studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2015.08.16

8月ですので

Written by
しゃちょ
Category
時事

 いろいろと国際社会が動いている中で、8月はやはり戦争と平和について考えなければならない月でありまして、安倍談話の全文なんぞを、しっかりと読んでみた次第です。夏です。暑いです。

 政治、憲法の話題なども、このブログでは分け隔てなく発信しているわけでありますが、これはやはり、ネットの片隅とは言え、表現者として何かをやっていた者としては、避けて通れない事だと思っております。別に主義主張を押し付けようと言う意図はなく、私ももうおっさんの部類に入るわけですから、これはある種の、想いを秘めた、小言のようなものだと思って貰えれば、と思います。

 安倍談話ののち、天皇陛下のお言葉も出たわけですが、印象的であったのは、どちらも同じ事を言っているように感じられた点です。オフィシャルな、国と、象徴としての発言ですから、まあ、右によったり、左によったりの発言ではないので、いろんな意見があるでしょうが、私としては、今回の談話とお言葉の追加は、いずれ迎えるであろう、憲法改正へと向けて、この国が、世界に向けて発言する内容としては、一定の評価を得られるのではないかと思います。

 度々、このブログで憲法の話をするとき、私は9条のは話ではなく、97条の話をしますが、私はこの度の談話、お言葉を受けて、やはりこの条文にこそ、この国が世界で果たすべき役割、そして、決して超えてはならない一線を、詩的表現にみえこそすれ、端的に書き表しているのだとの思いを、強くしました。先の改正草案で、ばっさりと削除されてしまっていた、この、97条こそが、です。

 憲法改正の波は、避けられないでしょう。その時がいつかは、まだわかりませんが、私はこの70年談話をもって、改正の折には、先の自民党草案で削除されてしまっていたこの条文を、是非とも残してもらいたいと、強く願います。

 11条に書かれている内容と、97条に書かれている内容は、決して同じではありません。憲法学者の方々は、97条の生まれをご存知でしょうから、不要な条文であると論じる方もいらっしゃるでしょう。

 しかし、この度の談話、お言葉を受けて、この条文が不要であるとは、私には到底、思えません。3つは、同じ事を述べているとすら、私には思えます。憲法に書くべきことではないかもしれません。しかし、憲法に書いてあるからこそ、意味があるのではないですか。

 僕らは、戦争を知らない子どもたちです。だから、戦争時代のことは、知識としてしか、知りません。しかし、だからこそ、この条文を噛みしめて、100年の後の世界に、託さねばならないのだと、強く、思うのです。


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