studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2018.11.04

勇者ちゃん、森を征く!

Written by
しゃちょ
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読み物
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 森に面した、小さな村、パルベ。
 その小さな村の、小さな酒場に、私たちはいた。
「いやいや、だからちげーよ」
 ダガーさんが、私の手元を覗き込みながら言う。そうは言ってもだな……
「えっと……だから、北が上で……」
「上下じゃなくて、コンパスで見ろ。ちげーだろ」
 んんんー?
「日常生活で、コンパス使って地図を見ることなんて、まあ、まずないご時世ですしねぇ」
 がぶがぶ、エールを飲みながらのレイシュさん。その台詞の通り、私は今、地図とコンパスに向かって、うんうんと唸っている。
「地図の読めない女」
 ぼそっと言ったアルさんを、キッと睨んでやる。こいつ……
「アルさん読めるなら、アルさんがやってくれればいいじゃないですか」
 言ってみた。
「俺は地図くらい読めるが、そもそも、ここにあるから、見る必要もない」
 何故か頭の右上の空間を指差すアルさん。いやいやいや、何もねーわ、そこには。
「まあ、王家の道がある大森林は、ミニマップが出ないんで、地図がいるんですけどね」
「そもそも、その地図、どこまで精度高いの?」
 ぐびぐび、レイさんとアルさんは、会話をしながら、ぐびぐび。
「そこは不思議ファンタジーなので、大分、精度は高いようですよ? まあ、ぶっちゃけ、森の中を突っ切る最短ルートでなくても、北に行って海に出たら、西に向かうのでもたどり着けるんですけどね。西の塔は」
「それだと、発掘隊のなんちゃらクエができないんだろ?」
「報酬、HQのスチール武器ですよ? 普通にやってれば、まあ、いいものですけど、すでに12Kミスリルじゃないですか」
「俺の武器! 俺、まだ、ノーマルスチール!」
「知りませんね、ネリさんに言ってください」
「ネリ!」
 と、アルさんはテーブルのネリさんに突然振り向き、声を上げた。が、しばらくネリさんは反応せず──
「はっ!? あ、すみません。ルーターが一瞬死にました。サブに切り替わったようです。で、なんか言いましたか? 貧乏人」
「聞こえてんじゃねーか!」
「ほらほら、だからあれですよ。ロングソードにランタンシールド装備で、懐かしのナイトをやりましょうよ、ナイト。私が試練の塔で手に入れた装備一式を、差し上げますよ?」
「ナイト、タンクだろ?」
「いいじゃないですか、タンク」
「タンク、フルパーティで二人もいれば良くね? レイシュと、チロルさん」
「ナチュラルにチロルさんを頭数に入れましたね……」
「フレンド登録もしたしな!」
「哀れ、チロルさん……」
 ぽそり、つぶやいた私を、
「いいからオメーは、地図に線を引け!」
 ダガーさんが、ぺちっと叩いた。
 もー、地図なんて読めないよー。

 一夜明け、パルベの村の、入り口出口。
 えーと、太陽があっちだから、西はあっちで──
「実に不安だな!」
 腰に手を当て、はっはっはと笑うアルさんこと、剣士、アルベルト。父を探す私の旅の同行者であり、私の暫定パートナーでもある。あとはまぁ、剣に関しては、師匠? あんまり、仰ぎたくなるような人物では、ないけれどね!
「さー、王家の道こと、大森林を、みんなで迷子になるハイキングですよー」
 さらりと失礼なことを言っているのは、暗黒騎士レイさんこと、レイシュさんだ。これはひどい……
「そう思うなら、マッパー、変わって……?」
「何を言っていますか。マッパーが方向音痴というのは、古典にもある、正当な属性ですよ」
「若い子にはわかんないなー」
「忘れられてしまったのですね」
「スープか」
 もう、何を言ってるのか、さっぱりわけがわからない。
「とりあえずもう、両手でマップ持て。コンパスと地図を固定して、動かすな」
 と、ローグ=レンジャーのダガーさん。……レンジャーなら、これは、ダガーさんの仕事なのでは?
「ん」
 と、両手でしっかりと持ったマップとコンパスを突き出してみたが、
「できねー事をやらなかったら、できねーままだろーが。オレらはみんな、地図くらい読めるからな」
「そうですよ」
 頭の上の、広いつばのついた黒いとんがり帽子をちょいと直して続いたのは、自称、大魔道士補佐見習い候補──だったかな?──の、ハイウィザード、ネリさんこと、ネリ・からしさんだ。
「なあに、我々はむしろ、失敗迷子を期待しているくらいなので、気軽にやっていただいて結構ですよ?」
「え? 俺、割と真面目に途中のクエ、楽しみにしてんだけど?」
 と、言うアルさんに、
「ん」
 と、両手でしっかりと持ったマップとコンパスを突き出す。
「よーし、いくかー」
 無視だよ。
 歩き出しちゃったよ。
 そんなわけで、今日の迷子ハイキングは、超難有りの男子四人と、超難有りなマッパーの私で始まったのだった。
 えーと、北があっちだから……

「勇者って、みんな方向音痴属性持ちなの?」
 深い森を、私の道案内にてろてろと進みながら、アルさんがレイさんに聞いていた。失礼だな、別に、方向音痴なわけじゃないぞ。始めていく場所の右も左もわかんないのは、普通だろう。
 私たちが目指す、通称、西の塔は、遥か昔にこの国を建国した者たちが、大陸から移動してきた時に降り立った場所だという。言い伝えによれば、神話以前の時代からこの地にそびえるという西の塔の最上階に、当時の乱世を嘆き、同志家族たちを引き連れて、王族たちが『鍵石』という不思議な石の力を使ってやって来たと言うのが、この国の建国史なのだそうだが……レイさんが昨日言っていた。ちょっとうろ覚え。
 ともあれ、「つまり、出口は入り口と言うことだな」と言ったアルさんの言葉通り、この道を逆にたどり、私の父もこの大陸からいずこかへと旅立っていったんだそうな。入り口出口のくだりを、父も言っていたかどうかはわからないが、言いそうではある。
 ともかく、深い深い森を、マップ手に私たちは進む。えーと、線とコンパスはずれてないから、こっち!
「いや、方向音痴属性は、私の周りでは聞きませんね」
 邪魔な下草を大きな両手剣でばっさばっさと薙ぎながら、レイさんは続けた。
「多分、ランダム属性か、AIの進化過程での発露だと思いますけどね」
「そういや、チロルさんのむぎちゃんとか、全く違う感じだったしなぁ」
「ぶっちゃけ、みんな性格違いますからね。それが面白いところでもありますし」
「最初にベースパラメーターみたいなもんが決まってたりすんの?」
「さあ? その辺は、ネリさんのほうが詳しいのでは?」
「私ですか? まあ、中身の細かい話はできませんが、ベースパラメーターは確かにありますね。ただ、どっちかというと、成長過程での発露の方が、振れ幅は大きくなっています。ネガティブな属性は特にですね」
「方向音痴は、ネガティブか」
 ネリさんに続いたのは、ダガーさんだ。
 そして何故か沈黙があって──なぜだろう、背中に強く、視線を感じる……
「あ、愛嬌じゃないですかね!」
「お、おう! そうだな!」
「ポジティブシンキングですね」
「多様性は、大事にしないとな!」
 ……こいつら。
「ま、まあ、方向音痴のマッパーは、やはり古典ですし!」
「そうそう、冒険譚を小説にしていたりすると、ポイント高いぞ」
「村の印刷所に売るんですね」
「生活費の足しに」
「お料理コーナーがあったりすると、ポイント高い」
「ダガー、なんかレシピ教えてやれよ」
「なんでだよ」
 こいつら……私の書いている日記を、まさか読んでいたりはしないだろうな……

