」
 だから私は、言った。
「下の世界へ」
「え? マジですか?」
 びっくりして、レイさんが目を丸くして呟く。
「勇者ちゃん、アルさんみたいなことを……」
 おい──と、思わず笑う。
 ともかく、
「今戻っても、絨毯じゃ間に合わないし、それに雫も消えてしまう。アーオイルはアルさんが何とかしてくれればと思うけど、奴らがもし賢者の石の欠片を手にしてしまったら──」
「……まあ、そうですね」
「それに対抗するには、私たちも賢者の石を手にいれるしかない。下の世界に飛び込んで、可能性に賭けよう」
 そして私は、言った。
「賢者の石の錬成に」
 皆を見回すと、皆、一様に頷いていた。しかし、私はユリアさんに目を留めて、
「ユリアさんは残って。残って、アルさんに伝えて」
 言いながら、ポーチの中から飛竜の紋章を取り出し、そこから飛竜を絨毯の隣に呼び出した。「これに乗って、行って。そして、アルさんに伝えて」
 まっすぐに、私は言った。
「すぐに戻るから」

 魔結石はもうない。
 私たちは覚悟を決め、絨毯を旋回させながら海の大穴、カラニ・ルアの中心へと飛び込んだ。
「むお!? 絨毯がはじき返される!?」
 渦巻く混沌を向こうに見ながら、レイさんが叫んでいた。
「うっひー! ミニ魔力の塔が吹っ飛ぶー!」
 多い被さるようにしてそれを押さえつけながら、ニケちゃんも叫ぶ。
「いかん! コントロールが効かない!? はじかれるか!?」
 水面より奥。
 漆黒の向こうへと落下しながら、私はぐっと奥歯を噛み締めた。絨毯はばたばたと暴れるように揺れている。魔力の塔もギシギシと音を立て、時折赤い閃光を迸らせている。
「これまでか!?」
 渦巻く混沌が襲いかかってきて、レイさんが声を上げた。
「うっひー!?」
 ばっと絨毯が混沌と赤の閃光に巻かれて弾き飛ばされ──たところで、私は意を決し、魔力の塔を抱えて絨毯から飛び降りた。
「勇者ちゃん!?」
「ちょっと行ってくる!」
「そんな……アルさんみたいなことを!?」
「言いそうだな!」
 笑いながらそう言い残し、私は混沌の向こうへと飛び込んだ。
 混沌にまかれ、舞い上がる絨毯の上のレイさん、ニケちゃんが遠くに離れていく。そして落ちていく私は──やがて漆黒に呑まれ──その視界から二人が、世界が、消えた。
 私は魔力の塔を抱え、底に向かって振り向いた。
 渦巻く混沌に、肌がピリピリと痛い。ちらりと魔力の塔を抱えた左手を見ると、肌の表面で何かがぱちぱちと弾けていて、私の手の色というか存在というかを、少しずつ薄くしていっているように見えた。
 いつかみた光景に、よく似ていた。
 暴風吹き荒れる漆黒の闇。赤、青、それを通り越した白の炎が渦を巻いていて、ダイヤモンドのような冷気が辺りを埋め尽くしている。
 熱と冷気と風が、私と魔力の塔をプリマ・マテリアへと変えていき、光と炎が混沌に飲み込まれていって──それがついに、姿を現した。
 赤い小さな、雫のような石。
 賢者の雫。
 それは混沌の中で赤い光を迸らせながら、全てを飲み込む渦を巻いた。
 私はそれに手を伸ばす。
 溢れる光を、握りしめる。
 薄くなった手の向こう、光と熱と冷気が渦を巻き、わずかに残る手の感覚の中で激しく震えながら、それは少しずつ大きくなっていくように感じられた。
 闇を落下しながら、私は口許を曲げるようにして笑っていた。
 上も下も、右も左もない混沌渦巻く世界の中で、私が握りしめた手の中で──世界が、生まれようとしている。
 何も見えない闇の向こうに、光の奔流が見えたような気がして──創世の神話の中に私が溶けていくような気がして──世界の全てが手の中から内に入ってくるような気がして──
 そして──赤い光が弾けた。
「!?」
 混沌が渦を巻く。
 消えてしまう。
 弾き飛ばされた右手が。
 私の髪や頬、身体や存在が。
 そして──眼前の、光を迸らせながら輝く賢者の石が──消えていく。

 ぼっ! と激しい空気が破裂するような音がして、私は自分を取り戻した。
 薄暗いが、私の周りに世界がある。
 荒涼として、草木の一つも見えない大地が、遥か眼下に広がっている。
 ここは……どこだ……?
 疑問を抱きながら、私は夜の空を落ちていく。
 びょうびょうと耳元を流れていく風の音に、意識が徐々にはっきりとしてきていた。
「ここ……」
 たどり着いた答えを、私は小さく呟いていた。
「ここが下の世界──カラニアウラ?」
 突如、身体ががくんと揺れた。
 そして、落ちていたはずの私の身体は上昇を始め、くるりと宙で一回転して止まった。
「んを?」
 胴を鷲掴みにされている感覚に顔を上げ、私はそれを見た。
 視線の先、立派なミスリルの装甲を纏った飛竜が、私をつかんで空中に制止している。
 そして──その飛竜の背には、こちらもまたミスリルの立派な鎧に身を包んだ騎士が跨がっていたのであった。
「驚いた」
 乾いてはいたが、優しげな口調で、その騎士は続けた。
「狭間に落ち、アウラにやってくるフローラの子は珍しくはないが……無傷で落ちてきたのは、君が初めてだ」
「アウラ?」
 確認のつもりだったが、どうもまだ頭が回っていないのか、私は騎士の言葉を繰り返していた。
「落ちてきた? 私が?」
「そうだ。空が激しく光ったのでな。何事かと駆けつけたところ、君が落ちてくるのが見えた」
 そうか……ルーフローラとここの間に渦巻いていた混沌は、思ったよりも薄かったのかもしれない。私は雫と共に狭間に落ちたが、賢者の石を錬成するほどには、混沌が足りなかったのだろう。
「ここは……」
 ともかく、私は荒涼とした大地を見ながら、呟くようにして聞いていた。
「アーオイルの……カラニアウラ?」
「その名を知っていると言うことは、君は、フローラのエクスプローラーか?」
 頭上の騎士は感嘆するように喉を鳴らして返す。
「まさか、君は狭間に落ちたのではなく、自らの意志でここに来たとでも?」
 どう答えたものか……当たらずとも遠からずではあるものの、今の私の状況からして、どう答えたものか判断がつかない。
 でいると、
「おっと、すまない」
 静かに飛竜を動かしながら、騎士は言っていた。
「フローラのエクスプローラーなら、ここに来て出会った者に警戒をするのも、当然だったな」
 その物言いは、私の緊張を解ってか、優しげな物言いだった。
「まずは私が何者かだが──私はアーオイルではない。君たちにわかるかは知れないが、アーオイルとは袂を分かった、オルムの末裔だ。この世界では、ナルフローレと呼ばれている」
 その名は聞いたことがある。
