studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2018.04.01

勇者ちゃん、旅立つ!

Written by
しゃちょ
Category
読み物
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 あれは、16歳の誕生日。
 私は──勇者の子は──旅立った。
 この物語は、その勇者の子である私が、やがて伝説の勇者と呼ばれ、その仲間たちと共に世界を救う事になるまでの、長い長い、旅の記録である。

 城下町、出会いの酒場。
 私はそのドアをそっと開け、するりと中に滑り込んだ。旅立つ私に城付きの魔法使いが教えてくれた、信じるも信じないもお前次第と言われた予言を頼りに。「勇者の子よ、お前は城下町の出会いの酒場で、長い長い旅を共にする仲間たちと出会うであろう……」
 眉に唾をつけつつも、一人旅は心許ない。私は仲間を求める冒険者達が集うというその店の中をぐるっと見回し、テーブルを囲む幾人もの冒険者たちの姿を──
「おっと、ごめんよ」
 不意に、私の背中にぶつかりそうになりながら、ソフトレザーに身をつつんだ男性が店内に入ってきた。思わず、「あ、すみません」と小さく漏らして、脇に逃げる。
 と、
「うお、ノービスとか、超ひさしぶりに見ましたよ」
 入ってきたソフトレザーの男性に向かって、テーブルに着いていた深い黒色のフルプレートメイルを着込んだ男性が声を上げていた。その隣には、薄く銀色に輝くローブを身にまとった女性の姿もある。
 声をかけられた男性は、テーブルに近づきながら、
「え? マジで? 過疎ってんの? これ」
 と、苦笑交じりに問いかけていた。
「これ、何年前のゲームだと思ってます? もう、旬は過ぎましたよ?」
「当時は、AI勇者と旅するゲームって、結構話題になったんですけどね~」
 テーブルにつくその男性を見ながら話を続けたのは、先の銀色のローブを着た女性だった。
「もともと、AIの実験目的で作られたゲームですし、第三部のアップデート以降、もうアップデートは出さないって、開発元が明言しちゃいましたからね~。ロートル廃人勢以外は、ほとんどやってませんよ~」
「基本、終わり無きエンドコンテンツに挑む物達の魔境です。とは言っても、ピークタイムでぎり四桁くらいしかいませんけどね。サービス終了までに、世界を救えるといいですね!」
「ひどい!」
 笑いながら言うプレートメイルの男性に、ソフトレザーの男性も、笑いながら返していた。

 酒場の中、陽気に話す冒険者たちの声に、あんまり不審にならないよう、こう、店内を見回す感じで、私は耳をそばだてていた。
 笑いながら、ソフトレザーの男性は続けている。
「まあ、みんないるし、途中で詰むこともないでしょ」
「任せて下さい。この日のために仕上げてきた私のレベルは、すでに90オーバー! 感覚を取り戻すのに、若干、苦労しましたが」
「私、ちまちまやってたんで、随分前からレベル99なんですよね。多分、片手で第一部のラスボスくらい、屠れるんじゃないかな~」
「やり込みすぎィ!?」
「今、IL制限、ないんでしたっけ?」
「はい。レベルシンクもありません。まあ、ボス戦だけですけどね、制限解除があるのは」
「使わせませんが」
「IL高そうな装備だなぁ、それ」
「しかし、シンクされてレベル10! 伝説の装備の装甲が、もはや紙!」
「いや、しかし──」
 わいのわいのと、楽しそうに盛り上がるテーブルの三人。私にはなんの話をしているのか、さっぱり訳がわからない訳だが……きっと、歴戦の冒険者たちの、レベルの高い会話なんだろう……
 でも、あの人たちも、この出会いの酒場に居るってことは……
「いいんですか~。なんか、もじもじしてますよ~」
「何が?」
「ああっ! あえて触れずに、初めての出会いを楽しんでもらおうと思っていたのに!?」
「なんの話だ?」
「あちらです」
 と、ローブの女性が私を見た。
 う……っと、気後れするところを、プレートメイルの男性も、私を見た。
 う……っと、後ずさったところで、ソフトレザーの男性も、私に振り向いていた。
「何?」
「いえ……えっと……」
 なんとも、どうしたものかなともじもじしていると、
「ってー!? ちょっと待った! あなた、もしかして、勇者のキャラメイク、してない!?」
「おおー、英雄譚を共にする、超重要な勇者のキャラメイクを、システムランダムで終わらせるあたり、さすがです~」
「ええっと……」
 三人が何の話をしているのか、私にはさっぱり訳が分からないわけだが、ええい! と私は、とりあえずなんとか、その言葉を口にした。
「あっ……あの! こ、この酒場にいると言う事は、あなた方も、その……冒険者パーティを組もうとか、探そうとか、そういう──!」
「え? 何? 何この子、勇者?」
 突然、ソフトレザーの男性に言われて、
「え? いえ……私は勇者とか、そんな大層なものでは……」
「あ、そう」
 と、テーブルの二人に振り向き、
「あ、で、このあとどうすんの? この街で、勇者探すの?」
「そこにいる! その子! 勇者ですからッ!!」
「え? いや、あの……私は、勇者とかではなくてですね……」
「ほら」
「いや、あの、オープニングムービー……」
「見てない」
「なんで見てないッ!?」
「いや、お前ら待ってたから、飛ばしてきた。後で宿屋で見られるって、攻略サイトに書いてあったし……」
「私たち、そんなの待ちますから! そういうの、ちゃんと見てきてくださいよ!?」
「あれれ~? これは、面倒くさい奴ですよ~」
「あ、あの……ええっと……」
 私を置いて会話が進んでいくので、なんとか言葉を挟んだが、
「あ、すみません」
 と、プレートメイルの男性は私を手で制し、
「ちょっと私、この人に説教するんで、座って待ってて貰えます?」
「あ、はい」
「はいはい、どうぞ~。あ、すみません~。エール、でいいですよね? エール、ふたつ追加で~」
「私、おかわりで」
「みっつ~」
「で、いいですか」
 と、プレートメイルの男性は言う。
「そもそもあなた、この世界の事とか、勇者がなぜ旅立つのかとか、そう言うの、わかってますか?」
「いや、知らんけど。聞けばよくね?」
 ソフトレザーの男性は私を指差す。ので、
「あ、ですから、私は勇者とかではなくてですね……」
「場が混乱しますよ~。どうぞ~」
 眼の前に、溢れんばかりのエールが入った陶器のジョッキが置かれた。
「いえ、私、お酒は……」
「ほら! こういう! 初々しい反応とか!」
「何が?」
 返すソフトレザーの男性は、話を半分も聞いていない感じで、出されたエールを早速ぐびり。「お、割といけるな、このゲームの味覚エンジン」「でしょう。砂漠の国の、一風変わったエールが美味かったですよ」「楽しみだなー」「ちなみに私の勇者もお酒大好きですから、その内、世界中をハシゴしましょう。氷原の国の蒸留酒が、ちょっとない、いい風味で……」「話がそれました~」
 こほんと、プレートメイルの男性は咳払いをして、続けた。
「そもそも、このシーンは、仲間を求めて出会いの酒場にやってきた勇者と貴方の、ファーストコンタクトなシーンなんですよ? シナリオデザイン的には、貴方はキャラメイクで勇者を知っているので、『あ、あの……』『き、君は……いや、なんでもない……』的な展開を期待されているんですよ? わかります?」
「っていうか」
 エールの入ったジョッキを口に付けつつ、ソフトレザーの男性は私を見、呟いた。
「女の子だったのか」
「え? それすらランダム?」
「それ、名前以外入力してませんね~」
「ええっと……」
 とりあえず陶器のジョッキを脇に寄せ、私は彼らを見た。ここはこう、アレだ。なめられてはいけない。こう見えて私は一応、それなりに名の知られた父を持つ、こう……アレだ、王様から直接お話をいただくくらいにはだな……
「お前らは、そういう展開だったの?」
 ぐびぐびしつつ、ソフトレザーの男性は他の二人へ。ああぁ……
 エールのジョッキを手に、二人は返していた。
「ええ。私たちはその後、まあ、飲みながら話そうとなって、そのまま飲み明かしました。冒険に出たのは、その翌日でしたね」
「私は、おどおどしていた勇者くんが可愛すぎて、意地悪しながら、心の中で悶えていました。まあ、一時間くらいですけどね」
「こういう大人になっちゃ駄目だぞ」
 突然話を振られて、「あ、ハイ」「ひどい!」「ひどいですよ~、勇者ちゃん~」ああぁ……「いえ……あの、ですから……私はその、勇者ではなくてですね……」
 と、前置きして、私はプレートメイルの男性と銀色のローブの女性に向かって、説明を始めたのだった。
「あのですね、私はですね──」
 その私を、二人は、なぜかとてもとても眩しいものを見るような目で見つめていた。そして一方、ソフトレザーの男性は──手にしたエールの入っていたジョッキを掲げ、「あ、すんませーん! おかわりくださーい!」と、叫んでいた。

