「エルフは肉は食わねーかと思ったんだが」
残りのミネストローネを、アルさんが突き出したお椀によそって、ダガーさん。
「鳥は食うのか」
「あ、これ、鳥はいってたのか?」
受け取りつつ、アルさんは言う。
「俺のところにはいなかったぞ?」
「まあ……量の割には少な目にしたしたな。エルフが肉類ダメだと、残るかもしれねーと思ったし」
「始めからエルフにも給仕する気だったのか」
「誰だって、腹は減るだろ」
「いえ……このゲームのエルフ、ちょっと特殊ですし、どうなんでしょうねぇ」
レイさんは小首を傾げ、隣に座っていた幼いエルフを見た。彼は小さい手でお椀を抱えて、ごくごくとミネストローネを飲んでいる。他にも、若い女性なんかもちらほら周りにはいて、ニケちゃんなんて、遠巻きに見ていた昨日の弓エルフにおにぎりをおすそ分けしようとして、断られていた。自由だな、あなた達は。
ともあれ
「よし、食った!」
と、アルさんは口を拭って、宣言した。
「さあ──話そうか!」
開口一番、アルさんは聞いた。
「配信見てない人」
ダガーさん、ネリさんが手を挙げて、
「よし、いないな」
うん、いない。
「マテェイ!」
ネリダガーの裏手ツッコミを無視し、チロルさんが続けた。
「というか、もはや、全然違う話なんだが」
苦笑を浮かべ、困ったように言うチロルさん。というかだな、裏手ツッコミを無視する辺り、チロルさんも、染まってきたな……
「騎士団って、本当は、エリシアをつれて王都に向かう途中、王党派から王の忌み子として粛正されそうになって、戦闘になる流れなんだが……」
や、チロルさんが何を言っているのか、私にはさっぱりわからなかったが、アルさんはチロルさんの台詞を聞いて、
「え? エリシアって、自分から王になろうとすんの?」
と、目を丸くする。
「いや、エリシアはならないが……」
「王になるのは、マルセルだろ」
言ったのはダガーさんだ。私は、全く付いていけてない。
「まって、なんで?」
アルさんは止めた。私も止めたい。
「なにその話、根拠レス。その情報、ない」
「え? 何で?」
ぽかんとして、ダガーさん。
「エリシアもまあ、いろいろあるが、ハーフエルフだしな……むしろ、彼女が正統王家のレガリアを持っているのが問題で、王党派にとっては、王とレガリアのダブル帰還が、都合が悪いって話で」
「おまえは何を言っているんだ?」
「テメーだろ!」
「ちょっとまって。話をまとめて。レイシュ」
突然話を振られ、おにぎりをもぐもぐしていたレイさんは、
「私ですか?」
最後の一口を頬張って、「えーと、ではですね……」と、前置きをして、言った。
「事の起こりは、今をさかのぼること百年前──」
「遠っ!?」
「しかし、この状況になると、そこからですかねぇ」
困ったように眉を寄せて呟いたのは、エルさんだ。
「ニケ、その辺の歴史の話、よくわかんなかったんだよね」
戻ってきたニケちゃんも、眉を寄せつつ、丸太に腰を下ろしながら続ける。
「マルセルさんがエリシアちゃんと、王、王妃になって、ハッピーエンドでいいじゃん」
「まあ、基本の流れはそこに向かうんでしょうが……どこでどう、こんがらがっちゃったんでしょうね」
遠い目をしてレイさんは呟いたが、
「みんなで俺を見るな」
さもありなん。
「いやいや」
アルさんは、俺の所為じゃないぞとばかりに語気を強め、
「ってか、なんでマルセルが王になるんだよ」
いやいや、俺の所為じゃないぞとばかりの言い草ですけれど、あなたの所為でしょうよ、と、誰もが思っているので、語気を強めても効果はない。と言うことで、レイさんは普通に続けた。
「マルセルの祖父は、ランベルト四世でして、王様なんですよ。ちなみに、先日死んだグレゴールが、ランベルト六世ですね」
「まて。マルセル、普通にグレゴールに近い継承順位じゃねーか」
祖父が王様、四世で、この前までが六世だったんなら、それはいとことか、そんな血縁関係じゃないのか? めちゃくちゃ、王家筋じゃないか。
「血筋的にはそうですが、継承権がないんです」
レイさんは言った。
「なんで?」
当然の疑問を口にするアルさんに、鍋の残りのミネストローネをかき集めてお椀に移していたダガーさんが、さらっと返す。
「マルセルの親父さんは、正義と秩序の神以外の信徒と結婚したからな」
「はあ?」
私も、はあ? だ。
「国教外の神様の信徒と、王子が結婚するわけにはいかないですからね~、難儀な世の中ですね~」
「ニケ、全然意味わかんない」
「同じ神様信じてて、戦争している国ですからね。そういうもんです」
レイさんは苦笑しつつ、続けた。
「四世の子、マルセルの父ですが、クーノだったかな? 彼は、愛した人が敬虔なる月と旅人の女神の信者である、吟遊詩人でして……王室に迎え入れる事ができず、それならばと、王位継承権を捨て、平民となって結婚したんですね。なので、当然、爵位もないのです」
「愛に生きたのですね~」
ほわんほわんと言うエルさんに、ネリさんが、
「いや、たしか、死んでないはず……」
小さく突っ込んでいた。
「まあ、クーノの結婚は、歌にもされていますよ。二人の結婚を認めさせようと尽力した弟が、最後の最後に暗殺されるという、悲劇でですが」
さらりとひどい話をするレイさんに、チロルさんが続いた。
「アーベルか? アーベルはニーケで、オルドヮとの政教分離を唱えていたんだが、異端者として、処刑されてしまったんだったかな」
「愛に生きるのも命がけですね~」
エルさん、
「あなたの所の神様ですが?」
「おおー、そこには触れないでください~」
なにやら不思議にぐねぐね動いて、悶えている。
レイさんは、エルさんの不思議な踊りを見なかった事にするように、置いといて、
「まあ、そんな悲劇があって、そのすぐ後、クーノ、アーベルの父である四世も、崩御してしまうんですがね。病死ですよ?」
「いや、あれ、ぜってー嘘だろ」
ダガーさんの突っ込みを、
「ソンナコトナイヨ?」
「なぜに片言」
軽く流し、
「話を戻すと……四世が崩御したあと、四世には子女がクーノとアーベルしかいなかったので、継承順位的に筆頭だった、アーベルの子、カールが五世として王になるんですね。しかし……この人が、強硬派のオルドヮでしてね」
「ニーケと戦争でもしたか?」
「ガイザーの父親が暗殺された件、覚えてます?」
「ああ、なんか聞いたな……」
「それだけが理由ではないですが、報復戦争は七年に及び、オルドヮとニーケの争いは、泥沼と化します。今から、二十年くらい前の話ですかね」
すらすらと説明されたが、さらっと二十年前とか言われたぞ。こんな事をこの国は、二十年も前からやっているのか……いや、その戦争が二十年も前の話ってだけで、その前の話は、もっと前の話になるのか……どんだけだよ……
「止める奴、いねーのかよ」
当然の疑問を、アルさんが口にする。
「まあ……」
レイさんは、苦笑気味に返した。
「王族は皆、なぜか短命で……当のカールも、割と早くに病気で亡くなってしまうんですよね。病気ですよ?」
「ホント、腐ってんな」
「あ~あ~あ~、キコエナ~イ」
不思議な踊りを止め、エルさんは耳をわんわんと叩いて、震えた声で主張している。おい、大丈夫なのか、正義と秩序の神。
「ちなみに、そのアーベルの四子、エドガーの子が、ギルベルトですね」
「あーあーあー、ワカンナーイ。ニケ、歴史の授業よりワカンナーイ」
と、ニケちゃんもエルさんの真似をして、耳をわんわんと叩いていた。
しかし──正直、私もよくわかっていない。なんか、たくさんの人の名前が出てきて、ものすごく長い間、オルドヮとニーケが争っている──という話の輪郭しかつかめていない。しかもそれが、二十年も三十年も、そんな昔からだという……
「ネリ、杖貸して」
「杖ですか? どうぞ」
アルさんはネリさんから杖を借りると、ぐりぐりとそれで地面に家系図を描き始めた。「ああっ、私の杖を!」聞いちゃいない。ってか、今の話でよく覚えているな……「あれ? クーノとアーベルは、兄弟だっけ?」「そうですね、片方がマルセルに繋がって、片方が王族の流れです」
「よし、わかった」
出来上がった家系図を見て、アルさんは言った。
「が、エリシアが出てきてねーぞ」
「ええ、そうですね」
と、ひとつ頷き、レイさんは続けた。
「それが、今をさかのぼること、百年前なんです」
おっと、二、三十年どころか、一気に百年遡ったぞ。ここで、最初の話に戻るのか。
レイさんは、エルフの集落を囲む森を眺め、ひとつ、ため息をついた。
「実はここ、辺境領は、百年弱くらい前に蛮族に奪われて、その四十年後くらいに、王国が取り返した地なんですよね」
その話は知っている。先ほど、エルフの長老が話してくれた話だ。エルフの者たちの、暗黒の時代の話。そして、王国にある大恩の話。どこか、許しを求めるような、あの告白の話。
「それとエリシアに、どんな関係が?」
聞いたアルさんに、レイさんは難しそうな顔をして、首を傾げた。
「うーん、これ、言っちゃっていいのかなあ。ご自身で調べた方がいいんじゃないかなあ」
「ダガー」
「なんだ?」
「ちょっと、盗賊ギルドに行って、調べてこい」
「よしわかった」
淀みなく、ダガーさんは返す。その場から、一歩たりとも、動かずに。
「エリシアは、ああ見えて、98歳なんだそうだ」
「情報収集が雑すぎィ!?」
悶えるレイさん。
置いといて、ダガーさんはさらに続けた。
「百年くらい前は、この地は王国の庇護下にあって、平和な森だったらしいんだな。そう、王族が、鷹狩りに来るような、な」
そこで言葉を切ったダガーさんに、アルさんは考え込むようにして俯き、口元を手で覆った。
「……いや、そういう展開なんだろうなとは思っていたが……」