 どれほど進んだだろうか。
 森は深く、頭上は青々と茂った木々の葉に覆われていて、今が何時くらいなのか、陽の光からはわからない。
 結構歩いたような気もするが、地図を見ながらなのでそう感じるだけかもしれないし、獣道ですらないので、足取りが重く、余計にそう感じるだけかもしれない。っていうか、正しく真っ直ぐ進めているのかすら、ちょっとあやしい……
 流石に少々不安になってきたので、師匠に振り向くと、師匠たちは皆、やや顎を上げた感じで、森の中をきょろきょろとしていた。
 ……あれ? なんか、やっぱり間違ってる?
「アッチだな」
 と、突然ダガーさんが言って、森の右手に駆けていった。すいすいと木々の間を抜けていって、あっという間に、見えなくなってしまう。
「ホントかよ」
 言い、アルさん、レイさん、ネリさんも、てくてくと行く。ちょっと待って、置いてかないで。と、慌てて追った。
 少し進むと、沢のようなところに出た。木々の隙間が少しだけ開けていて、向こうにダガーさんの背中が見えた。ひょいひょいと石を飛び越えて、ダガーさんはさらに奥へと進んでいく。
「おや、これは」
 と、レイさんが足元の石をコツコツと両手剣の先でつついていて、気がついた。よくよく見れば、石は四角く、ある程度の規則性をもって並んでいるように見える。
「お、やっぱり遺跡か?」
 呟いたアルさんに、ネリさんが返す。
「王家の道は、遺跡が点在してますからね。これはそれほど、古くはなさそうですが……」
「おーい!」
 遠くから、ダガーさんの声がした。
「やっぱ、大きめの遺跡があるぜ。こいよ!」
 どれどれと、アルさんは身軽に沢の向こうに消えていく。えーと……もう、これで迷子になっても、私のせいじゃないって事でいいかな? マップとコンパスをしまい、私もその後を追った。
 沢を抜け、進んだ先には、木々の隙間を抜けて揺れる柔らかな陽光に照らされた、朽ちた石造りの建物たちが点在していた。
 建物は、木の根や枝に貫かれ、屋根や壁を保っているものはすでになく、経年を示すように繁茂した蔦や苔植物が、乾いた色の石の遺跡を覆って、緑の中に神秘的な明暗を作り出している。
「割と大きいですね」
 レイさんが、私の脇を抜けて行きながら、
「まあ、ミニマップに突然出てくるだけのことはあります」
 ちょっとよくわからないことを呟いて、すたすたと進んで行く。マップ? ミニマップ? 私の地図には、載ってなかったけど?
 少し離れた、アーチ状の門か何かの遺跡の手前で、それを見上げていたダガーさんが手招きをしていた。
「おーい、こっちだ!」
 呼ばれ、皆、それに近づくと、
「古代遺跡じゃねーな」
 崩れかけた柱を指差しながら、ダガーさん。
「言語が、アルファベットだ」
「王国期以降ですか。現王家の方々が移住してきて、最初の頃に作った町ですかね」
「捨てられて、百年くらいか?」
「お宝はなさそうだな」
「残念。突然ミニマップにピンがついたので、イベントかと思ったんですがね」
「いやまあ、多分、なんかはあるんでしょう。システム的には、そういうものなので」
 言って、ネリさんはあたりを見回し、
「フンババがでるとか」
「やめて、死んじゃう!」
 フンババってなんだろう。
「崩れていてよくわからんが、これはなんか、凱旋門的なもんか?」
 アルさんは崩れたその建造物を子細に眺めながら「ふーむ」と唸る。
「あの辺りのレリーフを見ると、あれは西の塔ですかね?」
 ちょいと、アーチの上方を両手剣の先で差すレイさん。見ると、崩れかけのレリーフには大きな塔と、そこからでてくる王冠らしきものを被った大きめの人と、それに続く、小さな人たちが描かれていた。建国神話っぽい絵面だ。
「おっとー!」
 裏側からアーチを眺めていたネリさんが、大きな声を上げた。
「どした?」
「や、なんでもないです」
 言って、ネリさんは戻ってくる。
「休憩しましょうか? ちょっと早いですが、時間があれば、ここでキャンプなんてどうです?」
「遺跡でキャンプ! 悪くないね!」
「んじゃ、準備すっかー」
 アルネリダガーが、キャンプ準備を始めるのを尻目に、はて、ネリさんは何を見たのだろうと逆側に回ると、
「ははーん、なるほどなるほど」
 と、ネリさんが見つけたらしきレリーフを見上げ、レイさんが唸っていた。
 描かれていたのは、西の塔。そして、それよりも遥かに大きな、巨人のようなもの。
 一体なんだろうと、レイさんに聞こうと思ったけれど、「なるほどなるほど」と言いつつ、レイさんは行ってしまった。「あー、テント出しますか?」「おう、オーニングでいいんじゃねーか?」「アル、ネリ、ちょいとここに、広めのスペース作ってくれ。今日は、火加減が超重要なんだ」「注文の多い料理店ですねぇ」
 わいわい始めてしまったので、私は後ろ髪を引かれつつも、皆のところへと戻った。はたして──今日の料理はなんだろうと、前髪を引く、そっちのほうが気になって。

 そんなわけで、テントの天井だけのようなもの──オーニングと言うそうだ──の下、私は保存食のジャーキーを齧りながら、
「それでは、只今より、じっくりたっぷり時間をかけて、オレは肉を焼く。具体的には、約二時間」
 と言う、ダガーさんを見ていた。
 さて、今日の料理──ん?
 二時間? 今、二時間って言ったか?
「二時間もかけたら、炭になるだろ」
 その辺の石で、レイさんとちゃっちゃと適当に作ったテーブルに片肘をついて、アルさんが言う。
「しかも、二時間もかけたら、夜だ」
「キャンプってことは、次に移動するのは朝だから、別によかろう?」
「リアル夕飯挟む気か」
「さて、では、取り出しましたこの肉は、昨日の夜に仕込んでおいた、牛系動物の肉です」
「今回も、私がダガーさんのリクエストにお応えして、マルトレア平原で狩って来ました。ちなみに各種ハーブ類も、世界中からお取り寄せです」
 この人たちは……この情熱を、もうちょっと別のことに向けてもいいんじゃないかね?
 しかし嫌いではないので、ジャーキーをがじがじしつつ、続きを聞く。
「で、この肉をポリ袋の中に入れて、水のなかで空気を抜いて──」
「ポリ袋あんのか、この世界」
「いえ、あれはポリ袋じゃないんですが……あれは魔法生物モンスター、プラズムのドロップアイテム、プラズムの外殻と言ってですね……」
「通称、ポリ袋。割と耐久があって、口を結べば、アイテムのくせに物理ストレージに出来るという、バグアイテムです。が、修正されていないので、あれが正しい使い方です」
「面白い使い方ですし、ゲームバランスに与える影響は軽微なんで、仕様になりました」
「複数のアイテムを纏めるのに便利なんですよねー」
「しかも、魔法生物であるためか、耐熱温度も高く、薄いため、熱伝導もよい」
 ダガーさんは肉を入れた袋から空気を抜いて口を縛ると、
「そしてこの肉をー!」
 そしてその肉をー! 先程までカルボの木炭の上に載せて沸かしていた、鍋に入れた。
「どぼんして、約二時間」
「茹でんの?」
「おう。今回は二センチ厚だから、鍋の温度は60度前後だ。残念ながら水銀はあるくせに温度計がないので、温度調節はカンと、地味な左右移動で火にかけたりおろしたりで行う。故にこれから二時間、オレはこの場を離れない!」
「まさか、この世界で低温調理に挑む者が出ようとは、夢にも思いませんでした」
 苦笑気味に言ったのはネリさんだ。
「低温調理?」
 と、聞く。と、ダガーさんが、
「肉のタンパク質は、超簡単に言えば、66度でアクチンが変性を開始してしまうので、肉汁をたっぷり含んだステーキを作りたければ、この温度を超えない方がいい。だが、56度以下だとコラーゲンが変性しないので、柔らかさが生まれない。また、低温すぎる場合は細菌の繁殖が問題になるので──まあ、要するに58度から60度前後の温度で、しっかり中心にまで火が通るよう長時間湯煎するこういった調理法を、低温調理法という。本当は中心温度で63度、30分加熱しろというのが正しい指導なのだが……まあ、その辺はゲームだしな」
「いや、お前、何そのゲームでマジになってんの……?」
「なお、オレ的には肉には焼き目があった方がいいので、最後に焼き目を入れる予定。ウンチクだが、焼き目そのものが重要なのではなく、メイラード反応によって生じる香気が重要なんだ。還元糖とアミノ酸から、メラノイジンが生成される訳なんだが、この過程で生成される香りが、ステーキの醍醐味だと、オレは思う」
 お、おう、よくわからん。が、ものすごいこだわりがあると言う事は、よくわかった。
 そして、鼻歌交じりに、ぐるぐるゆっくり、ダガーさんはお鍋のお湯をかき混ぜ始めた。
「撹拌はだいじだぞー、温度を一定に保ちつつ……疲れたら、アル、かわれ」
「なぜ、俺が、お前の趣味に、付き合う?」
「付き合えよ! 前人未到の料理を食おうぜ!」
「いやまあ……確かに前人未到でしょうが……そこまで細かく演算されるんですかね……」
「さあ?」
 まあ、楽しそうだから、いいんじゃないかな……
「なお、これはゲームなので適当だが、リアルでやるときは専用の調理器具を使うか、信頼できる専門店で食え。よい子はまねするな」
「誰に向かって言ってんだ?」
「最悪、死ぬ」
「そこまで演算されますかねぇ……」
「やめて!?」
 ま、まあ、楽しそうだからいいんじゃないかな……
 と──
 ひゅん! と、矢が空気を切り裂く音がして、ダガーさんの目の前にあった寸胴鍋にがつん! とぶつかり、それが──鍋が──宙に──!
 舞った。
 皆の視線が、それを追う。引き伸ばされた一瞬の中、ダガーさんの顔が──顔が──!
 顔が!
 がしゃーん!
 で、再びの、間。
 鍋から、お湯が、だばぁとこぼれていた。
 硬直した時間から、最初に抜け出したのは誰であろう──ダガーさんだ!
 ローグの耳によるものか、はたまた別の何かによるものか──おそらく後者──ダガーさんは瞬時に矢の発射点を見据え、駆け出す! 滑るように木々の間を縫って行き、両手に短剣を逆手に構え、
「まずい!」
 叫んだのはアルさんだ。
 ダガーさんが突き進む先に、弓を構えた小さな人影があった。
「あれは……まさか!」
「PC!? いや……あれは!」
 レイさんも叫ぶ。だがしかし、どうしたってあの距離、ダガーさんに追いつけるわけもない。
「性懲りもなく!」
「命が惜しくないのか、あいつは!」
 あ、あんまり、本気で心配してるわけじゃなさそうだな……
「おや……」
 ネリさんは、
「これは困りましたねぇ」
 と呟いて、杖を地面につけた。
 小柄な人影に迫るダガーさんは、最後の距離を短剣突進技で飛び越え、「こんの……クソガキャー!」と、逆手の短剣を叩きつけ──ようとした所で、
「フロスト・ダイバー!」
 ネリさんが放った、地を這う氷の魔法によって、空中でかちんと氷漬けにされていた。
「はいはい、お約束お約束」
 と、アルさん。そちらへてくてく、行く。
「ふぉおおー! 鬼の形相だったよー!」
 小柄な人影は、女の子だった。少し尖った耳、背丈は私の半分くらい、ええっと、なんて言ったっけな、何とかと言う種族。
「お前が悪い」
 氷漬けのダガーさんの隣にまで来て、アルさんが言う。どうやら知り合いらしい。
「いやいや、これはあれ、お約束という奴で。ってか、ただ今絶賛配信中なので、こう……みなさんがコメント欄でやれと」
「そういう配信は感心せん」
「アル兄から引き継いだフォロワーなんだけど?」
「お前ら、民度!」
「やりそうと思ってしまいました」
 レイさんも隣に来て、
「しかし、ダガーさんにちょっかいをかけるのは、まったく! 問題にはしませんが……」
 しないんだ……
「食べ物に手を出してはいけませんよ」
「そうだぞ」
 頷き、アルさんは腕を組んで、
「我々の夕飯だからな」
 特に、ダガーさんについては言及しない。
「ダガーの尻にでも、当てればよかったんだ」
「そうですよ。このゲーム、PvPは専用プライベートインスタンスか、パブリックフィールドでのデュエル式しかないので、ここなら当てても、痛いだけでHP減りませんから」
「あ、マジで?」
「調べときました。今度、やります?」
「レベル差ありすぎるだろ」
「アイテムレベルシンクもありますし、スキル制限もかかるので、割とプレイヤースキル依存らしいですよ。専用フィールドもいろいろあるそうです」
「へー」
 なんの話だろうか……ともあれ、
「ふんがー!」
 という気合いと共に、ダガーさんが氷を割って、すたっとその女の子の前に着地した。
「……ベイビー、懺悔の時間は終わったか?」
「いえ、嫌です」
「ふんがー!」
 飛びかかったダガーさんは、一瞬でその女の子を簀巻きにした。多分あれは、ダガーさんの特殊スキル、『ファスト簀巻き』かなんかなんだと思うんだ。
「ひー! やめてー! たすけてー!」
 と、
「エロい事するんでしょー!」
「するかァ! ボケェ!!」
 あ、この人、アルさんたちの冒険者仲間に、間違いないな。
「やれやれですね」
 ため息混じりにやってきたネリさんが、
「ルーターが落ちたのは、貴方のせいですね? どこの配線変えました?」
「だって、部屋の無線だと、VRVで配信すると重くなるんだもん」
「ダガー、その辺に吊しておいてかまいません。お仕置きが必要です」
「よーし」
「やめてー、さわんなー、スケベー!」
「とーう!」
 あ、投げた。