「私の名はレイシュ! ルーフローラは狙われている!」
 と、黒のフルプレートに身をつつんだ暗黒騎士、レイシュさんが言う。
「若い子には、わかりませんね~」
 隣でほわんほわんと返すのは、銀色のローブを身にまとった、柔らかな笑顔の女性、エルさんだ。神に仕える聖職者で、序列で言うと導師なのだと紹介されたが、それが何なのか、私にはよくわからない。「ヒーラー系の、隠し三次職ですよ~」
「ルーフローラって、何?」
 二人からノービスと言われていた、アルさんことアルベルトさんが、レイシュさんに向かって聞いていた。
「下の世界の人が言う、この世界のことです。ネタバレ、どこまで?」
「レイさんの裁量で」
「では、それだけのことです」
「ラジャった」
 たまに私には理解不能な言葉が飛び交う三人と、私は城外の街道をそれた森の手前にまでやって来ていた。あの後、結局なんだかんだで、「うお、やべえ、普通に初日から酒のんでダベって終わるとこだった! よし、行くぞ」と、立ち上がった皆さんに連れられ、「まずは、何はなくともレベル上げですね~」と、笑うエルさん。
「何系?」
 アルさんが手にしていた短剣を器用に振り回しながら、レイシュさんに聞いていた。
「某AL系です」
「飛べる?」
「飛べません」
「あと、一応、レベルはありますね~。ステータスにはあんまり関係しませんが、装備に装備可能レベルがありますので。強さ指標はILですね~」
「よくわかった。俺には、このゲームで魔法使いが無理だと言う事もふくめて」
「詠唱覚えるのとか、無理ゲーですよね」
「ノートに毎日、写経するんですよ~」
「こんなゲームに、まじになっちゃってどうするの?」
「これは、ゲームであっても、遊びではない~」
 うん、と頷き、何かを横に置くようなジェスチャーをするアルさん。私には、その動作も会話も、よくわからないわけだが、ともあれ、アルさんはレイシュさんに向かって続けていた。
「ではレイシュ。俺に、このゲームのキングオブザコ件、マスコットキャラを教えるのだ。それをちゃっちゃと狩り、さくっとレベル10位まで上げて、早々にクラスチェンジしたい」
「このゲームのキングオブザコは、カルボですね。カルボナーラになります」
「お前は何を言っているんだ……?」
「あれです」
 と、レイシュさんが指差す先には、よくある丸パンのような風体で、大きさ的には大人が一抱えといった大きさの、半透明の柔らかそうな生き物がいた。『カルボ』だ。割とどこにでもいる、魔物と呼ばれるカテゴリーの生き物だけれど……カルボナーラとはなんだろう?
「どれ……」
 と、アルさんは短剣を握り直し──次の瞬間には、しゅばっという空気を引き裂く音と共にカルボに肉薄していた。短剣の剣閃が二度三度ときらめき、あっという間に、ぱつんと弾けるような音を立て、カルボがあたりに飛び散っていた。
「ふむ……割と体が覚えてるモンだな」
「まあ、昔取ったなんとかってやつですね」
 軽い感じにレイシュさんは返すけれど、私としては驚きに目を丸くする他ない。レイシュさんやエルさんは、見た目もなんか、歴戦の冒険者って感じで、装備も凄い感じだけれど、アルさんはぺらぺらのソフトレザーに短い短剣しか持っていなくて、それこそ、私と対して強さは変わらないんじゃないかとか、思っていたのに──
「あ、あの……」
 私は三人に聞いた。
「じ、実は皆さん、高名な冒険者様だったりするんですか……?」
「そうですね~、世界を救ったのは、十や二十じゃ、きかないですね~」
「ええっ!?」
「あ、大丈夫ですよ。この世界の話じゃないです」
「ええっ!?」
 やっぱり……この人たち、こう見えて、本当はもの凄い冒険者たちなんだ……
「あ、なにか、盛大に勘違いさせてますね……」
「ほっとこう」
 アルさんは倒したカルボが飛び散った際に撒き散らしたものを、しゃがみこんで確認しながら、
「ストレージドロップじゃないのか……戦利品拾うの、メンドイな……」
「このゲームのプロデューサーには、謎のこだわりがあるようで、ドロップもそうですが、ちゃんと国ごとに貨幣が違ったりするんですよね。まあ、冒険者たちは関係なく、共通の『コイン』という単価を使うんですけど」
「吉田プロデューサーさんのこだわりです」
 ……ヨシダ?
 は、ともかく、
「なに? このドロップ」
 と、カルボが落とした黒いかけらを手に、アルさんが言った。
「木炭?」
「木炭です。カルボのドロップ。カルボだけに」
「魔物系モンスターは、倒すと、宝石や鉱石、金属や原石を落とすんですよ~。まあ、ちゃんと理由はあるんですが、ネタバレなので、おしえません~」
「なぜ……木炭?」
「よく燃えますよ? あと、どこの国のNPCでも、3コイン前後で買い取ってくれます」
 うん、カルボの木炭は、大きすぎず小さすぎず、一般のご家庭でも扱いやすいので、かまどの火に大活躍。うちでもよく使ってたな。薪よりちょっと高いけど、火持ちもいいし。
「まあいい。ストレージにいれて……ストレージ? ウィンドウドロップ?」
「ふふ、妙なこだわりがあるのて、そんなデジタルな処理ではありませんよ。ストレージアクセスは、ストレージアイテムからです。初期ストレージは、ベルトポーチですね」
「え? 今時、物理ストレージなの?」
 と、アルさんは腰のベルトポーチを開ける。あ──
「おい、ポーチの中が真っ暗なんだが? 深遠が見つめていらっしゃるのだが? 物理的におかしい奴なのだが?」
「ふふ、ローンチの時は、本当に物理だったのですが、あまりにも不便すぎたので、パッチが当たり、処理的にはデジタルストレージになって、キャパも上方修正されました。が、物理的見た目は撤廃されませんでした。謎のこだわりです」
 あー、ポーチの中が真っ暗で、底が見えない奴だ。いいなぁ、あれ。マジックバッグ。見た目の割にたくさん入るし、冒険者なら、一つはほしいアイテムだけと……高いんだよなぁ。アルさん、なんで持ってるんだろう。
「ちなみにそれ自体は物理なので、落としたりスられたりすると、普通にロストします」
「ひでぇ!」
「ふふふ~、ちなみに私のバッグは、課金装備ですよ~。200キャパもあって、しかも可愛いんですよ~」
 と、エルさんが私にバッグを見せつけてくる。
「勇者ちゃんも、アルさんに買ってもらうと良いですよ~」
「いえいえいえ! 何言ってるんですか、マジックバッグとか、そんな高いアイテム──」
「え? 何こいつ。ストレージ、別扱いで、しかも、物理ストレージなの?」
「勇者ちゃんは、完全に自律ですからね。アイテム管理も完全に別です。しかも、なぜか勇者ちゃんの初期ストレージは、物理ストレージから変更されていません」
「ストレージ買ってあげるのは、基本ですよ~。マイページから買えますよ~、アルさん~」
「結構値段ははりますが……ないとストレージ圧迫して、キャンプも出来ませんしねぇ。私らは男同士でしたから、課金装備ではなく、ゲーム内で私がキャパの大きいバッグ買って、全部突っ込んでましたが……」
「異性勇者ちゃんは、お金がかかるんですよ~」
「面倒くせぇ!?」
「このゲームは、そういう面倒なところを、勇者ちゃんと楽しむものなんですよ~」
「一緒にしたら、嫌がるものなんです?」
「私の勇者ちゃんは、ちょっと嫌そうでしたが、それが可愛かったので、キャパ60の背負い袋が売ってるラーゼン王都まで、私の荷物と同じにしてました。フフフ……」
「邪悪な微笑みィ!?」
「ともあれ、だ」
 アルさんは、ふんっと鼻を鳴らして、私に向かって言った。
「俺は、事前情報全くなしなので、お前の実力がどんなもんなのか、全くわからない。ので、ちょっとあれ、殴ってこい」
 と、アルさんが指差す先には、カルボ。
「ええっ!?」
「レイさん、ちょっと盾やって?」
「バワーレベリングは、よくありませんよ。と言いつつ、タウントして集めてきますかね」
 腕まくりをして、レイさんは歩いていく。
「では、支援をかけておきましょうね~」
 軽く杖を振るい、エルさんは呪文を唱え始めた。聞いたことのない、長い長い詠唱を終え、私に杖を向けて、「ホーリー・ブレッシング~」と、ふわりと私の身体が軽くなり、力がみなぎって来るような気がした。
「なんか、すっげえステータス上がったぞ、こいつ」
「パーティ組んでしまうと、レベルシンクで低レベル魔法しか使えませんが、組んでないならパーティメンバー制限のない支援魔法を、私のレベルで使えますからね~。そりゃー、すごいことになりますよ~」
「俺にも俺にも!」
「えーと、私レベルの支援屋になると、一回200Kくらいですかね~」
「あるわけねーだろ!」
「痛い痛い痛い! カルボの攻撃がマジで痛い! 伝説の装備の装甲が、マジで紙!?」
 悲鳴にも似た声に振り向くと、レイさんが、わらわらわらとカルボを引き連れて戻って来ていた。なんか……十匹くらい居ないかな、アレ。なんか、ぷにょんぷにょんがくっつきそうになりながら跳ね回っていて、何匹いるのかわからない……
「エルさん、私にも支援をー」
「パワーレベリングは、ノーマナーですよ~」
「このゲーム、リソース奪い合うたちの物じゃないですし、しかも今どき、ノーマナーなんて古語を使う人、見ません」
「では、支援はしません!」
「さあ! 早く倒すのです! 私が死んでしまう前に!」
「割と、洒落になってない表情だな、レイさん」
「ええ、意外と痛いです」
 ど、どうしよう……と、私が躊躇していると、
「あ、レイさん、俺、ちょっとログアウトしてマイページ設定してくるから、こいつとソレ、倒しといて」
「え?」
「あ、フィールドログアウト、10秒なんだ。割と速いな」
「あ……いや、アルさん、それは──!! あ、ちょっと、それ、行く前に、せめてパーティを解散して──!」
「んじゃ、ヨロ」
「あー!!」
 え──?

