studio Odyssey




スタジオ日誌

日誌的なもの

2011.03.07

旅行記4

Written by
しゃちょ
Category
日記
Tags

 2.22。
 恒例のモーニングコールは、今日は6時半でーす。

 はええよ。まぁ、それ以前に起きてましたけどね。つか、この旅行、モーニングコールで起こされた記憶がないんですけど、なんで?時差ぼけ?夜は10時には寝てしまうから、起きるのが早いだけ?まぁ、どうでもいいがね。

 ああ、あとそうだ。ここのTVではCNNが入ったんだ。ニュースで、ニュージーランドの地震を報道していた。オーストラリアに行こうと考えていた時期もあったため、このニュースには驚かされたね。こっちも、何事もなければいいんだけども。

 さて、今日は嫁が楽しみにしていたピサの斜塔に昇る。嫁曰く、メインイベントだ。つうか、他のものは前提知識がないので、比較的どうでもいいんでしょう。ピサピサ。まぁ、俺も楽しみだが。

 そんなわけで、フィレンツェを出て、ピサに向かう。

 ピサには、蔑称的な意味での、ジプシーが多いらしく、到着後は、パーキングからバスで移動。安全のための一人1ユーロ。まぁ、歩くより楽だし、これくらいは払うさ。トイレに50セントはどうかと思うけどね。
 さあ、ピサのドゥオモ広場に入り、進む。見よ、あれが、ピサの斜塔だ!傾いてる!たおれそう!マジで!
20110228BK_-242.jpg 嫁のテンションマックスである。教科書で見ていたものを目の当たりにして(今までのものも見ていたはずだが)、大はしゃぎだ。しかも、このツアーでは、実際にピサの斜塔に昇るので、早速荷物を預けて、ピサの斜塔にレッツトライ。

 余談だが、ピサの斜塔は鐘楼である。キリスト教での教会は、鐘楼、洗礼堂、聖堂(教会)がワンセットであり、この有名なピサの斜塔は、このピサでの鐘楼にあたる。なので、塔の頂上には鐘がある。今は危険なので鳴ることはないのだが。

 さて、ピサの斜塔を昇る。高さは地上55m、階段は297段、傾斜は約5度である。意外ときつい。大理石の階段を上がっていくのだが、入場制限があるとは言え、観光客があがるため、大理石はすり減っている。ツアー参加者の最高齢(お母さんと呼んでいた)の方も、なんとか昇っていたが、足腰に不安のある方は、介添えを受けた方がいいだろう。

 さて、塔頂である。眼下にはピサの町並みが見え、ドゥオモ(教会堂)の屋根もよく見える。なかなかに壮観な景色だ。ヨーロッパの町並みは、各町にある鐘楼やドゥオモから見下ろす事が出来るが、足腰に自信がある方、5ユーロくらいならエレベーターに乗ってもいい方は、是非昇ってみるといいだろう。町並みを見下ろすと、その世界の片鱗が見えるかも知れない。と、ちょっとはいいことを書いておく。べ、別に日和ってないんだからね!思った事を口にしているだけで!
 なお、ピサの斜塔は鐘のあるフロアより、さらに上へと上がれる階段(外周から昇れる)があるため、見逃さないように。ここをあがれば、高い所が苦手な人は、ちんさむ出来る事間違いなしな景色を見ることが出来る。自分も嫁も全く問題ないので、ひゃっほーいだが、他のツアー客はかなりびびっていた。いやぁ、なかなか壮観じゃないか。眼下のイタリア人めがけて、鉄球と木の玉を落としたいくらいだね。ガリレオのように。(実際はそんなことしていないとも言われているが、少なくとも、人にめがけて落としていないだろうし、そもそも荷物検査で、カメラ以外持ち込めない)

 テンションマックスの嫁はピサの斜塔の置物をほしがったが、大理石の置物とかは、是非止めていただきたいので、止めておいた。そんなもん買って、どこにおくんだ、どこに。
 あ、キーホルダーは買ってましたよ。小さい奴は。

 ピサ観光を終え、フィレンツェに戻り、ミケランジェロ広場からフィレンツェの町並みを見た後、昼食となった。添乗員がレストランの位置がわからず迷子になったりしたが、この時に、昨日自分たちがやってきた場所が、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の大聖堂)への通り道であったことに気づく。適当に歩いた割には、フィレンツェは歩きやすい町だ。ローマよりはわかりやすい。いいぞ、フィレンツェ。

 昼食は茸のパスタ(ポルチーニ茸だろうか)と、鳥のトマト煮。トマト煮は手羽のような部位を煮込んであるため、少々切り分けるのが面倒だった点がマイナスだ。味は悪くなかったんだが。ああ、あと、店に日本人しかいなかった点もマイナスだ。どうにも、イタリア感がしない。今までイタリア感がした食事はなかった気もするが。

 昼食後は、ドゥオモの見学と、ウフィッツィ美術館の見学である。ドゥオモはまぁ、バチカンに行った後だと、少々アレな気がしてならない。ここも結構すごいんだけども、バチカンを見た後だとね...この屋根を作るのに、建築開始から100年たっても、技術がなく困った話なんかは面白いと思うけれど、特にこれと言ったことはなぁ...さて、ウフィッツィ美術館に行こう。