「ナルフローレ……アーオイルと敵対しているっていう?」
 私が呟くようにして聞き返すと、
「敵対と言うべきかな? 我々は単に、アーオイルが賢者の石を完成させ、アルス・マグナを蘇らせてこの世界を再構築しようとしている事を、良しとしていないだけだ」
 なるほど。
 どうやらこの人は、私、フローラの子ども達から見れば、敵ではないようだ。
 そうとわかれば、今の私には容易い。
「すみません。助けていただいてアレなんですけど、ここから一番近い門石のある所まで、私を運んでくれませんかね?」
 図太い。
 まさにアルベルト・ミラルス流。
 まあ、ちょっとくらいは緊張もあったのだが、そんな私をよそに、騎士さんは目を丸くして声を上げていた。
「鍵石を持っているのか!?」
「え……ええ」
 ええっと……まずかったのか? 下の世界はアーオイル達の世界だし、鍵石くらい普通かと思ったのだが……
 しかし、言われてみて気づいた。当然だ。
「アウラとルーフローラを行き来できる者となると……すまないが、君をルーフローラに帰す訳にはいかない。我々にとって、アウラとルーフローラを行き来できる者は、貴重であると同時に危険な存在だ」
 それもそうだ。
 ルーフローラにやってきたアーオイル達が、一体どんな手を使ってやってきたのかは解らないが、何十も何百もやってきている訳ではない事を考えると、何かしらの制限があるのか、または二つの世界を跨ぐ鍵石そのものが、ものすごく貴重な物なのかだが──いずれにせよ、
「我々は、狭間を超えて向こうへ行く術を失ってしまって久しい。すまないが、君には是非、私と共にナルフローレに来てほしい」
 と、諭すように優しく言う騎士さんの想いは、十分に理解できた。
 が、
「そうはいきません」
 私は少し、早口に言った。
「早くルーフローラに戻らないと、アーオイルが賢者の石の欠片を手にしてしまう」
 そう、私はすぐに戻ると、約束したんだ。
「賢者の石の欠片を見つけたのか!?」
 身を乗り出し、騎士さんが私に向かって問いかける。
「まさか!? 本当に!?」
「ええ」
 私は騎士さんをじっと見つめ、続けた。
「私はこの目で実際に見てはいませんが、おそらくは本当です。それに、巨人も現れているんです。早く戻らないと──」
「賢者の石の完成を予見し、巨人が現れたのか……つまり、君はそれと戦っている最中に、狭間に落ちたんだな」
「え……ええ……」
 そこはアレ、何というかまあ……落ちたというか自分の意志で飛び込んだというか……なのだが、言わないでおこう。
 と、もごもごしていると、騎士さんはその沈黙をどう受けとめたのか、軽く一つ息をついて続けていた。
「状況から、君がルーフローラに戻りたいというのも理解できる。我々も、アーオイルが賢者の石の欠片を手にしてしまう事態は避けたいが……」
「必ず戻ります」
 短く、私は言った。
 騎士さんは、少し狼狽えたように身を引いていた。
「しかし……君の言葉を信じるにたるものがないよ」
 信じるに足るものか……と、考えてみて──
 ないな。
 ない。
 うん、ない。と、私は結論づけた。
 だいたい、私がルーフローラに戻る理由はなんなんだ? 結局賢者の石は創れなかった。それなのに、私は急いで戻ってどうするんだ?
 そして私は、騎士さんにも戻ると言った。
 アウラに?
 なんで?
 と言うか、私はルーフローラに戻ってアーオイルと巨人と賢者の石の欠片を何とかして、再びこの地に戻ってくると言ったのだ。
 マジか。
 ハードル高くないか?
 しかし私はそれをするつもりでいるし、それを成せると思っている。具体的な策も案もなにもないが、そのつもりでいる事だけは確かだ。
 何の策も、アテもない。
 何もないが、私は言った。
 約束したんだ。
「必ず戻ります。フローラのエクスプローラー、勇者の名に賭けて」

 ぐるんと世界が一回転して、足元に大地を感じた次の瞬間、ごうと私たちに熱風が吹き付けてきた。
 たまらず腕をかざして目を開ける。
 鍵石で飛んだ先は、間違いなくナンナアリルの門石前であったが──辺りはひどい勢いの炎に包まれていた。
「なん!?」
 声にならない声を上げてしまう。これは一体どうしたことだ? 夜の闇を裂いて、森から火の手が囂々と上がっている。吹き付ける風に舞う火の子が辺りを踊り狂い、森は、炎の狂乱の中にあった。
「乗れ!」
 背後、騎士さんが叫ぶ。一緒に飛んできた飛竜の鞍上に跨がり、槍を構えなおし、
「ただ事ではないな!」
 言う。
 ただ事ではない。ただ事ではないが、予想はつく。戦禍はアリル全体にまで及んでいるのに違いない。
「奥に、集落があります!」
 言い、私は飛竜の背に乗せられた鞍を結ぶベルトを掴んだ。認めた騎士さんが、僅かに飛竜を浮き上がらせ、燃え盛る森へと一直線に飛び出した。
 剣を抜く。
 闇を突き抜け、飛竜は飛ぶ。
 そしてナンナアリルの集落へと飛び込んで──その中心、広場で鉱石魔神の軍勢と戦う戦士たちの真ん中へと、私は突っ込んだ。
「ラ・ロンド・フルーレ!」
 剣閃と共に、私は舞う。
 オーガ、オーク、リザードマンの何体かを一瞬で鉱石に戻し、戦士たちの前に立ち、身構えて叫んだ。
「どうなって!?」
 剣先を、迫る鉱石魔神達の軍勢に向けたままの私の背中に向かい、聞いたことのある女性の声が返してきた。
「巨人が現れて──」
 肩越し、見る。背後でイズハさんが、負傷した戦士たちに回復魔法をかけている。隣で負傷した腕を押さえてうずくまっているのは、エイドさんか。
「アーオイルの手勢だな」
 飛竜の上から、隣にきた騎士さんが言っていた。
「君の説明通り、神殿のある島に賢者の石の欠片があるとすれば、こいつらの役割は、足止めと言ったところだろう」
「他の島も、こんな状況なの!?」
 背中に向かって聞くと、エイドさんの声が返ってきた。
「遠声石で援軍を呼ぼうとしましたが……テュルアリルもアヌアリルも、鉱石魔神の軍勢に襲われているようです」
「戦える人はこれだけ!?」
 じわじわと間合いを詰めてくる鉱石魔神の軍勢に剣先を向けつつ、言う。広場には十数人の武装した人たちがいたが、オーガを中心としたこの鉱石魔神の部隊の前には、なんとも心許ない人数だ。一人一人が私たちくらいの手練れであればという所だが、おそらくこの中でもっとも腕が立つのはエイドさんだろう。彼の実力は話でしか聞いてはいないが、それなりの手練れだとしても、彼一人ではこの軍勢は──
「勇者」
 鞍上から、騎士さんが言っていた。
「ここに欠片はないのだろう? いくぞ」
 いや──!?