 ……あれ?
「なんで?」
 なんか──どうしよう……とか思ってたら、いつの間にかレイさんが倒れていた。
 ぷにょんぷにょんと、レイさんが倒れた事によって怒りがおさまったらしいカルボたちが、呑気に辺りに散っていく。
 ──あれ?
 なんで? 何が起こったの?
「なんで死んでんの、レイシュ……」
「はいはい、りざれくしょ~ん」
「はっ!?」
 ばちっと目覚めたレイさんが、ばっと飛び起きて、
「ふう……死ぬかと思いました……」
「HP、0だったじゃねーか」
「ふふ……勇者と一緒じゃない時は、死んでもデスペナは無いので、死んだ内に入らないのがこの世界の常識です」
「嫌な常識だな」
「ええ。しかしそれはともかく、貴方がログアウトしたら勇者ちゃんもログアウトするんで、覚えておいてください。そういうパワーレベリングは、流石に出来ません」
「あ、そうなの?」
「辻褄が合わなくなっちゃうので、そういう仕様なんです~」
「ふう……しかし、慌ててパーティを解散しなかったせいで、レベルシンクされたまま、カルボごときに殺されるとは、私もまだまだですね」
「これはひどい」
「レベル99を目指しましょ~」
「もちべぇしょんがなー。まあ、久しぶりに私も、勇者と一緒に試練の塔の最上階を目指しますかねぇ……」
 さらりとレイシュさんが口にした、試練の塔という名のそれは、私の知る聖騎士物語に出てくるそれの事だろうか……物語の中の事だと思っていたのに、それは本当にあって、しかも、レイシュさんは登ったことがあるようで──
「まあ、ランダム生成なので、最上階は無いんですけどね」
 やはり、レイシュさんとエルさんは、歴戦の冒険者……
「なにやら、勇者ちゃんが、ブツブツ言ってます~」
「ところでレイさん。勇者がいなければデスペナないって事は、いたら、あんの?」
「はい。プレイヤーがいない内に勇者がストーリーを進めてしまったら、わけわかんなくなくなりますし、かと言って、勇者がプレイヤーを連れて、何時でも蘇生を行えるとも限りませんので、プレイヤーが勇者と居るときに死ぬと、潔く『勇者が最後に目覚めた瞬間』まで、ロールバックします。たとえ一日、二日、寝ていなかったとしても、問答無用に巻き戻ります」
「乱暴だな!?」
「パーティの誰かが生きていれば平気ですけどね~。でも、そのシステムの隙をついて、決戦前に魔法で眠らせ、強制セーブとか、戦闘中に昏倒させて、時の砂セーブとか、そういう技もありますよ~」
「試練の塔に挑むときは、鈍器を持参するゲームですよ?」
「乱暴スギィ!?」
「ちなみに今アルさんが死ぬと、最初からやり直しですね。勇者ちゃん、寝てませんから」
「よーし! ちょっと死んでくる!」
「えー、そしたら、その革のランドセル、アルさんが使うんですか~? 似合いませんよ~」
「くっ……適当に選んだ奴とはいえ、早まったか!?」
「適当と言う割には、キャパ100以上ある奴ですよね、それ」
「ポーチも買ったぜ! あと、俺用の背負い袋!」
「良かったですね~、勇者ちゃん」
「はい?」
「ほれ」
 と、アルさんは私に向かって、革の両肩がけのバッグと、ベルトポーチを投げ渡した。
「わ!」
 と、受け取る。こ、これはもしやー!?
「レイさん、じゃー、サクサクレベル上げしよーぜ? アイテムのキャパオーバーも、これでしねーだろ」
 こ、これは、マジックバッグー!? アルさん、いつの間にー!?
「こ、こんな高いもの、も、貰えませんよ!?」
「あげないよ」
 え──? あ、なんだ。そうなんだ。いや、話の流れ的に、期待しちゃったよ……
「レンタル」
「天の邪鬼ですね~」
「はいはい、カルボナーラ、大盛り二人前ですよー。サクサク平らげてくださいー」
「ほれ、たたけたたけ!」
「え? あ、はい」
 と、私は取り敢えずバッグを背負い、ショートソードを引き抜き抜いて構え、ええっと……と、ぷよんぷよんと跳ね回って、レイさんに体当たりを続けているカルボの一体に、狙いをつける。
 よ、よし……私だって──!
「見つけたぜぇ!! クソ野郎どもォー!!」
 突然、背後から大きな声が聞こえて、私はたたらを踏んだ。な、なにごと?
「うーわ、メンドクセエ……」
 アルさんのつぶやき。皆が、一斉に声の方を振り向く。
 そこには、アルさんと同じノービスの男性がいた。そしてその人は、ずんずんと言う感じの効果音を出しながら、こちらに向かって早足で近づいて来ていた。
「おうおう! ちょっとぐらい、待っててくれてもいいだろうが! せっかく、オレ様も一緒に冒険してやろうって、メッセしたのに!」
「あれ~、ご無沙汰ですね~。ダガーさん」
「ノービスじゃないですか」
「今作ったからな! って言うか、このゲームの情報、全く仕入れてないんだけどな!」
「カエレ」
「ふごー!」
 と、短剣を引き抜いて、アルさんに襲いかかる、エルさん曰く、ダガーさん。アルさんはアルさんで、それを短剣で受けて立つ。
 目にも留まらぬ速さの剣戟に、きんきんきんと、金属同士が弾ける音が響く。
「レイさん、これ、PvPルールは?」
「さあ? やった事ないんで」
「死ねェ! アルベルトー!!」
 ダガーさんが、腰だめに短剣を引く。と、その短剣が、わずかに光を放った。ダガーさんも、見た目とは裏腹に、かなりの手練のよう──
「ふん!」
 だったが──飛びかかる直前の顔面を、アルさんの前蹴りがクリーンヒットした。勢い、もの凄い音をたてて、ダガーさんの身体がくの字に折れ曲がる
「ぐふぇ……」
「死ね。そして、人生をやり直せ」
「おー、完全に、オープニングへロールバックな感じですね」
「りざれくしょ~ん」
「グッフォー……」
 不思議な呼吸音を発しながら、ダガーさんはもそりと起き上がった。
「久々すぎて、体がなまってんぜー」
「そうか? いつものショボさだったが?」
 腕組みをして言うアルさんを無視し、ダガーさんは、
「で、まずはなんだ? 取り敢えず進めよーぜ? アルエル、レイシュ。で──こいつは誰だ?」
 私を指さしつつ、言う。
「はじめましてか?」
「はじめましてでは、あるな」
「あ、はじめまして。あの、私はですね──」
「ダガーさん、オープニングムービー、見てませんね~?」
「見てない。後で見られるだろ? 飛ばした」
「ダメなヤツだ!?」
「あなたもでしょうが」
「ダガーさん、この世界で、私たちが冒険する理由、わかってますか~?」
「それは分かっている」
「ほう……聞いてやろう。なんだ?」
 アルさんが言う。
「それは──」
 ダガーさんが返す。
「ここに、冒険すべき世界が、あるからだ!」
「はーい、ダガーさん。これは、カルボと言って、この世界のキングオブザコですが、まあ、これだけの量がいれば、結構、痛いですよー」
「痛い痛い! やめてやめて! ぷよんぷよんのくせに、地味に痛い!?」
「死んで、ロールバックして、オープニングから出直してこい」
「やめ……やめ……おま……マジでヤメロぉ!? ブチ転がすぞ!?」
「キングオブザコ対キングオブショボ」
「轢かれろ、アルベルトー!」
「やめろ! こっちくんな! トレインはノーマナー!」
「お、敵視が外れました。頑張ってください」
「いてぇ! 死ねくそ! ダガー!」
「道連れじゃー!」
 アルさん、ダガーさん、そしてカルボが、なんだかよくわからない乱戦になっている。ぷにょんぷにょんがくっついて、巨大な水滴のようになって、その中で……なんだその……二人、溺れているようにすら見える。というか、溺れさせあっているような感じで……仲むつまじい……のか?
「ま~、実際、私たちがこの世界で冒険する理由なんか、特に無いんですけどね~」
 エルさんがそれを見ながら、ほわんほわんと笑うように言っていた。もちろん、二人と、それをはやし立てている計三名は、聞いていない。
「勇者ちゃんは、賢者の石を探して旅立ったまま、消息の知れないお父さんを探すと言う目的がありますけれど~」
 え──? と、私は目を丸くした。
「エ、エルさん、どうしてそれを!?」
「私は、なんでも知ってますよ~」
 ほわんほわんと言うけれど、エルさんはやっぱり歴戦の冒険者なのか、なんでもお見通しなのだろうか。パーティを組んで、一緒に旅をしてほしいと頼んだ酒場で、何も聞かずに「いいですよ~」と返したのは、何もかも知っているからなのだろうか。
 困惑する私に、エルさんは相変わらずほわんほわんとしたまま、続けていた。
「まあ、正直、みんな、そんなことはどうでもいいんですよ~。みんな、根っからの冒険者ですからね~。冒険すべき世界があれば、冒険者は、冒険するのです」
 そして、笑った。
「そしてついでに、勇者ちゃんと一緒に、世界を救うのです」