 鍋は、うっすらと湯気を上げている。
「はい、どぼーん」
 ダガーさんは再び、肉をそのお湯の中に入れ、
「おめえも食うのか?」
 と、オーニングを吊す木の枝に、ぷらーんぷらーんと簀巻きで吊されている、先程の女の子に向かって聞いた。
「なにそれ?」
「低温調理のステーキだ」
「食べたことない」
「なら食え」
「食う」
「相変わらず、脳みそが足りてない会話だな」
 即席で作った椅子に寄りかかりながら、頭の後ろで手を組んでいたアルさんが言う。
「ってか、ニケは、ニケなのか?」
「哲学的な問いですね……」
 両手剣をメンテしながらのレイさん。
「や、私も、ニケさんがこのゲームやってたとは、つゆも知らなかったんですがね」
「アップデート2辺りで始めて……」
 続いたのはネリさんだ。
「一週間も、やらなかったかもしれませんねぇ……」
「やー、この森で迷子になって、出られなくなっちゃってさ。勇者とも喧嘩しちゃって、なんかかんか、やめちゃって」
 ぷらーんぷらーんと揺れながら、ニケさん──というらしい──は、あははーと笑う。
「したら、なんか、アル兄が復帰してるとか言うから、これは馳せ参じねば、と」
「オレも、大分久しぶりだが?」
 鍋をぐるぐるしながらのダガーさんに、
「や、別にダガーさんは……」
「よーし、じゃあ、お前のために、激辛ソースを作ってやろう。レイさんの買ってきたスパイスの中に、ペッパーXを超えるというサマリーがついた奴があったからな」
「なにそれ、たべたい! 辛いの好き!」
「死ぬだろ」
「最後の一撃」
「宴会ネタ用だったんですが……早くも出番があるとは……」
 わいわいと、それが何か私にもわからなかったが、ともあれ、とても楽しそうだ。
 どうやら話を聞いている限り、ニケさんもアルさん達と共にいろんな世界を冒険してきた冒険者仲間のようだ。私の半分くらいの背丈に、とても幼く見える顔立ちからはまったく想像もつかないが、きっと多分、私なんかよりずっと強い冒険者なんだろう。
 と、彼女を観察していると、
「ところで」
 彼女が私を見て、言った。
「この方、だぁれ?」
 おっとー。そりゃそうだ。自己紹介してない。
「あ、えっと、私は──」
 名乗ろうとすると、
「ナンパか……」
「なるほど」
「たしかにそうなるな」
「仕方ありませんね……」
「マテ」
 はいはい、いつものいつもの。
「あの、私は……」
 ニケさんに向かって、説明しようと立ち上がると、
「もしかして……勇者?」
「いえ、私は勇者ではなくてですね……」
「そうだぞ。勇者ちゃんだ」
「いや、違うって……」
 このやり取りも、はいはいいつものいつものとは、させぬ。今日こそは、ちゃんとだな……
「マジで!? めっちゃかわいいじゃん!」
 かわ!? なん? なんて!?
「第六世代って、こんなに細かくビルドできんの!?」
「いや、ランダム」
「いーなー、いーなー」
 ぶらんぶらんが激しくなった。
 と、すたんと、縄から抜け出したニケさんが華麗に地面に着地した。はらりと続けて落ちた縄は、ナイフのようなものですっぱりと切断されている。いつの間に……っていうか、アルさん達、誰も驚きはしないので、いつものことなのか……
 とことこと、私の所へニケさんはやってきて、
「ニケ。アーチャー=レンジャー。よろしく!」
 と、手を差し出す。
「あ、私は──」
 名乗ろうとしたのだけれど、アルさんが割って入った。
「いや、ニケ、お前、レンジャーなのに迷ったのか?」
「そうとも言うね!」
「おい、ネリ、相変わらずのダメ妹、なんとかしろ」
「やー、リアルを持ち込まないで下さい。リアルでも嫌ですが」
 ん? 兄妹? リアル?
 私が、ハテナ? な顔をしていたんだろう。ニケさんは「おう」と笑って言った。
「ネリは、あたしのお兄ちゃんなんだ。リアルだけどね」
「出来の悪い妹ですみません」
「そうだぞー」
「ニケ・からしー」
「ちがうー! やめろー!」
 ダガーさんとアルさん。ヤジは忘れない。
 そして私は、
「……あれ? ネリさんとニケさん、同じ人族ですけど、種族は──」
 と、呟いてしまって、レイさんがそれに割って入った。
「そういう所は、ごにょごにょですよ! 突っ込んではいけません!」
 おおっと、たしかに!
「リアルと仮想世界の説明を勇者ちゃんにするのは、非常に面倒くさいんです……」
「あ、そうなん?」
「システム的に、制限がありますからね……」
 うんうん、そこはまあ、色々あるのかもしれないからな。自重自重。ええっと……
「ニケさんは──」
「ニケでいいよ」
「ええっと、ニケ……ちゃんは、なんて言いましたっけ。種族。ええっと、ホ──」
「名前を言ってはいけない!」
 再び、レイさんが割り込んだ。
 ええー!? なに? なに?
 ふと、アルさんが気づいたように呟く。
「なるほど。ハーフリ──」
「いけませんー!」
 レイさんが止める。
「じゃあ、ケン──」
「それ以上はー!!」
 なんなんだろう……
「なるほど」
 アルさんは、うむとうなずいて、言った。
「名前を呼んではいけないあの種族か」
「そうです。大人の事情のアレです」
 うんうんうなずくレイさんに、ダガーさんが続いて呟いた。
「つまり、足の裏に毛が生えているかどうか、確認しろと、そう言うことだな」
「それは……! どうなんでしょう?」
「ほう……」
 お、あれは、だめな人間の目だ。
「ニケ」
「なーに?」
「足の裏を確認させろ」
「なんでだよ!」
「話を聞いていなかったのか! これは大事なことなんだ!」
「全然わかんないよ!」
 私にもわかんない。
 アルさんは立ち上がり、「きしゃー!」と、威嚇のポーズを取っている。ニケちゃんは弓を構えた。そして、「いてっ!」
 撃ったぞ……仲睦まじい……のか?