「待って!」
 飛び立とうとした騎士さんの飛竜を、短く叫んで私は制した。
 しかし、騎士さんはじっと私を見下ろしたまま、
「ここで戦って時間を取られるのは、アーオイルの思うつぼだぞ」
 言った。
 ──解っている。この隙にアーオイルはナンムアリルに攻め込み、賢者の石を手に入れようとしているのだろう。イズハさんが巨人が現れたとも言っていたから、ナンムアリルにはアーオイル、巨人、そしてアルさん達が向かっているのだろうが、果たして──
「……」
 剣先の向こうを見据えたまま、私は奥歯をかんだ。
「行ってください」
 傷を癒やしたエイドさんが、剣を手に私の隣に立っていた。
「戦えないものを逃がすための撤退戦です。私たちだけでも、なんとかなります」
「ならないよ」
 うん。たぶん、ならない。
 命を賭して、でもなければ。
「ならないよ」
 呟く。
 それに、この鉱石魔神の軍勢は、たぶん、私たちの因縁だ。あの国の、あの軍勢に違いない。私たちがケリを付けるべき、因縁なのに違いない。
「片付けていこう」
 私の言葉に、強く、騎士さんが返した。「よせ、勇者」
「その男の話では、ここ以外にも鉱石魔神は現れているのだろう? 君はその全てと交えるつもりか? 石はどうする?」
 んなことは、解っている。
 解ってはいるが……
「優先すべきは、賢者の石だ。ここはこの者達に任せよう。我らがなすべきは、アーオイルを止めることだ」
 解っている。解ってはいるが……その上で──どうする?
 アルさん達がそう簡単にやられる訳がないとは思っているし、私がこうして立っている限り、世界の摂理とかそういうアレで、アルさんも戦っていると解ってはいる。ならば私は……
 剣を握りしめる私に、エイドさんの声が告げていた。
「勇者様」
 優しく、諭すようなその声に、私は彼を見ていた。
「我らオルムは、賢者の石を手に入れる資格を持つフローラの子どもを導くためにいるのです。そのためならば、ここで死しても、それはオルムの本懐」
「勇者、いくぞ」
 飛竜が舞う。
 はっとして──咄嗟、私はその足を掴んでいた。
「行ってください。勇者様」
 咄嗟に掴んでしまった手を離そうとするよりも早く、私に向かい、オルムの戦士は微笑みかけていた。
「フィロソフィーズ・ストーンは、貴女を待っています」
 上昇する飛竜。
 大地が離れていく。
 戦士たちが雄叫びをあげて鉱石魔神の軍勢に突っ込んでいく。
 私はそれを──唇を噛み締めて──見つめていた。

 舞い上がる飛竜。
 眼下の六つの島から、火の手が上がっている。
 振り向く先、闇夜を照らす魔力の奔流の向こう側に、ナンムアリル。天を突く、巨人の後ろ姿。
 鞍上の騎士が叫んだ。
「行くぞ!」
 風となり、飛竜は空を裂いて飛んだ。
 夜の向こう。
 ナンムアリルで、光が弾けた。
 そして生まれたその光の圧に、巨人が吠えあげて──溢れ出た光の奔流に飲まれ、その姿がかき消え始めていた。
「何が起こっている!?」
 騎士さんの声。
「わからん!」
 私は剣を手に叫んだ
「でももう、戻れない!」
 前を見据える。
 振り向けない。それを選んだのだから。乙女なら──
「突っ込んで!!」
 闇を裂いて広がる光の奔流に飛び込み、私たちはその先へと突き進んだ。
 真っ白な光の中、膨大なマナの奔流の向こうに、朱く輝く石が、見えた気がした。
 光の向こう、奔流の中心、ナンムアリルの円形祭壇。
 その場所に、赤い光が見えた。
「あれが──!?」
 神々しく──いや、禍々しく──蛇のようにうねる光。そこにいる男の姿。
 男は、その光に手を触れていた。
「あいつ──!」
 私はベルトポーチから錬成石を取り出すと、そいつを叩き割ると同時に飛竜の体を蹴って空中に飛び出した。
 真っ直ぐに前を見据え、剣を引き、ポメルをこめかみにつける。
 落下の速度を錬成石の力で最大限に加速させ、一点、私はその光の中心へと向かって、流星の如く突っ込んだ。
「ミーティア・ストライク!」
 落ちる星の閃光の一撃を、赤い光を纏ったアーオイルが、その手の短剣で受け止めた。
「来たか! 勇者!」
「何をした!?」
 剣の閃光が、魔力の奔流を吹き飛ばすように弾け、散る。
 その光の圧に押し戻され、私はアーオイルから離れた場所に、後ろ向きに滑りながら着地した。
 見据え、剣を構え直す。
 飛竜に跨がった騎士さんが、ゆっくりと後ろに降りてきて、
「なんと……」
 つぶやいていた。
「遅かったか」
 眼前にはアーオイル。
 その手に、赤い光。
 私の背後には騎士さん。そしてさらにその後ろには──アルさん、エルさん、チロルさん、そしてダガーさんにネリさんが、倒れていた。
「ゆ、勇者ちゃん……」
 唯一、意識を残したままだったユリアさんが、地面に両手をつけた格好で座り込んでいた。
「状況は?」
 聞く。
 ユリアさんが返す。
「あ、アーオイルが、ここにいた女性たちを次々と刺していって……止められなくて……その人たちが消えてしまうと、あの鉱石が……」
 アーオイルは左手を胸の高さで開いていて、それを私たちに向かって見せつけるようにして笑っていた。
 左手の上、浮いている、六つの赤い石。
「勇者ちゃん、まさかあれが……」
 ユリアさんが言っていた。
「あれがまさか、賢者の石の欠片なんですか!?」
「しらん!」
 即座に返す軽口を言う口許も、なんとも微妙だ。苦笑、失笑、なんとも言えない感情に視線も外せず、なんともまぁ──
「遅かったな」
 笑うように、アーオイルが言っていた。
「遅かったな、勇者。お前の仲間達は、ご覧の通りだ。巨人と私を相手によくもった方ではあるが、しかし、賢者の石の欠片から生み出されたこの島の巫女達を、護りきることはかなわなかった」