 西の塔。
 この大地が生まれる、はるか前からそこに立っていたという太古の塔の最上階、導く者の間には、王家の道の封印を解く、『鍵石』の精製法が記されているという。
 私達は、父が進んだという王家の道を辿るべく、その『鍵石』の生成法を求め、太古の塔の最上階へと訪れていた。
「はい。質問」
 最上階の扉の前、アルさんが言った。
「未クリア勢のひと」
「いません」
 レイさんこと、レイシュさんが返す。
「ボス戦は、勇者ちゃんなしでは、未クリア勢はパーティ参加出来ませんので、物語性のためだけに、みんな、クリア済みです」
「物語的に、実はみんな初見じゃないと言うのもどうかと思いますが、まあ、初のフルパーティ、みんなでがんばりましょ~」
 と、続いたエルさんに、ダガーさんも頷く。
「まあ、俺らが頑張ったところで、初見一発で、へっぽこのアルがクリアできんのかって話だけどな」
 フフンと嗤うダガーさんに、
「とか言ってるダガーがクリアしたのも、一昨日で、三トライ目でしたがね」
 にやりと笑って言ったのは、大きな三角帽子を頭に載せた、いかにも『魔道士です!』と言う出で立ちの魔道士、ネリさんこと、ネリからしさんだ。ネリがファーストネームで、からしがファミリーネームなんだと、本人談。
「ニケも! ニケもクリアしたの、先週!」
 続いたのは、右手をぴっと挙げた、弓を手にした軽装の女の子。子と言っても、歳は私とそう変わらないらしい。小柄な、背丈が私の半分くらいしかない人族、レイさん曰く、「名前を呼んではいけないあの種族」のアーチャー、ニケちゃん。なんで名前を呼んではいけない種族なのかは、ちょっとよくわからない。ネリさんを「お兄ちゃん」と呼んでいるのに、ネリさんと種族が違うのもちょびっと謎だし、ネリさんがお兄さんなら、フルネームは、ニケ・からしになるはずだけど、本人曰く違うという話で、アルさん曰く、「そういうもん」らしい。
「私も、フルパーティと言うのは、初めてなんだが……」
 眉を寄せて唸るように言ったのは、白い鎧に身を包んだ、長髪の女性騎士、チロルさんだ。ハルバードにラージシールドという、まさに騎士っぽい出で立ちだけれど、正確には、聖騎士なんだそうだ。
「大丈夫ですよ、チロルさん! 私達が死ななければ、他のみんなはどうでもいいのです!」
 言い切ったレイさん、多分本気。
「互い、タンク、がんばりましょう!」
「あ、ああ……よろしく頼む」
「りらっくす~ですよ~、チロルさん」
 エルさんが続く。
「アルさん筆頭に、みんなはほっといてもいいんですよ~、死んだら、自己責任です~」
 割と、本気だと思う。
「みんな! ポーションの準備はいいか!」
「もちろんだとも!」
 アルさん、ダガーさんが力強い。が、心強くはない。
「ま、まあ、これもなにかの縁だ。頑張るよ」
 苦笑するようにして笑うチロルさんに、レイさん、エルさんが激励を送っていた。「パラディンは、自己回復型タンクですから、暗黒騎士の私とは、正反対の戦い方になります。初めは私が突っ込みますので、サポートをお願いします」「ここで連携の練習して、フルパーティのラスボス戦に挑めるよう、がんばりましょう~」
 その隣では、ニケちゃんがネリさんに「お兄ちゃん、ボス戦って、パーティの人数増えると、難易度あがるって本当?」と、「本当だぞ? なんだ、ニケはフルパーティじゃなかったのか?」「ニケは、勇者とペアでやった」「それとフルパーティでは、難易度違いすぎるなあ」と、和気あいあいと話している。
「さて、各々、準備はいいか?」
 腕組みをしたアルさんが、皆を見回す。
「棺桶の準備は万端だ」
 腕まくりで、ダガーさんが返す。
「んじゃま──いくか!」
 最上階、導く者の間への扉を開け、私達は進む。

 導く者の間には、天井がなかった。
 巨大な円形のその場所は、塔の屋上と呼んでも差し支えないような場所で、外周には欄干すら無く、ただ、無数のオベリスクが、整然と立ち並んでいるだけの場所であった。
 硬質な輝きを薄く放つ、鉱物のようなそれの高さは、大きいもので、二階建ての建物くらいはあるだろうか。表面には、太古の昔に栄えたという魔法帝国時代の文字、古代魔法語が、びっしりと刻み込まれている。
「これは……」
 辺りを見回し、アルさんが呟く。
「明らかに、吹き飛ばし系の転落死があるな……」
「いやなゲーマー脳ですよ~」
 誰かが、ちっと舌を打つ。具体的には、レイさんとダガーさんとネリさん。その舌打ちはなんだ?
「ここに巨鳥が住み着いてるから、注意しろって話だったな」
 最奥に見える、ひときわ大きなオベリスクに向かって歩き出しながら、アルさん。
「らしいですね」
 その後ろに続く私。なぜか、他のみんなは動かずに、「どーぞどーぞ」とジェスチャーをしている。こういう時は大抵、なんかあるんだ。私、これまでみんなと冒険してきて、学んだんだ。なお、アルさんは学ばないらしい。
 最奥のオベリスクを隠すようにして立っていた、少し小さな三本のオベリスクを迂回し、アルさんと私は、祭壇の手前に歩み出た。
 そして──息を飲んだ。
 最も大きなオベリスクの下、碑文が書き込まれた祭壇がある。そしてその上に、おびただしい量の血を流して崩れ落ちている、巨大な鳥の姿があった。
「なん……」
 変な声が漏れた。隣、アルさんが、しゃらんと、細く長い剣を抜いていた。
「もしもーし」
 と、その祭壇の前にいた、背の低い、ずんぐりとした人のようなものに向かって言う。
「ちょっと多分、その碑石に用があるんだけど、なんか、大変なことになってねーか?」
 声に、それがゆっくりと振り向く。
 青黒い、彫りの深い顔。やけに大きく、焦点が合っていないようにせわしなく動くまあるい目。口を大きなマスクで塞いでいるせいもあって、ひどくそれは不格好に、不気味に見えた。
 口を覆うマスクの両脇、頬のあたりには、コブのような袋がぶら下がっていて、その中に何かが入っているのか、ぐらぐらと、男の動きに合わせて不規則に揺れている。
 男──だと思う──は、私達を見て、
「フローラの子どもらか」
 言った。
「残念な事に、ここに書かれているのは、ポータルストーンの精製方法のようだ。しかも、大した精度でもない、クズ石しか作れんような」
「ポータルストーン?」
 眉を寄せ、アルさんが呟く。
「何言ってんの、こいつ?」
 投げかけられた質問に、みんなが両手を前に突き出して、「聞かないで」と言う顔をする。ので、アルさんは男に向き直って、続けた。
「なんの話だか知らないが、俺らはココにある、鍵石の精製方法を調べに来たんだ」
「ああ……」
 男はぐるりと目を回し、返した。
「それならば、まあ、これはそれに相当するだろう。まあ、この程度の石でも、フローラの子らには、過ぎた代物ではあるやもしれん」
「なんだよ、フローラの子って」
 アルさんの問いには答えず、男は私達を見回し、その目を笑うように細くしていた。
「これは……申し訳ない事をした。君らは、エクスプローラーではなかったか。うん、少々、君らには難しすぎる話だったな」
「エクスプローラー?」
 次から次へと、私には聞いたこともない単語が出てくる。ポータルストーン? フローラの子? エクスプローラー?
「なんの探索者だよ」
 アルさんは返す。なんとなく、アルさんには言葉の意味が解っているようだ。
「ふむ……」
 男は返した。
「エクスプローラーを名乗るフローラの子は、我らと敵対するもの。君らがそうでないなら、君らは、我らとは敵対しないもの。正確に言えば、私たちにとって、興味の無いもの。些末なもの」
 男が、私達と対峙する。
 その手に、無数の鉱石を手にして。
「エクスプローラーは、フィロソフィーズストーンを求める者」
 言葉に、アルさんが少しだけ身動ぎした。そしてそれを、私にわかる言葉で、口にした。
「賢者の石、だって?」
 賢者の石。
 それは、私の父が求めて旅立ったもの。私が、父を追う手がかり。そしてそれは──私が探すべきもの。
 にたり。私を見て、男は笑った。
「若きフローラのエクスプローラー。残念だが、石は渡せぬ。お前たちはここで、怪鳥の贄となれ。石は、我らが取り戻す。石は、我らにこそ! 相応しい!」
 叫び、男は手にしていた鉱石を地面に向けて叩きつけた。ばちんと光がはじけ飛び、思わず私は目を伏せた。
「待て!」
「!?」
 ひるむことなく響いたアルさんの声に、思わず伏せた目を私が開けた時、そこには、すでに男の姿はなかった。
 ただ、そこには──
「……なんだかね」
 呟き、アルさんはひゅっと剣を振るう。その脇に、レイさんとエルさんが、すっと歩み出てくる。
「ふっふっふ……謎だらけですね」
「まあ、でも、ストーリーのたて糸が提示されましたよ~」
「おい、なんか、賢者の石を追うの、すげーめんどくせーみてーだぞ?」
 私の旅の目的を知るアルさんは、そう言って私に向かって、口許を歪ませ──笑った。
 最奥のオベリスクの前。
 祭壇の上。
 男が姿を消したその先に、おびただしい量の血を流して倒れていたはずの巨鳥が、光のない目をそのままに、鎌首をもたげていた。
「デッド・ロックと言ったところですかね」
 杖を手に、ネリさん。
「止まるのか」
 ダガーさんも構える。
「死んだロック鳥でしょ? 馬鹿なの?」
「おい、ネリ。お前の妹は馬鹿だぞ?」
「すみません、馬鹿で」
「なんなのー!?」
「ワイワイ楽しそうだが……くるぞ……」
 三人の前に、盾を構えたチロルさんが立つ。デッド・ロックとネリさんに呼ばれたその怪鳥は、もたげた頭を左右にグラグラと揺らして──そして、私達に向かって巨大な翼を羽ばたかせながら、爆風を伴う声で鳴いた。
 烈風が舞う。
 何本かのオベリスクが、その風に折れ、砂塵を巻き上がらせる。
 烈風の中、皆が巨鳥の咆哮に耐える中、私の隣、アルさんは──私に向かって、ニヤリと笑って見せた。
「さあて……」
 そして、剣を下段に構え、
「行こうか! 勇者ちゃん!!」
 風を切り裂き、走った。
「はいっ!」
 私は続く。
 勇者じゃ、ないけど。