 ダガーさんは、相変わらず低温調理とやらで、ぐるぐる鍋をかき回している。
 ので、暇な私達は、
「陽のある内に、位置を確認するか」
 というアルさんの言葉に、「ニケ、そして、勇者ちゃん」と呼ばれ、「高い所で、位置を確認するぞ」「えー? いいじゃん、そんなのー」「だからオメーは、迷子になって、出られなくなるのだ! へっぽこレンジャー!」
 なんだかんだあって、ネリさんに作ってもらった氷の階段を使って、先のアーチ風の遺跡の上に登っていた。
「位置確認の方法を教える」
 苦手だ……
「まずは目標物を二つ、適当に探す」
 アーチの上はだいぶん地面から離れていて、ちょっと大きめの木を除けば、大抵の木のてっぺんが視線の下にあった。ので、
「じゃあ、アレ」
 と、ニケちゃんが指差した、目的地であるところの西の塔が、普通に見えていた。
「お、ゴールじゃねえか。話が早い」
 左手で目の上にひさしを作りつつ、アルさん。
「んじゃ、まず、体の正面にコンパスを持ってまっすぐに立って──ニケ?」
「なあに?」
「コンパスは?」
「持ってないよ?」
「だから、オメーは、迷うんだろうが!」
 おおー、頭を掴んで、がっくんがっくん。こんな狭いアーチの上で、よくやるな。ニケちゃんは、「いやだって、ここに、ミニマップ……」と、空中を指差しているし。
 気を取り直し、教えられた通りに体の正面にコンパスを持っていって、目標物に対して真っ直ぐにベースの矢印を向ける。で、針が指す北とリングの矢印を、そんなにズレていなかったけれど、合わせて……
「おー、ちゃんとやれば、出来るじゃないか」
 しゃがみこんでニケちゃんをひっくり返して遊びつつのアルさん。ふっふっふっ、私だって、ばかじゃあ、ないんですよ? さて。それで──どうするんだったかな!?
 救いの目を向けていると、
「地図の北と、コンパスの北とを合わせて、塔から直線を引け。磁北は無視していいそうだ」
「磁北ってなぁに?」
 疑問を、ニケちゃんが聞いてくれた。ジホクとはなんだろう。教えてもらったっけかな?
 うーん、とアルさんはうなり、
「地図の北と、コンパスの指す北は、リアルでは厳密には違うんだが……まあ、この世界では考えなくていい。というか、そもそも概念的に地軸に相当するものがあるのかすら、知らんのだが」
「ふーん……」
 ニケちゃん、うなって、
「よくわかんないね」
「習っただろ! このバカちん!」
「習ってないよー!」
 やりとりを聞きつつ、足元に置いた地図に線を引く。リングはそれほどズレていなかったのに、実際に直線を引いてみると……昨日引いた線よりも、大分ズレていた。
「次の目標物だな。あの山頂でいいか。地図にあるか?」
「これっぽいね」
 ニケちゃんの指す三角マークは、アルさんが指差した先にあった山の頂に相違なさそうだ。えーと、あっちに向いてベースをあわせて、コンパスのリングと北をあわせて……合ったら、地図に線を引く。
「おおー」
 引かれた二本の線が交差するのを見て、ニケちゃんが歓声をあげた。
「これ、ここが、今いるとこ?」
「そうだ」
 ふむ。思ったよりも進んでたな。よしよし。私は方向音痴ではないぞ。地図も読める女。
「とまあ、こんな風にだな、現在位置がわかれば、進むべき方向もわかるだろ? 今回は分かっちゃってるけどな。ま、これがもっともシンプルな地図の使い方な」
「は?」
 ニケちゃんは小首を傾げて、
「なんで現在地から、進むべき方向がわかんの? 魔法?」
「おう、ばかやろう。お前は流石にゲームばっかりしてねーで、勉強しろ」
「学校で習わんし」
「学校だけが勉強じゃねぇ。いろいろ勉強しろってこった」
「してる」
 そして、ニケちゃんは笑った。
「今日は、地図の読み方を覚えた!」
 アルさん、ぐぬぬ……ぐうの音もでない。
「ま、まあ、いい」
 アルさんはひとつ、息をつくと、
「勇者ちゃん、三点目を適当に選んで、そのバカに、目標物への進み方のセットの仕方を教えてやってくれ。俺はそろそろ降りて、飯の支度をする」
 と、ひらり、遺跡から下へとロープを投げ、するするすると降りていく。
 器用だなーと目で追っていたら、隣にニケちゃんが座り込んできて、手元の地図をのぞき込んでいた。
「あー、現在地がわかれば、そこから目標に線を引くのはわかるけど、それで、どうすんの?」
「地図上で、リングと針とをあわせて、進行方向をベースにあわせると……」
 コンパスを地図から離して、
「針とリングが重なるとき、ベースの向く方が、常に進行方向になる」
「はー。なるほど。でも、そっちに進めない時はどうすんの?」
 進めない時?
 進めない時は……どうするんだろうね……?
「まあ、その時の状況で考えりゃいいのか」
 と、ニケちゃんは笑った。
「アル兄は、あんまり気にせず、直進だ! って言うだろうけど」
 ……いいそうだな。
 コンパスをあわせて地図をしまっていると、それを待つように、沈み始めた陽を遠くに見つめて座っていたニケちゃんが、ぽつりと、呟くように聞いてきた。
「で、勇者ちゃんは、アルさんとの冒険は楽しいかい?」
 は?
 思わず素で返しそうになって、ニケちゃんを見る。と、ニケちゃんは肘をつくような姿勢になって、頬に手を当てたままでニヤリと笑っていた。
「いいねぇ、相棒」
「は?」
 相棒……? いや、旅の道連れってくらいの感覚しかないが……相棒?
 うーんと私が首をひねっていると、ニケちゃんはニヤリ顔のままで続けていた。
「いやぁ……アレでアル兄、人気者なんだぜ? 一緒に冒険できるって、それはそれでうらやましい事なんだぜ?」
「はあ……」
 地図をしまいつつ、私は返す。相棒ねぇ……
「まあ、いろいろ教えてもらったりはしているので、それなりに感謝はしていますが……」
「他人行儀だなー」
 夕日の向こうに向き直り、「あははー」とニケちゃんは笑っていた。
「昔のあたしみたいだなー」
 昔……それは私の知らない、みんなの冒険の事なんだろう。いくつもの世界を冒険して救ってきた、歴戦の冒険者たち。
 私は興味から、聞いた。
「みなさんはたくさんの世界を冒険して、救ってきたと聞いていますが……」
「え? あたしたち?」
 きょとんと、ニケちゃん。
「あー……ああ、他ゲーの事か。んー、あたしは中学入ってから最初に始めた奴でアルさんに助けてもらって、それ以降だから……五、六年?」
 うお。私の半分くらいの背に、幼い顔立ちから、「かわいいなー」とか思っていたんですが、すみません、大先輩。
「まぁ、エルさんとかダガーさんとかは、どれくらい昔から一緒にやってんのか、私も知らない」
 マジか。アルさん、ああ見えて実際はいくつなんだ……ニケちゃんの話では大分昔からエルさんやダガーさんと冒険しているみたいだけど……と、私が目を細めて首をひねっていると、
「みんな、このオンライン三千世界で出会った仲間なんだよ」
「オンラ……? さんぜん?」
 言ってることの意味が全くわからない。それはなんだと呟き返すと、ニケちゃんは「あははー」と笑っていた。
「三千大千世界。いくつもの世界。全世界。仏教用語。しらんけど。レイさんが言ってた」
 ええっと……仏教なるものがなんなのか、私にはわからない訳だが……ま、まあ、いい。
 地図をしまい、立ち上がろうとしたところで、ニケちゃんは再び夕日に向かって、呟くようにして言っていた。
「いや、そんなことはいいんだ。ただ──」
 そう言って、彼女は微笑んでいた。
 ただ、西の塔へと向かうだけの、ただ、森の中を進んでいっただけの、この日の冒険。そりゃ、ニケちゃんと初めて出会った日だったとか、低温調理ステーキを初めて食べた日だったとか、そりゃ、確かにいろいろな事があったんだけど、私がこの日を強く覚えているのは、
「ただ──」
 そう言って夕陽の中で笑ったニケちゃんの、その顔が、忘れられないからだと思う。
「この世界で、またみんなと冒険できると思うと、ニケはちょっとうれしい」
 夕日に照らされたその笑顔に、私は息をのんだ。なんだろう。私にはわからなかったけれど、その笑顔の向こうに見えた彼らの冒険や歴史に、何故か私は、息をのんだ。
「アル兄、しばらく大作MMOはやってなかったからね。まぁ、この世界はもう終わりが確定している世界だし、お兄ちゃんが関わってるから、しかたねぇって復帰してくれたのかもしれないけど」
 そう言って、ニケちゃんは再び私を見て笑った。
「それでもあたしは、またみんなと冒険できてうれしい」
 笑顔のまま、ニケちゃんは眼下に振り向いた。眼下、アルベルト・ミラルスとその仲間たちはわいわいと楽しそうだ。いくつもの世界を旅してきたであろう、歴戦の冒険者たち。私の知らない冒険譚。そこにどんな物語があったのか、私は知らないけれど、
「あの人たちはね、私たちの憧れなんだよ」
 少し小さな声で、ニケちゃんは続けていた。
「ま、本人もそう思っているのかも知れないけどね。あたしだって、こう見えて、そう思われているっぽい事、あったし」
「本……人……?」
 その言葉の意味は、今でもちょっと、よくわからない。
「アルベルト・ミラルスは、憧れなんだよ、私たちの。多分、本人にとっても」
 言い、ニケちゃんは「よいしょ」と立ち上がった。立ち上がって腰に手を当て、「んー」と腰を伸ばしながら、
「ま、難しく考える事はないさ、新相棒」
 私に向かって、笑っていた。
「みんなの期待を一身に背負って、頑張ってくれたまえよ、勇者ちゃん」
「いや、私は勇者ではないですが……」
「あ、ニケ、これ配信してるから、元々のアル兄の古参フォロワーさんたちとか、多分そっちに流れてくと思うから。がんばってよろしく」
「ふぉ……ふぉろあー?」
「ふふふ……」
 夕陽の中、彼女はにぱっと笑って、言った。
「勇者ちゃんには、アルさんの隣に立つのに相応しい、勇者ちゃんになってもらわないとね」
「いや、だから私は、勇者じゃないですが……」
「アル兄も多分、そう言う。でも、そうじゃあないんだよ。多分みんな、やっぱりアルベルト・ミラルスには、勇者であって欲しいんだよ」
 「おおっと、自分語りが過ぎたぜ」と片目を閉じ、ニケちゃんは苦笑していた。「誰だ、くっせーとかいってるやつ。古参民とか、それを望んでるんだろー?」はて、ニケちゃんは誰と会話しているのだろうか……
「ま」
 と、ニケちゃんは私の腰をぽんと叩き、夕陽の中で笑っていた。
「あたしたちの、勝手な思いってことは、わかってんだけどね」
 「君にはみんな、期待しているよ!」と言って、ニケちゃんはひらりとロープを伝って遺跡を飛び降りて行った。ささっと話を切り上げて、逃げるようにも見えたけれど──「ご飯はー?」「おう、焼きを入れるぜ! ナイフとフォークを準備しな!」「四十秒で支度シマッス!」
 眼下、アルベルト・ミラルスとその仲間たちは、わいわいと楽しそうだ。いくつも、いくつもの世界を旅してきたであろう、歴戦の冒険者たち。
 その仲間達を見つめながら、
「勇者ね……」
 呟いて、しかたなくて、笑った。