そして、呟いた。
「全く時代があわねーんだが、まさか、そうなのか……?」
つぶやきに返したのは、レイさんだ。レイさんは短く、しかしはっきりと、
「そうです」
「誰だ?」
短く聞いたアルさんに、レイさんは返す。
「ランベルト三世。マルセルの曾祖父にあたります」
「百年……そういうことか。で、母親は?」
えっ? と、私はアルさんを見た。突然の話に、ついて行けない。母親? 誰の? いや、まさか……
「テレシア」
レイさんは言う。
「この里のエルフである彼女は、蛮族の侵攻の際に、命を落としてしまいました」
「ランベルト三世は、テレシアを王室に……いや、ないな。そんなことができるなら、こんな争い、そもそも起こってねぇ」
「ええ……そして、四十年の歳月をかけて、ランベルト三世は辺境を取り戻しましたが……その時すでに、テレシアの姿はなく……ランベルト三世は、テレシアの遺体も、見ることは無かったそうです」
頭がついていかない。
百年も前に、この地を襲った蛮族の侵攻と支配を、それから四十年もかけて取り戻したランベルト三世は、どんな思いだったのだろう。だだ、領地を取り戻すと言うだけの意味だったんだろうか。いや、それじゃあ、あの長老の告白に、私が納得できない。ランベルト三世は、取り戻せなかったのだ。そしてエルフたちは皆、老いることが無い故に、それを覚えていて、贖罪を求めているのかも知れない。大恩。それはもしかしたら、果たされた約束と、果たされなかった約束の、赦しを求める、彼らの思いなのかも知れない。
「お気づきでしょうが……」
沈黙の私とアルさんに向かって、レイさんが言った。
「失われたレガリアの貴石は、エリシアのブローチです。あれは彼女の母親、テレシアの形見であり、ランベルト三世こと、ルートヴィヒ・ヴァン・ベッヘムが、心より愛した人に送った、唯一の品なのです」
「……マルセルはそれを?」
アルさんの小さな問いに、レイさんは大きく頷いて、返した。
「全て、知っています」
「マルセル、よせ! お前の身体はまだ──!」
突然、長老の声が広場に響いた。
私たちは、一斉に声の元を見た。
小さな家のドアを開け、頭を片手で押さえながら、よろよろとマルセルさんが歩いて来る。
私は思わず立ち上がり、駆け寄って、彼のその肩を支えた。
「いかなくちゃ……」
熱に浮かされたように、マルセルさんは呟いていた。
「僕は、エリシアを、この国から守らなければ……神のいない国の、神を巡る争いから、彼女を守らなければ……」
マルセルさんは全てを知っていると、レイさんは言っていた。彼は、果たされなかった曾祖父と彼女の母親との思いを、もしかしたら、人一倍強く感じているのかも知れない。自分の出生、両親のこと、そして、冒険者となって世界を見聞きして、知ったこと。
それらすべてを咀嚼して、飲み込んで、
「エリシアは、何も知らなくていいんだ」
彼は言うのだ。
「彼女の幸せは、あそこにはない。彼女が笑っていられる場所は、あそこにはないんだ」
私の腕を振り払い、マルセルさんは歩いていく。
よろよろと、一歩ずつ。
無言で見送るアルさんに、視線を送るようなこともせず、森の中へ。
消えていく。
見送った私たちの沈黙を、レイさんの低い声が破った。
「いかが致しますか、マスター」
森の向こうを見つめていたアルさんは、「そうだな……」とつぶやいて立ち上がり、
「あいつ、死ぬな」
ひとつ、息をついた。
辺境伯ギルベルトの城へ、私たちはなんとかかんとか、戻ってきた。
深い深い森を、我々だけで抜けるのは一苦労かと思ったが、「しかたねーな」と、ニヤリと笑ったダガーさんの案内に、まさかのまさか、ほぼ一直線に、城の対岸へと出、「いや、船、ねーんだけど?」と言う問題は、「仕方ないですねぇ」と呟いた大魔導師補佐見習い候補のネリさんの大魔法によって、川を凍らせて渡るという、超絶乱暴な手法によって、なんとか、私たちは辺境伯ギルベルトの城へと戻ってきた。
「ウル!」
今日も城門の前に立っていた、マルセルさんの親友、ウルさんを認め、アルさんが声を上げた。
「ん? ああ、導師様の」
と、ウルさん。覚えていてくれた。
「なにか、大所帯になってますね」
「おう、フルパーティだからな」
アルさん、私、レイさんエルさん、ダガーさんにチロルさんに、ネリさんニケちゃん。総勢八名の大所帯だ。アルさん曰く、フルパーティと言うらしい。
しかし、
「あれ? マルセルはどうしました?」
その中にマルセルさんが居ないことに気づき、ウルさんは聞いた。
「里に残ってるんですか?」
「おう、ならいいんだ」
アルさんの言葉に、ウルさんは小首を傾げた。いいんだ。今の台詞で、十分にわかる。ウルさんは、マルセルさんと会っていない。おそらく、マルセルさんはここを訪れてはいないのだ。私たちが確認したかったことのひとつは、確認できた。
そして、もうひとつ。
「王党派の騎士団は、もうでたのか?」
「ああ、それなら今朝方に。何か、御用事でもありましたか?」
知りたいことその二も知れた。やはり昨日の段階でメスナー家の騎士団はここに戻り、朝早くに王都に向かって出発したのだ。さて──どうしたものか──
「足が欲しい。ギルベルトに、王党派を追いかけるのに、足を借りたいと繋いでくれないか?」
アルさんは、ド直球にウルさんに向かって言う。余りの直球ぶりに、「ええ?」と、ウルさんは狼狽えた。
「いえ、流石にそれは、導師様たちのお願いとあっても……」
言葉を濁すウルさん。
「そうか、わかった」
言い、
「じゃあちょっとその辺で、荷馬車でも強奪してくる!」
「やめて!」
止めた。
「あのね、ウルさんは、そんなにあなたのこと、詳しくないから。冗談じゃないとか、わかんないから」
「俺は何時でも、本気だぞ?」
「だから止めてんでしょーが」
「私たちはマウントもってますが、困りましたね~」
と、エルさんが呟いたその時、城壁の上から、声がかかった。
「足が必要か」
見上げるとそこに、ギルベルト伯爵がいた。
「伯爵! 良かった! そうだ、足が欲しいんだ!」
「その前に一つ質問だが……」
ギルベルト伯爵は、城壁の上から私たちをため息混じりに見下ろし、言った。
「今し方報告を受けた、川のアレは、お前たちの仕業か?」
「おおっとー!」
レイさんがはっとして声を上げていた。
「確かに言われてみれば、あんな派手なことをしておいて、ギルベルト伯爵の耳に入らない訳がありませんね! そこまで計算にいれていたとは!」
「おう!」
ねーわ。
「蛮族共に、高位のオーガメイジでも付いたのかと思ったぞ」
申し訳ありません、伯爵! やったのはこいつ等ですので、打ち首獄門は、こいつ等だけで! と、言おうかと思うよりも早く、伯爵が私に向かって何かを投げたので、慌てて、私はそれを受け止めた。
受け止めたそれはふたつ。ひょうたんから作られた、よくある水筒のようなものだった。中身は入っていないのか、ものすごく軽い。ってか、なぜに水筒? と、思っていると、
「お」
と、再びレイさんが声を上げた。
「おお、エルフクエストが無かったので、ここでもらえるのですね!」
「その言い様だと、それが何かは、知っているようだな」
ギルベルト伯爵は言う。
「それはエルフたちから献上品として貰ったものだが、私たちには使う当てもない。手向けだ。好きに使え」
言って、ギルベルト伯爵は城壁から離れていった。
「ウル、その者たちは、好きにさせていい。看過しておけ。お前は城内の騎士たちに、先の川の件は、問題ないとふれて回れ」
「はっ!」
と、短く返し、ウルさんもまた、「では、失礼いたします」と、城内へ駆けていった。
「なんだかわかんないけど、サンキュー!」
フランクすぎるアルさんが、恐らく双方に向かって言っていた。
「看過するとよ」
「暗に、わかっていますねぇ、ギルベルト。いいなぁ」
レイさん。
「ますます、一手、手合わせ願いたい」
やめて?
「で、これ、なんだ?」
私の手の中のふたつのひょうたんを指差しつつ、アルさんはレイさんに聞いていた。
「これですか? コレは、ひょうたんです。使うと、中から馬がでてきます」
「は?」
「ひょうたんですから」
「俺をバカにしてんのか?」
「ええ、いつもしていますが、これは事実です」
「なるほど、嘘ではなさそうだ」
うん、前半部分をあえてつけることで、逆に話の信憑性が増しているね。
「あれ? アル、エルフの里でクエストしてねーのか? それ、エルフの里のクエストリワードだぞ?」
と、ダガーさんは軽く首をかしげながら言った。
「なんか、やけにレベル低いままだなと思ったら、クエスト、飛ばしてんのか?」
「いえ、違うんです。ダガーさん」
レイさんは額に手を当て、「おお……」と空を仰ぐ。
「この人、ほとんどのクエスト、ショートカットしちゃってるんで、ここまでで途中のクエスト、ほぼやってないんです」
「え? だからそんなにレベル低いままなのか? アルさんらしくないなと思っていたんだ」
と、チロルさんも目を丸くした。
「まあ、このゲーム、レベルは装備くらいにしか関係ないし、この辺りは武器も更新できないから、レベルが低くても問題はないだろうが……」
「ともあれ、これで足が手に入りましたね~」
「これで、いつでもいけますね」
「ああ……もうすぐだな」
な、なにやらみんな、わっと、訳の分からない話をしているぞ。と、おろおろとしていると、アルさんが私の手からひょうたんをひょいと取り上げて、その栓をぽんっと抜いていた。
しゅうっと、ひょうたんの先から煙が吹き出て渦を巻き、それは馬の形になったかと思うと、実体を持ち、本当に、本物の馬の姿になった。
馬。
馬!?
本物の、馬!?