 あれは、16歳の誕生日。
 私は──勇者の子は──旅立った。

「冒険をする理由?」
 夜の森。
 焚き火を挟んだ向こう、アルさんは私の問いに、気の抜けた声で返した。
「俺はお前、別になにか、大層な理由なんかねぇよ。俺は別に、父親を探すってわけでもないし、賢者の石を手に入れたいってわけでもない」
 心の底からそう思っているのだろう。アルさんの、焚き火に照らしだされたその顔は、とても楽しそうに、笑っていた。
「ただ、冒険したいから、冒険してんだよ」

 甲冑を着込んだ二人の騎士が、渾身の力でロングソードを振り下ろす。しかしそれを、暗黒騎士の巨大な両手剣が、火花をちらして受け止めた。
「アルさん!」
 暗黒騎士、レイシュさんの声に、
「おうよ!」
 応えたアルさんが、そこに飛び込み、騎士の鎧の隙間に剣をねじ込んで弾き飛ばした。
 どうと吹き飛んだ騎士に、
「おっとー! おもわず、やっちまったー!」
「やっちまいましたね!」
 構え直す二人は、国家騎士団に反逆しているというのに、とてもとても生き生きとして見える。いや、見えるというか、してる。
「エリシア!」
 青年は立ち上がり、叫び、走った。
 向かう先は、上質な鎧に身を包んだ騎士が、鞍上から剣の切っ先を向けていた先、彼女の元──人と、妖精族の間に生まれた、少女の元。
「行け!」
 叫ぶアルさんに、私達も走った。
 動き出す騎士団。私達の行く手を遮るように動く。が、レイさんの巨大な両手剣がそれを薙ぎ払い、生まれた隙間を、アルさんがこじ開けた。
「行け行け! ゴー!!」
 私は、その隙間を駆け抜ける。
「冒険活劇の主人公は、こうでなければなりませんね!」
 剣を振るうレイさん。
「だな!」
 応えるアルさん。
 走る、彼女の想い人。この国の未来を変えうる力を持つ、彼の行く手を遮る者を、私たちは斬り払う。
 物語の主人公は、私じゃない。けれど、
「やってやれ!」
 アルさんの声が、私の背中を押す。
「勇者ちゃん!」
 私の信じた剣が、陽光に煌めく。

 吹く風に髪が揺れる。
 眼下には、広がる樹海。
 傾きを始めた陽光に輝く、深い深い緑の森には、いくつもの塔の遺跡が呑み込まれていた。
 忘れられた錬金術師の塔。その内の一つ。
 その塔を登る外壁の螺旋階段で、
「石は、この世界において、とても重要な意味を持つんですよ~」
 アルさんを挟んで私の逆隣にやってきたエルさんが、同じようにその手元をのぞき込みながら、言っていた。
「錬金術師達は、石の錬成を通して、世界の公理、時空の定義、究極の疑問の答えを、探していたのかもしれませんね~」
「公理? ってか、なんで公理? それ、エルの台詞じゃねーな? 誰の台詞だ?」
「さぁ~? どうでしょう~? それは勇者ちゃんと一緒に、探求してください~」
「なんだそれは」
 ふふふと笑うエルさんに、アルさんはふんすと鼻を鳴らし──塔の外壁をそって上へと続く、螺旋階段の向こうに目をやった。
「どうしました?」
 アルさんの手元の書類に書かれていた、不思議な卵形の石の絵から顔を上げ、私は聞く。なにやらアルさんは顔をしかめ、目を細めている。
「あら~」
 エルさんも振り向き、気の抜けた声を上げていた。
 塔の上方から、何やら声が聞こえてくる。先行して探索に行っていた、ダガーさん、ネリさん、そしてニケちゃんの声のようだが……はて──と、うろんげ。
「バカー! お兄ちゃんの、バカー!!」
 アルさん、書類をしまう。
「いやいやいやいやいや! ダガー!」
 エルさん、「えぇ~」と目を細めている。
 なんだろ、と私。見ると、ニケちゃんが背後に向かって叫びながら、階段を駆け下りてきていた。「バカー! お兄ちゃんのバカー!」その後ろには、ネリさんがいて、「いやいや! 私ではない!」更にその後ろにはダガーさんもいて──なにやら、地響きみたいな音がする……
 必死の形相のダガーさんが、走りながら叫んでいた。
「逃げろ逃げろ! 逃げろー!!」
 後ろから、大岩が、転がって、追いかけて──
 くるり。
 アルさん、エルさん、私。
 走った!
「ばっかやろおぉ!」
「なんで、大岩が、転がってきてるんですかー!!」
「このトラップ、掛かった人、初めて見ましたよ~」
「いや、しらねーよ! ネリがさー!」
「私ではない!」
「お兄ちゃんの、バカー!!」

 暗い暗い、遺構の最奥。
 腰ほどの高さの、燭台のような金属器の上にその石は浮いていて、弱く赤く、光を放っていた。
「……これが?」
 私はつぶやく。
「賢者の、石……?」
 私はそれに、手を伸ばす。

「ストーンは、君ら、フローラの子には手に余る」
 もごもごと、アーオイルの男は私達を指差し、言った。
「さあ、そのストーンを渡せ」
「そうはいうがね……」
 剣を構え直し、アルさんはいつもとは違う感じに笑って、いつもとは違った調子で、言った。
「これが賢者の石であろうがなかろうが、はいわかりましたと、ほいほいお前に渡すほど、俺たちは適当に生きてねぇよ」
 だから私も、強気に笑って、言ってやった。
「ほんとかよ」
 私の手の中には、赤く輝く石。これが賢者の石であろうとなかろうと──この石は渡さない。
 ぎゅっと石を握りしめ、私は続けた。
「この石は、渡さない」
 男は返す。笑うように。
「その石がフィロソフィーズ・ストーンであったとして、お前たちが手にして、何の意味がある? 所詮、フローラの子にはそれは扱いきれない。それは、我ら、アーオイルにこそふさわしい」
「これが、賢者の石であろうがなかろうが──」
 言って、アルさんも笑った。
「俺はお前が気に入らない。だから、渡さない」
「本気だね、それ」
「俺はいつでも本気だぞ?」
「フローラの子が、我らアーオイルに向かって、出過ぎた口を」
 アーオイルの男は、嘲笑っていた。
「愚者にも劣る貴様等に、賢者の石など過ぎたるもの!」
 そして男は、右手を、私達へと突きつけた。
「消えろ! 愚かなるフローラのエクスプローラーども!」
 その手に握られていた石から、雷光が迸る。
 この石は渡さない。この石は、あの子を苦しめている。けれど、この石を渡しては、あの子は救えない。
 あの子が大切に思う全て。
 私を、勇者と信じている彼女のために──私はそれを、ぎゅっと強く握りしめた。
 雷光と私の間に、アルさんが割って入る。そしてその手にした剣で、雷光を受け、弾く。
 あたりに、閃光が散った。