「と、いうわけでー!」
 ダガーさん。
「や・く・ぜ!」
 取り出したのは、テネロパの鍛冶屋に特注で作らせた、ご自慢の鋳鉄製スキレットだ。しかも人数分。聞いた話じゃ、結構いい値段だったそうなのだが、人数分とは……しかし熱が均等に伝わる、料理にはかかせない逸品なのだとか……うん、こだわり。
「とーう!」
 と言うかけ声があって、スキレットに投入された肉は、程なくして、甘くて香ばしい、力強い肉の焼ける香りを辺りに立ち昇らせ始めた。
「よし、行け!」
 スキレットごと私の前に起き、次に取りかかるダガーさん。
「え? 私?」
「お前だ。オレの料理のサーブ順は、常に決まっている」
「おおー」
 と、私の前に、じゅうじゅうと食欲をそそる音を立てながら置かれた肉を、かぶりつくように見るアルさん、ニケちゃん。いや、かぶりつきはしないけれど。
「あ、なんなら、先に……」
 と、言いかけたところで、
「ニケは二番目だから、大丈夫。アル兄は最後だけど」
「はやく! はやく食うんだ! その凶悪な肉を!」
 悶えるアルさんを後目に、すっと私の隣に来たネリさんが、
「ダガーの料理のサーブ順は、ダガーの料理を食した回数の少ない順という決まりなのです。すなわち、私らの中では、常に勇者ちゃんが最初になりますね」
 と言いつつ、しゃららんと、ナイフやフォークが収められた布のケースを、私の前に広げた。そしてその中から、
「ステーキナイフは四インチ」
 と、ナイフを取り出し、
「カットしますね」
 と、ナイフとフォークを肉に当てた。
 ごくり、と、アルさんとニケちゃんが喉を鳴らし、それを凝視する。
 期待をあおるように、ネリさんはナイフの先に力を入れてお肉をわずかに沈み込ませ──ぷっと弾けると同時に、ナイフを深く、すっと沈み込ませた。流れるように刃先を引く。と、大きな塊肉から、ステーキの一片が、はらりと離れた。
「おおおー!」
 感嘆の声を受けながら、二枚目以降はすっすっとネリさんは切り分けていく。切り分けられた肉は、表面は香ばしくかりっとしてそうな、よく知っているこげの色で、中心に向かって、ぎゅっと濃縮されていくような、つややかな赤の色をしていた。そしてその深い赤の奥の方から、じゅわっと溢れ出た肉の汁が、スキレットの上で弾け踊って音を立て、鼻腔をくすぐってきた。
「おおおおお! 早く、早くその凶悪な物体を口の中に入れて、この世から消し去るんだ!」
 何を言っているのだ、アルさんは。確かに、なかなか凶悪な見た目と香りで、ごくりと喉を鳴らしてしまうような相手ではあるが、そんなに先に食べたいのなら──とか思っていたら、ニケちゃんが私の右手にフォークを握らせ、
「後生よ!」
 とどめを刺せと。
 おおおお……と、悶えているアルさんは無視で、ダガーさんが二枚目をニケちゃんの前に置く。
「好みで焼きはつけていいが、そのままでいっていいぞ」
 ネリさんは早々にニケちゃんのステーキもカット。それを後目に、ニケちゃんはダガーさんに、
「ねえ、結構赤いけど、平気なの?」
「おう」
 と、ダガーさん。
「低温調理だしな。あと、その赤い汁は血じゃなくて、ミオグロビンと言う肉の赤の元になっているタンパク質が溶けた、ほぼ水だ。まあ、肉汁だな。気になるなら、鉄板に押し付けて、焼き色つけろ。あと、勇者ちゃんは早く食え」
 は。わかりました。ミオグロなんとかはわかりませんが、「おおお……」と悶えるこの男にとどめを刺せというのは、よくわかりました。
「では……いただきます」
「いっただきまーす!」
 そして私とニケちゃんは、手にしたフォークで肉の一切れを差した。肉は、その大きさに反して、抵抗なくすっとフォークを受け入れた。じゅうじゅうと音を立てるスキレットからそれを持ち上げると、自重でたわむ濃縮された赤が、わわわっと流れてスキレットに落ち、じゅっと軽快に飛び跳ねて躍った。
 これはアレだ。しょうがない。いや、そういうものだ。ニケちゃんと私は、少々お行儀悪く、フォークに向かって身を乗り出し、あーんと口を開けて、その先端の肉を口の中に迎え入れた。
 はむっとかみしめた瞬間、抵抗するようにわっと肉汁が溢れ出し、口の中に広がって、荒々しい程の肉の味が舌から脳に走り抜けると同時に、甘い香りが、すうっと鼻を突き抜けていった。こ、これはー!!
 ごくり、眼前のアルさんが喉を鳴らして、
「ど、どうだ?」
 私はフォークをぎゅっと握りしめ、身を乗り出し、
「……やばい」
 言った。
「めっちゃ美味しい」
 ふた切れ目を突き刺し、そのフォークの先端をアルさんの鼻面に突き出して、「おお!」
 くるり! 私のお口に、ぱくん!
「きっさまぁ!」
「めっちゃ美味しいね! ニケちゃん!」
「うめぇ!」
「そいつは、よござんした」
 両手にスキレットをもったダガーさんが、ネリさん、レイさんの前にもステーキを置く。
「では、私も……」
 ネリさん。
「煩悩をとりはらい、石のように沈黙していた私が、今、開眼!」
 レイさん。ぱくり。
「うめぇええー!」
「おおお! これはすごい! 本物の低温調理ステーキのような赤に、溢れる肉汁! 完璧な環境演算! 確かに無駄にこだわった演算エンジンですが、まさかここまでやってくれるとは! いや、むしろ、このために生まれたのではないかとすら思える仕上がりに恥じない味覚再現! ってか、これなら、わざわざお店に行く必要ないですね」
「いや、それはそれ、これはこれ」
「おい、ダガー! いいから、早く、俺の!」
「まあ待て」
 と、ダガーさんはアルさんを片手で制し、
「先に、ニケリクエストの、ペッパーXのソースを作んねーと」
「なんでだよ!」
「ニケの肉が、いい状態の時にやらなきゃダメだろ!」
「先に作っとけよ!」
「グレービーが、先にできる訳ねぇだろ! アホか!!」
「わざとだろ!」
「おうよ!」
 わざとだよ。
 しかし──私たちは肉の塊を一斉に頬張って、噛みしめると溢れる肉汁に、
「うめー!」
「くぅ……今なら、フォークで、Lv99すら、倒せる気がする……」
 後生ね……
 フォークの先で肉を突き刺し、アルさんの前に差し出して、ふらふら~とさせて、ゆらゆら動くアルさんの頭をスルーし、ぱく!
「!?」
 声にならない声とは、まさにこの事か。
 はー、至福至福。いろんな意味で。