「おお! すげえ」
「しかも、最初から、蹄鉄も鞍もついている」
「すげえ!」
こ、これは魔法か何かなのか? ひょうたんから、馬? どんな魔法なのだ? こっちのひょうたんからも、馬が出るのか? あ、いや、しかし、確かに足はこれで手に入った。これで──
「この馬は、ロシナンテと名付けよう」
「ドンキホーテ?」
「三銃士」
「そっちかー」
「金に困って売るんだな」
「そっちじゃない方」
「アラミスが女性の方ですかー」
何言っているのか、さっぱりわからんが、私もひょうたんの栓を抜いた。するとそこからもしゅわしゅわと煙が溢れ出し、馬の形になって実体化し、栗毛の馬をそこに顕現させた。
「おお……」
「乗れんのか?」
「失礼な」
事をアルさんが言う。乗れないとお思いか。馬くらい乗れるわ。子どもの頃から、草原を駆けていたわ。
「さて──」
ひとつ息をついて、
「各々方、準備はよろしいか」
言い、レイさんは皆を見回した。
にやり、その台詞に皆が笑う。
「これがねーと、始まらねーな」
ダガーさん。
「まさか、これを聞かれる立場になるとはなぁ」
チロルさん。
「しかしこれ、フルパーティでやるようなシナリオじゃないと思うんですが……」
ネリさんに、
「でも、アル兄の配信みてたら、続き気になっちゃうし、自分で結末、見てみたいとも思う」
ニケちゃんが続く。
「では、マスター。お言葉をどうぞ~」
そして最後に、エルさんがアルさんに向かって、微笑みかけた。
「ふむ」と唸ったアルさんは、
「このゲーム、ギルドねーけどな」
返し、皆の前へと一歩、歩み出た。
「大義はない」
第一声は、それだった。
「だが、我々の目的は、賢者の石と目される、レガリアである貴石だ。我々は今、その所在と、それを手にするのに、もっと単純で、明快で、手っ取り早い道筋を知っている」
そして、アルさんは腰の剣を引き抜き、掲げ、言った。
「マルセルに、王になってもらう! そして手助けした見返りに、貴石を貰う! 動乱の中で、掻っ払うのでもいい! どうせ失われたと思われている石だ、問題あるめー!!」
「最低だな!」
「好意の押し売り!」
「やっていることが、夜盗と変わりませんね!」
ひどいな、みんな。
その通りだけど。
アルさんは掲げた剣を再び突き上げ、にやりと笑った。
「一人は、みんなのために!」
「最低な使い方だな! オイ!」
ダガーさんが言って、みんなが笑った。
鞍上のアルさんに、馬を寄せたネリさんが言っていた。
「あれは、ロシナンテネタからやっただけですか?」
「何の話だ?」
「One for all, All for one.のやつです」
「ああ……」
唸るアルさんに、私は手綱を引いて馬の鼻を向けつつ、聞く。
「なんですか、それ」
「先ほどアルが言っていた、一人はみんなのにためにってやつですよ」
ネリさんが返した。
「One for all, All for one. 一人はみんなのために、みんなは一人のために、と訳されるのです」
「とある冒険小説の中で使われていた、有名な台詞なんだ」
私に向かって、にやりと笑い、アルさんは言う。
「俺たちは、マルセルのために一肌脱ぐんだから、マルセルも、俺たちのためになんかしてくんなきゃならんだうよ、という意味だ」
「違いますからね」
「大丈夫。わかってる」
「冒険活劇の話は本当ですよ~」
エルさんが馬を回しながら、言っていた。
「主人公と、その仲間たちの結束をしめす言葉として、劇中で使われるのです~」
「主人公はマルセル」
アルさんは笑っていた。
「みんなの思う一人はマルセルに決まっているから、逆説的に、ひとりであるところの主人公を指すのは、マルセル」
「押し売り」
「冒険活劇なんて、そんなもん」
「大儀は?」
「後からついてくる」
「ひどい話だよ」
ひどいやりとりをしていると、ネリさんがぽつり、言っていた。
「本当に、それだけでした?」
「俺は、そこまで博学じゃねーよ」
笑うアルさんは裏腹に、それだけじゃないと言っているようだった。
「来たぞ!」
ダガーさんが声を上げる。
「よーし……」
手綱を引いて、アルさんは言った。
「始まりの言葉を抱えて、終わりを迎えにいこうじゃないか!」
ギルベルト辺境伯領と、フェルディナンド伯領との境界線にあたる山の稜線には、南北に渡って廃墟となった町の遺跡があった。
ギルベルト辺境伯領へと向かっていたあの時は、この町が廃墟となって六、七十年と聞いても、特に何も思う事はなかったが、今になって思えば、この町は蛮族の侵攻によって滅んだのだとわかる。ここで戦いがあったのか、はたまたその前に皆、逃げおおせて廃墟となったのか、そこまでは私にはわからなかったが、この町にも、おそらく激動の歴史があったのだろうと、今はわかる。
そんな廃墟の町に、メスナー家の騎士団一行が入ってきた。
丁度、伯領間の中間あたりに位置するこの場所は、夜を徹しての移動でなければ、休憩地点としては申し分ない。廃墟とはいえ、石造りの家の一部はまだ残っているし、馬を休めるのに丁度いい広場も、しっかりと残っている。
「襲うなら、ここだろう」と、アルさんは地図を前にして皆に言っていた。「行きがけに見た感じ、廃墟になっているから隠れる場所も多いし、奴らが一晩休むのなら、夜襲するというのも手だ」と、まさに夜盗の考え方だ。「奴らが夜通し移動するとなると、話は変わるが──」「いえ、メスナー家の騎士団は、訳あって絶対に夜通しの移動はしませんので、そこで休むはずです」「なんだ? なんか、根拠があるんだな?」「うーん……本当はご自身で調べていただきたいので、私は、これ以上はいえませんねぇ」「まぁ、いい」
「問題は──」
そう、アルさんは言っていた。
「マルセルがそんな卑怯な思考をするかどうかだが……なんか、しなさそうだよなぁ……でもあいつ、元冒険者だって言うし、大丈夫かなぁ」
果たしてそれは──
「アル! やべえ!」
ダガーさんが声を上げていた。
「マジか!」
廃墟の町を見下ろす丘の上から、馬にまたがり、何時でも動けるようにしていた私たちだが、
「やっぱりバカだな! あいつは!」
まさか本当に、即座に動かざるを得ないとは、思ってもみなかった。
慌てて手綱を切って、私たちは丘を駆け下りる。向かう先、廃墟の町の広場に差し掛かったメスナー家の一行の前に、立ふさがる男の姿があったのだ。
「いやぁ、冒険活劇の主人公らしく、正々堂々としてるじゃないですか!」
レイさん。
「いや、バカだろ!」
アルさんは言う。
「立ちはだかって、はいそうですかと、渡す訳がねぇし、俺なら丁度いいやって、ぶっ殺すぞ!? 他に誰も見てねーし、死体もその辺に捨て置けばいいしな!」
完全に悪い奴の考え方だけど──とは言え、多分そっちのが正しい。立ち塞がった影──マルセルさんは、まずい。
ひとり、剣を抜き、一行の行く手を遮らんと勇敢に立ちふさがるが──止まったメスナー家の一行の前へ、弓兵が数人、歩み出ていた。
対峙した双方は、何かを話しているようだ。
走る馬上では、全く聞こえない。相手ももちろん、聞く耳など無いだろうが……決闘で決着でもつけようというのか……
「クソが!」
口汚く罵りながらも、アルさんのその顔は、何故か、笑っているように見えた。
「後は頼むぜ、レイシュ!」
「なんだかわかりませんが、任されましょう!」
短いやりとりがあって、アルさんは馬をハーフバウンドさせ、一気に加速させた。ぐんぐんと私たちから離れていって、アルさんは一人、弓兵とマルセルさんの間に飛び出した。
手綱を強く引き、立ち馬をさせて馬をいななかせながら、放たれた矢の前へと躍り出る。降り注ぐ矢が、ロシナンテの体に受け止められ、アルさんが落馬した。かと思うと、アルさんはごろごろごろと転がって、マルセルさんに飛びつき、その身体をねじ伏せて、身を低くさせた。
「レイシュ!」
「無茶をしますね! あなたは!」
馬をメスナー家の一行に突っ込ませながら、レイさんが間に飛び降りる。すらっと背中から両手剣を抜くと同時に、
「グリットスタンス・ダークソウル!」
叫ぶと、その身体を、暗黒の炎が包み込んだ。
「完全に悪役!」
「悲しいかな、暗黒騎士!」
防御スタンスになったレイさんに、再び矢が撃ち放たれたが、レイさんはそれを剣と暗黒の炎でたたき落としていた。その隙に、アルさんはマルセルさんを建物の陰へと引っ張り込む。
「支援しますよ~」
鞍上から飛び降り、レイさんの後ろにつくエルさん。素早く支援魔法を、次々と唱えていく。
「ネリさん、ニケちゃんは、私の後ろへ!」
チロルさんが建物の脇に飛び降りて構えると、その後ろの陰に、ニケちゃんネリさんが身を隠した。
「撃てるけど、撃っちゃった方がいい?」
「や、弓兵はほっといていいです。どうせ、レイシュには効きません。それより、スペルユーザーが出てきた時、即座に対応できるようにしておくのが、我々の仕事です」
「り」
皆が配置に付くのを横目に見て、私はアルさんの隠れた建物の陰に、馬を飛び降りて飛び込んだ。
「大丈夫!?」
「問題ない。落馬も、狙ってやったからな」
「あなたじゃなくて」
「ですよねー」
マルセルさんは、目を丸くしていた。「どうして?」と言う顔だ。
「マルセル」
アルさんは言った。
「自棄になるなよ。命をかけるってのは、そういうことじゃねえ」
真摯に見つめられ、マルセルさんは息をのんだ。アルさんは、言葉は悪いが、いつだって真剣だ。自分の事を棚に上げていたって、正論を吐く。
「お前、言ったな?」
マルセルさんを掴み、アルさんは言った。
「彼女の幸せは、あそこにはないって。彼女が笑っていられる場所は、あそこじゃないって」
「──だから、僕は!」
言いかけた言葉は、飛んできた魔法の矢が建物の壁を打ち壊す音にかき消された。がらがらと崩れたがれきが、私たちを襲う。
「ネーリ!」
「対処しますよ、対処! 二、三発は、勘弁して下さい! ほら、ニケ! 詠唱中のところを撃つのです!」
「しゃー!」
「おっとと、これ、どこまで防戦すればいいですかね!」
切りかかってくるメスナー家の騎士たちをいなしながら、レイさんも叫んでいた。
「マルセル、言え!」
マルセルさんの腕を掴んで、アルさんは言った。
「命をかけるには、理由が必要だ!」
そこに、
「剣を引け、冒険者!」
声が響いた。
迸った光の矢が、私たちが隠れていた建物の壁を打ち壊し、声の主を露わにした。
「お前たちの行為は、明確な国家反逆罪である! 国家に刃向かうは、神の意志に背くと同じ! 死して余りある大罪である!」
鞍上の騎士が、抜きはなった剣の切っ先を、馬車から連れ出してきた彼女へと、向けていた。
なにを──
両脇を騎士たちに固められ、剣を突きつけられた彼女は──私たちをまっすぐに見つめる彼女の青い瞳は──落ちていく陽の光の中で、揺れているように見えた。
何を馬鹿なことを。お前たちのやっていることこそ──!