 六つの光を纏いながら、アーオイルは大仰に腕を広げてみせる。馬鹿にするような、笑うようなその仕草に、私は剣を握りしめる。
 ナンナアリルが、胎動をし始めていた。
 マナの光が空間に散乱し始めていて、その役目を終えたからか、聖地である島は、崩れ始めていた。
 崩壊を止める。世界を──
「欠片をわたせ」
 私は言った。
「はいどうぞとは、いかんなぁ」
 笑い、アーオイルは続けた。
「しかし、お前たちには酷い屈辱を受けたが、礼を言わねばなるまいな。お前たちにいつか復讐せんと、その動向を追い続けていたお陰で、こうして私は、賢者の石を手に入れられたのだからな」
「勇者、どうする?」
 隣、騎士さんが小さく聞いた。
「奴を倒し、欠片を取り戻すか?」
「できるかね?」
「やらざるをえん」
「それもそうだね」
 切っ先をアーオイルに向け、私は言った。
「欠片を返してもらう」
 いけるか──いいや、やらざるを得ない。正直、世界がどうこうとか考えてはいないが、アルさんならそうする。今、自分がどうしたいかに従う。ならば私は──そのためにここに来た。ついでにだろうがなんだろうが──世界を救う。
「お前一人で、なにが出来る?」
 アーオイルは笑っていた。
「賢者の石の力を一部でも使えるようになった私に、おまえごときが届くものか」
「関係ない。お前たちに、石は渡さない!」
 大地を蹴り、私は一気に飛び込んだ。
 一瞬でその間合いを詰め、左下から剣を振り上げる。高速の一撃。それを、アーオイルは手にした短剣で難なく受けた。
 ぎんっと甲高い音が鼓膜を揺らした次の瞬間、アーオイルの右手が眼前に突き出されてくる。指の間には錬成石。
 飛び退く。
 同時に、雷にも似た閃光が迸り、私の頭があった場所を、轟音と共に突き抜けていった。
 入れ替わり、騎士さんが左手から回り込んだ。逆からは、飛竜が牙を剥いて襲いかかっていく。
 しかしアーオイルはその双方の突撃を難なくかわし、邪魔な巨躯の飛竜に向け、錬成石から無数の炎を撃ち放っていた。悲鳴のような鳴き声が響いて、逃げるように飛竜が舞って──消えゆく鳴き声と共に、戦場の向こうへそれは落ちていった。
 視界の端にそれを捉えながら、私は再びアーオイルへと詰め寄っていく。
 振るう剣を、下がりながら短剣でアーオイルは易々といなしていく。「くっ!」と、さらに連撃を加速させていくが、アーオイルのその表情は、薄く笑っているように見えた
「遅いなぁ、勇者。遅い。遅すぎる!」
 踏み込み、反撃とばかりにアーオイルが私の剣を弾いた。腕ごと持って行かれた衝撃に、じんと腕が震えてしびれた気がした。まさか──!? あんなに短い短剣に、押し負けたのか!? と思う間もなく、短剣が私の胸元に向けて伸ばされてくる。かわす──間に合わない!
 私は左腕をかざし、それを受けた。
 ミスリルの袖を突き抜け、短剣の切っ先が私の腕の中に、ずぶりと刺しこまれた。
 ぐっと奥歯を噛み締め、受けた左腕でアーオイルを引き寄せながら、右手の剣を振り下ろす。
 捉えた。この間合いでは、さすがのこいつも、かわせはしない!
 アーオイルは左手を広げ、私の剣を素手で受けようとして──これでお互い、左腕の一本ずつ──!
「おしい」
 笑うような声。
 アーオイルは振り下ろした私の剣を、広げた左手で受けていた。まさかと目を見開く。まさか──ミスリルの刃を素手で、木刀を受けるくらいの感覚で受けきるなんて──!?
 四つに組んだ間合いの中、アーオイルは笑っていた。
「たしかに今のは、普通なら致命傷は避けられなかっただろうな」
「こいつ──!?」
「弱い。弱いな、勇者!」
 ぎゅんと回転し、アーオイルは私を蹴り飛ばした。一瞬、意識が飛んで──円形祭壇の階段にぶち当てられた衝撃で、私は我を取り戻した。
 私と入れ替わり、騎士さんがアーオイルとつばぜり合いを続けている。加勢しようと立ち上がろうとして、足に力が入らない事に気づく。毒か? 錬成石を──取り出そうとして、私は地面に臥した。
「勇者ちゃん!」
 ユリアさんが駆け寄ってくる。「錬成石を……」と、私に手をかけ、回復や解毒の石を次々と発動させていく。
「ち、血が止まらない!?」
 たぶん、毒だけじゃなく、呪いか何かも含まれているんだろう。なんとか意識は保てているが、だらだらと血を流し続けている左腕を見ると、気味の悪い青紫色が、じわりじわりと広がりつつあった。
「弱い、弱いなぁ!」
 騎士さんとつばぜり合いをしながら、アーオイルは笑っていた。
「我らアーオイルが賢者の石を手にすれば、お前らなど、所詮はこの程度。マナとの親和性を極限にまで高めている我らこそ、世界の調律者! 神をもしのぐ、無二の存在!」
 アーオイルは騎士さんをその小さな身体と短い短剣で易々と弾き飛ばし、円形祭壇の向こうへと押し飛ばしていた。
 そして──原初のマナへと変換されていく世界を、静寂が包み込んだ。
 地に臥せ、誰一人として動けない中、アーオイルの声だけが響いていた。
「ありがとう、フローラのエクスプローラーたち。そして勇者よ」
 静かに短剣をしまい、六つの赤い光を纏いながら、アーオイルは両手を高々と掲げて叫んだ。
「お前達のおかげで、我らアーオイルは、ついに賢者の石を再び手にした!」
 何かを言い返してやろうとして腕に力を込めるけれど、顔を上げることも出来ない。何かを言ってくれよとアルさんに視線を向けようとしても、それが出来ない。
 ユリアさんの触れる手の感覚だけが、肩口にする。
 私はまだ戦える。
 立ち上がって、寝転がっている奴を叱咤して──私たちは、まだ戦える。はずなのに!