 「ウフィッツィ美術館って、前に新宿でやってた奴?」と嫁が聞いてきた。そういえば、やっていた。ウフィッツィ美術館に何があるのか、自分も全く知らなかったのだが、ボッティチェリのヴィーナスの誕生や、春がおかれている美術館である。意外とすごいんだ、ウフィッツィ美術館。言いにくいだけじゃなく。

 ウフィッツィとは、イタリア語で、オフィスという意味だ。元々、この美術館は1600年頃は行政機関のオフィスビルとして利用されていた場所であったからだ。つまり、オフィス美術館。何で、オフィスが美術館に?というと、要するにえらい人が集めた美術品の展示場所にしてたんだね、行政ビルを。外国の要人が来たときに自慢できるでしょ。いろいろと。
 まぁ、今は完全な美術館な訳だが、最終的にここが美術館となった決め手は、フィレンツェの名家、メディチ家が断絶する時に、メディチの血を引く唯一の相続人であったアンナ・マリア・ルイーザが、「どうせお家断絶で、コレクションがどっか行っちゃうくらいなら、フィレンツェに寄付するわ。その代わり、一般に公開してよね!」みたいな事を言って、美術館になった。(正確には、それ以前から美術品の公開はされていたのだが)なお、この人の肖像画は、入ってすぐのところにある。

 話がそれ気味だったが、要するに、世界最古の美術館とも言えるべき場所だ。

 何にせよ、目的はボッティチェリの作品である。ダヴィンチの受胎告知とか、どうでもいい。俺は宗教画には興味がないのに、絵画の歴史の授業をガイドがする。(ここのガイドは、話の後に必ず毒舌をはくので、うちでは毒舌おばちゃんと呼んでいたが)まぁ、よくよく聞きながら見てみると、我々が普通に使う遠近法の一点透視法だの二点透視法だのが生まれていく過程はなかなかに興味深い。が、ともかく、俺はボッティチェリ!ヴィーナスの誕生である。
 そんなわけで、ヴィーナスの誕生にお目にかかる。

 おお、ヴィーナスの誕生!宗教画一辺倒からの脱却!これぞルネッサンス!隣には、春が置かれている。個人的にはボッティチェリの名作はヴィーナスの誕生ではなく、春だと思うので、じっくり鑑賞。この足下の花々もすばらしい!

 まぁ、正直に言うと、ピサを昇った後に、ウフィッツィ美術館の3階まで昇るのは、結構きつかったけどね。

 しかし、名画は名画だ。フラッシュ焚いていた他のツアー客の馬鹿野郎がいたが、油絵にそんなことすんじゃねぇ!プラスチック一枚しか間に入ってない状態で見られるんだぞ!見られなくなったらどうすんだ、馬鹿野郎!
 という馬鹿野郎がいたりするので、そのうち、モナリザみたいになっちゃうぞ!でかいけど。

 さて、その後は、フィレンツェでの自由行動である。

 まずはグロムという店のジェラートが食べたいと嫁が言うので、その店に向かう。日本にもあるが、本場イタリアでは、わずか2ユーロである。自然食品系のジェラートで、なかなか美味だ。あとはスーパーマーケットにも寄ってみた。飲み物と、パスタを買う。なぜパスタ。ちなみに、スーパーマーケットでは、飲み物は50セントで買える。ホテルやレストランの事を考えると、どれだけぼったくりなんだと思う。おのれ、イタリア人。日本人観光客をなめてんのか。

 あとはブランド街をふらふら。嫁が懲りずにまたグッチに寄り、鞄に引かれたが、押し出した。その後、交差点で立ち止まった嫁を押したら、スゲ-切れたので、たぶん、ご機嫌斜めだったのだろう。まぁ、腰が痛かったんだろうが。

 coinというデパートに入ってみたり、商店をふらふらしてみたりした後、カメのマークのバッグブランドに寄った。ガイドの毒舌おばちゃんが、毒舌を忍ばせながら、この店は安くていいと言うので(ちなみに隣のジェラート屋は糞高いジェラートを買わせるので有名だそうだ)寄ったのだが、これが、なかなかいい。ブランド名は、carpisa(カルピサ)と言う。日本ではほとんど手に入らないようだが、このブランド、日本でも結構、流行りそうだ。嫁もテンションあげぽよ。グッチで買えなかった分、ここでバッグを2つ購入しやがった。よく買う...とは言え、それでもグッチの1/10だ。合わせても50ユーロちょっと。(6000円くらい)安い。イメージとしてはそうだな、LeSportsacのようなブランドと思ってもらえばいいだろう。割合、いいものだったぞ。

 自由行動の後は、夕食。夕食はミネストローネと、ビステッカ・フィオレンティーナである。ビステッカ・フィオレンティーナと言うと、なんだかすごそうだが、たいそうな名前の割には、正体は骨付き肉のステーキだ。味は塩胡椒のみ。

 微妙っちゃあ、微妙。
 あんまり飯には期待しない方がいいな、イタリア。
 そしてホテルに帰って、寝た。
 夜中の4時くらいに、隣の部屋から日本人女性の声が聞こえたんだが、隣は男子しかいなかったんだよね。あれは何だったんだろうか。


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