「言ってやれ、マルセル」
のそりと立ち上がりながら、アルさんは歩み出た。
騎士たちが、身構えた。
しかし、アルさんは臆することもなく、矢面に立って、言った。
「神のいないこの国の、神を巡るクソみてーな争いから、彼女を守りにきたんだろ?」
私たちは、それぞれの手にしていた武器の握りを、ただ、逃すまいと、確かめていた。
「我らが神を愚弄するか、貴様!」
「残念なことに、俺は、正義と秩序の神の信徒じゃない」
鞍上の騎士が、顎で部下に合図する。と、歩みでた騎士が剣を引き抜き、アルさんの前でそれを大上段に構えた。
「マルセル」
アルさんは切っ先を見つめたまま、背中のマルセルさんに向かって言う。
「お前の居ないところで、世界で──あの子が笑えると、お前、本当に思ってんのか?」
アルさんは、厚顔だ。平気で、そんなことを言う。エリシアさんの気持ちなんて、私たちは知らないし、マルセルさんの本当の気持ちだって、私たちは知らない。だから、それは押し付けかも知れない。けれど、
「命をかけるにゃ、大儀が必要だ。何者にも否定できない、立派な、命を懸けるに等しい奴がな」
そして、アルさんは言った。
「だが……冒険活劇の主人公なんてのは、惚れた女を助けるついでに、世界を救うくらいで、ちょうどいいんだよ!」
剣が、振り下ろされる。
「僕は──」
マルセルさんの呟くような声が、私たちの耳に届いた。
「彼女を助けたい」
「何故だ、マルセル。言えよ。主人公だろ?」
「僕は……彼女を──愛しているからだ!」
「ダガー!!」
アルさんの声が響く。
と、同時に、今まさにアルさんの肩口に振り下ろされんとしていた騎士の、その剣を握っていた腕に、矢が突き刺さった。
軌道がそれる。
アルさんの横の地面を、剣先が叩く。
「ローグが、敵の前に、姿をさらす訳が無かろうよ」
私たちの遥か後方、丘の近くでクロスボウを構え、にやりと笑うダガーさんの声が、聞こえたような気がした。
「雑魚はおいとこーぜ?」
とばかりに、再び矢が空を裂く。
過たず、それは最奥でエリシアさんに剣を向けていた鞍上の騎士の肩口を射貫いていた。
「おのれ、貴様ら!」
騎士たちが動く。
二人の騎士が、剣を大上段に構え、アルさんへと躍りかかった。
「聞いたな、皆の者!」
アルさんは腰の剣に手をかけ、言った。
「大義はできた!」
「そんなん、気にする人ですか、あなた」
「するよ、命をかけるにゃ、大義が必要だ!」
にやりと笑うアルさんに、甲冑を着込んだ二人の騎士が、渾身の力でロングソードを振り下ろす。しかしそれを、暗黒騎士の巨大な両手剣が、火花をちらして受け止めた。
「アルさん!」
暗黒騎士、レイさんの声に、
「おうよ!」
応えたアルさんが、そこに飛び込み、騎士の鎧の隙間に剣をねじ込んで弾き飛ばした。
どうと吹き飛んだ騎士に、
「おっとー! おもわず、やっちまったー!」
「やっちまいましたね!」
構え直す二人は、国家騎士団に反逆しているというのに、とてもとても生き生きとして見える。いや、見えるというか、してる。
「エリシア!」
マルセルさんは立ち上がり、叫び、走った。
向かう先は、上質な鎧に身を包んだ騎士が、鞍上から剣の切っ先を向けていた先、彼女の元──人と、エルフの間に生まれた、少女の元。
「行け!」
叫ぶアルさんに、私達も走った。
動き出す騎士団。私達の行く手を遮るように動く。が、レイさんの巨大な両手剣がそれを薙ぎ払い、生まれた隙間を、アルさんがこじ開けた。
「行け行け! ゴー!!」
私は、その隙間を駆け抜ける。
「冒険活劇の主人公は、こうでなければなりませんね!」
剣を振るうレイさん。
「だな!」
応えるアルさん。
走る、彼女の想い人。この国の未来を変えうる力を持つ、彼の行く手を遮る者を、私たちは斬り払う。
物語の主人公は、私じゃない。けれど、
「やってやれ!」
アルさんの声が、私の背中を押す。
「勇者ちゃん!」
私の信じた剣が、陽光に煌めく。
そして私は、彼と併走し、彼が彼女の手を取るのを確認して、鞍上の騎士に向かい、引き絞った剣を突き出した。
「おのれ!」
騎士の右手が、私の剣先にかざされる。ガントレットで護られた手とはいえ、私の剣なら貫ける。確信があった。私は躊躇せず、強く、その剣を、そのまま突き出した。
しかし、私の剣は、ミスリルの輝きを持つ籠手を貫きはしたものの、その奥の肉を貫く事はできなかった。
「!?」
感触が、まるで岩でも打ったかのような──違和感に、
「マルセルさん! 離れて!」
叫ぶ。
隣に、頼もしいが、厚顔な相棒が躍り込んで来る。
「そう来なくちゃだろう」
「ええ、多分──」
私は言った。
「あれは、人間じゃない」
鞍上の騎士の、砕かれた籠手の中の右手は、三倍くらいの大きさに膨れ上がっていた。
「おのれ……」
地を揺らすような低い声で、それは言った。
「何者だ、貴様ら……」
「通りすがりの、エキストラだ!」
「そこは、正義の味方って言っときましょうよ」
レイさんが私たちの前に出て身構える。そして私たちの後方に、チロルさん、ネリさん、ニケちゃん、そしてエルさん、ダガーさんもやって来て、身構えた。
「あれはなんだ?」
呟くアルさんに、
「まぁ、とくとご覧あれ、ですよ」
レイさんが背中越しに笑った。
「忌々しい……フローラのガキどもめ……!」
地を這うような怒りに満ちた声と共に、騎士の鎧が、内側からばちんとはじけ飛んだ。
騎士の身体が膨れ上がり、二倍にも、三倍にもなって……馬が嘶き、重量に押しつぶされてのたうつ。しかしそれを、邪魔だとばかりに元騎士であったそれは、巨大な爪の生えた足で押しつぶして、いともたやすく絶命させた。
「こいつ……」
アルさんが口元を曲げ、漏らしていた。
「オーガか……」
私たちの目の前に現れたのは、身の丈三メートルは優に超えるであろう、緑色の肌に、頭に二本の角を生やした、巨大な化け物の姿であった。
オーガと呼ばれたそれは、左肩に刺さっていた矢を乱暴に引き抜き、汚いざんばら髪を振り乱し、私たちに向かい、口汚く言い放つ。
「クソ忌々しい、小さき貧弱な生き物どもめ! 面倒だ! 貴様ら全員、ここで殺して、その心臓を食らってくれる!」
「ちなみに」
言葉を受け、剣を構えつつのレイさん。
「このゲームのオーガは、変身能力があるタイプで、殺した相手の心臓を食らうと、6時間の間、その相手の姿になることができます」
「それで、絶対にここで休憩するって言ったんだな」
「いやー、ネタバレすると、さすがにこのイベント、シラけますしね」
「まぁ、オレは気にせず撃ったが」
と、ダガーさん。
「いや、しかし、ナイスタイミングだったぞ、ダガー。あとでおにぎり握ってやる」
「いらねぇ……」
「しかし……」
アルさんは剣を握り直し、オーガを青眼につけ、言った。
「それで王国の中枢に潜り込み、争いを続けさせて国を疲弊させ、再侵攻をもくろんでいたのだな?」
「や、そこまでは言っていませんが……」
「そういうことにしてしまおう。スケープゴートは必要だ」
にやりと笑う。
「どうせ、だれも見てねーんだ」
完全に悪役の台詞だが──私たちの大義の前には、些細なことだね。
「いこう」
「おう!」
私の言葉に、相棒が返すのと、ほぼ同時に、
「かまわん、貴様らもやれ!」
と、眼前のオーガが言ったか思うと、背後で複数の悲鳴が立ち上がり、振り向くとそこには──
「ええっ!?」
「まて、聞いてねぇ!」
「いやいやいや、私たちも知りませんでしたからね! っていうか、フルパーティで、ほぼ全員がシンクがかかってる状態ですから、ある程度は覚悟していましたが──!」
背後に、オーガが二体、いた。
「まさか、合計三体相手とは!」
元騎士であったであろうその化け物は、周りにいた騎士たちを、手にしていたショートソード程の長さに見えるロングソードを振り回し、無差別に切り払っていた。
響く悲鳴と、倒れる騎士達。難を逃れた者達も、浮き足立って、散り散りに逃げ出していた。
私たちはレイさん、チロルさんを南北に構え、円形に陣を取る。
オーガは、三方向から、私たちを取り囲むように、にじり寄ってきていた。
「どうする、レイさん」
背中のレイさんに、チロルさん。
「どうしますかねぇ……正面に持ってきて、二人で抱えますか?」
「オーガ三体か……いけますかね?」
チロルさんは盾を構え、
「こっちの二体回したら、抱えられます?」
「んー……まぁ、なんとかなるでしょう」
「ではそれで」
「了解」
「ってか……」
アルさんが呟いていた。
「オーガって、つえーの?」
「まぁ、ぶっちゃけ」
ネリさん。
「普通にコンビか、ライトパーティくらいですと、一体だけでも、初見は全滅しますね」
「しかし、大見得切った手前、ここで死んだら、モニターの向こうの皆さんの笑いもの! やってやりますよ!」
レイさんは巨大な両手剣を目の高さで構え、その切っ先を眼前のオーガへと向けた。
「でも、MP切れたら死ぬんで!」
「回復しますよ~」
「いざ!」
短く叫び、チロルさんは飛び出した。
「間通すぞ! 散開!」
ダガーさんが叫ぶ。と同時に、皆が左右に割れて走り出した。えっ!? と私が左右に視線を走らせるのと同じように、オーガも左右に首を振って狼狽えた。ところに、チロルさんが投げたシールドが、その首筋をがつんと打っていた。
「勇者ちゃん!」
アルさんの声。
「左右に散れ!」
「えええっ!?」
「勇者ちゃん! かわしてよ!」
チロルさんに声に、見ると、チロルさんはすでに南西方向にいたオーガの後ろへと回り込んでいた。そしてそこへ、盾をぶつけられたオーガが駆け足で腕を振り上げ、躍りかかろうとしていて──腰だめに構えたチロルさんの槍が、強く、光を放つ。
あれは、見たことがある。対トロール戦の時に、チロルさんがトロールを吹き飛ばした突進技だ。チロルさん、オーガ二体、そして私。直線上にいる。つまり、
「ブランディッシュ・スピア!」
どぉん! という爆音と共に、チロルさんがオーガ二体に槍を構えて突進した。私は「わあぁぁあ!」と、横に飛び、なんとかそれをかわす。間を通すとは、そういうことか!