 ばりーん! と、けたたましい音とともに、ホールのガラス窓がはじけ飛んだ。
 私は知っている。
 私、エルさん、チロルさん、そしてニケちゃんに、あーだこーだと理由をつけて、イブニングドレスを着させて、この舞踏会に参加するんだと言った時から、付き合い長いから、なんとなくこうなるんだろうなーとは、頭の隅で思ってはいた。ので──
 投げ渡された私の愛剣を、私はしっかりと片手でうけとめた。
 ホールに、四人の男たちが窓ガラスを蹴り割って、踊り込んでくる。
「待たせたな!」
 アルさん。まあ、今となってはアレだが、待ってはいなかったよ? 出来ればこの展開は、やりたくはなかったんだよ?
「っしゃー! ネリ!」
 着地と同時に回転し、両手の短剣を構えたダガーさん。
「がってん!」
 その後ろ、ネリさんが、古びた鏡を高々と掲げていた。
 鏡は月光を反射して──その光が、女王を射抜く。
「さあ! 化けの皮を剥いでやりますよ!」
 左手に両手剣、右手にハルバードのレイさんが、矛先を女王に突きつける。
 月光に照らされた女王は、悲鳴のような声を上げ、その顔を両手で覆っていた。
「さあ! 正体をあらわせ! 偽りの女王!」
 構える男四人。
 ちなみに皆、武器を手にしてはいるものの、律儀にちゃんと、燕尾服のままだ。
「いや、まさかなぁとは思っていたけど、本気か? 私、鎧を着てないんだが……」
 レイさんに投げ渡されたハルバードを受け取り、チロルさんがつぶやく。
「イブニングドレスに長槍って、カッコいいじゃないですか~?」
 いつもの調子のエルさんは、特に武器がなくても困らないので……ニケちゃんを見ると──彼女はイブニングドレスのスカートをびりっと割いて、内腿から短剣を引き抜いていた。
 見ていた私に、
「備えあれば」
 ニケちゃんを憂う……
 女王の悲鳴は、今や、怨嗟の唸りに変わっていた。
「おのれ……! フローラの子どもが……!!」
 私は剣を引き抜き、その鞘を投げ捨てた。
 切っ先を女王──今は、真実の姿を映す鏡の力に、その姿を暴かれた鉱石魔人に──偽りの言葉を紡ぐ、悪しき女王に──向け、言った。
「アーオイルの造りし、フローラの民を惑わす者よ! お前の石は、私たちが砕く!」
「貴様ら……! あの、『勇者』どもか!」

「うっはー!」
 えええ!? なに!?
 城下町の商店街を一人歩いていた私に駆け寄ってきたその女性は、たじろぐ私の手をとって、
「あなたがあの、『アルさん』の勇者ちゃんスか? マジ? うっわー! 超嬉しいっス! 毎回配信、見てるっスよー!」
 えええー? なになになに?
「アルさんは? うわー! 会ってみたいっス! 配信、乗るっスかねー!?」

「第六世代のAIって、そんなにレアなの?」
「どうでしょうねえ? まあ、第六世代はアルさんが始める直前くらいに導入されましたし、なかなかレアなんじゃないですかね?」
 乾いた砂漠の町。そこに住む赤の民にのみに伝わるという、少し濁った黒いお酒を嗜みながらレイさんは言う。その隣、エルさんはあまりお酒がお気に召さなかったのか、渋い顔で呟いていた。
「あー、こう……なんでしょう……いや、ちょっと私の口には……」
 もごもごするエルさん。
 レイさんはお酒を舐めつつ返す。
「で、勇者ちゃんの話ですが」
 話を戻しつつ、つまみの、何の肉だかよく解らないものを薄いパンに包んで揚げたものに手を伸ばしながら、レイさんは続けていた。「勇者ちゃんは──」
「第六世代だからなのかは解りませんが、正直、大分私たちの知っている勇者たちとは違う行動をしますし、ぶっちゃけあなたの影響なのか、私達のやったシナリオとも違う、シナリオクラッシャーな行動も平気でしていますね」
「配信の視聴数が多いのも、みなさん、自分のやったのと違う展開で、楽しみらしいですよ~」
 なんだかよくわからない話をしているので、「エルさん、私、別の買ってきますけど、エルさんも何か別のにします?」「ワインがあれば、それを水割りで~」「ファラオの飲み物ですね」
「ってか、そんなん、やりたきゃ新規で作り直せばよくね?」
 と、エールを口に運びつつ、アルさんは言った。「いやぁ……」と、レイさんは苦笑気味に笑って返していた。
「そうは言っても、MMOにおいて時間はキャラクターレベルや財産以上の価値じゃないですか。この世界は終わる世界であるが故、今更ですよ」
 そしてお酒をぐいっと呷り、
「勇者ちゃんのレアリティもそうですが……解ってますよ。私だって長いですからね。こうしてたくさんの皆さんと遊べるのは楽しい限りですが、こう、ちょっと有名になってくると──まぁ、そろそろそういう輩も出てくるでしょうね、と」
 「あ、勇者ちゃん、私は同じのをおかわりで」と、レイさんは立ち上がった私に向かって陶器のカップをひっくり返していた。
「はいはい」
 と、カップを受け取り、私は行く。
「まぁ……」
 エールに口をつけつつ、屋台で盛り上がっている皆を見ていたアルさんをちらり、横目に捉えて。
「俺は気にしないがね」
 言って、軽く口許を曲げるその横顔は、楽しそうでもあって、でも何か、ちょっと思うところがあるようで──私にはその理由はわからなかった。
「ま、いろいろな感情があるでしょうよ。それがMMOですから」

 豪奢な片手半直剣を下げた男二人に道を塞がれ、私とニケちゃんは足を止めて顔をしかめた。
「お前があの、『アルベルトの勇者ちゃん』か?」
 その呼ばれ方をするのは何度目か。ここの所、ひどく多い。まあ、確かに私たちは数々の国で様々な出来事に関わってきているので、それなりに顔が知れ渡ってはいるのかも知れないが……その呼ばれ方は、なんかあんまり好きな感じの呼ばれ方ではなかった。
「いこ、勇者ちゃん」
 無視して、ニケちゃんはすり抜けて行こうとする。
「なんだよ」
 通り抜けようとした私達を呼び止め、
「ちょっとくらい第六世代と話をさせてくれよ。ニケちゃんだっけ?」
 ヘラヘラと笑うその顔は、ひどく不快だ。
 私たちに声をかけてくるエクスプローラーには、端的に言って二種類のタイプがいた。ひとつは好意的な、私たちと冒険を共にしたいと思ってくれているようなタイプの人たちと、そしてもうひとつは、人を小馬鹿にしたような、斜に構え、嘲笑のようなものを滲ませながら声をかけてくるタイプの人たちだった。そして今回は、まさに後者のそれで、戸惑い、ええっと……となっていると──隣のニケちゃんはあからさまな不快に顔を歪ませて、苦々しく返していた。
「分かってるなら話早いですけど、私、中身いますから、あんまり変なコトいうと、ハラスメントで通報しますよ?」
「こえ! いや、分かったよ」
 男はひらひらと手を振って、
「でもあんまり第六世代だからって、古参の反感買うような事はやめたほうがいいんじゃねーの? あんたらのアンチスレとか、ひでーもんだぜ? アンタらのこと、目の敵にしてる奴らもいるみてーだしさ」
「いこ!」
 と、ニケちゃんは私の手を取り、小走りにその場所を離れた。
 ちっと、小さな舌打ちが、聞こえたような気がした。

「あえて一言、言わせていただきますが……」
 空飛ぶくじらの上から、夜の闇を裂いて燃える大火を見下ろし、レイさんは呟くようにして言っていた。
「この結末は、おそらく不可避の、シナリオなんです。これはゲームですから、そういうこともあります」
 大穴に流れ込む瀑布の轟音が轟く中、眼下には燃え盛る島々。
 アルさんは、それを見下ろしたまま、一言も発しない。
 夜の闇の中、強く風が吹いている。じっとそれを見つめるアルさんの前髪が、揺れている。
 私たちは──何も出来なかった。
 結局、これは私たちが招いた結末だ。全知全能を手に入れようとか、不老不死がどうとか、世界を救おうとか、そんなたいそうな事を考えていた訳じゃない。けれど──眼下に広がる景色は、まぎれもなく私たちが関わったからこそ、訪れた結末に他ならない。
 彼らは言っていた。
 賢者の石を手にする資格を有するフローラの子ども達を導く為に、我々はいるのだと。
 その為ならばと──
 その為に──彼らの聖地は消え、島は──燃えている。
 私たちの元へと歩み寄ってきたエルさんも、何も言わない。くじらの脇に併走するように飛んでいる飛竜に乗ったチロルさんも、目を伏せて細く息をついている。
 ネリさんがゆらゆらと近づいてきて、視界の端に背中を見せた。前に出たニケちゃんが、のぞき込むように眼下を見下ろしていて、後ろへ歩み寄ってきたダガーさんが、ちっと舌を打ってぽつりと呟いていた。
「コイツなら、違う展開もあるかと、期待してたんだけどな……」
「ありませんでしたね」
 レイさんが息をつく。
「しょうがない。そういうシナリオです」
「……胸くそわりい。まぁ、しかたねぇな」
 眼下の大火を、私たちはただ、無言で見つめていた。
「……しょうがない?」
 ぽつりとアルさんが呟いた言葉は、たぶん、隣にいた私にしか、届かなかったと思う。
「そんなの、勇者が言っていい台詞じゃねぇだろ……」