「さらばだ、勇者たちよ」
 気力を振り絞って顔を上げた先で、アーオイルは両手を天に掲げていた。そしてその先に、原初のマナが渦巻く空に、巨大な、禍々しい魔力が集まって渦を巻いていた。
 あの魔法──メテオか──!?
「世界は、我らアーオイルのもの!」
 膨れ上がった膨大な魔力の渦が、灼熱の太陽のような大岩を、今まさに顕現させようとしていた。

「やらせはせんよー!!」
 声。
 空から、黒い炎が、落雷のような勢いで落ちてきてアーオイルを襲った。
「まだいたか!?」
 咄嗟、大きく後ろに飛び退き、アーオイルは暗黒騎士の一撃を避けた。
 大剣が大地をたたき割り、原初のマナの光を黒い炎が吹き飛ばす。「ふっふっふ……」
 大地に大剣を叩きつけた格好のまま、暗黒騎士、レイシュは笑っていた。
「ちょっとタイミングが良すぎて、赤面しちゃうくらいですね」
 言い、レイさんはアーオイルへと暗黒の炎を吹き上がらせながら詰め寄った。黒い炎が崩れゆく世界を飲み込みながら、アーオイルを押し戻していく。
「ニケさん! 今うちに!」
 その声に、
「あいよう!」
 応える声。
 続いて、
「リフレッシュ!」
 私を包んだ神聖魔法の力に、ばちん! と意識が鮮明に冴え渡った。動く。剣を握り、大地を踏みしめる。
「ニケちゃん、ダガーさんに蘇生の錬成石を!」
 言いながら、私に回復を飛ばしたチロルさんは、レイさんの元へと駆け出していた。
「ダガーさん、マルチアクション!」
「おうよ」
 立ち上がりながら、ダガーさんが返す。
「起きろ、ケソザコ、アルネリ!」
 両手の錬成石を叩き割り、生まれた蘇生の光をダガーさんは倒れていたアルさん、ネリさんに飛ばした。
 そして──
「ぐっふぉー……」
 唸るように大きく息を吐き出しながら、アルさんが立ち上がった。
「やってくれたな……」
 言い、アルさんは剣を両手に持って、ポメルをこめかみの脇につけた。
「どけ! レイシュ! チロル!」
「そうやって、美味しいところを持って行こうとする!」
 前衛の二人が、左右に飛び退く。
 一直線。
 視界が開けた。
「ミーティア──ストライク!」
 閃光が、原初のマナの光の中を突き抜けていく。
「おのれ……!?」
 アーオイルが両手を突き出し、身構えた。
「死にぞこないが!」
「おまゆう!」
 そして突き出された閃光が、弾け飛んだ。

 アルさんの手にした剣の切っ先は、アーオイルの翳した掌の中心で、凍りついたように制止していた。
「……イモータル、だと?」
 呟き、アルさんはアーオイルを見据えていた。
「てめぇ……どういうつもりだ?」
「フローラの子、エクスプローラーよ」
 アーオイルは笑っていた。
「そういえば、貴様の名を、聞いていなかったな」
「名乗りをあげれば、イモータルも解除されるってか?」
「何の話だ?」
「こっちの話だ」
 そして、切っ先の向こうを見据えながら、アルさんは笑った。
「アルベルト・ミラルス」
「アルベルト……勇者と、その相棒か。覚えておいてやろう」
 言って、アーオイルは全身から雷撃のような光を迸らせた。
「にゃろ……!?」
 大きく飛び退き、アルさんは下がる。そしてその前へチロルさんが飛び出し、光の盾を展開させた。「勇者ちゃん!」呼びかけにユリアさんの手をひっつかんで、「レイ・スティンガー!」で、私も一気に盾の裏へと飛び込んだ。
「ネリ!」
「アイス・ウォール!」
 光の盾の前に、氷の壁が立ち上る。広範囲の防壁の後ろへ私たちが滑り込むのと同時に、
「ライトニング・エクスプロージョン!」
 あたり一面を、無数の雷撃が轟音と共に暴れ狂った。
 世界が歪んで、形を変えていく。
「ネリ! あいつ、イモータルだったぞ! どうすんだ!?」
 崩れていくナンムアリル。その光の中、アルさんがネリさんに向かって叫んでいた。
「いや、まあ……レイシュとニケが生きていたお陰で全滅は免れましたが、これ、全く展開、意味不明ですからね! 私だって知りませんよ!」
「アル! まだやれんのか!?」
 ダガーさんの声に、
「俺はやる気満々だが、世界が俺の邪魔をするんだ!」
 光の爆発に負けじと、アルさんは叫んでいた。
「勇者ちゃん、なんとかしろ!」
「何で私!?」
「お前がやる気なら、きっと何とかなるはずだ! ってか、カラニ・ルアから戻って来たんだろ!? 賢者の石はどうした!?」
「それはアレ」
「うん。流石にそれはないと思ってた」
「じゃあ聞くな」
「いや、お二人、楽しげですが……」
 雷撃の嵐を抜け、各々が武器を構え直した先。アーオイルは消えゆく大地の上に浮かんで、その赤い光を纏いながら、私たちに向けて言っていた。
「よくぞ耐えたなと言ったところだが──しかし、これで終わりだ、アルベルト。そして、勇者よ」
 ゆっくりと右手を掲げ、アーオイルは天を指した。
 見上げた先──原初のマナに包まれた空に魔力が渦を巻いていて、真っ赤に燃える巨石がそこに顕現していた。
「エクリプス・メテオ!? まだ撃てるのか!?」
 叫び、レイさんは飛び出す。
「どんな展開になるのかは解りませんが、後は任せますよ!」
「レイさん!?」
「なあに、私が死んでも、代わりはいるもの! 受けましょう! 我が全身全霊をもって! 孤独の魂!!」
 左手をかざし、暗黒の炎を迸らせ、漆黒の炎で燃え盛る巨石を包む。赤と黒と、マナの白が混沌に渦を巻き、踊り狂う。
「砕けて散れ!」
 アーオイルが叫ぶ。
「エクリプス──メテオ!」
「リミット・ブレイク! ダークソウル!!」
 その瞬間。
 弾ける隕石と暗黒の炎が、原初のマナの光に飲み込まれ、世界を──ナンムアリルを砕いて──光と混沌の中で、すべてを無に返した。

 どどどどと、眼下に生まれた大穴に海水が流れ込んでいる。
 わずかに残ったマナの光の残滓が、夜空から落ちてきた星屑のように、ゆらゆらと生まれては消え、生まれては消えを繰り返していた。
 夜の向こうでは、六つの島から今も変わらずに火の手が上がっている。
 眼下、大穴に海水が流れ込んでいる。