突進に突き飛ばされたオーガが、左右に割れた私たちの間を抜けて、レイさんの脇を抜け、その正面へと、押し出されていた。
「むぅん!」
強い唸りと共に、レイさんの身体から、暗黒の炎が燃え上がる。
「ブチまけろ!」
燃え上がる暗黒の炎を剣にまとわせ、レイさんはそれを横薙ぎに振り抜いた。
「ダーク・アンリーシュ!」
振り払われた剣先から、前方広範囲に暗黒の炎が撃ち放たれ、三体のオーガの身体をそれが包み込んだ。ごうと巻き起こった嵐のような風と炎に、オーガの姿が陽炎のように揺らめく。
「むぅ! しかし、いっきにMPが三分の一になりましたぞ! 死にたくなければ、トランスファーPlz!!」
「死にたくはないので~」
下がるレイさんの背後にエルさんが付き、その背中に手を当てて詠唱する。入れ替わり、宙を回転して戻ってきた盾を手にし、チロルさんが前へと飛び出した。
「たたみかけましょう! B!」
「いちもらい!」
ネリさんが杖をかざして詠唱を始めるのと同時に、ダガーさんが飛び出した。
「に」
ネリさん。
「さん!」
ニケちゃんが続く。
「テンポはえーわ!」
アルさん。
「こけてねーで、いけ!」
と、足下の私に向かって言う。
「いや、もうちょっと、作戦とか、事前に……」
「臨機応変にって、習っただろ!」
「誰にだよ」
「じゃあ、マルセルとエリシア、よろしく!」
と、アルさんは右手のエリシアさん、左手のマルセルさんを私に押しつけ、
「つなげりゃ続く! よん!」
と、剣を振るい、駆けた。
「ちょ……!」
とりあえず立ち上がり、私は二人を背にかばった。
暗黒の炎を打ち払い、オーガが咆哮と共に、再び姿を現していた。
三体のオーガは、ざんばら髪を振り乱し、手にしていた剣を大上段に構え、怒りをあらわに吠えあげている。
「弱い犬ほど、よく吠えるってもんだぜぇ!」
その眼前に、ダガーさんが両手に短剣を逆手に構え、飛び込み、
「ファスト・バイト!」
その緑の巨体の腹へ、両手にしていた短剣を、縦横無尽にたたきつけた。
地を揺らすような唸りと共に、一体のオーガの身体が、背後へとのけぞる。後ろにいたオーガの身体に、それは寄りかかるようになって、二体の動きがそこで止まった。
「ナイスですね、ダガー!」
「だろ!」
身を翻し、飛びすさるダガーさんに続いて、呪文の詠唱を終えたネリさんが杖を突き出し、最後を結んだ。
「アイス・ストーム!」
オーガ二体の周りに生み出された氷の嵐が、ガラスのような氷片をまき散らし、その身体を切り刻んだ。巻き起こる風に、私は顔を護るように手をかざし、後ろの二人をかばっていると、
「これ、ニケ、いいとこもらっちゃうなー!」
その耳に、ニケちゃんの声が届いた。
「ライトニング・レイ!」
引き絞られた弓から放たれたのは、一本の光の矢。それは光芒となって、重なっていたオーガ二体の頭を打ち抜き、遅れて、ぼっ! と短い音が響いたかと思うと、一体の頭が吹き飛んで、もう一体の頭の半分も削り取られていた。
「え? ちょっと君たち、本気すぎません?」
回復魔法を背中に受けながらのレイさんのつぶやきに、
「惚れた女のためならばー!」
その脇を走り抜けていくアルさんが、叫んでいた。
「いかなる障害も、粉骨爆砕!」
アルさんはそのまま、頭が半分吹き飛んだオーガに飛びかかる。その手に握られた剣の軌跡が、片目だけになったオーガの、驚愕に見開かれた目に映っていた。
威嚇するように吠えあげるオーガへ、
「セプト・エトワール!」
突き出された剣の七連撃。まさかのそれは、覚えたての、一度も成功を見た事がないアルさんの隠し技であった。が──
「げっ!?」
まさかの五撃目の所で、狙いを外した剣先がオーガの角に当たり、ぐにりと曲がって、折れた。
血塗れの片目で、オーガがアルさんを捉える。横薙ぎに振り払われた、剣を握るオーガの右腕が、空中のアルさんをはたいて、その身体を地面にたたきつけた。
ばうんと地面に叩き付けられて弾んだアルさんに、
「アルさん!」
叫ぶ私に、
「シルフ! 風の加護を! 知られざる生命の精霊よ! 彼に癒やしを!」
エリシアさんの声が続いた。
ばうんと跳ねたアルさんは、空中でふわりと身体の向きを変えた。かと思うと、そのまま後方宙返りのような格好で、地面に片膝を突いて着地した。
「おお! やべえ! 死んだかと思った!」
「今、すっごい面白い勢いでHPバーが消えたかと思ったら、逆再生みたいに回復しましたね」
何で半笑いなんだ、レイさん……
「マジ、一撃で死ぬレベルなん? こいつら」
「まぁ、タンク以外が直撃を食らうと、そんな感じですね」
言い、レイさんは剣を構え直し、再びチロルさんの横に並んだ。
「あー、手負いで、二体残っているのは嫌ですねぇ」
「このオーガも、アレ、やるんですかね?」
「さあ? どうでしょう。私、このレベルの時にボスで出てきたオーガとは、タイマンしかしたことないんで……」
「私もないなぁ……」
何やら不安な話をしているレイさん、チロルさんに、
「やってくるんで、注意してください」
ネリさんが言って、
「マジですかー」
レイさんがため息を吐いていた。
眼前の、頭半分を失ったオーガは、息を乱し、激しくヴーヴーと唸っている。その後ろに控えている、未だ無傷の、元騎士団長であったオーガは、
「クソが……」
と短く呟いたかと思うと、その左手を一瞬天に翳した後、目の前にいたオーガの背後から、その左胸を突いた。
「なん!?」
「やりやがった!?」
私、アルさんが短く声を上げた。
頭半分を失ったオーガは、先のオーガに背中から突かれ、左胸の中にあった心臓を、その左手に握り取られていた。
「人間ごときに後れをとるオーガなど、生きているだけで恥だ。恥さらしは死ね!」
そして、
「死して、我が贄となれ!」
どうと倒れたオーガの背後で、その心臓をえぐりし出したオーガは、それをがぶりと食った。
「うお、やりやがりましたね!」
「きっついなぁ……」
前線のレイさん、チロルさんが深く構える。
心臓を食ったオーガーが強く吠えあげると、その緑の身体中を、オーガの血の色によく似たどす黒い赤が駆け巡り、
「死ね! 脆弱な、フローラのガキども!」
白く濁っていただけの目を赤く光らせ、オーガは大上段に振り上げた腕を、前衛の二人の頭上にたたき落とした。
「ふぬ!」
「むん!」
両手剣を横にしたレイさんと、左手の盾をかざしたチロルさんが、それを二人で受ける。ずん! と強い衝撃が大地を揺らして、衝撃に巻き起こった砂塵が、風と共に私たちを撃った。
「……受けたか」
地を這うようなオーガの声。その巨躯は、目に見えて大きくなっている。
「ごぉぉ……全快だったはずのHPが三分の一もふっ飛んで、MPが半分に……」
オーガの拳と、つばぜり合いのような形になりながら、レイさんは口元をゆがませていた。
「まずいな……盾の耐久が持たない……外しますよ?」
「せめて、トランスかヒールをしてからでお願いします」
「トランスで」
「三発くらいは耐えられるかなー?」
「エリシア!」
アルさんが叫んでいた。
「さっきのやつ、あと何回いける!?」
「あ、はい!」
私の背後のエリシアさんが、とっさ、かけられた声に身を固くしつつ、返していた。
「か、回復なら一回が……」
「よし、レイシュ!」
「はいな」
「一回は死ねるぞ!」
「ひどい!」
言いつつ、レイさんとチロルさんは息を合わせてオーガの拳を押し返し、背後に飛びすさった。
私たちは、再び一丸となって、オーガと対峙する。
前線にレイさん、チロルさん。
その後ろにアルさん、エルさんが並び、ダガーさん、ネリさん、ニケちゃん、そして私。その背後には、マルセルさん、エリシアさんと続く。
「トランスします」
「最初に突っ込んで引きつけますが……正直、一分はもたないかも知れません」
前衛が体勢を立て直しつつ、言う。
「都合、フェーズ3なんで、これを押し切ってしまえば、我々の勝利ですが……押し切れるかなぁ」
「アタッカースタンスから、私起点で、途中でスイッチします?」
「うーん……練習の感じから、いけるとは思いますが、タンクの一存では……」
「よし、それで」
「早ッ!? 躊躇なッ!?」
「悩んだって仕方ねーだろ」
と、アルさんは言った。
「俺、武器ねーし」
私たちに見せる右手には、折れた剣が握られていた。
いや、そりゃ、
「七連撃なんて、成功したこともないようなことをするから……」
ため息混じりの私に、アルさんは「いやいや」と、折れた剣をふりふりしつつ、言った。
「五連撃以上撃てるなら、クロス・アンド・ピアースの三連撃より、セプト・エトワールの方が、ダメージ期待値は高い」
「しかし、失敗して、死にかけていたような?」
「気のせい」
「HPバーが真っ黒になったのは、目の錯覚ですね~」
「なに、一回はエリシアが回復してくれるって言ってんだ。死ぬ気で死ね」
「早い者勝ちか」
「死なば諸共」
「死して屍、拾うものなし」
いつものやりとり。
私の後ろにいたマルセルさんが、そのやりとりを受け、やっとという感じで、
「君たちは──」
ぽつりと呟いた。
「何故、そこまで──」
マルセルさんは言葉を濁す。まぁ、そうだろう。正直、私たちも──
「特に理由はない」
「さすがです、マスター」
「ノリと勢い」
「ひどい話だよ」
私は軽く口許を緩ませ、苦笑した。
「でも、好きな女の子を助けたいという人に力を貸すのに、それ以上の理由がいりますかね?」
「毒されてますよ~、勇者ちゃん~」
まあ、アルさんが言いそうな事を、そのまま、言ってみただけだしね。
「だだし、イケメンにかぎる」
おう、向こうの方が、一枚上手にひどかった。
「……しかし、僕たちの問題で、君たちを巻き込むのは──」
「なに、こっちにだって、打算はあるさ」
アルさんはニヤリと笑って続けた。
「王になれ。マルセル。そして、貴石が赤く輝く様を、俺たちに見せてくれ。あわよくば、それをくれ」
「正直だなぁ……」
「ひとりはみんなのために」
「そういう使い方じゃ無いだろうというのは、わかる」
マルセルさんはアルさんの言葉を受け、ひとつ小さく頷くと、腰の剣を引き抜いて、
「アルさん」
それをアルさんに向かって投げた。
「使ってください。僕には、少し軽すぎる」
「おう」
マルセルさんから投げ渡された細剣を逆手で受け取り、くるりと回し、アルさんはそれを青眼につけた。
「スチールか……まあ、ないよりましだな。星マークが気になるが……」
「星!?」
レイさんが、驚いたように声を上げていた。
「いくつですか!?」
「三個」
「星3!?」
「ここで、スチールの星3とかでるんですか!?」
ネリさんも、びっくりしながら、続いていた。
「いいですかアル。星は、一つにつき、IL最低保証5です。3は15保証ですから、HQよりILが高くなります。所謂、業物クラスです」
「お、マジだ。ILたけぇ。クエストしてない分、帳尻あわせか?」
「それは……ありえますね……」
「まあ、みんなはもう知っていそうだけれど、所謂、ウチに伝わる、家宝みたいなもんさ」
「いいのですか~」
「安いものだよ」
そう言って、マルセルさんは笑った。
「救国の英雄に渡す、報酬にしてはね」
「やめてくれよ、そういうの」
「君が言ったんじゃないか」
そう言って、マルセルさんはネリさんから手渡されたブロードソードを手に、アルさんの隣に並んだ。
その横顔に、アルさんは笑い、言った。