 ざあざあと、雨の降る夜だった。
 酒場を出た私とアルさんの前に、チロルさんが立っていた。
 高貴な、私達をいつも守ってくれる白い鎧が、ざあざあと降りしきる雨の中、ひどく濁って見えた。
 言葉はなく──チロルさんは俯いて、唇を噛んでいて──雨の中を、レイさんとエルさんが駆け寄ってきて──エルさんはすぐさまチロルさんの肩を抱き、「とりあえず、中へ」と、彼女を酒場の中へと連れて行った。
 レイさんが、アルさんに聞く。
「……どこまで、知っていますか?」
「あまり……」
「先に言っておきます」
 レイさんは言った。
「これは、ルールのある、ゲームです。今回のPCの行動は、明らかにバグを利用した不正行為です。運営に報告すれば相手はバンされますし、彼女の勇者も、元に戻ります」
「わかってる」
「チロルさんの勇者って……むぎちゃんに何か!?」
 私はレイさんに詰め寄った。あんなチロルさんは見たことがない。何か、大変なことが──
「落ち着いてください」
 レイさんは言った。
「あなたにわかるように言うなら、そうですね──私達と同じエクスプローラーが、何処かで手に入れた眠りの石を使って、チロルさんの勇者を襲いました」
「!?」
「彼女の勇者は、今、覚めない眠りの中にいます」

「わかっているよ、これは、私のわがままだ」
 アルさんの隣、チロルさんが悔しそうにつぶやく。
「簡単なことだよ、これは明らかに不正行為なんだから、運営も対応してくれる。ただ──彼女は、最後に目覚めた瞬間からの記憶を失うだろう。私はそれを、覚えていても。忘れられなくても──彼女は何も──」
 私のいる場所には、声しか届いてこない。
 チロルさんの言葉が途切れた理由は、私にはわからない。
「すまない、くだらない事を言っている。気にしないでくれ。これはゲームなんだ。君たちの冒険譚に、水をさしてしまったな」
 アルさんは何も、応えなかった。

「アルさん……」
 誰もいない、夜の草原。
 月下の丘を吹き抜ける風の中。
 私は、言った。
「みんなが選択しようとしていることを、みんな、誰一人、納得していない事は、よくわかってる。でも、どうにもならない事だから、その選択をしようとしている事も、わかってる」
 私は、愛剣の柄を握りしめた。
 私は、言わなければならない。
「難しい事は、私にはわからない。けれど、あなたが聞いてくれるのなら、私は、何度だってあなたに、答える事ができる」
 ゆっくりと、アルさんが振り向いた。
 そして、息をついて、諦めたように──
「しょうがない。これは──」
「貴方の勇者は、そんな事を言わない」

「覚悟はよいか! 各々方!」
 いつもの台詞をレイさんが発すると、「いやいやまて!」と、アルさんがそれを止めた。
「ここはチロルさんの見せ場だろう!」
「それもそうですね!」
「チロルさん! 号令をー!」
 振り向き、声をかけた先には、白く輝く鎧に身を包み、その手に戦旗槍を手にした金髪の聖騎士、チロルさんの姿があった。
 チロルさんはそこに堂々と立ち、そして雄々しく、
「遠からんものは音に聞け! 近くば寄って目にも見よ!」
 戦旗槍を掲げ、声を上げた。「我は聖騎士、チロル!」
「故あって私はこの戦いには参加できないが、このインスタンスの最後の一人になっても、皆を信じ、ここに立ち続ける!」
 槍が輝く。
 生まれた光が戦場を駆け抜け、私たちの胸を内の何かを、強く鼓舞する。
 心臓の音が、高なる。
 見据える先、終末の巨人が、私たちに向かって真っ直ぐに立っていた。
「いくぞ!」
「おう!!」
 応えた五十を超える冒険者達のかけ声が空気を振るわせ、一斉に駆け出した足音が、強く大地を震わせた。
「乙女なら、やってやれですよー!」
 稜線から、開戦を告げるべく放たれたのは、ニケちゃんが撃ち放った巨大な光芒の矢。
 閃光は空を裂いて、巨人の頭を捉えた。
 そしてその光の矢を受け、巨大なゴーレムは──大きくのけぞっていた。
「通る!?」
 走りながらレイさんが叫ぶ。
「イモータルが解除されてる!? マジか!」
「まあ、勇者の意志に基づいて、クエストという形でAIがこのシナリオを認めていますから、そうなるだろうと予測はしていましたが……」
 頭の帽子を片手で押さえながら駆けるネリさん。ぽつりと、
「いやしかし……マジか……」
「マジこれ倒したら、賢者の石を手に入れられるんだろうな!」
 ダガーさんがネリさんの隣に並んで聞いた。
「不老不死、全知全能って、ゲームバランスが崩壊しそうな感じだが、ここまで来てやっぱナシでしたは勘弁だぜ!?」
「私に聞かれましても……」
「アルさん~、見る暇もないでしょうが、視聴数、うなぎのぼりですよ~。伝説級ですよ~。これは負けられませんよ~」
「おうよ!」
 強く、皆の先頭を走るアルさんが、剣を手に叫んでいた。
「一世一代の大勝負だ! 魅せてやるぜ!」
「ふっふっふ……暗黒騎士レイシュの制限解除した力! ついに、全視聴者の皆様にお見せする時ですね!」
「みなさ~ん、ごらんくださ~い。これが片手でアーオイル四天王を屠る、導師=アークプリーストの力ですよ~」
「行くぞ、勇者ちゃん!」
 その声に、私は頷く。
 私たちの背中に続く、すべてのみんなの想いを背負って──あのゴーレムを倒し、私たちは賢者の石を手に入れる!
「行くよ! みんな!」
 私たちは走る。
 剣の煌めきを身に纏い──勇者として。

「サーバークローズまで、あと一ヶ月半です」
 沈黙。
 誰も、何も、言えない。
「そういえば、誰かさんの所為で、この世界は終わりを迎えてしまうんでしたね~」
 などと、ワイン片手に言うエルさんに、
「いや、元々決まっていた話!?」
 アルさん、一応反論する。
「まあ、ともかくです」
 と、レイさんはこほむと咳払いをして、
「今後の配信を楽しみにしているみなさんのためにも、そろそろエンドコンテンツのエンドまで攻略してしまった我々は、話の本筋に戻り、本来の目的を思い出すべきでないかと思う訳ですよ」
「もうむしろ、このこんがらがりのまま、フェードアウトでもよくね?」
「そんなことをしたら、大ブーイングですねぇ……一万を超える登録者の皆様から~」
「いや、マジでどうすんの?」
「私に言われましても……主人公は貴方ですし」
「いや、主人公は俺じゃないだろう」
「押し付け合い宇宙」
 言葉の意味は全くわからん。が、
「それはともかく」
 と、レイさんは言った。
「このまま無為に時間を過ごしていくと、ラスト一ヶ月を切ったところで、アーオイルの最終侵攻が行われます。クローズドイベントと言ってしまえば、まあ、そうですが……」
「一応、公式発表としては、アーオイルの聖地ルルスからアーオイルの大侵攻が開始され、各町村を襲っていく──ってイベントの予定なんですがね」
 ネリさんはほがらかにエールのジョッキを掲げつつ言った。
「襲われた拠点は、そこの住人や建物の損耗が指定値以下になったら、アーオイルの拠点になるので、エクスプローラーが頑張らないと、最悪、ルーフローラにまで侵攻される予定です。いやあ、後味の悪いサービス終了ですねぇ」
「運営、趣味悪いー」
「しかもそれ、夜時間も侵攻されたらずるくねぇか? 明らかにAI側のが有利だろ」
「知りませんね。誰かさんが、この世界のバランスを崩してしまうような力を手にした所為じゃないですかね」
「他人の所為にするのいくない」
「侵攻を許してしまうと、ルルスへの道が閉ざされてしまうので、難易度爆上がりしますよ~」
「マジでどうすんの、これ」
 聞く男。
「さあ?」
 返す女。
「いえ、だからそろそろ、本来の目的を思い出していただきたい。そう、この世界を救う、勇者として」