 私たちがいたナンムアリルは、既に跡形もなく消えていた。
「……ナンムアリルが」
 私は騎士さんの駆る飛竜の足にぶら下がって、眼下に向かって呟いた。隣、もう片方の足に掴まっていたアルさんも、じっと眼下を見下ろしている。
 ふわり、フライトの魔法で飛んでいたネリさんが、私たちの背後にやってきて言った。
「正直に言ってしまいますと、ナンムアリルはいずれにせよ、消えてしまう運命だったのです」
「なんで……?」
「ナンムアリルは元々、膨大なマナの力で形を保っていたのです。巫女が石に戻されれば、その姿を保つことが出来なくなって、マナに戻るしかない。そして──」
「膨大な原初のマナ。これだけの量があれば、賢者の石すら錬成できたかもしれんな」
 私たちの掴まる飛竜の背に乗った騎士さんが、小さく呟いていた。
「ま、本来の流れはそんな感じなのです」
 ため息混じりに続けたネリさんに、アルさんが続いていた。
「アーオイルはどこに消えた?」
 辺りを見回す事もなく、アルさんはネリさんを見、言葉を待つ。しかしネリさんは軽く首を振って、それを答えとしていた。
 私も一つ息をついて、仲間達の無事を確認した。フライトで飛ぶネリさんの向こうには飛竜に跨がったチロルさんがいて、その足には私たちと同じようにダガーさんがぶら下がっていて、
「なんだかな……」
 と、呟き、ひょいと飛竜の足から手を離してニケちゃんの操る巨大な空飛ぶくじらの背中に飛び降りていた。
 乗り移った先、くじらの背中にはエルさん、レイさん、そしてユリアさんの姿があって、
「こいつなら、違う展開もあるんじゃねーかなと、思ってたんだがな」
 呟きながら蘇生の錬成石を発動させたダガーさんに起こされていた。「おや~、リザレクションされたということは、戦闘状態は解除されているんですね~」「むう……せっかくリミットブレイクしてメテオを抜けたのに、怒涛の反撃シナリオにはならずでしたか」
「まぁ……なりませんでしたね」
 言って、ネリさんが息をついていた。
 それを横に聞きながら、騎士さんは飛竜をくじらの上に寄せてくれていた。私とアルさんも、特に言葉もなく、その上へと飛び降りた。
 眼下、島々が燃えていた。
 くじらの脇に飛んできたネリさんが、呟くようにして続けていた。
「しかし……途中までは全く違う展開でしたから、もしかしてアーオイルの襲撃すらなく、アリルは襲われない展開だったりするんじゃないかとか、そんな風に思っていたんですがね」
 それに、息をついたレイさんが返す。
「それだと、アーオイルがどうやって欠片を手に入れるんだって話にもなりますし……シナリオ上、この展開は不可避だったのかと」
「まあ……このシナリオは、下の世界にいくための負けシナリオではあるんだけどよ」
 頭の後ろで手を組んで、ダガーさんも大きく息をつく。
「今までの展開からすると、期待もあったんだがな」
「ありませんでしたね」
 言い、レイさんは眼下を見つめていたアルさんの隣にやってきて、私たちに向かい、言った。
「あえて一言、言わせていただきますが……」
 空飛ぶくじらの上から、夜の闇を裂いて燃える大火を見下ろし、レイさんは呟くようにして言っていた。
「この結末は、おそらく不可避の、シナリオなんです。これはゲームですから、そういうこともあります」
 大穴に流れ込む瀑布の轟音が轟く中、眼下には燃え盛る島々。
 アルさんは、それを見下ろしたまま、一言も発しない。
 夜の闇の中、強く風が吹いている。じっとそれを見つめるアルさんの前髪が、揺れている。
 私たちは──何も出来なかった。
 結局、これは私たちが招いた結末だ。全知全能を手に入れようとか、不老不死がどうとか、世界を救おうとか、そんなたいそうな事を考えていた訳じゃない。けれど──眼下に広がる景色は、まぎれもなく私たちが関わったからこそ、訪れた結末に他ならない。
 彼らは言っていた。
 賢者の石を手にする資格を有するフローラの子ども達を導く為に、我々はいるのだと。
 その為ならばと──
 その為に──彼らの聖地は消え、島は──燃えている。
 私たちの元へと歩み寄ってきたエルさんも、何も言わない。くじらの脇に併走するように飛んでいる飛竜に乗ったチロルさんも、目を伏せて細く息をついている。
 ネリさんがゆらゆらと近づいてきて、視界の端に背中を見せた。前に出たニケちゃんが、のぞき込むように眼下を見下ろしていて、後ろへ歩み寄ってきたダガーさんが、ちっと舌を打ってぽつりと呟いていた。
「コイツなら、違う展開もあるかと、期待してたんだけどな……」
「ありませんでしたね」
 レイさんが息をつく。
「しょうがない。そういうシナリオです」
「……胸くそわりい。まぁ、しかたねぇな」
 眼下の大火を、私たちはただ、無言で見つめていた。
「……しょうがない?」
 ぽつりとアルさんが呟いた言葉は、たぶん、隣にいた私にしか、届かなかったと思う。
「そんなの、勇者が言っていい台詞じゃねぇだろ……」
 風が吹いている。
 熱と潮の香りを乗せた風が、絶え間なく吹き続けている。
 私たちは──
「それで、これからどうするのだ? 勇者」
 飛竜に跨がった騎士さんが、私たちに向かって聞いていた。

 雨。
 土砂降りの、雨。
 突如、音をたてて降り出した雨に、テュルアリルの戦士たちは空を見た。
 鉱石魔神の軍勢が迫り、広がる戦火の中。六つのアリルから逃げ出してきた者達を匿う神殿を背にし、戦い、しかし圧倒的な鉱石魔神の軍勢を前に、最早これまでかと唇をかみしめていた戦士たちは──降り出した雨を見上げ、消えゆく戦火に──その空から、剣を手に飛び降りてくる者達に──私たちに──息をのんだ。
「たとえ意味があろうかなかろうが!」
 剣を手に、私たちはテュルアリルの聖堂前の広場に着地する。
「ここで見捨てたら、勇者じゃねぇだろ!」
 大地を蹴り、アルさんと私は併走して走る。
 後にはダガーさん、レイさん、チロルさんが続いている。
「オラージュ・エクレール!」