「LAは譲ろう」
「LA?」
「ラストアタック。決着は、任せるって事さね」
「なるほど──任されよう」
そして二人は、前を向いて、笑った。
「お話し合いは、終わったか? 脆弱な人族」
オーガは左手のロングソードをぶらぶらと揺らしながら、右手のロングソードで首筋を叩きつつ言う。
「貴様等がいかな攻撃をくりだそうとも、蹴散らしてくれよう。我が、覇道のために!」
そして、オーガは強く、強く、天をつく咆哮をあげた。
緑の身体をどす黒い赤が駆けめぐり、その目が再び赤く輝く。
「では、私が切り込み、チロルさん起点で!」
「いち!」
「ニケ、に! ガードはぐ!」
「じゃあオレ、さん」
「レイさん、そこでスイッチで」
「では、その前に四で吹っ飛ばしますので、折り返し」
「あまりダメージでる魔法はないのですが、その後に入りましょうか~」
「なら、私がその後、派手にやりましょうかね」
「縁起を担いで、七で七連撃、先に行くぜ?」
「取りこぼしたら、フォローしてあげよう」
そして私は、マルセルさんに向かって笑いかけた。
「最後、頼みますよ。主人公」
「いざ!」
レイさんは身体から暗黒の炎を立ち上らせ、大上段に両手剣を構えた。
「勝負!」
ごうと渦を巻いた炎を剣にまとわせ、
「プランジ!」
オーガの懐に一瞬で切り込み、大剣をオーガに叩きつける。しかし、オーガもそれを見切ってか、両手で剣をクロスさせ、大剣を胸の前で受け止める。
「いい太刀筋だが、届かんなぁ!」
「暗黒騎士を、なめてもらっては困りますなぁ!」
にやりと笑い、レイさんは「ふん!」と、踏み込んだ足に力を入れ直した。びしっと大地がひび割れるのと同時に、黒い炎が湧き上がり、剣先からそれが、オーガの身体を包み込んだ。
「オオォ……!? おのれ……!」
暗黒の炎の中、オーガは唸り、大きく振り上げた右手の剣を、レイさんに向かって真っ直ぐに振り下ろす。
「潰れろ!」
「御免被る!」
渦巻く黒い炎と剣が、振り下ろされた剣を、烈火の中で受け止めた。
ずんと響いた大地の裂ける音に、舞う砂塵。その砂と炎の中から、白く輝く鎧の騎士、チロルさんが両手槍を手に、飛び出していた。
オーガが目を見開き、左手をかざす。そこへ、
「ヘビー・スラスト!」
その左手を弾き飛ばす勢いで、チロルさんは槍の一撃を突きいれた。
オーガの左手に握られていた剣が、宙を舞う。
「鷹の目かーらーのー!」
弓を引き絞るニケちゃんの右目が、金色に輝く。
「地味な部位狙い!」
ひゅん! と撃ち放たれた矢は、不格好に左手をあげた状態になっていたオーガの右目を射抜いた。
「ウヴっ……!?」
と、オーガは呻き、左手で顔を覆ってよろめく。
「おのれ……小癪な……!」
「ローグなんでね!」
オーガが剣の握りを確かめ、再び前を向いた時、そこには既に、両手の短剣を逆手に構えたダガーさんがいた。
「いかな攻撃となるか、その身をもって、とくと味わうが良かろう!」
言い、ニヤリと笑った次の瞬間、ダガーさんの姿は消えていた。と同時に、オーガの両太ももの辺りに、ばっと血の花が咲く。
オーガが見失ったローグは、オーガの両足を斬りつけ、既に背後に回り込んでいた。そして両手の短剣を、思い切りに振り上げ、その背中に突き立てた。
「ウヴ……っ!?」
オーガが呻き、よろめいた所を、短剣を手放したダガーさんが、とびすさる勢いで蹴り飛ばす。
「ほらよ、レイシュ」
「散々、おちょくってくれましたからねぇ!」
前のめりに倒れそうになったオーガの眼前には、レイさんが両手剣を脇構えにし、立っていた。
「フローラの脆弱なガキどもが! なめるな!」
前のめりに倒れ込みながら、オーガは右手を振り上げ、レイさんの左半身を狙う。
「誘いにのるとは、所詮は脳筋バカ野郎ですね!」
それを受けるように、レイさんは大きく前へと踏み込む。足元の大地が砕け、暗黒の炎が舞い、
「渾身、撃!」
その炎を大剣に纏わせ、暗黒騎士は両手剣を逆袈裟に振り上げた。
振り下ろされたオーガの剣と、巨大な両手剣が、激しい音と閃光、そして火花を散らし、
「ぐぬぬ……!」
「グオォ……!」
鍔迫り合いの末、それはばん! と弾け、両者を猛烈な勢いで弾き飛ばした。
「し、知られざる生命の精霊よ! 彼に癒やしを!」
エリシアさんが叫ぶ。黒い炎の残り火を纏って宙を飛んでいたレイさんの身体が、白く、弱く輝いたかと思うと、レイさんはくるりと宙で身を翻し、片膝をついて着地した。
ニヤリと笑い、
「スイッチ」
「ムチャなスイッチをしますね!」
その脇を、チロルさんが駆け抜けて行く。
「シールド・チャージ!」
左手の盾をかざし、チロルさんは突進してオーガを更に奥へと弾き飛ばした。
「グオォ……!?」
呻き、オーガは巨大な爪の生えた足を立て、がりがりがりと大地を引き裂きながらなんとか堪え、
「糞ガキどもが!」
怒りに目を真っ赤に輝かせ、叫んだ。
「あまり、攻撃は得意じゃないんですが~」
エルさん。
左足を引き、左手を腰だめに構え──アルさん曰く「短音節の神聖語」である祈りの言葉と共に──その左手を突き出した。
「ハッ!!」
どん! と、大砲が撃ち放たれたかのような爆音と共に、オーガの頭が大きく後ろに仰け反る。
「……ッ!?」
衝撃に、何かを口にしようとしたオーガが、一瞬の間をおいて、ぐっと頭を前に向けた。その目は、怒りに満ちて、赤く赤く燃えている。
「たっぷり詠唱時間をいただきましたので」
杖を手に、ネリさんが言った。
「最高レベルの、ボルト魔法をご覧いただきましょう!」
頭の三角帽子のつばを、きゅっと脇にずらし、ネリさんは高々と杖を天に掲げて見せた。ひゅうと渦巻く冷気をはらんだ風の先、その杖が指し示す空に、無数の氷柱が生み出され、槍のように伸び、尖り、
「コールド・ボルト!」
詠唱の最後の言葉共に、無数の氷槍がオーガに向かって降り注いだ。
オーガの咆哮が、猛烈な氷の嵐によって生み出された風にかき消され、あたり一面を氷の結晶が包み込む。きんと、冷気が張り詰めて、生み出された一瞬の静寂を背に、
「さあ、あとは任せましたよ、主人公ズ」
ネリさんは言った。
いやいや、何を言っているんだ、ネリさん。主人公は、私じゃないぞ。
駆け出す。
アルさん、私、そしてマルセルさん。
氷片が舞う、きんと澄んだ空気の中、身を固くして守りの姿勢をとっていたオーガが、再び動き出すために深く白い息を吐くその眼前へと、私たちは飛び込んだ。
「我が──!」
巨体を撃った氷槍によって作られた、幾つもの傷跡。そこから、黒ずんだ血を撒き散らしながら、オーガは剣を振り上げて吼えていた。
「覇道を、貴様等のような脆弱なフローラのガキ共に、止められてなるものか!」
「うるせぇ、馬鹿野郎!」
最後の一歩を大きく踏み込み、アルさんは言う。
「おめぇの道に興味はねぇが、他人の恋路を邪魔する奴ぁ、馬に蹴られて死ね!」
「なめるな!」
「セプト・エトワール!」
七連撃の突きと斬りを繰り出すアルさんの剣技を、オーガは真正面から受けて立った。
最初の突きの一撃を、オーガは剣で弾いた。しかしその程度、と、反転して体勢を立て直したアルさんは、左下から突きの二撃目を放つ。が、オーガは思いも寄らぬ速さで巨体を捻り、かすり傷でそれをしのいだ。「ちっ」とアルさんが打った舌打ちにニヤリと笑い、かわす動作の中で振り上げていた左手を「死ね!」と、アルさんに振り下ろす。
過たず、頭蓋を捕らえたかに見えたその強烈な一撃は、返す刀の三撃目、アルさんの斬撃に根元から斬り飛ばされた。慣性に、左腕が血しぶきと共に宙を舞うのに目もくれず、
「くれてやるわ!」
それを犠牲に、オーガは右手の剣を振り下ろした。
「いらん!」
四撃目を払いに変え、アルさんはその振り下ろしをいなし、勢いのまま再度反転する。そして、目の前に来たオーガの顔面へと、突きの五撃目を繰り出した。
オーガは首をひねり、その一撃を頭に生えた角で受けた。巨大な硬質の角に、剣先がぐにりと曲がって──オーガの角が砕け散った。
剣先はオーガの頭をかすめ、
「グオォ!」
体勢を崩しながらも、オーガは右手の剣を空中のアルさんに向かって、斜め上から振り下ろす。
「!?」
突きを繰り出した姿勢のまま、半身の状態のアルさんは、迫る刃に目を見開いた。かわせない。一撃で確実に命を削り取る凶刃が、迫る。
ので──私はその背中を、思い切りに蹴り飛ばし、踏み台にしてやった。
「ふご!?」
「いつぞやの、お返しだ」
私とアルさんの間に生まれた空間を、凶刃がすり抜けて行く。
蹴り飛ばしたアルさんに体当たりされ、オーガは半身になってたたらを踏んだ。
「おのれ……!?」
と、私に向かって振り向く。
背後──私は剣を引く。
オーガが、目を見開いた。
その目に私の剣の輝きが、映り込んだ。
「セプト・エトワール!」
突きからの七連撃。
私はそのすべてをオーガの身体にたたき込み、最後、強烈な閃光を纏った突きの一撃で、その巨体をどうん! と大きく、彼方へと弾き飛ばした。
石造りの建物を、その巨体で粉々に砕いて倒れたオーガが、満身創痍の身体で、ゆらりと立ち上がった。
「おのれ……」
その口から、怨嗟の声が漏れる。
「貴様ら、フローラのガキ共に、フィロソフィーズ・ストーンなど過ぎた物……何が、神の石だ……その力の、片鱗すら知らぬくせに……」
よろよろと、大地を踏みしめ、オーガは迫る。
「石を、よこせ……もはや、戴冠式での覚醒など待てぬ……貴様の腸も、心臓も、石も、すべて飲み込んで、我こそが、王となるのだ!」
ただ一点、エリシアさんを見、手を伸ばし、歩み続けるオーガの前に、
「お前は、この国の王にはなれない」
マルセルさんが立ち、手にした剣で、オーガの心臓を突いた。
「お前たちには、何も渡さない」
オーガの動きが、止まる。
見開かれた目が、真っ直ぐな、曇りのない輝きで言葉を放つ青年の姿を、写していた。
「お前には、渡さない。彼女も、彼女を愛した者達の、思いが込められた石も。そして、この国も」
「お前が……王になど、なれるものか!」
「すべてを背負い、僕以外の誰が、王になれるというのだ!」
剣を、引き抜く。
ぐらりと揺れたオーガが、最後の力を振り絞り、右手の剣を振り上げた。
「神になるのは、オーガの王たる、我のみ!」
「この国に、神などいない!」
振り下ろされる剣に向かい、新たな王は、その剣を逆袈裟に振り抜いた。
「いるのは、愛する者を守れなかった王と、諦めた王と、持たなかった王とそして──この命を懸け、守ると誓った王だけだ!」
一閃がオーガの身体を切り裂いた次の瞬間、全てをかき消す衝撃波と共に、オーガの身体が光の粒となって霧散した。
光の中、散った宝石の欠片のようなそれが、ゆっくりと、消えていった。
ギルベルト伯領の、深い深い森の中。
古城と言っても差し支えないようなその城の中庭に、私はいた。
午後の陽光が降り注ぎ、森の鳥達の声が届く、うららかなその場所に、
「こんなところにいらしたんですか、勇者様」
「やめて」
私を認め、そんなことを言って笑ったマルセルさん。
「え? 勇者様は、勇者様でしょう?」
「そうよ、勇者様」
「笑いながらいうの、やめてください。エリシア妃」
「やめて」
私たちは日溜まりの中で笑う。
屈託なく。
「なにを?」
中庭の三人を見て、マルセルさんが言った。
「あー……なんだろね」
中庭には、アルさん、レイさん、そしてギルベルト伯爵がいた。