 そして、その日は訪れた。
「や、みんな、エンディングを見たいんですよ」
 城塞遺跡を向こうに見る丘の上。眼下には黒山の人だかり。
「もちろん、自分の勇者の物語も大事ですけどね。でもみんな、一度はエンディングまで行って、自分たちの勇者の物語の終わりは、見てるんで」
 人だかりを見下ろすように並ぶ私たちの中、ネリさんが笑う。
 陽は、南天に届こうかとしていた。
「まさかこんなに集まるとは、思ってもみなかったわ」
 などと、皆に笑いかけるアルさんに、レイさんが軽く肩をすくめながら返していた。
「そもそも、ロートルばかりの、消えゆく世界ですよ。大半の人間は、お祭り騒ぎがあれば便乗したい」
「クローズイベントでの大侵攻なんて、黎明期を生きたロートル達の、夢ですからね~」
 ほわんほわんと笑うエルさんの言葉の意味はよく分からなかったが、歴戦の勇者たちはそれで通じたようで、「たしかに」と笑うように頷きあっていた。
「ここに集いし、冒険者たちよ!」
 響く声に、皆がこちらに振り向いていた。
「世界は、滅亡の危機に瀕している!」
 総司令、騎士団長殿の声に、小さな笑いが起こる。なぜだ。
「我らエクスプローラーは、この世界を救うため、勇者を聖地ルルスへと送り届けねばならない! というのは建て前で!」
 台詞。最後。皆の口から本当に笑いが漏れる。
 冒険者たちの皆から、本当に笑いが漏れてくる。
「集まってくれた皆には、感謝する! 理由も、目的も、何も問わない! 世界も、勇者も、関係ない! ただこの時に、共にこの世界を生きる仲間として、集まってくれた皆に、礼を言う!」
 剣を突き上げる。
「さあ、武器をとれ!」
 集まった冒険者たちも皆、武器を抜いていた。
「みんな! GMたちは、本気で恨みを持って潰しに来るぞ!」
 再び笑いが起こる。なぜだ。思わず苦笑する仲間たち。顔を見合わせ、そして前を向く。
 冒険者たちの皆が、その視線の先に、いた。
「我らは、道を切り開く! 勇者を、聖地へと送り届けることこそが、我らの使命!」
 おー! と、閧の声が上がる。
 そして──
「そしてその後は、割と自由に楽しんで良い!」
 よりいっそう大きな、おー! という閧の声が上がっていた。

 手を伸ばす。
「お父さん!」
「勇者ちゃん!?」
 誰かの声。
 私は、父の手を──掴んだ。「掴めるの! それ!?」「マジで!?」「全世界、震撼!?」
 しかし、その身体は宙に浮き──私は目を見開いた。
「やってやりますよォー!!」
 アルさんが飛び込んでくる。崩れる床に剣をつき立て、左手でそれを掴み、右手を私に向けて伸ばす。私はその手を──掴む。
 ニヤリと笑うアルさんに、私も返す。

 陽光の差さない、アーオイルの聖地ルルスの最奥、寝所の神殿には、不思議な石の蒼い輝きが、ゆらゆらと水の中のように揺れていた。
 私はそこを、歩いていく。
 名も無き古き神の神殿のような造りをした、巨大なその神域の奥。高い祭壇の上には、血よりも深く、朱く輝く石が浮いていた。
 賢者の石。
 この世界で唯一の、人の手によって生み出されたその石は──全知全能を、不老不死を、そして神の力をも与えるというその石は──祭壇の上に同じように浮かぶ一人の男の胸の前で、静かに朱い光を放っていた。
 男はアーオイルの錬金術師で、在りし日のアーオイルたちの希望で──最後のアーオイルの王であり、賢者の石を創りし者であり──そして今、全てを知った上で、この世界を終わらせて再生させようと、神の力に手を伸ばした者、アルス・マグナ、その人であった。
 ゆっくりと歩みを進める私の足音すら響くようなその静寂の中、声が響いた。
「不老不死、全知全能を手に入れた私には、砕かれたルーフローラとアーオイルを、再びひとつにすることすら容易い」
 石の放つ光をその胸に受けていたアーオイルの王、アルス・マグナは、天井に踊る光に目を細め、続けていた。
「全てを知り、この世界の神と同じ力をも手に入れた私だが、だがそれでも、その私でさえも、お前たちだけは理解できない」
「全知全能なのに?」
 笑い、おちょくるように、私の後ろに続くダガーさんが頭の後ろで手を組みながら言っていた。
 アーオイルの王は、ゆっくりと私達に目を向け、
「フローラの子よ、何故だ?」
 言った。
「それはお前たちが、お前たちの言う賢者の石を手にしたからか?」
 その問いに、後ろのエルさんが小さく呟きを返していた。
「これは……ここで台詞が違うのは、初めてですよ~」
「なんというか……」
 その隣、チロルさんも息を飲む。
「本来はひとつしかないはずの賢者の石を、我々も手にしているからか……」
 呟きに、帽子の位置を直しながらネリさんが続けていた。
「まぁ、向こうもAI積んでますから、状況によって台詞も強さも変動するのは仕様ですが……台詞的に、侵攻イベントも相まって、どんだけ強化されてんだよって感じですよね」
 アーオイルの王は、静かに目を伏せ、そして言った。
「私は、この世界の万物のすべてを知る。世界の公理も、時空の定義も、全ては私の中にある。しかし、お前たちを見ていると、お前たちと言葉を交わしていると、私の中のそれが揺らぐ」
 アルス・マグナは続けた。「故に、私は確信した。お前達と刃を交えて。勇者、貴方と言葉を交わして、確信したのだ」
「この世界は、未だ不完全なのだと。この世界は、何処かでその命題を、取り違えたのだと」
「難しいことは、ニケにはわからないですけど、それで?」
 少しだけ首を傾けて返したニケちゃんの問いに、
「それで──?」
 アルス・マグナは、一瞬、考える様な間を置いて、答えた。
「ああ……そうだ。私は──私はこの世界を、再構築せねばならない」
 石が、呼吸のように明滅し、その光が揺らぐ。
 アルス・マグナが私達を見て、告げる。
「私はこの世界を再構築し、正しい世界を創り直さねばならない。賢者の石は、それを望んでいる。私には、その力がある。完全で、全ての答えを内包する新世界を生み出す神に、私は、ならねばならない」
「これが、真の意味での、この世界での空前絶後の最終決戦だと思うと、感慨深い台詞ですね……」
 レイさんが両手剣を構え、私のすぐ後ろに立った。
「各々方、準備はよろしいか」
 背後の皆が、その言葉に身構える。
 そして私もまた剣に手をかけ──隣に立つアルさんの横顔に向かって、言った。
「これに返すのは多分、私の仕事じゃないね」
「俺か?」
 軽く笑って、アルさんは私を見た。
「俺は主人公じゃねぇんだが?」
「みんな、期待しているわ」
 笑う私に、
「そうだな……」
 そう呟いて──アルさんはアルス・マグナに向き直り、腕組みをして言った。
「賢者の石を手に入れたお前が、この世界を再生成する事すら容易いということは、よくわかった」
 そして、いつものように笑って、言った。
「しかし──俺たちを見て抱いたという疑問の答えすらも出せないようなお前に、それを不完全だなどと論じるようなお前に──この世界の神になる資格など、あろうはずもない!」
 その言葉に、アルス・マグナはアルさんを見据え、そして、叫ぶようにして返した。
「ならば、貴様にはわかるというのか! 賢者の石を持つ、『勇者』にならば! この世界が迎えようとしている結末を、回避する術が! この世界の真実が! その、答えが!!」
「無論!」
 アルさんは剣を引き抜き、その切っ先をこの世界最後の神に向け、強く、強く、言い放った。
「勇者ちゃん!」
 ん?
「生命、宇宙、そして万物についての、究極の疑問の答え!」
「42」
 お、咄嗟に答えてた。
 いつか、アルさんが言っていた与太話。
 ぶー! と、背後でレイさんが盛大に吹き出していた。ニケちゃん、チロルさんはハテナ顔だ。
「ちげえねえな!」
 ダガーさんは笑う。
「750万年もかからず、一瞬!」
 ネリさんも帽子を押さえたままで笑う。
「勇者ちゃんも、世界創造できますね~。世界創造の瞬間の、全原子ベクトルすら、余裕で計算できますね~」
 そう言って、エルさんもいつものように笑っていた。
 な……なんだ? この与太話には、なんか、凄い意味があった……のか?
「なるほど……」
 声を震わせ、レイさんはアルさんの隣に来て、実に楽しそうに笑っていた。
「究極のAI……いや、勇者に育ちましたね」
「だろう?」
 そしてアルさんも身構える。
「さあて……新世界の、神……」
「なりません」
「……ならないの?」
「私は──」
 言った。
「この世界が、あなた達と冒険のできるこの世界が、ただひとつの、私のいるべき場所だと、確信しています」
 なにか、おかしな事を言っただろうか。
 アルさんは私の言葉に、今まで一度も見せたことのないような優しい微笑みを、私に向けていた。
 私達の、物語。
 その最終章。
 終わりゆく世界で──私たちはそれを止める。止めてみせる。そう、明日もこの世界は続く。
 そう、私たちは知っている。
 私の賢者の石は──私は仲間たちを見回した──知っている。
「世界は滅びる! そして新たに生まれ変わる! その世界にお前たちはいない! これは確定事項だ! 新たな世界の真理、真実なのだ!」
 この世界最後の神、アルス・マグナは叫んだ。
「せめてもの神の情け! お前たちは──私の世界に抱かれ、息絶え、朽ちるがよい!!」
 私たちは身構える。
 そして──
 いつものように笑って、最後の言葉をアルさんが言った。
「さあて……」

「行こうか! 勇者ちゃん!!」

 あれは、16歳の誕生日。
 私は──勇者の子は──旅立った。

 この物語は、その勇者の子である私が、やがて伝説の勇者と呼ばれ、その仲間たちと共に世界を救う事になるまでの、長い長い、旅の記録である。


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