 鉱石魔神の大群に飛び込み、アルさんが連撃を放つ。続く私は、
「ラ・ロンド・フルーレ!」
 そのアルさんと背中を合わせ、鉱石魔神を斬り伏せていく。
 レイさんが大剣に暗黒の炎を纏わせて辺りをなぎ払い、ダガーさんが狼狽える鉱石魔神を次々と行動不能に陥れていく。
「アル! こいつらも全部潰す着か!?」
「無論!」
 剣を手に、縦横無尽に走りながらアルさん。
「ここ、別に戦闘する必要はないはずですが、死んだらロールバックは間違いないので、死なないでくださいよ!」
 レイさん。
「どこまで戻るか、考えたくもないですね!」
 チロルさんが続く。
 後方では、エルさん、ニケちゃんがイズハさんと共にテュルアリルのガンザ達を癒やしている。鉱石魔神の軍勢は、私たちのパーティー人数からすれば比べるまでもないほどの人数差だが、なあに、ガンザ達の回復を待つ間に、リザードマンクラスの強敵を潰しておけばいい。ネリさんが降らせる雨がやむ頃には、既に解放した他の島のガンザ達もテュルアリルに上がってきて、挟撃の状態になるはずだ。
「アルさん! 中央をぶち抜く!」
 剣を構え、私は言った。
「おう!」
 構える私の前を露払いし、アルさんが飛び退く。
 そこへ私は、
「ミーティア・ストライク!」
 地を駆ける流星となって突っ込み、鉱石魔神の軍勢を一気に吹き飛ばして消滅させた。
 降りしきる雨の中、辺りに散った光のかけらが消えていく。その向こうに、ゆらり、巨大な魔物が姿を現していた。
「おボス様がいらっしゃるのか」
 私の隣、アルさんが身構えた。
「えー? ここ、ボスなんていたんですね」
 前へ出るレイさん。
「トロール・キングですか」
 私の背丈の優に五倍はあろうかという巨躯の鉱石魔神を見上げながら、チロルさんは盾を構える。
「これ、フルパーティで調整されてねーだろうな。ニケ、ネリ、エルなしで行けんのか?」
 と、短剣を逆手に構えるのはダガーさん。
「カンケーねぇな」
 笑い、アルさんは切っ先をそれに向けた。
 曲がった背中、突き出た大きな顔。岩のような肌にぼこぼこと盛り上がった巨大な筋肉。
 体躯に比べ、不釣り合いな程に短い足に、逆に地面に届きそうな程長い腕をしたその魔物は、手に握りしめた大木のような大きさのメイスを引きずりながら、ずしんずしんと歩み寄ってくる。
 トロールの王、トロール・キング。
「巨人に比べちゃうと……」
 私は笑った。
「いささか、迫力には欠けるね」
「確かに」
 隣で笑うアルさんに、レイさん、チロルさんが苦笑気味に返していた。
「お二人、感覚がおかしいです。そもそも巨人は戦う相手ではないですから」
「いやまあ、トロール・キングってこのタイミングだと驚異な気がしますけど、アルさん、既にレベルキャップなんでしたっけ?」
「あ、そうか」
 と、ダガーさんが続いていた。
「アップデート2のキャップってことは、お前、全シナリオクリアできるレベルなのか」
「なお、すでに経験値はレベルキャップの向こう側に消えてしまっているので、実際自分が何レベルなのか、俺も知らない」
「下の世界に行ったら、即、キャップ解放クエですね」
「やべー、オレもさっさと99にしねーと」
「私、もうすぐ99になりますよ」
「あれ? もしかしてこの五人だけでも合計500くらいあります?」
「430ちょいだな」
「フルパーティだと500くらいですから、規定の70下ですかー。まあ、IL的に余裕でしょうが」
「んじゃあ……さくっといくか!」
 言って、アルさんは笑った。
「いち!」
 と、駆け出す。
「おっと、そうきたか!」
 続き、ダガーさんも走る。
「なら、オレは二で行くぜ!」
「では、私が三で続きましょう!」
 レイさん。
「四で!」
 チロルさん。
「ごー!」
 そして私が続いて、駆け出した。
「一気に決めるぜ!」
 錬成石を砕き、アルさんはトロール・キングの懐に飛び込む。
 そしてそこで「オラージュ……」剣に雷にも似た閃光を纏わせ、咆哮と共に振り下ろされてくる巨大なメイスに向かって、
「エクレール!」
 思い切りに剣を振り上げ、その一撃を弾いた。
 次いで、振り上げの動作から流れるように剣を切り返し、両足に連続で四連撃。ぐらりと傾いだところで、トロール・キングから離れるようにひとつ後ろに飛んで──飛び込む勢いと共に、残りの七発をその胸部に打ち込んだ。
「スタンはいった!」
 ぐらり、両手を広げた格好のまま仰け反ったトロール・キングに、空中のアルさんが声を上げる。
「なら、こっちも連撃でいくぜ!」
 そのアルさんの頭を飛び越え、トロール・キングの上へと飛び出したダガーさんが、両手の短剣を順手に持ち直し、斬りつけた。
「ブラック・ブロウ!」
 目にも留まらぬ速さで斬りつける斬撃に、ばっと、トロール・キングの黒い血が舞う。
「ならば、私も暗黒騎士最高の連撃スキルをお見舞いしましょう!」
 大剣を水平に構え、トロール・キング向かって走り込むレイさんの身体の周りに、暗黒の炎が火球となっていくつも浮き上がった。
「ソウルストライク!」
 叩きつける剣に、暗黒の炎が弧を描いて追従する。ぼぼぼぼっ! と激しい音を立てて炎が弾け、トロール・キングが吹き飛ばされた。
「勇者ちゃん!」
 その背後へと回り込んでいたチロルさんが、ハルバードを輝かせながら、私に向かって声を上げていた。
「飛ばすよ!」
「了解!」
「ヘヴィサイクロン!」
 回転しながら振り回されたハルバードが、トロール・キングの背中を切り裂き弾き飛ばす。
 吠えるように呻き、たたらを踏んだトロール・キングの前へ、私は剣を下段に下ろしたまま、踏み込んだ。
 トロール・キングが怒りに満ちた赤い目で吠えあげる。振り上げたメイスを、私に向かって振り下ろす。
 雨。
 その一粒すらもこの目で捕らえる事の出来る私は、振り下ろされるそれを紙一重でかわし、「ラ・ロンド──」
「フルーレ!」
 十六の連撃を、その巨躯に叩き込んだ。
 ぐらり、トロール・キングの身体が揺らぐ──が、その目はまだ、赤い光を失ってはいなかった。