 やがて陽は落ち、森は、夜と薪のはぜる音と、夜虫の鳴く小さな声だけに包まれ始めた。
 はー、至福至福。と、いつの間にかレイさんが作ったハンモックで、アルさんはゆらゆら揺れている。まあ、ダガーさんもなんだかんだいって極悪人ではないので、ちゃんとアルさんの分のステーキもサーブしてくれて──まあ、先に食べ終わっていたニケちゃんに何切れかとられたりとか、ソースの件とか、一悶着あったのは置いといて──今は皆、まったり、食後の一時を楽しんでいた。
「しかし……」
 蜂蜜入りの葡萄酒で唇を湿らせたレイさんが、ぽそりと言った。
「こんなに美味しいものを食した後だと言うのに、リアルでもなんか食べないと、ログアウトさせられるというのも、しゃくですねぇ」
「リアルはリアルで、なんか食えよ」
 スキレット一式を洗って片付けたダガーさんが、焚き火の脇に座り込みながら返す。隣にいたネリさんが、葡萄酒の入ったゴブレットを渡して、
「夜明けまで、二時間ないくらいですか? タイミング的には、今ですかねぇ」
「まあ、そうだな。これ飲んだらだな」
 ダガーさんは葡萄酒をちびり。
 それに、ニケちゃんが続く。
「ニケ、お米食べたい」
「わかります。めっちゃわかります。この世界、お米ないんですかね」
「リゾットみてーな料理をみたことがあるから、あるんじゃねーの?」
「つまり、私は世界中を旅して、次は白米を探すんですね。わかりました」
 お肉を食べたばかりだと言うのに、次の食事の話とは──楽しみが増える。
 ともあれ、
「俺、ここでぐうたらしてるし、行ってきていいぞ」
 ハンモックの上でゆらゆら、アルさん。
「俺、閾値低いし、多分朝まで平気だろ」
「廃人の素質だな」
「固有スキルみたいにいうのやめろ」
 笑い、アルさんはのそのそとハンモックを降りた。と、示し合わせていたかのように、ニケちゃんがもそもそとそこによじ登っていた。
「んじゃー、ニケ、行ってくる。お兄ちゃんも、おにぎりでいい?」
「うめぼしで」
 と、ネリさんもたき火の脇で毛布を被って横になった。さらにレイさんが、
「では、私もいったん幽体離脱しますね。ログアウトすると、ちょっと面倒なんで」
 両手剣を抱え、それをつっかえ棒のようにして、ふっと、直ぐに寝入ったようだ。すごい早さだな。
 ってか、みんな、食休みで寝るぞって、そういう話をしていたのか?
「んじゃ、見張りヨロ」
 と、ダガーさんも横になる。
「ここ、敵でんの?」
「しらん。お前と勇者ちゃんとで、なんとかなるだろ」
「へいへい」
 アルさんは焚き火をつつきながら、背中のダガーさんに返す。「んじゃ、ヨロ」と返して、ダガーさんもあっと言う間に静かになって、一層の静けさがあたりに満ちた。
 ぱちぱちと、夜虫のなく声の中に、薪のはぜる音。かすかな風に、揺れる木の葉のささやくような声。
 少しだけ口に含んだつもりだった葡萄酒を、ごくんとやけに大きく喉を鳴らして飲み込んでしまって、おぅ、とアルさんを見たけれど、特に気づいた様子もなく、焚き火を暇つぶしのように、ちくちくいじっているだけだった。
 ぱちぱち。薪のはぜる音。
 りんりんと、どこかで夜虫の鳴く声。
 ──会話がないな、と思っていたら、口をついて出ていた。
「そう言えば、アルさんは、なんで冒険者を?」
「は?」
 うっわ、「なんだ突然」って顔だ。まあ、そうだよね。自分で言っといてなんだけれど、ニケちゃんとの話の前提があって、勇者、アルベルト・ミラルスって話の前提があって、アルさんもまた、それにどこかで憧れを抱いているんじゃないか、みたいな話があって、その上での、ホントかな? って思いもあっての言葉だしね。なんだ突然、ともなるわ。
「あ、いや、気にしないで──」
 取り繕おうと言いかけたところで、
「冒険をする理由?」
 焚き火を挟んだ向こう、アルさんは私の問いに、気の抜けた声で返した。
 それはもう、いつものように。
「俺はお前、別になにか、大層な理由なんかねぇよ。俺は別に、父親を探すってわけでもないし、賢者の石を手に入れたいってわけでもない」
 心の底からそう思っているのだろう。アルさんの、焚き火に照らしだされたその顔は、とても楽しそうに、笑っていた。
「ただ、冒険したいから、冒険してんだよ」
 手にした木の枝をふりふり、
「冒険者をしてるとな、今日みたいな、うまいもんも食える」
「いやいやいや、あれはダガーさんが作ってくれたものであって、別に、冒険者じゃなくても……」
「ダガーは、冒険者として出会ったから、冒険者をしてなきゃ、出会ってない」
 ああ、そうか。そしてそれは多分、私の知らない、別の世界での冒険譚の話なんだろう。
「レイシュもそうだなー、レイさんいなきゃ、今日の肉はないしなー」
「なるほど。冒険、大事」
「そうだ。うまいもん、食うために」
 うん、うまいもんは、大事なことだ。けど、そういう茶化した事ではなく、アルさんの本音のようなものも、もうちょっと、聞いてみたくて、
「いくつもの世界を、アルさん達は冒険してきたんですか?」
「ん?」
 と、私がさりげなーくを装って聞いたのに、アルさんはちょっとばかり訝しむ。ま、まあ、普段話すような事ではないけれど、話のネタ、特にないし! 気になるって程でもないけれど、話のネタ、特にないし!
「そうだなぁ……まあ、ぼちぼちだな」
 考えるように首を傾げて、
「どこの世界の話がいい?」
 と、聞いた。
「へ?」
「うまいもんの話がいいか? そうだなぁ……」
 私は別に、うまいもんの話が人生の半分を占めていたりはしないんだが……まあ、気にはなるが。
 アルさんは、「そうだなぁ」と呟いて、続けた。
「あれはVRMMOじゃないから、別に、本当に味覚に感じたりしたわけじゃなかったけど、某ゲーで和風フィールドが実装されたときに、みんなで出かけて居酒屋に行った話は、すげぇ覚えてんな」
「い、いざかや?」
「まあ、酒場なんだけど。VRでもないのに、みんな酔ってたな、あん時は。あれ、モニターのこっちで、缶ビール飲んでたんだっけな? レイシュとか」
「か、かんビール?」
 わかんない単語がいっぱいだ。かん? 和風? なんだそれ。
「あと、うまいもんって、VRだったら、なんかあったかな……」
 いや、うまいもんの話は、それはそれで気になるが、
「いや、どっちかって言うと、そういう話ではなく……」
 私は言った。
「冒険譚というか、その、アルさんたちが、その……勇者と呼ばれるような冒険の話とか──あるのかな? って」
「勇者?」
 呟くようにして返し、私のことをじっと見て、アルさんは小さく笑った。ような気がした。
 少し目を伏せ、「そうだなぁ……」と、小枝で焚き火をつつきながら、アルさんは呟く。それはなぜか、ニケちゃんが私に話してくれたその話を、強く、思い起こさせた。
「ねぇな」
 アルさんは笑う。
「いやむしろ、勇者ちゃんこそ、この冒険譚で、真の勇者になるんだろ?」
「いえ、私は勇者じゃないですが」
「えー?」
「いやいやいや、そういう器じゃ、ないですし」
「俺ら、脇役でいいんじゃよ? 物語の主人公は、いくらでも譲るんじゃよ?」
「なぜにご老人口調」
 ふっと鼻で笑ったアルさんに、思わず、私も口許を曲げた。ああ、多分、そうなんだろう。
 多分、アルさんは本当に、冒険をしたいから、冒険をしているのだろう。それを、自分でたいそうな理由ではないと言いながらも、多分、一番の大層な理由として。もしかしたら、ニケちゃんの言っていたとおりで、だけれどそれを、茶化した感じで。
 笑って、
「頼むぜ、勇者ちゃん」
 アルさんは言った。
 から、
「いやですよ。私、勇者じゃないんで」
 返した。