「じゃ、俺からいくぜ」
ふんと鼻を鳴らし、アルさんはすらりと剣を引き抜く。
「手加減はなしでいいんだな、勇者様ご一行」
「勇者ちゃん以外は、ただの通りすがりの冒険者だ。手加減などいらぬ」
いや、何言ってんだ。あなたが勝手に私の名前でギルベルト伯爵に信書を書かせたんだろうが。私も通りすがりの冒険者側ですが何か。っていうか、そっち側でいたい。
「ギルベルト伯と、模擬戦ですか?」
マルセルさんが聞いた。
「なんか、アルさんとレイさんが、どうしてもと……」
よくやるよ、と、私は軽く口元を緩ませ、息をつく。
あの後、私たちはここ、ギルベルト伯領の城へと、そのまま戻ってきていた。アルさん曰く、「このまま王城に登っても、今回の件、そのまままるっと、信じてもらえるとは思えん」「本当は?」「正直、もう眠い!」「げー、リアルで夜が明けるぞ」「何年ぶりですかね~」「まあ、明日休日ですし」「私、夜勤あるんですが?」
まあ、細かい話は置いておいて、一端ここへと戻った私たちは、ギルベルト伯に事の経緯を報告し、ギルベルト伯爵名義で、ガイザー将軍へと信書を送っていただいたのだ。内容的には、「オルドヮとニーケの争いは、オーガが裏で糸を引いていたという事にしよう。スケープゴートは必要だ」「悪い人ですね、あなた」「騎士団に残党が居るやも知れない。ガイザーに恩を売る訳じゃないが、チクって、粛正の機会を与えよう。がんばれ、ガイザー」「ばりばり売ってんな、恩」「手を出さないだけ、割引価格だろ?」
とまあ、なんやかんやあって、「お前たちの功績については、なにかしたためた方がよいか?」と言うギルベルト伯爵に、「いや、そういうのは面倒だからいらない。箔が欲しければ、導師エル様と共に旅する勇者様が、その悪事を見抜き、打ち倒したとでもしておくとよいかもしれん。最高司祭様も跪く、勇者ちゃんだ」「なるほど。大層な箔だ。そうしよう」「ナチュラルに利用されてますよ~」「やめて!」
そんなこんなで、私の預かり知らぬ所で、なんかもう……どうなっているのか、余り考えたくはない感じで……
ともあれ、王都へは早馬を使っても二、三日はかかる。しかもその後、色々な根回しだの調整だのがあるだろうから──と、私たちはすでに、七日ほどこの城に滞在し、事後処理待ちと言う建前の、暇な時間を持て余していた。
「ぐっふー……」
おお、さすがはギルベルト伯爵。強い。
「さて、では、次は私ですね!」
腕まくりのレイさん。
「パーティー、抜けてもやれますかね?」
「いや、流石に無理じゃね?」
「くぅ……ならば仕方ないですね」
よくやるよ。
と、息をついたところに、
「マルセル」
声をかけてきたのは、あのエルフの里の長老であった。
「こんなところにいたとは。探しましたよ」
「ああ、長老殿。お帰りですか?」
マルセルさんは軽く笑って返した。イケメン。さすが。しこりはないように見える。
長老さんは、今朝方城へ訪れ、伯爵と何事か会談をしていたようだった。その後、実務者間での協議を行ったようで、あの日見た、思い詰めたような表情はすでになく、少し、晴れやかな顔に見えた。
「マルセル」
そして長老は、おもむろに頭を下げた。
「君のことを知らなかったとは言え、すまないことをした」
「よしてください」
マルセルさんは軽く笑う。しかし、長老は深く頭を下げたまま、続けていた。
「いや、これは、この国で生きるエルフの長としての、けじめだ」
「よしてくださいよ」
そう言って、マルセルさんはアルさん達の方を見た。
あれま、レイさんもギルベルト伯爵に敗れて、中庭に座り込んでいたアルさんに笑われているじゃないか。何をしているんだか、と言う彼らを見て、
「僕も、覚悟が足りなかったんですよ」
そう言って、マルセルさんは目を細めて微笑んだ。
「おーう、暇そうだな」
と、中庭に現れたのは誰であろう、ダガーさんだ。
「取りこぼしたクエスト、消化してんじゃねーのか?」
「あー……夕方から、警邏隊の巡回に参加するそうですけど?」
「ああ、はぐれ狼のやつか……オーガ討伐後も出るんだな」
ふうんと唸ったダガーさんに、
「僕も、参加しますよ」
と、マルセルさん。
「へぇ、じゃあ、ウルもか」
「ええ。参加します」
「ってか、次期王がそんなもんに参加して、怪我でもしたら、どーすんだ?」
「大丈夫ですよ」
「私が癒やしますから」
打てば響くと言った感じのやりとりに、おおぅと私は悶えてしまう。やめてエリシア。初々しすぎて、悶え死ぬ。
「そうか」
ダガーさんは笑った。
「あ、で、王都だが、オーガの残党狩りは、順調みてーだぞ。ガイザーとベアトリーゼが共同で声明を出してな。王都は今や、オルドヮだニーケだなんて話はほとんど聞かなくなって、打倒オーガと、そのオーガを倒した、名も知れぬ正当王位継承者の話で、持ちきりだ」
「やめてほしいなぁ」
マルセルさん、苦笑。まんざらでもないくせに。
「王になるってのは、そういうもんだろ?」
「言ってみただけですよ」
軽い笑い。ほら、まんざらでもない。
隣のエリシアも、くすっと吹き出している。
「あ、って事は、ベアトリーゼとガイザー将軍も、マルセルさんの事を認めてるって事ですか?」
聞く私に、
「まあな。血筋は元々問題ねぇし、この国の王になるには、最高司祭から戴冠を受けるのが正しいんだろうが……」
ダガーさんは顎をさすりながら、
「こっちの後ろ盾は、その最高司祭様より格上の導師様だしな。逆らえる者はいない」
ニヤリと笑って、悪者顔。権力危険。エル様の乱用には、気をつけましょう。
「そして──その導師様のお仲間で、次期王を支えたという勇者様に関しては、王都で様々な噂が飛び交っている」
「やめて」
「どんなです?」
「甘いマスクの青年騎士だとか、神の力を宿した少年だとか、まあ、いろいろだな……」
「やめて」
「しかたねーから、実は可愛い、美少女勇者ちゃんなんだぜって、噂を流しといた」
「やめて!」
お外、歩けなくなっちゃう!
そしてさらに四日、日は流れ、古城の城下町。
その広場。
斜めに差し込む朝の光が照らすその広場には、みんなの姿があった。
「凱旋ですね」
レイさんが言う。
「いや、私を置いて進めていてもよかったのに」
と、チロルさん。
「ダメですよ~」
言うエルさんに、ニケちゃんも続いていた。
「そうですよ、チロルさんも、大事なパーティーメンバーなんですから。ちゃんとエンディングには同席しないと」
「本音は?」
ダガーさんの投げかけた質問に、
「大事なタンクで、しかも新登場の人気キャラ、手放してなるものかー」
って、最低だな、ネリさん。
「って、アルが言ってました」
本当に最低だな、アルさん!
って、本当に言っていたかどうかはともかく、そんな陰口など、そよ風ほども感じないであろう本人はと言うと、見送りにきた町の人たちの中、ウルさんと話すマルセルさんの、その隣にいた。
いや、より正確には、そのウルさんの隣の、ウルさんの奥さんから、何かを受け取っていた。
「ちょちょちょ!」
慌てて、行く。
「なにしてんですか」
「おう、勇者ちゃん」
アルさんが奥さんから受け取った、羊皮紙のハギレのようなメモを覗くと、なにやら、レシピ?
「あ、あの、あまり、字は得意ではないので……」
と、奥さんは頬を染めて言う。
「こ、これは?」
「この前ご馳走になった、ミートパイのレシピを頼んどいたんだ。ダガー、食ってねぇし、今度作ってもらおうと思って」
「……紛らわしい」
「は?」
なんでもねーよ。
さて、隣、マルセルさんとウルさんは、
「ほら、アスベル。マルセルにバイバイして」
と、ウルさんの息子、アスベルくんを挟んで笑いあっている。
アスベルくん、多分、全然分かっていないんだろうなぁ。「あー!」と、声を上げ、マルセルさんを指差ししている。かわいい。マルセルさんの隣のエリシアも、くすくすと笑っている。
「じゃあまたな。アスベル」
と、マルセルさんはアスベルくんの頭をなでた。
「ほら、アスベル。ありがとうして。次期王に、お言葉を賜ったんだぞ」
「よしてくれよ、ウル」
そう言って、マルセルさんは苦笑した。
「そうだぞ、ウル」
と、レシピをポーチにしまいながら、アルさん。アスベルくんの前に座り込んで、「なー」と、不思議な同意を彼に求める。
「マルセルは、王とかそういうのには、興味はないんだもんなー。俺たちにレガリアを見せてくれる約束だから、王になるだけだもんなー」
「いやいや、なんで」
苦笑するマルセルさん。
「そうじゃないなら」
アルさんはアスベルくんの頭に手を置いたまま、マルセルさんに振り向き、笑った。
「そうじゃないなら、俺には心当たりがないな。あるとすれば、惚れた女を助けるために、王になるって事くらいか」
この男は……と、私が苦笑していると、「うー!」と、アスベルくんはアルさんに思い切り体当たりをして──アスベルくん的には、抱きついたつもりと思われる──アルさんを、べちーんと押し倒し、地面に転倒させていた。
「強いぞ、アスベルくん!」
「勇者様のお墨付きをいただいたわ、アスベルくん!」
「やめて、エリシア」
「えへ」
と、笑う。
「ウル、そんなもんさ」
マルセルさんも、笑っていた。
「だからウル、惚れた奥さんとの間にかわいい子どもがいるおまえの方が、多分、僕よりもずっと強いよ」
茶化したような、そうでもないような、そんな言葉を受けて、ウルさんはマルセルさんの胸をかるく小突いた。
そして二人は、言葉もなく、握手をかわしたのだった。
「いこうか」
馬上から、ギルベルト伯爵が声をかけて来た。
皆もすでに、それぞれの馬にまたがっている。
「行きますよ」
「おう」
アスベルくんに押し倒され、「やーめーろーよー」とか、遊んでいたアルさんも立ち上がり、
「さて」
と、お尻をはたいて、ひとつ、息をついた。
「凱旋と洒落込もうか」
長い歴史の中の王都の動乱は、王とレガリアの帰還に、終わりを迎えようとしていた。
月のない夜。
新月の夜。
王都一の大聖堂を抱えた教会前のあの広場は、王国中から集まった人々であふれかえっていた。
それを大聖堂の一室、用意された賓客用の部屋の中から見下ろし、
「夜明け前だっていうのに、元気だな」
アルさんは呟いていた。
「まあ、われわれも大概ですが」
返すレイさんは、部屋に置かれていたフルーツをもぐもぐと食べている。「お、これは初めて食べる味ですね、ダガーさん」「ほう……なるほど。これは、焼いたらどうなるか気になる味だな」
「まあ、王国的にも、数十年ぶりの一大イベントですからねぇ」
と、ネリさん。
「諸外国の賓客は、さすがに調整がつかなかったのか、ほぼ参加はありませんが」
「シナリオ的都合だろ?」
「そういう発言は禁止です」
あれから、十日とちょっと。まあ、諸外国の貴族や王家の方々が参列するには、ちょっと時間が足りなかっただろう。とは言え、この国的には、それはさして重要な問題ではない。もっと大事なのは、今日、この新月の夜。新たな王が、この国を正しく導くと宣誓する事なのだから。
「とはいえ、勇者ちゃんは、勇者ちゃんとして、ちゃんとしなければなりませんよ~」
言い、エルさんは私の肩に手を置く。強く込められる力。動けない!
「ふりふりとかにします?」
ニケちゃん。やめて。
「どうせIL関係なく、見た目だけ変えられるんですから、700越えの装備もアリですよね」
チロルさんも、やめて?