 トロール・キングは連撃に耐え、ぐっと踏み留まった。踏みとどまって、大きく咆哮を上げながら両手でつかんだメイスを、大上段へと振り上げていた。
「こいつ……!?」
「取りこぼしたな!」
 アルさんが私の脇を走り抜けていく。走り抜けていって大きく飛び上がり、振り上げたその剣を叩きつけられてくるメイスに向かい、「ヴァルキーリア・スクード!」と放つ。
 ばぁん! と閃光が弾け、トロール・キングとアルさんが互いに吹き飛んだ。
「勇者ちゃん!」
 空中で、アルさんが私を呼んだ。
「人使い荒いな!」
 剣を手に、私は再度踏み込んだ。
「ダカーポ!」
 終わりだ。
 結局、私たちはなにができたわけでもない。
 それどころか、彼らを巻き込み、ともすれば世界を巻き込んだ。
 結局、これは私たちが招いた結末だ。全知全能を手に入れようとか、不老不死がどうとか、世界を救おうとか、そんなたいそうな事を考えていた訳じゃない。けれど──私は剣を手に、ただ一歩、強く前へと踏み込んだ。
「アル・フィーネ!」
 繰り返しの十六連撃が、光と共に舞う。
 トロール王の最後の咆哮を閃光が飲み込み、雨を裂いて散って──全ての炎を吹き飛ばした。
 混沌の向こう、嵐の向こう。
 踏み出した私の踵が鳴らす終音が、ただひとつ、響く。
 閃光がすべてを飲み込み、消えたその向こう──雨の上がった空に、月。
 瞬く星と、魔力の残滓。
 消えゆく光の中に生まれた静寂に、私は目を伏せた。

 荒涼とした、草木の一つも見えない大地、カラニアウラ。
 その乾いた大地の丘の上に、ナルフローレの神殿はあった。
 古きオルムの残した遺産。
 あの、ルーフローラの聖地によく似た、しかし澱んだ停滞するばかりのマナの力に、輝きの一つも持たない枯れた遺跡のその中心。
 円形祭壇に、私たちは歩を進ませた。
 円形祭壇にはナルフローレの聖騎士たちと、アリルでいうマーケナにあたる老人たち、そして数人の巫女の姿があった。
「お待ちしておりました、フローラのエクスプローラー、勇者たちよ」
 円形祭壇の正面奥。わずかに透けて向こうが見える肌をした巫女が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「すでに、話は聞き及んでおります」
「あの人、鉱石魔神?」
 アルさん。隣のレイさんに首を傾げて、聞く。
「ですです。あの方は、賢者の石の欠片ではないのですが、かなり高位な錬成石からオルムが生み出した、とてもとても位の高いお方なのです」
「薄いけど?」
 指さしに、レイさんは一つ頷く。
「マナが澱んで、力を持たないんですよね……濃度は濃いらしいんですが、宝石は輝かず……とか」
「ああ……あれはあれか。最終章で消えちゃうパターンのソレか……」
「そういう先読みはよくないです~」
 言いながら、エルさんがアルさんの背中に左手を食らわせていた。
「アーオイルは、ついに賢者の石の欠片を手にし、失われたアルス・マグナの賢者の石を再生せんとしています」
 私たちのわちゃわちゃはともかく、巫女は言う。
「世界は、再び分断の危機。ともすれば、消滅の危機に瀕しています」
「あれ? これ、自動イベント?」
「アル兄、もうちょっと、緊迫感……」
「アルに期待してもな……」
「ちなみにあちらの聖騎士様たちより、チロルさんやエルの方が階位が上なんですよね」
「えへん」
「いや、まあ……そうなんですけど……」
「おのれ、聖騎士のすくつめ……」
「なぜか変換できない」
「いや、あの……」
 いつものペースに苦笑しながら、私は言った。
「世界が危機的状況に瀕しているはずなんだけど、自覚、ある?」
「え?」
 と、アルさんは心底驚いたような顔をして私を見た。
 おい……まさか……
「ないの……?」
「いや……」
 そう言って、アルさんは口許を曲げて笑っていた。
「世界が救うべき危機的状況になったって実感は、まぁ、あるんだろうなとは思っていたんだけど……まさか勇者ちゃんが、本当に世界を救う運命を受け入ようとはな」
「ぐ……」
 思わず私は息をのみ、呻いた。
「それは……」
 旅立ちのあの頃、私は、勇者ではなかった。
 ただ父を、賢者の石を探すという目的のためだけに旅立ったのであって、別に世界を救うとか、そんなことは、これっぽっちも考えていなかった。それが──今はどうだ?
「勇者」
 巫女の声に、私は顔を上げた。
 答えを──
「わかっているさ」
 アルさんが返していた。
「こちとら、これでも一応、世界を救う勇者様ご一行なんでね」
 そして、歴戦の冒険者たちは、笑って言った。
「やるよ。な? 勇者ちゃん」
 ああ……
 そう言って私に笑いかけるアルさんに、私もまた、軽く笑って返したのだった。
 彼がきっと、そう言って欲しいんだろうと、思って。
「私は、勇者じゃないけどね」
「おおっと」
「何をいまさら」
「何遍も、自分で名乗っていたくせに~」
「そういう反応を返すとは……」
「さすがだな、勇者ちゃん」
「いうねぇ」
 笑うアルさんは腕を組み、私を見てひとつ、息をついた。
 だから私は腰の剣に手をかけ、返してやった。
「やるよ」
 聞いても多分、言うんだろ。正直、そんなことはどうでもいいんだとか、冒険すべき世界があれば、冒険者は冒険するんだとか。そんな風に。
 いつもの調子で。
 だから私が──私が、代わりに言ってやる。
「私の前に、それがあるならしょうがない。もしもアレなら、そのついで」
 そう。彼はきっと、そう言って欲しいんだろうと、そう思って。
「成り行き流れで、世界だって救ってあげようじゃないか」
 笑う私に、その仲間達もまた笑っていた。
「いいね」
 アルさんも剣に手をかけ、笑った。
「それでこそ、勇者って感じだな」
「勇者じゃないですが」
「何をいまさら」
 そして私たちは剣に手をかけたまま、前を向き、ただ一歩、強く前へと踏み出した。


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