 ぱちん! と、薪が大きく強く爆ぜた瞬間、ざわっと流れた風に、アルさんが顔を上げた。
 すでに左手は腰の剣の鍔をあげて、いつでも抜刀出来る体勢になっている。
 突然の鬼気迫る表情に、私もあわてて柄に手をかけ、腰を浮かせた。
「来ましたね……」
 と、両手剣を抱えていたレイさんが、いつの間にか目を開けている。
「おい、なんだよ、このBGM。しかも、いつの間にかインスタンスになってんじゃねーか」
 ばっと起き上がったダガーさんも、すでに両手に短剣を抜いていた。
「ちょっとー……もうちょっと、空気読んでよー、なんなのー」
 ニケちゃん。
「すみません、私、おにぎりがちょっと喉に……ライブ配信見てるんで、よろしく」
 ネリさん。
「おっとー、幽体離脱中は、ライブ配信見ながらニヤニヤしていたなんて、言ってはいけませんよー」
「言ってんじゃねーか」
「わかってたんなら、もうちょっと、ファンサービスしていただいても良かったんですよ? マスター」
「このゲーム、ギルドありませーん」
「あと、確かに飲んでました」
「だろうな」
「このBGM、なんだよ、なんかやばそうだぞ?」
「ニケも、聞いたことない」
 ざざざざざっと、風が森を抜けていく。空気に色があるとすれば、その色は、先ほどととは明らかに違う、危険をはらんだ色に変わっているような気がした。いや、確かに感じられるはずの気温も、突然、ぐっと下がったような……
「これはですね……」
 レイさんが言った。
「とあるレアの、専用BGMです!」
 その台詞の後半は、ずずーんと激しく揺れた大地の地響きと、森の鳥達が一斉に夜空へ飛び立ち、鳴き叫ぶ音にかき消された。
「なん!?」
「いやあ、見られるだけでも、めっけモンですよ!」
「アーチの上へ! Lv99の、トレイサーの戦いが見られるかもですよ!」
 ネリさんが叫ぶと同時に呪文を唱え、アーチの上へと続く氷の階段を作り出した。「なんだそりゃ」と言いつつ、アルさん、ダガーさんがそれを駆け上っていく。
「遅れてはなりませんぞ」
 私に声をかけ、続くレイさん。私はニケちゃんと顔を見合わせ、頷いてから、それに続いた。

 月のない夜だった。
 満天に、星が瞬く夜だった。
 それが、そこにいなければ。
 空を切り取るように、山よりも巨大な、人のような何かが、地響きを響かせ、東に向かって歩いている。視界の向こう、巨人の足元で木々が倒れ、鳥達が夜空に飛んでいく。遅れて、ばきばきばきと、木々が倒れる音と、鳥達の鳴き声が届いていた。
「なんだありゃ……」
 アーチの上、並んでそれを見る私たち。ずうん……ずうん……と、おなかに響く音に、足元が揺れている。
「巨人です」
 レイさんが言った。
「世界中で、ランダムイベントとして発生します。発生前にインスタンス生成地区にいないと出会えないので、なかなかレアなんですよ」
「巨人……?」
「この世界、巨人神話があるのか?」
 私の呟きに続いたアルさんの問いに、レイさんは、「そうですねぇ……」と考えるような素振りを見せ、
「私より、勇者ちゃんの方が、現世人としての神話体系で語ってくれるんじゃないですかね」
「私!?」
 そういうのは、レイさんの仕事では?
「それではお聞きください。勇者ちゃんの、よくわかる創世神話」
 いや、なんだそれはと思いつつも、みんなが私を見てくるので、「ええっと……」と頭の中で説明を整理して、とりあえず、
「あの、あれがまさか、終末の巨人なんですか?」
 と、レイさんに確認した。
「うーん……それを言ってしまうと、ものすごいネタバレになるので、ちょっと……」
「マジか! あれが終末の巨人なのか! 勇者ちゃん、ちょっと行って、倒してこい!」
「無茶言わない!」
 あれが本当に終末の巨人なのだとしたら、七日で世界を滅ぼし、その後、自らも炎に巻かれて死に、新しい世界と神々を生み出す始原の巨人になるという、神をも超える存在だ。倒すとか、何言ってんだ。さすがのアルさんでも、それは──いやいや、ないわ。
「終末の巨人ってのは、始原の巨人と同一視されんのか?」
 と、ダガーさん。巨人を眺めながら言う。
「そ、そうです」
「北欧系だったのか、この世界……」
「いや、わからんぞ。実は、我々が本当に探すべき物は、賢者の石ではなく、剣なのかもしれん」
「そういや、古代魔法帝国期があったようだしな……」
「魔精霊と戦うんですね。いやあ、懐かしすぎますねぇ」
 何を言っているのか全くわからなかったが、きっとどこか、別の世界での冒険の話なのだろう。って言うかこの人達、他の世界で終末の巨人と戦ったりしたのか? マジか。ありそうで、ありえん……
「お、来ましたよ」
 北の空を見、ネリさんが言った。
 振り返ると、北の空からいくつかの光の玉のようなものが飛んできて、私たちの頭上を飛び越えて行ったところだった。よく見れば、それは灯火石の光のようで、飛んでいたのは、大きな鳥や空飛ぶ獣の背中に乗った、冒険者のように見えた。
「さすが、トレイサーの皆さん。よく見つけますねぇ」
 おでこに片手でひさしを作り、レイさんは巨人に迫る冒険者一行を見て、「ふーむ……」と唸る。
「まあ、誰一人、あれを倒した人はいないんですけどね」
「むしろ、倒せんのか?」
 アルさんの疑問に、ネリさんが答えた。
「設定的には、HPがありますから、倒せますよ。ただ、イモータル解除のフラグが発見されてませんので、まだ誰も倒していません」
「倒したら、世界が終わっちゃうとかないの?」
 コテンと首を傾げて、ニケちゃん。いやいや、世界を滅ぼす終末の巨人を倒しちゃおうとか、さらりと言ってますけど、どんだけ?
「さあ?」
「あの飛んでるやつ、何? フライングマウント?」
「ですよ。乗れるのは、中盤以降ですかね」
「おー」
 冒険者たちの光は、巨人の周りをぐるぐると回っているようだ。光の玉が、巨人にとっては、羽虫よりも小さく見える。攻撃するタイミングを見計らっているのだろうか。
 本当に、終末の巨人と戦うつもりなのか? さすがのアルさんでも、あれに戦いを挑もうとは思わないだろうと思えるくらい、圧倒的な巨躯、そして存在感なのに……
「おや?」
 光の玉が、三つほど、こちらに向かって飛んできていた。
「やあ、冒険者。こんばんわ」
 と、鳥の背中の鞍上から、フルプレートに身を包んだ冒険者が、
「ん?」
 と、私たちを見下ろして、
「誰かと思えば、レイシュじゃないか」
 ヘルムのバイザーを上げ、言う。
「師匠! まさか、まだやっていたとは!」
 どうやらこの、バイザーの下から顔をのぞかせたイケメンの騎士らしき人は、レイさんの知り合い、というか、曰く、師匠らしい。
「おやおやおや」
 続いてやってきた、鯨のような、羽もないのになぜか飛んでいる、見たこともない生き物の上に乗っていた軽装の冒険者が、
「そこに見えるは、レイシュと、まさかの、アルネリダガーでは?」
「危険なキメラを生み出すな」
 鼻を鳴らして返すアルさんは、まったく淀みがない。どうやら、この人も知り合いのようだ。
「ヴィエット! 生きていたのか!」
「レイシュ、私を勝手に殺していたのか?」
「世界平和のために」
「おのれ……」
「まあまあ、確かに、再会を祝して一杯やりたいところではあるが……」
 師匠と呼ばれた騎士さんが、ふうと息をついて言った。
「これからここは戦場になるので、低レベル帯の人は、レイシュ、よろしく」
「私とネリさん以外、みんな20以下なんですが」
「寝てない?」
「そう言えば、面白さ最優先で、寝てませんでしたね。なるほど、寝ておけばよかったのですね」
「オリハルコンのフライパンならあるぞ?」
「やあ、それを装備可能なレベルの人が勇者ちゃんを殴ったら、それ以前にロールバックですね」
 なにやら、不穏な話をしてないか?
「あらあらあら~」
 と、頭上から届いた聞き慣れた声に顔を上げると、そこには、飛竜の背に乗ったエルさんがいた。
「エルさん!?」
「おやおやみなさん、偶然ですねぇ。そう言えば、今日は西の塔に向かうって言ってましたっけ~?」
 ほわんほわんと笑いながら言うその感じ。それは、いつものエルさんに相違なかった。が、その御姿は、いつもの薄く輝くローブが、なんというか、一段と神々しく輝いていて、まさに女神かと、言葉を失う程であった。
「……あの、エルさん?」
 何故かアルさん、さん付け。
「何でしょう?」
「その、ステータスウィンドウ、壊れてるんじゃないっすかね。なんなんですか、そのIL」
「864であってますよ~」
「864!?」
 レイさんが驚きに目を丸くした。
「Lv99って、そんなにIL高いんですか!?」
「いや、私、740ですから、エルが特殊すぎるんです」
 ネリさん。
「俺、785」
「俺も800くらいだから、エルさんがぶっちぎりなだけ」
 と、先の師匠さんとヴィエットさんも続く。たしか、ILなるものは、大きければ強い、くらいに簡単に考えておけとアルさんに教えてもらったけれど……私のミスリルの剣、IL30だったかな……
「アクセ変えれば、865にも出来るんですけど、サブステが微妙なんですよねぇ~。なかなかいいアクセが出なくって~」
「やはり私もLv99にして、試練の塔の100階を超えなければなりませんか」
「100階だと、IL600なんで、300階越えてください~」
「遠すぎィ!?」
「つーか、そんなにILインフレしてんの?」
 ダガーさんが、なにやら胸の前の空間でゆらゆら手を動かしながら聞いていた。あのゆらゆらは、私には見えないが、ステータスウィンドウなるものを見る、魔法の所作だろう。自分のILを確認しているのに違いない。
 ネリさんが、「そうですねぇ」と呟きつつ、返していた。
「全シナリオが実装されたアップデート2の時は、レベルキャップ70、IL400くらいでしたが、アップデート3以降、更新しない事になったので、キャップが外れて、まあ、今は700台が上位層ですかねぇ」
「お前ら、廃人だな」
「相変わらず、アルくんは失礼だな」
 師匠さん、笑い、
「では、少々派手にバトるんで、みんな、死なないように」
 と、手綱を引いて、巨人の方へと飛んで行った。
「じゃあまたな、レイシュ」
「というか、ヴィエットは見ないと思ったら、トレイサーをしていたのか」
「頭数が足りない時な。今日はフルパーティ3レイドだけど、まあ、イモータル問題がどうなるかだな」
「今回は、何を試す?」
「そこで、私ですよ~」
 エルさんはえへんと胸を張った。
「なんでも、試練の塔の300階クリア報酬の、導師スキルフォーカス、『導く者の手』を使える人が、私しかいないらしくて~」
「そもそも隠しの、ヒーラーの癖にMNDが聖騎士以下にしかならないという、趣味職ですしね」
「CONはタンク並みですよ~」
「パラディンでよくねえ?」
「私がタンクって、不安じゃないですか~?」
「そうだな」
 そうだね。
「では、そこで、私の勇姿を見ててくださいね~」
 と、手を振って、エルさんは師匠さんとヴィエットさんを追って、巨人の方へと飛んでいった。
 その小さくなっていく背中を見送りながら、アルさんが隣のレイさんに呟いていた。
「あれ、倒しちゃったら、Sleeperみたいになんねーの?」
「インスタンス生成されてますから、大丈夫なんじゃないですかね。いえ、倒した人いないんで、わかりませんが」
 程なくして、エルさん達が飛んでいった巨人の進む方向に、なにやら、小さな白い光が生まれていた。何だろう? と皆でそれを眺めていると、ずずずず……と、それはだんだんと大きくなっていって、何やら、熱を帯びた風が私たちの間を吹き抜けていって──
「いやな予感しかしない……」
 アルさん。
「魔法か? ホーリーとか?」
 ダガーさん。
「いえ、あれは、プリースト系単体最強攻撃魔法、ゴッドフィストですね」
 ネリさん。
「ゴッドフィスト、確かに強いですが、光の拳って、いいとこ、人間大じゃありません?」
 レイさん。
「巨人殴るから、同じような大きさで打たないといけないんじゃないの?」
 ニケちゃん。
「なるほど」
「確かに」
「それもそうですね」
「そりゃあ、巨人を殴るんですものね」
 男連中、考える事を拒否したようだ。この後に起こるであろう事の。
「左手だな」
「左手だろう」
「左手ですね」
「間違いなく」
 そして──
 巨大な光は拳の形になって、天をつく巨人の顔面を、思い切りに強打して、弾け飛んだ。
 太陽が爆発したんじゃないかって言うほどの強烈な閃光が走り抜け、次いで、突風と爆音が私たちに襲いかかった。ばばばばっ! と、暴風に森が激しく波立ち、私たちの立つアーチが軋み、揺れ、落っこちそうになったニケちゃんを、慌ててレイさんが押さえつけた。
「アホかぁ!?」
 暴風の中、アルさんが叫んだ。
 そして、トレイサー──巨人を追う者という意味だという──と、終末の巨人との、大地を揺るがす戦いが、始まった。