「私としては、軽装だけれど気品のある、勇者らしいのがいいですね~、この、lL800のクロースとか」
「よくやる」
と、遠くでアルさん。
たすけて。
むり。
と、目で会話。
私は今、エルさんニケちゃんチロルさんの三人に、着せかえ人形にされている。式に出るつもりはない──新王から褒章を賜るくだりの用意があるそうだが、一時間くらい前に説明された時も、頑なに固辞した──のだが、三人は私に勇者らしい正装をさせるのだと、エルさん、ネリさんの装備コレクションを前に、あれやこれやとやっているのだ。
「IL関係なしに、きれんの?」
と、アルさん。レイさんはフルーツを齧りながら返す。
「そうですね、この手のイベントのいくつかは、システム主導の固定イベントなので、好きな装備で楽しめるように、制限がなくなります。ですから、やろうと思えば、ステテコパンツで出る事もできますよ?」
「王族の前でステテコパンツって、シュールでいいな」
「シュール過ぎるだろ」
「しかも、誰も突っ込んでくれませんからね」
「面積の少ないビキニアーマーでも、誰一人突っ込みません。しかしAI本人はちゃんと認識していますんで、高度なプレイヤーは、この手のイベントで反復できるものを常に探しているそうですよ」
「ひどいプレイヤーもいたもんだ」
「お兄ちゃん、ビキニアーマーって、これ? IL400の」
「それですね」
「ひどいプレイヤーいた!?」
「やめて!」
とか。
なんやかんややっていると、私たちの部屋のドアがノックされ、正装したギルベルト伯爵が、美しいローブを纏った気品あふれる女性と、眼光鋭い騎士らしき男性を伴って入ってきた。
「楽しげだな」
「かしましいって言ってもいいぞ」
「アルさんは、失礼ですね~」
言いつつ、私のウェストを締め上げないでいただきたい。エルさん。いたたた……
「こちらは、王妃……と呼ぶべきではないな……ベアトリーゼ王太后。式典を前に、お前たちに挨拶をしておきたいとの事だ」
王太后!? 先代王のお妃様! ちょっとエルさん、腰を締め上げている場合ではありません! ってか、いたいいたい!
「冒険者らしい自由さだな」
と、王太后の隣にいた眼光鋭い男性が言って、
「私がガイザーだ。その節は、世話になったな」
と、アルさんに右手を差し出す。
「ああ、ガイザー将軍」
と、握手をかわすアルさん。
「こちらこそ、あなたのおかげでうまく行ったようなもんだ。王都をまとめてもらって、感謝してますよ」
「言うじゃないか。ギルベルトの前評判通りだな」
「いやいや、小物ですよ」
と、目をそらすアルさん。その辺、小物っぽい。とか、観察していると、
「勇者様」
と、私の前には、ベアトリーゼ王太后。
いやいやいやいや、エルさん、腰を締め上げている場合ではありません! いたたたた!
「少々お待ちください~、王太后」
「はい」
と、微笑み。あ、これ、エル様の方が立場が上なのか……
なんだかんだで正装させられた私が、ふうと一息つくと、ベアトリーゼ王太后はローブの裾を軽く摘まんで、私に向かって礼をした。恐縮。私、そんなに偉くない。
「この度は、勇者様のお力により、我らの国が救われたと、大変感謝しております」
「いやいや、私はそんな……!」
正直、私はそんなに大層なことをしたつもりはない。ただ、なんというか、あの男の勢いのままに、気がついたらこうなっていたというだけの事だ。もちろん、望んでいなかった訳ではないけれど。
「この国は、再び一丸となって、新たな歴史を刻み始めるでしょう。それはあなたのおかげです。勇者様」
「いやいや……」
「ありがたく、お言葉を受け取っておけばいいんじゃね?」
アルさんは、腕を組んで笑っている。剛胆な男だと思うじゃろ? 違うんだよ。あの人は、自分は一歩下がって、にやにやしているだけなんだ。
「マルセルが王位を継ぐが──」
ギルベルト伯爵が言った。
「たっての願いで、王笏はベアトリーゼ王太后が、宝珠は私が賜ることとなった。王は絶対ではないという、新王の思いからだそうだ」
「へぇ、マルセルらしい」
うなるアルさんに、レイさん、ネリさんが小声で話している。
「そんなパターンもあるんですね」
「いや、私も聞いたことありませんが、まあ、原型、とどめてないですしね」
「勇者様」
ベアトリーゼ王太后が、再び静かに頭を下げ、言った。
「この国の歴史に刻まれる、あなた様のお名前を、頂戴してもよろしいですか?」
「いやいやいや!」
私は両手を突き出して左右に振りながら、あわあわ、あわてて返した。
「いや、私、勇者とか、そんなんじゃないんで! 本当に! ですから、名乗るほどの者では!」
「おう」
アルさんは笑っていた。
「名もなき、勇者ちゃんだ」
うん、マジで。
この際もう、それでいいかなって……
息苦しい礼装に身を包み、大聖堂へ向かう途中、最後尾をアルさんと並んで歩いていたギルベルト伯爵が、窓の向こうの夜空を見、ふと、足を止めてつぶやいていた。
「君は、神を信じるか?」
立ち止まり、振り返る私とアルさん。
夜空を見上げる伯爵の横顔に、アルさんは笑って、言った。
「実はこう見えて、月と旅人の女神のアコライトクラスだって言ったろ。神の声は、聞いたことがないけどな」
「そうだったな」
笑い、伯爵は歩き出す。立ち止まっていたアルさんの隣を抜け、
「神代の時代から我が神は、妹神に、陰ながら助けられてばかりであるな」
「そうなのか?」
「ああ」
その後ろにアルさんは続きながら、窓の向こうの夜空に向かい、呟くようにして聞いていた。
「なんで、月のない夜の明け方に戴冠式があるのか、理由を知っているか?」
「いや……」
「そっか」と、独り言のように呟いて、
「これは俺の、勝手な解釈なんだが──新月ってのは、月が太陽と同じ方向にいるから見えないって、そういう状態なんだな」
アルさんは言った。
「つまり、その日、月と太陽は一緒に昇るって、そういうことなんだ」
「なにそれ、うんちく?」
私の言葉に、
「おう、うんちくだ」
と、笑う。
「つまり、新月の夜に戴冠式をやれってのは、その日ならアタシも一緒に昇るから、一緒に祝福してあげられるんだけど? って、そんな事を言ったんじゃねーかな、と」
「誰がだよ」
私は笑った。さすが、月と旅人の女神。この男に力を貸すだけの事はある。
「しかも一緒に昇るくせに見えないって、どんだけ恥ずかしがり屋さんなんだよ」
「おう。ま、ウチのカミサンだしな。勇者ちゃんと同じだろ?」
「いや……私は別に……」
「え? じゃあ、褒章、受けんの?」
「わかるわー、月と旅人の女神の気持ち。私にも、神の声が聞こえそうなくらいにわかるわー」
「だってよ」
言葉の先にいたギルベルト伯爵も、笑っていた。
「ま、そのくらいは、この私が何とかしておくさ。受けた恩を、返せている気はしないがな」
「いらねーよ」
私たちは笑って、本音で返していた。
「神に誓ってね」
大聖堂。
私たちは西側の二階に陣取っていた。
眼下の聖堂に並べられた木製の長椅子には、収まりきらないくらいの人が起立して、一点を見つめている。
篝火が照らす聖堂の最奥、赤く燃える光に照らし出された祭壇に、揺れる光と闇。その手前、響く聖歌隊の歌声の中、新しい王と、それを支える三人の姿があった。
大司教から宝珠を賜るのは、辺境泊、ギルベルト。
王笏を賜るのは、ベアトリーゼ王太后。
そして──幻想世界のプリンセスのような白い肌に、白いドレスの妖精──新王の隣に、美しく可憐なエルフ、エリシア。
彼女は、その頭に、銀色のティアラを賜る。
聖堂に、新王がエルフの彼女を伴って静かに現れたときには、皆、息を呑んだものだった。聖歌の響きさえも、一瞬、揺らいだかもしれない。
しかし、それはすぐに、元の静謐な聖堂の空気に戻った。受け入れる事から始めなければならないと、誰もが理解したのだろう。それは簡単なことではないと、当然、この場にいる者達は理解している。けれど、同じ国の同じ神を信じる者同士で争っていた者達が、新しい時代に進むためには、共に歩む事から始めるしかないのだ。
エリシアの頭に輝くティアラ。それは、ランベルト三世こと、ルートヴィヒ・ヴァン・ベッヘムが、晩年、私財を投じて作った様々なものの一つで、最高の職人の手による、最高の作品の一つだという。
惜しくも、完成を前にランベルト三世はこの世を去ってしまったとの事だったが、職人達はそのティアラを王の依頼通りにベッヘム修道院に納め、密かに守り続け、いつかそれを手にすべき者が現れるのを、長い間、待ち続けていたのだという。
ティアラの名は、王の依頼の中にあった走り書きから、エリーゼ・ブルートルマリン・ティアラと呼ばれていた。
その稀少な、透き通るように青く美しい貴石は、彼女の瞳の色に、とてもよく似ていた。
そして──祭壇から、大司教は王冠を両手でそっと持ち上げ、捧げ持ち、振り向いた。
皆が、息を呑む。
そのレガリアの貴石は、ゆれる篝火の明かりの中で、確かに強く、赤く、輝いていた。
ここからでもわかるその神聖な輝きに、アルさんが息を呑んで──そして、何かに思い当たったのか、ゆっくりと息を吐いた。
「アレキサンドライトか」
「ご名答です」
レイさんが返していた。
「ちゃんと、ネタバレイベントもあるんですがね。ご存知ないであろう勇者ちゃんに説明しますと、あの宝石は、周りの光によって色を変える、クリソベリルの変種なのです。石言葉は、『秘めた思い』だったかな」
へぇと、私はうなった。
あの石は、きっと、ここにいるほとんどの人たちの目には、レガリアの貴石、神から賜った王の証しとしか映らないのだろう。しかしそれも、それでいいと、私は思った。
あの石は、賢者の石でも、神から賜った貴石でもなかった。
私たちだけが、あのレガリアたちの、本当の意味を知っている。
それもいいか──と、私は仲間達を見た。
アルさんが気づき、笑う。
そして言った。
「いくか」
「え? いいんですか?」
と、レイさん。
「このあと、パーティーありますし、おいしいものも、お酒も飲めますよ?」
「一応、アレキサンドライトのネタバレイベントもあるぜ?」
ダガーさんに、
「いや、むしろ、勇者ちゃんが褒章を貰うイベント、飛ばすんですか?」
ネリさん。
「え~、せっかくおめかししたのに~」
「ニケもショックー」
エルさん、ニケちゃん、それはね、私的には、割とどうでもいいの。
「晩餐会は、確かに長いイベントですけど、スケールも大きくて、見所いっぱいありますよ?」
と、チロルさんも続いていた。
「なんだ」
アルさんは意地悪く笑って、皆に向かって言う。
「みんな、晩餐会イベントで、おめかしして配信したかったのか? そうか、気づかなかったな」
「いえ、まったく」と、異口同音。正直な人たちだよ、まったく。
「私は、おいしいお酒が飲みたかっただけです」
正直すぎる。
「いやいや、レイシュ」
腰の剣の位置を、無意味にちょっと正して、アルさんは笑っていた。
「いやいや、レイシュ。ここですっといなくなる方が、最高に酔えるだろ?」
「なるほど」
「確かに」
アルさんと同じように笑い、返す仲間たち。
歩き出すアルさんに、「やれやれ」だの、「ま、それもアリですね」「おめかしは、また次の機会ですね~」だのと口にしながら、皆、歩き出した。
みんな、わかったもんだ。
やがて朝日が昇り、聖堂を、明るく包むだろう。
祝福の陽光。
見えないけれど、見守るもう一つの光。
そんな景色を思い描きながら、私もまた、大聖堂に半身で振り向き、別れの挨拶の代わりに少しだけ微笑んでから、仲間達の後を、小走りに追った。
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