 勝敗は、夜明けと共に訪れた。
 水平線の向こう、昇り始めた朝日に向かって歩き続けた巨人が、海の中に消えていって──終わりを告げた。
 夜明けと共に訪れた戦いの終わりを、静かな森の朝が、迎えていた。

「どうやら、違ったようですねぇ」
 飛竜の背に、サイドサドル──いわゆる横乗り──で騎乗していたエルさんが、ほわんほわんと言った。
 ちなみに、飛竜は私たちの隣を、てくてくと並んで歩いている。
「いやな、エル……」
 まじめな顔で、アルさんが言った。
「あの魔法、なんだ? 巨人はイモータルだからわかるが、あんなのに耐えられる敵、いんのか?」
「んー……あれはコールゴッドしてからの、マックスMP状態で撃ちましたからねぇ……まあ、私の命を賭けた渾身の一撃ですし、私の命と、釣り合う以上の敵って事ですよねぇ……」
 エルさん、にこりと笑い、
「いませんね」
 すごい事言ってる。そしてその笑顔。逆に怖い。エルさんの左手は恐怖。
「ふふふ、冗談ですよ~」
 と、ほわんほわん。
「いやあ、しかし、アレをみた後だと、我々のなんと矮小なることか」
「レイさんもLv99になって、300階突破報酬の、ダークソウルフィートをとるといいですよ~」
「どんな効果なんです?」
「MPが数十秒で空になりますが、即死なしで、コールゴッドや聖闘士宣言に迫るバブがつきます~」
「MP切れたら、暗黒騎士はバブきれて即死するんですが、それは……」
 雲の上の話題だ。あれと同じレベルの力をもった仲間が二人とか、頼もしさを通り越して、薄ら寒い。この仲間達だけに。
 ともあれ、程なくして私たちは森を抜け、海辺の丘の上に立つ、これまた巨大な、西の塔へとたどり着いたのだった。
「思ったよりでかいのな」
 見上げ、ダガーさん。
「あれ? ダガーさん、未クリアですか?」
 レイさんの質問に、ダガーさんは「ああ」と呟いて、
「途中の、森の中の発掘隊のなんちゃらクエをクリアしたとこで──」
 と、言葉を止めた。
 ん? 途中の、森の中のクエスト? 発掘隊のなんちゃら?
 アルネリダガーレイシュが、こちんと、凍りついていた。
 ん? と、小首を傾げるのは、エルさんとニケちゃんだ。
 おお……そうだった。そうだった。
「あっあああー!」
 アルさんが叫んだ。
「クエスト! 森の中の! 発掘隊のなんちゃら! 俺の武器!」
 喚くアルさんに、レイさんが続いていた。
「いやあ、すっかり忘れてましたね。キャンプした所を、ちょっと北にいった所だったんですが」
「スチールHQだろ? いらねーだろ」
 ダガーさんが鼻を鳴らしながら言ったけれど、アルさんは聞く耳を持たず、飛竜の背に乗っていたエルさんに、
「エル! ちょっとその飛竜貸してくれ! ぱぱっと行って、潰してくる!」
「えー? ロンバルディアちゃんは、タクシーじゃないんですが~」
 タクシーなるものが何かはわからなかったが、アルさん、飛竜を借りたとして、操れるのか? 曲がりなりにもそれ、竜種だぞ。
「そもそも、他人のフライングマウントは、借りられませんけどね」
「飛竜は、三人まで乗れますから、まあ、アルと勇者ちゃんとエルで片付けてくるのは、可能ですが……」
「ロンバルディアちゃんは、認められた人しか、乗れない設定なんです~」
「このゲームの飛竜には、そんな設定、ないですが」
「ロンバルディアちゃんは、駆竜機士じゃないと乗れないんです~」
「そんな、ワイルドな設定持ち出されても」
「ロンバルディア! 俺に質問しろ! 正しく答えるから!」
 アルさんは、一体何を言ってるいるのだろう……まあなんか多分、別の世界のロンバルディアちゃんの話なのだろうとは思うが。知らんけど。
 ともあれ、当の本人、エルさんの飛竜、ロンバルディアちゃんは、興味なさそうに、ふぁあぁと、あくびをしていた。
「ロンバルディアー!」
 アルさんの叫びが、海の青を映したような、青い空に吸い込まれていく。
 どうやら、西の塔に挑むのは、もうちょっと先の話になりそうだ。
 私は軽く苦笑して、息をついた。


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